ポケモン不思議のダンジョン 正義と悪のディリュージョン - 第3章 復活する王子! 甦る古代の軍勢!
第23話 取り調べ室で復讐を叫んだ少年

 警察署の役割というのは、お尋ね者の鎮圧を始めとした治安関係が主でありながら、保安官たちの本部としての機能も有するため、明細を並べ立てればイメージよりもずっと多岐に渡って仕事がある。表向きによく見られるものとしては、手配書の作成、お尋ね者確保への同行、そして移送といったところか。
 しかし先の通り、実際には細分化された工程を踏む必要がある。例えば手配書なら、各地域の保安官から報告を受けて書面にし、上階級の警官の確認を経て、やっと手配書の作成に取り掛かることが出来る。その後も各所に行き渡らせるため地域ごとの管轄から分別したりと、まだ面倒な手順は続くわけだが、ともかくこうしてギルドの掲示板にポスターが送り届けられるようになるのだ。
 確保し、引き渡されたお尋ね者がどうなるのかも一般にはあまり知られていない。現場の保安官は、まず拘束した状態で被疑者を指定の警察署まで連行し、その後容疑の取り調べや余罪の洗い出しを終えて、司法へと送致する。罪状にもよるが、裁判の時点で最終的には刑務所行きになることが多い。大雑把に説明すればこんな内容である。
 さて、署での取り調べから裁判までの間には、法廷の準備の都合もあって数時間から数日の期を要することがある。それまでお尋ね者はどうするのかというと、署内の『留置所』と呼ばれる牢屋へ置かれることになる、わけだが。非力なポケモンから強力なポケモン、小悪党から凶悪犯、いずれも一貫して信用のない者たちが、果たして黙々と待遇を受け入れるのだろうか。現実離れした力を持つお尋ね者も少なくない中、目を離そうものなら強引に脱走を決め込む可能性もあるのではないか  


 うわあ、と、見上げたネイトの口から思わず零れた。

 鋼鉄の城塞だった。人通りすら怪しい未整備の平野の果てに、雑然と、コイルよりも圧倒的に無機質な鉄製の建物が、分厚い金属のバリケードに囲まれて、どっしりと存在感を出していた。

「ココガかぴん中央警察署デス。大陸最大ノ規模ナノデ驚クノモ無理ハナイデショウ。管轄モ最モ広イノデ、多クノ犯罪者ガ集メラレテイマス」

 真正面に出迎えた、これまた強固そうな前門を通りながら保安官が説明する。脇を見れば両側に門番らしきレアコイルが一匹ずつ浮いていた。厳重な警備を敷いているのであろうことはネイトでも一目でわかる。

「僕もその一人?」
「ソウナルカハ貴方次第デス」

 そこから真っ直ぐ進んだ先の入り口  には向かわず。署の外周をぐるっと遠回りするようにして付いていくと、裏口だろうか、のっぺりとした側面の壁にぽつんと扉が立っていた。ジバコイルの磁力ユニットがかちりと引っ付いて開ける。
 内部は外観ほど無機質な作りではなかった。白い壁面に挟まれた廊下は素材が何かはわからないにしても、少なくとも金属の類ではなさそうに見える。天井に等間隔で吊るされた山吹色の玉が床を白く照らしていた。
 踊り場へ出て、ギルドのそれよりもずっとしっかりとした石造りの階段を上る。例によってガラス玉が光源の役を果たしている傍ら、間取りの問題か、何故かここまでに窓は見当たらない。日が差し込まないように出来ているのは意図的か、生活感がないところ、やはり警察組織の施設なんだろうなあと思った。石段の冷たさを足裏に感じながら、もう一階層上がる。
 そこから再び廊下を歩き、突き当たりの扉の前で保安官が振り向いた。

