第37話 タイムリミット
「おばちゃん、ゴローンの石と俊足のタネ、あとオレンも頼む!」
「はいはーい。いくついる?」
作戦会議終了から間も無く、『ストリーム』はトレジャータウンで大仕事に向けての準備を行っていた。エキュゼに持たせる道具に、依頼品の物資の調達、諸々の再確認等。支度自体は普段とほぼ変わらないのだが、司令塔役のフォシルが中心となって一匹一匹にアドバイスをしたり、徹底した情報共有も欠かさないところを見ると、その入念さは段違いと言えよう。
「アベル、この依頼に書いてある道具全部買ってきてくれ。あ、金あるか?」
「買いたくない」
「よし、頼んだ!」
「聞いてんのか」
と、このように道具の引き出しをしている片手間にも必要な指示はしっかり出しておき、同時に作業の効率化も図る。流石はフォシルと言ったところか。頼まれる側のアベルは非常に不服そうだったが。
カウンターに並べられた大量の石や木の実をバッグへ流し込むと、向き直ってエキュゼに中身を見せながらダンジョン攻略のキモを教授し始める。
「いいか、まず基本は戦闘を避けること。不利な相手に正面から殴り合ってたら消耗しちまうからな。どうしても必要、ってときはこの『ゴローンの石』で遠距離から削ればいい。大抵はこれ一つあれば勝てる」
「う、うん」
「で、もし通路でバッタリと敵に出くわした場合は
」
まるで一度経験したかのような濃いシミュレーションに、エキュゼは着いていくのがやっとという様子で、ただコクコクと頷いて理解しているのか否か曖昧な表情で応対していた。
今まで以上に、チーム全体が忙しく動いている。
なんて、本当に余裕のない者たちには考える暇さえないことだが、唯一手持ち無沙汰なネイトは、フォシルの後ろで、そんな彼らのせっせと働く姿を黙って傍観していた。
というのも、事前にネイトに出された指示が、
「あー……とりあえず
なんもしねーでくれるか」
確かに、コイツが何かアクションを起こすとすれば、それはほぼほぼ間違いなく厄介ごとの類。故に、妥当と言えば妥当なのだが、そんなぞんざいな扱いでいいのか、といくつか疑念が生まれる余地はある。なんたってリーダー。いや、現在はなんちゃってリーダー。
ふと、辺りを見渡す。右にポケモン、左にポケモン、わいわいがやがやと相変わらずの賑わいを見せるトレジャータウン。真昼間は知らないが、朝も夕方も雑踏の規模は変わらない気がする。
しばらくそんな考えに耽っていると、小橋の前で何やら楽しそうに会話しているケムッソとオオスバメの姿が目に入った。ああ、そういえば彼らも探検隊だっけ。ギルドでも頻繁に見かけたことを思い出す。
すると、チームのリーダーと思わしきオオスバメが大振りに片翼を掲げ、それにつられてケムッソも小さな前足を精一杯伸ばした。周囲の音にかき消されて声は聞こえなかったが、恐らく何か、掛け声らしきものを発したのだろう。
(……あ、いいなあ。ちゃんとリーダー出来てる)
気付けば、そんな二匹にネイトの羨望の眼差しは釘付けになっていた。鬼が出ようが蛇が出ようがボケる彼でさえ、肝心な時に役に立てないという悔しさや疎外感は耐え難いものだった。だからこそ、別段特別なこともしていないあの二匹が、これ以上になく輝いて見えたのだ。
ふう、とネイトにしては珍しいため息をつく。『ガルーラの倉庫』前に視線を戻すと、未だに解説を続けているフォシルと、話の内容を整理し切れずまごついている様子のエキュゼがちぐはぐなやり取りを繰り広げているところだった。……コミュニケーションは成り立っているのだろうか。
「大丈夫かなあ……」
ただでさえ先行きの見えない作戦が、より不明瞭になった気がした。
巾着袋の中身を手探りで確認する。ジャラジャラ、と思わずニヤけたくなるような、金貨同士が擦れ合う音を、『カクレオン商店』の列に並んでいるアベルは何の感慨もなく聞き流した。そのまま手を引っ込めると、「足りるか」と小さく独り言を呟いた。どうやら持ち金の不足がないかを大雑把に確かめていたらしい。
二つ前に並んでいたヒメグマの会計が終わったようで、列が一匹分進む。目の前のサンドパンの支払いが済めば、次はアベルの番。念のため片手に持った依頼リストに書かれている道具を一通り見直し、自身の記憶に違いがないとわかると紙束を下げた。
