第5話 門前の冒険
寒い。起きていた時に感じていた砂の温度とは全く違う、氷のような冷たさがネイトの体を包み込む。
まだ覚醒していないまぶたもこの異常事態に反応し、黄緑色の瞳が姿を現す。
「……? ……え゛!?」
ぼんやりとした視界に映る光景を見たネイトは画鋲でも踏んだかのように飛び起き、目をこすって瞬きした。そして再び、信じられないといった様子で「う゛え゛!?」と無駄に腹から声を出した。
辺り一面、白一色。
「んな……ななな、どこここ!?」
クライとロスからエキュゼの宝物を奪い返し、『海岸の洞窟』から脱出したところまでは覚えている。その後は疲弊もあって意識も朦朧としていたからか、よくわからない。
ただ、目の前に広がる『白』は間違いなく海岸とは異なる場所だった。薄い薄い黄土色の砂浜も、夕日の朱色に染まった海も、まるで最初から無かったのかと疑いたくなるほど。
(夢、なのかな? その割には結構リアルな気もするけど)
理解が追いつかない頭を納得させるため、これは悪い夢だ、ということにした。そうでもなければ収拾がつかなかったからだ。
当ては無かったが、かといっても何もしないなんてのもどうかと思った。むしろ、何かあるのではないかと期待し、ネイトは一歩足を踏み出した。
ボズッ、と踏み出した一歩から鈍い音がする。そうか、これは雪なんだ。思い出したかのように寒さが体を襲う。
ネイトは空を見上げる。灰色のかかった空からは、無数の白い雪がゆっくりと沈黙しながら地上へ降り立つ。殺意を持たないそれは、確実に体温を奪っていった。
……なんとなく、嫌い。
ネイトは無意識のうちに雪に対して嫌悪感を抱いていた。
なぜだろうか。自身に問う。失われた記憶は返事をしない。
根拠のない霞んで曖昧な感情に整理がつかず、逃れるようにネイトは歩き始めた。
…………。
どれくらい歩いただろうか。進めど進めど景色は変わらず、ネイトの不安はますます増えるばかりだった。
ふと歩みを止め、振り返って歩いた軌跡を見る。が、降り続ける雪に消され、一歩前につけた足跡すら残っていなかった。
先には何も見えず、後には何も残らない。
どうしようもない虚無感に襲われ、ネイトはその場に座り込んだ。
!!
突然、風が強まった。何も言わなかった雪は攻撃的に体を殴る吹雪と化した。
「ううう、う」
驚くべきは風の強さではなく、雪とは比較にならないほどの冷たさだった。ありとあらゆる物質を問答無用で凍らせてしまうような冷気。
顔を手で覆うも呼吸する度に肺が痛み、吹雪に背を向けようとするも足が凍りついて動かない。この八方塞がりの状況では、もはや力尽きるのを待つのみだった。
すると、眼前で何かが「パキッ」と音を立てる。ネイトは半目開きで音の正体を確認しようとした。
「………へ?」
そこには顔の前に置いた右手を除いて何も無かった。その時だけは頭上に疑問符が浮かび上がったが、違和感に気付いた瞬間、背筋が凍りついた。無論、身体的な意味ではなく。
『右手を除いて』
。まさか。まさか? ネイトの黒目は足元へ向いた。
………………。
数秒前までは自分の体の一部『だった』左手。まだ見慣れない茶色の手はどことなく紫色がかかっており、生物の部位としての役割を終えたかのように断面は白く凍りつき、血が出ることもなかった。
やばい、逃げなきゃ。
恐怖と本能が体に鞭打ち、狂ったように飛び起きる。凍った足を無理やり動かし、振り向こうとした。
パキッ。再び鳴ったその音と同時にネイトは無防備に倒れこむ。首を後ろに向けると、一緒に倒れたはずの右足が直立していた。
「逃さないよ」。主人を見下ろすようにして立つ右足は、まるでそう言っているように見えた。事実、足が無ければ歩くことはおろか、立つことすら出来ない。ほふく前進をするにしても片腕では難があった。
誰か。誰か助けて。
これだけの致命傷を負いながら、ネイトは決して「殺してくれ」とは思わなかった。それが本能的な願いなのか、彼の意思なのかは定かではなかったが、ひたすらに「死にたくない」と心の中で叫んでいた。
ただ、足跡のように、自分も白くかき消されてしまうのが怖くて。
下から上へ、先から内へ、身体の感覚が少しずつ消えてゆく。
…………。
…………!