「着キマシタ。コチラヘ」
「……、……おぉう」

 紳士的に、“おさきにどうぞ”とばかりに案内された部屋は、先までの光景すら嘘に思えるほどの、まさに『鉄の箱』とでも形容するような無機っぷりだった。中心の机を挟んで椅子が二つ、その真上に玉の照明、奥側の壁には申し訳程度に窓代わりの鉄格子があるくらいで。思わず気を張ってしまうような鉛色の床にそっと足を踏み入れようとして、「ソウダ、コレヲ」ぱちん、と首元にボタン付きのスカーフらしきものを背後から巻かれた。なにこれ、反射的に手を伸ばす。  手を? 気が付けば左右でネイトを拘束していたコイルは離れており、数刻ぶりの自由が戻っていた。はて、どういう状況だろう。きょとんとしながらジバコイルの顔を覗く。

「ソレハ『制約すかーふ』トイウ我々警察ガ独自ニ開発シタ装備品デ、ぽけもんノ能力ヤ技ノ出力ヲ抑エ込ム効果ガアリマス。規格ニモヨリマスガ、具体的ニハ運動性能ガ約八十ぱーせんと、技ノ威力ヲ九十五ぱーせんと程マデ低減サセ……」
「はえ〜」
「……ト、マア。要ハ拘束具デス」

 要は拘束具らしい。コイルが解放したのもこれ以上の枷役は必要ないと判断したからなのだろう。反面、このスカーフの効力が如何に信用されているかがわかる。ついで感覚でとんでもないものを付けられていた。
 「デハ取リ調ベノ準備ヲシテクルノデ、ソコノ椅子デ少シ待ッテイテクダサイ」部屋の入り口に二匹のコイルを見張りとして残し、データ保安官は宙を滑るように視界からフェードアウトしていった。取り調べ、かあ。身に覚えがない文字列、恐らくは白紙の過去を含めても初めての経験と見ていい。何を調べるのかなあ、なんて考えながら奥の椅子にちょこんと座った。お尻がひんやりした。
 手持ち無沙汰の待ち時間、ネイトは首元の拘束具を弄っていた。手触りはただの布、外見も印章付きのオレンジ色で、知らない人からすればおしゃれなスカーフにしか見えない。それでも行政機関が認めるくらいに特殊な効能があるというのは中々不思議なもので、ぐっと握り拳を作ってみると、確かに心なしか弱々しくなっている気がする。そういえばギルドに入りたての時に貰ったリボンにも何か力があると、どこかで聞いたのを思い出した。
 ともすれば、大幅に下がった能力でスカーフを外したり破ったりすることも難しくなっているのだろう。両手に軽く力を込めて引っ張ってみる。ぽきっ。「あ」真っ二つに分かたれたボタン部分を見ると、内蔵されていた磁石らしき黒片が割れていた。  と、そこに丁度ジバコイルが帰ってきたのだから、慌ててボタンをくっつけ直して背中側へと回し、何事もないフリでピンと背筋を伸ばした。「ソウ緊張シナクテモ大丈夫デス」どうやらバレてないらしい。ユニットに挟んだ書類を机に置きながら言う保安官に、言われた通り胸を撫で下ろすネイト。
 「サテ」対面に一つ目が位置取る。あれ、その椅子いらなくない、相変わらず浮遊しているジバコイルにそんなことを思いつつ、しかし続く言葉で呑気な思考は一気に冷めることとなった。

「今カラ幾ツカノ質問ヲシマス。ワカルコト、ワカラナイコトニ関係ナク正直ニ答エテクダサイ。曖昧ナ回答ハ勾留ヲ長引カセルコトニナリマス」
「…………う、うん」

 「正直に答える」。クレーンに問い詰められた時の切迫が蘇った。直前に緊張云々を解こうとしたポケモンが出していい空気感ではない気がするが、流石のボケ役もそれを言えないくらいには余裕を失っていた。口に痺れのような波線を描いてモゴモゴとさせる。おちつけおちつけ、僕は別に悪いことは  少なくとも自覚はないのだから。ふう、と一息ついた。未だ胸は大きく脈打っている。やっぱりダメかもなあ、と思った。

