第21話 犯人疑惑
本能とは恐ろしくも驚嘆するもので、日常に構築されつつあるルーティンの最適化を無意識的に進めるよう出来ているらしい。順序立てられた仕事があるとして、一、二に続く三の作業は考えるよりも先に行動へ移すようになる。考える、という指令のプロセスを飛ばすことで効率化を図っているのだ。
逆に失敗やネガティブな記憶が関与する事柄には一際慎重になる。これまた本能が苦い思い出の前例を「危険」と見なし、同じ轍を踏まぬよう警鐘を鳴らしているのだ。トラウマを始めとした過剰なリアクションは防衛本能によるものである。
その一例は『プクリンのギルド』にも存在する。
「起きろおおおおおおおおァ!! 朝……なあんだ、お前らもう起きてたのか」
「起きてます……」
「なんだ、とはなんだ」
「起きてることに気付くまでの記録、だいたい二秒!」
ワシで変な実験しないでくれんかなァ、ギガはドゴーム特有の大口を小さくして耳元を掻くと、ばつが悪そうに来た道を戻っていった。えへへ、と悪びれずにネイト。
ここの朝は決まって大音量のモーニングコールが行われる。それは当然、規定の時間に起床して朝礼に向かう必要があるが故なのだが、修行の場だとかなんとかで精神衛生上にきたす被害をうやむやにしてるのではないかというくらい、とにかく声がデカい。微睡む意識の中浴びる爆音は命の危機すら覚える程で、その結果、新米探検隊の『ストリーム』は「起こされる前に起きる」という生存戦略を取った。これは睡眠時間の調整や起床のための工夫といった努力ではなく、半ば本能的なものである。誰が提案したでもない、自然と本能がギガの来訪より早く目覚めるよう適応したのだった。
「まあ、単に起こされるのがストレスだっただけだが」
「昔から低血圧だもんね、アベルは……」
「でもアレだよ、早起きは三文の徳って言ってさ」
自慢げに話すネイトにアベルが返す。「意味言ってみろよ」えへん、と腰に手を当て、「早起きするとサンモンがなんかお得な感じになる!」。ギャラリー、苦笑。「馬鹿がよ」「そんなセールみたいな……」
天候は近日までに代わり曇天。
あんまり外出日和じゃないね、と窓辺を見ながら付け足したエキュゼの言葉が、思いもよらぬ形で現実になろうとは、この時はまだ誰も知らなかった。
広場の雰囲気は昨日のそれとよく似ていて、弟子たちは欠けなく集まっているものの、親方のルーと進行のクレーンの姿はなく、やはり朝礼が始まらない状況だった。親方の部屋の扉が閉まっている辺り、恐らくまた中で何か話し合っているのだろうとは想像がつくが、ただ、昨日と違って周りの表情は不安と思惑が入り混じっており、全体的に物々しさを醸し出している。
ちょんちょん、と、丁度近くにいたビッパの茶色い背中をつついてネイトが尋ねる。
「なんかあったの?」
「あ、ああ、ネイトでゲスか……いや、実はあっしもトードから聞いたもので詳しいことはわからないんでゲスが、どうやら朝早くに保安官が来たみたいで……それでちょっとドタバタしてるらしいんでゲス」
「ほあんかん……って、あー、あの、ジバコイルの?」奇跡的に覚えていたらしい。
「そうでゲス。たぶん今頃部屋で親方様やクレーンと話してるところでゲスが……。昨日の『時の歯車』のこともあって、みんなソワソワしてるんでゲスよ」
ビッパ
アレスが言うには、親方たちは現在、なんとも緊張感の高まる相手とのお取り込み中のようである。昨日の続報か、別件か、はたまた、なんて憶測は既に他の弟子たちのどよめきで十分間に合っている。仲間の方へ向き直ると、「年貢の納め時なんだろ」とアベルが小馬鹿にするように言った。……ギルドの体制を思えばその線も考えられなくはないのが悔しいところ。
ともかく、朝方から動いていないらしいこの状況を前に、ネイトたちは手持ち無沙汰だった。そうなると、彼らの中で最も話題性があるのは一つ。
「……もしかして、遠征関係の話だったりするのかな……?」
「何をやらかしたんだ。治安組織が介入するようなことかよ」
