第24話 見た目は子供、頭脳も子供!
注:17000文字ほどあります。 言葉のみならず物理的な衝突などもあり無事でなく取り調べを終えたネイトは、その後データ保安官の案内で書類の記入(記入といっても、その場で非識字が判明したため、大半は受付のポケモンに代筆してもらい、当人は見よう見まねのサインだけ書いた)を軽く済まし、ひとまず措置としてはギルドへ帰す方針らしく、真正面の出入り口から負い目なく堂々と出ることになった。
んああ、と大口を開いて伸びをするネイト。見上げた曇り空の隙間は変わらず白く照っていた。閉塞感があったせいか、明るかった屋内よりも空気がおいしく感じる。
「オ疲レサマデシタ。すかーふハ回収シマスネ」
「あ、うーい」
ぷち、と、なんだか弱々しい音と共に留め具が外れると、背後からコイルの腕が首元に回って巻いたスカーフを解いてもらえた。「アレ?」疑問符の乗った電子音。あ、そういえばボタン部分を壊したままだった。このタイミングで妙なことをしていたと発覚したら不味い。けれども、流石にいよいよバレるか、と思いきや、「……ドウヤラ備品ニ整備不良ガアッタヨウデス。申シ訳ナイ」警察側のミスと勘違いしてか、逆に保安官に謝られてしまった。いやその、と自供を申し出ようとしたが、自意識内の悪魔の囁きに負けて好都合を取った。事件の外で、ネイトはひっそりと咎を背負った。
「うっ、ううっ……なんでか知らないけど警察の人がみんな優しい……。優しさがつらい……」
「マア、ソウデスネ。最初カラ犯人候補トシテノ見立テガ薄カッタ、トイウノガ大キカッタノカモシレマセン」
「……あっ、ああえ、え? そうだったの?」
「エエ。捜査ちーむデノ会議デ、犯人ヲねいとサントスルト色々ト噛ミ合ワナイ点ガ出テキマシタ。ナノデ今回取リ調ベヲ行ッタノハ、容疑デハナク、真犯人トノ関連性ヤ情報ヲ聞キ出スタメダッタワケデス。ココダケノ話デスヨ」
なるほどなあ、合点がいくのと同時に少し拍子抜けだった。疑いはないに越したことはないけれど、あれだけ連行で注目を集めさせた割に前提から潔白だったというのは、なんというか、拘束された辺りからもう一度やり直したい気分である。……ギルドの面々から失った信頼に補填はあるのだろうか。背高へちらと横目を流すと、まん丸な黒目は「我関せず」とでも言いたげに楕円形に凹んだ。たぶん、考えてなかったんだろうなあと思う。
少し歩いてから振り返ると、拘束具をそれぞれの片手にコイルらが手を上げていた。それに気付いたジバコイルも磁力ユニットを空へ向ける。見送りかとも思ったが、敬礼のつもりかもしれない。向き直って再び進み出す。ネイトを縛る理由がなくなったので、帰り道は保安官と二人きりらしい。
「色々あったけどこれでようやく自由かあ。あー……」
「オオヨソソンナトコロデスネ。便宜上ハ」
「……べんぎじょう?」
「ハイ」保安官が首肯するように揺れる。
「留置ノ必要性ガナクナリ放免シテイルノデ、形式トシテハ『釈放』ガ正シイノデスガ、念ノタメ今後ノねいとサンノ動向ハぎるど側カラ監察シテモラウコトニナッタノデ、実質的ニハ『保釈』ニ近イカモシレマセン」
「ほしゃく」
「マア、ソウ堅クナサラズ。普段通リニ過ゴシテイレバ大丈夫デスヨ」
正面の門を抜けて、ざり、とほんのり冷たい地面を踏み歩く。門番役のレアコイルは変わらずの無表情でふたりを通していた。人情を見せてくれた保安官たちが特別なだけで、多分、他からすればネイトは事務的に扱うべきお尋ね者の一匹でしかないのだ。
「やっぱり、まだ疑ってない?」
「イ、イエ。ソウイウツモリデハナクテデスネ……」
幼気な少年の不安そうな上目遣いがジバコイルの良心を刺す。珍しく崩れた語調を、わざわざ「コホン」と電子音で誤魔化した。
「コノ事件ニ於ケルねいとサンノ存在ハ、ドチラカトイエバ犯人ノ発見ニ繋ガル証言者デアリ、謂ワバ貴方自身ガ大切ナ証拠ソノモノミタイナモノナンデス。ぎるどノ監察ニハ保護ノ名目モアリマス」
「守ってもらう、みたいな」
「ソウイウコトデス。警察ノ方デモ保護ハ可能デスガ、期間ガ限ラレテイル都合デ、長期的ニ観テモラウノデアレバ雇用元ノぎるどガ最善ト判断シマシタ。ねいとサンノ自由モ極力損ナワナイ形ニナルノデ、コレデ良イカト」
「ほえ〜……色々考えてくれてたんだ」
種族の割にうっかりな印象が強かっただけに、こうした体制の裏側にはネイトも素直に感心した。先の取り調べの動機についても然り、想像よりも多くのポケモンたちがこの件のために動いていることを思うと、なんだか少し身の丈に余るような気がしなくもない。熱意のすれ違いを覚えて頬骨を掻いた。
それだけに、執念じみた捜査が不可欠な相手なのだろう、ということはわかる。
陰り茶一色の大地を進みゆく二匹。折り返しの光景はどこか鮮やかに見えた。彼方南の空、地平線に紛れてうっすらと青が滲み出ている。移り変わる空模様を思えばあの晴天もそう遠くないように感じた。きっとそんなものなのだ、ありふれた景色も、時の流れも、営みも、疑問に思うことを忘れるくらいの当たり前になっている。
彼もまた、同じ空の下で生きていたはずなのに。
