ポケモン不思議のダンジョン 正義と悪のディリュージョン






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第4章 侵撃のドクローズ
第30話 正義の味方はご機嫌ナナメ

 一抹の不安は本人たちの思っていた以上に広く深く侵食していたようで、個人差はあったものの、『ストリーム』の面子は全員寝不足で朝日の出を迎えた。
 昨日の件もあってか、毎朝恒例のボリューム設計をミスしたアラームのような大声は、控えめな音量で執り行われた。

 そして広場。『ドクローズ』と直接的な関わり持たない弟子たちは、腹立たしいほどに普段通りだった。当然のことで、咎める理由など一切ないのだが、件の話を一番深刻に考えていたアベルは、どうしても苛立ちが先行してしまい、彼らを眠気の取れない横目で睨みつけた。
 そんな様子を見たフォシルが一つ大あくびをし、彼もまた目蓋を下げて話した。

「昨日のことだけどよー、あんまし深く考えないでいいぜ? オレも適当に言っちゃったしさ。だいたい公共の施設で働くヤツにそうそう手出せねーよ」
「……ふん、どうだか」

 目をこすり、準備体操でもするように身体を捻るアベル。何がそんなに心配なのだろうか、とフォシルは考えるも、覚醒したての脳では考察までには至らず。自身が寝不足であることを再認識してしまい、フォシルは再び大口を開けてあくびをした。

「うう……あ! 二人とも、ちょっと手を貸して……」

 遅れてやってきたエキュゼは、何故かフラつくネイトに背中を貸しながら現れた。何事か、とフォシルが目頭を拭ってから駆けつける。

「おい、どーしたんだ? 『心ここに在らず』って感じだけど」
「そう、さっきから変なのよ……。呼びかけても反応しないし、足取りもおぼつかないし……」
「コイツに至っては正常と異常の区別が付かないけどな」

 ネイトに対する当たりは一流、しかしアベルもなんだかんだ心配したのか、彼らの元へ近づき様子を伺った。
 骨から覗く目は半開き。どこを向いているのか、黒目の焦点も滅茶苦茶だった。パッと見た感じ、身体に傷らしい部分も見当たらない。悪いのはこの頭の部分か。
 フォシルがヘルメットを軽く叩くも、まるで魂を抜かれているかの如く動かず。

「んーーー……? 反応がねーな」
「まさかとは思うが、コイツ……」
「え……あ、嘘っ……!?」

 三匹か導き出した答えは、




「「「死んでる…………!?」」」




 と、冗談はさておき。結論から言うと、ネイトの不審な動きは寝不足によるもの、即ち、極度の眠気からくるものだったことが死亡診断を出された直後に判明した。
 そんな彼も今ではパッチリ目を開け、事の顛末を聞いているところだった。
 で、あらかた状況を理解して、ネイトが一言。

「みんな散々僕のこと馬鹿って言うけどさ、流石に死体は歩いたりしないでしょ〜。アッハッハ」

 などと度の過ぎたバカ発言をしたため、「ではお望み通りに」と言わんばかりのリンチが彼を襲った。
 なんやかんやで『ストリーム』の面々はネイトのことを本気で心配していたのだ。その矢先にこんな呑気な調子で語りかけられたらオチはお察しの通りである。火傷、切り傷、打撲、なんでもござれのメイクを施され、ネイトは宣言通りの歩く死体と化した。

 日常的な暴行も一段落したところで、親方部屋からクレーンとルーがのそのそと出てきた。毎度のことクレーンはルーと共に現れるが、彼はルー専用の目覚まし時計か何かに使われているのだろうか。早朝からギガに起こされている身としては複雑な気分になるが、あの親方を相手にしなければならないと思うと、なんとなく同情を覚えてしまう。
 無論、そんな『ストリーム』の心象など知る由もなく。クレーンは普段通りに淡々と話し始めた。

「えー……今日は仕事に取り掛かる前に、新しい仲間を紹介しようと思う」

 仲間、という言葉に弟子たちがざわざわと反応する。確か、エキュゼらが入門する際にクレーンが「今時弟子入りなんて珍しい」だとか話していたような気が。わざわざ逆境入りを志望するとは、果たしてどれほど肝の座ったポケモンなのだろうか。

「仲間? また弟子入りか?」
「一体どんなポケモンなんでゲスかねぇ〜」

 ギガとアレスがまだ見ぬ新入りに期待を寄せる中、アベルは何か、背筋を切り裂くような悪寒を感じていた。
 どうにも嫌な予感がする。気になって横を見ると、もはや眠気どころではないフォシルが口を開けたままアベルの目を見た。エキュゼは確信にこそ至ってはいないようだったが、心の内に立ち込める不快な黒煙からある程度察しはついたらしい。ネイトは死体扱いなので不明。

