第3話 初探検
エキュゼとアベルが目を離した隙に、勝手に単身で洞窟へ突入したネイト。デパートで迷子になる子供の典型的なパターンを迅速に繰り広げた彼は
悪くも悪くも『無駄の無い無駄な行動』のプロと言っても過言ではなかった。
洞窟内は海岸の隣ということもあってか、低地には人間でも泳げるほどの深さの水が溜まっており、湿気も高く蒸し暑かった。
地面タイプである以上、カラカラという種族はあまり水気を好まないはずだが、ポケモンの体に慣れていないからか、ただ自覚が足りないからか、この環境に不満を持つことはなかった。
「気ーがーついーたら〜、おなじみーちーばーかーり通る〜♪」
それどころかネイトはピクニックにでも出かけているかのようにご機嫌だった。上手くはないが下手でもないソプラノボイスが洞窟内に反響し、その様子はさながら天然のホールのよう。
「そしていーつーもおなーじ場所で止まる〜……アレ?」
歌詞に合わせてネイトの足が止まる。そもそも記憶喪失しているのに何故か歌詞を覚えているという点については本人も疑問に思わなかったのだろうか。思わなかったのだろう。
立ち止まった場所は十字路。そういえばさっきも同じ道を通ったような気が。脳内で一つのクエスチョンマークが浮かび、わざとらしく顎に手を付けて首を傾げた。いわゆる考えるポーズである。
前々話で説明した通り、ここはただの洞窟ではなく、『海岸の洞窟』というれっきとした不思議のダンジョンなのだが、元人間である上記憶が無いとすれば、当然ながら知る余地もなかった。
すると左側の通路から、ぺちゃ、ぺちゃと、何かが近づいてくる音が聞こえた。音は確実に近づいてきているため、天井から雫が落ちる音、なんてことはなさそうだった。その音はどういうわけか粘着質で、不快な感じがした。
「……? もしかしたらエキュゼと……エート、なんだっけ、緑色の方……まあいいや」
さっそく記憶障害が発生しているのは置いておき、ネイトは音の正体が何であれ、考えるよりも見に行く方が早いと思い、左側の通路に迷わず歩いていった。
ぺちゃぺちゃという音から一瞬妖怪的な類を連想したが、見えてきたシルエットはロコンに近い感じで、バケモンではなくポケモンだと確信が持てた。
もう少しで全体像が見えるか、というところまで近づいた瞬間
不意に泥がネイトの顔面にぶちあたり、その衝撃と驚きで一歩、二歩と後退する。
「いでででで……目が……げっ!? バケモンぢゃん!」
顔にかかった泥を払い落とし、視界を取り戻した先にいたのはピンク色のウミウシのようなポケモン、カラナクシだった。けっしてバケモンではないのだが、ネイトが想像していたのがエキュゼのような四足歩行のポケモンだったので、とっさに出てしまったのだ。全国のカラナクシ愛好家の皆さんごめんなさい。
しかし、こんな最悪なファーストコンタクトであったのにも関わらず、ネイトは「道を聞けるチャンスだ!」と考え、カラナクシにさらに接近した。
「えと、ごめんなさい。ちょっと道に迷っ
ウボァ!」
カラナクシはネイトを完全に外敵だと判断したのか、はたまた「バケモン」というセリフが精神的にショックだったのか。はなっから話を聞くつもりはないらしく、容赦なく攻撃を仕掛ける。
ところがここで引き下がらないのがネイト。自慢のコミュニケーション能力(笑)と過度のアホ根性を駆使し、なんとしてでも先へ進む道を知ろうとする。
「道に迷っちゃったからどこに
ゲリョス!」
「どこにいけばいいかおし
まそっぷ!」
「教えてくださいプリーズ!
