ポケモン不思議のダンジョン 正義と悪のディリュージョン






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第2章 たくさんの『初めて』
第17話 滝の謎を明かせ!(2)

 くしゅん、と、洞窟に短い音が響き渡った。
 じめついた空気は外観通り。天井からは滝から漏れ出たものなのか、しとしとと水粒が滴り落ちている。海辺のダンジョンと違って磯臭さもあまり感じなかった。
 くしゅ、とエキュゼはもう一度くしゃみをした。
 身体を震わせて纏わり付いた水滴を飛ばす。この湿気ではそう乾きそうにない。よしんば水気を落とせても、水系のポケモンが多いであろうこの場で炎タイプの技が戦力になるとは考え難い。振り返ればつくづく相性の悪いダンジョンに当たってるなあ、と思った。

「だいじょぶ? 鼻」
「……うん、ありがと。本当ならこっちのセリフなんだけどね」
「あのまま水死体コースが正解だった」

 そんなわけないでしょ、鼻を啜ってエキュゼが言った。

 遡ること数十分前。対岸に渡ろうとして落下、そのまま水上を浮いていたネイトは気絶しており、これが意外と重体だったのである。アベルは陸地まで担ぎ上げ、見よう見まねの蘇生マッサージを試みようとした瞬間、奴はフライングでアベルの顔面に口から噴水した。一時は戻った意識だったが、救助側が反射的に手を出したために再び昏睡へと陥った。
 本日二度目の滝前、死に損ないは物みたいに投げられ、本人以上の飛距離でついに裏の洞窟へと到着する。その衝撃で目を覚ましたらしいネイトは、後から水流をくぐり抜けてきた苦労人に「アベル遅〜い! 僕なんか気が付いたらここにいたもんね」などとほざいたので喉元へ無言の突きを食らって失神した。

 三度起き上がり、現在。
 アベルらが戻ってくるまでの間に軽く洞窟の偵察を済ませていたエキュゼによって内部がダンジョンであることがわかり、攻略中である。

「でも今、手ぶらなんだよね……」

 不安げに呟くびしょ濡れロコンは一回り細身になっていて、顎下から尾先にかけては氷柱みたいにトゲトゲになってしまった体毛が垂れ下がり、元の姿形が霞む憐れっぷりだった。
 そんな彼女に、ネイトは肩から下げたバッグを、ここにあるじゃないか、とでも言いたげにポンポンと叩く。乾いた音がした。アベルがそれを取り上げて逆さにして開く。埃やら塵がいくらか舞うだけだった。「ありゃ」拍子抜けの馬鹿を黄緑が小突くと、水に膨らんだ腹がたぷんと揺れた。

「多分、深さにもよるんだろうけれど……やっぱり戻った方が良かったのかな」
「いや、そうとも限らなさそうだ」

 暗がりの通路から出て、アベルは部屋の隅を指差した。そこにあるのは赤く艶めくハート型、どこにでも売っているような、何の変哲も無いリンゴだった。

「こんなところにも」驚くエキュゼ。
「前『湿った岩場』に行った時もあったからな、そうだろうとは思ってた。なんにせよ、これで食糧の問題は解決する」

 両手で拾い上げ、ネイトから奪ったバッグにそれを詰め込む。「リンゴってどこから生えてくるの?」ボケじみていながら無理もない疑問に、「ペリッパーが運んでくるんだろ」冗談で返すと純粋な子供のように首を傾げた。エキュゼは少し恥ずかしそうだった。

 再び通路に入って先を行く。ネイトの背中にちょんちょんと感触。「前の方、来てる」小声のエキュゼに催促されて振り返ったものの、暗闇しか見えない。疑問符を浮かべてもう一度訊こうとしたとき、やっと足音と、次いで黄色の敵影を認識した。

「うわあホントにいた!」
「う、後ろにもう一人いる! 気を付けて!」

 頭を押さえ、水かきをペタペタと鳴らしながら近付いてきたのはアヒルポケモンのコダック。その裏からはアメタマが細長い四つ足を忙しく動かして、侵入者に敵意を見せていた。
 ネイトが構えるより早く、先手は嘴からの“水鉄砲”だった。「ぶーーー!」顔面に吹き付けられ地面タイプの身体が僅かに仰け反る。なにを、と反撃に出ようとした瞬間、コダックの背後から飛んできた“泡”が炸裂、拳に灯った炎が攻勢の機会諸共消える。

