第20話 幻視の謎
「
なんと! お主たちそんなところから流されてきたのか!」
びしゃびしゃに濡れた地図を指でなぞって説明すると、コータスは大層驚いたようで長い首をさらに伸ばしていた。摘むような指先で「二センチくらいの旅!」と馬鹿が割り込む。尺度というものをわかっていない。
話によると、ネイトたちの落ちてきたこの湯場は、調査に来た大滝から南東へ二センチ(ネイト寸)に位置する温泉のようだった。滝の裏のダンジョンを攻略するうちに段々と近付いていったのか、思い出したくもないあの暴力的な水流にどれほどの間流されていたのかなんて見当もつかないものの、とにかくダンジョン地下の水路とこの温泉とは繋がっていたらしい。
得られたものがそんなどうでもいい情報のみである事実に加えて、さらにアベルたちを惨めにさせたのは偶然ここに居合わせた存在だった。吹き上げられ落下した彼らに駆け付けたヒメグマは、心配より先に開口一言、「あれ? 貴方たちサメハダ岩の……」と、不思議そうに零した。知り合いだった。ここのヒメグマとリングマは、アベルとエキュゼがギルドへ弟子入りする以前にトレジャータウンで顔見知りだった相手で、会話など交わしたことはなく、つまり、これが初のコミュニケーションとなる。あまりに間抜けでアベルはまともに顔を見れなかった。
そんな内情を知ってか知らぬか、年寄りらしいコータスは深く同情するように何度も首肯をくれた。
「まあまあ、それは大変だっただろうに。せっかくじゃ、ここで一休みしていくとよかろう。うんうん、そうせい」
「一応業務中なんだがな」
「おお、そういえば探検隊だったかの。だったらなおのこと休んどくとええ。ここの温泉は肩こりや滋養強壮に効果があるでの」
「……全く」
聞く耳なしか、と老人への悪態を浮かべつつも、悪意のない気遣いは無下にしきれず、アベルは居場所のアテを探すように仲間の方を向いた。エキュゼとヒメグマが何か話している。
「まあ、探検隊ですって! 良いじゃない! 花形の職業だもの」
「は、ははは……まあいざやってみるとセコ……厳しいなって感じなんですけど……」
なんだかいい雰囲気である。他者を苦手とするエキュゼが知らず知らずのうちに溶け込んでいるのを見て、アベルは妙にひとり疎外感を覚えた。迷った視線が辿り着いた先はネイトだった。「わあい!」温泉で泳ぎ出したアホたれを鉄拳制裁で沈める。
はあ、と湯の底へ腰を落ち着けるアベル。心中とは正反対に堪能こそしてみれば心地よいものなのだ。立ち上る熱気が冷えた横顔に染み入る。
見上げれば、西日を欠片も感じさせない、清涼とした水色が澄み渡っていた。
して、家路を思う。大分流された、日が暮れるほどではないにしても、行きよりかは多く歩くことになる。冷や水に揉みくちゃにされた疲弊の身で重い腰がそう簡単に上がるはずもなかった。
…………。
なんなら、良いと思う。時間的な余裕があって、それを滋養に充てられるのならばむしろ効率的だ。咎めようものならそっちが間違っているまである。反論できる。そもそも黙っておけば問いただされることもないだろう。うん、そうだ。そうだ仕方ない。老人に無理くり勧められた上にチームメイトまで乗り気というのだから俺は悪くない。それはもはやどうしようもなく、そう、だから、なんというか、ああ、ああ……、……あー…………満たされる……。
アベルは諦めた。無責任でノンデリカシーの彼が一時でも仲間を纏め上げようとした奇跡は、温泉という極楽浄土を前に簡単に砕け散った。
そうして、幾ばくか経ち。
無印の空模様に、白く気流の跡が残っている。薄雲の削り節も眺めるうちに視界の隅へ追いやられていった。天を仰ぐだけでも時間は潰れるものだなと、気が付けば話し声一つない閑静となっていた湯客の方に目を遣る。いつの間にやら隣で空を見ていたネイトと目が合った。先に逸らしたのはネイトの方だった。僅かにずれた視線を追うようにアベルは振り向く。話題を尽かして若干気まずそうなエキュゼがいた。居場所を求めて右往左往していた顔はすぐに仲間の視線に気付いた。エキュゼは一度申し訳なさそうにヒメグマの方を向いて、笑顔の了承を得ると、さりげなく湯船を漂うようにして二匹の元へと戻ってくる。と、同時にその二匹にも微笑みが送られてきたので、アベルとネイトも軽く会釈した。
