亡国の記憶
ああ、またしても。
またしても、こうなる定めだというのか。
雲が赤く渦巻いている。
東から吹き付ける風は災禍の予兆か。そんなものはとっくに間に合っている。非力な民草は一方的に刈られ、道は砕け、家屋は焼け落ち、それでもまだ足りぬとばかりに異国の兵は暴れ回った。これ以上の地獄が何処にあるというのだ。
「
“アイアンヘッド”!」
「っぐ、お……!」
「親父ッ!」
打ち付ける鈍音、飛び散る体液。
都に一段と高く聳える石城、その内部では、二匹の竜種が熾烈なせめぎ合いを続けていた。
鋼技を胸に受けたラムパルドが一歩下がると、盾の頭
トリデプスが追い討ちにかかる。押し潰すような進撃を、しかし遮るように石頭が振り下ろされ、二者は頭と頭でじりじりと鍔競り合う。
浅い呼吸を繰り返しながら、赤眼が横を向いた。
「ぐうッ……チェルノ! オレのことはいいッ、さっさと馬鹿息子連れて逃げろ……!」
視線の先、チェルノと呼ばれたメガヤンマは、一瞬の逡巡を経て、今にも戦線へ飛び込みそうなズガイドスの背を六本足で掴んだ。離せ! 三十五キロの身体が僅かに浮くと、身じろぎで抵抗を試みる。
戦は唐突に始まった。
正確に言えば侵略行為だった。なんてことのない日常を過ごしていた海辺の小国に、何の前触れもなく隣国の軍勢が押し寄せてきたのだ。
我らが王国は規模こそ小国の名に相応しいものの、軍の元帥を担う国王自身が他の追随を許さない戦略指揮官であったため、少数精鋭で大国に仕掛けられた数々の戦争を迎え撃ち、あるいは無血の勝利を治める、大陸最強の国家とされていた。その反面、王が発展に注力していたのは軍事ではなく農工産業や外交であり、また国の代表として「平和」を掲げていたことから、『矛砕きの国』としての地位を不動のものにする。
それが、たった一時間の急襲によって崩されることになるとは。
戦争とは、予め侵略の宣言を出すことによって相手の対抗意志の有無を知り、抗戦で応じることにより成り立つ。侵略の宣言を受けた戦いには国王が戦略を立てることで今まで勝利していた。だからこそ、今回の襲撃は完全に不意によるものだった。
「王子! ここは退きましょう……!」
「く……!」
もがくズガイドスの目に、戦火の光景が映る。
土埃が吹き荒れ、所々に燃え上がる赤は茅葺き屋根か。鮮明に見えずとも、飛び交う怒号や悲鳴が惨劇を生々しく訴えかけてくる。
兵が斃れる。
民が死んでゆく。
「……ざっけんなぁッ!! みんな逃げ場すらねーってのにオレだけのうのうと退いてられっか!! 離せ!! 離せオイ!!」
「駄目です王子! あなただけは死んではなりません! ここで王子を失えば、それこそ本当に全て終わりです……!」
「うるせえっ……何が王子だ……! 何が終わりだ……!」
豪炎が爆ぜた。ラムパルドが至近距離から放った“大文字”がトリデプスの顔面を焦がし後退させる。すかさず“ダメ押し”に転じるも、“鉄壁”の如し表皮がそれを受け止めた。なれば、と後ろ足で踏み込むと真空の衝撃波が不動の盾を“吹き飛ばし”て向かいの壁へと叩きつける。白光の球を握った手が空を切った、猛烈な“吹雪”が前方へ雪崩れ込む。白の奔流が晴れ、現れたのは、冷気を微塵も感じさせずに悠々と進み出す一匹の雄と、役目を果たして消えつつある金縁の“ワイドガード”
。
「ほう……炎に氷、種らしからぬ妙な術を操りおる。国王とてただ王座に着いてるわけではないか」
「くっ……! 流石に……」
尻込みの内に、トリデプスの口腔へ銀色の光が収束していく。打ち出された“ラスターカノン”を濃緑の“守る”で防ぎ切った。が、受け身の選択は再びの接近を許してしまう。助走のついた鋼頭の突進を、ラムパルドも同じく“アイアンヘッド”で対抗する。夕空の城内に火花が一際輝いて散った。
咄嗟の切り口、タイプ上の相性も加わり、蒼頭がじりじりと押されてゆく。首を捻り拮抗しようと、しかしトリデプスは不敵に口元を歪めた。
「なあクレテイシャスよ。ワシは領土拡大などとつまらぬ嘘を掲げたが、真の目的は貴様の積み上げた生温い秩序を破壊することじゃ。下らぬ身内同士の結束で価値の決まる世の中を、ワシが武力を以って塗り替えてくれる……」
「……!」
「そのためにまずは貴様を屠り、その後で子息を国ごとゆっくりと潰してやろう。クレテイシャスが斃れたと聞けば他の国も直に我々の元へ着く」
「……、どう、かな……!」
重鈍の四足が、僅かばかりに後退った。
「お前も、いつかッ……その生温い秩序に守られる時が来る……! そン時差し伸べられた手を下らねえって、そう易々と突き放せやしねえ……ッ!」
「戯言を!」
「地位に守られたお前からそれを取ったら何が残る……! 無力に絶望してッ、どうしようもねえって時に助けてくれンのは! ……仲間だろうがあッ!」
ラムパルドが叫んだ。めり込むほどに埋められた石頭が上へと突き上げられた。
盾が、転げた。事後ですら形勢逆転の機を作られたことに気付くのが遅れるほどあまりに予想外の一手。ただ一人、攻勢を伺っていた当人のみは、流れるように爪へと重心を向けて跳躍する。天井すれすれで右足を大きく振り上げ、そのまま踵をトリデプスの無防備な横腹に落とした。
