第32話 侵撃のドクローズ (2)
『リンゴの森』は、トレジャータウンから真っ直ぐ東に進んだ先にある、比較的一般のポケモンにも知れ渡っている森であり、ダンジョンである。
有名な理由としては、その名の通り、多くのポケモンが好んで食べる『リンゴ』が高い頻度で見られる
というか、ダンジョン自体がリンゴの木で構成されているため、年柄年中での収穫が可能なのだ。腕に自信があれば、商店で購入するよりも安上がりで済むことから、探検家たちの間でも人気のあるダンジョンなのだとか。
一方、そんな人気者の陰に隠れるように、裏手には『オレンの森』というあまりポケモンの手が付けられていない鬱蒼としたダンジョンが存在する。名前からして内容は容易に想像出来るだろうから詳しい説明は省くが、こちらは『リンゴの森』とは大違いで、探検隊以外にはオレンの実の需要が少ないせいか、恐ろしいほどにポケモンの出入りが少ない。故に、通路には伸びきった枝木らが冒険者の行く手を阻むように飛び出しているとのこと。
以上、近隣住人からの得意げな解説。
道中には特にこれといったおふざけもなく、安全に『リンゴの森』へ到着した『ストリーム』は、早々に四層のフロアを攻略していた。
「そぉい! “炎のパンチ”!」
「わ、で、“デルタショック”ッ!」
先陣を切るネイトが炎拳を振るい、ナッシーのストライプ柄の胴体に強打をかます。眼前に舞い上がった熱気に怯んだ隙に、ネイトの後方から三角形を模した紅炎が高所の頭部に直撃、ナッシーはその巨体を地に伏した。
ゆらりと左手から昇る煙に一息吹きかけ、すっかりガンマン気取りのネイト。
「ふっ……僕に仕留められない相手はいないのサ……!」
「とどめを刺したのは私なんだけど……」
が、カッコ悪さは未だ健在。フォシルは困ったような作り笑いで緩和を試みるも、却ってネイトのダサさが浮き彫りとなるばかり。エキュゼは下を向いた。
しかし、やはりというか、地名に『森』と付いているだけあって、出現するポケモンのほとんどが虫タイプか草タイプだった。そのため、突入時から、両者に弱点を突くことが可能な炎技の使い手
ネイトとエキュゼが、前線で立ち塞がる敵をバッサバッサと倒していたのだった。馬鹿野郎のカラカラと戦闘に不慣れなロコン。面白いことに、今回限りは彼らが主戦力を担っていた。
主役は彼ら
とはいえ、裏に控えるアベルとフォシルもその光景を黙って見ているばかりではない。チーム最高戦力のフォシルは勿論のこと、相性面で劣勢を強いられるアベルでさえも己が力で
殿の役割を果たしていた。
……ように見えた。
「“ウマカガミ”」
御一行の後ろからビードルが仕掛けてきた″毒針″をアベルは微妙にタイミングをずらして屈み、弱点のそれの直撃を免れた。
アベルの自作技、″ウマカガミ″は相手の攻撃をギリギリまで引きつけ、当たる寸前で屈んで避けることで、付近にいた別のポケモンに攻撃を当ててしまうという、トリッキー且つ狡猾な回避術である。一撃を躱し、さらにダメージも与えられる。一見優秀な補助技と思えるが、それは使用者が、
周囲への配慮と一般的な良識を持っていれば、の話である。
念のためもう一度説明しておこう。この技は『相手の攻撃を別の誰かに当てる』というコンセプトの元成り立っている。つまり、『別の誰か』というのは敵に限らないのだ。嗚呼、この先の展開になんとなく想像がつく。
「うおっ!? あっぶねー!」
本来はアベルに向けて発射された棘が、意図してか否か、直線上に座すフォシルへ全く速度を落とさず襲いかかった。即座に仰け反って回避、後にエキュゼの豊満な尾っぽの毛を何本か飛ばし、やがて先導していたネイトの背に突き刺さった。
背面からの奇襲に「むぎゃー!」と身悶えするリーダー。背中を両手で抑えながら、うさぎ跳びのようにピョンピョンと小刻みに弾む姿はなんだか笑える。危機を脱した二匹ですら思わず笑いがこみ上げてしまっていた。
「ハ、ハハハ……」
「アッハッハッハ……
じゃねーよ!! 何してくれてんだオメーは!」
「そこにいたお前が悪い」