(……しかし)
もう一度、下げた腕を持ち上げて内容に目を通す。今回必要な道具の再々確認
ではなく、彼が気になったのは、用紙の下の方に記載されている『お礼』の欄。
『ストリーム』がこうして多量の依頼を受注した理由は、昨日の『リンゴの森』での一件で被った汚名を返上すること、即ち、主に彼らが欲しいのは『報酬』ではなく『成果』である。一日で想定外の数をこなせば、流石に親方も目を付けるはず、との算段。それ故に報酬は必須ではない、と言えば嘘になるが、本日に限っては特別注視すべき事項でもなかった。
しかし、それがわかっていてもなお、謝礼を凝視するアベルの表情は依然として晴れぬままだった。決して記述の不備などではない。調達役として商店に並んだ彼だからこそ感じられた、一つの不審感。
「これ……元取れるのか?」
『お礼』は、記載こそ必須ではあるものの、内容に関しては特に基準はない。依頼相応の報酬があることが望ましく理想的だが、中には仕事量と礼品が(良くも悪くも)あまりに釣り合っていない場合も存在する。なので、仕事を選ぶ際には
という話ではなく。
『ストリーム』が無作為に選んだ依頼の大半は後者に偏り、しかもあまり上等とは呼べない報酬、つまり、悪い意味で釣り合っていない方だった。その上道具の送達が目的なのだから、収支の頭に横棒が一本付いてしまうことは考えるまでもない。
数ばかり求め、結果として確認を怠った自分たちが悪いのは百も承知なのだが、それでも厳しい現実に目を向けると憂いの感情しか沸いてこない。アベルは露骨に肩を落とし、一際大きいため息をついた。
「……さん。アベルさん?」
「……あ?」
軽く現実逃避していた森トカゲに心配の声が掛けられる。ぼんやりと意識を戻すと、どうやら前の会計が済んだらしく、それで呼ばれていた模様。
「大丈夫ですか? 今日はなんだか調子が悪そうですけど……」
アベルは小さく首を振り、片手に持った大量の依頼用紙をカウンターに差し出す。
「なんでもない。それより、この……これらの依頼に必要な物を全部用意してくれ」
軽く内容を一瞥し、「はいは〜い」「今日は忙しくなりそうですね〜」。受けた注文に詮索の念や疑問を抱かず、淡々と在庫へ向き合う姿はまさしく商売人の鑑。買い手からすればありがたい限りだが、今回ばかりはアベルも少し愚痴りたかったというか。物事が都合よく進まないのはお約束。
ああ、やるせない。普段ならば前向きに毒を吐いていた彼でも、流石に参ってしまったのか、無意識に下を向いて、も一つ深々と息をついた。
と、上へ落ちる視界の途中で、やけに目立つ色が半眼に残り、ふと僅かに顔を持ち上げる。店頭に並んだどこか懐かしいピンク色のスカーフ
確か十数年前に流行った装備品だったか。そんなことを考えながら再び
微睡むようにして俯くアベルだったが、一刹那に脳裏を走った電流で、ハッと覚醒した。
いや待てよ、アレの効能は
「なあカクレオンさん、コイツは」
「お、お目が高いですねぇアベルさん。これはですね、救助隊の黄金時代に流行したファッションアイテムでして、最近になってまた発注が急増したんですよ〜。年輩の方々にはモチロン、若者の間でもプチブームみたいですので、張り切ってウチでも仕入れてきちゃいました〜♪ で、性能はですね
」
やはりそうか、とでも言うように鼻を鳴らす。
スカーフを見た瞬間から浮かびつつあった妙案が確信にまで至り、思わずアベルの口元から悪い笑みがこぼれかける。今までの不機嫌が一変、ドス黒い希望へと急変した。
カクレオンによる性能解説云々など、既に耳に入っていなかった。
「……なあ。これ、いくらするんだ?」
各自行動を開始してから数分が経過。特にすることのないネイトは倉庫の隣で準備の終了を待っていた。普段からわちゃわちゃしている彼だが、待機中は見違えるほどに安静で、時折視線を寄越すエキュゼがその都度困惑していたほど。散々いらんことはするクセに、思いの外言い付けはしっかりと守っている。改めて変なヤツであると認識せざるを得なかった。
「……あ。アベル、だ?」
何気なく商店方面を見やると、太った袋を下げたキモリがこちらに向かっていた。が、どうにも様子がおかしい。足取りはどことなく軽い感じで、肌身の如く纏っている負のオーラも心なしか薄い。いや、何も悪いことはないのだが、果たしてこれを、本当にアベルと呼んでいいのやら。