「ジバジバジバ、ワタシモ一緒ニ遠征シタイジバ〜!」
両手をくねらせながら(左右の磁力ユニットのつもりだろうか?)謎のアテレコをするネイトに黄緑の拳がみぞおちを直撃する。う゛っ……と短く呻いて前屈みになった。
そう、遠征。
昨晩名指しでルーに呼び出された三匹は、新人ながらもその活躍ぶりを高く評価され、ギルド総出の大イベントへのチャンスを掴むことができたのだった。
「でも、まだ行けるとは決まったわけじゃないんだよね、私たち」
「……仕事への取り組み具合からメンバーの選考をする、だったか」
総出、といっても全員が参加できるわけではない。遠方への本格的な調査なのだから未知の危機に立ち向かえる実力者が必要なのは道理で、そもそもギルドを空けるのだから留守の間を管理する人材もまた必要なのだ。だから、選抜と脱落ではなく、『役割分担』という名分であるこのシステムは、中々上手いことをやっているように思える。
ただし、浮かれを見せたエキュゼにクレーンが言った「行けるかどうかはオマエたちの頑張り次第だからね!」という忠告から、本質は精鋭の座を巡る争いなのだろう。あくまで手にしたのは遠征行きを「考えてもらえる」権利である。精鋭のレギュラーに比肩する実力を見せられなければあっけなく選考外へ転落しよう。その意味では喜びよりも緊迫の方が上回っていた。
「どうかなあ、行かせてくれそうな感じはしたけど」さりげなく復帰していたネイト。
「そう?」
「根拠は」
「え? う〜ん、なんか行かせてくれそうな感じがした!」
「それはさっきも聞いたよ……」若干の期待があったのかエキュゼは小さく萎む。能天気なヤツだ、アベルが両手のひらを横に上げて、やれやれと首を降った。
それから話題は戻り、今不在のルーたちについて、毒にも薬にもならないような話を続けた。不祥事だ、遠征だ、時の歯車だ、いややはり不祥事だ、だの。終いにはとても本人たちには聞かせられないような陰謀論までもが熱を帯び始めたところで、話は中断させられた。
親方の部屋の扉が開いたのだ。
「皆待たせたね。じゃ、ちょっとバタついてるけど朝礼を始めるよ」
半ば飛び出すような勢いで駆け付けたクレーンが、呼吸も整わないまま口早に言った。首回りの飾り毛や尾羽が乱れている、唐突な訪問に今まで手付かずだったのだろう。次いで現れたルー
は、普段と変わらない出で立ちで、何事も無いかのような笑顔を貼り付けて己が弟子たちと対面した。……流石に無理があるだろう、と思っていたのは表情を見るに他の面々も同様だったようで。アベルは怪訝な眉根にますます皺を寄せた。
しかし、クレーンの嘴から出たのは、予想外を一周越えた内容だった。
「えー……」包めた用紙を開く。「今日の連絡事項だが、昨日話した時の歯車の件については進展ナシ。引き続き不審者や歯車らしきものを見つけたら報告するように、と」
用紙が、丸めて閉じられる。
「……以上」
……。
…………。
「いじょう?」「以上って」「そ、それだけでゲスか!?」「これで終わり!?」「いや待て待て待て!」
通達した本人も想定していたような間を置いて、直後、方々から声が上がった。
無理もない、突然な保安官の訪問、長時間に渡る三者の密談、加えてクレーンの寝覚めのような容姿がとどめとなって、今まさに、全てが盛大な前振りを為していたというのに、その収拾がこれではあからさまである。「なァにがあったんだよォ!!」ギガの疑問がここにいる全員の代弁だった。
「う、うるさいなっ! ともかく連絡は以上だよ! ホラ、わかったらとっとと持ち場に着きな! さあ散った散った!」
不満たらたら、不完全燃焼のまま渋々解散を受け入れて、躊躇気味ではあったものの段々と朝礼の隊列は崩れてゆく。だがそれでも歩きながらにクレーンを向いたり、閉められた親方部屋の方へ視線がいってたりと、かつてなく疑念に塗れた朝礼だったことは間違いないようである。
『ストリーム』の三匹もまた、釈然としない様子で顔を合わせた。
「へんなの」
「黒だな」
「ええ……? い、いやまあ……私も、そんな、気は、した、けど」