「っ、横、ごめん!」

 脇に感じた熱気。見れば、赤々とした火を蓄えるマズルが敵方向を向いていた。慌てて避けるネイト。吐き出した炎弾は向こうの二番手に直撃し、さらに弾けた火種が隣にも当たり、二者を同時に怯ませる。   “弾ける炎”という、習得したのか隠し持っていたのか、エキュゼの新しい技だった。
 出来た隙にネイトがワンテンポ遅れて“炎のパンチ”。ダンジョンの性質とコダックの特性“湿り気”も相まって火力には期待できない。が、怪力はパンチ部分だけで、相手が両手で受け止めようとしてもなお、一撃で大きく突き飛ばしてダウンさせた。吹き飛んだ身体に巻き添えを食らったアメタマは、こちらを見る間もなく急いで水中へと逃げていった。

「おわあ、助かった」
「助かるどころかエキュゼいなかったら何もできてなかったぞお前」

 呆れて出てくるアベルに、なぬ、と遺憾を表するネイト。やる気のない最後列の割にしっかりと見ているものである。
 功労者は首を振る。「そんなことないよ。私一人じゃ無理だった」褒められた単細胞は過剰に胸を張った。「やっぱりね!」ドヤ顔に肘打ちが入る。
 力ばかりある癖にな、アベルは愚痴るように零した。考えなしに真正面から突っ込むスタイルに思うところがあったのだろう。いずれその膂力が及ばない敵とかち合った時、打つ手を失くして立ち往生する他ない。
 そんな憂慮を感じ取ったのか、元の立ち位置に戻ろうとするアベルをネイトが引き留めた。なんだ、と鬱陶しそうに振り返るアベル。ううんと少し悩んで、ふと閃くと、自身の腹に両手を当てた。力を込めたかと思うと、滝下で吸い込んだと思われる水がびちゃびちゃと口から大量に溢れ出た。時折「オ゛ウッ」やら「エケ゛ッ」の嗚咽を漏らしつつ、それはもう、もう一つの滝と見紛う流れで吐いていく。次第に勢いは衰えて、口元を拭って一息つくと、「ねえねえアベル、見た?」唖然とする二匹へ呑気に声をかけた。

「いまのね、ハイドロポンプ」




 その後彼がどんな暴行を受けたかは明記できないが、現在『ストリーム』は屍と化した一匹を引き摺りながらダンジョンを進んでいる。

「“吸い取る”! ……チッ、蓮のヤツもいやがるか。オラ行けゲロ野郎!」

 致命を受けふらりと倒れたウパーの影から、死体の尻尾を手にジャイアントスイング。頑強の骨頭がハスボーを殴りつける。もう一周遠心力のままに振り回し、上から思い切り叩き潰した。目を回したポケモンが二匹転がった。
 水棲蔓延る洞窟に対し、先頭を代わった草タイプは怒涛の快進撃を繰り広げていた。

「い、意識ないからってそんな物みたいに……」
「いいだろ、有効活用だ」
「意識あるけど結構だいじょぶだよ」

 ふと、下から聞こえた声に目をやる。寝相のように両手を後頭部につけ、ネイトがウインクをした。すかさず顔面キックが入ると、本当に腕枕の似合う夢見へと落ちた。

「さて、行くか」
「その……何かある度に気絶させるのやめない?」
「起こしてた方が問題多い」
「そ、それは! ……そうかもしれないけど」

 道徳、敗れたり。頑なというか、事実とリスクの釣り合いでエキュゼは諦めに至った。「最悪バッジで帰せばいいだろ」そこまで言われたら反論もしようがない。
 エキュゼは俯いた。きっと、ふざけなければ最低限の正義と善意は持っているポケモンではあるのだ。『トゲトゲ山』で見せた勇気は未だ鮮明に脳裏へ焼き付いている。……今日に限ってはそれも薄れるほどだが。そんな一面を知っているからこそ、捨てきれない情が哀れみの靄を僅かに生んだ。小さな罪悪感を視線に乗せてちらと横目をくれる。見慣れた茶色がいない。   いない?
 「……? アベ……」顔を上げて、名前を呼び切る前にその目線の先に気付く。斜め下、確かに彼が倒れていた場所には、破れた金網のようなものが、はらはらと音を立てて代わり番こをしていた。
 あまりにも見た目通りのそれは、ダンジョン知識の乏しいエキュゼでも容易に口にすることができた。

