ポケモン不思議のダンジョン 正義と悪のディリュージョン






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第2章 たくさんの『初めて』
第9話 黎明

 世の中の綺麗事を、綺麗事として認知しているポケモンはどれくらいいるのだろうか。勿論、目や耳に入ってくる情報のほとんどは表向けの話なのだから、きっと知っている者の方が少ないことは確かだろうと思う。
 正義の強者を夢見た少女もまた大多数側だった。名門と謳われる『プクリンのギルド』には、絵物語で見たような理想的な生活が待っていることを不思議と疑わなかった。

 そもそも「綺麗事」とは何か。
 例えば、例えば   暖かな日差しに瞼をくすぐられ、一日が始まる。朝礼に集まる仲間たちの眠たそうな顔を見て楽しむ。今日はどこへ探検に行こうか。前に調査したダンジョンの分かれ道が気になるな。準備のためにトレジャータウンへ向かうと、いかにもな荒くれ者に声をかけられる。「よおエキュゼ! 今日はカレシとデートかァ?」「うふふ、さあね? もっと素敵なことかも」気取った会話は日常だ。ダンジョンでは強敵と対峙して苦戦を強いられるけど、なんとか切り抜けた先にすごい発見をする。帰還したらパーティだ。たくさん褒められて、豪華な料理も振舞ってもらって、お腹いっぱいのまま寝て。夜が明ければ、今度は英雄として街中から賞賛を浴びて   


 閑話休題。
 様々な期待を燻らせて入門したギルドは、思い描いていた理想とは中々に懸け離れていたのであった。

「起きろおォォオオオオオオオアアアアアアア!!」




 チーム『ストリーム』が迎える二度目の朝。彼らはひどく疲れた顔をしていた。欠伸の一つでも出ればいくらか和んだだろうか、しかし爆音による耳痛で意識を現実へと引き戻された面々にそれだけの気力は残っていない。

「「「「「「「「ひとーつ! 仕事は絶対サボらなーい!」」」」」」」」「うぉらなーい」
「「「「「「「「ふたーつ! 脱走したらお仕置きだ!」」」」」」」」「しょしょいだー」
「「「「「「「「みっつー! みんな笑顔で明るいギルド!」」」」」」」」「るいギルドー」

 その中でも唯一マシそうなネイトは、覚えているはずもない朝礼の掛け声をやまびこ式で斉唱(?)している。前半はごにょごにょで完全に誤魔化し、ソロ部分には力が入ってなく、独り歩きが変に悪目立ちしまくり。隣の仲間は勘弁してくれと思いながら顔を伏せていた。

「さあみんな、仕事にかかるよ♪」
「「「「「「「「おおーーーーーーーーーーっ!!」」」」」」」」「うい〜〜〜」

 この野郎。わざとか。
 ただでさえ最悪な寝覚めを受けて不機嫌なアベルは口元を歪ませる。ネイトに悪意は無いんだから   エキュゼは宥めようとしたが、開きかけた口を閉じた。確か目覚めたアベルの第一声は「起きてすぐコイツの顔が目に入るの最悪だな」だったから、きっと不機嫌の根本はネイトにあるのだ。互いに理不尽の応酬だった。
 朝礼解散後の見えない険悪に割り込んだのはクレーンの声。

「お前たちはこっちだよ」

 昨日と同様に梯子に足を乗せるクレーンの背を見てネイトは振り返る。目が合うとアベルはため息をついた。エキュゼが申し訳なさそうに微笑む。当人は疑問符を浮かべる。
 ありふれた『仲間』、というのも、まだ遥か遠い理想らしい。


 変わらずまた失せ物探しか同等の雑用を要求されるのかと思いきや、どうもクレーンの立ち位置が昨日とは違う。踊り場を挟んで対に設置された二つの掲示板の、その右側の方で一番弟子のペラップは翼を畳んで待っていた。

「来たね。じゃ、今日はこっちの依頼をやってもらおうかな」

 広げた片手がボードの縁を軽く叩いて埃を飛ばす。
 わざわざこうして貼る場所を分けているのだから依頼の種類が全く異なるのだろう、ということは簡単に想像できる。そして、その違いは遠目でもすぐに理解できた。

「……これ、全部顔写真かな。みんな強そうだけど……」
「どうせロクでもないヤツらに決まってる」
「好きなポケモンを選んでね!」

 コルクボードの地を埋めるように散りばめられた用紙の一枚一枚に、見知らぬポケモンたちの顔が描かれている。ボケるネイトに「お前はどいつがいいんだ」と問うアベル。「フッ……選べないよ、みんな大好きだから」無言で側頭部を殴ると、空箱のような音がした。
 似顔絵自体は向こうの掲示板でも見かけた。しかしエキュゼは漠然と二つの相違を感じていた。こちらのポケモンは、共通点と呼ぶには根拠が弱いが、いずれも力を持っていそうな   悪い言い方をすれば粗暴な印象を受ける者たちが多い。対してあちらは子供など非力なポケモンが多かった記憶がある。
 神妙だったりそうでなかったりするネイトたちを見て、まずまずといった感じでクレーンは頷く。

