第1話 今日こそ
通行人の少なくなったトレジャータウンの夕暮れ時、その一角にある『プクリンのギルド』に通じる急な階段を登った先に二匹のポケモンがいた。
「……………」
一匹はロコンで、数十分前からギルドの入り口の前で挙動不審にうろうろと歩き回っていた。用事はあるが中々踏み出せない、といった感じだった。
もう一匹はキモリで、こちらはロコンとは対照的に、複数のポケモンを模したトーテムポールによっかかり、腕を組みながら足でゆっくりとリズムを刻むように貧乏ゆすりをしていた。
「…………なあ」
「うええっ!?」
キモリの呼びかけが静寂を破り、それに驚いたのかロコンは猫のように垂直に飛び跳ねた。キモリの声自体はさして大きくもなかったが、オーバーな驚きっぷりからしてよほど臆病なのだろう。それを見て呆れたキモリはため息混じりで口を開いた。
「もう弟子入りなんてやめとけ。こんな調子じゃいつになったって入れない」
「まっ、ままま待って! 明日! 明日にはなんとかするからっ」
話から察するに、ロコンはこの場所にやってきては肝心な一歩を踏み出せず、結局何もせず帰るという行為を何日も繰り返しているらしい。
キモリは「明日には」というセリフを帰ろうとする度聞いていたらしく、さらに呆れ返り、わざとらしく大きなため息をついた。
「エキュゼ、それ今日で何日目だかわかるか?」
「えーっと……ごめん、忘れちゃった」
「だろうな。俺も覚えてない」
些細なボケのつもりか、はたまた単に皮肉か。いずれにせよロコン
エキュゼは、うう、としか返せなかった。
エキュゼは「不安だから」という理由でキモリをギルド入門に同行させたのだ。てっきりキモリは手続き等々に不備を出さない為に同行するものかと思い、適当に生返事をしてしまった。
しかし実際のところはこの有様である。手続きはおろか、入門以前にエキュゼが、
「だってそこの穴から大声で足型聞いてくるんだもん! 『誰の足型?』って!」
と逆ギレ気味に言ってくる始末。人間で例えるなら、
「エスカレーターもぅマヂ無理」に匹敵するレベルである。
「穴」というのは、ギルドの門の前にある深そうな穴に木で出来た格子を上から被せてあるものである。「誰の足型?」と聞いてくるからにはおそらく穴の下にポケモンがいて格子の上に乗ったポケモンの足型が危険か否かを判断する、いわゆるセキュリティゲートのようなものなのだろう。
「多分怪しいヤツとかが入ってこないように見張りでもしてるんだろう」
「それは……そうだろうけど」
「別にお前はそういう輩じゃないし問題ない。むしろその辺ウロウロしてる方がかえって不審だ」
キモリは「ド」が付くほどの正論でいい加減状況の進行を催促しようとするが、それでもエキュゼはどこか躊躇する様子で俯いたり、再び変わらずうろうろしたりするばかりだった。
本来ならエキュゼに苛立ちを覚えるところだったが、キモリ自身も過去にこのような状態に陥ったことがあったので、咎めたり文句を言ったりすることが出来なかった。
脳で理解しても、思うように体が動かない
理屈でどうこうなる話じゃない。
あの時だって、自分は。
またしてもキモリはため息をついた。が、それは先ほどの嫌味のこもったものではなく、どちらかといえば深呼吸に近い緩やかなため息だった。
そして今日はこれ以上この場所にいることに意義を見出せなかったからか、キモリは腕を組むのをやめ、早足で階段を降りて行った。
「……もういい、めんどうくさい。俺は帰る」
「え……あ、アベル! ちょっと待ってよ!」
早足で家路を急ごうとするキモリ
アベルとの距離が大きく離れると、エキュゼは迷っていたのが嘘だったかのように素早く身を翻し、入り口の鉄格子に背を向けた。
エキュゼがアベルを追いかける。マグマのような朱色の太陽と、逆光で黒く染まった背中に向かって走るその姿は学園モノのドラマなどで見かけそうな感動シーンみたいにはなってはいるが、状況が状況なだけに情けないというか。絵にこそなりそうだが、このワンシーンをエピソード付きで語ればアベルのような呆れ顔を拝むことになるのは間違いないだろう。
「あ、あの、さ! 海岸、行こ? いつもの……」
「だるい、めんどい」
「ええ!? うー……」
海岸とは、丁度プクリンのギルドを出て真っ直ぐ行くとある、文字通りの小さな海岸である。特筆することの特にない、ごく普通の海岸。強いて特徴を挙げれば浜辺の片隅に洞窟のダンジョンがあるのだが、これといって珍しいものが落ちているわけでもなく、洞窟としてもダンジョンとしてもなにか目を見張るものがあるわけではなかった。
エキュゼとアベルは(アベルは嫌々付き合う形で)今日のように弟子入りが失敗した日には慰めや反省も兼ねてこの海岸へ向かうことを日課としていた。