どうして、そんな日常を否定し続けているのだろう。
首をもたげ、瞳に灰雲を映しながら口を開く。「ねえ」保安官が目線を寄せるのも確認せず、ネイトはそのまま言葉を続けた。
「犯人がその、なんでやってるかっていう……理由? みたいなのってわかってるの?」
「動機、デスカ。ソレハソノ、マアナント言イマスカ、見解ガ分カレテイマシテ……。大陸国家ノ転覆ヲ狙ッテルトカ、アルイハ個人的ナ暗殺稼業トイウ説ダッタリト。トニカクねいとサンガ心配スル必要ハアリマセン」
「……」
無機音の節々から歯切れの悪さを隠せていないが、無理もない。なんたってこれだけの時を経ても特定に至る糸口すら掴めていないのだ。何十周と推理を重ねたところで、恐らくは一般ポケモンの憶測と肩を並べる程度にしかならない。ネイト自身も曖昧な回答が来ることはなんとなく想像できていた。
だがネイトは空を仰ぎながら目を細くして、頭骨に暗んだ口元を、子供が不満を訴えるようにむすっと曲げた。その顔を流し目がちにジバコイルへ向ける。不思議と仮面下の機微を感じ取れたのか、今度は三つ目が逃げるように慌てて正面へ戻った。仕掛けた当人は一瞬きょとんとしてから、しかし先よりも露骨に怪訝な表情を作り直して、呟くように一言転がした。
「…………なんか隠してる?」
ガクン。
地面と平行を保っていた浮遊体が前のめりに大きく揺れた。ああ、なんて図星のわかりやすい保安官なのだろうか。冷徹な金属ボディの反面、表情のあるポケモンより感情豊かに見える。
互いに移動は止めぬまま。それから少し間を置いて、左右の黒点がチラとネイトを見遣った。腕部のユニットをだらんと下げ、呼吸器官が備わっていれば今にもため息を吐きたそうだった。
「……ソリャア、組織トシテ公ニ出来ナイコトハ幾ラデモアリマスカラ」
「さっきまでなんでも答えてくれたのに?」
「ウッ……。ソ、捜査ノ話ガ何ラカノ拍子ニ表ヘ流出スルト今後ノ犯人確保ニ影響シテシマウ可能性ガアリマスノデ。隠ストカデハナク、駄目ナモノハ駄目ナンデス」
「……たしかに」
ネイトはむすっとしたままで俯き気味に目線を下げた。動揺が見えつつも、職務としては至極真っ当な返しに、付け入る隙や理由は彼の頭では浮かびそうにない。
「でも、怪しい〜!」
「ナンデスカ急ニ……」
が、若者にとってはなんとなく道理よりも勢いと気持ちの方が肝要なもので。疑わしきはなんとやらの精神、
戯けたように語尾を伸ばしてみると、公務員は明らかに別のベクトルで困った反応を見せた。こうなってしまえばネイトの追加ターンである。
「異議アリ!」パッと開いた右手を頭まで伸ばした。
「エエ……?」
「……」
「……」
「異議アリ!」
「ハ、ハイ……ナンデショウ」
発言権、強行。当の本人は「異議」の効力すらよくわかってないだろうに、現役の警察職を前にして法威を振りかざすというとんだ冒涜っぷりだった。
ノリは引き続き法廷ムードのまま、ネイト、
「捜査がなんたらってのは、まあそうだけど、でも話が流出するとかどうとか、なんか、それじゃまるで僕のことを信じてないように聞こえます!」
「イエ、デスカラ信用トカノ問題デハナクテデスネ……」
「サイバンチョーはどう考えてますか!」
「サ、裁判長?」
至極真っ当な疑問符に、茶色の手がちょいちょいと鉄肌に触れた。「あなた」「ワタシ被告側ジャナインデスカ」即興の茶番故に配役はアバウト。しかしジバコイルもまあまあ好き者なのか、「エー……デハ証拠ノ提出ヲオ願イシマス」と大分乗り気だった。んぇい……思わぬ反撃に言葉を詰まらせる。
正直なところ、主張や正当性を貫き通さなければならない理由がネイトにあるわけでもなく、なんなら断られた時点で既に負けているのだ。折れようが別に構わなかったが、普段アベルやエキュゼも適当にあしらうようなボケを拾ってくれたのはなんとなく嬉しい。キャッチボールは全力でやらねば無作法だろう、ネイトはしばらく顎に手を当てて、何度か首を傾けた。
「なんか……んー」
「ハイ」
「すき……」
「ン?」
「話したりするの、好きそうだなあって」
「ハ、ハァ。ソウ見エマスカ」
が、やはりというか。計画性皆無から捻り出した回答がまともになるわけがなく、証拠から程遠い単なる所見だった。何とも言えぬ分析にリアクションを迷ってか、保安官の赤眼が振り子のように揺れる。
「……マア、確カニ必要以上ノ解説トカ長話ハシテタノデ、ソウ思ワレルノモ無理ハナイカモシレマセン」
「ん。ううん、たぶんそっちじゃなくてねー」
長話の自覚はあったんだ、という感想は頭の片隅に置いといて、整理のためにもう一度悩ましげに口を結んでから、息を吸った。
「全部は覚えてないけど、保安官との話って、保安官から話しかけてくれたのがほとんどだった気がするんだよね」
「ソウデシタッケ」
「そうだったと思う。あ、いや、最初になんか言うのは僕だったけど、でもひとりごとみたいな感じだったから。ちゃんと話振ってくれたのは保安官の方」
「ドウデショウネ。業務上話サナケレバナラナイコトモアッタノデ、ソレデソノヨウニ思ワセテシマッタノカモシレマセン」