雪を踏む音がする。薄れかけの意識が覚醒し、ネイトは力を振り絞って顔を上げた。この吹雪に逆らいながら歩ける者がいるのだろうか。藁にもすがる思いのネイトにはそんな疑問など浮かぶ余地もなかった。
白く霞んだ世界に、赤く光る点が一つ見えた。軽く左右に揺れているところを見ると、歩いているのは光の主であることは間違いなさそうだった。ネイトは助けを求めようと口を開いた。
瞬間。この世のものとは思えない猛吹雪が全身を襲う。体温がどうとかそういうレベルを超えて、足が、胴が、腕が、次々と氷漬けにされる。今度こそ本当にどうしようもなかった。
「…………誰?」
無意識のうちに出た問答は、この状況下では全く意味を為さないものだった。
ネイトが意識を失う前に、赤い光が嘲笑うように歪んだように見えた。
もはや夢であることはさっぱり忘れていた。
『……起きろッ!!』
「
ぶええぇぇえっっくし!! う……」
朝一番の大音量のくしゃみで、ネイトの意識は現実へと戻された。
白くモヤのかかった視界が色づいてゆく。青空、砂浜、洞窟、大海原……一つ一つ確認するように見渡し、肝心な左腕と右足が欠如していないことまで認識し、ようやく先程の光景は夢だったのだと確信した。
「そっか、寝落ちしちゃったんだ。疲れて」
既に夜は明け、昼ほどではないものの、地上は太陽によって明るく照らされていた。夕方には見れなかったコントラストの強い、いわば『本来の色』の海岸を今になって初めてネイトは見ることになった。
(……さっきの夢とは大違いだ)
当たり前のことではあったが、やけに現実味のある地獄のような夢を見た後ではこの『当たり前』に感謝せざるを得なかった。
あの夢はなんだったんだろう。
暖かな海辺のイメージとは正反対の雪景色。記憶にないどころか『雪』という存在自体が夢を見てようやく思い出せたぐらいだ。寒さを感じることですら頭から抜けきっていた。
凍りつく身体。欠損していく四肢。絶望を体現したような赤い光。
そして何より
目覚める直前に聞こえた、誰かの声。
ネイトは再び左腕を見た。それは紛れもなく人間の手ではなかったが、自分の意のままに動かすことが出来た。
「……過去に何があったんだろうなあ、僕」
ぽつりと出た一言は、どこか助けを、回答を求めているようにも聞こえた。
消えた引き出しの鍵。棚の中の本当の自分。そこに在るはずなのに、正体の掴めない、誰も知らない何者かが潜んでいる。
「起きてたか」
突然背面から声をかけられ、驚いたネイトは素早く立ち上がるもバランスを崩し、前のめりに倒れた。倒れた場所が砂浜だったのは不幸中の幸いだったのだろうが、そもそも足場の悪い砂浜でなければ転ぶこともなかったのかもしれない。
「なんというか……
とことん駄目だよな、お前」
「あービックリした! なんだアベルかあ」
「お前に『なんだ』呼ばわりされたくない」
驚かせた本人、アベルは相変わらず辛辣だった。キモリは体色こそ明るく良いイメージがするものだが、当のアベルは不機嫌そうに目を細め、腕を組んでいた。あるはずもないドス黒いオーラが背後から滲み出ているようにも見えた。
アベルがため息をついたところでネイトが気がつく。
「んん? そういやエキュゼがいないけど」
「ああ、アイツは……今日も懲りずにギルドに行ってる。本人曰く今日で最後にするらしいが」
「ギルド? 最後?」
「なんでもない。それより……こっちからも聞きたいことがある」
「なんでも聞いてよ!」無駄に元気良く答えるネイト。態度とは裏腹に答えられるような新規のプロフィール情報はほぼゼロに近く、非常に頼りない。
呆れたアベルがさらに深いため息を吐き出す。
「まあ、質問といっても取り調べみたいなもんだがな」
「と、取り調べええぇぇええ!?」
「間違えた、尋問だ」
「じ、尋問んんんんんんん!?」
「冗談だ。確認だ確認」
冗談とは思えないようなだいぶ自然な口ぶりだったのだが、昨日までは険悪だった二匹の距離がかなり縮まったようにも思え、内心ではネイトは安心していた。アベルが犯罪者扱いしている節があるのは別として。
