第22話 曇りのち連行
両手を伸ばして驚愕のまま固まったネイトは、ついでに周りの空気も冷え固まらせた。本人からすれば比較的まともな反応のつもりだったが、シリアスの温度差には場違いも場違い、クレーンとデータ保安官は微動だにせず、沈黙の数秒が流れた。
いや、そんなことより。
逮捕状?
「詳シイ話ハ署デ聞キマショウ。連行シマス」
「あ、ちょ、ワ、ワ、ワ……!」
混乱する間もなく二匹の
磁石がネイトを刺股の如く横から拘束した。無機物のひんやりとした腕部が異物感と同時に戸惑いと危機を加速させる。え、連行、逮捕? 思考だけが追いつかないまま、ただ状況だけが悪化していくことだけは理解できた。「クレーン!?」助けやら説明やらを求めて一番弟子の名を呼ぶも応ぜず、哀れみの視線のみが送られる。この鳥、犯人の扱いが妙に板についてる!
「デハくれーんサン、後ハコチラノ方デ」一方で保安官には惜しみなく深々と礼をし、クレーンの株ががくっと下がる中、何かの冗談ではと僅かに望みを持った逮捕状もやはり本当のことらしく、コイルに挟まれたまま扉へと連れていかれてしまう。拘束に使っていない、空いた手が観音開きの戸を押した。ゴン、と、外目に見ても何かが突っかかった感触があった。
半開きの隙間から覗かせたのは。
「痛って」
「わっ……! だ、だからバレるって言ったのに……」
額をさするキモリに、慌てた様子のロコン。バッチリ聞き耳を立てられていたらしい。「うわああ二人とも!」驚きつつも縋るようにネイトが叫んだ。
ともあれ、訳のわからないまま悪人の扱いを受けている現状、味方は一人でも多い方がいい。助け舟欲しさに弁明をしようと、しかし「ドウシタ、何カアッタノカ」背後のジバコイルがそれを遮った。「ちょ、ちょっと仲間と話したいんだけど……」ダメ元で交渉してみる。「フム、マア少シナラ」あ、いいんだ……。意外とあっさりな承諾に若干拍子抜けして、いやそれよりもと、縛られたまま真正面へと向き直る。
「どっどどどうしよう! なんか僕ヤバめな事件の犯人だと思われてるみたいで!」
「知ってる」
「あ、ああ聞いてた? じゃあ今から連行されるってことも」
「知ってる」
「僕のスリーサイズも?」
「知らん」
アベル、適当な相槌かと思えば割と冷静だった。「ボケる余裕はあるんだ……」隣のエキュゼが零す。天然物のボケは時と場所を選ばないらしい。
どうしよう、と頻りに連呼して案を求めるネイト。彼らの力ではどうすることもできないのだろう、ということは本人も薄々勘付いてはいたものの、やはりそれでも支えとなる言葉が、仲間が、どうしても今必要だったのだ。
そして、その希望に応えるよう、落ち着きのない肩へ手が置かれる。アベルが身を寄せた。柔らかな三本指が、ほんのりと温かみを帯びていた。
黄緑の口が、緩やかに笑みを浮かべる。
「あばよ、犯罪者」
「おおおおおおいいいいいいいいいい!!!」
崩れ落ちた。無茶苦茶に裏切られた情緒が、少年にかつてない絶叫ツッコミを強いた。一番近いと思っていた味方が最も外野の側だった。そういえば、正体が判明し次第追い出すとかなんとか言ってたような。鼻からそういうヤツだったわけである。
むぐぐ、心にダメージを負いながらもネイトは立ち上がる。あれは相手が悪かった、とばかりに、期待と不安の滲んだ目はエキュゼの方へと逃げ込んだ。
「そ、そんな目で見ないでって……私は信じてるから、ネイト」
「エキュゼ……」
「出所したらまた一緒に色んなところ行こうね。約束だよ」
「う、うん…………。そうだね……そうかな……」
こっちもまあまあ駄目だった。
出会って一週間と一日、無償の信頼を築けているかどうかと聞かれると怪しい。覚悟だけは強固なエキュゼに傷心気味ながらも頷いて答えたが、前提が留置である辺りは、多分、これが現状の関係性における限界なのだろう。残ったのは微妙に信用されてないという事実のみ。
ただ一つ救いだったのは、「ルーにも掛け合ってみる」とエキュゼが動こうとしてくれていたことで。これはどうしようもないと踏んでいたネイトには思いつかなかった、現実的で希望の見える解決策だった。
完全に自分を見捨てたわけではない仲間(アベルの一言はなかったものとして)に短く礼を言うと、「ソロソロ行キマショウ」見計らったかのように電子音が背中を押した。外見によらず気の回るポケモンなのかもしれない。
いつしか落ち着きを取り戻していた足取りは、背負わされた咎を感じさせないほどにしっかりと一歩一歩を踏み出してゆく。帰る場所がある、それだけで十分だった。
待ち続けてくれる仲間がいる。
出迎えてくれる仲間がいる。
再会を夢見れば犯人疑惑なぞなんのその。自分は何もしていないはずなのだから、ありのままで居れば自ずと戻るべきへ戻るだろう。
扉の向こう、それは、ああ、まるで見送るような。
めっっっっっっっっっっちゃ集まる視線!!(うぎゃーーーーー!!)