「あと、僕があんまり考えずに言ったことにも、ちゃんと『困った!』、っていう反応してくれるから、最初から聞く姿勢があったんだと思う」
「ムム……」
電子音らしからぬくぐもった声は、ある程度は的を射ている、という証左なのだろうか。
「そうだ、あとさ、」ネイトが続ける。
「ダートくんのときも、その、めちゃくちゃに怒ってたけど、本人の話したいっていう気持ちを優先させてたし、犯人じゃないかもって言ったときにも耳を傾けてくれてて、警察なのにすごい、こう、話を聞いてくれてさ。たぶん子供とか好きなんじゃないかなあって」
「……子供ハ、マア、好キナ方ダトハ思イマスガ」
「うん。だから話さ
あれ? ……、好きなのに話さないってことは、……僕には聞かせたくない話、ってこと?」
「!」
上目がちな横顔に、点のような目がさらに小さく絞られた。
憶測は、いくら重ねようが憶測の域を出ることはない。しかしどうだろう、詭弁と切り捨てるには惜しい推定の連続が、今、不思議なことに真実への確信を微かながらにも浮かび上がらせつつある。少年の感想が、偶然にも筋道立った『道理』の形を成そうとしているのだ。
「モ、黙秘シマス。コレ以上ハ流石ニコチラノ立場ガ危ウイノデ……」
「えええそんなやばばばーんなやつなの……?」
「ヤバイトイウヨリ無責ニ……イ、イエ。トモカク黙秘デス」
「んーんんんん?」
それ故にか、ここにきてようやくジバコイルは無反応を貫くという策に出ようとしているらしい。職業柄としてはこれが本来の正しい対応ではあるのだが、「事件の裏側の話とか?」「……」「もしかして悪いこと企んでる?」「オ答エデキマセン」潔いくらいの冷淡にひどく温度差を感じて、けれども、それは同時に今日一日彼の無機らしからぬ厚情に助けられていたのだという裏付けにも思えた。これが公務に忠実な別のポケモンだったらどれだけ重苦しい空気で連行されていたことか。
とはいえ、これだけキッパリと拒否の構えを取られると出る口も塞がってしまう。追求の意味するところが方々への迷惑であることはネイトだって理解しているつもりだった。
だが、裏腹に、保安官が前面へ出していた感情はたしか
。
「んー…………あ! まさか!」
「……」三つ目が覗き込む。
「なんかこう、ムフフなアレやコレを考えてたんじゃ!?」
「エ、エエ……? ナンデスカむふふッテ」
「え〜〜〜? それを僕に答えさせちゃうのはいや〜ん」
「チョットチョット、アマリ困ラセナイデクダサイヨ」
「んえい、でもしゃべれるじゃん」
「イエソレハ……」
「決まり? とかよりも、話を優先していい理由みたいなのがあるんじゃないかなあって感じがするんだよね、さっきから」
遵守すべき事柄や秘匿を持っているのならば、自ずと言葉選びには一層慎重に、あるいはそもそも声を発さないという選択肢も浮かぶだろう。現にデータ保安官は口を噤む姿勢を取ろうとしている。が、その意識があったのだとしたら、最初から距離や違和感を覚える会話になっていなければおかしい。
つまり、ジバコイルの中で、黙秘するべきような義務は先行していないはずなのだ。
なんてことのない微細な変化、理屈として組み立てるには憚られるであろうそれを、ネイトは肌感覚で見切っていた。当人ですら意識外だった部分へと踏み込み、しかしやはりというか、直感的な推理が腑に落ちるかと聞かれると首を捻らざるを得ないわけで。冴えた読みに反して警職は釈然としないまま、「ウーン……ナンカ、ソンナ感ジナンデスカネ」と適当に返すほかなかった。
曖昧な手応えに閉口するどころか、ネイトの疑念はますますヒートアップしていった。んんう、と左右交互に首を傾げ、議論終盤の追い込みとばかりに矢継ぎ早の質問が飛ぶ。
「……さっき、警察のこととか、これからのこととか。その辺の、なんか、大きな動きみたいなのは話してくれたけど、犯人やダートくんのこととかについてはあんま喋ってないような気がしてさ。誰か、個人についてのアレだったりするの?」
「…………」
「保安官のこと?」
「……」
「ダートくんのことだったり?」
「アノデスネー……」
「もしかして僕?」
「ダカラ、違イマスッテ」
「じゃあ、犯人のこと?」
「オ答エ出来マセン」
「えっ、そしたらギルドのこととか?」
「黙秘シマス」
「まさかお昼ご飯のこと考えてたり!?」
「ハァ……」
つい先ほどまでの動揺やツッコミに走っていた丁寧なくらいの応対はどこへやら、いつしか疲れめの呆れに格落ちしていた。問答の実態だって、若者の折れない意志というより、どちらかといえば子供の尽きない好奇心みたいなものなのだから、付き合おうものならほとほと面倒になるのがオチである。
「イイデスカ? 何度モ言ッテマスガ、保安官ノ立場トシテアマリ適当ナコトヲ口走ルワケニハイカナイノデス。コレ以上ハチョット、私モ怒リマスヨ」
「しゅん……」
しゅん……とわざわざ口に出して肩をすぼめるネイト。正直なところ、機械音の声色から読み取れるほどの感情量があったかは怪しいが、遺憾を表明しているらしいことは確かなので、とりあえず反省の姿態を見せた。
少し歩いてから、親の表情でも伺うかのように碧玉が横目に向いた。きっぱりと断りを入れた手前、安易に反応すまいと無視を決め込む、つもりだったのだが。