「正直に答えろよ。さもなくばブタ箱送りだ」
「やっぱ疑ってるよね!? 冗談じゃないよね!?」
「安心しろ、当たり前だ」
「あーよかった〜……」
認識及び受け答えがどこかズレてしまっているものの、変に誤解を深めることなく済んだという意味では潔いほどのアホに助けられたと見てもいいだろう。しかし予想以上のアホに困惑するアベルは、先が思いやられる気持ちでいっぱいだった。
「……もういい、まずは名前から教えろ」
「え? 確か昨日言わなかったっけ?」
「確認っつってんだろ」 コイツはコイツでわざとやっているんじゃないか、そんな疑問と苛立ちが同時に湧き上がる。これが素であればなおヤバいということになるが。
血が上りかけた頭を冷やすように、アベルは自身の顔を手で煽いだ。
「『ネイト・アクセラ』で合ってる……はず! 多分!」
「メチャクチャ曖昧じゃねえか」
「えー? だってあの石見たらなんか頭に入ってきたからさ、それ以外に思い当たる名前もないし……」
事実、これ以上言いようがなかった。確信めいた情報でもなければ、他に候補となる名前も見当たらない。
「『頭に入ってきた』ってなんだ。普通に『思い出した』、とかでいいだろ」
「んーなんか……わがんね!」
「あーそうかそうか、じゃあ次いくぞ」
お互いがイマイチ納得の出来ない回答。追求しても無意味だと判断したアベルは半ばなげやりな態度でこの話題を打ち切った。
「お前、カラカラのクセに武器は持ってないんだな」
「え? そりゃ人間だし……」
「鏡見てから言え」
「んー……?」
突然考え込むネイトを見て、手応えありか、とアベルに期待の感情が湧き立つ。本人ですら確証のない名前と、元人間であるという信じがたい情報しかなかった現在、些細な事でもわかるというのはありがたいことである。
「多分だけど、」
「ああ」
「人間も武器は持ったんじゃないかなあ……」
「ああ……ああ?」
見事に的外れ。的どころか、そもそも狙う方角をミスっている辺りは流石はネイトといったところか。異変に素早く気付いたアベルが「待て待て待て」と制止をかけるが、間違っている自覚がないせいか、ネイトは話を続けた。
「いやいや、確かに見た目はポケモンだけどね? 中身は人間だから」
「はなから聞いてねえ。俺は『カラカラの武器である骨は持ってないのか』って聞いたんだ」
「骨? 武器? わがんね!」
「
あークソ! もういい!」
頭を掻きながら叫ぶアベルには同情をかき立てられるものがあった。武器についてはひとまず、『本人には覚えがない』という結論で締めることにした。
「よく考えればお前みたいなヤツに話を持ちかける俺が馬鹿だったな。すまない」
「やーいバーカバ〜カ♪」
「殺すぞ」 ネイトは少し前に「距離が縮まって安心」などと考えていたが、あろうことかそれを自らぶち壊すように一言一言神経を逆撫でする言葉を発していた。悪意があるか否かが問題ではなく、『口を開けば宣戦布告』であることがどうしようもない現状だった。しかも悪意はさほどない。
「他に何かないのか、クソ野郎」
「んーとね………あ! 夢見た!」
なかなか有力そうに思える発言だが、先ほどの経験からもはや諦めモードなアベルはノーリアクション。だったら最初から聞くなという話だが。
「そうか。ならさっさと言えゴミクソ野郎」
「なんかね、真っ白な雪の世界で手足が凍りついて取れちゃう夢」
「……なんか思ったよりエグいな」
ネイトの話に興味なしだったアベルもこれにはやや驚いた様子を見せた。アホの連発で何も考えていなさそうなヤツが、あまり普通だとは思えないような悪夢を見ているなどと想像がつかないだろう。
「もしかしたら……僕の過去と何か関係があるのかなあ」
「手も足も欠けてないヤツが、過去に五体不満足になったと?」
ぐうの音も出ない正論である。
「うーん、そしたら……未来のこと?」
「まさかな」
丁度その時。