一斉に振り返って事の元凶を睨みつけるも、返ってきた言葉は理不尽で滅茶苦茶なものだった。この一瞬で何があったかは不明だが、ビードルは既にアベルの足元でダウンしていた。危難は去った、とでも言うように鼻を鳴らす。
責め立てるような視線が続く中、アベルは慣れきった様子でため息を一つ。そして一変、子供を諭す口調で、なるべく穏便に語り始めたのだ。
「あのな、そもそもお前らは何に対してそう怒ってるんだ」
「ああ? そりゃオメーが悪意のある避け方したからに決まってんだろーよ!」
「では、さらにそれを避けたのは誰だ」
「そ、そりゃー……オレだけど」
あらぬ方向から汚点を押し付けられ、憔悴したようにフォシルの口調が弱まる。確かに、その点においては自身にも非がなくもない。彼と同様に避けたのは紛れもない事実
真面目で賢く、正義感の強いフォシルがこの考えに到るまで十秒と掛からなかった。
あまりにも思惑通りの展開だったからか、アベルの頬が解れかける。
「そう、避けた。お前はこうした被害が出ることを良しとしていないようだが、実行したのはお前自身だ」
「い、いや! だからって……」
「つまり、お前が。タイプ相性的にも大したダメージを負わないお前が受け止めていれば、ネイトだって傷付かずに済んだはずだったんだ。ましてや、それを俺になすり付けようとは」
「ううううう……」 完全にペースを掴まれ、萎縮しきった元王子。背後では、「ちょっと……」と何か言いたげなエキュゼと、後ろを向き、壁に手を付けて未だうーうー唸るネイトの姿が。チームとは名称し難い、探検隊らしきポケモンたちの描く奇妙な光景が、そこにはあった。
「うう、お、オレが不甲斐ないばかりに……面目ねーぜ」
「フォシルっ、騙されちゃダメ! その、よく考え……じゃない! もっと簡単に、順を追って思い出してみよ?」
追い詰められピンチになってしまったヒーロー。そこで彼に力を貸したのは純粋無垢な少女による声援だった。
……まあもっとも、これだけ回りくどい真似をしなくたって、アベルが『悪』であることは明瞭だったわけだが。賢ければ特だとか、物事を冷静に分析出来るとか、決してそうとは限らないのだと、この時ばかりは誰もがそう思った。
「ふむ」
僅かに首を傾け、顎に手をやる。瞑想するように赤眼を閉じ、思案を始めた。
数秒の後、
「……ん、ちょっと待て? 元はと言えば、コイツが悪りーんじゃねーの」
「一理ある」
とても自然な流れで会話が成り立っているが、フォシルの結論を肯定したのは、何を隠そう、アベル自身である。あまりに清々しい自白に多少の混乱を覚えるも、目を逸らして再び冷静に考えを巡らせようとした。
フォシルが瞬いた刹那。
「あーこんにゃろッ! 逃げる気かぁあああーーー!!」
コンマ三秒ほどで急速に曲がれ右、そのまま全速力で黄緑は元来た道を
ダッシュ! 猛ダッシュ! やっぱテメーかあああ、と叫びながら、蒼頭も土埃が巻き起こるほどの全力で後を追った。
すっかり小さくなったフォシルが曲がり角へ消えたところで、残された二匹に静閑が訪れる。決して物事が解決した、なんて平和的な静けさではない。エキュゼは口角を吊り上げ、無理に苦笑した。
右手で腰をさすりながら、ネイトが横に並ぶ。
「イテテ……結局何があったの? 聞き逃しちゃった」
「え、えーとね、あれ。
いつもの」
「なあんだ」
それでいいのか、被害者よ。
「いいか、一人二人で行くぶんには問題ねー。けどこんくらいの人数で戦う時は、絶対『あの技』は使うなよ。わかったか?」
「わかった」
「反省してるか?」
「してる」
“ウマカガミ”事件で離れ離れになった『ストリーム』が合流したのは、ネイト組が彼らの探索を開始してから間もない話で、大部屋を進んだ先に、荒く鼻息を放出するフォシルと、その彼にひたすら殴打されたと見られるアベルが瞼を腫らしてネイトたちを待っていた。あまりに痛々しい姿に同情の一つでもやりたいところだが、散々心を弄ばされたフォシルの方が背中を押してあげたくなる。それくらいが妥当だろう。