「あれネイトじゃねェか……?」「ネイトですわ……」「な、何で捕まってるでゲスか……?」視界に入った全てから疑念を一身に浴びる。ジバコイルに先導されコイルに挟まれた『連行』は傍から見たって『連行』だった。顔見知りの視線に耐え切れず下を向いたが、それはそれでますます「やらかした感」が強まってより最悪な状況へと陥っていく。
今更になってクレーンが事務的な対処を取っていた理由がわかった気がした。この探検隊という職は、多少の選り好みはあれど、仕事の半数はお尋ね者の確保で構成されているのだから、つまり現場の光景は慣れっこなのだ。……反面それは、自分が犯罪者としての地位を確立させつつあるというわけなのだけれど。
格子を昇った先でも掲示板の依頼を吟味していた探検隊たちに遠慮なく注目が寄せられる。当然、どこかで見知ったような顔ぶれもいくらか紛れていて、やはり例によって後ろ指をさされ……。
ギルドを出て、いくらかの来客とすれ違い、トレジャータウンを出発する頃には希望なんて残ってなかった。どれだけのポケモンに見られて、どれだけの信用を落としてきたのだろう。色々な意味で保安官が恨めしかった。
ああ、とネイトは天を仰ぎ見る。いくら馬鹿でも、犯罪者でも、最低に成り下がろうとも、空模様だけはその元で誰しもが平等だ。そう思うだけで曇天でも随分マシな慰めになった。
ごめん、アベル、エキュゼ……。
帰る場所、ないかも。
「三割」
一騒動去って、アベルは腕を組みながら呟く。
「……何が?」
「三割くらい、疑ってる。六割はあの馬鹿っぷりが演技に見えない、ほぼ白」
「残りの一割は、何」
むすっとした顔つきでエキュゼが問うと、アベルは冗談でも言うように小さく笑った。
「殺人鬼よりヤバいヤツ」
「ふうん……」
口先を尖らせたままエキュゼは流し目で見渡す。普段通りの稼働に、しかし時折すれ違いざまに弟子同士が雑談を交わす様子が見受けられる。話題の中心は当然、逮捕された新人についてのことだった。あの馬鹿のことだから何かやらかしたんだろう、とか、きっと何かうっかりしてただけ、だとか。この辺りはまだいい。カラカラってあまり見かけないポケモンだから、だったり、どおりで危なっかしいと思ってた、なんて話が耳に入ると、胸の内で言い返したくなる。
何も知らないくせに。……尤も、『例の事件』関連であることを知られた方が厄介ではあるのだが。
「……ルーのところ、行ってくるから。上で依頼選んでて」
「必死だな」
「私は十割なの」
そうかよ、アベルはもたげた手をひらひらと揺らして、寄りかかっていた壁から背を離した。悠々歩き出した幼馴染を追い越して、少女は親方の元
朝礼後に食堂の方へ向かっていくのを見た
へと駆けていく。
ネイトは犯人じゃない。それを
知ってるのはギルド内でエキュゼただ一人。
「
『アイツ』が、そう簡単に捕まるわけないんだから」
保安官って意外と雑なのかな、と思った。
曇天下の荒野を、ジバコイルとそれに追従する二匹のコイル、さらにそのコイルに拘束されたカラカラの一行は、北東にあるという警察署を目指して進んでいた。
徒歩で。
「あっ、歩きなんだ」
「イイエ、我々こいる族ハ内蔵サレタ磁力ゆにっとニヨッテ浮クコトガ出来ルノデス。コレハえすぱーの反重力式トハ異ナル推進力デ……」
「へ〜」
なんて実があるのかないのかわからない話を道中で挟みつつ、ともかくデータ保安官の見解としては「連行は徒歩で行うもの」らしかった(というのは、主張以外のうんちくが全く頭に入ってこなかったので、便宜上そういうことにしといた)。ギルドでレクチャーされたお尋ね者の送還はバッジによる転送という中々にハイテクなものだっただけに、引き渡しに応じてくれる保安官がその後ズルズルと犯罪者を歩き連れる絵面はちょっと夢がない気がする。
しかし悪いことばかりというわけでもない。打って変わって人気の失せた平地、気兼ねない歩きはこれまでの憂いを和らげてくれた。横目をくれれば巡り巡る景色が、空を仰げば湿り気を含んだ風が、旅人を飽かせまいと移り変わる世界の神秘を感じられるのは、なんだかうれしい。
これがなんてことのない、昨日の探検のような道のりであればどれほど良かっただろうか。今や冷えた鋼鉄に両腕を塞がれた身である。陽気にステップを踏むまでとはいかなくとも、多少の解放感くらいは返してほしいなとは思う。