リフレッシュド・キモリは、ネイトを横目でちらりと見たあと、既に疲弊の色が滲んでいるエキュゼと、作戦の確認を大方済ましたフォシルに目をやった。すると、目元が歪み、一気に薄れていた陰気が周囲に充満した。見知った姿に、なんだアベルか、とネイトは胸を撫で下ろした。
「どしたの? なんかやけにウキウキしてたように見えたけど」
「ん、まあな。それよりそっちの準備は終わったのか」
「わかんない」
ネイトが首を振ると、「やれやれ」とアベルは目を細めて首を振り返した。元より期待していなかったとはいえ、距離数十センチ範囲の仲間の動向くらいは察してほしいと切に思う。
仕方なく、わざわざフォシルの隣へ出向くアベル。横から睨みを入れてやると、フォシルは「おう」とだけ返して対面した。もはや敵意など慣れっこか。
苛立った様子で、細腕と一緒に布袋が前に突き出された。
「この量を手ぶらで買いに行かせんなクソったれ」
「あ、ああ……悪りー、すっかり忘れてたぜ。じゃあ、その袋は?」
「店のサービス」
「そうか……いやホントすまねー」
何故だろう、今日のフォシルはやけにミスが多い。本人自身もその焦りを実感しているのか、片手で頭を押さえて呻くような呼吸を繰り返している。頼れる兄貴分だからこそ、周りもそんな彼になんて声をかければいいのかわからなかった。
気まずさに俯くエキュゼ。沈んだ二匹につられてか、アベルでさえも言葉を失いそっぽを向いてしまった。
やっぱり、みんな不安だったんだ。
ギルドの仲間たちから後押しを受けたとしても、逆転の可能性を秘めたフォシルの作戦を以ってしても。それでも、漠然とある失敗のビジョンと、遠征メンバーに選出されなかった先のことと
不明瞭で、しかし確かにそこにある黒霧を拭い切ることは叶わなかったのだ。
ネイトは今の自分に何が出来るかを考えた。だが、脳裏に浮かぶのは頼りなく、ただただ引っ張られるだけの自分。行動を起こしても運命的なほどに空回る一挙一動。現状をここまで理解していても
否、理解しているからこそ、ネイトは自身の力量で彼らを鼓舞することは出来ないとわかっていた。
いよいよ陽気なリーダーまでもが口を噤もうとしたその時、
「お、ネイトはん御一行! お久しぶりですなあ」
「……お! オメーはあん時の!」
商店の方から、どこかで聞いた甲高く芯のある声。いち早く振り向いたフォシルがその姿に反応を示した。
「ん、その節はお世話になりました」
「あ、ナガロさん……」
フォシルに対して律儀に頭を下げたオオタチは、『ストリーム』が命名したチーム『ナナシ』のリーダー、ナガロである。数日ぶりの再会に、エキュゼも小さく会釈した。
どことなく仲睦まじい様子のフォシルとナガロを交互に見て、ネイトは不思議そうに首を傾げた。
「あり? 二人って知り合い?」
「ああ。『デンタル・バッテリー作戦』ですっげー活躍してくれてな。コイツ抜きじゃ勝てなかったかもしれねー」
「いや〜ん、買い被りすぎやで。別にウチらは大した事してへん」
当時は作戦の都合上別所で古代軍を待ち構えていたネイトたちには知る由もなかったが、ギルド東側を守っていた二匹は、敵将も予測出来ないようなコンビネーションで大隊列を縦断するという逆転の一手を繰り広げた仲だったのだ。
「へー」とネイトが納得した(?)ところで、アベルが口を開いた。
「相方は不在なのか」
「まー今日は休みやからなぁ。セバスちゃん付き合い悪いし絶対来ん」
「い、意外ですね……」
彼女の仲間であるトロピウス
セバスチャンがこの場にいないのは、どうやら本日が『ナナシ』の休日であるかららしい。てっきり自分たちと同じく探検の準備でもしてるのかと思っていたものだから、着眼点は違えど、男衆三匹もエキュゼ同様に意外に思った。
では何を、誰かがそう聞く前に、それは本人の口から切り出された。
「今日はな、本部に給付の申請出しに行くねん」
「給付?」
「うん。ある一定のランクを超えると探検隊連盟から扶助を受けられてな
」
ギルド管轄下の弟子である『ストリーム』とは違い、ナガロのような無所属の探検隊は自由がきく代わりに面倒は見てもらえない。故に緊急事態時であろうと助け船は出されない、いわゆる傭兵のような存在なのだが、そんな彼らでも駆けこめるのが探検隊連盟本部。