「まあ……だいたいそんなところかな。そう、ここのヤツらは全員指名手配されてるお尋ね者だよ♪」
「お尋ね者……」
「やはりな」
「やっぱりね!」

 口を結ぶエキュゼの横でアベルがネイトにローキックをかます。どうも真面目というかなんというか。ひとまとまりにできない温度差の激しさには流石にクレーンも不安を覚えざるを得なかった。鼻から深く息をつく。

「いいかい。今日はオマエたちにお尋ね者を捕まえにいってもらうよ」
「「「…………」」」
「……モチロン簡単そうなやつ、選ぶから」

 スン……と目からハイライトの消えた新入りに、世話役は宥めるように言葉を付け加えた。
 いちいち落ち込む度に下手に出ていてはたまったもんじゃない。これではただの苦労人だ。クレーンは一旦彼らを御することを諦め、ひとまず諸々を押し付けられそうなポケモンを脳内の「命令しても大丈夫リスト」の索引から絞り出す。

「えー……そうだな。   おーい、アレス! アレスー!?」

 無言から僅かな逡巡を経て呼ばれた知らない名は、ネイトたちを通り過ぎてギルド内に大きく反響する。忙しい足音が格子の根元から聞こえてくる。振り向いてその登場を待つと、慌ただしい息遣いのビッパが踊り場の下から顔を出した。

「はあはあ……な、なんの用でゲス?」

 呼気も十分に整わぬままで、忠実な印象のビッパ   アレスは、独特な語尾を匂わせながらクレーンに指示を仰いだ。

「よしアレス。この新入りのことは知ってるな? ギルドとトレジャータウンの施設案内と、それからこいつらのお尋ね者選びを手伝ってやってくれ」
「りょ、了解でゲス!」

 任せた、とすれ違いざまに肩辺りを叩いて下の階へ去っていくクレーン。疲れの乗った深い息が、彼の姿が見えなくなってから聞こえた気がした。
 わがままが過ぎたのかもしれない。後ろめたい実情を隠すような機嫌の取り方はともかく、そもそも自分たちは修行の身なのだ。勘ぐるような目線を向け続けたことにエキュゼは嫌気が差してしまう。
 それから間も置かずしてソフトタッチを受けた肩をふるふるさせてアレスが涙を浮かべだすものだから、まずいことをしたかと酷く青ざめた。

「……あえ? どしたの?」

 故に切り出しを渋った二匹に代わってネイトが話しかけたのは好都合だと思った。……が、それは同時に事態が余計に悪化するリスクを抱えるということでもある。何せネイト。
 ところが、その涙の意味するところはもっと別の方面にあったのだ。

「うう……初めての後輩が出来て嬉しいんでゲス……。つい前まではあっしが一番下だったから……」
「あああそっちか……」
「あれね! なんだっけ、蒸し焼き」
「この状況からどうすれば調理の発想が生まれるんだ」

 嬉し泣き、だった。ネガティブな現実との直面を続けているせいか、まともな歓待は初めてのようにも思える。ひとまずエキュゼは安堵の息をついた。
 前足で顔を拭いてから、アレス、

「エヘヘ……情けない姿を見せて申し訳ないでゲス。施設の案内でゲスね? えーっと、じゃあまずはこの階から」

 くるりと方向転換すると、短い手で掲示板を指した。

「見ての通り、いろんな依頼がある掲示板でゲス。クレーンから聞いたかもしれないでゲスが、左が救助とか探索で、こっちがほぼお尋ね者関連に分けられているでゲス。またあとでじっくり見ることになるでゲスね」

 なんとなくそうだろうとはわかっていたことだが、やはり改めて正式な説明をもらった方が安心できる。何かと難癖を付けたがるアベルもムスッとしつつしっかりと聞いていた。
 続いてアレスは、ネイトたちの背後に目をやる。

「あれは編成所でゲス。大所帯のチームとかがダンジョンに行くメンバーを決める時に使うらしいでゲスが、最近じゃ滅多にないんで、とりあえずギルドの受付っていう認識でいいでゲス」

 ギャロップが付けるような蹄鉄型のコーナーには乱雑に多量の紙が積み重なっていて、その中心でふわふわと浮くチリーンが、のんびりと一枚一枚仕分けては下にあるバスケットへと落としていた。