その一点に、世界が注目するように。
風も、音も、全てが止んだ。
「……まさかな」
「うん……だよね……」
昼間だというのに寒気がするほどの不気味な静寂。次の瞬間には、何事も無かったかのように一定のリズムで波音が奏でられていた。
異様な出来事に二匹はしばし沈黙していたが、痺れを切らすようにアベルが口を開く。
「色々聞いたが、まあ、単なる暇つぶしだ。別に重要な話をしてるわけじゃない」
「あ、そうなの?」
「ああ。元よりゴミクソカス野郎とまともな話が出来るとは思ってなかったしな」
「なあんだ、取り調べとか言うからビックリしたよ」
ネイトの安堵に関してはなんら問題ないのだが、
先ほどから口ごとにエスカレートしていく二人称に対して一切ツッコミがないというのはいかがなのだろうか。しかもこれで会話が成り立っているのだから余計に不可解である。もしかすると、こういった趣旨の高度な会話なのかもしれない。
「さて、そろそろ行くか」
「行くって?」
「ギルドだ。アイツのことだろうし、どうせ今日もウロウロしてるだろうが」
「ん〜……?」
事情はわからないままだったが、トレジャータウン方面へ足を進めるアベルに、ネイトはとりあえず着いて行くことにした。
海岸を出ると、そこにはある程度整備された道が広がっていた。海岸の岩壁はどことなく荒れたイメージがあったが、道の脇には目に優しい樹木が立ち並んでいた。記憶のないネイトにとっては、海岸に次ぐ全く新しい風景である。
「そういやエキュゼって何してるの? 最後とか、ウロウロとか言ってたけど」
「……まあ、私用だ。お前には関係ない」
露骨に語りたくなさそうな様子で、アベルは隣を歩くネイトに向かって言った。向かって、といっても顔は向けずにだが。
少し歩くと、高さはそこまででもないが、適当な造りの急な階段が見えてくる。誤魔化しも兼ねて、アベルは階段の上の方を指差し、「あそこがギルドだ」と説明した。
「へえ〜あそこが……って見えないんだけど」
「ああ、俺もまだ見えない」
「ふーん……」
疑問を持つべきポイントを「ふーん」で済ませようとするのは一種のボケなのだろうか。アベルは人知れず心の中で「えっ」と困惑していた。
ちょうど階段辺りに差し掛かると、左側の通路から賑やかな話し声や物音が聞こえてくる。何事かと気になり、ネイトは左側を覗くようにしながら階段を上った。するとそこに見えたのは、カラフルな建造物と、姿形の異なる多くのポケモンたちだった。
「うぉぁ……めっちゃポケモンいる……」
「当たり前だろ。トレジャータウンだからな」
トレジャータウン。近辺に住んでいるポケモンなら誰しもが知っていると言っても過言ではない、住居と商業施設が一体化した『町』である。
目を覚ましてから大した数のポケモンを見たことのなかったネイトは、その群衆に圧倒されているようだった。
「こっちだ」
ネイトは多くのポケモンたちの姿に目を奪われていたが、アベルの呼びかけで、はっ、と我に返る。相変わらず顔は向けずに言っていた。
正面にそびえ立っていたのは、先ほど上ったものの二倍以上の段数はあるような階段だった。見上げると、アベルは既に中腹辺りにまで差し掛かっており、置いていかれるまいとネイトは駆け足で階段を上っていった。
真っ昼間の日差しが容赦なく降り注ぐ高台の頂上。誰も長時間いたいとは思わないであろうこの場所に、ただ一匹、エキュゼは門の脇に座っていた。
その表情は暗く、俯いていた。遮蔽物ゼロの陽光が照りつけるこの空間で、彼女は自分の影を見ていた。
「やっぱりか」
「あ……アベル……」
不意に声をかけてきたアベルに、エキュゼは、しまった、と悲観の表情を浮かべる。続いて、恥ずかしいような情けないような感情が込み上げてくる。反射的にアベルに向けた視線を下げた。
「うげぇ、へぇ……足腰に染み渡るねえうへへへへ」
「黙れ」
「そっか……ネイトも来てたんだ」
