ポケモン不思議のダンジョン 正義と悪のディリュージョン






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第2章 たくさんの『初めて』
第13話 動き出す、歯車

「皆さーーーん! 晩御飯の準備ができましたーーー!!」

 チリーンの風鈴の音が力強く響き渡る。あの受付を担当していた、角立たない声質と同一のポケモンが発したものとは思えなかったが、同時に厳格と称される『プクリンのギルド』で仕事を続けられている理由もなんとなく察したのだった。

「もうこんな時間」エキュゼが薄暗くなった窓を見る。
「食堂?」
「よしいくぞ」

 三日目の夜ともなれば、新居での習慣もある程度は慣れてくる。自室でトゲトゲ山から持ち帰った荷物を整理していた『ストリーム』は、散らかった床も気にせず集合へ駆けつけた。

「よし、全員揃ったな? それじゃあ」
「「「「「「「「いっただっきまーーーす!!」」」」」」」」

 食堂を熱狂に近い合掌が包むやいなや、ギルドの弟子たちは木製の長テーブルに並んだ果実へ齧り付いていく。ギガとアレスの勢いなんか、明日世界が滅びるのではというそれだった。ネイトも名前を知らない木の実のヘタ部分を不慣れに掴んで、隣でアベルがやっているようにワイルドに真ん中からかじってみる。予想外の酸っぱさにヘルメットの内で変な顔になったが、後味は悪くなかった。

「ん」

 ちょっとくらい反応してくれてもいいじゃない、頭の片隅にそんなことを考えながらアベルを向くと、どうやらエキュゼと何か話しているようだった。やがて一段落ついたのか、ネイトの視線に気付くと、訊ねる前に口を開いた。

「お前が未来を見たおかげだって、エキュゼが」
「え? いや〜……」
「俺は信じてないがな。カラカラが未来予知だなんて馬鹿げた話」房の先に垂らした赤い実を二つ、噛みちぎる。
「だって触ったら見えたんだもん、実際」真似するように青の木の実を口に含んで、思いの外の硬さに顔をしかめた。
「触ったら、か」

 アベルは数回だけ咀嚼して飲み込むと、食器を見たままでじっと固まった。その隣ではネイトが、ゴリ、ゴリ、とカゴの実を渋い顔で噛み締めている。そして、一瞬こちらに目をやって戻し、独り言のように言った。

「お前、俺の……あの時、何を見たんだ?」
「……!」

 今度はネイトが固まる番だった。バレていた、そのことに驚いたのもあるが、何よりどう言葉を返せばいいかわからなかった。
 だって、あの後アベルは。
 しかし彼らしくもないまごつきを見て全容を理解したのだろう、アベルは、「いや、」モモンの実を一口で頬張って、「言わなくていい」噛み潰しながら、それだけ言った。ネイトも黙ってモゴモゴと顎を動かす。周囲が会話で賑わう中、二匹は静かだった。
 そうして幾ばくかの沈黙を経て、アベルが、どちらかといえば苦々しい顔を浮かべて、不器用に呟いた。

「…………助かった」
「え」
「……とは、言わない、が。実際には何も起きてねえからな」
「あー……じゃあ次からは起きるようにがんばる」
「やめろナチュラルサイコパス」
「なんの話?」

 机に顔をやや乗り出してエキュゼが聞くと、なんでもない、とアベルは首を振った。栗色の瞳がネイトを向いても、同様に否定するしかなかった。勘繰られたくないのは本心だ。怪訝そうな表情をされたらどうしようかと、顔から吹き出した汗を自覚せざるを得なかったが、視界の外から聞こえたのは少女のクスリとした笑いだった。

「二人とも楽しそう。なんか、安心した」
「え。あああうん、そうそう仲良し」
「誰が仲良しだ」

 露骨に動揺して取り繕う馬鹿の脇を、黄緑色の肘が小突く。ネイトが変てこりんな動きと声でリアクションをしたせいで食堂中の注目を集めてしまい、何故だか結果的にアベルが笑われるハメになった。慣れない空気に幼馴染の助けを求めるが、そんな彼女も活気の一部としてぎこちなく笑っていて。アベルは顔を赤らめて目を伏せるしかなかった。