「マズハ貴方ノ経歴ニツイテデスガ……」

 向き合って数十秒、早速の難題にまごつかざるを得なかった。




 赤裸々に吐いた、とでも言えばいいだろうか。
 保安官からの質問はほとんどネイトの自身に関するもので、下手なことを口走るわけにはいかないというプレッシャーに泣きそうになりながら知りうる全てを洗いざらいに白状した。気が付いたら海岸で倒れていたこと、それ以前の記憶は名前と元人間であることを除いてごっそり抜け落ちていること、奪われたものを取り返したことがきっかけで二人に誘われ探検隊になったこと、それからの日々のこと。記憶ゼロのスタートから日が浅かったのが幸いしてか、これでもかと細々些事まで並べ立てた。ついでにギルドの愚痴も吐いた。最初は慎重で正確を意識した問答も、後半には、もう、なりふり構わなくなっていた。
 データ保安官の方もまた、情報のニーズに反して本筋からズレまくった返答に口出しすることを半ば諦めていたようで。なんせ供述だけでも必死なのだ、それ以上を求めるのは酷だと、機械的な法の番人でも哀れみを覚えるくらいには空回って映ったらしい。ひとしきりの質問が済むと、「ト、取リ敢エズ事情ハワカリマシタ」宥めるような口調で言った。

「あわわわわぼく、僕ちゃんと話せたよね、アアアでもなんか逆にダメな気がしてきただいじょうぶかな……」
「落チ着イテクダサイ。ヒトマズ今ノトコロ犯人デアル可能性ハ低イト思ワレマス。タダ、記憶ガナイコトヤ身元ガワカラナイノハ気ニナリマスガ」
「あ、それは僕も気になってる」急に我に返るネイト。
「ソウデスネ、コチラカラノ調査モ話シテオキマショウ」

 湾曲型の腕が机の上の用紙を数枚どかすと(驚くことに紙が磁石の指先に吸着しているよう見えた)、そのうち露わになった一枚の書面を、トン、と押さえた。

「今回ねいとサンヲ特定スルニ当タッテ身元ノ捜査ガ行ワレタワケデスガ、各機関デ住民登録ハサレテオラズ、五日前ニ探検隊連盟ヘ名前ガ登録サレテイタノガ唯一ノ記録デシタ」
「わからなかったんだ」
「ハイ。デスノデ出生トシテ考エラレルノハ、だんじょんヤ部族ナドデ暮ラス、イワユル『野生』デアッタ可能性。モシクハ、先ホド聴取シタ話カラ推測スルニ、別ノ大陸ノ出身ダッタ説モ有リ得マス」
「別の大陸……」

 呟いてみると、妙に合点がいった。確かに土地勘のみに止まらず、この世界における常識を根本から持ち合わせていないのは、まるで異国からきた人間そのものだ。
 ……そう、人間。

「あのさ。僕、ちょっと前までは人間だったはずなんだけども」
「……アー、ソレニツイテハチョット、現時点デハ信憑性ニ欠ケルト言イマスカ。記憶喪失ノ影響デ混乱シテイルノダト思ワレマス。一般的ニにんげんハオトギ話ノ存在ナノデ」
「んん、んぅ……」
「トモカク、海岸デ倒レテイタトイウ状況カラ、渡航中ニ何ラカノ事故ガアッタトイウ可能性モ捨テ切レマセン。各大陸ト連携シテ情報ヲ集メル必要ガアルデショウ」

 少しだけ眉を寄せたが、ネイトは納得するように頷いた。
 決定打、とまではいかずとも、情報量ゼロからここまで身元を絞り込めたのはジバコイル、ひいては警察組織のおかげである。事件の真相解明という前提あってのことだが、今後も協力的に調べてもらえそうなのは味方が増えた気がして頼もしい。概ね満足だった。
 はあ、と安堵を含めた一息。