「…………僕のこと、なんだ?」
「ナ……!」真意に迫るような確信を持った声が、浮遊体の
推力をついに止めた。「何故、ソウダト……?」
「だって、答えられないんでしょ?」
「……?」
「黙秘します、とかなんとか言ってうんともすんとも答えてくれないのに、僕のことになるとなんかすごい否定してくるじゃない。違うとか、心配しなくていいとかさあ」
「ソ、ソレハ、」
「そういうのって、もう、なんか、頭の中で意識意識! ってしてないと出てこないと思うんだけど。気のせい?」
最後の一押しとなったのは、なんてことのないその場凌ぎの文句であり、半ば反射的に紡いでいたであろうもので、注視しなければ素通りしてしまうような、しかし確かな矛盾だった。
侮っていたのだ。少年の外見や声から、無垢そうな疑問や言動まで。その洞察力の高さに危機感を抱いて軌道修正を試みようとした頃には既に手遅れだった。
歯噛みでもするようなざりざりとしたノイズが漏れる。ジバコイルは思い出したかのようにふらふらと進み出したが、同時に歩き出したネイトの純粋な目線が追従するように離さなかった。だんまりで通すのも限界だろうと、諦め半分で開き直った音程を返す。
「キ、」
「き?」
「気ノ、気ノセイデス」
「気のせい?」
「気ノセイデスヨ〜」
「気のせいかなあ」
「気ノセー気ノセイ〜、ナンチャッテ〜ハハハ……」
「……、気のせいかも」
「エッアアイヤソンナツモリジャ」
あろうことか奇跡的に誤魔化しは利いたのだが、反面「しゅん……」の時とは比べようがないくらい想像以上に落ち込んでしまったもので。大人であり且つ公共の手本である身、何より道徳的な部分で大事なものを失うと危惧した結果、保安官は自ら折れるほかなかった。
「モ、モウイイデス……ワタシノ負ケデス。ココマデ見抜カレタラ隠シヨウガナイノデ」
「え! わぁい本当!?」けろっとした顔を上げる。
「ウグ……デスガ絶対ニ他ノ人ニハ言ワナイデクダサイヨ! 何カアッテモ責任ハ取レマセンノデ。チョーヤバイコトニナリカネマセンノデ!」
「あい!」元気よく挙手すると、歩調に連なってぴょこぴょこと小さく跳ねた。社外秘に触れようとするリスクをちゃんと理解しているかは定かではない。
右手に水流の低く唸る音が段々と近付いてきている。中間地点の目印でもあった大滝を横切ろうとしているのだろう。ジバコイルの決断にはこの残りの帰路でわだかまりを解こうという魂胆があったように思えた。
思考のためか、両脇頭のネジをくるくると回して上下させ、やがてそれが落ち着くと、相変わらずの機械音が戻ってきた。
「アラカジメ伝エテオキマスト、今カラ話スコトハアクマデ憶測デス。取リ調ベカラ推論シタ、現時点デノワタシ個人ノ考エニナリマス」
「あえ、なんか秘密の情報みたいなやつだと思ってた」
「本来ナラ調査ちーむニ持チ帰ッテ充分ナ議論ヲ通シテカラ話スベキダッタノデスガ、……マア、コウシテ問イ詰メラレテシマッタノデ。不正確ナ情報ニナルコトハゴ了承クダサイ」
つまり、私情による後ろめたさなどで渋っていたわけでもなく、ただただ望ましくない形でネイトが開示を求めたというのが事実らしかった。そっかあ、追求した張本人は少しだけ気まずそうに頬骨を掻く。勿体を付けずとも最初から大旨だけ語ってくれれば無理くり引き出すこともなかっただろうに、だがそれは同時に複雑な内情が絡んでいる可能性があるということなのだ。他言無用の釘刺しに重みが乗った。
「マズ、誤解ガナイヨウニ結論カラ言ウト、ねいとサンハ本件ニ於イテ直接的ナ関与ハナイト思ワレマス」
「ん」顎を僅かに持ち上げる。
「逮捕状ガ出ル前ノ調査段階カラ犯人ノ線ハ薄イトイウ見解デ進メテイマシタガ、今日ノ聴取デ確信ガ得ラレマシタ。浜ヘ流レ着キ記憶障害トナッタぽけもんガ目的意識ヲ持ッテ凶行ニ及ブトハ考エラレマセン」
「もくてき、は、まあないけど」
「仮ニねいとサンノ発言ヲ差シ引イタトシテモ、ぎるどデ見張リヲシテイタくれーんサンノ証言ヤ遺体ノ状況、アトハだーと君ノ反応ナドヲ見ルニ、ヨホド穿ッタ考エ方デモシナイ限リ犯行ハ不可能トスルノガ自然ナハズデス。コレハ署デ再決議ヲ行ッテモ覆ラナイデショウ」
おおー、とそれとなく納得した様子のネイト。被害者の状況は何か話していた程度にしか覚えてないのでともかく、ダートくんは自分が犯人でないことを明確に否定してくれた。意外なところで名前の出たクレーンのことは初耳で内心驚いたが、もしかすると彼なりに助けようと動いてくれていたのかもしれない。真っ先に向けられた勘ぐりも必死の裏返しだったと思えば、会ってから今までの全てさえ仲間想いの献身故だったのではと感動すら覚えてしまう。……。……見張り、というのは、端からそういう対象として目を光らせていたということになるのだろうか。前言撤回。勝手にじんわり熱を帯びつつあった涙腺からあらゆる感情が引っ込んだ。
ともあれ、念願の無実は証明されたらしい。取り調べの時点で示唆はされていたものの、改めて断定の形で伝えてもらえると自覚していた以上にどっしりと肩の荷が下りたような気がした。ひとまず仲間へ合わせる顔は繋ぎ止められた。