「よし、ではこっちに来てくれ!」

 クレーンが梯子の方に呼びかけると、ワンテンポ遅れて威勢の良い返事が地下二階に響く。




 声ではなく、の。

うぐっ……!? この匂いはあああ!」
「きゃー! なんかオナラ臭いですわーーー!!」
「あっしがしたんじゃないでゲスよ〜!!」

 まだ誰も疑ってないだろうに、とフォシルはアレスを細目でチラ見したが、こちらも冷静に傍観できる状況であるはずもなく。
 悪臭が辺り一帯を包む。

「ううう……く゛さ゛い゛ぃ゛い゛い゛」
カハッ……っつぅぎぎぎ……! やっぱあの野郎かぁー……!」
「チッ……なるほど、そうきたか」

 トラウマ級の芳しい香りに悶絶するエキュゼとフォシル。だが、ファーストコンタクトで卒倒していたことを考えれば、こうして耐えているだけでもアベルを除いた面子は中々に成長したと言えるのではなかろうか。ネイトは死体扱いなのでノーカウント。
 しかし、問題はそこではない。今現在危惧するべきことは、彼ら『ドクローズ』の仕返しが考えうる最悪の展開で実現してしまったということ。
 『最悪』、もとい『災厄』が。梯子から地に足を着け、まるで頂点に座す王の如く悠々と歩き、そして肩を並べて弟子たちの前に立ちはだかった。

「この三人が新たな仲間だ。えーでは……自己紹介を頼むよ♪」

 この状況に何一つツッコミがないのは『新たな仲間』に対する配慮のつもりなのだろうか。正直無駄だからやめてほしい、と思ったのはアベルだけではないだろう。
 薄ら笑いを浮かべる三匹。

「ケッ、クライだ」
「へへっ……ロスだ。よろしくな!」

 ドガースのクライ、ズバットのロスが正式に自己紹介をする。そういえばちゃんと名前を聞くのは初めてだったっけ  顔を見る機会こそ多かったものの、エキュゼは聞き慣れない名前と一致しない相手の風貌に僅かながら苦悩を覚えた。
 続いて、本命の登場とでも魅せるかのようにずしりと重い一歩を踏み出し、スカタンクは不敵に笑った。

「そしてオレ様がこのチーム、『ドクローズ』のリーダー  ドンフリオだ。ククク、覚えておいてもらおう。特にそこの四人組にはな」

 『ドンフリオ』  。なるほど、それがこのクソッタレ集団の親玉の名か。アベルは心の中で中指を立てる。
 そんな険悪ムードを知ってか知らずか、クレーンは『ドクローズ』と『ストリーム』を交互に見て言った。

「……ン? 知り合いかい?」

 問いかけに対し、エキュゼは頬を膨らませる。悪臭等々のトラウマを抱えながらも、今では自分たちを全力で邪魔する輩への怒りが勝っているようだった。

「知り合いも何も……コイツが前にネイトが言ってたブピビッピブボボバブリュだよっ!」
「ようブピビッピブボボバブリュ。元気にしてたか?」
「なんでオメーらも覚えてんだよ」

 あまりに複雑な文字列も、それ相応のインパクトがあれば嫌でも記憶してしまうものなのだろうか。そもそもモラル的にアウトな文字の羅列を公の場で口にするのはいかがなものか。彼らからすれば些細な反撃のつもりなのだろうが、立て続けに連呼するのはやめてほしいとフォシルは切に思った。
 しかし、間のクレーンは相変わらず何が何だか、という様子。

「……まあいい。えー、彼らは弟子ではなく、今回の遠征の助っ人として参加してもらうこととなったのだ」
「す……助っ人!?」
「げっ……マジか」

 思いの外正当な理由にエキュゼとフォシルが驚く。ろくでもない目的なのは容易く想像できるが、まさかしっかりとした志望動機があったとは。アベルは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
 明らかに嫌そうな態度が顕著に出てしまったせいか、クレーンが目をぱちくりとして訪ねた。

「どうしたんだい? オマエたち。さっきからなんか変だぞ?」
「まあまあクレーンさん。アイツらは少し大げさなんですよ。ククク」

 一丁前に敬語まで使って誤魔化すドンフリオ。仕返しのためにわざわざ遠征に参加する方が大げさだろ、と『ストリーム』内で言い返したくなるが、残念ながらこの場にいる者たちは二チーム間の因縁を知らないのだ。エキュゼは、身近に仲間がいるのに、何故か一人閉鎖空間に閉じ込められているような歯がゆい感情に奥歯を噛み締めた。