「おと、しあな」

 ごく自然な手付きでアベルはバッグの中身を確認する。軽く漁り、緩慢かつ丁寧に閉じた後、残った幼馴染と顔を合わせた。

「……バッジ。持ってるの、アイツだよな」




 ざぶん、と音を立てて、ネイトは一つ伸びをした。
 上体を起こして周囲を見渡す。右も左も湖面が煌めいているだけで、最後にあった風景と何一つ合致しない。丁度真上の天井には不自然に穴ができていた。
 巨大な水溜りの中心、地面タイプの元人間は立ち上がる。状況から推察して、出した結論は。

「……なんかよくわかんないけど、ま、いいや。アベルたちを探しにいこっと」

 己の状況など意に介さず。
 標も頼りもなく、勇気と能天気ばかりを携えてネイトは歩き出す。この先に待ち受けるものがさらなる悲劇であるとは知らずに。ひたすらなポジティブは危機感の欠片も覚えずに暗い通路へと消えていった。




   走れ!」

 一層を隔てて、慌ただしい息遣いが駆け抜ける。その後を追うニョロモとベトベターを時折振り返りながら小部屋を越えて水路を曲がる。切迫した逃避行だった。

「ね、ねえ! やっぱり倒した方がいいんじゃないの!? もし前から来たら挟まれちゃうし!」
「馬鹿、一々やりあってられるか! こちとらバッジ持ってかれてんだぞ! その上であんなの野放しにしてたらッ」

 探検隊バッジの転送機能は謂わば保険である。ダンジョン内で倒れた時、進行不可と判断した時等に外部へと連れ戻してくれる。裏を返せば、それが無いとその場で助けを待つことしかできなくなる。調査ついでに未知のダンジョンへ入ろうと思えたのは、その保険込みの算段があったからこそだった。
 階段を、ネイトが落ちた先を目指してひた走る二匹。ふと、エキュゼが顔を引きつらせた。「ま、前、来てる!」アベルは先頭に躍り出てバッグに手を突っ込む。直後、姿の見えたドジョッチに取り出した球体を掲げた。「どけ!」白い光が真っ直ぐに対象を捉えると、面白いくらい地面と平行に飛んでいった。使い終わって効力を失った『吹っ飛び玉』を申し訳程度に後ろへ投げ捨てる。

「……あっ! あそこ、階段!」
「飛び込めッ!」

 拓けた部屋の端、四角く切り取られたような穴を見つける。対角から顔を出してきた別の敵と鉢合わせになりかけたが、それよりも早く石造りの段々状へと滑り込む。降り立って振り返るも、そこにポケモンの影はなかった。
 足を止めて呼吸を整える。緊張感から解放されて、今にもへたりそうだった。

「……クソッ、休んでる場合じゃないか。あの馬鹿を黙らせないと」目的が変わっている気がしなくもない。
「またさっきみたいになるのは危なくない……? 気持ちはわかるけど、やっぱり慎重にやった方が、それこそあまり急ぎ過ぎたって……」
「……」

 継ぎ接ぎの口調にアベルは黙した。熱した体温が落ちていくにつれて冷静が戻ってくる。可能な限り楽な手段でいきたかったが、危険も踏まえてれば先ほどのような状況にはなりたくないのが本音である。一度頭を抱えた後、深くため息をついて言った。

「……まあ、急げば見つかるってわけでもないだろうしな」
「私たちも落とし穴に入ればよかったのかな……」

 鼻で笑って歩き始めるアベル。「間抜けが増えるだけだ」。落とし穴にかかった仲間を追って入ってみたら、全く別の場所に落ちて合流が叶わなかったという先例は多々ある。そういう時は諦めて最深部で落ち合うのがセオリーだと、アベルは予備知識として覚えていた。




 その、別の場所に落ちた仲間はというと。

「おなかすいた……」

 見通しの悪い迷宮をあちこちに行ったり来たりと、一言で表せば「迷子」の状態だった。光明は探せど宛てなく、ただ無為に消費されたカロリーが腹から不満を訴えてくる。ネイトは少し落ち込んだ様子でクリーム色のお腹に手を当て、しかし何かを思い付くと、両腕を伸ばしてポーズを取り、「お腹空いたマン参上!」……馬鹿の謎決め台詞が虚しく響き渡った。
ああ、と再度気分が下がる。
 ただ、それでも戦闘に支障が出ないのはその圧倒的な怪力故か。弱気な空腹に反して「お腹空いたマンパンチ!」やら「お腹空いたマンキック!」、「お腹空いたマンビーム!」と、次々に敵を拳一本で屠っていく。
 そうして、小部屋に辿り着いた瞬間、ネイトは子供のような瞳をさらに輝かせた。