「……で、これで終わり?」
「エエ、取リ調ベニツイテハヒト段落……アアイエ、モウ一ツ確カメタイコトガアリマシタ。少々オ待チヲ」

 そう言うと、保安官はくるりと旋回して部屋から出ていく。行ったり来たりと、結構忙しそうだなあと思った。国家権力だからとなんとなくお高くとまってる印象だったが、その実態は存外使い走りのような扱いなのかもしれない。
 と、そう経たないうちに扉の向こうから物音が近付いてくる。ジバコイルらしき電子音が、部屋の前で一旦立ち止まり、その後別のポケモンの声が聞こえた。少年のような声だった。
 暫し迷うようにドア前で二者の会話は続き、やがて扉が開いた。最初に見えたのは我らがデータ保安官、そしてその隣にいたのは  

  ッ!!」
「え、あ  あああォあ゛いっだあ゛あ゛あ゛!?」

 自分よりもひと回り小さな体躯  を認識した瞬間には、既にその者の『何か』はネイトの横腹を深々と突き刺していた。「イケマセンだーと君!」保安官が急いで引き剥がす。悶えつつも、そこでようやく懐へ飛び出してきたポケモンの姿をはっきりと認識した。ニドランだ。紫色のニドランが、額の角でネイトを攻撃してきたのだ。
 保安官の両手に押さえられながらも、その中の瞳はネイトを捉えて離さない。震えるほどの怒りが瞳孔に滲んでいた。自分と同じくらいかそれよりも若い少年が、一体何を抱え背負い、そしてそれをこちらへ向けるにまで至ったのだろうか。
 ニドランが、狩りにすら使わないであろう前歯を威嚇するように見せつけ、その口で大きく叫んだ。

「父ちゃんと母ちゃんを、返せッ!!」




「ねいとサン、ももんノ実デス」
「あ、うん。……、……今食べなきゃダメ?」
「今食ベナイデイツ食ベルンデスカ」
「んまあ、そうだけど」

 居心地が悪そうに対岸の席をチラと見てから、ネイトは隠すような手付きで一口に桃色を頬張った。
 悲痛な糾弾が響き渡ったのち、ニドラン少年は待機していたコイルに拘束され、一度取り調べ室を後にすることとなった。保安官曰く「判断ヲ急イデシマッタ」とのことだったが、あの激昂ぶりだと遅かれ早かれだったような気もする。一方でそれなりに重傷と思われたネイトには保安官から応急処置を施されることになるも、専属の医者らしきキルリアが駆け付けた頃には既に傷が塞がりかけており、軽い消毒と解毒剤(モモン)を受け取って事なきを得た。
 そうしたゴタゴタから早数分。どういうわけかネイトと対面していたのは件の少年だった。

「イエ、彼自身ガ対話ヲ求メタノデ……」
「んん」咀嚼しながら控えめに首を傾ける。
「先ホドノヨウナコトニハナリマセン、ゴ心配ナク」

 そういう問題じゃないんだけどなあ……口が空いてたなら言いたかった。目を合わせまいと避けている真正面には警備役のコイルにお尋ね者よろしく挟まれたニドランが、今にも射抜いてしまいそうな勢いで憎悪の視線をこちらに向けているわけで。空気感としては呑気に木の実を食べている場合ではなかった。
 甘味と気まずさを噛み締める中、「……おい」先に上がったのは少年の声。向き合った黒い感情に、ネイトは思わずごくりと喉を鳴らした。

「なんで、殺したんだ」

 怒りを押し潰して絞り出したような声だった。面と向かって話すことを望み、恐らく子供なりに悩み抜いて出したであろう最初の質問は、理不尽を訴えるかのようなもので、しかしネイトには答える術がなかった。保安官に目線で助けを求めると、「アア、失礼……」思い出したように円盤の身体を揺らした。……雑というか、意外とポンコツなのかもしれない。

「説明ガ遅レマシタ。改メテ訊キマスガ、黒北風事件ニツイテハゴ存知デスネ」
「うん」
「三日前、きざきノ森ノ近クデモ同一犯ノモノト思ワレル事件ガ発生シマシタ。一家ノウチ夫妻ガ狙ワレ、シカシ一人息子ハ無事ニ保護デキタノデス」
「うん。それもどこかで聞いた気……え、もしかしてその、一人息子、って」
「ハイ、ココニイルにどらん  だーと君ガ、事件ノ生存者デス」

