第8話 湿気
ギルドから南東方面、海岸に沿って進んだ先にある湿地帯。そこに依頼主のバネブー
リングの真珠が目撃されたダンジョン、『湿った岩場』は水音に囲まれて佇んでいた。
到着した一行はダンジョンを見るなり顔をしかめた。入り江のごとく左右に配置された岩は真ん中に通り道を作っていて、そこから溢れる生ぬるい湿気の風が内部の様子をなんとなく想像させる。お世辞にも、いい気分ではない。
「ここが?」
「地図見ろよ」
アベルに言われて骨ヘルメットの中から地図を取り出すネイト。湿気のせいもあってか、新品なのに使用済みのちり紙みたいにくしゃくしゃになっていた。アベルとエキュゼはさらに落胆した。
「……あっ! これ! 雲が晴れてる!」
ネイトが喜色の声を上げて示した場所には、確かに出発前には見なかった岩たちの模様と、ここへ来るまでの沿岸の道のりが一筆足されていた。「ホントだ……!」沈みかけていたエキュゼも思わず目を輝かせる。まだ何も始まっていない段階だが、それでも自分たちの軌跡が形として記録されることは嬉しかった。
「とりあえずさっさと見つけて帰るぞ。こんなところ長居したくねえ」
「う、うん!」
「あいさ!」
あまり乗り気とは言えないアベルの言葉を火付け役に、二匹は初探検らしい前向きな返事を見せた。いくらか不満はあれど、これが記念すべき一回目の仕事であることには変わりない。だから、昂ぶる気持ちも嘘ではないのだ。
彼らは感慨ある一歩を踏み出す。
瞬間、一層強いジメついた風が岩場の間から吹き付けた。一歩引いて、立ち止まる。
「帰る?」
「帰るか」
「えええっ!? 待ってよ!」
本心で言えば、エキュゼも便乗したかった。
「キェエエエエエ!!」
「ぎええええええ!!」
突入から間も無くして、敵ポケモンとネイトの悲鳴じみた叫びがダンジョン内に響いた。戦闘開始の合図。炎タイプとしてはやりにくいことこの上ないが、腹を括ってエキュゼは戦闘態勢に入る。濡れた地壁など気にしていられなかった。
「うっせえ」
「は、離れてネイト!」
アベルの悪態を掻き消して、エキュゼは未だ見えていない相手に向けて″火の粉″を繰り出す。湿気で思ったように火力が出なかったものの、ヒットの感触はあったように見える。近づいて確認してみると、そこには慌てて鎮火を試みるカラカラとアノプスの姿があった。
「ああああごめん!」
「ざまあみろ」
しゅう、と煙を上げて倒れるネイトへ猛烈に土下座するエキュゼ。その横を素通りしたアベルが尻尾で″はた″いてアノプスをダウンさせる。ひとまず難は去った。
「燃やしたと思ったら燃えてた……」背中の焦げ目をさすりながらネイトが起き上がる。
「隊列を考えるべきか」一仕事終えた感じで戻ってきたアベルがいつになく真面目な口調で言った。
「あっ……うん。そうだよね」反省も程々に顔を上げるエキュゼ。
入るたびに形を変える『不思議のダンジョン』だが、ランダム性の中にも共通点はある。そのほとんどが通路と大部屋の二要素で構成されているということだ。
特に通路においては敵と遭遇した際に後衛が戦闘に参加できないことが大半であり、隊の先頭は負担を強いられることとなる。故に、前線に適しているのは一対一の連戦をこなせるタフネス、もしくはそのダンジョンの相性で優位に立てるポケモンが望ましい、わけなのだが。
「多分だけど水を好むポケモンが多い気がするから……一番前は、アベル?」
「やなこった」
「なんで!」
言い出しっぺがこう、あたかも当然の権利であるかのように拒否してくるのならば話は別である。む、とエキュゼは口を尖らせた。
しかし、アベルの抵抗はこの程度では止まらなかった。
「いいか。世の中ってのは、誰かが苦しんだ分だけ誰かが楽になるようできてるんだ。俺たちがこうしてクソみたいな仕事をしてるおかげで楽してるヤツもいれば、俺たちが寝てる間に星の裏側で働いてる馬鹿が世の中を回してたりしてる。そういう風にできてる」
「……うん。ちょっと口が悪いけど」エキュゼは一応頷く。
「ここで俺が先頭に立てば攻略は楽になるかもしれないし、ネイトも楽できるだろうな。俺はただ苦しいだけだが、それでもお前らは楽になれる」