「あそこのチリーンはジングルって言って、このギルドの弟子の一匹でゲス。優しくて、すごく頼れるお姉さんなんでゲスよ。何か困ったことがあったら相談してみるのもいいかもしれないでゲスね」

 「ぽ……」と頬を赤らめるアレス。効果音を口に出すほどだから相当ぞっこんなのだろう。
 ふと、作業中のジングルと目が合う。小さな手を揃え、上品さを感じさせる所作で微笑みかけてきた。エキュゼも背を伸ばして控えめに頭を下げる。反してアベルはブレずに睨みつけるような目線を向けるだけだった。ネイトに至ってはそもそも別のところを見ていた。
 そんな男児二匹の不躾を気付かれなかったのは唯一の幸いか。アレスは特に顔色も変えることなく、下の階へ先導した。

「ええっと、あっちには食堂があって、あそこが親方様の……あ、ああ、余計なお節介だったでゲスかね。ゴメンでゲス」
「ちょっとアベル……!」

 アレスが気まずそうに苦笑を浮かべた先には、敵意剥き出しに歯を食いしばった、見せつけるようなアベルの閻魔顔があった。声を落として注意するエキュゼに、語らず舌打ちだけで返してそっぽを向いた。
 面倒を親の仇であるかの如く嫌う。だからわかる、アベルは過程をすっとばして結果だけを求めるタイプだ。修行なんて肌に合う合わないの問題じゃない。彼に置かせた状況を、事の重大さを今更になって理解したのだった。
 エキュゼが小声で出したつもりの謝罪も掠れて途切れる。アレスもアレスで自信家気質でもなく、表情に申し訳なさを浮かべていた。最悪だ。まだ案内は残っているのに、顔の上げ方すらわからない。
 と、そこに。

「あい質問!」

 引っ張られるように左腕を高く伸ばして、手は大きくパーに開かれる。
 救世主として立ち上がったのは、なんと我らがリーダー、ネイトだった。

「…………」
「…………」
「…………」
「……。し、質問、でゲスよね?」
「…………あり? なんだっけ?」

 ズコー! 漫画ならそんな効果音が太字で書かれるような拍子抜けだった。この阿呆、天然というか、逆に空気を読めているというか。この割り込みに救われてしまったという現実が何故か悔しい。首を傾げて瞬きするネイトの横でアベルが頭に手を当てる。調子を崩されて参った様子だったが、突拍子もなく、ぬっと空いたもう片方の手を力なく前に伸ばすと、指先は一点を示していた。

「……あの気味悪い……あれ、アレは、なんだ」

 反抗的な態度から一転、ネイトに代わって出た問いは、ちょっとした感動すら覚える驚くほどまともなものだった。
 自室とは逆方向、食堂への通路前に、雑に切り出された石で囲んだ、何か施設らしきものがある。その中で、朝礼にも見かけたこの主らしきグレッグルが、毒々しい紫色の液体が入ったツボと飽きずに睨めっこを続けていた。アベルが気味悪いと称した外観は店主の顔を芸術的に模ったものだった。

「え、えーっと、あそこにいるのはトードっていうんでゲスが……。正直何をやってるのかはあっしにもサッパリなんでゲスよ」
「知らねえのかよ」
「うう……でも別に悪いポケモンではないんでゲスよ。それだけは確かでゲス」

 アベルはフンと鼻を鳴らして再び顔を背ける。が、しょぼくれたアレスの表情を一瞬横目で見やると、「次行くぞ」と不器用に返した。ちゃっかり先輩に対して同年代のような口調にはなっているが、これでも彼としては精一杯のフォローなのだと思う。
 困り眉が幾分か和らぐ。

「役に立てなくてゴメンでゲス。でもトレジャータウンの方はバッチリでゲスから! それじゃ、早速行くでゲスよ」

 比べて、アレスの方は謙虚というかお人好しというか。もし自分が先輩の立場であったのなら、「役に立てなくてゴメン」なんて下目なことを言えるだろうか。エキュゼはこの人を敬わなくてはならないと思った。




 そういえばまだ名前を聞いてなかったでゲスね、交差点を歩きながらアレスが言った。ネイトたちは素直に答える。アレスは名前を繰り返し口にすると、自身も名乗って「未熟者だけど改めてよろしくでゲス」と照れ笑いを浮かべた。
 自己紹介が済む頃には丁度よく目的地に差し掛かっていた。
 活気で賑わうトレジャータウンも、朝早くとなれば風の音を感じられるほど静まっている。通行人は疎らで、商人たちは店開きの準備やお隣さんとの世間話に勤しんでたり。
 茶色の足が止まって振り返った。