並んで顔を見合わせると、最初に口を開いたのはエキュゼだった。
「……ねえ、結構長居しちゃったけど大丈夫なの、時間」
「随分前には言おうとしてたんだがな。誰かさんが話に夢中だったもんで」
「ご、ごめん……」小さく俯いてしょげる小狐。濡れそぼった毛並みがほっそりとした輪郭を浮かばせていて、骨ばった下顎と、カールがかった前髪は崩れて後頭部に垂れ、落ち込みもあってか酷くみすぼらしく見えた。
ネイトが言う。「今まで調査してました、ってことにしたらいいんじゃないの?」アベルもそのつもりだったが、ボケ魔が同じ考えに至るのは嫌なシンパシーを感じてしまうというか。「……お前は何してたんだよ」半ば八つ当たり気味に尋ねた。
「僕はポケモンしてるよ」
「落とし穴落ちた後どうしてたかって聞いてんだカス野郎」
「たとえ大変な目に遭っても、僕がポケモンという個性を捨てることはないのサ……!」
湯が波打つ。「う゛っ」文字通りの水面下でみぞおちパンチを食らって背中を丸める馬鹿。「い、言います……」なんだか罪人の告白のようになってしまった。
「えーと、まず起き上がるじゃん」
「そこからなんだ……」
「そのくだりはいらん。要点だけ話せ」
んえー、とネイトは若干不満げな声を漏らす。語るにしたってさした冒険譚ではないだろうに、躊躇いつつ腕を組んで考えるような素振りを見せる。
「……なんやかんやあって、罠?を踏んじゃって」
「罠って……確か三階か四階の」
「あれやっぱお前だったのか」
ダンジョンの攻略道中で一段と奇妙な具合になっていた部屋があったことを思い出す。露出した起動済みの『くっつきスイッチ』が二つに、かつては罠の体をしていたであろう謎に空いた円形の穴が一つ。問題は明らかに後者の方だが、案の定というか、珍事あるところに彼の影はあるようで。
「なんかすごいベタベタになって」
「うん……」「それで」
「むきーっ!ってなったから、隣に倒れ込んだら、なんかぐるぐるし始めて」
「ぐるぐる?」「……」
「そしたら身体が引っ付いて取れなくなった」
「……」「……」
呆れと驚嘆が混じって言葉が出なかった。世の中作り話はごまんとあれど、当人の体験談に勝るものはそうそう転がっていない。どちらかといえば悲惨な事故に分類されるべきだが、自業自得な気がしなくもない上に、ネイトの絵で想像すると一連の流れが間抜けに見えてくるのだから、不思議と二匹に同情は湧かなかった。
「それでさあ、」しかもまだ肝心な部分は残っているのだという。
「すんごい回り出したと思ったら、なんだか沈んできちゃってえ」
「……気分が?」
「え? うーん、それはあんまし関係ない気もするけど」
「い、いや。そうか、そうだな……」アベル、貴重な動揺。
一拍置いて。
「ともかく、気付いたら結構深いところまで来てた」
「…………、それって、こう、回転のアレで掘り進んで……」
「たぶんそう!」
「……私たちの真上まで?」
「そゆこと!」
今度はエキュゼが沈む番だった。あまりの現実離れにふらっとした拍子、どぷんと横から熱湯に倒れ込んだ。アベルが子ニャースでも摘むように首根っこから引っ張って掬い上げる。乾きかけて丸みを取り戻しつつあった前髪は再びへなんと萎れ、代わりに湯気が立った。
「これが冗談じゃないんだからすごいよね……」首を回して水気を飛ばすエキュゼ。顔の横に手をかざして飛沫を防ぐと、「存在が冗談」短くアベルも続いた。ネイト本人は何もわかってなさそうに半笑いを返していた。不慮の事故で四層分ぶち抜いたポケモンとは思えない所作である。
「どうせ何も考えてねえんだろ、湯呑みなんたら落としのくだりも」
「ゆのみってなんのこと? あ、温泉繋がり?」