「うわぁい! リンゴー!」

 拓けた空間の中心に、真っ赤な果実が一つ。その部屋の角には紺色の何かが眠っているようだったが、喉から手が出るほど欲しかった食料を前に気に留めようだなんて余裕はなかった。
    それが仇になったか、と聞かれれば、恐らくそうでない。

「うべえ……」

 カチリ、と。『トゲトゲ山』で散々踏んだ感触。違うのは、吹き出したものが爆炎ではなく、何か、粘性の強い緑色の液体だったこと。ネイトの顎下から腹を濃色に染め上げた。
 一時は警戒したものの、それ自体には勿論、毒性などによるダメージもなかったため、罠から足を下ろした。押し込み具合の問題か、残りの液体が後ろから飛び出たが関係ない。リンゴを持って、胸元へ拾い上げる。

「いただきまーーー……んん?」

 無抵抗の食物を口元へ運ぼうとして、異変は起こった。口が、届かない。……届かない? ハッとして見れば、リンゴの下部が胸に付着した液体と引っ付いてしまっていた。「んぎぎ……!」剥がそうと躍起になるネイト。接着点に触れて余計にベタつき、皮膚が伸び、指圧で手先が果実にめり込もうと力を抜くことはなかった。
 やがて、バチン!と刺激音を響かせて、リンゴはネイトの手をすっぽ抜ける。して、その、着地地点は。

「あっ…………ど、どうも」

 全くの意識外だった、一室内の同居人は赤い二足で立ち上がり、己を叩き起こした球体を一瞥してゆっくりと振り返る。蔦に隠れたモンジャラの顔でも、敵意と怒りをこちらへ向けたことは確かだった。
 ぶぅん、と低音で唸りながら触手が耳元を掠めた。「ひょおおおおお」青ざめた骨下から情けない悲鳴が漏れる。無数にある内の腕の一本が第二打として“絡みつ”かんと肉薄する。ネイトは反射的に右手を構えた。首元を狙ったそれは腕に阻まれ、しかしこの一手は互いに大きな誤算だった。
 モンジャラの攻撃は正確には弾かれるはずだった。   相手の腕に、粘着質など塗られたりしていなければ。
 不自然に受け止められた触腕を引こうとして、異変は起こった。回帰させるべき先端に、望んでもいない敵そのものがおまけとして手繰り寄せられてくる。引く側も引かれる側も双方半ばパニックで、「「ギャアアーーー!!」」訳も分からないまま衝突した。
 が、悲劇は終わらない。

「……え?」

 抱き合わせの絵面。我に返って押し退けようとするも、接着面が伸びるばかりで身と身は離れず。全身が、くっついた、らしい。ネイトが自慢の怪力で引き剥がそうとすると、痛みを訴えるように空いた手がぺしんとネイトの頭を叩く。「ごめんごめん」誤魔化すように叩かれた頭を掻きながら向き合う。

 …………。

 うわァーーーッ!と己の未来に危機を覚えたのか突然暴れ出すモンジャラ! 揺すり揺すられ互いの身体が思わぬ挙動を見せる。そして群青が淡い緑光に輝き出すと、ネイトを殺意一杯に睨んだ。「を゛を゛を゛を゛」ゼロ距離からの“吸い取る”攻撃。仁義なきデスマッチが始まった。
 急激に抜けゆく力に慌てて逃れようとしたが、ふと冷静になって自身の有効打が十八番の技であることに気付く。思いつきのままに、燃え盛る拳を軽くぶつけた。草タイプ故か、簡単に燃焼した。……順当に術者にも延焼した。