内容としては、チームの登録から保険、依頼の受付は勿論、なんと警察施設も置かれていたりするのだとか。探検隊だけでなく、用さえあれば一般のポケモンも立ち寄るような機能の充実っぷりなのだ。それほどの公的機関であれば給付の申請が出来ても不思議ではない。
「ほら、前ジブンらのとこのギルドから『今度遠征がある』ってお達しが来たやろ? ほんでしばらく休業やっちゅうから、ウチらみたいにあそこを拠点にしてる探検隊は仕事できへんわけな」
「ああ、死活問題ですもんね……」
「……ん? ちょっと待て、なんでオメーが遠征のこと知ってんだ?」
プライベートな生計事情から一変、フォシルが疑念と困惑の込もった声を突き立てる。
『ドクローズ』のように盗み得た(というよりネイトが口を滑らせただけだが)場合を除き、外部に情報が漏れる機会など思い返す限りでは無かったはず。知っているからどうした、と言われてしまえばそれまでだが、それでも何か、不安で揉みくちゃにされた今の彼らには、堂々と肯定できるような『答え』らしきものが必要だったのかもしれない。
無論、そのような内部事情をナガロが知るはずもなく。きょとんと僅かに頭を傾けたのち、ありのままの解を提示した。
「なんでって……そら今言うた通りや。
一昨日やったかな、依頼選んでたら鳥公が部屋に居合わせた探検隊たちに言ったんよ。『突然ですまないが一週間後にギルドで遠征を行うことになった。数日空けることになるからその間は各自でやりくりしてくれ』っちゅーて。いやいや突然すぎるやろ、ってなったわ。ナハハ」
鳥公、というのは、響きからして間違いなくクレーンと見ていいだろう。して、そのクレーンが、ネイトたちの知らぬ間に探検隊らに向けて遠征の予定を発信していたらしい。
冷静に考えてみれば当然のことだった。『プクリンのギルド』で請け負う仕事を生業としている探検家もいる中で、何一つ連絡も寄こさずに出ていってしまうなど経営としてありえるだろうか。あっていいはずがない。
……ということは、ネイトが余計なことを言わずとも、ドンフリオたちに遠征の件が知れ渡るのは時間の問題、だったのだろうか。今となっては後の祭りだが、結果としてあの血祭りが意味を為さなかったとなると当人に対して負い目が出来てしまわないでもない。フォシルは申し訳なさそうに横目でネイトの顔を覗いた。被害者はその事実すら覚えがないかのように「ふーん」といった様子だった。もうちょっと殴るべきだったか。
「……ま、ともかくな? ウチは今から本部へ金をせびりに行くんや。ちょちょいと準備するから、そこ、どいてくれへん?」
「あっ、すみません……」
ナガロからの催促を受けて、『ガルーラの倉庫』前に長時間たむろしていたことに気付く。慌てて退けるエキュゼたち。その横を特に迷惑がる様子もなくナガロが通る。「あらナガロさん、大変そうね」、「そうなんよ奥さん。実はギルドでな
」倉庫で道具の引き出しが始まったようだ。
残された『ストリーム』はしばしの間黙り込んでいたが、やがてアベルが重々しく口を開いた。
「……一週間」
「ん? ああ、一昨日の話っつってたから……五日後か。遠征に行くのは」
「五日後」
ボソリと出た一言は、堂々と毒を吐くアベルにしてはらしくない小音量で、声の大部分は雑踏のノイズにかき消され、形を留めるのがやっとだった。そしてそこから何か言葉を繋ぐかと思いきやそうでもなく、そこで虚しく途切れた。
気まずい。出発の準備を終えてからというものの、それっきりまるで状況が好転していない。思わぬ邂逅からいくつか情報は得られたが、それが何だと言うのか。先行きに対する不安を和らげるどころか、かすりすらしていない。根本的な問題には未だ変わらず向かい風が吹き続けていた。
ナガロが倉庫を利用している横で沈んだ雰囲気の四匹。不可思議な光景だが、相応の事由はある。道ゆくポケモンたちにはその真意を探る気などあるはずもなく、軽く目をやっては特に気にかけることもせず去ってゆく。
やれ、ギルドを出る前は一致団結の足取りだったはずなのに、最悪のタイミングでまたぶり返してしまうとは。躁鬱にも似た感情の波に、うーんとネイトが唸った。
(わかってる。いま必要なのは励ましじゃない。じゃあ、なんなんだろう?)