ぬがあ!!」
初戦からネイトとカラナクシの熱い猛攻が繰り広げられるという、バトル系の話としては最高の展開だが、戦闘形式が全くもって意味不明なのと、主人公の目的がただの『Excuse me?』であることから、何一つ目を惹きつけるものはなかった。
さらにネイトは道を聞く度に顔面に泥がヒットするノーガード戦法を貫いていたため、いくら威力の低い゙泥かげでもかなり体力が減らされていた。
「てぃ、てぃーち、みー! 道あんな
べひゃあ!」
もはや何回目になるのかもわからない、その一撃を食らった瞬間、ネイトの体がぐらりと揺れたかと思うとあっけなく前のめりに倒れてしまった。戦いにおいては異常でしかないネイトの行動にカラナクシは狂気すら感じていたが、ようやく倒れてくれたことにほっとし、その場を後にしようとした。
だが、安堵してネイトに背中を向けた丁度その時だった。カラナクシの背中に何かが当たり、恐怖で体が凍りつく。まさか、と思い首だけで振り返ると、
「えくすきゅぅぅううず、み゛いいぃぃぃい゛い゛い゛い゛……!!」
ネイトの手には力こそ入っていなかったが、それでも泥だらけでカラナクシの背中を掴む姿にはインパクトがあり、その上黄緑色の眼光は振り返ったカラナクシの目を刺すように見ていた。なんというか、一種のホラーだった。
正気を保てなくなったカラナクシは悲鳴とも奇声とも区別のつかない大声をあげ、ネイトの手を必死になって振りほどいた後、その外見では考えられないような猛スピードで通路の奥へと逃げていった。
「あえ? どっか行っちゃった……知らなかったのかなあ」
これだけのホラーを発生させておきながらも、ネイトとしてはあくまで『道を教えてください』というのが本題だったらしく、攻撃されていた自覚や危機感を全く感じてなかった。それどころか「TeachじゃなくてTellだったかなあ」と適切な英語だったか否かを反省している始末。これがボクシングだったならROUND1で鼻血を吹き出していただろう。
むくりと立ち上がったネイトは骨のヘルメットや体に付着した泥を落とし、十字路で立っていた時と同じく周囲を見渡した。依然として道はわからないままだった。立ち尽くしていてもしょうがないと考え、ネイトはとりあえず真っ直ぐ進むことに決めた。
その一方で、遅れてダンジョンに入ったエキュゼとアベルは、石を奪った二匹組を探すより先にネイトの捜索をしていた。最初からネイトありきの勝機だったから、というのもあるが、『不思議のダンジョン』のシステムを知らないであろう彼を一匹にしておくのはまずいと判断したからだ。どう考えても自業自得だが。
ただ、炎タイプのポケモンであるエキュゼは、ネイトとは違って本能的にここの湿気に嫌悪感を感じていた。こころなしか、アベルも蒸し暑さに嫌気を感じているようだった。
「ど、どうしようか……思い切って呼んでみる?」
「やめといた方がいい……はず。どんな輩が沸いてくるかわからん」
大声でネイトを呼ぶのが恐らく一番手っ取り早い方法なのだろうが、それを聞いた別のポケモンたちが集まり、侵入者である自分たちを排除しにくる可能性もある。最終目標は『ドガースとズバットにバトルで勝つ』ことなので、出来る限りなら消耗したくないというのがアベルの考えだった。
「大丈夫かなネイト……もしかしたらここのポケモンに襲われてたりして」
「一人で勝手にずかずか入っていくぐらいだ。まあ問題ないだろう」
実際のネイトは
二匹の想定を大きく上回る奇行をしていたのだが、当然ながら二匹がそれを知る由もなかった。
あてもなく真っ直ぐ歩いていると、先ほどネイトも何度か通った十字路に出ることができた。迷宮のように入り組んだ通路も不思議のダンジョンの醍醐味の一つだが、
人探しをしている今においては厄介きわまりないものだった。
どの道を進もうか、とアベルが考えようとしたが、正面の通路からカブト、右側の通路からはシェルダーがこちらに向かってきているのを確認し、幸か不幸か、消去法で左側の通路を進むことを決めることができた。アベルは「こっちだ」とエキュゼに着いてくるよう催促し、半ば逃げるような形になってしまったが、どうにか接敵を避けることが出来た。
「ねえ、あのポケモンたちも、もしかして……」
「もしかしなくてもだな。ネジ飛びだ」
やっぱり、とエキュゼは肩を落とした。
不思議のダンジョンに生息するポケモンはどういうわけか凶暴化しており、探検家や冒険者を見つけるやいなや攻撃を仕掛けてくるらしい。二匹もこの現象については詳しくなかったが、救助隊や探検隊といった専門職が出来たのもこういった理由からなのだろう。