階段を一気に駆け上り、息を切らしたネイトは、どことなくヤク中(階段中?)を彷彿とさせる状態で現れた。セリフも相まってノリノリである。
妙なテンションで喋る輩がいれば、赤の他人でも目を引く。当然ながら下を向いていたエキュゼもその例外ではなく、顔を上げてネイトを見やる。
屈託のない笑顔は、自身の置かれてる状況に流されない、どこか力強さを感じさせるものだった。記憶を失い、右も左も分からないはずなのに、その顔はしっかりと現実を見据えているように思えた。
彼となら
。
決意を固めるようにして、エキュゼは誰にも気づかれないように小さく頷いた。
「言ったよな? 今日で最後にするって」
「うん………」
責め立てるような厳しい口調でアベルは言った。語気から憤りの感情は見えないが、あまり機嫌は良くない様子だった。ネイトも何かを察したのか、打って変わって黙り込んだ。
「正直、お前は探検隊に向いてない。戦闘もろくすっぽに出来ないし、これだけ通って入門すら出来ないなら諦めた方がいい」
アベルの言葉が、ずしり、とエキュゼの心に重くのし掛かる。だが、罵倒というよりかは警告に近かった。先を見越した上でエキュゼを心配したのか、はたまた面倒ごとを嫌ったアベルの心境から来たものか。
俯いたままの状態で、エキュゼは重い口を開いた。
「……アベルの言う通り、私は弱いし臆病者だし、一人じゃ何も出来ないってわかってる。だから……」
一つ、深呼吸を置いて。
「お願いネイト! 私たちと一緒に探検隊やって!」「んなっ……!?」
必死さを訴えるような声量と土下座。驚いたのはネイトではなくアベルの方だった。
「お前……自分で何言ってるかわかってるのか?」
「わかってるよ! 一人じゃ何も出来ないから、頼れる仲間が必要だと思ったの!」
勢いよく顔を上げ、エキュゼはヒスでも起こしたかのようにまくし立てた。
若干逆ギレが混じっているようにも見えるが、話していること自体は正論だった。今のエキュゼが一匹で探検家デビューなどしても、持って二日ぐらいだろう。だが、ここで頼る相手が会って一日のポケモン、その上馬鹿で素性も知れないヤツとくれば、いくらアベルでなくてもそう簡単にオーケーは出せない。
当のネイトは話に着いて行けず、両者を交互に見続けていた。
「え……えとえと? ごめん、たんけんたい?ってのがなんなのかわからないんだけど……」
二匹の言い合いから流石に空気を読んだからか、ネイトは少し申し訳なさそうに聞いた。それに対し、アベルはやっぱりな、とでも言いたげに鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「あの、ね? 探検隊っていうのは、世界各地の不思議のダンジョンや未知の場所に行って、おたからを探したり、お尋ね者を捕まえたり……と、とにかく、色々楽しいことがあるのっ! 多分!」
なんて言ってみたものの、表面上の情報でしかなく、エキュゼ自身もそれを自覚しているからか「多分」とわざわざ付け加えるほど曖昧である。
……が、エキュゼの必死さ故か、「とにかく楽しい」ということだけはネイトに伝わったらしい。うんうんと頷きながら、どことなく少年のように瞳を輝かせた。
「探検、かあ。んふー、確かに楽しそう……」
「でしょ! ね、一緒にやろっ?」
ここぞとばかりにエキュゼが強く催促する。しかし、やや乗り気だった表情はどこに行ったのか、ネイトは困ったように「あー……」と声に出して迷うそぶりを見せた。
記憶のない彼にとって、現時点で頼れる相手はエキュゼとアベルしかいない。仮にここで断ってしまえば、あてもなく路頭に迷う羽目になる。着いて行くのが賢い選択だろう。
しかし、彼の頭に浮かんだのはいくつかの不安要素だった。
一つは、右も左もわからない状況で『探検隊をやる』という選択は正しいのだろうかという疑問。
そしてもう一つは
出会ったばかりの彼らを信じていいだろうか
疑問というよりかは心の迷いのようだった。
「うーん……どうしよ」
(あ、え、あれ……え、も、もしかして、ダメ!?)