 嫌な温度がぞわりと首筋を抜けた。漠然とだが、ネイトの置かれている状況が芳しくないということだけはわかる。名前を聞いて当の少年を見遣ると、今度は向こうから目を逸らされた。

「ソシテ彼ハ唯一犯人ヲ目撃シタぽけもんデモアリマス。証言ニヨレバ、犯人デアル黄緑色ノ目ヲシタからからガ、自身ノコトヲ『ねいと・あくせら』ト名乗ッタノダト。ソノ情報ヲ頼リニ貴方ヲ確保シタワケデス」
「……!」

 ああ。
 そういうことか、頭の中に冷たい風が吹くような感覚を覚えつつ、合点がいった。逮捕状を出されたのも、取り調べで事細かに自分のことを話す羽目になったのも、そして、見ず知らずのニドランを呼び出されたことも、その全容にようやく理解が届いた。
 つまりネイトは今、完璧な証拠からピンポイントの指名を受けて、第一の犯人候補として目撃者に直接正否を確かめられているのだ。

「もう絶ッ対ぇ逃げらんねえぞクズ野郎……!」
「お、お、お、おわ、わわ、ま、まま待って! ちょ、違っ、ぼ僕じゃないんだって!」
「うるせえ! あたふたしてんのがその証拠だろ!」

 バン、とニドラン  ダート少年が強く机を叩いて乗り出す。腹回りはコイルがしっかり掴んでいるとはいえ、いつ飛び出してくるかわからない気迫だった。「クズ野郎」のレッテルを貼られたネイトはますます慌てたが、言葉を浮つかせながらもなんとか釈明を試みる。

「だあっ、ま、待ってって! 本当にその、犯人って僕だった?」
「お前だった!」
「本当にネイトって言ってた?」
「言ってた!」
「スリーサイズも言ってた?」
「言っ……え? あ……うーん……?」

 矢継ぎ早の批難が一時迷走するも、

「い、意味わかんねえこと言ってんじゃねー!」

 やはり駄目だった。至極真っ当な正論で返された。そもそも初対面で名乗るようなステータスではないだろうに。
 しかしまあ不思議なもので、天性のしょうもないボケが殺意すら満ち満ちていた一触即発の緊張感を緩和したのも事実だった。うぐう、毒されまいと払い落とすように首を振るニドラン。これだけ強い言葉を放っていても、多分根は子供そのものなのだ。
 だからこそ、その小さな身に刻まれた傷は深く、先の生涯で基盤として抱えていくことになるのだろう。  潰えぬ凄惨な記憶とともに。

「……ええと、ダートくん、だっけ」
「……」
「なんかその、僕も知らないところで色々起きてるみたいだからよくわかんなくて……。たぶん、僕はやってないはずなんだけども」
「っ……! とぼけんなよッ! まだ言い逃れできると思ってんのかテメエ……!」
「……ううん。見た目も名前も一緒って言うなら、無関係じゃないんだと思う。だから、」

 おもむろに席を立ち上がると、威勢を押し出していた少年の表情はわかりやすく恐怖へと早変わりした。きっと、その目に映しているのは悪夢の残滓なのだ。当時に似た構図から惨劇を掘り起こされて、抗いようのない絶望に打ち拉がれている。
 そして、その痛みに別の導線を引けるのは、『親の仇』として立った、ここにいる一匹のカラカラのみで。

「ごめんなさい。僕のことはきらいになってもいい」

 ネイトは  頭を下げた。
 静まり返った部屋の中、ニドランの記憶の悪魔は拍子抜けするほど小さく見えた。心の底から憎んだ姿と名前が、今、純粋な子供のような口調で謝っている。
 本当に、これが、『ネイト・アクセラ』が、復讐するべき相手なのだろうか。

「そんなことっ……」

 やりようのない怒りが情緒へと乱雑に絡まって、少年の感情はいよいよ決壊した。自身でも説明のつかない涙が一つ、また一つと落ちていく。腹の(うち)で堪えていた情動が込み上げて溢れ出した。