アベルが「ネジ飛び」と呼んだ、凶暴化したポケモンへの対処方法は『倒すこと』以外になく、見つかればまず戦闘は避けられない。故に、戦闘経験の乏しい二匹が逃げることで戦闘を避けたのは妥当な判断だった。
「……。ギルドに弟子入りしたら、やっぱりたくさん戦うことになるのかな……」
「だろうな」
エキュゼにとって戦闘とは遠い存在でしかなく、ダンジョン突入前もその認識が変わることはなかった。だが、『現場』の緊張感流れる空気は考えを改めさせるのには十分すぎた。ネイトに協力を頼んだ時の威勢には既にブレーキがかかっていた。
そんな矢先、迷いの生じたエキュゼを試すように前方からポケモンが現れてしまう。
「……下がれ」
なんの偶然か、アベルの前に現れたポケモンは、先ほどネイトが相手をしていたカラナクシだった。二度目の外敵に、ビクリ、と体を震わすカラナクシ。その原因の大半はネイトによるメンタルダメージが効いていたからだろう。
指示を聞いたエキュゼは一つ頷くと、何も言わずにアベルから素早く距離を取った。
アベルもエキュゼと同様に戦闘経験が皆無に等しいのだが、ある程度の知識は持っているらしく、敵を見ても慌てふためくことはなかった。エキュゼへの指示も、戦闘に巻き込まないための冷静な判断からきたものだった。
闇雲に近づきはせず、適切な距離を保ってカラナクシの出方を待つ。
「!! 嘘でしょ……!? 後ろからもポケモンが……」
エキュゼが引き下がった先には、不運にも十字路で見かけたカブトとシェルダーが待ち構えていた。シェルダーだけならまだしも、炎技によるダメージが全く通らないカブトまでいるのは致命的だった。
「挟み撃ち、ってわけか……!」
エキュゼが二体を相手するのは無理があると考え、アベルは軽く舌打ちをし、目の前の敵に早期決着をつけることにした。
アベルは総体積の半分近くを占める尻尾を武器にカラナクシに接近する。カラナクシの方は泥かけで視界を奪いにいこうとした。
ところが、アベルは尻尾を使ったはたくを利用し、泥を跳ね返すという荒業で泥かけを相殺し、そのままカラナクシに打撃を与えた。
これに怯んだカラナクシは再度泥かけで反撃
させまいと、アベルは素早くターンし、勢いの乗った尻尾をぶつける。連続攻撃の前に為す術もなく、カラナクシはダウンした。その間、二十秒とかからなかった。
初陣にしては無駄のない動きで戦いを制したアベル。しかしその一方で、エキュゼは二体の相手に対して苦戦を強いられていた。
エキュゼは唯一使える攻撃技、火の粉を撒き散らすことで敵の接近を防いでいた。本来、火は暗い場所を照らすために使われていたものだが、もう一つの役割として『敵を近づけさせない』という働きがあった。ポチエナの群れに囲まれた探検家が、持っていた松明で時間稼ぎをした逸話もある。
元より特殊攻撃に弱いシェルダーにはこの効果があったものの、炎を苦としないカブトには全くと言っていいほど役に立たなかった。必死に火の粉を吐くエキュゼの努力もむなしく、カブトはエキュゼに飛びかかり、鋭い爪でひっかくを繰り出そうとした。
カブトの爪が当たる寸前、エキュゼの頭の上を若葉色の光が通過した。薙ぎ払うように放たれたそれはカブトの爪を弾き返すだけにとどまらず、飛びかかったカブトの体ごと吹き飛ばす。結果としてエキュゼは事なきを得た。
「アベル!」
「はぁ……はぁ、チッ、やっぱ見よう見まねじゃ無理か、クソッ」
光の正体は、カラナクシとの戦いに勝利し、駆け付けてきたアベルの繰り出した技
左腕の肘辺りから伸びた不安定な刃状のエネルギー、リーフブレードだった。進化後であるジュプトル、ジュカインは技として利用できるが、進化前であるキモリには使いこなせる代物ではなかった。アベルの言う「見よう見まね」とはそういうことだろう。
カブトの攻撃を相殺した若葉色の刃は、その役目の終わりを告げるように、細かい粒子となって分散した。
「エキュゼ、行けるか」
「え!? あ、うん!」
「嘘つけ。下がれ」
実際のところ、エキュゼは体力も余っていたし、協力して目の前の敵を片付けようという気持ちもあった。だが、エキュゼが二体を相手していた様子、そもそも相性が悪いといったところから、アベルは再び下がるように指示したのだろう。
エキュゼはこの指示に不満を持ったが、自分のような臆病者が戦線に立っては足手まといでしかないのだろうとマイナスに捉え、ためらいながらもアベルの後ろへ隠れた。
