第11話 初めてのお尋ね者
ポケモンの技の一つに″ステルスロック″というものがある。鋭利な岩を複数設置し、触れた者にダメージを与えるというものだ。ネイトたちが突入したこの『トゲトゲ山』の壁を形作っているのはまさにそれといっても過言ではなかった。一体どのようにして風や水に曝されればこんな凶悪な見た目になるのか。ただ、幸いなことに足場は何の特徴もない平地だった。
「しかしわからないな」
通路を早足で歩いていると、列の
殿にいるアベルがぼそりと独り言のように呟いた。
「あのシーブとかいうヤツは、何の目的があってガキを誘拐したんだ」
「……身代金、とかかな」
「だとしたら兄も捕まえた方が得だろう。それに自分の居場所を知っているなら尚更だ。野放しにした理由がわからない」
たしかに、とエキュゼは納得した。
片割れのマリルが街へと戻り、こうして誰かに助けを求めに来るのは容易に想像できたことだろう。指名手配を受けた身で、まるで「捕まえてください」と言わんばかりだ。
「どうだろう……私もちょっとわからないや。ネイトはどう? あの時、他に何か聞いたりした?」
「んー…………」
「わかんないか……」
「でも、なんか命令してるって感じだった」
あるいは、この誘拐は突発性のものだったのかもしれない。偶然の出会いから利用までをアドリブで進めたのなら粗の多さも説明がつく。
ともかく、行ってみなければわからない。
そして、一番の目的は事件の真否ではなく、ルリリの安否だ。
「……エグいもんを、見なけりゃいいが」
アベルが零した一言で、足がより早まった気がした。
強烈な自然が生み出したダンジョンに強烈なポケモンは付き物。一層目の階段を登った直後、全力疾走で突撃してきたドードーとイトマルに交戦を強いられることとなった。
「相性が悪すぎる。頼んだ」
「あ、おサボり?」
「いや単に勝機がないからってか前見ろ前前前!」
「うわあちょっ……ひ、″火の粉″!」
グワァ、と毒牙を大きく開いて接近するイトマルに、エキュゼが咄嗟に放った炎弾が直撃する。弱点属性の顔面ヒットにはたまらず、文字通り蜘蛛の子を散らす勢いで逃げていった。
しかし無干渉のドードーにはどこ吹く風。鳥頭でも二つあれば
猿頭くらいにはなるのか、彼の狙いは無防備に背中を向けていたネイトだった。アベル必死の指摘でバッと振り向くが、嘴は既に目と鼻の先。渾身の″つつく″はイトマルの仇と言わんばかりにネイトの頭部を
否、ずれてヘルメット先端の、鼻と鼻を、両の頭で突き刺した。
「んノォーーーーーッッ!?」
本来なら見るに耐えない悲痛な事故なのだろう。しかし同時に響いた情けない悲鳴のせいで、哀れみやら物案じやらが抜け落ちて、呆れと妙な冷静だけが残ってしまった。自業自得だ。
が、不思議にも怪我の功名というのは存在するもので。エキュゼとアベルは手を止めてドードーの様子を見ると、相当勢いをつけたからか、自慢の嘴が骨の鼻孔部分にはまって抜けなくなっていることに気が付いた。
間抜けな戦況を前にしばし沈黙したのち。
「今だ! 殺せ!」
「も、もうメチャクチャー!」
″火の粉″と″はたく″の挟み撃ちに、ドードーは声にならない声を上げながら、引っかかったままの馬鹿を上下左右に振り回して叩きつけ、いくらか暴れると力尽きてネイト共々そのまま倒れたのだった。
不条理ギャグ漫画の住人はどんな災難の前でも強い。恐らくはネイトもその類で、その証拠に次の階層では何事もなかったかのように先頭を歩いていた。交戦の際も、ボケて自滅することを除けばなんら支障はない。
そうして順調だったりそうでなかったりしながら進むことさらに三階層。
「待った。ネイト、動くな」
「ん?」
次なる階段を求めて大部屋を歩いていると、何かに気付いたアベルが真に迫った声でネイトを呼び止めた。
何事かとエキュゼも振り向く。その横をアベルは通り過ぎると、ネイトに近づいて、ス、と手を差し出した。