「そんなこと、言われたってわかんねえよ……!」

 鉄の壁に嗚咽が反響する。小ぶりな椅子の上で泣き崩れた少年をコイルが支えた。少し困った顔を上げてネイトは保安官と目を合わせる。やはりというか、向こうも俯くように前傾して、掛ける言葉を失っているようだった。
 仮に救いとなる答えがあったとして、ネイトの選択はどこまで正しく在れたのだろうか。どれだけ己の立場を顧みず矛先として徹していられたのだろうか。今となっては、ただ、伏せて呻くニドランを見ていることしかできなかった。




 最初に言葉を挟んだのは介抱していたコイルの片割れだった。「一度別室ニ戻シタ方ガ……」瞼らしき黒線を下げて保安官に伺う。「ソウダナ。頼ム」了承を受けてU字が紫色を持ち上げると、長耳がぴょこんと跳ねた。

「待って……」

 宙に四肢をだらんと投げ出していたニドランが掠れた声で止めた。痰の絡んだような咳を一つして、「おまわりさん」ジバコイルに呼びかける。すると今度はネイトの方に目線だけやって、少し表情を苦々しく顰め、憚るような震え口で言った。

「コイツ、犯人じゃないかもしんねえ……」
「!」

 定説を覆す一言に、釈明を望んだネイト自身も驚いた。
 最も近くで肉親の死を見ていた齢十程度の少年が、その対象を前に鉄槌への意志を自ら曲げて、あろうことか擁護の方向へ切り替えようとしている。抱えていた怒りの断片を体感したからこそ、俯瞰したような判断に至るまでには、顔に出ている以上の壮絶な葛藤があったはずなのだ。
 「……理由ヲ聞カセテ頂ケマスカ?」保安官が控えめな音量で尋ねる。

「なんていうか……わかんねえ、わかんねえんだけど、でも、なんか、フンイキとか、言ってることとか、正直あのクソッタレとは思えねえって。話してて、そんな気がした」
「ダートくん……」

 あるいは、誠意というか、必死の訴えが伝わったのかもしれない。滾る激情の中から嘘偽りない本心をなんとか汲み取ってくれたのだとしたら、理屈を越えたその健気の、なんとありがたいことか。そう、人は正直であれば報われるし素性に見合った信頼が  

「というかそもそも、声違ったしな」
「……え」

 え? なんて?
 へへ、と照れるように鼻を啜って笑うニドラン。ここにきて初めて見た少年の無邪気には、安堵より虚無感が勝った。

「大きさも全然違う。こんなちっこいヤツじゃなかったし。てかカラカラなんてみんな骨被ってるから見た目の違いなんてわかんねーよな」

 こっ、このガキぃいいいいい!!
 思わず開いた口からは声どころか息すら欠片も出なかった。心臓に纏わり付いた緊張が一気に熱へと変わって頭へ昇る。今度はこちらがわなわなと震える番だった。そもそも……なんて? 最初からある程度違うと目星はついてて、その上であれだけの負荷をぶつけてきたというのか。振り返ってみると、寄り添って受け入れることにしたあの振る舞いが傍若無人に思えてなんだか腹が立ってきた。
 そうして唖然としたままのネイトを放ったまま、ダート少年はコイルたちに連れられ部屋を出ていった。ガチャン、と閉められたドアの内側に気まずい静謐が立ち込める。「マア……ソノ」保安官の左右に付いたつぶらな目がめちゃくちゃに泳ぐ。二人きりの空間、一番ダメージがあったのは無機質の方だった。

「ヨカッタジャナイデスカ、疑イガ晴レテ」
「よくない!!」

 今日が訪れるまでに事件と全く無関係だった元人間のカラカラは、事件の残虐性とは異なる被害意識から一つの決意を胸に深く刻んだ。
 おのれ真犯人、絶対にとっ捕まえてやるっ!


アマヨシ ( 2023/04/10(月) 15:47 )