 日常であれど一期一会、一夜限りの宴から帰ってきた部屋は、同じ宵闇にしてもなんだか暗く見えた。座ってみればほんのり湿った空気が、耳を澄ませば切り取った波音の一片を置いたような、ゴールのない音が真っ直ぐ続いている。手持ち無沙汰になってどっと押し寄せた疲れが、そんなことはどうでもいいと言わんばかりに『ストリーム』の頭を藁の寝床へ押し付けた。
 瞬間。存在を誇示するかの如く、雨濡れの窓に映った稲妻模様が、廊下の灯にぼんやり照らされた部屋を白く染め上げる。気怠そうにアベルが瞼を、エキュゼは脊髄反射で首を持ち上げた。そして一拍置いてから、唸るような低音が響き渡った。

「また嵐か。どうなってんだ今年は」
「うん……。大丈夫かな、明日」

 不安を乗せた上目のまま、身体を丸めて枕代わりの尻尾に顎を乗せるエキュゼ。灰色の雲を見つめる視線は困っているというより恐れているようだった。雨天に明日を左右させられるのは炎タイプとしての宿命か。そう思いつつも、地面タイプのネイトが本能的な寒気を肌身に感じていたのもまた事実。人間の頃がどうだったかは見当もつかないが、多分初めての感覚なのだろう。息苦しさに顔をしかめながら、変わらずの表情で肘をついて横になっているアベルを向いた。

「珍しいぱてぃーんなの?」
「既に夏場のペースじゃないか? 最近はどこもかしこも異常気象だったり時が止まったりしやがる」
「……そっか。ネイトは記憶がないから知らないんだよね。ええっと」

 なにから話そうかな、僅かに顔を背けて考える素振りを見せると、代わりにアベルが仕方がないとでも言いたげに、しかし先よりも物腰は穏やかにして言った。

「二ヶ月、くらい前からだったか。世界各地で異常なことが起き始めたのは」
「確か、最初はオレン農家がダンジョン化したんだっけ。すごい話題になってた」
「ほえー……でもなんで?」

 アベルは窓の方を見ながら答える。

「ダンジョン化が広まったせいで空間が歪んだとか、逆に空間がイカれたせいでおかしくなり始めたりとか。『時の歯車』に何かあったという噂もある。今のとこ原因は未解明」
「トキノハグルマ?」

 眉を八の字に、首を傾げるネイト。ただでさえ歪むとかイカれなどと言われても想像がつかないのに、当事者ですら原因がわかっていないことを解せるはずもない。ただ一つ、横文字のような単語をおうむ返しに発した。

「時の歯車っていうのはね、世界の色んなところにある……えー……なんて言うのかな、時間を守ってる、物?」
「『遅刻しないポケモン』のトキノハグルマかあ」
「しょうもない新種を産み出すな。……まあ、とはいえ俺らも実物は見てないからな、いっそそれくらい漠然としたイメージでいいこれ以上説明することがない……」伸びながら欠伸混じりに、うつ伏せでベッドに顔を突っ込む。

 眠気を乗せた声がネイトとエキュゼの欠伸を誘う。薄暗い夜のベールと涙で潤った視界が思考を鈍らせていく。夢に落ちる準備は出来たと身体が訴えていた。
 寝言のように溶けた語調でエキュゼ、

「わたしもう寝るね……」

 「ん、おやすし」ちょっとボケた返事にツッコミは来ない。代わりに聞こえてきたのは二匹の深い寝息だった。強敵との初戦闘で緊張が続いたせいだろう。外傷こそほとんど残っていないものの、ぐったりと伏せている姿から、見えない部分に重く疲労が溜まっている気がした。
 絶え間ない雨音。
 壁に背を付けながら、ネイトは窓ガラスへ首を回す。間隔を開けて瞬く白光が雫の透明な影を映した。ぼうっと見ているうちに目が冴えてきてしまう。

(……どこで、見たんだっけ)