「そのまま足は動かさずバッグだけ寄越せ」
「こう?」
指示の意味こそ理解していなかったものの、とりあえず言われるがまま肩がけのトレジャーバッグを降ろして手渡す。「よし」と満足げに頷きながら受け取るアベルだが、ネイトへ向ける目はどこか怖い。
「いいか絶対にまだ動くなよ。エキュゼ、部屋の道具を回収するぞ」
「え、あ、うん……?」
要領を得ない、といった様子で曖昧な返事を返すエキュゼ。どうやら一連の流れの真意がわからないのはネイトだけではないらしい。エキュゼもまた、言われた通りに付近のポケやタネを拾い集めてはアベルの持つバッグに放り込んでいく。
やがて部屋が真っさらに片付くと、見渡して、アベルは一息ついた。そしてエキュゼを手招きして呼び寄せてから、変に距離を置かれたネイトに声をかける。
「もう動いていいぞ」
「あい〜。でもなんでそんなに離れ」
くるりと左足を軸にターンして右足で一歩、左足を地面から離した途端、
カチリ、という小気味良い音。
ネイトが立っていた場所を中心に、爆風が広がった。
「えええええええっ!? ちょっ、ね、ネイトぉおおお!!」
「爆破系か。よしよし、回収しといて正解だった」
突如味方に降りかかった禍害に叫ぶ少女と、隣で平常心を超えて冷血のキモリの組み合わせは、悪役のマッドサイエンティストと囚われのヒロインの図だった。
『爆破スイッチ』
。
不思議のダンジョン内には、床に見えない罠が設置されていることがある。部屋の道具をポケモンに変えてしまう摩訶不思議なものから、落とし穴のような単純な仕掛けまで、その形は無駄に多種多様。ただし九割がた進行に悪影響を与えるもので、ネイトが踏んだものも例に漏れない。効果はもう、見たままで説明は不要だろう。
アベルが最初にネイトを呼び止めた理由は、罠を踏み抜いたことに気付き、故になるべく被害を減らすために道具だけ拾い集めておく、という魂胆の元での行動だった。絵面だけだと無情に仲間を見捨てているように見えなくもないが。
しかしヒーローは不滅なり。煙が晴れて映るは立ち姿。目を点にしたまま固まるネイトが、同意を求めるようにして二匹を向いた。
「……な、なにいまの?」
「ピンピンしてんじゃねえか」
「ああ……無事ならよかった……」
「いやすっごい痛かったけどなんか身体焦げてるけど」
自らが受けた仕打ち(正確には避けようのない事故)に対して、味方の反応はあまりに拍子抜けといった感じだった。流石に膨れっ面を見せる被害者。
その笑いは宥めるためか誤魔化すためか、アベルはまあまあとでも言いたげに鋭い目元を緩ませ、片手に持ったバッグを雑に投げて返す。キャッチした荷物を抱えると、むすっとした目付きを飛ばした。
が、因果というのはどうも巡るらしく。
探索の再開を呼びかけようとしたのだろうか、何となしにアベルが数歩踏みながら言った、その時だった。
「どうせ踏んだ時点でアウトだったんだ。次からは気をつ」
言葉は、不意に消えた。
言葉を吐いた主ごと消えたのだ。
アベルの姿を最後に見たその足元には、中心にオーブらしきものが付いた不思議な模様の床が顔を出していた。
けろよ。語末は虚空へと吸い込まれる。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。まばたきを挟んで、変わらず知らない景色がそこにあって、それでようやく自身が置かれた状況になんとなく合点がいった。
ワープスイッチかよ、ざけんな。
アベルは経験こそ無かったが、エキュゼと家を出る前に探検隊についての知識を独学で蓄えていた過去がある。おかげで自分をフロアのどこかへ飛ばした忌々しき罠の名も難なく浮かんだ。
ため息混じりの深呼吸を一つ、周囲を見渡す。左右対称に通路が二本生えているだけのなんてことのない小部屋。まだ通ったことのない場所だった。
「……どうするか」