「そんな言い方しなくても……」
「
だがそれは、本当にアイツのためになるのか?」
「え?」
単なる屁理屈かと半分くらいは聞き流していたが、突然の確信めいた口調にハッとさせられる。アベルの表情は真剣そのものだった。
「アイツは探検隊どころかポケモンという身も慣れちゃいないだろ。俺に任せっきりにしてこの場を凌いでも、その後は? ヤツはこの世界で生きる術も常識も何も持ち合わせていない」
「…………」
ネイトは自身を『人間』と名乗った。それが本当かどうかはともかく、彼が記憶喪失の影響も併せて生まれて間も無い赤子と同程度の知識しか持っていないのは事実だ。エキュゼはすぐには言い返せなかった。話の切り出し方がめちゃくちゃだっただけに、いきなり核心を突くような疑問を投げ出されては気持ちが追いつかない。
一考の価値はあるのだろう、とだけ思った。
しかし幼馴染は伊達ではない。十年来の付き合いから、アベルの真意は彼女に筒抜けだった。
「幸いにも今やらされてるのは簡単な依頼だ。この感じなら敵も大したことないし、慣らすなら今がまさにもってこいだろう。そう、長い目で見れば
」
「サボりたいだけでしょ」
止まることを知らないような流暢が、ぴしゃりと存在感を放った少女の低音に動きを止める。
アベルは納得いかないとでも言いたげに両腕を広げて首を振った。
「俺は真面目だ」
「サボりたいだけでしょ」
「だが、間違ったことは言ってないだろ」
「サボりたいだけでしょ」
「……」
「サボりたいだけでしょ」
「はい」
何のひねりもない連呼に、策士は屈した。
昔からそうだった。会話を自分のペースに持っていってからもっともらしいことを並べて自分の主張を押し付ける。一から百まで全て嘘というわけではないのだろうが、見え透いた本心を野放しにするのはエキュゼとしても不本意だった。
「そもそも私たちだって初心者じゃない……そんなこと言ったら流石にネイトだって困るよ。……あれ、ネイトは」
ふと、話題には上がっていたのに相槌の一つも返さなかった仲間の存在を思い出す。知らん、と、先とは正反対の言葉少なでそっぽを向くアベル。気に掛けるような態度は全部嘘かい、とも突っ込んでる暇はなかった。
背後に感じた何者かの気配。エキュゼは恐る恐る振り返る。
もっちゃもっちゃ。
「あああーーーーー!!」
もっちゃもっちゃもっちゃ。
「あ、ああ、アベル! 食べられてる! 食べられてる! ネイトが!!」
「ははは」
もっちゃもっちゃ。カクカクと手足を小刻みに痙攣させるカラカラの、その首から上には何やら奇怪なものが覆いかぶさっていて。水辺から腕を伸ばしたリリーラがネイトから生命的なアレを吸い取っていることをアバウトに理解したエキュゼは、パニックも程々にアベルを投げつけてなんとか事なきを得たのだった。
「で、何故俺は前に立たされてる」
ダンジョンに入ってから三つめの階段を下りて、襲い来るポケモンを黙々と倒していたアベルが、開口したかと思えば今になってそんなことを尋ねた。エキュゼは「もう半分くらいだから」と流す。対するアベルも答えは求めていなかったらしく、視界に映ったカラナクシを″すいとる″の先制攻撃でダウンさせた。尋ねた、というよりも、自己矛盾の心の声に声帯を絞られたようだった。
「いい、ネイト? 勝手に離れると、その、何かあったときに助けに行けないから。なるべく固まって歩くようにね!」
「ういういうい〜」
無言の快進撃が屍を積み重ねていく裏で、エキュゼとネイトはひっくり返るほどのほのぼので通路を進んでいた。そのやり取りはさながらピクニックに出掛けた姉弟といったところか。弱気な彼女でもネイト相手なら物を教える立場に出られると考えたのだろう、世話を焼きながらも表情はどこか楽しそうに見える。
ネイトはエキュゼを挟んだ先を指差す。
「あれはいいの?」
「あれはねえ、いいの」
「いいわけねえだろクソが代われ」