「ぎいいえええええ!!」
「オギイイイイイイイ」

 業火の責め具による阿鼻叫喚。炎の中では悲鳴ですらどちらのものかわからず。ただ、一つだけ理解できたのは   それが焼き切れたのか決死の判断で分離したものなのかは不明だが   鈍い音と共に二者が引き剥がされたこと。本能のまま、阿吽の呼吸で通路の水辺へと駆けて飛び込んだ。
 じゅう、と飛沫と白煙を上げる二匹。モンジャラは岸まで上がって力尽き、ネイトは遅れて顔を出した。平泳ぎでスイスイと、同じく陸地に着いていた先人を一瞥してから、事故現場の小部屋へと戻る。目当ては一つ、食べ損ねたリンゴである。
 煤入りの水滴が足跡を作る。どういうわけか被害者よりもこんがり焼けた身体は、焼け焦げ黒ずんだ粘着液がところどころに肉腫のような膨らみと艶を醸していて、実害よりもグロテスクな様相だった。
 ともあれ、ようやく念願の食料にありつけ   られなかった。部屋の隅に転がったリンゴを拾おうと一歩前に出た瞬間、悪魔が微笑んだ。機械の作動音と共に緑の液体が胸元を染め上げる! 呆然と、おまけ程度に飛び散り濡れた両手を交互に見やり、「ううう、がーーー!!」二度目の不幸に憤慨した。八つ当たりとばかりに地団駄を踏んで暴れると案の定スイッチは作動したが、ヤケになって数度追加で叩いた。やがて足裏にまで付着し、その足を地に着けて上げようとしたところで体勢を崩した。足元の無機質を逸れて、別の無機質に倒れ込んだ。……別? 鉄板の冷たさに熱が冷め切る前に、『それ』は機動した。
 綺麗な渦巻き模様の描かれたスイッチだった。

「ああああああああああ」

 回る、回る、回る。風景が、己が、巡る巡る移り変わって線状に伸びる。
 『ぐるぐるスイッチ』は作動している限り回り続ける罠だ。冒険者の三半規管にダメージを与えて混乱させる悪質な目的がある。本来ならすぐ退くことで止められ、恐らく製作元(?)もその前提で作ったのだろう。   接着剤まみれの利用者という例外を除いて。
 罠の隣に罠という、一周回ってレアケースを引いた上に、大の字で固着される不運続き、さらにそれが止めようのない永久機関と化したことで、ネイトの悲劇の連鎖は幕を閉じた。もしくは今まさに絶賛悲劇中といったところか。
 機構の端から煙と火花が上がっていたことには気付く由もなかった。




「あっ、あそこ……」
「これは」

 エキュゼとアベルが地下四階を探索している時だった。水路の傍に不自然な焦げ跡を見つけて足を止める。アベルが屈んで触れると粉末状が指に付着した。何か重量のあるものが転がっていたのか、炭らしきものは湿った地面に染み込んでいるようだった。
 先の部屋へ進むために言葉は交わさなかった。一度だけ目を合わせて、どちらかといえば厄介そうな顔で、足を踏み入れる。

「……」
「……やってやがるな、あの野郎」

 部屋の中心に罠らしき床が一つ、少し離れた隅に同じものが一つ、その隣に何故か縁が歪んでいる使用済みの落とし穴が一つ、計三つ。二つ並んだ罠床に守られるようにしてリンゴが一個置いてある。……黒く焼けた地面もセットで。
 言葉を失ったエキュゼに代わって幼馴染が場の状態を確認しにいく。中央と端の罠の正体は『くっつきスイッチ』で、飛び散っていた液体を見るにいずれも作動したもののようだった。問題の落とし穴は   否、『穴を開けられたかつて別の罠だった何か』は機構の大部分を失っており、代わりに何故か底の見えない穴が出来ていた。ネイトが落ちたそれとも似付かず、当然ながら金網の痕跡もない。万に一つも落とし穴の可能性はなくなった。
 つまるところ、またしても彼は異様なことをやらかした、と言える。

「行くぞ」
「い、行くぞ、って……ノーコメント?」
「見えてるもんが全てだろ。リンゴ欲しさに罠踏んで、罠ぶっ壊して、なんか自滅して……まあ過程は常人には理解できないアレだろうが。どうせ最終的にはこの穴に落ちてる」
「そうだろうけど……ううん、そっか……」

 エキュゼは心配を諦めた。掛ける情けが悉く想像の上をいった現実に圧倒されて、善意は無力になった。そもそも、ここに至るまでにネイトの足跡はなかったのだから、彼は恐らく三層分の落下を経てきたことになる。今更落とし穴もどきでどうこうしているはずがないのだ。
 見え見えの罠を遠回りで避けてリンゴを肩下げに仕舞うと、後ろに目をやってから「行くぞ」と再び歩みを進めた。釈然としないままエキュゼも倣って通路に入っていった。
 暗がりを行きながらアベル、