「……まあ、ともかく。親方様は、遠征に行く際にこのチームがいてくれた方が戦力になると判断された」

 『ソイツら自分たちより弱いんすよー?www』と言うわけにもいかず。『ストリーム』にとっては説教にしか聞こえないこの説明をしぶしぶ黙って聞く他なかった。

「ただ、当日からいきなり同行してもらってもチームワークを取ることは難しい。なので……遠征までの数日間、共に生活してもらうこととなったのだ」

 『けどソイツらくせーし後々チームワーク乱されるんじゃないすかねー?www』と叫ぶのは心のなかだけにしておき。まとまりがいかに重要視されていようと、楽しみにしていた遠征に彼らが参入することはエキュゼとしては許し難かった。
 しかし、彼らはルー公認の助っ人なのだ。立ち退かせるなど、ネイトに常識を教えること以上に無理があるだろう。

「えー短い間だが……みんな仲良くしてやってくれ♪」

 仲良くしたいかしたくないかではなく、単純に『出来ない』から困っているのだ。和解が可能であれば万々歳だが、嫌がらせのために行動に移す野郎共に聞く耳があるとは思えない。
 そんなエキュゼたちの心境をなんとなく察してくれたのか、周囲からの評判もあまり思わしくない模様。困惑の声がヒソヒソと広がる。

(むう……クレーンは臭いと思わないのか……?)
(親方様もですわ……)
(ううっ……早く遠征が終わってほしいでゲス……)

 ここまで言われると、なんだか逆に申し訳なく感じる。そもの原因は自分たちなのだから。
 せめてもの償いのつもりか、アベルは一人窓へと歩き、換気のために錠をはずした。心地良い涼風がフロア全体を駆け巡り、弟子たちに一時の解放感をもたらした。


 無言で戻ろうとした丁度その時、クレーンと目が合った。
 普段通りであればなんてことのない、自然な仕草であると思えるだろう。


 しかし、クレーンの目蓋は僅かに閉じかけ、どういうわけかこちらに笑いかけるような形相となっていたのだ。


    ッ!


 明らかに他の弟子たちとは違う、余裕に満ち溢れた表情。どこか己の発するオーラに近いそれを携えたクレーンに、その一瞬、アベルは目を逸らすことが出来なくなった。
 あきらかにおかしい。悪臭ガスの漂う空間で、ヤツの身に一体何が  アベルは考えた。一秒前の自身の行動から、朝礼が始まるまでの間に何があったのかを。
 数フレーム単位の高密度な考察の果てに出た答えに、アベルは強張った頬を緩めた。

    なるほど、お前も鼻炎なのか。

 彼らの間に、言葉などもはや不要だった。刹那、彼らは理解し合ったのだ。生まれ持った己の特性を。この地獄で全く害を受けないという、身に染みるほどの優越感を。
 また、アベルがクレーンから『鼻炎』を感じ取った時、クレーンもまたアベルの『鼻炎』を察したのだ。つまり、この出逢いは運命であり、偶然でもあったのだ。嗚呼、なんて感慨深い。

 以上、アベルとクレーンによる一瞬の邂逅。


 何事もなかったかのようにアベルはエキュゼの横へと戻る。あまりに高度なやりとりに、当然ながら誰一人として気付く者はいなかった。
 同じくクレーンも全く表情を変えず、朝礼の締めにかかる。

「それではみんな、今日も仕事にかかるよ♪」
「「「「「「「おー……」」」」」」」

 が、悪臭に晒された弟子たちは平常運行とはいかず。未だに抜け切らないガスのせいもあってか、どことなく弱った声調での応対となった。
 はて、なんでだろう、とでも言いたげにクレーンが目を大きく見開いた。

「なんだなんだ、みんなまでどうしちゃったんだい? 元気ないよ!」
「だってこんなに臭うのによォ! 元気出せって方が無理だっ……」

 ギガは思い切って正直な感想を述べようとしたが、踏み出した勇気も虚しく、その言葉は突如部屋全体を震わせた謎の地震に遮られた。

「タァァ…………タァァァァァア……!」

 否、地震ではない。震源は伏せ耳の親方、即ち「たあああああ」である。何故こうも都合の悪い時のみ訪れるのだろうか。
 思わぬタイミングでの発作に弟子たちが、慢心していた『ドクローズ』でさえもあたふたと慌てる。なんたって威力が理不尽。食らえば一溜まりもないことなど十も承知している。
 しかしそこは一番弟子、クレーンは素早く善後策を立て、弟子たちに発した。