「……ソレデ、ココカラガ本題ナノデスガ」
読み上げのような流暢が一転、保安官はノイズがかった低音を自信なさげに零す。
家路はもう、滝の前を曲がって、残すは直線のみと差し掛かる頃だった。豆粒ほどではあるが、トレジャータウンの交差点の街路樹が認識できるくらいには見え始めている。人気の感じられない今でしか話せないことなのだろう、心持ちを表すように骨頭が静かに頷いた。
「ねいとサンガ海岸デ発見サレタノガ六日前、今回ノ事件ガ起キタノガソノ三日後。ツマリ、記憶ヲ失ッテカラノタッタノ約三日間デ、犯人ハねいとサンノ状態ヲ知ッタ可能性ガアリマス」
「みっか……いやでも、もしそれより前に知っていたんなら……あっ」気付いて、口を両手で抑えるネイト。
「エエ、大丈夫デス。ワカッテマス」
失言で自滅しかけたものの、ジバコイルは諭すように何度か頷く動作を見せた。相手が違えば、手柄欲しさに糾弾してでもでっち上げられていたかもしれない。
「ソコデ、何故犯人ガねいとサンノ名前ヲ出シタノカ
ト、先ホド言イソビレタ動機ノ話ニ繋ガッテキマス。考エラレル線トシテハ二ツ、一ツ目ハ、犯人ガねいとサンノ名前ヲ名乗ルコトデ罪ヲ被セヨウトスル狙イデス。記憶ガナイコトニヨル証言能力ノ低サヤ身元引受人ガイナイ点ヲ見テ、
擦リ付ケル対象トシテねいとサンヲ選ンダノダトスレバアル程度納得ガイキマス」
「やっぱそうだよね。僕もそれなんじゃないかなあって思ってた」
「ソウデアレバ犯人ノ目論見ハ失敗ニ終ワッタ、デ済ムワケデスガ。厄介ナノハモウ片方ノ線デス」
保安官の目が三つ、逡巡するように下へ泳いだ。
「……二ツ目ハ、我々警察組織ニねいとサンノ捜査ヲサセルコトガ目的ダッタノデハ、トイウ説デス」
「……僕、の?」
不安と不可解を混ぜ合わせた表情で見上げるネイトに、ハイ、と迷いのない返答。
「犯人ハモチロン、権限ヲ持タナイ一般人ガ手ヲ出セナイ機密デアロウト、大陸機関デアルワタシタチハ実権ヲ行使シテソレラヲ収集スルコトガデキマス。実際、ねいとサンノ情報モ警察ノ権限ニヨッテ引キ出シタモノデス。モシ犯人ガねいとサンヲ探シテイタトスルノナラ、認メタクハアリマセンガ現状デ最モ手ッ取リ早イ方法デショウ」
「探されてた、ってことは……」
「断定ハ出来マセンガ、記憶ヲ失ウ以前ノねいとサント犯人トノ間ニハ、ナンラカノ関係ガアッタノデハナイカト推測デキマス」
すうっ、と。鼻先から背中へと体温が抜けた。
薄々気付いていなかったのかと聞かれれば嘘になる。だが、疑惑を晴らし、自由の身となった先に、それは恐らく、たった一つの懸念の中で考えられうる最悪の可能性だった。保安官が規定を持ち出してまで渋っていたその意味が、真にネイトへ不安を与えないためであったと知るには遅かったのだ。
「ぇ、」語頭が掠れ、崩れた母音が落ちた。数度背中を揺らして咳き込む。喉元が力なく震えているのが嫌でもわかった。「……ゃ、じ、じゃあ、あや、ヤバい人の味方ってこと僕」取り繕おうとした早口気味は情けないくらいに言葉の程を成しているかも曖昧で。そんな少年に、ジバコイルは宥めるような口調で言った。
「現状デハナントモ言エマセン。協力関係デアルナラ先述ノ通リ接触ヲ目的トシテイルト考エラレマスシ、敵対シテイルノナラ冤罪ヤ警察ノ目ヲ向ケサセル狙イガアルノカト。タダマア、敵ノ敵ハ味方ナノデ。後者デアレバ心強イ参考人ニナッテクレルコトハ間違イナイデス」
「う、うーん。でも味方の味方だったら敵ってこと?」
「ソウイウ話ジャナクテデスネ……」
犯人側の味方であれば、ネイトは世界の敵に回ることとなる。
けれどもどうなんだろう。鼓を打つような心音の中で、ふと過ぎった疑問に想像を巡らせる。血も涙もない凶悪犯とすごく仲が良かったとして、隣にいるかもしれないネイトはどんな気持ちで生活していたのだろうか。……あるいは、記憶が消える前の自分も肩を並べるほどの非道だったのか。だがかつての仲間を取り戻すためとはいえ自らの行いを全て押し付けるような真似
いや、違う。
可能性や自明を以ってしても、この強い違和感を拭うまでには至らない。そもそもが、『ありえない』から。
「ずっと気になってたんだけど、やっぱりこの辺って人いないの?」
「ヒト、ト言ウト住民デショウカ」
「……、あやや、人間」
「ソリャアイマセンヨ。遠イ場所ニハイルカモシレマセンガ、少ナクトモコノ大陸デハオトギ話カ伝承ガ残ル程度ノ存在ナノデ」
「てことは歩いてたら目立つはずだよね」
「目立ツ?」
「だって僕人間だもん」
「……」
……。
「だって僕にんげ」
「イイイイヤイヤイヤ聞コエテマス、聞コエテマスケドモ……ウ、ウウム。アマリニ前例ガナイトイウカ突拍子モナイトイウカ……」
「あり? 取り調べのときに言わなかったっけ?」
「イエ、チャント言ッテマシタヨ。調書ニモ記載シマシタ。タダソノ……ヤハリ心因性トカソノ辺リニヨル、ナニカ、あれナ感ジノヤツジャナイデショウカ」
「え〜〜〜? 信じてない?」