「探検隊を始めてから口数が増えたかと思えば、いらない心配事ばかりだな、お前は」前を向いたまま言う。
「え? ……そ、それは……なんか、ちょっと、理解が追いつかないことばかりで。それに」

 口数が増えたのはお互い様でしょ、そう言おうとして、ムスッとした顔を返すアベルの姿が想像できてしまった。原因の大半は厄介ごとなのだ、それも一匹のポケモンによるもので。黄緑色の背中でエキュゼはひとり苦笑を浮かべた。不思議なことに、今、二匹は、その厄介ごとの元を探し歩いている。
 フロアを一周し、次の深層へ。地下五階、地下六階、七階……。道中の不審物といえば、結局のところ四階の罠を見たのが最後だった。
 そしていよいよ八回目の階段を降りると、ダンジョンのそれとは違う、幅の広い道が現れた。左右対称に両端を流れる水路は、自然の造り出した風景と言えど、無意識の中に最奥部であることを感じさせる。

「あれ、ここで終わ、り?」
「……一体どこに消えたんだアイツ」

暗闇に小さな足音が響いて吸い込まれる。水面を反射した煌めきは天井を幻想的にプリズムで彩っている。荒岩の凹凸の狭間で、光と影が揺れていた。どこからか入り込んできた風が、ごおお、と低く唸った。

   待って、誰かいる」

 赤茶の足並みが、ピタリと止まった。
 アベルも倣って静止する。その視線の先は黒く塗り潰されており、人影があるにしても溶け込んで認識などできたものではない。呼吸すら耳から排除して、研ぎ澄ます。響音、滴り、   かつかつ、と、小石の跳ねるような音。
 環境音に紛れたノイズに顔を見合わせた。こんな微細なものを感じ取ったというのか、アベルは夜目をますます丸くした。
 誘うような一方通行、隠れられるような岩陰はない。待ち受けるは秘境の番人か。面子が一人欠けたままで進むのは若干心許ないが、確認すればその当人である可能性も考えられた。
 「…………。ネイトじゃない、ぽい」未だ濃い深淵を前に、エキュゼは再び足を止めた。

「見えてるのか」
「うん。なんか……鳥、っぽい。アベルよりも大きい」
「こっちに気付いてる様子は?」
「わかんない、けど、ウロウロして……何か探してるように見える」

 アベルは眉をひそめた。ダンジョンのポケモンではない、余程の物好きでもなければ『ストリーム』よりも先に噂へと漕ぎ着けた探検家と見るのが妥当だろう。やられた、と思った。意味不明なヤツの、意味不明な能力まで用いて、決死の覚悟でここを発見したというのに。素性も知らぬ相手にありありと憎しみが募る。

「ちょっ……行くの……!?」
「ここまで来て『誰かいたから帰りました』なんて言えるかよ」

 そ、そうだけどさあ! ひそひそ声が細く叫んだ。半ばやけくそ気味にずかずかと歩くアベルの後ろを赤茶狐が付いていく。細い身体に隠れるよう縮こまっていた。
 通路の中心を堂々と、そんな彼を避けるよう仰々しく道は広がりを見せて、やがて部屋を象った空間が二匹を出迎える。アベルの目にもその先駆者の輪郭が映り出していた。魔法使い(ムウマージ)を思わせる笠帽子に、流れるように艶やかな濃紺とアクセントの白と赤。たっぷりと蓄えられた胸毛の上からは凍て刺すような眼光が暗い地面を見下ろしており   
 野生の本能で言えばきっと無謀を知り得たはずだった。自身を上回る体躯以上に、種族の風格が滲んで嫌でも圧倒されずにはいられなかった。それでもなおアベルが歩みを止めずにいられたのは、理不尽な逆恨みが背中を押したことと、幼馴染に宣言した手前プライドが退くに退けなかったのだろう。
足並みはどこか自分のものではないかのように真っ直ぐと、怒りに似た激情には火種を絶やされぬよう必死に荒い息を吹きかけ、今にも震えそうな声色を抑えつけながら   アベルは吠えるように腹から発した。

「おいお前、そこで何をしてる」




アマヨシ ( 2023/01/01(日) 00:28 )