「ま……不味い! 親方様の例の怒りが……み、みんな! 無理にでも元気を出すんだよ!」
「「「「「「「おおーーーっ!!」」」」」」」

 生命の危機と不快な空気、天秤に掛ければどちらが重いかなど一目瞭然。皆で腹の底から大声を出すと、ルーはけろりと大人しくなり、なんとか事なきを得た。
 色々な意味で最悪だった朝礼がようやく終わり、弟子たちはそれぞれの持ち場へ移動を始める。最後まで残った『ドクローズ』は、去り際にエキュゼたちを見やった。

「ククク。これからよろしくな」
「ケッ」
「へへっ!」

 勝者気取りの態度に、アベルが手を出したくなる衝動に駆られるも、クレーンのいる手前ではただただ苦汁を飲むしかなかった。ああ、やるせない。許せない。無性に叫びたくなるが、今この場ではそれさえも許されないのだろう。
 最後尾のロスが視界から消えるのを見届け、ふと三匹の視線が交わる。いずれも鋭い目つきで、口元はへの字に曲がっていた。

 想いは一つ  言葉に出さずとも、剥かれた各々の牙はある一点を指していた。

 ゆっくりと一息ついて、フォシルは口を開いた。

「……なあ、なんであのヤローどもは弟子でもねーのに遠征のこと知ってたんだ? グルでもいんのか?」
「え? どうなんだろ……あ、でも待って、確か一昨日に……」

 一昨日  『ドクローズ』の頭領が初めて姿を現した日だ。三匹は当日の会話を脳内で再生する。その結果、浮かび上がってきたのは、普段なら気にも留めないようなどうでもいいやりとりだった。




『ぬふふ〜、遠征に向けて気合いバッチリじゃな〜、諸君』
『どーゆー目線だよ』
『お前ほんとキャラ安定しないよな』
『ほう、遠征があるのか』




(((お前かよッッ!!)))

 何かとトラブルが起こる度に彼らはネイトにツッコミをかましてきたのだが、まさかこんなところにも罠があったとは。メンバーの三匹は、リーダーがどこまでも油断も隙も無い馬鹿であると再認識した。
 そう、余計も余計、本当にいらんことをしてくれた犯人はネイトだったのだ。それも表でエキュゼたちに気付かれないように、ボケという巧妙なやり口で伝達した犯人は。
 意図的ではないとはいえ、戦犯が彼であることは事実。怒りの矛先はくるりとUターンし、味方であるはずのネイトへ一気に向けられた。

   が、当のネイトは微塵も動く様子を見せなかった。
 そういえば朝礼前のリンチからやけに静かだったような。ドンフリオによる異臭騒ぎの際にも、声一つ上げずに立っていたような。


 背筋を走る青白い空気。


「お……おい、ネイト? ハハ、どうしたんださっきからよー……え?」
「チッ……! コイツ、まさか本当に……」
「え……? ちょ! 嫌っ、うそ……!?」

 やがて、冷気はある物体の姿を象り、十字架という形となって彼らの背中に  




「ででーーーん! 死んだふりーーー!」

 なんと、死体扱いされていたネイトが、ワッ、と両手を上げて驚かしにかかってきたのだ。死んだふりもボケだったのだろうか。
 しかしあまりに不意だったせいか、驚くどころか、逆に彼らが固まってしまう始末となってしまった。


 空気も言葉も吹き飛び、静寂のみが孤独に残る。





「アッハハ……なんだよー! 驚かせやがってー」
「全くだ。思わずブタ箱暮らしが見えたぞ」
「もー……心臓に悪いってば!」

 ネイトを迎えたのは、まるで新婚ホヤホヤの家庭のような穏和で温かいムード。そんな彼らの反応にネイトも気分を良くしたのか、混ざり込むようにエヘヘと笑う。『ストリーム』内に平和な世界が訪れた瞬間だった。
 嗚呼、願わくばこの平穏が永遠に、後世にまで続いてくれればどれだけ幸せだったのだろうか。優しさで作られた生物が、愛のみを享受して生活することができればどれほどありがたかったのだろうか。

 そんなものは、所詮束の間の平和でしかなかった。

「いや〜、正直ちょっと怒られるかなって思っ……あり? なんか顔怖くない? ね、ちょ、ごめん! 本当は少し驚かせようとしただけで別に本気でみんなをををおああああ  

 問答無用。再度血祭り。




 大変有意義な暴行は傍らに立っていたクレーンによりなんとか制止されたが、彼らも多少は気が楽になったのか、命の灯火を消すまでの追撃には至らなかった模様。
 流石に二度目ともなれば三途の川が垣間見えたようで、危うく涅槃の世界へ入りかけたネイトはその後、反省も兼ねて本当に静かになった。