兎にも角にも、進まないことには合流も叶わない。右側の壁に沿って歩きながら左通路のクリアリング。曲がり角が見えた。これで背面から強襲される心配は多分ない。スッ、と、残る道へ慎重に顔を出した。
くりっくりの目が出迎えた。
「
ッ!?」
即座に引っ込む。
多少距離はあった。が、確実に目も合った。あのムックルは、間違いなくこちらに気付いた。
まもなく飛行タイプの羽音が近づいてくる。隠れることに意味はない。諦めて、アベルはムックルの直線上に躍り出た。そしてようやく、道具も味方もないことに初めて危機感を覚えた。今までは頼ってもいい仲間が近くにいるということが当たり前で、その当たり前が実は多大な安心を生み出していたのだ。下手をすれば後がない状況に呼気が乱れる。
だが、アベルの切り替えは早かった。すぐさま構えて対策を案じる。相手が一体だけならば、あるいは。ちらと退路を見遣って、しかし二度見した。
曲がり角から沸いたもう一匹のムックルが、こちらに視線を寄越している。
「挟み撃ちかよ……!」
アベルは判断は、恐らくは間違っていなかった。可能な限り最善を取ったはずだった。それでもなお、『ワープスイッチ』を起動させた時点で運命は避けられなかったのだ。
残酷にも脅威は迫る。翼を大きく振り上げ、片や高速の突進を見せる。横へ飛び退けば凌げるかもしれないが、どの道二対一は強いられることとなる。しかしまずはこの、敵さえも殺しかねない攻撃をいなさなくては、
いや、
(……もしかしたら、やれるか?)
ある種の悪戯心のような閃きだった。
絶体絶命のアベルが最初に取った行動は逃げるわけでも攻撃態勢に入ることでもなく、二体のムックルを交互に見ながら数歩後退るだけだった。側から見れば「為す術なし」。好機と見たのだろう、ムックルの勢いはさらに増してゆく。
二つの攻撃が指揮に順ずるように重なり合ってアベルを襲う。
立ち尽くす蜥蜴の
否、眼光は鋭く、機を窺っていた。
「ふっ……!」
「!?」
力を込めた翼が頭部へ叩きつけられようとした瞬間、アベルは素早く屈んだ。その力の行き先は、自ずと対角から″電光石火″で飛んできたムックルへ向けられる。相手も同様だった。″翼で打″とうとするムックルを前に急には止まれない。
驚いて目を丸くしたムックル同士が、互いの一撃を加え合う。「ピギャア!」小さな嘴から悲痛な声を漏らし、そのまま地に落ちる両者。
しめた! 一か八かの賭けで細い勝ち筋を掴み取ったアベルは、すかさず追撃を仕掛けに出た。頭を強く打って目を回している方はスルー、突進を受けて起き上がろうとするムックルに尻尾の殴打を食らわせる。一発目で視界を壁で埋め尽くさせ、二発目は意識を奪った。
静まったところで、念入りにそれぞれもう一打おまけしてやる。反応がないことを確認して、深く息を吐いた。
勝った、勝ったのだ。今ここに立っているのはアベル一匹だった。けれども、まだやけに騒がしく感じた。爆発しそうなほどの動悸が、怯えきった内心をいやに主張していた。そんな自身を否定するように、倒れた敵へ振り返って、不敵に笑ってみせる。
「ざまあみやがれ……!」
強気な言葉は震えていて余計に情けなかった。
度重なる不運に曝されながらも、流石に疫病神は去ったのか、合流までの間にアベルが会敵することはなかった。再会した仲間に事情を聞かれると、英雄譚のように得意げに語り聞かせた。話しながら歩いているうちに階段が見つかり、三匹は頂上へとまた一歩近づいていく。
それから大体五分経って。
拳撃を打ち込もうとしたワンリキーをネイトが″炎のパンチ″で返り討ちにしたところで、エキュゼが口を開く。
「すごいねネイト。強敵ぞろいなのにほとんど一発で倒しちゃって」
「まい、ねーむいずツヨシ!」
「力だけの馬鹿だなツヨシ」
「あい、ねーむどツヨシ!」
「黙れ。お前はどうあがこうと所詮ネイトだ」
うぇへへ、褒められたことに対して素直に照れるネイト。アイデンティティを後押ししてくれる素敵な仲間に恵まれたものである。多分。