二十分ほど前に彼らを動かしたものは現状を楽観的に捉えたポジティブ思考だった。さっきよりマシだから、なんとかなるからと、明るい雰囲気を作り出し、その波に上手く乗せられたことで士気を向上させられた。
しかし、どんな勢いであろうとやがては衰えていくものである。ネイトたちの背中を押した流れは、出支度の段階までで途切れてしまったのだ。その結果、気持ちだけの空元気では道理に敵わず、こうして停滞する始末となっている。
二度も同じ手は通用しない、それはネイトでもよく理解していた。そして、沈みゆく足取りに活力を与えるためには、真の意味で不安を取り除く必要があるということも。
前向きな言葉以外で、どうすれば前向きになれる?
鼻から矛盾しているような疑問だった。深く思案すれば及第点程度の答えは得られそうだが、そんなベターな回答でさえもすぐに導き出すにはやや難解そうに思える。
十数秒の沈黙の末、ネイトが選んだ解は
「……諦めよう!」
「んな!?」
無言の空間に何の前触れもなく吐き出された言葉は、聞いた者全員が耳を疑うような句だった。ふとネイトの頭に、フレーズにフリーズ、なんちゃって。……なんてダジャレが
神経を疑いたくなるようなタイミングで浮かんだが、反応を見るに冗談など到底言えたもんじゃない。口を滑らせてしまえばそれこそ一巻の終わり、血祭りバッドエンドのオチになってしまう。後でこっそりナガロにでも話せば腹を抱えて笑い散らしてくれるかもしれない。
それはともかくとして、ネイトの一言は三匹を驚愕させた。予想外の棄却宣言に対して真っ先に声を上げたフォシルは、あまりのどんでん返しに理解が追いついていないのか、言葉を失って口だけをパクパクと開閉していた。同じくアベルも目を丸くしたが、すぐさま「妥当な判断だ」とでも言いたげにフッと鼻で笑った。エキュゼはどう反応したら良いのかわからないようで、オロオロと周りの顔色を窺っていた。
唖然とした中で最初に声を出したのは、物理的に息を飲み込み、さらにリーダーの言葉をも無理やり呑み込んだフォシルだった。
「……お、おい。今のはオレの聞き間違えだよな。ネイト、もっかい言ってくれ」
「あきらめる!」
フォシルの一時見た希望的観測は一瞬の返答によって粉々に砕かれ、音という形をもって耳に入った『現実』に脳をぶん殴られた。流石に『二口目』は呑み込み切れなかったようで、今度こそ絶句した。
これだけ下向きな判断を唐突に下したところで、しかもそれがネイトによるものとなれば「はいわかりました」と誰が簡単に付いていこうとするか。
「ハッ、だいぶお前もわかってきたな。まあ俺は最初から無理だろうと思ってたが」
「アベル……」
だがやはりというか、そんなヤツは一匹いた。全くブレない緑の悪魔に、エキュゼがその名を呟いた。チラリとアベルが横顔を覗く。現時点で意志がはっきりしない彼女だったが、表情からは迷いつつも諦めきれないような思いが感じ取れた。
フォシルとアベル、性質も意見も対極にある二匹をおぼつかない視線で交互に見やるエキュゼ。最終的に迷子となった目の先がたどり着いた相手は、いまいち考えの見えない言い出しっぺ、ネイトだった。
私は、どっちにつけばいい
?