「……ふう、今日はどうしようか」
「決まってんだろ。憂さ晴らしだ」

 例によって例の如し、クレーンから依頼を受けるように指示され、現在『ストリーム』は地下一階の掲示板で貼り紙を物色している最中だった。
 先ほどの暴虐でネイトに対する怒りは大方晴れたものの、まだ彼らの腹の内には冷めない苛立ちが沸々と燃え盛っていた。言うまでもなく、ドンフリオ御一行のことである。

「今日はなんだかお尋ね者をぶちのめしたい気分だなあああああ? そう思うだろリーダー!?
「あ……あい……。僕もそう思いまじゅ……」

 穏当な物言いのフォシルも、本日に限ってはかなりご乱心。暴力に完膚無きまでに屈したネイトは、チームの頭という立場にも関わらず従事する側となってしまった。
 隅から隅までポスターの貼られた掲示板を見上げながら、エキュゼは横目で言った。

「お尋ね者? ……それなら弱そうなのにしとく?」
「となれば、内容と報酬が貧弱な雑魚を選ぶべきか。コイツとか」

 ひょいと手を伸ばし、アベルが一枚のお尋ね者ポスターを摘む。果たして本日の被害者は誰になるのだろうか。内容が気になり、エキュゼとフォシルは横から顔を出して用紙を覗いた。




   『おれの名前はワルサー・スルッツォ! 『かいがんのどうくつ』最強のボスだ! この『かいがんのどうくつ』は最強であるおれが支配した! 今日も軽い気持ちでやってきた新米探検家どもを泣かせてやったぜぇ! 悔しけりゃおれを倒してみろ!!!!!!』


 場所: かいがんのどうくつ B8F(たぶん)

 難しさ: とてもすごい

 ほう しゅう お礼: おれの子分にしてやる




「なんだこりゃ……初心者狩りか?」
「新手の自首か」
「え、えーっと……これにするの?」

 あきらかに本人の直筆で書かれたそれは、お尋ね者ともなんとも分類し難い内容だった。アベルの言う条件にはバッチリ当てはまっているものの、こんなくだらない依頼のために一日を潰してもいいのだろうか。
 しかし、今日の目的は『憂さ晴らし』をすること。依頼主は誰か。難易度はどうか。そもそも依頼なのか  そんなことはどうでもいい。重要なのは、『ストレス発散にふさわしい相手か否か』である。報酬はゼロに近しいが、むしろ殴る相手としては最適だった。

 「ああ。これでいい」アベルの口元には『ドクローズ』より下卑た笑みが浮かんでいた。




 おれの名前はワルサー・スルッツォ、この『海岸の洞窟』で最強のパルシェンだ!
 二日前にこっそり挑戦状を出してみたが、そっからなんも音沙汰がねえ! どうゆうこった!? おれに恐れをなして逃げ出したか? まあおれは『海岸の洞窟』のナンバーワンだし? おれに勝てるやつがいるなら逆に見てみたいくらいだぜ!
 来ないなら来ないで別に構わねぇ。おれの目的は全海域の征服、ゆくゆくは陸上で最強のボスとなり、図体のデケぇアイツやコイツを下に置くことなんだからよぉ! このダンジョンの征服はおれの夢に繋がる第一歩になるぜ。

 おっと、そんなことを考えていたら早速邪魔者が現れたみたいだ。さあ来い、この前のガキみてぇに泣きっ面にしてやるぜ! 来やがれ、掛かってきやがれ、ザコ!




 『海岸の洞窟』地下三階にて。依頼文の通り、階段を降りた先に律儀に待ち伏せるワルサーと思わしきパルシェンの姿があった。彼は『ストリーム』を見るやいなや、「待ってました」と歓迎するように高らかに笑った。
 が、こちらには歓迎される気など微塵にもあらず。ワルサーを視認した瞬間、アベルが何の予告もなしに無言で出会い頭の“エナジーボール”を放ち、話し途中のワルサーを吹き飛ばした。
 悪党ですら「卑怯者!」と一蹴したくなるアベルの行為だが、パルシェンに草タイプの技は効果抜群、その上、種族上特殊技に弱いという特性もあり、ワルサーはこの一撃で罵声も飛ばせないほどのダメージを負ってしまったのだ。
 戦闘開始前だというのにエラいクライマックスっぷり。文面ではあれだけ挑戦者を望むと豪語していたというのに、今では生命の危機を全身で感じ、もはや彼に『逃げる』以外のコマンドは用意されていなかった。