ムスッとした目付きを向けると、またしても悩むように保安官のネジが浮き沈みした。犯人疑惑の一般ポケモンに献身的でありながら、しかし証言力に難があると最初に言ったのは彼自身である。
「……事件捜査ノ過程デ超常現象ノ線モ一度ハ議論サレタノデスガ、規模ガ局所的デナイコトヤ決マッタぱたーんガ見受ケラレナイコト、何ヨリ手口ガ物理的デ死因モ全テ解明サレテイルノデ、限リナク人為的デアルト結論ガ出テイマス。ソモソモ相手ガ怪異ダト可能性ヲ絞リキレマセン」
「僕って怪異に分けられるの」
「怪異デスヨ。にんげんガぽけもんニナルコトモ、ぽけもんガにんげんヲ名乗ッテルノモ」バッサリ言った。
わざとらしく口先を尖らせるも、消沈気味に鼻息しか返せないネイト。この世界における人間はほとんど架空の存在で、それ故に無いものとして扱われるのも致し方なしだが、なんだかちょっぴり自分のアイデンティティを否定されてるような気がしてひとり疎外感を覚えた。
「シカシ
」訪れかけた沈黙を遮るようにジバコイルの声が割り入った。
「手掛カリガ掴メテイナイ現状、些細ナ情報デモ頼ミノ綱ニナリマス。元にんげんノからからナンテ結構とんちき……風変ワリナ話デスガ、切ッテ捨テルニハマダ早イヨウニ思イマス。モシカスルトねいとサント犯人ノ関係ヲ決定付ケルひんとニナルカモシレマセン。イヤダイブとんちきナ話デスガ」
「トンチキってなに?」
「マア、今マデニナカッタ方向性デノあぷろーちナノデ、持チ帰ッタラソレナリニ真剣ニハ調査シテミルツモリデスヨ。ヤレルコトハ全部ヤッテオキタイデスカラネ」
「トンチキってなに?」
取捨選択の自由がないと形容すれば言い方は悲しいが、信憑性が微妙な中で取り合おうとしてくれたのはありがたい限りである。……これでネイトが犯人側と判明しようものなら笑い話では済まなくなるが。ともかく、可能性の示唆という点では痛み分け程度に持ち込めた。
モウスグデスネ、近づくトレジャータウンの風景を見ながら保安官が言う。心なしか、電子音声の感じが幾分か落ち着いたトーンに聞こえた。彼もまた、重荷として抱え込んでいたものを出し切れたのかもしれない。
「少シ話ガ逸レマシタガ、ワタシノ考エトシテハ概ネコンナトコロデス。言ッテ良イコトモ悪イコトモ全部吐キマシタヨ。ハア」
「ん! たぶん聞けてよかったと思う。吐いてくれてありがとうオゲオゲオゲ〜」
「ナンデスカモウ……イヤ、ソノフザケップリニ一本食ワサレタ訳デスガ。マサカコチラノ考エヲ全テ見抜カレルナンテ思ッテモイマセンデシタ」
「うぇへひ、そうでしょ〜。こう見えてもギルドでは名探偵って呼ばれてるんだから」とんだ大嘘である。
「ナント……! デモ確カニ言ワレテミレバ最初カラソンナ雰囲気ガアッタヨウナ……」真に受ける警職も如何なものか。
荒野に奇っ怪な笑いがご機嫌に伸びて広がってゆく。すっ、と足元を抜けた影を見上げれば、ムックルの群れが怪訝そうな目線をくれながら街の方へと羽ばたいていった。
その軌跡に、陽光の眩さを残して。曇天からたった一点、うっすらと切り取ったような青と白光が顔を覗かせて、労うようにネイトの骨ヘルメットを照らしていた。
さながら祝福されたかのような道を二者は進む。「再三言ッテマスケド本当ニ今日ノ話ハ誰ニモ口外シナイデクダサイヨ!」「まかしてまかして、僕たちだけの秘密だもんね」行きよりも少しだけ距離の縮まった関係を土産に、犯人疑惑の災難はひとまず幕を閉じたのであった。
「と、いうことがあって」
「それ言っちゃ駄目なヤツじゃないの!?」
「全部喋りやがった」
ありゃ、と耳元を掻くアホを、仲間は困惑気味の歓待で迎えた。
プクリンのギルド地下二階。保安官に引率され堂々の帰還を果たしたネイトだったが、周囲の目線から察するに誤解が解けたかは微妙なところで。いっそ大々的に犯人ではないとみんなに発信してくれればなあ、と思った矢先、当の保安官は「デハ、今日ノコトヤ今後ノ提携ニツイテ話シテキマスノデ……」と言い残して親方の部屋に消えていってしまった。ぽつんと広場の中心に置き去りのネイト。そこにちょうど外出していたエキュゼとアベルが戻ったことで念願の再会の運びとなり、そうして現在に至る。
ある種のテロじみた暴露が本人のいる場で聞かれなかったのは唯一の幸いか(と言っても木の扉一枚隔てた程度だが)。「コイツに変なこと口走らなくて正解だった」渋い顔を背けてアベルがため息混じりに言った。嬉しさあまりの余計な口のせいで、他の面々よりも身内からの信頼の方が壊滅的になっているかもしれない。
「……でも、間違って逮捕されなくてホントによかった。私ちょっと、正直もう会えないんじゃないかなって思ってたから」
「うーん、でも捕まっても話したりはできるって言ってたよ。宴会っていって」
「面会だろ。何満喫しようとしてんだ」
ふふん、と骨頭が得意げに笑う。「面会だってお話を満喫できるもん。一期一会」黄緑の裏拳がマズルを弾いた。鼻先を抱えて涙目の馬鹿。「なんで捕まった後の準備ばっかりできてるの……」一番に身を案じていたであろうエキュゼも呆れが勝って暴行を咎めるには至らなかった。
先よりも悩むような低く深いため息が聞こえてエキュゼは視線を持ち上げる。普段通りに腕を組んだアベルが、普段はすることのない陰鬱の籠もった顔色で俯いていて、そのまま独り