無言で探索へ戻るネイトたちだったが、数歩後にアベルが付け加えるように言った。
「……ヤツは、たった一人でここを抜けたのか?」
足が止まる。
「他にもいるってこと?」首を回しながらネイト。
「その可能性もある。あるいは」
「一人でいけるくらい強い、ってことだよね」
それも、子供を連れながら戦えるほどの。
『ストリーム』はシーブの罪状を知らない。街のど真ん中で涼しい顔をしながら話していたくらいなのだから、きっと大したことはしていないのだと、そんな固定観念があった。
逆を言えば、その程度のお尋ね者でもダンジョンのポケモンを軽く捻る力は持っているということ。
エキュゼの言葉を最後に、これ以降誰かが口を開くことはなかった。話せば話すほど己の無謀が際立つ気がした。
白い空が、ゆっくりと波のように押し流されていく。
雲上の太陽が、トゲトゲ山の頂上を歩く二匹を追って薄ら影を作る。先頭のルリリの足取りは、まるで遠足で目的地に着いた子供の軽さそのものだった。
「ここがいちばん上?」
「ああ。そうだよ」
落ち着いた所作で付いていくスリープは、保護者らしく穏やかな調子の声で答える。
「すごいです! 雲がこんなに近い!」
「そうだね、すごいよな」
山頂から覗く景色にルリリは曇りない瞳を輝かせた。兄と協力しても、きっと彼らがここへ到達するのは厳しいはずだろう。ここまで来られたのは紛れもなくスリープのおかげだった。
お兄ちゃんにも、見せてあげたいな。
ふと、喜々に浮かれた心が冷める。本来の目的は落し物を探してもらうことだった。漫然とした心に空いた穴のような不安が胸を締め付ける。
「スリープさん、落し物はどこにあるの?」
しかし、ルリリが振り向いた先のポケモンはニコリとも笑っておらず、協力的だった面影は何処へやら、蔑みに似た目で見下ろしていた。
「ごめんな。落し物はここには無いのさ」
「……えっ?」
幼児の疑問符は響いて、そして何も返ってこない。
明らかに空気が変わったのは子供でもわかることだった。困惑が脇目を誘導するが、何の解決にもならない。今のルリリには何か肯定できる話題が必要だった。
「お、お兄ちゃんは……? お兄ちゃんは後からすぐ来るんでしょ?」
「いいや、お兄ちゃんも来ないんだよ」
不可解な状況に確かな恐怖を覚えた小さな存在に、スリープの細目が笑った。愉快だった。悪趣味という自覚はあっても、言ってる内容に嘘偽りはなくて、説き伏せるような感覚がたまらなく心地良かった。顔には出すまいとしていたが、ついニヤケてしまったことを機に決壊した。
「ククク。悪いなあ、実は最初っからお前を騙してたんだよ」
「……!」
「騙してた」。それはつまり、落し物を見たというのも、一緒に探してくれる話も、全部、最初から意味はなかったということ。
スリープは山肌に出来た空洞を指差す。
「それよりちょっと頼みがあるんだ。ほら、お前の後ろ、小せえ穴があるだろ? あン中にはある盗賊団が財宝を隠したんじゃないかって噂があってな。俺の手じゃ届かねえし、お前くらいのガキなら入れると思ったのさ。……おい、聞いてんのか?」
僅かに怒気を孕んだ声に、青い体が跳ね上がった。
目の前の気味悪いポケモンを、ルリリは知らない。この男が、何を話しているのかも理解するだけの余裕はなかった。無意識に足は震え、本能が後退を訴え続けていた。
すっかり怯えきった子供を眼下にスリープは「フン」と満足げに鼻を鳴らす。コイツは自分の思い通りに出来る。一匹のポケモンを支配したという現状に加虐心が高揚していく。
「大丈夫。言うことを聞けば、ちゃァんと帰してやるからよ?」
「い、あ……!」
ルリリは壊れた玩具のように口をパクパクとさせながら、必死に頼れる誰かを探した。
いつだって幼い子にとっての最後の砦は大人だ。自分たちではどうしようもない事態に直面したとき、解決してくれるのは常に彼らだった。大人は絶対的で、畏怖と敬意の対象だった。