「オラオラオラ! テメーから誘っておいて逃げてんじゃねーよ!!」
「おっ、おおおおお前らっ! マジなんなんだよ!?」

 そして現在、ワルサーは細い通路を絶賛逃走中である。次の階段まで逃げ切ることができれば勝ちという魂胆の元、彼はフラつく胴体を抑えながら真っ直ぐ飛んでいく。
 一方で、彼の背を追うポケモン  フォシルは、ワルサーを容赦なく叩きのめすことを心に決めている様子。心なしか、その表情は何故か楽しげに見えた。

 走り続けた先にワルサーが目にしたのは十字路。普段は探検家を惑わすやっかいな存在だが、追われる者からすれば、砂漠のオアシスのようなありがたみがあった。
 右か、左か、あえての正面か。いや、流石に正面を突き進むのは勇気がいる。直線上では追いつかれてしまう可能性が高いだろう。とりあえずは左へ。様々な思惑の中、ワルサーは道を一つに絞った。

「よう。奇遇だな」
「!!」

 曲がり角に待ち構えていたのは、腕を組んで余裕の表情を見せるアベルだった。この道を左に曲がると読んで先回りしていたというのか。まさか、まさか。そんなことを考える暇もなく、ワルサーは退路に引き返す他なかった。
 そうなれば、進むべき道など迷うまでもない。消去法で選ばれた右側の道を一直線に進  めなかった。

「あっづ! ……っヒエッ……!」

 ワルサーの眼前に紅炎が吹き付けられる。ラッパ状に燃え上がる炎は、視認不可の暗がりから誰かが送り込んでいるようだった。熱を伴った壁を作られた上、その奥にポケモンがいるともなれば、ほぼ瀕死状態の彼に突破する術はないだろう。
 暗闇から静電気のような赤い眼光が、たったの一瞬だけ閃いた。

「ここ、こんなのアリかよぉ!? こいつらっ!?」

 特性の『きけんよち』を持っているわけでもないのに、殻の内に潜む黒球は本能的に身震いを起こした。怖い。探検初心者ばかりを倒してきた彼にとっては、未曾有の追い詰められ方、初の完全敗北に死の予感すら感じさせられていた。
 近づく足音に諦めを覚えつつも、ワルサーは泣く泣く残り一本の道を、追いつかれることを覚悟で全力を出して駆け出した。

 だが、まだ希望は潰えていない。彼らに命乞いを迫るという最後の手段も頭の隅にあったが、それはあくまで最後の手段。逃げ切った先に大部屋、そして階段さえあれば助かるのだ。
 心に灯した希望の光を活力源に、ワルサーは無我夢中で先へ先へと風を切っていく。

「ぎっ」

 しかし、これだけ緊迫した場面でもドジというものは踏んでしまうらしく。ワルサーは進路上に塞がる「何か」に思い切りぶつかり、短い呻き声を上げた。

  壁か? けど左右に通路はねえ。行き止まり? いやまさか、そんな。

 あまりの必死さ故に前方への意識が回らなかったようだが、そこにそびえ立つもの  否、『者』を目にした瞬間、ワルサーの灯は絶望の風に吹き消された。

「ぬっふっふ〜。ここから先は一方通行だずぇ!」
「げ…………!!」

 そこに立っていたのは、奇妙な笑い声で自身を見下すカラカラ、ネイトだった。慌てて引き下がるも、そこに安全な道など残っていないことに気付き、そのまま立ち往生。


 狙ったかのような先回りに、底知れぬ殺意。


 彼はこの十字路へ足を踏み出した時点で、既に詰んでいたのだ。

「お前にしては上出来だ、ネイト。これで汚名挽回だな」
「ホント? やったあ!」

 ワルサーの背後から、“リーフブレード”を発現させたアベルがネイトに労いの言葉をかける。……ように見えるが、実際は賞賛に見せかけたただの罵倒だった。恐らく歓喜するところまで見据えた上での発言だろう。アベルは下手なお尋ね者よりもゲスい。

「わ、悪かった! おれの負け! これでいいだろ!?」
いいや駄目だ。お前の馬鹿みたいな依頼はお尋ね者の掲示板に貼られていたからな。二度と起き上がれないようにしてから保安官に身元を引き渡してやる」
「ひ、ヒイッ!!」

 ああ、あんな挑戦状なんて書くんじゃなかった。悔恨の念がワルサーを包む。
 しかし、いくら反省しようと相手は無慈悲。アベルはほの暗い天井に新緑の粒子をばら撒きながら、右腕を大きく振り上げ  断頭台のギロチンにも見えるそれは、一つの遠慮もなく殻の中身に向けて振り下ろされた。
 が、ワルサーもこの世界を生きる生物の一匹。意識せずとも防衛本能が危機を察知して“からにこもる”。堅牢な外殻に守られ、なんとか斬撃を防ぎ切った。
 アベルの“リーフブレード”は水タイプの身体をいとも容易く切り裂いてしまう威力があるが、パルシェンの分厚い岩のような殻はそれをも上回る硬度を誇っていたらしい。
 血眼でアベルが振り返る。