言ちるように呟いた。
「冗談で済めばいいが」
キモリの金眼がちらとネイトを向いた。磨き上げるような手付きで一心に鼻元を
摩っているが、触れているのはヘルメット部分なので恐らく意味はない。「およ、鼻血出た……」そうはならんだろ。見てられなくなって無理やりシリアスモードに戻った。
ネイトの疑いが晴れたのは、「今回の」事件のみだ。
「犯人か否かってだけならともかく、それ以外の可能性が出てきたってのが不味い」
「……犯人と関わってるかもしれない、って話?」憤りにも似た静かな声でエキュゼ。
「それもあるが、『
黒北風』はもっと組織的で根深い事件なんじゃないかってな。
十一年も殺しを続けてきたキチガイが氷山の一角になるかもしれないくらいに」
黒北風事件は単独犯による連続殺人である、というのが一般向けメディアや世間の通説で、実際のところ公表された犯行の手口がいずれも同様だったことからその論に拍車をかけている。だが通説も通説、確証付ける有力な証拠は一切見つかっておらず、捜査の前線を知る者ですら真偽の手掛かりを掴めていないことは、ネイトが現職の保安官から聞いたことだ。
それがもし、覆ろうとするのならば。
動機や関係性は浮かばず、金品の強奪も発生しない凶行の主がシリアルキラーの類でないのならば、その目的は、対価は、どこに存在する。
誰かが裏で手を引いているのでは、と、アベルは思った。もしそうであれば、今までに無かった『規模』という単位が生まれることとなる。そしてそこにネイトを含む多くがいるのだとしたら、一網打尽に法の裁きを下そうにも、十一年という時を経て複雑に入り組み絡んだ状況が、果たしてそれを許すだろうか。
「そ……そんなはず、ないよ! ネイトは何も知らないんだから。だから、勝手に犯人に利用されただけ」
「だとしても、関係性が無いと言い切れるのか?」
きっぱりと揺らぎなく返すアベルに、エキュゼは咄嗟に短く吸い込んだ息を声にして出せなかった。幼馴染としては見慣れているつもりでも、こういうときの物怖じしない言い方はいやに説得力が増している気がする。
否定の姿勢は崩さないまま、しかし栗色の瞳はまごついて同意を求めるように渦中の少年に逃げた。後に続いて腕組みキモリも同じ方を見遣る。
次の句を待たれたネイトは、期待に応えるように迷いなく顔を上げた。
「……たしかに、今までのことはわかんないままだけど。でもこれからどうしたいのかはわかってる気がする。たぶん、僕は、ここにいたい」
「ネイト……」
「お前」
エキュゼとアベルは、ただ小さくその名を呼ぶことしかできなかった。
鼻に指が刺さってる。
右も左も分からぬままこの世界へ落とされた一人の勇姿は
止血のつもりなんだろうか
片鼻に自らの親指を突っ込んだ間抜け面だった。
控えめに指差し、「鼻」。気遣いのつもりかアベルもみなまでは言わないようにしていた。下目でハッとするようなリアクションを見せて、すぽん、という効果音でも鳴りそうな勢いで指を抜く。間を置いて垂れる真っ赤な液状。うぇへへ、と先の真剣が嘘みたいに何も考えてなさそうな照れ笑いをした。いや、仲間としてはこの上なく名誉の意思表明ではあったのだが、いかんせん絵が酷いというか……。
しかしこれを好機と見たかエキュゼ、「……、ほ、ほら、見てよ。こんな顔してて関係があるなんて言える!?」「あんな人殺しが澄まし顔で鼻に指突っ込んでるわけないでしょ!」「もうホントにおバカの極みなんだから」などと立て続けに貶してるんだか擁護してるんだか、やっぱりただの罵詈雑言にしか聞こえないような文句を広げると、流石のアベルも苦々しい表情で折れた。最悪な論破だった。
「でも、無関係って言い切れないのは本当な気がする」鼻を啜るネイト。
「こら、今私が否定してあげたばっかりでしょ。そんなこと言っちゃダメなんだからね、いい?」
「イー!」両手を左に曲げて『C』のポーズを取った。
「うん、いい返事!」
「馬鹿どもがよ」アベルは断然不満げ。
「そんな風に言ったって、ネイトを最初に見つけたのは私たちなんだから、責任がないとは限らないよ」
「フン。まあ、どの道捕まったところで……」
皮肉っぽく嫌味を並べ立てようとして、その語末は消え入るように途切れた。アベルの細目が、僅かにだが、段々と広がっていくのがわかる。
「…………精神鑑定」
喉も震わせず、吐息のように落とした一言が、人気の疎らな地下二階に、不気味なくらいはっきりと染み渡った。
「記憶喪失とか、頭のおかしいヤツは責任能力があるかどうかを警察に調べられるってどこかで聞いたな。……無ければ無罪放免って訳でもないだろうが」
「それって……」エキュゼは少し考えて、「やっぱり、利用されたってこと?」
「ある程度は狙った、って考えた方が自然かもしれん。誰かに陥れられたか、コイツ自身が画策したもんなのか……」
「……僕がわざと記憶をなくした、てこと?」
「いや、意図が介入せずに大事を起こすこともあり得る。
多重人格、とかいうヤツなら」
タジュウジンカク。