助けを乞うようにして、リーダーに目を向ける。目が合った。エキュゼのメッセージが伝わったかは定かではないが、確かに一瞬、小さく頷いたように見えた。
「最初から無理だったかどうかはわからないけど、たぶんこのままやってもうまくはいかないと思う」
断定する形でないため若干曖昧な物言いではあるが、ネイトの方針は「諦める」から変更されていないらしい。真剣に仲間を見据える姿からは冗談の香りもしない。やはり、ここで断念してしまうのだろうか。エキュゼの頭に、ぶわっ、と沈鬱な感情が立ち込めた。フォシルも同じく、口元をへの字にして目線を落としていた。アベルは目を瞑っていた。
そしてその絶望を後押しするように、ネイトは宣言した。
「だから……僕たち『ストリーム』は、遠征に行くことはあきらめます! でもね
」
ああ、終わった。ついに言ってしまった。無論、話の流れからして希望を見出せる確率など大してなかったわけだが、彼らはどこか、ありもしない幻想に期待を抱いていたのだ。なんならボケでも良かったほどに。しかしこうもすっぱり断言されてしまえば、そんなものも
泡同然に過ぎなかった。
「でもね」
どうやらこの宣言には続きがあるらしい。だがここまで言葉に打ちのめされ続けたエキュゼたちにはそれが何であるかを聞き届けるだけの気力は残っていなかった。
はずなのに。自然と耳に入ってきたその台詞には、食いつかざるを得なかったのだ。
「仕事はちゃんとやる! 今日の依頼も、残り七日だか五日だかの分も!」
「……え」
「……んん?」
「なんだと……?」
リーダーからの命を受けた三匹の反応はお察し、期待や驚きよりも困惑が先行しているようだった。
なんだろう。話は進んでいるはずなのに、最初よりこんがらがっているような。堂々と撤退を決めたと思えば、今度は全く逆のことを言われてしまった。ネイトの話の方向性もそうだが、聞く側も喜怒哀楽があちらこちらへと忙しい。
と、散々振り回されたのが相当気に食わなかったのか、アベルは舌打ちしたのち、ネイトに食ってかかるようにして威圧的に問いただした。
「おい、言ってる意味がわからねえ。何が言いたい」
「えぁっ、とねえ。つまりそのー」
何か奇抜なアイデアの元の提案なのかとネイトの答えを待つ三匹のポケモン。ところが、どういうわけか当人は言葉を詰まらせてしまい、首を傾げて考え始めてしまった。いやいや考えがあった上で決断を下したのだろう、とツッコミを入れたくなるが、黙って待つことにした。なんというか、疲れていた。
少しばかりの思案を経て、ネイトは歯切れの悪い口調で答えた。
「遠征のことは、まあ、いったん置いといて、で、依頼はいつも通り真面目にやる。みたいな?」
「遠征の優先順位を下げるってことか?」
「そうそれ! 遠征は行けたらラッキーぐらいの気持ちで!」
相変わらずのはっきりとした核心が見えない回答だったが、我らが誇る天才、フォシルはなんとなくその意図を汲み取ることが出来たらしい。すかさず挟んだ言い換えによるフォローには本人も納得。フォシルは、ああ、と安心したように笑うと、「そーゆーことか」と一人呟いた。
だが、話に追いつけていない二匹からすれば話の本懐は分からずじまいのままである。なぜ遠征は諦めて、仕事にだけは熱を注がなければならないのか。理由さえ説明してくれれば一瞬で解決するはずの疑問なのに、その肝心な部分があえて避けられているような気さえした。
理解の境界線の先に立つ二匹に、アベルは何か声を投げかけようとした。が、それより先にエキュゼが口を開いた。
「ねえネイト……本当に諦めちゃうの? 遠征……」
「あ、えっとねー。諦めるというか、ほら、今の僕たちって遠征のことで頭一杯でさ、なんかよくない空気じゃん?」
「それは、だって……!」
「わかってる。みんな行きたいんだよね。でも、成功させなきゃ、成功させなきゃ、って思ってばっかりだとつらいでしょ?」
「……あ」
この会話で、アベルはネイトのねらいに気付いた。