「腕はずっと動かせないままかあ」
「ソウデスネ。こいる族ノ腕ハ磁石ニ近イ性質ヲ持ッテイテ、一定ノ磁場操作ガナクテモアル程度ノ吸着ヲ保テルヨウニナッテマス。磁石ハ電荷ノ運動ニヨリ磁界ヲ発生サセマスガこいるノ場合ハソモソモ磁極ガ……」
「へ〜」
なんて為になるのかならないのかわからない話を語られつつ、ともかくデータ保安官の見解としては「連行中は離せないもの」らしかった(というのは当然の結論で、会話が微妙にズレて成り立たないため、めんどうくさくなって諦めた)。こればかりは要望なので仕方ない。
見慣れた大滝を左手に、温泉の湯煙を突き当たって北へ曲がる。延々とした奥行きの森が右に見えた。「まだ歩く感じ?」「エエ。こいる族ハオオヨソ四時間ノ充電デ二十四時間ノ稼働ガ可能トナリ……」まだ歩くらしい。しんどいとは思わないけれども、長い間お尋ね者を野ざらしにするのは囚われの身ながらちょっと心配になる。どこへでも逃げ放題なんじゃないか、あるいは報復や奪還のために大人数で襲われたり、なんてこともあるのでは。雑だなあ、とネイトは改めて思った。
だだっ広い平野を真っ直ぐに歩き続ける。この世界のポケモンの密度は都市部かダンジョンに集中しているのだろうか、たまに遠くでギャロップが馬車を引いているのを除いて、今進んでいるような何もない場所では誰かを見かけることが全くない。どこにでも家を建てられそうだ、そんなことを考えて、ダンジョンの存在が過ぎった。『悪いヤツらが増えている』。クレーンの言葉を思い出して納得した。たぶん、街中以外は危険地帯のような扱いなのだ。
そう、だから。
人気のないはずの場所に、気配を感じてしまったのは
。
「…………」
木々の隣に差し掛かった辺りで、ネイトの足が止まった。共に足止めされたコイルが怪訝そうに目を細めて、ビビビ、と電子音を飛ばした。ジバコイルが振り向く。
「……ドウシタ?」
季節外れに冷たい、北風が凪いだ。
何かが近くにいる。周辺はダンジョンなのだから、野生のポケモンが付け狙っていたとしても不思議ではない、が。
違う。
この気配は知っている。根拠も確信もなく、ただ本能だけが真っ先に反応して警戒を強いた。どこかで感じたことがある。つまり『覚えている』。己の意思に関係なく未知の挙動を見せる身体が恐ろしくて仕方がないはずなのに、どういうわけか心はこれ以上になく澄み切っていた。
まるで別人のように。
保安官たちが気付かないまま、気配はたぶん、迫り来ている。それが何なのか明確にわかっているわけではないけど、きっと善いものではないのだろう。
どうしよう。
どうしたらいいのかな。
顔が、目が、妙に熱い。目眩に続いてロクなことがないなあ、なんて場違いなことを思いつつ。
漠然とした危機感の中、ネイトは
十年も待ち続けた目標を前にふと思ったのは、なんてことのない天気の話だった。
今日は曇った。ここ数日晴れが続いていて、久しく見なかった塞ぎ目の空になる。
晴れ空は好きだ。太陽と出会い、いつしか飽くほどの青を見てきたが、今なお開放的に思える。雨も嫌いじゃない。水が賑やかに騒いで自然の道楽みたいだ。
曇りは。
曇りは、あまり好きじゃない。故郷の空によく似ている。
だから、わかってしまった。
ああなったのは曇り空の呪いなのだと。誰かの犯した罪のように、破滅の象徴として残り続けているのだと。
雨季が近付いてきているのだろう、と思う。
晴れ間が減り、雨風が吹き、一月を経て、やがて十一度目の夏を迎える。
そしてこれが、少なくとも自分にとっては最後の夏になる。
想定通りのルート。
想定以下の護衛。
天候は、曇天。
上手くいった、警察組織に捜査を任せて、狙い通りに孤立させる。
黄緑色の目をした、あのポケモンを。
爪立った枝木から飛び降りる。着地の音を屈んで殺し、その体勢のまま一歩ずつ踏み出していく。真白の空が少し眩しかった。標的までの距離を普段通りに押さえてから足を止める。
情報が正しければ、あのカラカラはまず
一度殺していい。残る警備も片付けられるのなら好都合だ。その後は回収と引き渡しを済ませば
あるいは、自分の役目を終えられる。
味気ないものだな、と思った。……汚れ仕事に特別も何もあったものではないけど。結局のところ、やることはいつもと変わらない。
けれども、敢えて言うのなら。
今回ばかりは、『お互い様』だろう?