 ネイトには海岸で目を覚ます前の記憶がない。ただ、海や雨といった概念、ポケモンの種族名等は不思議と備え付けで残っている。その元となった出来事がすっぱり抜け落ちているのだ。
 ピカピカと激しく点滅する雷に集中しても結局何も閃かず仕舞いだった。諦めて横になろうと、地面に手を付いて。

『時の歯車』

 ふと浮かんだのは、アベルが語った世界の異常の原因とされる一つ。曖昧な説明しかされていないのに、単語は不思議と確かな輪郭を持って頭に響いた。

 自分、のものではない声で。

 肩を横に倒しかけて、あまりの突飛にそのままの体勢で固まる。それは単語を口にしたアベルでもエキュゼのものでもなく、だが、ネイトは『記憶』以外の場所でその主に覚えがあった。

   起きろッ!!

 海岸で見た夢の、その終わりに聞こえた少年の叫び。似ても似つかぬ平坦な読み上げだったが、間違いない、あれは同じ声だ。声質がどうこうというよりは直感だった。
 支えにしていた腕を折って、ごろんと仰向けになる。藁のベッドは見た目よりちくちくしていなくて心地よかった。湿った匂い、水音、網膜を染める稲妻。それらが遠く感じるほどに疑問が思考を包み込む。
 君は、僕は、何者なのだろう。




 雨が降っている。しきりに子供が叫んでいる。
 こぢんまりとした木造の一軒家の玄関は開きっぱなしになっていて、雨除けの屋根の外で、家の主人とつがいが冷たくなっていた。

「お、お前、が……!」

 玄関の先からは暖色の光が柔らかく伸び、その真ん中で呆然としているニドランの子の影が、肉親の亡骸を黒く染める。

 三件目にして、ようやく強気な子供を引いた。これは思春期くらいの年頃か、道理で反骨心のある目付きをしている。
 常に逃げられる状態にするため、また足跡を残さないよう、屋内への侵入は出来ず、表に引っ張り出さなくてはならなかった。一件目は母親しか出てこず、二件目は上手く両親を誘い出せたが、肝心な子供は危険を察知してか籠もってしまったので、仕方なく外から始末した。不慣れな仕事故に、雑なやり方になってしまった。

「憎いか」
「……っ、か、返せよう! 返せえ!!」

 小さな喉が裂けそうになるほど、少年は声を上げる。
 残酷なことをしているという自覚はあった。わかっている、だけど目を逸らさなければこの身体が耐えられなかった。そうしていくうちに、いつしか行いは無心の『作業』となり、しかし出来た隙は思案を生んだ。再び訪れた自問自答の時間は安らぎの余裕を与えてくれなかった。

「……だったら、教えよう。奪われたのなら、奪い返せばいい。君の、君が復讐するべき相手」

 それでも走り続ける。振り返って、そこに道など残っていないのだと気付き、だから血濡れた足で走り続けなければならなかった。
 そうでなければ、自身の使命に一切の疑ぐりも持たなかったのだろう。正しいと信じ込んで、あるいはそう言い聞かせて、ただ消していってたのだと思う。

 本当に、こんな行為に意味があるのか?

 ニドランの目はぼくじゃない僕(・・・・・・・)を見ている。次の句を絶対に聴き漏らさぬよう、怒りと恐怖を封じ込めて声を発さない。一生背負い続けなければならない傷を、この子は自ら引き受けようとしている。そして、それを知っていて、ぼくは無慈悲に伝える役目を背負っている。

「ぼくの、ぼくの名は  

 何のために戦っているのだろう。あの頃の願いがなんだったのか、もう思い出そうとすらしなくなった。
 ここに来て歯車が動き始めたのだ。予感はしている、結末は近いと。だけど、解放された先に救いなんかあるはずもなくて、積み重ねた時間だけを理由に、暗闇の中を走り続けているのだと、知っているはずなのに。

  『ネイト・アクセラ』、だ」

 あの世界を、ぼくは本当に望んでいるのだろうか。


アマヨシ ( 2020/11/27(金) 01:27 )