だが、この場に唯一存在するポケモンはルリリの知る大人ではない。
「さあ、さっきも言った通りだ。穴の中に入って財宝を取ってこい!」
強い口調を伴った命令が小さな身体に痺れ渡り、いよいよ耐えられなくなって思考も何もかもすっとぶ。だから、ルリリは目の前の男より己の恐怖に従った。持てる全力でスリープの脇を抜けて、感情でぐちゃぐちゃになったまま兄を呼んだ。先のことなんて、何もわからなかった。
ふと、地面がなくなった。足が軽くて、からだが不思議な感じだった。もしかして、飛べるようになったのかな、
いや。
「このッ……! きゅ、急に逃げ出しやがって!」
「わ、あ、」
スリープの手には薄紫の光が纏わり付いていて、そこから伸びる見えない糸の先でルリリは浮かされていた。″念力″だ。奇跡が起きたわけでもなければ、逃げ切れることもなかった。
ブウン、と羽虫が通ったような低音を鳴らしながら、スリープが手繰り寄せるように腕を引くと、ルリリ必死のバタ足の抵抗も虚しく、あっけなく元いた場所へと放られた。
「ったく……ちゃんと帰してやるって言っただろうが!」
逃げられない。少しだけ力を加えた大人を前に、子は無力を悟る。
そして、怒りに顔を歪ませたスリープを見て、命令に逆らったことを深く後悔した。悪いことをした子供には必ずお叱りが来る。『絶望』の意味すら知らないルリリでも、この後もっと恐ろしいものが飛ぶのは察すに容易だった。
茶色の足が近づいてくる。
縮こまって、震えることしかできない。やめて、やめて、やめて。
風の低いうなり声。地面を擦る音。
口が開かれた瞬間、ルリリは構えた。
「言うことを聞かないと……痛い目に合わせるぞッ!」
耳へ入り込んできた暴力が胸の奥に突き刺さり、溜まりに溜まった戦慄が弾ける。ほとんど条件反射で、目を瞑ったまま、ルリリは大きく叫んだ。
「たっ……助けてっ!!」
きっとその行為には、代償はあれど勇気は存在しなかったのだろう。
だがもし、ルリリが一切声を出さなかったとしたら。事件を追うことも、あるいは事実ごと消え去っていたのかもしれない。
心に大きな傷を負わせたままで。
だから、助けを求める声は届いたのだ。
「見つけた!」
「まさか本当にいるとはな。『お尋ね者・シーブ』」
「あっ、あそこ! ルリリちゃんもいる!」
背後から、慌ただしい息遣いの少年たちの声。血の上った頭が一気に冷める。スリープ
シーブは勢いよく振り向いた。
「なっ……!? く、クソ! どうしてお前らがここ
」
が、言葉は途切れた。
凛然と立つ『ストリーム』の英姿が、そこにはあるはずだった。しかしどうだろう、朝方に割り込んできた面々と声は一致していたものの、何故だか身体中に焦げ跡らしきものが付いていた。
驚きの表情は呆れで上書きされる。
「そんな目で見るな。全ては階段の前で爆破スイッチを踏んだコイツが悪い」
「そうだぞ! 僕が悪い!」
「ホントに悪いよ!! どうしてあんな大事なところで踏んじゃったの……うう……」
堂々と胸を張るネイトは、たったこれだけの会話でもわかる間抜けだった。責めるアベルとエキュゼの視線は人目からでも痛い。
小喧嘩に口を挟めないでいたシーブだったが、探検隊という今一番の脅威がただのコメディアン集団であると見て、思わずツッコみたくなるほどの拍子抜けを覚えた。腹の中から自然と笑いが込み上げてくる。そして、自分でもおかしいと思うくらい声を上げて笑った。
「ハハハハハ! そうか! 残念だったなあクソガキ、お前を助けに来てくれたのはなあ……大ハズレの馬鹿どもだったみたいだぜェ!? フッハハハハ!」
「同族扱いするんじゃねえ」
「そうだ! 悪いのは、ぼ、僕……うっ……うっ……」
「うわあ泣かないで!」
幼児ですら涙を堪えていたというのにこの体たらくである。情けなさ満開の十六歳を見て、シーブの言うこともあながち間違いではないかも、そんな純粋な感想をルリリは覚えた。