と、ネイトらがそんな哀れみを覚えたのは少し前の出来事。現在はフロアを移動し、五層の攻略と同時にアベルを説教中である。粛清され、抗議の言葉も出ず、コクコクと頷くことしかできない幼馴染の様子に、ああ情けない、とエキュゼは肩を落とした。制された悪者、逆転した立場という状況が、マイナスイメージに拍車をかける。
「ふぁーはへふっへひふほほんははんひはふぉへ(まあアベルっていつもこんな感じだよね)」
「黙れ」
(聞き取れたんだ……)
つい先ほど拾ったリンゴを大口で頬張り、思うように動かない舌で何か物を言うネイト。豪快で贅沢な食事に、「んー!」と咀嚼物の奥から感嘆の声が漏れる。マナー的には飲み込んでから喋ってほしいものだ。
そんなくだらない日常的なやりとりを繰り広げながら狭い通路を進んでいく『ストリーム』。僅かにひんやりとした地面には、木漏れ日の白金がチラチラと踊っている。穏やかな風は木々を揺らし、さらさらと歌になる。その上に、何気無い会話が混じりこむ
これが平和以外の何というのだろうか。もっともその中には、悪意と悪意と、怒りと馬鹿と、また悪意と。美しい自然の色では塗りつぶし切れない、ドス黒く渦巻いた負の要素が漂っていたわけだが。前言撤回、これは平和とは呼び難い。
「呑気に飯食ってる場合じゃねーっ、前見ろ前!」
「ふぇ? は。ふぁふ(へ? あ。パス)」
「え、え? わ、私っ!?」
彼らの陰気を嗅ぎつけたのか、ひらひらと舞う蝶型
バタフリーが進路からこちらへ向かってくるのが目に入った。が、食事中のネイトは迷わず後方のエキュゼにバトンタッチ。あまりに勝手な前線行きの指示に不平と驚きの合わさった声を上げた。
しかし、経験不足のエキュゼにはツッコミを入れる余裕もあらず。瞬時に口元に炎を充填し、バタフリーの胴体目掛けて“火の粉”を飛ばした。いくら相手が最終進化を遂げたポケモンとはいえ、火に弱い性質は変わらないはずだが
直線を描いた熱の塊はその軌道を不自然に逸らし、蝶の背後に消えた。一体何が? 不可解な現象に、火種を撒いた本人は固まってしまう。
「“風起こし”……?」
「違げー、ありゃ“念力”だ! 下がれ!」
怒号を乗せたフォシルの指図を受け、はっ、と我に返った。振り向くと、そこにはリスの如くモゴモゴとリンゴを頬張るカラカラと、地から足を離したズガイドスの姿が。
『跳躍』
この二文字がエキュゼの頭に浮かんだ時には、既にフォシルは石頭を振り上げて攻撃態勢に入っていた。わざわざ「下がれ」と言っていたのに、待ちきれなかったのだろうか。あっという間もなく影は小狐の背を通り越し、高所からの容赦ない“頭突き”がバタフリーの顔面を捉えた。
顔面、といえば、誰にでも共通するモロ急所の部位である。「顔面セーフ」なんて言葉があるくらいなのだから、それはきっと間違ってないはず。して、フォシルの頭突きは『急所に当たった』のだ。下手をすれば弱点を突かれるより痛い致命傷を受けたバタフリーは、戦意を失い、空中を不安定によろめきながら逃げることで精一杯だった。
なんとか凌いだ、と安心してエキュゼは一息ついた。と思いきや、彼女の横顔を二つの影が通り過ぎていく。
「逃げん、な、
あああああああ!?」
影その一、逃げる蝶に“追い討ち”を仕掛けようとしていたフォシルそのもの。フラつく無防備な背にとどめの一撃を加えるつもりだったのだろう。しかし、その計画は叶わなかった。
それを阻んだ存在こそ、第二の影。今まさにフォシルの背中を直撃し、姿形は残っていないが、悲鳴の度合いから『効果は抜群』であったことがなんとなく推測できる。ともなれば、自ずと答えも見えてくる。彼を襲った攻撃が“エナジーボール”であることも、そして、放った犯人が味方であることも。
「フッ、タイミングが悪かったな。すまない」
「おーーーまーーーえーーー!!」 まあ、ここまで来れば言わずもがな、やはり、やはりアベルだった。攻撃の矛先はバタフリーに向いていたように見えたが、いかんせんこの野郎は目前で起きた事故を鼻で笑っている。確信犯と考えても差し支えないだろう。