何かが割れるような音が、ズガイドスとメガヤンマにも聞き取れた。
「ホッ……が、アァ……!! おのれ、グゥアア、許さんぞクレテイシャスゥウ……!」
ラムパルドの繰り出した“アームハンマー”は致命の一撃だった、はずだった。
だがそれでも老兵は気を失うどころか戦意すら削がれず、立ち上がって怨嗟の目を向けた。口端から黒い血を飛ばして激昂した。
傷を受けた脇腹が、銀色に輝き、結晶体として剥がれ浮かび上がる。
「は、は、は……! ワシをここまで追い詰めたことだけは褒めてやろうッ! がフッ、だがこれにて終いじゃ……!」
「何する気だ……離れろ親父! ……親父?」
幻想のような粒子を背景に、一歩も動かぬ父は、美しくすらあった。逆光に濡れた黒に、現し身の赤眼がゆっくりと振り返って、我が子をしかと捉える。
「
『フォシル』」
その名を呼んで、微笑んだ、誇らしげな顔が。
「みんなのことを頼んだ」
父の、最後の姿だった。
沈みそうな夕陽が、無数に切り抜かれた菱形から差し込んでいる。次の瞬間には形を失って、ぐちゃり、と、崩れ落ちた。まだ生物としての体温を残した赤が水溜まりを描いていく。
一斉に飛びかかった結晶が、ラムパルドの全身をいともたやすく貫いて、その命を奪い取ったのだった。
「…………!!」
「んぐうううッ、少々手こずったがァ、後は貴様だけじゃ王子ィイ……!」
「……っ、王子、下がりなさい! 私が時間を稼いでるうちに逃げろ!」
呆然とする王子を降ろすと、メガヤンマは颯爽とトリデプスの前に立ちはだかる。己に向けられた殺意にも、従者の叫び訴える声も、ズガイドスには届いていなかった。ただ、視界の一杯に据えた肉塊が全てで、それ以外はぼんやりと遠のいていた。
盾竜の口に光の玉が生成される。メガヤンマは上下左右へ撹乱の動きで急接近し、翻った衝撃波による“辻斬り”を仕掛けようと、しかしすんでのところで城外から降り落ちた“岩石封じ”によって射線は阻まれてしまう。薄羽が素早く退いて見上げれば、敵軍と思わしきプテラがトリデプスの元へと飛来していた。
「ルド様、目的は果たしました。ここは撤退を」
「グウウ……なんじゃ! お前までワシを愚弄するか!」
「いえ、それよりも空の様子が……とにかく、外へ」
プテラの言い分は要領を得ないものだったが、事の尋常ならざるを察してか、トリデプスは口惜しげに王子とその従者を一度睨み、背を向けて翼竜に盾の襟を掴まれる形で王城から滑空して降りていった。
飛び去ったバルコニーからメガヤンマは小さくなっていくトリデプスらの姿を見送る。無念を思うより先に、赤めいた景色が複眼を染めた。燃え上がるような空の遠景には夜明けに似た青白が続いていて、まるで不自然に切り貼りされているようだった。これがあのプテラの報告にあった異常なのかと、そこでようやくハッとして城下町を見下ろす。兵の波が、引いていく。
「一体、何が起きて……」
立て続けの衝撃から、遅れて庇護すべき対象へと振り返る。呼吸すら忘れていたような自失ぶりに比べれば目に光が戻りつつある気がした。
「……王子、お父上が繋いでくれた命です。私も心苦しいですが、行きましょう。まだ残党がいるかもしれません」
「チェルノ……オレ……」
赤眼を覗かせたズガイドスは年相応に惑った青年の顔をしていた。それがどうしても居た堪れなくて。されど、一万もの複眼は揺れ動く瞳と物言わぬ血肉の両方を映し続ける。
「オレ、なんか……、…………」
「……」
「悪い、一人にしてくれねーか。なんかオレ、わかんねえ……」
「…………王子の逃げ足なら問題ないでしょう。わかりました。私は少し町の方の様子を見てきます」
共通の主人を失えど、その痛みまでは平等にあらず。首を垂れ一礼し、メガヤンマは光差す方へ消えていった。彼にもまた、一人悲しみを受け入れる時間が必要だった。
「親父」
残されたズガイドスは震える手を地に伏した肉親へと伸ばす。一瞬、まだ生きていた頃の体温の残滓を感じ取って、直後には風が攫い取っていた。
もう、呼びかけに応えてくれることはない。
「ちく……しょお……!」
大粒の涙が、冷え固まり出した血溜まりに染み込んでいく。
日常の崩壊に因果があるとして。
もしも行動が一つ違えば、何事もなく父と笑い合っていた未来もあったのだろうか。
生涯を何度繰り返せば、悲劇のない世界に辿り着けるのだろう。
無数の選択肢からたった一つを迫られていたとして、滅びの選択を取らなければならない理由があったのだろうか。
否、終末は必然だったのだろう。
父の遺骸にうずくまり、それから間もない出来事だった。
真昼間のような輝き、天変地異の震動音。
ズガイドスの青年が顔を上げ、最後に見たのは。
空が落ちるような、巨大な流星
。
今からおおよそ六千と五百万年前。
小惑星の落下により、陸棲のポケモンを含めた動植物の過半数が絶滅。
しかしその後、生き残った生物は目まぐるしい適応と進化を遂げ、多岐に渡る種、その総数を増やしていった。
一度は滅びた文明も長い時を経て再興の一途を歩み、かつての技術を越す勢いで成長を続けている。
そして、舞台は現代へと戻る