だが、退いたエキュゼの先に、またしてもポケモンの影が。デジャブを感じざるを得ない、まるで予定調和としか言えない展開にエキュゼは「ひっ」と小さく悲鳴を漏らした。
「んん〜? エキュゼじゃん。何してんの?」
「ネイト!? 何してるって……いや……」
暗がりからのそのそと歩いてきたのはネイトだった。エキュゼは、外敵の襲来でなかったことにほっと胸を撫で下ろす。
「なんか音がするから戻ってきたんだけど……いやあ、探したよ。ホント」
「それこっちのセリフだから!」
空気を読まず、状況も読まず、エキュゼの心情は知らず。カブトやシェルダーよりも先にコイツを燃やしておくべきでは、とエキュゼはネイトに殺意すら覚えたが、来るべき戦いのことを考え、前足にこもった力を少しずつ抜いていった。
目の前のことに気を取られていたエキュゼは、はっとし、二対一で戦っているアベルを見やる。アベルは二体の攻撃を受け流すので精一杯で、防戦一方という不利な状況に追いやられていた。
ここでエキュゼはひらめく。戦闘能力未知数のネイトを投げたらどうなるのか。
「そ……そうだ! ネイト、アベルを手伝って!」
「ん、わかった!」
『明確に』何を手伝うのかを話さなかったことをエキュゼは後悔していたが、頼みを聞いたネイトは一直線にアベルの方へと向かう。後ろからネイトが来たことにアベルは若干驚いていたが、同時に戦況を覆せるかもしれないという期待も持てた。
戦闘位置に到着し、ネイトは目の前のポケモンに言い放つ。
「やい! なんかよくわかんないけど、僕が相手だ!」
「ちがあああうう!!」
あろうことか、ネイトが着いたのはカブトとシェルダーの方だった。何をどう捉えればそうなるのか。ネイトが宣戦布告を言い放った相手はアベルである。ちゃっかりアベルも
「やる気かお前」と言ってる辺り、戦う相手が間違っているようなそうでないような。
怒号を乗せたエキュゼの声で、ようやくネイトが気付く。
(しまった
こっちがアベルだった)
もうなんか、色々と手遅れな気はするが、ネイトは慌ててアベルの右側へと移動する。
「……で、僕は何を手伝えばいいの?」
「倒して! あの二匹を!!」 火に油を注ぐ、とはまさにこのことだろうか。ネイトが合流してから大した時間も経ってないのに険悪オーラやべーすげー。敵であるカブトとシェルダーもこの奇行に困惑していた。
しかし、いくら状況が変わろうが敵は敵。カブトはネイトに急接近し、ひっかくで先制攻撃を仕掛ける。
「痛でで! なにすんだこのぉ!」
無防備に構えていたネイトがその攻撃を避けることはなかった。カラナクシの時と同様のノーガード戦法だったが、それはあくまで威力の低い泥かけしか使わないカラナクシ相手だったからこそ出来た戦法。
カブトの爪の一撃はネイトのクリーム色の腹にクリーンヒットし、一本の赤い線を作った。
時間差で肌に滲む赤い液体。
「…………ッ」
ここにきてようやく危機感を感じたネイトは、さっきと打って変わって鋭い目つきとなった。
右足を踏み込み、体軸と左腕を後ろに回し、腰を落とす。この一連の動作を同時に、一瞬で、何も考えずにネイトはこなしていた。
今までのネイトと同一人物とは思えない流れるような動作に、エキュゼとアベルは無論のこと、繰り出した本人であるネイトですら驚いていた。
「ふっ!」
使っていない右腕と体を回して勢いをつけ、素早く放たれた正拳突きはカブトの甲羅にヒットした。
だけではとどまらなかった。
「!?
ななななな、なんじゃこれ!?」
ネイトの拳から、原因不明の赤い炎がカブトに追い打ちをかけるように吹き出したのだった。エキュゼの放った火の粉では気になるようなダメージを受けなかったカブトも、ゼロ距離で浴びる炎にはたまらず悲鳴を上げ、近くの水場へ飛び込んでいった。
やがて拳の炎は小さくなり、煙を出しながら消えていった。正拳突きの時と同様、繰り出した本人を含めた一同が唖然とした。
ネイトは、既に勝ち目のないシェルダーに目をやった。
「えーと……次は お ま え、だ?」
これだけインパクトを与えておいた時点で戦うという選択肢は除外されていたのか、ネイトと目が合ったシェルダーは、元いた十字路の方へと逃げ出していった。
振り返ったネイトは、自身の手とアベルたちを交互に見て、
「うーん…………ナニコレ?」
「むしろお前がなんなんだ」
「えーっと……うん、行こ?」
各々、つっこみたいところはあったが、もはや何も意味を為さないと思ったのか、彼らは考えることを放棄して先に進むことにした。
初探検は苦難の連続だった。主に
『人』的要因で。