ばしゃ、と黄緑の手が叩きつけるように湯を飛ばした。「聞くんじゃなかった」。アベルは深くため息をついて腕を組む。「目に入った……」その応酬に目元をくしくしと擦るネイト。順当、とでも言いたげに、エキュゼは瞼を閉じて我関せずの応対を取った。
煙のような薄雲が、空の青に溶けて消えようとしている。
水難の果て、新米探検隊が転がり着いたのは秘境の泉地だった。想像していた成果こそ逃しはしたものの、一つの冒険の終わりを噛み締めるように、彼らは掴み取った安らぎへ身を委ねる。時間ホントに大丈夫なんだっけ、探検が長引いたってことにするから合わせろよ特にお前、あいあい〜ん
出会ってから長らくなかった三匹だけの時間がゆるりと気ままに流れていった。
「
と、いうわけで! 色々あったけど『僕たちのワクワク日帰り温泉旅』は無事に楽しく終わりましたとさー! めでたしめでたし〜」
「おい」
「そんな気はしてた……」
暫しの休息を満喫してギルドへと戻った『ストリーム』は、滝の調査報告のためクレーンの元を訪れていた。
「温泉、云々はまあ、ちょっとアレだが……ともかく、滝の裏にはダンジョンが隠されていたと」
「そうです!」「命がけだった」エキュゼ、アベル、必死のフォロー。
「そしてそのダンジョンの奥には宝石があったと」
「で! なんか流されたからみんなで温泉を楽しんぐぎゅごぎゅ」
「もごご……!」余計な口を二匹がかりで塞ぐ。このネイトというポケモン、馬鹿正直というよりかはとんだ裏切り体質である。オマエたちの行く末が心配だよ、クレーンが頭を抱えて言った。
が、一番弟子。悩ましげに側頭部に当てていた羽先を戻すと、ふと我に返って今度は下嘴にやった。
「はあ。しかしよく考えると……いや、よく考えなくても大発見なんじゃないかいこれは。あそこに洞窟があるなんて噂ですら聞いたことなかったし……」
「ほ、ホントに大発見……!?」
「どうせ知ってるヤツは知ってるとかだろ。現に変人が一人来ていた」
「アレは僕が倒したからいなかったことにできない?」
黄色の瞳が面倒くさそうに睨んだ。「じゃあ先に情報流してたヤツらはどうすんだよ」「それも僕が全員倒せば……」アベルが脇腹を小突く。「サイコ野郎がよ」うぇへえ、とネイトが照れる。何が誇らしいのだか。
そんな茶番を他所にクレーンの口調は熱を帯びつつあった。
「い……いやいやいや! これは大発見も大発見だよ! 探検隊連盟に報告して受理されれば正式にウチのギルドが発見者になるし、これは非ッ常ぉーーーに名誉なことだよ!」
「え、うそ、ウソ、私たちが、発見者……!」
「名誉より金をよこせ」
肝心の宝は持ち帰れず、ちゃっかりおサボりもしていたわけだが、これが存外褒められまくる結果となったのだからわからないものである。あまり実感のない悪辣キモリは相変わらずの皮肉混じりで返すも、エキュゼなんかは今にも叫びそうなほどに紅潮していた。
盛り上がりの横でネイトはひとり黙考する。発見者、かあ。実際のところ滝の秘密を解き明かしたのはネイトというより、目眩の中に見た耳長のポケモンなのだが、はてさて自分たちの手柄にするのもどうなのやら。
(しかもなんとなく誰だかわかっちゃったしなあ)
意識を現実に戻すと、興奮気味にクレーンが「それじゃあちょっと書類を確認してくるから」と背を向けてその場を後にしようとしていたところだった。「あ、クレーン」反射的に呼び止めてしまう。言わない方が都合が良いのは承知の上で、しかし判断より先に口が動いたのだから仕方ない。不満の欠片もなく振り向くペラップ。そんな気前の良さに、ああ、と言いづらそうに頭を掻いてから、ネイトは目を合わせた。
「あ、あのさあ……その、ついでにルーに訊いてほしいんだけど。あそこ、実は行ったことあるんじゃないかってことと、あと、これから行く予定はあったりするのかなー、って」
「んん……? まあ構わないが」
思わぬ人物の、思わぬ口ぶりによる、思わぬ提案に、クレーンも流石に疑問符を浮かべたものの、特に拒む理由もなく快諾される。トントン、とドアをノックして親方の部屋へ消えていくのを見届けたのち、僅かに間を置いてから「は」と後ろから声がした。アベルだった。