「チッ……! ネイト、何か硬いモンよこせっ」
「うぃ! えーっと……あ、これとか」

 そう言ってネイトがトレジャーバッグから差し出した物はゴローンの石。一般的には投てきで敵にダメージを与える道具だが、その威力は相手の防御力を貫通するほど。使い手が如何に弱くとも、大量に持ち込めば強敵をも倒してしまうことから、『鬼に金棒』ならぬ、『ヒマナッツに石』という言葉が一時期流行ったほど。
 よって、確かにネイトは「硬いモン」を手渡ししようとした。したのだが、アベルが手を伸ばしたのは、何故かネイトの後頭部の方だった。

「え?」
「オラッ!」

 アベルはそのまま腕に力を込め、これでもか、というほどに、何の躊躇もなくワルサーの殻に叩きつけた。ネイトのヘルメット内で鈍い音が響く。
 最初からアベルはネイトのサポートなど信用していなかったのだ。必要だったのはネイトの頭骨、つまり、硬いモンである。ゴローンの石より強固なのかは不明だが、生涯を通して服用する防具なのだから、それなりの強さは期待できるだろう。武器としての使用は前提とされていないだろうが。

「オラッ、オラッ! 割れろっ、オラッ! 割れろ! オラァ!」

 叫びながら何度もネイトの頭で相手を殴るその姿に、既に悪しき者を取り締まるポケモンとしての面影はなかった。むしろどちらが悪だかわからないというか。少なくとも味方を物や死体扱いする輩が正義の味方であるはずはないだろう。
 そうともなれば、手中のネイトも、叩かれる側のワルサーもたまったものではない。

「ンンーーーーーーッ! ンンンンーーー!!」
「降参! 降参するから! 降参でぇす!!」

 こんなバイオレンスな光景も、ワルサーさえ倒されれば終わりの時が来るはずなのだが、彼は彼で当然ながら痛い目など合いたいわけもなく。こうなるとネイトとワルサーの耐久対決となってしまうのである。

 先に割れるのはネイトの頭か、ワルサーの殻か。お互いが望まない形で開始された謎の勝負は、不憫なほどに長く長く続き、『海岸の洞窟』には丸一日何かを打ち付けるような音が止まなかったのだとか。




 そんな彼らの様子を見たフォシルとエキュゼが一言。

「相当溜まってたんだな、ありゃ……」
「うん……なんか哀れだよね。全員

 元は自分たちもストレス発散のために来ていた  なんてことはすっかり忘れていた。
 フォシルは黙って依頼用紙を破いた。




 その後、何があったか詳しくは明記できないが、『ストリーム』はネイトを除いてほぼ無傷でギルドへ帰還しようとしていた。美しい橙色の日差しが、一日の役目を終えて疲れ果てた者たちに影を作る。

「なあ、朝の茶番の分はともかくとしてよー。あの二枚貝を倒すのにわざわざあんなことする必要なかったんじゃねーか? ほら見ろよ、こんなにぐったりしちまってるぜ」
「一発で二倍殴れた方が気持ち良いだろ」
「アベル……自分が何言ってるかわかってるの?」

 実害が出ようが関係なし。例に漏れずアベルがサイコっぷりを披露し、長い付き合いのエキュゼも流石にドン引きした。
 一方で、チーム内唯一の被害者ネイトは、フォシルの背中で言葉通りぐったりしていた。ヘルメットには傷一つ付いていないが、担がれているところを見るとやはりそれなりのダメージは受けていたようだった。
 不服そうな二匹に、アベルは眉をひそめて言った。

「……どうせ明日になれば復活してるだろ。ギャグ漫画の主人公みたいなもんだし」
「そ、それは! そうかもしれない……
「んー……割と合ってるから言い返せねーんだよな」

 ツッコミ役の二匹がそれを言ってしまって良いのだろうか、という質問は野暮である。ネイトはネイトであるから馬鹿で、アベルはアベル故に鬼畜なのだ。このチームには論理では説明の付かない事象が山ほどあるため、無理に追随するのはかえって無駄となる。エキュゼはともかく、新参のフォシルでさえもその法則を察しつつあった。