非道の敵より味方に対して攻撃的なアベルと、ネイトは言わずもがな。残るエキュゼは仲間の慰めもほどほどに、一層不安がるルリリへ、『変なお姉ちゃん』の名が嘘のように力強く微笑んでみせる。
「大丈夫だからね……! 必ず助けるから!」
「ハッ! お前だけは一見まともそうかと思ったが、さっきから足が震えてんだよなァ!」
「え!? あっ……」
勇猛でありながら、しかし本能は残酷なほど正直だった。
思い返すはダンジョン内での最後の会話。このスリープは、きっと強い。三対一の状況でも冷静に相手の戦力を見極めて笑っていられるくらいだ。その余裕に恐らく偽りはない。
そんな相手と、今から戦うのだ。
怖い。
考えれば考えるほど、逃げ出したくなる気持ちが意志を追い抜こうとのし上がってくる。視界に仲間を求めて横を見た。お尋ね者を前にしても変わらず睨みつけるアベルも、心なしか緊張しているように見える。
ネイトは。
ネイトは、先の茶番が嘘みたいに真っ直ぐな目をしていた。まるで鼻からルリリしか眼中になかったかのように、助け出せることは当然であるかのように。立ちふさがる脅威に臆する様子は一切なかった。
思えば、ルリリに何かあったとき、最初に動いたのはネイトだった。面識すらないのに、危機管理能力については実の兄を上回ってすらいたのではないかと。お尋ね者ポスターを見てギルドを飛び出した訳だって、シーブの確保が一番の目的というわけでは、多分ない。
そうだ。自分たちは。
ルリリを助けるためにここにいる。
「あなたなんて、怖くない」
「ちっ、強情なガキだな……」
目付きが変わったことを察したのか、ハッタリと嘲笑せず、シーブは小憎そうに舌打ちした。そう、大丈夫。気持ちでは負けていない。
そんな敵の一瞬弱ったところを狙ったのだろう。追い打ちをかけるように口を挟んだのはアベルだった。
「あたかも余裕そうな態度見せといて、本当はビビってんだろ」
「……あ?」
今度は怯むわけでも困惑するわけでもない、明確な苛立ちを乗せた母音一字が静かに聞こえた。
それでも表情を一つも乱さずアベルは続ける。
「数的不利でも相手が雑魚なら楽勝だなんてのはそれこそ三下の考えだ。俺たちが来た時にはだいぶ驚いてたしな。気い抜いたら負けってのはわかってんだろう、なあ」
すらすらと並べられた言葉に、シーブは黙した。
挑発じみた出だしからこのような論拠が展開されると誰が想像できただろうか。シーブの反応は図星のそれだった。冷静に考えずとも、複数をたった一匹で相手して勝てる保証なんてあるはずがないのだ。言ってしまえば論拠とは名ばかりの常識だが、あれほど流暢だった雑言を止めるだけの効力は確かにあった。
「探検隊が来た時点で詰みだった。お前に残ってるのは『ワンチャン』だけなんだよ」
「
黙れクソガキども!」
それは、叫びと共に突如として宙に現れた。
瞬時に形作られた物体とは名状し難い白い不定形が、彼の怒りに応じるようにネイトの一歩前に叩きつけられる。声を出す間もなかった。砂や小石が飛び散り、短く呻く。
砂埃が薄らいで、その中に尻餅をついたカラカラの姿を認めると、シーブはさっきよりも不快そうに舌打ちをした。
エスパータイプの技、″サイコショック″。
『ストリーム』は抉れた地面を見て背筋が凍りついた。激昂に任せて放たれた一撃は、目くらましでも威嚇でもない。
運良く、外れてくれたのだ。
「なんなら、試してみるしかないな」
荒げた息遣いが、アベルが望んだような動揺でないことは、跳ね上がる心音が証明している。
どこか、現実を侮っていたかと聞かれれば、確かにその通りなのかもしれない。悪事を食い止めるべく颯爽と登板する流れは正義の味方としてはあまりに完璧で、一件落着のビジョンは必然であることを不思議と疑わなかった。
今ならそれが驕りであると言い切れる。
「俺一人で雑魚三人相手できるかどうか」
決して虚勢ではない宣戦に、ネイトたちは臨戦の構えで応える。
力の差を見せつけられてもなお、闘志に揺るぎはなかった。