「親方に何の関係があるんだよ」
「いやなんか、あの時のめまいで見えたポケモンがルーっぽかったから。もしかしたらそうなのかなあって」
「そうなの!?」初耳らしい反応のエキュゼ。
「……だったら訊かなくとも未来の出来事だろ。俺らがヘマしたから親方が尻拭いに行った、先に行ってたのなら俺らを行かせる理由はない」
「あり? 先に行ってたから視えたんじゃないの?」
議論、小休止。
どうやらアベルとネイトの間に『時系列』に関する認識の齟齬があったらしく、互いに黙してしまった。
数秒見合ってから再開。
「生憎専門家でもないので知らんが。ただお前のあの気味悪い能力は未来予知に限定したもんだろ」
「ん〜。今だから言うけど、あの宝石押して流されるところ見ちゃってるんだよね。わざわざもっかい流されにいくのかなあ」
「え、ええ、み、見てたの!?」
「知ってて伝えなかったのかお前」
「え? あっ、いやあ……」何やら怪しい流れを察知したらしい。
ネイト、糾弾。関心な若者たちによるディベートは中世の公開処刑と化した。「た、タイミングとかがちょっとアレで……」苦し紛れに訴えるも届かず。やれ馬鹿だの、なんで言ってくれなかったのだの、やれ裏切り者だの、やれ馬鹿だの、被害者の名目の元散々に言葉の刃を飛ばされる羽目となった。
「はあ、オマエたち……。揉め事なら部屋に戻ってからやってくれないかな」
無血リンチの手を止め、エキュゼらが振り向けば、扉の隙間からひょっこりと音符型の頭がこちらを覗かせていた。全部聞こえてるんだよ、ひそひそ声で付け足すと、そんな注意は目にもかけない態度で「いつまで待ってりゃいいんだ」とアベルが返す。クレーンは少し悩んだ様子で天井を見上げ、やがてため息をついて首を伸ばした。
「とりあえず、あー、ネイト。親方様に答えは貰ってきたから言うけど」
ん、頷くネイト。
「『思い出、思い出……たぁーーーーーっ!!』……『ああ! よく考えたら僕、行ったことあるかも!』……と仰っていた」
「「!」」
「やっぱそうだよね」
アベルとエキュゼが目を丸くさせる。どこか馬鹿の戯言と決め付けていた節があって、しかしそれが事実と知れば驚かざるを得なかった。
「で、今後の探検の予定も尋ねたが、『今のところは特にないかな!』とのことだ。……いやはや、まさか親方様が攻略済みだったとはねえ」
「聞いてなかったのか」
「うむ。親方様も最初から言ってくれればオマエたちを行かせることはなかったんだが……まあ、そういうことだ」
無駄足かよ、アベルが吐き捨ててそっぽを向いた。エキュゼもそれに言い返せないくらいには消沈していた。無理もない、怪しみつつも一度は見た夢である。苦労が水の泡になるようなどんでん返しに無傷ではいられなかった。
そんな彼らの落胆ぶりを流石に不憫と思ったのか、どうしても責を感じてしまう部分があったのだろう、「一応ダンジョンの登録があるかどうかは調べておくから、オマエたちは部屋に戻って休んでなさい」クレーンは可能な限り労うようにして言った。
晴れはしなかったものの、顔を上げて意思疎通するくらいの余力は戻ったらしい。目線だけを交わし合って、それからアベルが背を向けて歩き出すと、ネイトとエキュゼも倣って続く。トボトボと角の通路に消える彼らを見送ってから、クレーンは小さく息をついた。
(しかしまあ、変なコが来たもんだね)
滝の調査のみならず、そのまま発見したダンジョンへ突入しようとする行動力。功績関係なしに見ても十分な仕事ぶりだ。長年表に出なかった秘密をあっさりと解き明かし、だが、親方様の話は誰かからでも聞いたのだろうか。おまけに手柄を譲るような真似までしている。なんなんだ、コイツは。
ギルド内での態度はお世辞にも褒められるようなものではないし、何かと言葉を発せば足並みはバラバラだ。協調性に欠く反面、個の能力は高いのかもしれない。素行の悪いタイプの天才、なんてイメージが浮かんだ。ただでさえ付き合いに難があるのは親方様で体験済みだというのに、加えてなんというかこう生意気というのは……。
クレーン、ちょっといいかな?