聞きなれない単語でありながらも、その内包された意味は漠然と理解できた。それでいて、またしてもネイトを不利にさせる可能性だった。尋問の際にジバコイルが心神喪失を疑っていたのは、もしかするとこの線も考慮してのことだったのだろうか。
「……どう、かな。あんまりネイトがそういう風に見えたり、は、……」
「あったと思う。ルリリの件で例の目眩に遭った時とか、あのスリープの顔写真見た時なんかもそうだ。人が変わったみたいに動いてやがった」
「あ、アレはなんかその! ……そ、そうしなきゃいけない気がして……」珍しく弱気のネイト。
「そもそも、」畳み掛けるように続ける。「お前の記憶喪失は半端だ。ボケられるだけの知性が残ってたり、第一同じ言葉で話せるしな。普通ならその辺がすっ飛んでてもおかしくないはずだが、何故か生活に支障がない範囲で最低限残ってる」
「……!」「うぐ……」
「……そこに、犯人の『同じ姿』で『同じ名前』という特徴は、どうにも辻褄が合い過ぎはしないか?」
呼吸が止まりかけたのがネイトだけでないことは、一瞬にして場を支配した無音が証明している。
アベルの論は一聞それらしくも、憶測というよりは半ばこじつけで、社外秘の捜査進捗を知った身なら反論だって挟もうと思えばいくらでも通せるはずだった。妙な噛み合いの良さも、その場限りの勢いでしかない。
ネイトは憔悴していた。
思い当たる節が、ある。
先述の実例もあるが、それ以上にネイトは『声』を聞いている。最初に耳にしたのは海岸の洞窟でエキュゼの宝物を取り返した日の、
夢現つの中だったか。直近だと見張り番でも聞こえた気がする。変声期に入りたてのような、ちょっと刺々しさのある少年の声。
解離性を指摘され、けれども身らの一部であるような馴染みは感じられなかった。他人とまではいかないが、あくまで最も近しい『誰か』に思える。それが何かの弁明になるかと聞かれれば難しいところ。
と。
見計らったかのようなタイミングで、親方部屋の戸が音を発したのだから、言い出しっぺのアベルですら肩が跳ねそうになった。
「
エエ、ハイ。アアイエゴ心配ナク! ……ハイ、ハイ、デハソノヨウニ。ハイ。ヨロシクオ願イシマス。……デハ失礼イタシマス」
背中を向けながら出てきた保安官は機械音でもわかるご機嫌な声調で、割と深刻なはずの業務連絡も円満だったのだろう、どころか、思いの外弾んでしまっていたようにも見える。やっぱり気さくなんだなあ、とネイトがしみじみしている傍ら、アベルとエキュゼは、なんだこれ、とでも言いたげに職業柄とのギャップに面食らっていた。
U字の腕部ユニットが扉を静かに閉めると、「アアねいとサン、仲間ノ方モゴ一緒デ」振り返ってから前傾で礼をした。
「ヒトマズぎるどト警察ノ連携ニツイテハツツガナク進ミマシタ。変ワラズぎるどノ方ニ置イテモラエルトノコトデ、ねいとサンハ今マデ通リニ活動シテモ問題ナイデス」
「う、うん」今まで通りとはいかなくなり得る可能性が丁度浮上してきたわけだが。
「モチロン、無実デアルコトモくれーんサンニチャント伝エマシタ。タダ、連行ノ際ニ多クノぽけもんノ目ニ止マッテシマッタノデ、誤解ヲ解クタメニ明日ニハ正式ナ説明ガ入ルト思イマス。少々肩身ガ狭イカモシレマセンガ、信用ニツイテハ大丈夫ダト、親方サンモ言ッテマシタ」
「う……うん……ありがと……」今まさに身内への説得が必要な時なのだが。
「仲間ノ皆サンニモ。今日ハ少々慌タダシイ一日ニナッテシマイマシタガ、ねいとサンヘノ疑イハ晴レタト言エルデショウ。心配セズニ今後モヨロシクオ願イシマス」
「……」「は、はい」その疑いが新たに芽生えようとしているわけだが。
「マタ何カアッタラ来ルカモシレマセン。デハワタシハコノ辺デ」ジバコイルはそれだけ言い残してからもう一度お辞儀をし、踊り場をすぃー、と浮かんで上階へと抜けていった。
半ば呆然としたまま円盤を見送る三匹。少しして見合うと、最初にアベルがバツの悪そうな顔をして目を逸らした。エキュゼも一度ネイトを見遣ってから、若干気まずそうに俯いた。見放されたリーダーはわかりやすく凹む。
解散の危機になりつつある雰囲気、しかしその中で最初に口を開いたのは発端のアベルだった。
「……ただまあ、俺も専門の知識があるわけじゃないからな」
独り言のように呟くと、腕組みは反応も待たずに自室方面へと歩き出す。戻ろう、の意だった。こんな高反発でも一旦は保留にしようという慈悲はあってくれるのか。嬉しい、に振り切ってはいないものの、後に続く足取りは自然と軽くなった。居心地の良い距離感だった。
「でも、アベルがそういうことを調べてる印象なかったから、ちょっと意外かも」エキュゼがからかうような笑みで言う。
「調べる、というか、かじった、というか。……、レパートリーがな」
レパートリー? ネイトとエキュゼは小首を傾げる。聞き慣れない言い回しに返答を迷って、けれども、一拍置いてから合点がいったようにお互い目を合わせた。
((あ、
悪口のか))
通達 DD−32〜−38?
重要確保対象と接触。
対象および護衛の生命活動停止を試みたが失敗。
機能を残している可能性あり。
ホメロス隊にも警戒を敷くよう求む。