第7話 迎えた朝日はうるさくて
藁が敷かれただけの殺風景な小部屋に安らかな寝息だけが不規則に広がる。窓の奥で燃え盛っていた太陽は今や見る影もなく、辺りはとっくに夜の闇に支配されていた。
暗い紺色の空から僅かばかりに差し込む光が、一枚のガラスを通して洞穴の中心を薄く照らした。灰色のかかった黒の中で何かがもぞもぞと動く。少し経ったのち、それは壁にぶつかり、ガツッ、と痛々しい音を立てた。
「あだだだだ……」
加減なしの寝返りで強く頭を打ったネイトは、ヘルメット越しでもダメージがあったのか、寝転がったまま両手で骨をさすった。だが痛みの元はそこではないだろうに。意識を取り戻して僅か一秒、やはり彼は間抜けだった。
「テテ……う、まだ夜だ……」
顔をしかめながら、片方だけ薄目を開いた。
窓越しの月光が天井の一部を白く染めている。適当に掘削された跡が伺える凹凸が不思議と平坦に見えた。夜という未知の世界で、それは一段と好奇心をそそった。
不本意に睡眠を妨害されたネイトだったが、少年の探究心のようなワクワクは収まらず。次の興味は自分と同じ目線へと移った。
そういえばポケモンの寝顔って見たことがないなあ、みんなどんな感じなんだろ。なんとなく、エキュゼとアベルの無防備な姿が見たくなってしまった。すっかり冴えてしまった碧眼は夢へ戻ることを知らない。突き進む純心がままに、両腕で反動をつけて、「よっ」と身体を起こした。
「…………へ?」
が、赤い狐も緑のトカゲもそこにはあらず、視界の大半を占めたのは期待はずれの土壁だった。
面白いものが見られると喜色で半身を持ち上げたというのに、これでは落胆も甚だしい。どうりで気の抜けた声も、
いや、そうではない。
そこにいるはずの二人が、なぜいない?
「え、な、ど、どゆこと?」
天をも恐れぬボケ頭もこれには流石に面食らった。困惑に急かされ慌てて立ち上がる。聞こえるのは自身の息遣いと地面を擦る足元の音のみ。静か、というにはあまりに音がなかった。
不気味さを覚えながらも、とりあえずネイトは人肌を求めて部屋を出てみる。廊下に対に生えた部屋を左右に首を振って確認。誰かの私物らしきものはあるのに、そこからすっぽりポケモンの姿のみが抜け落ちていた。親方部屋にも、食堂に集まっているなんてこともない。このフロアは大方見終わったとみて、梯子を登って開けた地下一階へ向かう。
同様に、しん、と静まり返っていた。
「……よ、夜逃げ?」
本人はボケのつもりで言ってるようだが、実状は割とそれに違わぬ光景だった。ギルドの催し物の一種なのだろうか。何も聞かされていないネイトには今起きていることが理解できない。
さらに上へ、地上を目指す。探検隊十ヶ条の『だっそうしたらおしおきだ』が際立って見えた。
「……。開いてる……」
梯子穴から顔を出して最初に気付いたのは、エキュゼが突破に相当苦労したらしいシャッター式の門が、あろうことかぽっかり口を開いたまま放置されていたことだった。
一晩か、あるいはそれよりも短い時間で、ギルドはもぬけの殻と化していた。
格子の最後の一段を踏み越えて立ち上がる。入り口の頭には木造りの門がしっかりと収納されていた。その下を潜って、冷えた夜の空気を浴びる。
「わあ……!」
見上げると、深い深い藍を湛えて、満天の星空が散りばめられていた。
思わず感嘆して目を離せないネイト。消えた仲間のことやそれらについての不安もこの時ばかりはどこかへ飛び、自然の成す雄大な景色に心を躍らせた。
……星。
空に浮かぶその存在を、ネイトは知っている気がした。記憶にはないのに、何故だろうか、どこか懐かしさを感じる。
「…………あれ」
夜幕の端に、一際目立つ赤い光を見つけた。他が白金色で統一されている中でも、負けじと強く輝く孤独な星。ゆっくりとではあるが、西へ向けて少しずつ移動している。
けれども、なんだか変だった。
爛々とした紅からは不思議と目が離せなくて、視界には無数の中の一点しか映らない。惹きつけられているようだった。放散された光が伸び縮みして回転しているように見えた。
なんてことを考えていたのだから、本当に不意打ちだった。
「わ」
小さく胎動を続けていた赤が、突然視界目一杯に広がったのだ。
いや、広がったというより。