悩むネイト。焦るエキュゼ。蚊帳の外で一連の会話を静観していたアベルも呆れてため息をついた。勝手にしてくれ、内心そう思っていた。
困りに困ったエキュゼは、眉を八の字にしてアベルの方を向いた。口にしなくてもわかる露骨なほどの「助けて」サインだった。
めんどくせえな。
嫌々ではあったが、このまま収拾がつかないのも面倒だと感じ、アベルはネイトに向かって二歩ほど足を進めた。
「おい、何をそんなに悩んでるんだ」
「ん、いろいろ!」
アベルは下を向いて再びため息をついた。元々まっとうな回答など期待していなかったが、いざ目の当たりにすると先が思いやられる。
ここでアベルは、選択に悩める人々への解決策として名高い『消去法』を使うことにした。もっとも効率よく、結果もそれなりにはイイ感じになる……とは限らないが、まあ要するにアベルはめんどうくさかったのである。
「お前、記憶は?」
「ない!」
「なら行く当ては?」
「ない!」
「もう答え出てるじゃねえか。何を迷ってる」
と、十秒も掛からず答えが出てしまったのはアベルにとっても驚きだったが、何がどうあれエキュゼは安心した様子だった。
しかし、それとは裏腹にネイトは未だ複雑な表情を浮かべていた。その理由を二匹は理解出来ず眉をひそめたが、そんな二匹の疑問に答えるように「そうだけど、」と言い、言葉を続けた。
「今の僕に、探検隊とか出来るのかなあーって」
じゃあ海岸の洞窟で活躍したのはどこのどいつだ、と問いたくなるが、これは謙虚ゆえのセリフではなく、彼の内側にある不安からくるものだった。もう一つの不安は当然ながら彼らの前で直接話すことはしなかった。
ネイトの告白はやや曖昧ではあったものの、どうやら言わんとしてることはなんとなく通じたらしく、アベルは腕を組んで次の言葉を考えた。
「だだ、大丈夫だよ! 海岸の洞窟でも、ほら、私の宝物を取り返してくれたじゃない!」
「そうかなあ……」
アベルの考える時間を稼ぐような、なんとも都合のいいタイミングでエキュゼが割り入る。投げかけたのは不安を払拭するような激励の言葉だったが、ネイトの表情は依然として晴れそうになかった。
あまり良いものとは思えないこの流れに、再びエキュゼが焦り始める。落ち着かないヤツだな、と考えながらアベルはいかにも落ち着いた(というより呆れた)様子で淡白に話す。
「……あのな、そもそもギルドは依頼だけでなく情報も取り扱う機関だ。適当にやってればそのうちお前のこともわかってくるだろ」
「そ、そう! そうなの! だからえっと……一緒にやってみよ! 適当でいいから!」
適当なのはどうにもいただけない話だが、この説明には納得がいったらしく、スッキリとした表情でネイトは二匹へ顔を向けた。
「……ん、わあった! とりあえず今はやってみるずぇ!」
「ホント!? よかったあ……!」
「その無駄に高いテンションはなんなんだ」
安定しないネイトのキャラクター性に散々振り回された二匹だったが、うだうだと延長戦を続けた割にはやけにあっさりと結論が出てしまった。なんだか報われない。
ともあれ、今後のネイトの方針については解決したのだ。相手が相手だったため非常に厄介な問題ではあったものの、これで晴れてプクリンのギルドへ弟子入りを
「
って、待て。やっぱ待て。俺はソイツと探検隊やるだなんて一言も言ってないぞ」
「ズコー!」と盛大にネイトがコケるが、それこそ大コケだと言わんばかりにスルーされる。
エキュゼはなによ、とでも言いたげに、露骨な細目でアベルを睨みつけた。
「……ダメ、なの? さっきまで協力的だったのに……」
「うっかり流れで話を進めてしまったが……あの馬鹿と組むのは流石に不安が残る」
「ふーん……じゃあいいよ、二人でやるから」
「「ゑ?」」