散々いいように扱われれば誰だって機嫌は傾く。もう何体目にもなるカラナクシを水路に蹴り落としたアベルは、深く息をついてネイトの横を過ぎる。すれ違いざまに肩を押して、前へ出るよう促した。これ以上やる気はないという意思の表れだろう。顔を見合わせた姉弟ごっこは困ったようにニヒヒと笑った。
やがて。
地下六階をさらに下ると、V字に広がる部屋に辿り着く。今までに嫌という程見た枝分かれの道は無く、どうやらここが『湿った岩場』の奥地らしかった。
「今七階だから……情報によれば、確かここにあるはずなんだけど」
「おりょ? あそこなんか落ちてない?」
行き止まりの壁からは絶え間なく海水が流れ出ていて、その下には長年かけて形成されたであろう海水溜まりの窪みがある。両脇の丸みを帯びた段々状が溢れた水の逃げ場になっており、そしてそれが恐らくダンジョン中に染み渡って循環している、のだろう。
そんな自然のシステムに囲まれた地面の真ん中に、目当ての球体は律儀に鎮座していた。「あった!」さっきまで少し背伸びしていたエキュゼが、今度はネイトに負けない無邪気で跳ね飛んでいく。
「何故盗まれた物があんなところにある」
「あ。アベルいたんだ」
「結局俺が働いた意味無かったじゃねえかカス」
アベルは吐き捨てるように言うとこちらに背を向け、それから何も喋らなかった。
先頭を交代したあとのダンジョン攻略は最初の誤射を見るに苦戦を強いられるものだとばかり思っていたのだが、これが意外につつがなく進行したのである。ネイトより先にエキュゼが敵を感知することで正面を警戒させ、後は先制を取り二匹がかりで攻撃して倒す。もはや簡単な作業になりつつもあった。前日のようにネイトが妙なボケに走ることもなかったため、順調過ぎる進行はアベルを卑屈にさせるのに十分だった。
口角を上げたエキュゼが六尾にバネブーの真珠を乗せて走ってくる。それからホッとした様子で大きく息をついた。
「ふう……見つかってよかった。後はこれを持ち帰るだけなんだけど」
「うん」
「バッジの転送機能を使えばダンジョンから脱出できる……って聞いたんだよね。ネイト、ちょっと出してみて」
うい、と気の抜けた返事をしてこめかみに手を突っ込むネイト。記憶がないならバッジの使い方や存在を知らないのも当然かもしれないが、それにしたって真っ先に物を保管する場所として骨ヘルメットの内部を利用しようというのはちょっとわからない発想である。苦笑とも引き気味ともいえない微妙な面持ちでエキュゼは眼前の奇行を見ていた。
「これ?」
「うん。…………あっ、ここかな。真ん中の模様がボタンになってるみたい」
バッジのデザインは実にシンプルだ。二重丸に横棒一本引いて、それにおまけ感覚で対の翼が付いている。エキュゼは中心の円を前足で示した。そこだけ綺麗な赤色になっていて、言われずとも触れたくなるような見た目をしていた。
「わかった!」ネイトも理解できる親切設計。彼の手は転送ボタンへとしっかり迷わず伸びた。
しかし、「待って」。制止の声がカラカラから疑問符を引っ張り出す。
「あの、さ、転送って、その」
「うん?」
「……どんな感じなのかな、って」
「なんかすごい感じなんじゃない」
「す、すごい感じかぁ……」
テキトーな調子で出したテキトーな答えを、エキュゼは思い悩んだ様子で繰り返した。問うたところで知ってるはずもないことは訊いた本人もわかりきってるだろうに。なんなら言葉の意味すら曖昧な認識かもしれない。だからこそ、ネイトは考える間もなく、エキュゼが転送機能に対して不安を持っていることを察した。
背中に湿気った空気が当たる。
「歩いて帰ってみるゥ〜〜〜ン?」
「な、なにその言い方…………いや。大丈夫、頑張る」
思い出したかのようなボケ口調を目の前にすると、エキュゼも気が緩んだツッコミをしてしまう。しかし、一度流れ落ちた緊張感は戻ってこない。決心をつけるなら今が好機だった。
「よし……五つ数えたらボタン押そう。じゃあいくよ……」
未知の体験に備えて一つ深呼吸。「いち」カウントを始める。何が起こるか見当がつかないという点ではネイトも同様だが、バッジの中心に指を当ててる間も彼の表情に変化はなかった。最初から記憶なしでやってる強者は流石に肝が違う。