大きくなった。
それが『接近』であることに気付いた時にはもう遅い。一瞬で進路を変更した流星はネイト目掛けて墜落する。ジャギーがかった刺々しいしい鏃のような輪郭までもがハッキリと見えた。
それまであったはずの星々は、嘘のように一欠片も残さず消えていた。
様々な疑問が錯乱する中でも、ただ一つ、縋り付くように頭から離れないことがある。
翠の瞳に緋色を宿して、少年は手を伸ばした。
「
『お前』は、誰だ」
「おおーーーい!! いつまで寝てンだーーー!!」
「ぐえ」
ネイトに飛び込んで来たのは星ではなかった。鼓膜を破って頭を割りそうな勢いの大声。音波によって強制的に眠らされ、爆音に無理やり起こされ、ああ、そのなんて悲惨なことか。
朧げな視界を擦りながら辺りを見渡す。土の壁に嵌まった窓ガラスからほんのり青みを帯びた白空が見える。明るい。次いで三つの姿がぼんやり映る。赤、緑、紫。
夢だったんだ、と安堵したのもつかの間、
「起きろおおおおぉぉぉおおお!! 朝だぞおおおおおおおぉぉぉぉおおお!!」
叩きつけるような第二波に、起きかけた上体がコテンと転がった。睡魔を一周通り越して意識が切れそうになる。なにやら起床を催促されているらしいが、どうにももう一度夢の中へと送ろうとしている気がしてならない。
首を横に動かしてみると、同じ姿勢でロコンとキモリが耳やら頭やらを押さえて伸びきっていた。
「ワシはドゴームのギガ! 早く起きないと朝礼に遅れるぞ!」
「起きるもなにも僕さっき死んだし……あり?」
「何言ってんだお前」
瞼を開こうが地獄なので現と夢の区別が曖昧になっていたが、アベルの差し出した一言ではっきりと目が覚める。どことなく引いたような声になっていたのは、きっと大声で弱っていたせいだろう。たぶん。エキュゼも「し、死にそう……」とフォロー(?)を入れてくれた。
首は横に寝かせたままで、ネイトは顎を引いて、文字通りの『頭痛の種』にピントを当てる。紫色の一頭身に手と足と耳を付けた生き物が、腰、というか頬辺りに手をやって見下ろしていた。
「……おい! 見てないでさっさとしろ! もし遅れようモンなら親方様の『アレ』が……クソッ、ワシはもう先に行くぞ!」
「うあ゛あ゛いやだあ゛あ゛あ゛」「でもこれも夢なら何されようが関係ないよね。いや起きたんだっけ? ん? 逆にさっきのが現実で」
「いつまで寝ぼけてんだボケ今度こそ死ぬぞ!」
アベルは思案するヘルメットの溝と呻く首根っこを掴み、キャラでもない焦りっぷりで二匹を引き摺るようにして朝礼へ連れていった。
「遅いぞ新入り!」
「ギガ、お黙り! オマエの声は相変わらずうるさい!」
廊下を出て広場に着いたネイトたちを迎えたのは交差する怒声。ギルドに入ってからまだ一日も経っていないというのに、耳に入るのは大声ばかりだった。しかも、記念すべき初日のスタートがこれな訳で。
朝礼には、昨日ギルドの案内を受けて一通り回った時には見なかったポケモンたちが並んでいた。「誰だアイツら」「新入りですかね?」「初めて見ましたわ」それぞれネイトたちに注目して小声で感想を述べる。エキュゼはアベルの後ろに隠れた。
んんッ、と喉のチューニングをしてから、クレーンは読み聞かせでもするような優しい声を扉の方へ向けた。
「えー、全員揃ったようだし……親方様♪」
親方様。オヤカタサマ。条件反射で浮かんだピンク色の姿に身が縮こまる。そうだ、これからはあのトンデモモンスターの元で活動していかなくてはならない。早速心が曇天だった。
クレーンの呼びかけから少し間を置いて、返事の代わりに返ってきたのは鈍い音と重い振動。嫌な予感しかしないが、それからギィ、と部屋から出てきたルーは至って普通の様子、
「親方様♪ 今日も一言♪」
「……ぐうぐう……ぐーうぐうぐう。ぐーう……ぐう……」
ではなかった。口から出た音は到底「言葉」と形容できるものではなく、ただの寝息も同然だった。同然というか、そのものである。
(うわ……親方様相変わらずスゲェな……)
(起きてるように見えて、実は目を開けながら寝てるんだもんな……)
弟子たちのヒソヒソ話を聞いて、もう一度ルーの顔を見た。立てる、歩ける、目は開いてる。でも確かによく見ると目の焦点が微妙に合っていないような気がする。