ともかく、意図はどうにしろ、再びフォシルの怒りの汽笛を鳴らしてしまったのは間違いない。ただし、今回の被害者は彼自身であり、ネイトの時とはボルテージが桁違いである。地獄の扉が開く様が目に浮かぶよう。
「ああ悪いな、今のはミスだった。フッ」
「あああ!? じゃーなんで笑ってんだテメーァアア!?」
「何、笑顔は大事だろう? フフッ」
「お゛お゛ぉ゛ぉ゛お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」 本日二度目の大噴火。口調だったり、攻撃的な種族であったりと、普段から激しく情緒不安定に襲われる荒くれポケモンなのかと誤解されがちだが、本来は温厚で頭の回る、頼れるお兄さん的ポジションなのだ。その彼は現在狂ったように叫んでいるが。
対する諸悪の根源は、空を仰ぎながらガリガリと猛烈に青色の頭部を掻くフォシルを眼前に、静かにほくそ笑んでいた。悪だ。膿だ。紛うことなき悪が、そこにはいた。
一方で、『
まとめ役』の肩書きを持つネイトというと。この騒ぎについては蚊帳の外といった様子で、口内で暴れていた果実を飲み込むと、げふぅ、と溜まったガスを吐き出し、満足げに目を細めた。上を向いたままのフォシルが、無関心な骨頭を赤目で睨みつける。
「おいリーダァー! オメーの炎でこの反逆者を粛清しろおおおお」顔真っ赤のフォシル。
「あいっさー! さあかかってこーい!」アベル側に着くネイト。
「
だーーー!! なんでそっちに行くー!? こっちに来い! こっちに!」頭を抱えるフォシル。
「やれ」指をさすアベル。
「おっけえ! くらええ!」フォシルに殴りかかるネイト。
「み、みんな落ち着こ!?」焦るエキュゼ。
馬鹿か敵対すんなボケあっち殴れあっち、大人げねえなそれでも王子か、んだとテメーうわだからこっちくんじゃねーよ何考えてんだこら、うひょひょーところで反逆者って何誰のこと、あーもーこうなったら皆殺しだ覚悟しろコンニャロー、盾になれリーダー、んがああイデデデデ、ちょっとみんなで仲間割れしないでよ
。
控えめにいって、最悪だった。
逃げ場のない狭い通路で炎の拳や新緑の刃が飛び交い、地面からは岩の槍が相手を突き刺さんとばかりに顔を出すし、数滴の血液やごっちゃ混ぜになった属性の粒子が宙を舞うわで、もう、阿鼻叫喚の嵐。止めに入ろうとしたエキュゼもいくらか流れ弾を受けてしまい、這う這うの体で逃げ出すしかなかった。味方同士でここまで殺しあえるのか、と彼女は後に語る。
仲間内での乱闘に終了のゴングが鳴ったのは、暴力的な音が止みかけた時だった。突然三匹の動きが鈍くなり、そのままヤドンのように腑抜けて動かなくなったかと思えば、ふらりとほぼ同時に倒れこんでしまったのだった。どうやら戦闘に夢中になり過ぎたせいで、
既に自身が『瀕死』であったことに気付かず、タイムラグを介して倒れた、とのことらしいが、にわかに信じがたい。
が、しかし。あまりに情けない撤退はどうしても避けたいと思ったからか、彼らは死力を尽くして底力で立ち上がり、探検続行の意志を体で表したのだった。そもそも無意義な争いなどしなければよかっただろうに、エキュゼはそんな男衆の勇姿に何の感慨も持たず、むしろ呆れて掛ける言葉を失っていた。
半壊以上の損失を受けた(与えた?)『ストリーム』は、その後黙々と歩を進め、深手を負いながらも、道を阻む敵を、千切っては投げ千切っては投げの要領で軽々と突破していった。真面目にやれば意外とできるチームではあるのだ。真面目にやれば。
そして遂に。
「こ、ここが……セカイイチのあるっていう、『リンゴの森』の奥地?」
幾ばくかの時を経て、彼らはそこから八フロア先にある森の奥地へたどり着くことができたのだった。疲れ切ってしまったのか、オス三匹からは返答の一つも出ない。本当に、先ほどの戦いは一体何だったのだろう。何の意味があったのだろう。再三考えたところで何も生まれないだろうが。