「さん」三つ目のカウントを数えた、その時。
「じれったい押しゃいいだろこんなん」
「あ、ちょ、」
いつの間にか側に立っていたアベルがネイトの手からバッジを奪い取って、なんの躊躇いもなくボタンを深く押し込む。
「まっ」
直後、ネイトたちの体が白い光に包まれたかと思うと、一瞬のうちに姿は跡形もなく消えていた。
エキュゼの単発スタッカートの余韻だけを残して。
「ありがとうございます! ワタシ、あれがないと落ち着かなくて……本当に助かりました!」
リングと名乗ったバネブーは、薄桃色の真珠を頭に乗せ、螺旋状の尻尾で忙しなく跳ね続けていた。
不意なアベルの気まぐれによってダンジョン前に転送された『ストリーム』はその後、一気に落ち込んだエキュゼを除いては無事に帰路を辿ることができた。そうしてギルドに戻り依頼の達成をクレーンに報告すると、なんらかの手段で連絡を受けたリングが直接真珠の回収に来てくれたのである。
掲示板を背にひたすら跳ねるリング。盗まれる、というより今にも落としそうな勢いだが。……これは落ち着いている状態なのか? アベルは悩ましげに腕を組んだ。
「ううん、報告の通り『湿った岩場』の奥にあったから。……あれ、盗まれたんだよね?」
「はい! ですが真珠には強力なサイコパワーを溜めていたので、多分それに耐えきれず捨てに行ったのだと思います!」
「さ、サイコパワー!?」
惜しみない感謝の念で笑顔を取り戻したエキュゼに降りかかってきたのは驚愕の事実。視界の端でアベルがギョッとしたのが見えた。ネイトは「ほぇ〜」と何一つ理解してないようだった。
「最初は些細なもんなんですよ。なんだか肌がちくちくしたり、ちょっと痒いなぁ、程度で。でも段々と、目眩がしてきたり、異常に汗をかいたりしてきて、最終的には」
「さ、最終的には……?」
「頭がおかしくなって、死ぬ」 後ろで談笑していた探検隊ごと、しん、と、静まり返った。
……おい、どうしてくれるんだよこの空気。無表情で場を凍らせたバネブーへ冷ややかな視線を送るアベル。直で尻尾に触れていたエキュゼなんかは異邦のロコンみたいに真っ白になっているし、初依頼ということで付き添いに来てるクレーンも咳払いすらしようとしない。背中に浴びる注目が痛い。こんなことになってる内にも、リングはびょんびょんと跳ねていた。
時が動きだすきっかけとなったのは、唐突に「くしゅん!」と出したネイトの場違いなくしゃみだった。
「ちょっと触るくらいなら大丈夫ですので♪ 怖がらせてしまってごめんなさい! あ、これはほんのお礼です。受け取ってください!」
「あ……はい……どうも」
すっかり消沈してしまった面子を嘲笑うかのような底抜けの明るさで、ずっしりと重量感のある紙袋が手渡される。怖がらせたのは絶対に悪意だと思う。このキャラが、この人がわからない。エキュゼは混乱したまま礼品を確認した。
「…………。……え! こんなに!?」
しかし内容物を見て仰天、袋から戻ってきた目は驚きを通り越して輝いていた。一瞬にして覆った評価に、ネイトとアベルも紙袋の中身を覗く。
底に綺麗に整列した琥珀色のビンが各種。そして、その上に陣取っていたのは、まるで埃除けのように散らばった金貨の束たちだった。
「これ、ダンジョンでも見たやつ!」
「五百、千……二千ポケくらいはあるか」
眩いほどの金色に目を細める二匹。「ポケ」とは、この世界で使われているお金の単位であり、それが二千となると、高額で取引される純金製のリボンの売価と肩を並べるほどで、つまるところ大金だった。
「え、え、これ、全部私たちに? いいの?」
「真珠に比べれば安いもんですよ。いやあ本当にありがとうございました! ではワタシはこの辺で!」
ニヤケ顔を必死で噛み殺すエキュゼに、リングは満足そうにもう一度頭を下げた。そんなことしたら落ちるだろうと思いきや、耳に挟んだ球体は物理法則を無視してぴったりとくっついている。例のサイコパワーとやらか、あるいはもっと知り得ない謎の能力があるのか。そんなことを考えているうちに、顔を上げたリングは格子に向かって跳ね進んでいた。