便宜上、起きている、ということでいいのだろうか。
「……ありがたいお言葉、ありがとうございます♪」
「ええ……」
「“寝言”だったよね」
「やべえな」
「そこ、お黙り! ほらみんなやるよ! 『探検隊心得十ヶ条』! せーのっ」
なんだろう、新入りがいる中の体裁として「お黙り」で通すのは無理がある気が。先日までいくらか胸の高まりを感じていたはずのエキュゼも眉と口が横棒になっていた。
しかし儀礼的な部分は徹底しているのか、適当でもしっかり消化しようという意思は伺える。クレーンが出した号令も、その一つだった。
「「「「「「「「ひとーつ! 仕事は絶対サボらなーい!」」」」」」」」「「「「「「「「ふたーつ! 脱走したらお仕置きだ!」」」」」」」」「「「「「「「「みっつー! みんな笑顔で明るいギルド!」」」」」」」」「さあみんな! 仕事にかかるよ♪」
「「「「「「「「おおーーーっ!!」」」」」」」」 高く突き上げた拳と鬨の如し呼応は確かな結束の固さを思わせる。なるほど、ギルドとして名高いのは伊達ではないと、漠然とだがそう感じさせるだけの覇気があった。暗雲が少しだけ晴れた気がした。
最後の掛け声が解散の合図だったらしく、弟子たちは各々散って持ち場へと向かっていった。
残された新星チーム、『ストリーム』。
「で、僕たちはどうするの?」
「お前は寝てたから知らないだろうな」
「ええー? ……いや、わかるけど?」
「なんで見栄張ったのお前」
「うぐ。じゃ、じゃあ、アベルは知ってるの?」
「知るか」
「なあんだ」
「何してるの二人とも……」
ふわっふわな二匹の会話に呆れ顔のエキュゼ。話の結が「なあんだ」とは、なんだ。
ただ、実際のところ仕事を与えられたわけでもなく、何をすべきかわからないのが現状だった。立ち尽くす三匹。そんな新入りに声をかけたのは、ギルドの案内も担当した一番弟子だった。
「ああお前たち、こっちに来なさい」
そう言って羽先で手招きすると、クレーンは梯子へ向かった。ネイトたちも後を追う。上の階に着いてすぐにクレーンは足を止めた。
連れてこられたのは、掲示板の前だった。
「さて。まずはここ最近、犯罪率の増加……つまり悪いポケモンが増えてきてるってことはなんとなくわかるな?」
「時が狂い始めたからだろ」と、決めつけるようにアベル。
「まあ、その限りかどうかは今のところ判明してないが。ともかくお尋ね者をはじめとして悪いヤツらが増えている」
「ときが、くるう?」ネイトが首を傾げた。
疎いな、とでも言いたげにクレーンは目を細める。エキュゼを見ると顔を下に向けて何か憂いているようだった。「時が狂う」、という想像しづらい現象は彼らにとっては共通認識らしい。
「その影響もあってか、大陸各地で『不思議のダンジョン』化が起き始めているのが現状でね。ダンジョン絡みの事故や救助要請などもあって、依頼も急増し始めたのだ」
『不思議のダンジョン』についてはネイトも知っている。一昨日エキュゼから聞いた通りで、不規則的な内部構造故に被害が後を絶たないのだろう。それが広がってきていると聞いて、少し渋い表情になった。
「……じゃ、とりあえず今日はお前たちに簡単な依頼をやってもらおうかな。エート」
そう言いながらクレーンは振り返って、掲示板に貼られた依頼を端から端まで見上げる。やがて首を止めると、左上の方の新しく舞い込んだ依頼に隠れた用紙を、ヒョイと飛んで引きずり出した。
「うん……まあこんなのでいいかな。読んでみなさい」
端に画鋲で破れた跡の残る紙を、リーダーをスルーして差し出されたアベルは嫌々受け取る。チラと申し訳程度に目を通してから、また苦々しい顔をしてネイトに渡した。バトンを取ったチームの代表は興味深そうに食いついたが、それらしくうんうん頷いた末に「これ読めないや」と照れ笑いで返却する。思わぬ形で戻ってきたそれを、アベルは苛立ちを隠せない手付きでエキュゼの前にバッと突き出した。散々たらい回しにされる依頼の主を気の毒に思いながらエキュゼは前足で受け取った。クレーンは頭を抱えていた。
小さな口がゆっくりと開く。
『初めまして。ワタシ、バネブーのリングと申します。
ある日、悪者にワタシの大事な真珠が盗まれたんです!