「ネイトのことはわかったが……依頼の方はどーすんだ? こんなんじゃクレーンに報告のしようもねーだろ」
「脅す」
「え、ええ〜……? まあ仕方ないか……」

 そこは一声かけるべきではなかろうか。




 思い立ったが吉日、有言実行の精神でアベルは『ギルド内の労働環境の実態』という実に陰湿なネタでクレーンをゆすり、ひとまず今日一日は働いたことにしてもらった。もっとも本人曰く、報酬の有無によらず、働いたという証拠が出せれば評価はされるらしく、脅さずともネイトの姿を一目見てオーケーの判断が出ていたとのこと。裏事情を知れば話は別だったかもしれないが。

 自室でしばし休憩ののち、チリリン、とジングルが夜食の呼び鈴を鳴らす。今回、エキュゼとフォシルはそこまで活躍しなかったのだが、仕事はせずとも腹は減るらしく、アベルとともに一直線で食堂へ向かった。

「「「「「「「いっただっきまーーーす!!」」」」」」」

 生きの良い掛け声が食堂中に響き、弟子たちは豪快に木の実やリンゴを頬張り始める。体は資本とは言うが、せめて食事くらいはもう少し気を抜いても問題ないのでは、とエキュゼは引け目がちに彼らを見やった。
 そんな彼らを尻目に、フォシルは右隣の椅子に座る大柄なポケモン、ドンフリオを睨んだ。別段何か悪いことをしているわけではないのだが、この場にいるだけで異物感のような、あまり歓迎したくない雰囲気がにじみ出ていた。
 向かい席のクライが食事の手を止め(手はないが)、『ストリーム』を見るなり突然話しかけた。

「ん? そういえばお前ら四人チームだったよな。もう一人はどうした」
「え? あ、う……。い、今はちょっと休んでて……」

「ケッ! どうせダンジョンでやられちまったんだろ? 流石は弱虫く  おっと、他の奴らがいる前でこの話はしない約束だったな。ヒヒヒ」

 アベルも相当だが、やはり彼らは段違いに陰湿だった。今の会話を誰かが不審に思ってくれれば  エキュゼは弟子たちの顔色を伺うも、皆は夕飯に夢中で、こちらに気付いてもらえる様子はない。
 クライの隣席でニヤつくロスも、彼に便乗して嫌らしい質問を飛ばした。

「それでどんな奴にやられたんだよ? 野生のザコか? へへっ!」
「俺が倒した」
「へ?」

 アベルの言葉に表情が一変、ロスはきょとんとした顔で言葉を飲み込めていないようだった。同じくクライも困惑、しかし腹立たしい笑みはそのままで、どういう意味だ、と聞こうとした。
 が、その口が開く前に、アベルがわかりやすい言い方でもう一度言った。

「ネイトは俺が倒した、と言ったんだ。文句あるか」
「「…………」」
「おい、あんまし正直に言うなよ。子供とかには見せられねー絵面だったからな、マジで」

 間髪入れずにフォシルが“おいうち”をかけたことで完全に黙り込む悪党二匹。最初こそ愉快そうな表情を浮かべていたものの、冗談話の類ではないことと、なんとなく距離を置きたくなる内部事情を察したためか、彼らは何も言い返さず、無表情で目の前の器に顔を向けた。
 「勝った」エキュゼは心の中で小さくガッツポーズを決めた。




 街は寝静まり、月も空高く昇り切った頃。
 『ドクローズ』は自分たちに割り振られた部屋で、何ら適当な愚痴を吐きながら夜更かしをしていた。ここまでは特に『ストリーム』とも変わらない  しかし、ロスが呟いた一言から事態は急変した。

「なんか……メシ食ったばっかだけど、腹減ってきたな」
「ケッ、当たり前だ。あんなちっぽけな量じゃ腹一杯になんかなりゃしねえ」
「よし、ギルドの連中も寝静まったところだし……ちょっと探しに行くか」

 ドンフリオの提案を耳にした二匹は「探す?」と首を傾げた。

「ククク。決まってるだろう? ギルド内の食料だ。ほんの少し、盗み食いでもしてやろうというわけだ」
「おお、流石は兄貴!」
「へへっ! 早速行きましょうぜ、兄貴!」

 幾らかの潜めた含み笑いのあと、『ドクローズ』が部屋から姿を消した。




 小風すら眠る、静まり返った夜。各々が見るのは吉夢か、悪夢か。如何なる形であろうと、覚めない夢は存在しない。
 しかし、誰もが予測出来なかっただろう。彼らが、『ストリーム』が  


 目が覚めたあとに、『悪夢』を目の当たりにすることなど。


■筆者メッセージ
 数あるポケダン小説の中でも上位に食い込むほど主人公の扱いが不憫だなあ、なんて自分でも思ったりしてます。
アマヨシ ( 2018/04/03(火) 17:51 )