依頼主の姿が見えなくなってから、クレーンは喉を鳴らす。
「……あー、うん。まあ、お客さんにも色々いるからね。あんな感じの個性的な人もいるし、もっと厄介なこと言い出してくるのもいるよ。最初のうちに体験できたのはむしろラッキーだと思いな。あとヨダレ拭きなさい」
言われて気付き、エキュゼはハッと急いで口の端を拭った。
しかし多額の報酬に呆けるのも無理はなかった。ここに入る前は貧乏とまではいかなかったが、決して贅沢できるだけの財力があるわけではなかったのだ。幼少期に少しずつ溜め込んだ金を持って家を出たあとは、近場の農家の手伝いやポケモンニュースの配達でなんとか生活を保てるくらいだった。
それがたった一回の依頼で、一月分もの給金が得られたと聞けばどうだろう。探検隊という職に対して消極的だったアベルもこれには高揚せざるを得なかった。
なのに。そうだのに。
「マ、それはともかくとして。ちょっと見せな」
「……うん?」
青い翼が、ス、と紙袋の中を掬うように掠めた。羽先に握られていたのは大量のポケ。ちょっとした隠し芸の思わぬ披露に「おお!」とネイトが子供らしく喜ぶ。怪訝そうに見つめるエキュゼとアベルも、勝利の酔いが目隠しを後押ししたため微笑ましいとすら思った。
だからこそ、クレーンが何のつもりで動いたのかを想像すらできなかった。
「…………うん。オマエたちはこれくらいでいいかな♪」
ポン、と何もわかっていないネイトの手に、すっかり痩せて帰ってきた報奨金が握らされる。
手を開く。焦燥を目に宿した仲間が食らいつくように顔を寄せる。
二百ポケ。愛しき我が子は邂逅からたった数刻で十分の一にまでその身を削られてしまったのだ。
「なんか少なくなってなあい?」絶句する二匹をよそに初歩的で当然の質問で返す馬鹿。
「ほとんどは親方様の取り分だからね。これも修行のうちだと思って我慢しな。……ほらそこ! 不満が顔に出てる!」
ダンジョンへ向かう前、アベルは言っていた。「ヤツらの思う壺」「どうせ搾取される」と。エキュゼはいつもの戯言だと思って聞こうとはしなかった。だって、あまりにも探検隊とは結びつかない言葉の羅列だったのだ。けれども今となっては、彼の想像した未来が現実という形でしっかりと共有されている気がした。
「いや、まあ……ギルドの運営だってタダじゃないんだよ。分け前が少ないってのはよく言われるが、仕方がない。さ、そろそろご飯の時間になるから、それまで自分の部屋でゆっくりしてなさい」
「うえい!」ネイトはやはり無知のままで元気よく応えた。記憶なしで未知の世界に挑戦している癖に大した根性である。これでは無知というより無敵だ。
クレーンが諭すような口調で言うのはこれが本日で二度目だった。よほど酷い表情をしていたのだろうか、明らかにベテランの風格を醸し出している相手を弱気にさせてしまうのは却って申し訳なく思う。エキュゼもアベルも、その不満を声に出すことはできなかった。
背中にやるせなさを塗るだけにして、梯子を下りていった。
が、しかし。
部屋に戻った『ストリーム』は、暗いというよりどうも悩ましげな様子だった。
「一日の収入は二百前後」
「うん」頷くエキュゼ。
「衣食住完備」
「そうね」
「値打ちは不明だがそこそこしそうな探検隊スターターキット」
ここまで一挙すると、アベルは息を深く吸って、少し言い淀んでから口にした。
「……クソが。割と悪くねえ待遇じゃねえか」
「そうなんだよね……。正直、前よりはいいかもって思ってた」
「いぇ〜いパチパチ〜♪」
「黙れ」
コイツを除けばな、含みのある視線は嫌味を隠しきれていない。エキュゼは苦笑いを浮かべた。ネイトは不可解な存在ではあったが、それは決して不快ではない。アベルだって本気で嫌っているのならば話題に出すこともないし、そもそもこうして共生することは全力で拒むはずだ。側の彼女は確信すら持っていた。
「というかお前、自分の立場理解しとけよ。身元わかったらとっとと追い出すからな」
「うそん!?」「本気だったの!?」
「…………」
二対一の反応で生まれた無言が、一筋縄で進まない先行きを暗示している。