真珠はワタシにとって命。
頭の上に真珠が無いと、ワタシ、落ち着かなくてもう何もできません!
そんなとき! ワタシの真珠が見つかったとの情報が!
どうやら、岩場に捨てられてたらしいんですが……その岩場はとてもキケンなとこらしく…
ワタシ、怖くてそんなところ、行けませーーーん!
ですので、お願い。誰か岩場に行って真珠をとってきてくれないでしょうか?
探検隊の皆様、お願いします!』
黙り込む一同。
探検隊、といえば。未踏の地の調査、強敵との対峙、ダンジョンの奥地に潜む財宝
。夢とロマンの、誰しもが憧れる存在。
初心者だから妥当ではあるが。
富を得て、名声も我が物に。賞賛と嘱望を雨のように浴びて、いつしか自分が向けた憧れの目を向けられる希望の具現に。そんな野心を抱いてしまうほどに魅力を放つ職で。
初心者だから妥当ではあるが。
『ストリーム』が受ける記念すべき初の依頼は、「失せ物探し」だった。
準備のために自室に戻ったネイトたちはなんとも言えない顔をしていた。
予想外の落胆ぶりを見てか、クレーンは「新人は下積みが大事だから」と優しく対応してくれた。が、初日からボロ出しまくりなギルドに対する不信感から、なんとなく前向きな希望を見出せなかったのだ。
「でも、仕方のないことではあるよね……」
「ヤツらの思う壺だぞそれ」
壁に寄りかかったまま腕を組んで言うアベル。何を思ったのか、エキュゼはムッと口を結んで捻くれキモリを見上げた。それでも構わず「どうせ搾取されるに決まってる」と続けた。
「……じゃあ、どうするの。アベルは行かないわけ?」
「そうとは言ってない」
「よくわかんないけど、真珠を探すのってそんなに難しいの?」
そういう話じゃないんだ、ネイトの割り込みに肩を落とす二匹。
話の腰を折られたせいか、本物の馬鹿の前では考え込むのもなんだか馬鹿らしくなってきてしまう。アベルは諦めて、いつからか部屋の隅で仰向けになっていた亜麻色のバッグをむんずと掴んでネイトの前に雑に置いた。
キョトンとしているリーダーはお構いなしに、アベルはバッグを開いて中から手のひらサイズの小物を取り出す。
「……探検隊バッジ。ポケモンの転送機能がついている。リーダーが持たないとダメらしい」
「そうなの?」
「いや知らん」
差し出されたバッジをネイトは胸に
ではなく、何故だかヘルメットの隙間に押し込んだ。は、とアベルが小声で疑問を呈すが、当人は表情を変えずに首を捻るだけ。ネイトの手にバッジは無かった。
「なんなのお前」
「え? なにが?」
形容し難い行動に「何か」と問うて「何が」と答えられては、もはや言葉を続ける気にもならない。僅かに固まってからバッグに目を戻す。
次に受け取ったのは、中心の一部以外がほとんどが空白で埋められた、経年劣化でもしたような色褪せた紙だった。
「地図?」
「コイツを持ってダンジョンなどに出かければその場所の雲が晴れる仕組みらしいが、本当かよ」
「僕に聞かないでよ」
「それ、真ん中にあるのトレジャータウンじゃない?」
いつからか覗いていたエキュゼが、小さな前足を向けて指し示した。何も知らないまま目覚めたネイトにはここらの土地勘はさっぱりだったが、よく見れば確かに何百分の一くらいのスケールで長階段とプクリンの顔が描かれている。そして、白紙かと思っていた部分にはいくらか渦のような線があって、アベルの言う通りどうも雲らしかった。
情報量の少ない図面を一通り見てから、ネイトは両手を使って器用に地図を丸め始める。綺麗な筒状に仕上がったそれを
やはり骨の中に突っ込んだ。アベルはノータイムで口元をぶん殴る。「ぶふう」と吹いたあと、「なんで!」と逆に憤慨された。なんでって、……なんでだろう。