最初に「諦める」と堂々宣言していたが、おそらく本気でそうするつもりはなかった。冷静に考えれば、そもそもネイトが表立ってこんな提案をすること自体、何か裏がある。言葉のスケールに惑わされてしまったが、まずは疑うべきだった。
では、本当の目的はなんだったのか。ネイトは「依頼はいつも通り真面目にやる」と言い、対してフォシルは「遠征の優先順位を下げる」と表現した。方針はこれで間違っていないはずなのだが、そこに隠れた意図があるならば。
意識、か。
遠征メンバー入りが絶望的になってしまい、しかしそれでもなお折れずに挽回を目指す『ストリーム』は、その執着と焦燥に圧迫されており、普段なら「なんとかなる」で事が運ぶところを、「たった一つのミスも許されない」といった重苦しい雰囲気へと変えてしまっていたのだ。
それらの根源となっていた要因は遠征、つまり、
「……まさか、『気楽にやれ』って話、なのか?」
「うーん……その言い方だとアレだけど、まあそんな感じ」
呆れた。
諦めることもなければ、そもそもやることを変えるつもりもなかった。全てただの、遠回しで、誇張表現で、言葉にしてみれば「肩の力を抜いて」ぐらいで済むようなことを、これほどわかりづらく。
「遠征」という足枷が進行を妨げるのならば、それを取り除いてしまえばいい。ひとまとめにすれば実に簡単であっけない話だった。
「そっか……うん、そういうことならよかった……」
だが、聞き手からすればその落差が却ってマッサージになったようで、終始落ち着かなかったエキュゼも深く息を吐いて胸を撫で下ろしていた。結果として、気分転換にはなったのだろうか。
そんな彼らの様子を見ていたフォシルも、フッ、といつもの不敵な笑みを浮かべて言った。
「まーなんだ! 要は普段通りテキトーにやりゃいいんだ! そうだろリーダー?」
「ん、てきとーでも真面目でもどっちでもいいや!」
「そ、そこは真面目にやろ……?」
「適当推進派」
うんざりするほど平常運行のアベルにエキュゼがツッコむ。「アベルはちゃんとやって!」「別にいいだろ、今更めんどくさい」……。今までの遅れを取り戻すが如く、二匹の間で謎の口論が始まってしまった。なんだか不自然な導入にも思えるが、彼らなりに日常を演出しているつもりなのだろう。
蚊帳の外へ追いやられたネイトが苦笑気味に頭を掻いていると、同じく部外へ出てしまったフォシルが肩を並べてきた。
「……あんがとな。色々と気ぃ使ってくれて」
静かな感謝に、小ぶりなグーサインで返す。反射的にリアクションをとってしまったが、遅れてやってきた冷静さがじわじわと喜びの炎を燃え上がらせる。
できた。僕にも、リーダーらしいことが。
仮面の中で思わず口元が綻びる。為す事を成せた安心感と嬉しさで、透き通るような高揚感が体中に染み込んでいった。羽根でも生えたかのように体が軽い。今ネイトの目の前にある光景が、自身の役割を果たした証明に見えてなお喜ばしい。
と、チーム内が一件落着の雰囲気(まだスタート地点なのだが)に浸っているところで、数分ぶりに聞く声がかかった。
「おおどうしたどうした、なんか揉め事か?」
「え? ああ、あれはだいじょぶ。いつものだから」
「ん、そか」
ガルーラの倉庫での手続きを終えたナガロが小さな手をちょこんと突き出してエキュゼとアベルを指す。確かに傍から見ればそういった類のアレと捉えてもおかしくはない。ネイトは何気なく大通り側に目を逸らす。案の定というか、やはり歩いてくるポケモンのほとんどが脇目でこちらを見やっていた。
どうやら事の深刻さと滞在時間から、『ストリーム』はちょっとした見世物になっていたらしい。終わりのない言い合いを続けていた二匹もこれには気付いたようで、何事もなかったような、けれども少しだけ気まずい雰囲気を出してナガロに向き直った。
「いや別にこっち見られても困るんやけど」
「……じゃあ、どこ向けばいいんだよ」
「そういう問題ちゃうわ! って、なんでウチがツッコミやっとんねーん!! ナハハハハ!!」