「……はッ! はい! た、ただいま!」
なんてことを考えていたのだから、急な呼び出しには思わず声が上擦ってしまう。クレーンは半開きの扉を勢いよく閉め、自分は何も考えていない、貴方のことを悪くなんか思ったりしてませんよと、淀みない忠誠を見せつけるように颯爽とルーの元へと向かった。
三匹の若者が、無言の空間を囲んでいる。
お通夜ムードかと言われれば気まずさとはちょっと違うし、かと言って充足感のある雰囲気なのかと、無論そんなはずもない。虚無だった。未踏の地の大冒険の果てに災難に見舞われ、せめて報われるだろうと期待した上司からの言葉は「そういうことだ」。あまりに虚無だった。
手持ち無沙汰からか、アベルが首に巻いたスカーフを解いて軽く叩いている。汚れを落としているつもりだろうか、
濃赤に揺れる帯状が窓からの斜陽に当たって燃えるように輝いた。
それを見たネイトも骨兜の中に手を突っ込んでもぞもぞと弄った。引っ張り出される手のひらサイズの探検隊バッジ。最初は観察するようにひっくり返したりして眺めていたが、やがて飽きたのか指の上に乗せて、キン、と親指で弾いた。コイントスならぬバッジトスは大きく弧を描いてアベルの額に落ちた。「ぶ……!」静かな喜劇に堪らず吹き出しかけるエキュゼ。何が悪いかというと、バッジの不思議な吸着力が働いたせいでずり落ちることなくおでこに引っ付いたままだったわけである。被害者は無表情のまま頭部の異物を取ろうとするが、地味に強力な粘着性で皮膚が引っ張られる様がこれまた可笑しくて。
笑いを隠しきれていないエキュゼを一瞥して、アベルは手元のバッジに目をやると、やがて観念するように深く息をついた。「全く、お前は……」バッジをネイトに投げ返す。両手で挟むようキャッチしようとしてミス、手をどかすと今度はヘルメットの鼻先にくっ付いていた。
「……あの、さ」余韻を残した表情でエキュゼが口を開く。
「今日の……失敗だったけど。でも思い返すと、最初にネイトがあの洞窟に気付いたからここまで進めたんだな、って」
「失敗の方が大きい」
「そんなことないでしょ。ネイトがいなかったら、私たち、本当に何もできなかったんだから」
強気のある語調で言われると、アベルは俯きがちだった顔をさらに横へ逸らして、誤魔化すようにスカーフを肩にかけた。「僕!」鼻から外したバッジを掲げて話題の当人はにっこり笑顔。それを見てエキュゼも微笑みながら続ける。
「その、なんというか、ネイトってさ。多分特別な存在なんじゃないかな……って思うの」
「特別、かあ」バッジをヘルメットに戻すネイト。
「うん。だから、その……ネイトからしたら大変なことかもしれないけど、私たちが会えたのってすごいことだなって。上手く言えないけど、うれしい」
「……特別というか、ただの変人だろ、コイツは」
「もう! なんでアベルはいっつもそんな感じで否定的なの! 確かにダメなところはあるけど、色々助けられてるじゃない」
先と同じく強めに返されると、一瞬口を開きかけて、やはり再び黙した。何か言おうとして、しかしどこか折れるように噤んでしまったようだった。
対照的に話が軌道に乗ったエキュゼは興奮の乗った声色でネイトに詰め寄る。
「ネ、ねえ。未来を見る力、あっ、今日は過去が見えたんだっけ? とにかく、その力を使えばサ、もしかしたら私たち、もっとすごいことできるんじゃないかなって。ネネ……!」
「あ、あぇーっ……? でも、なんか、見たい時に見れるとかそういうのじゃないんだよね。気まぐれサラダくらい気まぐれ」
「あ、ああ、そっか……! その度合いの例えはちょっとよくわからないけど……」
能力の前兆は目眩であり、意図して起こすようなものではなく、いつだって受動的だった。何かの拍子に、といった具合ではあるものの、特定の流れから再現性を有するかと問われれば怪しい。言葉を詰まらせたエキュゼは「……どうなんだろう、ね?」と、元の調子に戻る。