「さて! キミたちも知っているだろうけどここがトレジャータウンでゲス! 市場のイメージが強いかもしれないでゲスが、実は探検隊に役立つ施設がたくさんあるんでゲスよ」
「ほえ〜」

 欠伸のような相槌をするネイト。「お前はちゃんと聞いとけよ」とアベルが睨みを利かせる。

 最初に紹介されたのは市街に入ってすぐのところ、おどろおどろしい青鈍色から赤目が覗く『ヨマワル銀行』。その見た目とは裏腹にシステムはしっかりとした信用金庫であり、探検家に限らず多くの民間ポケモンが利用している。また、店主のヨマワルもこれまた変わり者らしく、アベル曰く「向いていないが適任」とのこと。

 続いて『エレキブル連結店』。複数の技を一つに纏めて繰り出せる技術「連結」を行ってくれる施設で、こちらは先の銀行とは反対に探検隊専用の施設だ。黄と黒の縞模様が目立つこの施設だが、店の顔は本日不在らしい。

 川を挟んで橋を越えた先、『カクレオン商店』はこの街で一番のポケだかりを作る人気店である。それもそのはず、販売している物が日用品からダンジョンで使える道具まで幅広く取り揃えてあるのだ。経営は兄弟で行われ、兄である黄緑色は食料や雑貨など一般向きに、紫色の弟は不思議玉や技マシンといった専門的な商品を、それぞれの担当で分けている。「私たちもお世話になってるね」とエキュゼ。

 その隣、トレジャータウンの一番奥にどっしりと構えているのは『ガルーラの倉庫』。道具の預かりと引き出しを専業とする施設で、こちらは特に定住していない探検家たちに重宝される。その有用性と店番のガルーラの人情に厚い性格が評判である。お子さんの可愛らしさも人気の一つなのだとか。

 ひとしきり語ると、アレスはふぅと息をついてネイトたちへ向き直った。

「まあ、だいたいこんな感じでゲス。……というか、その様子だと二人は知ってたみたいでゲスね。もしかしてこの説明も余計だったでゲスか……?」
「まあ」「まあじゃない! あ、あの、助かりました! 私も全部はその、知ってたわけじゃなかったので」
「わかんないけどわかった気がする!」

 エキュゼの頭に浮かんだのはギルドでの非礼。咄嗟に不服そうな生意気キモリを退ける。並んだダブルスマイル光線にはアレスも思わず笑みをこぼした。

「エヘヘ……とりあえずわからないことがあったら何でも聞いてみるといいでゲス。それじゃ、あっしはギルドで待ってるでゲスね。準備ができたら一緒にお尋ね者を選ぶでゲス」

 そう言って交差点の方へと去りゆく先輩の背中を見届けて、エキュゼはへたりと小さい耳を垂らした。疲れた。無差別に刃物を振り回すようなアベルの言葉遣いには長年の付き合いとはいえ辟易する。
 「なにすればいいの?」一言で話を理解していないことが確定したネイトは放っておくとして、見上げると、アベルは反省の気配もなく渋い顔を続けていた。

「……あのゲスゲス言うのに悪意を感じる、腹立つ」

 自覚はあったらしい。




「リンゴをみっ……いや二つ」
「はあいどうも〜♪」
「やっぱ三つで」

 トトン、トン。手頃なサイズのリンゴが三つ、カウンターで真っ赤な色艶をアピールしている。
 準備といっても、前述の施設を全て巡る必要があるわけではない。お尋ね者の逮捕には何を持っていけばいいか、相手はどのようなポケモンなのか。ダンジョンの特性は? そもそもわからないのだ。

「おい馬鹿、バッグ開けろ」
「あ! アッポォウじゃん!」
「知性を見せるな」

 腕いっぱいに果実を持ったアベルが『カクレオン商店』の列の先頭から出てくる。対策を講じられないままなんとなく無難に食料を買ってみたが、正否を知る者はいない。

「よくよく考えたら最初に依頼を決めた方がよかったのかも……」不安が顔に滲むエキュゼ。
「やはりゲス野郎だったか」
「ん? 今日やるのってなんか聞きに行くことじゃないの?」

 唖然。
 ネイトに理解力なぞ求めるべきではないことは既に承知していた。ただ、程度を甘く見ていた。まさか『お尋ね者』を『お尋ねしたいのですが者』と曲解していたとは。とんだ訪ね違いである。
 「あのな、」苛立ちを乗せたバスの音域が助走をつけようとしたとき、ギスギスとは合わない可愛らしいソプラノボイスが近くに駆けつけてきたのだった。


■筆者メッセージ
 アベルの毒舌……書いてて気持ちいいです♪
 次回の戦闘描写……どうなっちゃうんでしょうね……。

 2020 8.10 改稿
アマヨシ ( 2013/09/16(月) 01:55 )