ネイトにとっても想定外の展開。呆気にとられる二匹を尻目に「行こ、ネイト」と言い残し、エキュゼは入り口の方へ体を向けた。
アベルは考えた。これは俺に対する脅迫で、探検隊への参加を強制するつもりだ
そう見抜いた。
しかし、そうとわかっていても彼は「はいわかりました」、とついていく気にはなれなかった。ひたすらに面倒だった。むしろギルドで一度痛い目に合って、己の浅はかさと厳しい現実を痛感して帰ってくればいい、この時ばかりはそう思った。
付き合ってられるか。
「ああそうか。ならもう勝手に……」
言葉の途中で、不意にネイトの姿が目に入った。口元に手を当て、目を細めて軽く俯くその表情は真剣そのもの。いくら頭足らずな彼にもこの件に関しては考えがあるのだろう(そもそもコイツが原因だが)。そう推測したアベルは、自分の意見が間違ってはいないということと、ネイト自身も何かしら不安を自覚していることに安心し、ほっと胸をなでおろした。
小声でネイトが呟く
。
「んふぅ〜、これがいわゆる『俺たちの冒険はまだ始まったばかりだ!』ってやつ……」
駄目だ! コイツとエキュゼを一緒にするわけにはいかない! 安心したのもつかの間。アベルは本能的に危機を察知し、背を向けたエキュゼを全力で止めにかかる。
というかあの野郎、あんなマジな顔でクッソくだらないこと考えていたのかよ。一瞬でもヤツを信じた数秒前の俺を消しとばしてしまいたい。
「エキュゼ! 待ってくれ……
お、俺が悪かった!」
あゝ、情けない。
先ほどの子を叱る親のような立場とは一変、悪事が発覚して泣き散らしながら命乞いする権力者の形相となったアベル。ふつふつと沸くネイトへの怒りや羞恥を抑え、エキュゼの肩を掴む。
「そ、その……
ク゛ッ゛……!! 俺も入れてくれ!
頼むから!」
「あり? なーんでアベルが頼み込む側になってるの?」
歯を食いしばってメンタルダメージを堪えるアベル。対して元凶であるにも関わらず呑気に事の成り行きを客観するネイト。エキュゼにはこの酷い温度差がどういった過程で生まれたのか見当もつかない様子で、疑問符を浮かべながら二匹の顔を交互に見た。
「え、えーっと……? よくわからないけど、その、アベルは一緒に来てくれる……ってこと?」
コクコクと必死に頷くその姿はシュールを通り越して一種の憐れみすら感じてしまうほど。ネイトの口から「えぇ……」と声が漏れた。
「あ……うん、わかったから……一旦落ち着いて? その、不気味だし……」
エキュゼを魔の手から守る為にプライドを完全に捨てたというのに、当の本人からの反応は冷ややかなものだった。アベルからすればこの上なく不憫である。
しかし、成果はあったらしく、アベルが異議を取り下げることで全員の意見は一致した。体を張っただけあり、アベルの心には少しのやりきった感と膨大な後悔が残っていた。
と、そんなこんなで紆余曲折あったものの、結果的には三匹で肩を並べてギルドへ足を運ぶことになった。
「アベルでもあんな顔見せるんだね。ちょっと引いたけど」
「え、うん……私も初めて見た」
「誰か俺を殺してくれ」
約一名、
第5話目にしてキャラ崩壊をするという甚大な被害はあったものの、話の発端であったエキュゼの心的な問題も解決し、ネイトの今後の方針もある程度決まった。
俺たちの冒険はまだ始まったばかりだ。
「……あっ」
ギルドの方を向き、アベルは思わず声が出た。視線は斜め下。
見張り番。
「あ……そうだった…………」
完全に失念していた。エキュゼの入門を阻む第一関門、それは見張り番。
そして、彼らは思い出した。自分たちが抱えていたのは入門以前の問題であると。
「え、えっと……アベル、先に通ってくれ、る?」
俺たちの冒険はまだ始まったばかりだ。