が、そこに切り込んだのはアベル。
「対象に触れた時、じゃないのか」
「触れた、時……。…………あ、それ、それかも! すごい、よく気付けたね……!」
「うっふ〜ん! アベルったらそんなに僕のこと見てくれてたのォ〜〜〜?」
「しばくぞボケ」
黄色の目が露骨に嫌そうに歪む。「そもそもお前が『触ったら見えた』っつったんだろうが」付け足すと、「たしかに!」とネイトは合点がいったように手のひらへ握りこぶしを落とした。
「えっと、最初に立ちくらみを起こしたのがトレジャータウンで、他は……今日の滝、くらい?」
「滝は触れた直後だったか。街中のヤツは……ああ、あの誘拐犯野郎にぶつかってたな」
「二人とも僕よりくわしい」
「黙れ」「だって心配だったから……」
ともかく、と仕切り直すアベル。
「お前のその気味悪い能力は、何らかに接触した時、それについての未来、あるいは過去の情報を何かしらの形で知ることができる。そんなところか」
「うん、私もそんな感じかなって思う」
「かなあ。触るたびにめまいがするわけじゃないんだけど」
小首を傾げたネイトに、アベルがスカーフを巻き直しながら言った。「後は医者にでも訊いてろ」エキュゼが苦笑いする。「そんな病気みたいに……」未だ謎は残りつつも、どこか不安の元であった現象を共有できたという事実は頼もしい。エキュゼの言うような「もっとすごいこと」への期待には、やらかした負債が上回っているせいでイマイチ実感が沸かなかったが……。まあいいか、斜めに揺らいだ頭を戻して背を伸ばした。
ふわあ、と腕を持ち上げて欠伸すると、
「……」
「……」
ピタリと重なる、骨頭と鳥頭の視線。
「ああいやすまん……取り込み中かと思って」
うわあ、と遅れてその存在に気付いたエキュゼが声を上げる。
いつの間に訪れていたのか、部屋の入り口にはクレーンが立っており、視線を一手に引き受けると気まずそうに眉を下げた。
「キャー! クレーンさんのエッチーーー!!」自らの身を抱きしめてネイト。
「覗き魔」目もくれずアベル。
「えっ……え……? なに、本当にそういう……?」上記二反応を真に受けるエキュゼ。
あのねえ……呆れを通り越して疲れきった細声で弱々しく吐く。ため息のような声だった。明らかに悪いのは自分たちの方だが、なんというか、その弱りに中間管理職の苦労が嫌でも滲み出ているように思えて。「……なんだよ」アベルがぶっきらぼうに取り合った。
「親方様がお呼びだよ。……全く、オマエたちは」
「および?」「呼び出し……?」ネイトとエキュゼが首を傾ける。
「説教でもあるのか」
「いいや、そういうのじゃないが……まあ、直接部屋で話を聞いてもらった方がいい。……くれぐれも変なこと言わないでくれよ、頼むから」
翼をもたげて振り返る。ちゃんと言ったからな、去り際に念押ししてクレーンは跳ね歩いていった。
三匹は顔を見合わせる。「行くぞ」言葉少なに、しかし議論の余地もなく決まった。相手がルーというのもあったが、気遣われた身でこれ以上悩ませるのは最低限残った良心に反する気がした。……と、言えば聞こえは良いが、実際のところは新人という身の丈を案じて恐ろしくなったのが本心である。
そそくさと、『ストリーム』は半ばクレーンに付いて行く形で親方の部屋に向かったのだった。
「親方様、チーム『ストリーム』を連れてきました」
ガタン、と、扉の閉まる音が背筋に響く。
ここへ入るのは入門時のチーム結成以来か。相変わらず物のない部屋だった。換気状況が心配になるくらいの大きな松明が二つ、過去の栄華か、山積みに溢れんばかりの宝石を見せつけるような口を開けた宝箱が二つ、これらが左右対称に並んでいて、設置物といえば後は小さなカーペットが敷いてたり、壁にキルトが掛けられている程度。