地を蹴った。
ごく僅かに収めた地擦れの音さえも追い越して、一気に距離を詰める。
得物は短くても、息の根を止めるだけなら一撃で問題ない。やり方は嫌なくらいに熟知している。
標的は無防備に立ち尽くしていた。
軽く肘を引き、胸元に狙いを定める。
その寸前で脳裏にちらついたのは、残虐とは無関係なほんの些細な願いで。
もし、『明日』があるのなら、その日は晴れていてほしいな、なんて。
(
!)
瞬間、迷いが生じたのは、油断や慢心の類ではなく。
自然な動作で振り向いた、カラカラの少年の、翠玉の瞳が。あるはずのない赤い眼光を
確かにこちらへ向けていたからだった。
「…………?」
ネイトは
横を向いた。
とうに何の感慨も沸かなくなった荒野、その先で、雲下に陰り明度の落ちた木々が並んでいる。
何もない、それ以上でも以下でもなかった。
ううん、と瞼をもぞもぞさせる。変に考えすぎたせいだろうか、目が妙に痛痒い。顔の熱っぽさは引きつつあるものの、以前の目眩とはまた別の症状というのが少し不安になる。
「オイ、大丈夫ナノカ」
「んん、んあー……だ、だいじょび」
無機質な声でありながらも、データ保安官の声には心配が滲んでいるように聞こえた。拘束の任を未だ忠実に守っているコイルも、ビビ、と落ち込みのような反応を見せる。なんだろう、そこいらの探検隊よりお尋ね者に対する扱いが優しい。
目をしばしばと開き、もう一度森の方を見る。
変わらぬ風景のまま、気配も、嘘みたいな冷静も、最初からなかったかのようにすっかり消え失せていた。
「……なんだかなあ」
呟いて首を傾げるネイト。ジバコイルへ向き直り、目線で再出発の意を送ると、背中を見せて進み出した。「モウスグ署ガ見エテキマス」やはり気遣いが手厚い。
取り戻した歩みの中で、釈然としないままネイトは考える。
先ほどの感覚といい、以前からある目眩といい、あまりにもわからないことが多すぎる。そもそも今こうして逮捕されてる理由だって、自分の知らないところで知らないことが進行していた結果なのだ。原因は過去にあるのだろうけれども、それはもう、記憶喪失の弊害が出ているとしか言いようがない。
僕ってなんなんだろうな、と思う。
だからこそ、今向かっている目的地で少しでも知る必要がある。過去やそれにまつわる疑念、容疑者に至るまでの流れまで。
そして
無実を証明して帰ること。
空を見上げれば、灰雲の一部が白く照っている。曇天に負けじと抵抗しているようだった。
何もわかっていない、謂わば丸腰の身で潔白を示すのは、恐らく簡単なことではない。
ただそれでも、「帰りたい」という明確な意志だけは唯一持っている。うまく言えないけど、あのままエキュゼたちと会えなくなるのは、たぶん、間違ってる。それだけが今、ネイトと日常を繋げていた。
そうして小さな覚悟を決めながら数千歩。
探検よりも長い道のりを越え、一行はようやく『署』と呼ばれる建造物へ到着したのだった。