草木の禿げた大地に足をつける。固い。多くの者に踏みしめられた地面だ。整備でもされたように楕円形に広がる黄土色の先に、ギルド前のトーテムポール六本分ほどの太さはあろう大木が静かに佇んでいた。
見るからに高樹齢、しかし枝分かれを隠せるくらいに生い茂った深々とした緑は、見る者に年代を感じさせない若々しさを持ち合わせていた。そして何より、枝の先端には赤々と光沢を放つ巨大な実が
。
「……あ! ねえ、あれ! 多分セカイイチだよね?」
「……みたいだな」
絞り出したような声で、アベルもエキュゼと並んで斜め上を見上げる。緑に不自然なほど映えるリンゴが、しかもあまりに規格外のサイズのそれが、でっぷりと垂れ下がっていた。多分、というよりかは、目当ての物と見て間違いなさそうだった。いやもう、食物と呼ぶにはいささか不気味なのでは、と思えるほどにキングサイズ。こんなバカみたいな物を好んで食べるとは、まあそれはそれで親方らしいというか。
ぴょこぴょこと上機嫌に跳ねながら大樹の元へ行くエキュゼ。根元辺りで足を止め、再び上を見上げた。
「でも、どうやって取ろうかな……流石に火は不味いだろうし」
「「そんなの簡単じゃねえか」」
二匹の声が重なる。内一つはアベルの口から出たものだとすぐに気付いた。が、もう一つは
わからなかった。口調が違うためネイトではない、フォシルは「誰だ?」とキョロキョロと周囲を見渡しており、彼の発した声でもない模様。どこかで耳にしたような、なんとなく聞き覚えのある声。でもあれ待って、どこで聞いたんだっけ
エキュゼの本能が、毛を逆立てて警告する。
つまり、まさか。
『ヤツら』が、いる。
「エキュゼッ、上だあッ!!」
一体何が『上』なのか。それを確認しようとした時には、既にフォシルの放った“原始の力”が、木の葉の間から雨のように降り注ぐ“ベノムショック”を相殺していた。ワンテンポ遅れて、狙われた本人は感嘆符を浮かべる。
大丈夫か、とフォシルが駆け寄る。この王子、いち早く敵の存在に気付いて注意をしたまでに留まらず、一気に飛び出して味方をも守るとは。彼を執拗に嫌うアベルも、この行動には心の中で素直に賞賛した。
この場に来てから動きのなかったネイトも身構えたところで、地に立つ全員の注目が毒液の発射元へ集まる。その視線に気付いてか気付かずか、ククク、と観念するように
否、やはり、下卑た嘲笑を響かせて応対した。
「なるほど。ただの弱虫くんかと思っていたが、中々いいお友達を連れていたようだな。ククク
」
「おい、御託はいらねーんだよ。
いいからさっさとツラ出せや、ぁあ!?」
元王子は人一倍正義感が強い。故にこのような、反吐が出るような悪漢に対しては、普段纏っている優しさのベールの一切を脱ぎ捨てるのだ。もっとも、怒りの原因の全てが彼ら『ドクローズ』にあるのかと問われれば、
そうとも言い切れないような気はするが。なにあれ、フォシルは目の前の悪を討ち倒さんとばかりにいきり立っていたのだった。
しかし、激昂するズガイドスにまるで臆することなく、ドンフリオら三匹はひょっこりと草木から顔を出し、「お望みとあらば」とでも言いたげに、皮肉めいたニヤケ顔で眼下のポケモンたちを見下ろした。顔だけ出したその姿に、ネイトは、あら可愛い、と全く空気の読めない感想を口にしようとしたが、状況が状況なため、流石に脳内で留めておいた。
そして、何故かドンフリオは一瞬首を引っ込めた。かと思えば、バサッと葉を散らして跳躍し、両前脚に鋭く光る長爪を携えながら再びエキュゼへ攻撃を仕掛けてきたのだった。不意の強襲とはいえ、顔色を晒した時点で注視していたのか、エキュゼは素早くバックステップで“乱れ引っ掻き”を回避した。
そんな『兄貴』に続くように、クライとロスが
特に何もせず、普通に地に降りた。
「へへっ、『ドクローズ』参上!!」
「おいロス、そりゃ兄貴のセリフだろうが」
やっべ、とロスは慌ててドンフリオの顔色を伺うが、当の本人は歯牙にもかけない様子。というのも、『ドクローズ』のリーダーは一匹で、『ストリーム』の四匹と睨み合いの攻防戦に臨んでいたのだ。お互いに一歩も退かず、妙な緊張感がネイトたちを包む。