「あの、親方様」
その部屋の主ですらカーペットの上でこちらに背中を向けて微動だにしないのだから置物のような存在感である。せめて机だったり書類の一枚でも目に付けばいいものの、仕事なんかそもそも出来ないレイアウトなのだ。ここの業務体制はつくづくどうなっているのだろう。弟子や近辺の探検隊が受け取るはずの依頼の報酬の、その九割をぶん取って、結局のところ名門と謳われた『プクリンのギルド』の長がやっていることは、運営を牛耳って不労所得で私腹を肥やしているだけなのでは。
「親方様……?」
そしてこの流れも以前と同じものだ。アベルは耳を塞ぐ。悪趣味か、ボケてるのか、このプクリンはまともな挨拶をする気がない。世間ではこれを天才と呼ぶらしいが、それなら凡才のままで結構だ。イカれた智恵者と普通の馬鹿なら馬鹿の方がいいに決まってる。ちなみに隣でほけーっとしながら鼻をほじってるカラカラはイカれている上に馬鹿だ。エキュゼも身体を強張らせて身構えているのに、コイツときたら無防備も無防備でーーああ、ほら、来る。来るぞ。
「
やあっ!!」
予備動作も、何の前触れもなく、ルーのパッチリお目目が振り向いた。静寂を破壊する無駄に大音量の挨拶! 小狐の背中がビクンと跳ねるのが見えた。「ンン゛ーーーッ!?」アホたれは鼻に指を突っ込んだまま激しくバイブレーション!
が、そんな反応にはお構いなく。笑顔を絶やさず動じないのは親方が親方である所以か。
「君たち、今日は大変だったね! 『滝壺の洞窟』の件については僕から伝えておけばよかったんだけど……だいぶ前のことだったから忘れちゃってたんだ! ごめんね!」
「……たきつぼの、どうくつ?」
「連盟からの書類を整理していたらダンジョン情報の一覧に名前が載っていたのを見つけてな。どうやら親方様が訪れるより以前にあの滝の裏のダンジョンは連盟に認知されていたらしい」
エキュゼの疑問符にクレーンが答えると、「やっぱりそっか……」と少女は肩を落とした。それでも帰ってきてから先駆者の事実を知らされた時よりかはマシだろうか、ネイトが安定剤の役割を果たしてくれたのが大きい。「鼻血出た……」……その当人は今、鼻ほじりで自業自得という情けない醜態を晒しているわけだが。
「でも大丈夫、君たちの活躍はクレーンから聞いてるから。びっくりしたよ! 何も知らないのに洞窟を見つけて、しかも奥にある仕掛けまで作動させたんだって? 探検隊になったばかりなのにすごいじゃないか!」
「あ、ああソウデスネ……! ほとんど……(ネイトのおかげだけど……)」
「まあ……(ほぼコイツのせいというか)」
ルーは知らない。何せ情報元のクレーンに話していないのだ。元人間で、我がチームリーダーのカラカラが局所的な予知能力を持っていることなど。滝の謎を打開したのだって元を辿ればルー本人の力である。それが自分たちの功績として褒め称えられるというのは、エキュゼとアベルにも多少なりとは複雑な想いはあった。一方で話題の当人はしきりに鼻を啜っていた。
ふふ、と微笑んでルーは続ける。
「この仕事は大変だし辛いこともたくさんあるけど、それ以上に毎日がワクワクと発見で溢れてるんだ。だから今日の体験はこの先も大事にしてほしいな。
で、ここからが本題なんだけど」
ともあれ、水難や不審者に巡り合った苦労は完全に無駄だったわけではなかったのだ。どこの共同体に属していようと上から目をかけられることは有利になるし都合がいい。早くも出世の近道を
と、考えを巡らせてからようやく気付く。……『本題』? 『ストリーム』三匹の視線が、信頼の目で力強く頷いたルーへと集まる。
「
君たちを、遠征メンバーの候補に入れようと思うんだ!」