歯切れを悪くしつつもエキュゼは否定しきれなかった。なんたってあまりに怪しさが隠せていない。かつては名門を夢見て弟子入りしたというのに、その勇気の末路が汚職だらけの職場の従業員だというのか。自分で考えていて悲しくなった。どうすっぺ、そんな彼女を置いてネイトが動向を尋ねる。どうせ依頼やれって言われんだろ、アベルがめんどうくさそうに返すと、「行くっぺ!」と元気よく拳を掲げて歩き出した。取ってつけたような田舎キャラの腿裏につま先の蹴りが入った。職を失うやもという危機を前に、けれどもよく考えればアベルもネイトも探検隊という仕事に対してさした執着はないのだ。憂うのは自分だけかと納得しつつ、やはりまたエキュゼは悲しくなった。
あだだ、と片足を押さえつつもけんけんと梯子の元へ向かうネイト。仲間の二匹はそれぞれ別の理由で呆れながらもその滅茶苦茶な足取りに続いてゆく。ダンジョンや、あるいはそれ以外でも、結局のところ先導してくれるのは彼だった。善きリーダーとは呼べずとも、きっとこれからもその背を追うことになるのだろう。
と、思っていた矢先、
「待ちな、ネイト」
「……ん?」
行く手を阻むように割り込んだのはクレーンで。ああ、そういえばまだ今日何やるのか聞いてなかったなと、思い出したかのように顔を上げる。
険しさの内に複雑の混ざった表情のペラップが、そこに立っていた。
「部屋で話がある。来なさい」
「うん。……うん?」
「オマエたちは掲示板の依頼。二人でこなせるヤツを選びな」
有無を言わさぬ口調に、三匹とも固まった。
クレーンからネイト個人への用事なんて何があるだろう。呼び出しならつい昨晩受けたばかりである。
ネイトが迷うように双方へ何度か視線を泳がせていると、付いてきな、とばかりに彩色の翼が背中を直接押した。為されるがまま足を進めるネイト。そこで、「おい」ようやく沈黙を破ったのはアベルだった。
「何の用かは知らんがソイツはうちの戦力だ。話とやらが終わるまで待つが」
「いや、生憎だが」クレーンは一瞬扉の方を向いて、「少なくとも今日一日は戻らないだろう。もし依頼が厳しそうなら休んでもいい」
「……は?」「え……?」
思わぬ回答にアベルとエキュゼは唖然とした。
ネイト本人もどこかギョッとした表情を浮かべていたが、それは間もなくクレーンの羽に隠される。半ば押し込まれるような形で扉の奥へと消える二匹を何も言えずに見送って、その場に残された青年たちは立ち尽くしたまま視線を交わした。
「……何か知ってるか?」
「い、いや、全然わかんない……けど、」エキュゼのたれ目が余計不安そうに歪む。「なんか、よくないことが起きてる気はする……」
明らかに只事ではない流れにアベルも口元を渋く曲げた。具体的な根拠はないにしても、保安官が来た件とネイトの呼び出しは、どことなく無関係とは言い切れないように思える。
自称記憶喪失の過去のツケが回ってきたのならともかく。
最悪のパターンは、ギルド不祥事への人柱として何かしら責任を負わされたりすることだ。信心がないことはないが、追い詰められた権力者がどのような手を取るかわかったもんじゃない、無作為な人員に無実の罪を着せて事なきを得ようとする可能性だって十分ある。
何よりそれが一番胸糞悪い終わりだ、というのが大部分であることはさておき。アベルの企業に対する捻くれた印象は、惑う若者に一つの行動を示唆させるに至った。
「と、なれば。黙って言うことを聞くわけにもいかないな」
反抗の形をした金目が、僅かに開きかけた親方部屋の扉を捉えた。
半日ぶりとなる親方の部屋は当然ながら目新しい物などなく、しかし当の親方に代わり、ふわふわと浮かぶアンテナ付きの金属がいるだけで、不思議と冷たい印象を受けた。
以前、トゲトゲ山の一件でもお世話になったジバコイルのデータ保安官である(と、思う。なんせ見分けがつかない)。
ここにいるということは、やはり噂通り何らかの要件があってルーたちと話していたのだろう。お供のコイルも二匹並んでいて、今更ながら友好的な用事ではないなとネイトは感じた。入室時から無機質な視線がこちらを刺してきている。