時さえ止まりそうな空気の最中、先に目を逸らしたのはドンフリオだった。
「フッ、何もそこまで強張ることはないだろう。勘違いするな。俺たちは、お前らを少し手伝ってやろうとしただけよ」
「手伝う、だと? 律儀に待ち伏せしていた挙句、攻撃まで仕掛けてきたヤツがか?」
アベルの問いを、フッ、と鼻で笑い、「ああ、そうとも」と悪気百パーセントの笑みで答えた。こうも嫌らしく言われると、一字一句が癪に触るような、今すぐにでも殴りかかりたくなるような感覚へ陥りそうになる。隣のフォシルの口元からは、歯と歯をこすり合せる音が聞こえた。
「まあさっきのロコンは、なんだ。木に群がる害虫かと思ってな。ククク」
「テメッ!!」 前のめりになって頭突きをお見舞いしようとしたフォシル。感情的になってしまうのは無理もない、ドンフリオの釈明は“挑発”も同然だったのだから。だが、そんな彼の『正義』は、アベルの“リーフブレード”を生やした手で制された。なんでだよ、と恨めしそうに、冷静なキモリを横目で睨む。
「……頭脳役のお前が落ち着かないでどうする。わかってるだろ」
「……ッ! ああそうか、コイツらは……!」
ルー公認の、助っ人
!!
戦ってはいけない理由が、ある。傷つけてはならない事情が、ある。遠征の助っ人として参加してもらう手前、下手に怪我でも負わせてしまえば、こちらに責任が及ぶ。しかも、ここでいう『責任』とは、恐らく遠征参加権を剥奪される、あるいはそれ以上の罰を受けなければならないことになる
まさに、ヤツらの思惑通りとなってしまうのだ。
「下がって。僕がやる」
「馬鹿が。他の誰かがやればいいってもんじゃねえ。それがリーダーなら尚更だ」
握り拳に炎を灯したネイトが前へ歩むも、フォシルと同じくアベルに止められてしまう。「遠征に行けなくなるのが自分だけなら、それでも構わない」、そんな魂胆で拳を向けたのだが、彼の頭に『連帯責任』の文字は浮かばなかったようで。緊迫した場面でも頭足らず、それでも不器用に優しさを垣間見せてくるのは、普段からボケばかりを言う姿とのギャップのせいだろうか、なんだか泣けてくる。
一向に手出しをしてこない『ストリーム』に嫌気が差したのか、一瞬だけドンフリオの表情が不満げになった。が、すぐさま取り繕うように鼻を鳴らした。
「フン、まるで信用がないな。ならば仕方ない、実践してやろう」
そう言うと、敵の長はネイトたちに背を向け、悠々と木の下へ歩いていく。一体何をする気だ、一同は身構えた。しかし、ドンフリオはこちらに一切目もくれず、高木を前に後退したかと思えば
力一杯の体当たりで葉木を揺らしたのだ。
ずしん、ずしん。二度、三度も重い音を起こすと、セカイイチが房から離れ、これまた地面にゴトゴトと大きな音を次々と奏でて落ちた。手間が省けたな、なんてことを考え、今目の前でこの野郎がやっていることは『手伝い』なのだと。思い出したように「ああ」とアベルは気付いた。
無秩序に散らばったいくらかのセカイイチを見やり、ここが定位置だ、と言い張るように、木の前へ戻って再び『ストリーム』の面々を睨んだ。
「そら、これでかなり楽になっただろう。さあ、取れよ」
その言葉が合図だったのか、ケッ、ヒヒヒ、と、クライとロスがセカイイチの前に立ち塞がった。ドンフリオの台詞とは裏腹に、簡単に取らせてもらえそうにはない。「そうくるか」フォシルが小さく呟く。
それは、あまりに卑怯なやり口だった。ギリギリ手に届かない範囲で希望をチラつかせ、それを手に取ろうとした瞬間に
そこからは大体容易に想像がつく。その上、ここまで相手の手の内が読めていても、文字通り手も足も出せない状況だった。
「さあ
」
ああ、今思い返してみれば、毒だとか、外道だとか言われてきたアベルなど、彼らに比べればずっとずっと生温いものだったのだ。まだ世間に顔を出したばかりの
初な少年少女たちにとっては、悪者なんて概念の見聞が狭すぎたのだ。
「取れよ」
その時彼らは、真の『悪』を目にしたのだった。