悪目立ちを避けたかったアベルらの期待を真っ直ぐ裏切るように豪快に笑うナガロ。さっきの会話に笑えるポイントは一切なかったはずだが、なんということかこの芸人女、自身の受け答えを勝手にボケと解釈した上で一人で勝手にツッコみやがったのだ。ああ、なんて勝手な。そして面白くない。
通りかかるポケモンたちの視線が痛い。最初はシリアスな空気を醸し出していたのが、今ではわけのわからない第三者の介入、しかも一転して爆笑という混沌とした流れが余計に目線を集める。何も知らない者たちからすれば
ヤバい集団である。
流石のフォシルもこれには堪らずナガロの横っ腹を軽くつついた。どうやら本当に自覚がなかったようで、フォシルの顔を数秒見つめてから、「おおすまへん」と半笑いの謝罪を挟んでから名残惜しそうに咳払いをした。取り繕った真顔はニヤケていた。
嵐のような破茶滅茶っぷりに一同が呆然としていると、ナガロは突然ハッとして顔を上げた。
「ああ、せやった。実はさっきの話な、ちびっと聞いとったねん」
「えっ……ああ」
苦笑いを浮かべるエキュゼ。
馬鹿馬鹿しい茶番が終わったかと思えばこれだ。はたして、彼女は『ストリーム』にどのようなリアクションを求めているのだろう。あっちへこっちへテンションを持ってかれたフォシルなんかは表情筋が悲鳴を上げていた。
言うまでもなくそんな心情はお構いなしに。
「んで、まあー……ジブンらの中でどんな結論が出たんかは知らんけど、どんな結果になろうがめげずに気張りや、て言いたかったん。あ、これ経験談な」
「お、おお……どうも」
「うひょひょひょー! ……あり、ボケじゃないの?」
こうして時々「ちょっといい話」みたいなものまで混ぜてくるのだから、もはやこのポケモンの立ち位置というか、扱いまでよくわからないものになってくる。今この場にいないナガロの相方、セバスチャンの苦労が身に沁みてわかるよう。
だが、決してふざけたことを言っているわけではない。黙って去るのが自然なところを、あえて激励という形で踏み込んだのだ。人によっては余計なお節介として受け取ってしまうかもしれないが、少なくとも気持ちに他意があるとは思えない。反応こそ「困惑」を体現していたものの、彼らはその言葉にいくらか前向きな希望を見出せていた。
ナガロはうんうんと納得したように頷いたのち、「なんか変に先輩ぶってしもたわ、ナハハ」と照れ隠しの笑いを一つした。不思議とさっきのような鬱陶しさはなかった。そして、出発前のやることを済ました先輩は颯爽とネイトたちの間を通り抜け、ほな、と小さい手を上げて会釈した。
「あ、せや。もひとつ。なんかな、三日後には依頼の手続き出来んくなるっちゅー話らしいから、やることあるなら明後日までに片しとき」
「……三日後」
「じゃ、遠征頑張ってなー」最後にもう一度手を振り、
人混みの中へと溶け込んでいった。オオタチという小柄な種族でありながら、こちらに向けたナガロの背は逞しく大きなものに見えた。
そして、アベルがポツリと反芻した「三日後」という情報。これの意味するところ、即ち遠征メンバー入りのアピールが出来るのは、今日、明日、明後日までであるということ。
明らかになった期日に、目の前に立ちふさがる膨大な量の依頼。一時は諦めも覚悟した『ストリーム』だが、今は違う。消沈と緊迫から解放された彼らの眼には、迷いのない澄んだ闘志が宿っていた。
「ま、あと三日の辛抱ってとこだ! ちゃちゃっとやっちまおーぜ!」
「えい、栄養!」
「なにその健康的な掛け声……」
十字路方面へと歩きながら、そんな他愛もないやりとりをする。悩み、対策を練り、行く手を阻まれ、そうして得た最終的な答えが、なんてことのない平常運転へ帰結することだった。
先に見ゆるは光か闇か。いずれにせよ、彼らは少しだけ前向きな笑顔で窮地へ立ち向かえるだろう。
遠征前のラストスパートに、最初の一歩目が踏み出された。
「……ああ。やってやるさ」
陰りのある調子で、アベルが呟いた。
タイムリミットはあと三日。