「保安官、お待たせしました。彼が
」
「ねいとサン、デスネ」
抑揚のない機械音で名前を呼ばれ、「……うん」と自信なさげに答えるしかなかった。逃れるように横を見れば、クレーンもどこか不安を帯びたような表情で。流石にそろそろ、ここまでぼかされてきた呼び出しの具体的な理由を訊かずにはいられなかった。
「あ、あのさ、えっと……どういうアレ?」
「オマエ……」
「……あ、あー……いやその」訊き方が悪かったような気もしなくはない。
「身に覚えは、ないんだな」
「覚えがないというか、覚えてないというか……」
うぇへへ、と
戯けてみても誰一人笑おうとすらしない。ネイト自身も段々と苦笑に変わっていって、虚無にただ空回りするだけだった。
クレーンの目付きが険しくなる。一度窺うようにジバコイルたちの方を見、そして、「いいかい、正直に答えるんだよ」鋭い剣幕で両翼を伸ばし、肩を掴んだ。
「
オマエ、ここに入る前は何をしていたんだい」
「え……!」
胸の奥に、嫌なものがざわつくのを感じた。
やましいことがあるわけではなかった。ただ、記憶喪失の身である以上、ネイトは答えを持っていないわけで。むしろそれはこちらが聞きたいくらいなのだけれど、なんて、呑気に言える状況ではないことはわかっている。
返答にまごついてると見るやいなや、クレーンはさらに眼光を絞り込む。
「……質問を変えようか。三日前の夜はどこにいた?」
「え、あえ、あ、みみ、みっか? 三日前って、あー、えーと、……あ、スリープ捕まえたとき?」
「……」
「……、ええっと。普通にギルドにいたと思うけど」
「ギルドで何をしていた?」
「なにって……食堂で夜ご飯食べて、部屋に戻って、それからちょっと喋って、寝たけど」
「それを証明できる人は」
「え、ええ……? でも寝ちゃってたし、誰が証明できるかってわかんなくない……? ……強いて言うならアベルとエキュゼ?」
可能な限り答え切っても、クレーンの黒目はしばらくネイトを捉えて離さなかった。
何かを疑われている。
この時、ようやく向けられたものが負の感情だということに気付いた。疑念の切っ先を宛てがって、怒りに似た煮えたぎるような激情が傷つけんと刃の形を成して、けれども、それを握る手は恐怖に震えている。自分という存在が、何らかの動因でクレーンをかつてない姿へ追い込んでしまった事実が恐ろしくなって、ネイトは逃げ場のない視界で目を逸らそうとした。
やがて諦めるように身を引くと、「くれーんサン、後ハワタシガ」データ保安官がふわりと近付いてくる。それに連動するようにコイルも一糸のブレなく動いた。
そういえば、彼らの役割って
。
「ねいとサン」
「あ、あい」
「例ノ
ぽけもん連続殺害事件ハゴ存知デスネ」
「…………十年くらい前からずっと続いてるやつ、だっけ」
いつだかの朝礼で被害の報告があったとかなんとかで、その詳細をアベルとエキュゼから教わったのを覚えている。通称、『
黒北風事件』。今になって掘り返してきた、と思うのは、翌日も立て続けに悪報が雪崩れ込んできたからなのだろう。てっきり渦中の話題は時の歯車かと決め込んでいたもので。
「コレマデ有力ナ証言ヲ得ラレマセンデシタガ、三日前ノ一件デヨウヤク被害者カラ話ヲ聞クコトガデキタノデス。犯人ノ種族、外見、ソシテ名前ニ至ルマデ」
いずれにしたって保安官が自分を呼び出す理由なんかあるだろうか。確かに、身元がわかっていないという意味では不審者
けれども、あれ? クレーンの言動を思い返しつつ、加えてジバコイルが事件について話している理由というか、まさか、もしや、つまり、この状況って。
「
ねいとサン、アナタニ逮捕状ガ出テイマス」
「な、」
確信と保安官の語末が丁度重なったところだろうか、反射的に出かけたリアクションを、一旦飲み込んで。
「なんだってぇ〜〜〜〜〜!?」 盛大に、ご丁寧に両手まで上げながら、遠慮なく全部ぶちまけたのだった。