しかし、アベルに関して言えばエキュゼと違い、慰めも反省も不要ということもあり、何より彼の性格上「めんどうくさい」で済ませたいの一心だった。
「ね、ねえお願い……明日には絶対ギルドに入るから! 今日だけでいいから!」
チッ、と小さく舌打ちをした後、アベルはエキュゼの顔を見ずに方向転換し、海岸の方へと足を踏み出した。彼なりの『了承』の合図だった。
「一生のお願い!」と子供に迫られる親の気持ちが少しだけ理解出来た気がした。
(…………めんどうな女だ)
近年、山や森、洞窟などの土地が入る度に姿形を変え迷宮化、いわゆる『不思議のダンジョン化』が急増してきており、数十年前にはそれによる遭難者等の被害への対策として『救助隊連盟』が設立され、数々の救助隊チームが結成された。効果はてきめんで、各地でその活動が高く評価されたり、中には星の脅威を排除し世界を救った例も報告されている。
前述の通り不思議のダンジョンは多くの被害を出してきたが、必ずしも全てがマイナスイメージというわけではなかった。リンゴや木の実をはじめとする食料全般から、各々が特殊な性質を持っている『ふしぎだま』、『わざマシン』などのような現代技術では生産不可能なものまでがどういうわけか落ちているのだった。
そんな不思議のダンジョンを本格的に調査するために『探検隊連盟』が設立。それに伴い救助隊とは別の理由で不思議のダンジョンへ突入する『探検隊』が結成された。
探検隊志望のポケモンたちは、各地に配置された探検隊ギルドで親方の下、未開のダンジョンの調査や、不思議のダンジョンへ逃げ込んだ盗賊や凶悪犯等のお尋ね者の逮捕をこなし、一人前の探検隊、もしくは探検家になるために毎日修行を積んでいる。
ここ、プクリンのギルドは、プクリンのルー・フレッドが親方を親方を務める探検隊ギルドである。
…………。
歩くこと約一分。二匹は砂を蹴っていた足を止め、地平線の方に目をやった。太陽はまだ沈んでいない。
太陽を見下ろす雲は陽光によってその本来の白を失い、黒点混じりの黄金色に輝いていた。どこからともなく飛んできたシャボン玉のような泡に光が反射し、それはまばゆいほどの白を放っていた。
地上を照らす太陽は、確かに輝いていた。
「……昨日の夜、嵐、すごかったでしょ?」
「あ? ああ……」
突拍子もない話題に少し困惑したが、アベルはいつも通りの気のない返事をした。
「雨上がりの太陽ってね、いつもより綺麗に見えるんだ」
「あんまし変わらないだろ」
「どうしてかは知らないんだけどね」と付け足す辺りエキュゼらしいな、とアベルは思った。
しかし、感受性の問題か、あるいは実際に写りが変わらなかったからなのか、アベルの眼中に映る太陽は昨日見たものと何が違うのかわからなかった。
地平線から目を離し、ふとエキュゼの方を見やると、いつのまにやら彼女の手元には不思議な模様の描かれた石ころが置かれていた。普段は六本の尻尾で包んで肌身離さず持ち歩いているらしい。
「この石も海岸で拾ったんだ。不思議な模様が描いているでしょ?この模様が……この石が何なのかを調べたくてギルドに弟子入りしようと思ったの」
「正体を知りたいだけならギルドに依頼すればよかっただろう。ましてや、わざわざ弟子入りだなんて」
「そんなことしたらこの石を持ってかれるかもしれないし……お宝とか独り占めされるかもしれないし」
信心がないというか、がめついというか、だがこの点についてはアベルも同意見ではあったので、両手の平を上にして「やれやれ」とポーズをとるだけで収めた。
「……ううん、本当は修行して強くなりたかったの。強くなって……」
後半はエキュゼが俯きながらボソボソと話したため聞き取ることが出来なかったが、臆病なエキュゼにしては意外とまともな動機だったので、アベルは内心驚いていた。
静寂の訪れた海岸。そこに波の音でもなく、二匹の呼吸の音でもなく、はたまた別の『何か』の音がした。
うう……う……
「……? 今何かの声がしなかったか?」
「声……? 聞こえなかったけど……」
うう、グゥ……ウウ……
「あ、私にも聞こえた!」
「あっちか……」
声らしきものが聞こえた方向へと走るアベル。一歩遅れたエキュゼは慌てて石ころを尻尾で包み直してからアベルの後を追って行った。
太陽が地平線に半分ほど埋まった頃だった。
エキュゼとアベルが声のもとへ向かった直後、その真逆にある岩場から二匹のポケモンが顔を出した。
「おいロス、あのロコンが持ってたのは金目のモンか?」
「ソイツは奪ってみればわかることよ。やっちまおうぜ、クライ」
ドガースのクライ、ズバットのロスは、ククク、といかにも怪しそうな笑みを浮かべ、岩場の影へと消えていった。彼らの行方は文字通りお天道様のあずかり知らぬものとなった。