「まあいい。あと、このバッグにも中々おかしな機能がついている」
「よくないんだけど」
「なんだっけ……中身が大きくなるとか言ってたよね」
「そう、活躍によって拡張されていくみたいだが、具体性がなくて何のことだかわからねえ」
「僕もわからないんだけど」
控えめなバッグは、ネイトにはもちろん、小柄な四足歩行のエキュゼでも持ち歩けそうなサイズだった。さらに肩掛け紐には金具が付いていて、ポケモンの丈に合わせた長さの調整もできるようになっている。「もう既に見た目以上に物が入りそうだな」片腕をずっぽり沈めながらアベルが言う。なんだか違和感のある絵面だった。
ん、と中身を弄っていたアベルは動きを止めた。少し迷った素ぶりを見せてから、奥の方から何かを引っ張り出す。
現れたのは、無色透明の布地だった。
「なにこれ」三匹は声を合わせて言った。
しかもどうやら数は一つではないようで、スカーフ状に限らずリボン型までいくつも出てくる。あらかた地面に広げたところで、むう、と腕を組んでアベルが唸った。ネイトも首を傾けてみる。エキュゼは首を振った。
ガラス色のアクセサリーは透き通っているようで、窓から差し込む光は白く反射させている。無闇に触れさせないような、どこか世離れした気品を漂わせていた。
暫し悩む若者たち。するとエキュゼが「あ」と口を開いた。
「これって……この形ってアレじゃない? 探検隊が首とかにつけてる……」
「いやそれは俺も流石にわかってる。ただヤツらが付けてんのはこんなキモい色じゃないだろ」
「これ付けちゃダメなの?」
迷うくらいならまずは行動してみせる。ネイトが言うとただの無策としか思えないが、今はどうこう考えても仕方がないのかもしれない。彼に倣って、アベルはスカーフ、エキュゼはリボンを手元に寄せた。
「うひょひょ〜♪ どう?」
「似合わ……ん?」
「え、ど、どうしたのその色!?」
二つの視線が、ネイトの首元のリボンに集中した。疑問符を浮かべて本人も下を向いてみる。見えなかったので一度引っ張って外してみると、「ありゃ?」と間の抜けた声を上げた。
リボンは、最初からその繊維を使用していたかのように黒色と化していた。
顔を見合わせてから、一瞬手付きが躊躇を訴えたものの、アベルも透明スカーフを首に軽く固結びで巻いてみる。すると今度は確信的だった。布のガラス色が波紋を描くように揺れると、喉元を中心に赤が駆け走っていき、やがて無色だったスカーフは個性に染まった。
「血?」
「なわけあるか」
「す、すごい! 色が変わった!」
子供のように嬉々としながらエキュゼはリボンを付けようとする。が、関節の都合で首まで上手く前足が届かない。その様子を見ていたアベルが黙って付けてやると、小さなリボンは瞬く間に深い青に変わっていった。
どうやら、リボンとスカーフでそれぞれ色が固定されているわけではないらしい。たった三回の装着ではその規則性は全く把握出来ないが、ともあれ、他の探検隊が身につけているものと同じような一色にはなった。
「なんか暗いな」
「ね」「たしかに……」黒と藍が頷く。
一番明るい赤色のアベルは再度バッグの中を漁ってから「こんなもんか」と手を引っこ抜く。これで、ネイトが不在のうちに渡された道具の確認は終わったようで。
準備が終われば、やるべきことは一つ。
「じゃあさっそく!」
「行かねえよ」
「もういいよ……。ネイト、アベル置いてこ」
「俺が悪かったすみませんでした」
こうして、初仕事が初仕事なだけに上がりきらないテンションを半端に抱えた『ストリーム』は、まだ新品の匂いがする装備を持って、バネブーの真珠が落ちているというダンジョン、『湿った岩場』の探検へと臨むのであった。