記録36. ハートゴールド〈前〉
あの日から、覚悟はできていた。
どんな地獄が来ようとも、己が散るまで闘い続けると。
だが、大切な人が、守りたい仲間ができた。
俺は生きなくてはならない。
世界が完全な地獄色に染まらない限りは────
善意と悪意。戦争とテロリズム。繰り返される憎しみの連鎖。
世界の歴史で、それが途絶えたことは一度もない。
たしかに、それを終わらせる方法はある。だが────
間違った方法で得た結果は意味を成さない。
誰かが勝つ。弱者を強いる。それは果たして優しい世界か。
だから俺たちはアポロを否定する。
だから俺たちは欲する、
勝つための────力を。
記録36. ハートゴールド〈前〉蒼穹が鳴いている。紅葉は舞い、大気は震える。
聖なる空間────ホウオウの間。
無限に広がる空の先に、奴がいる。
カミソリのように肌を
削る冷気。膝下までにじりよる氷の気配。頬は強張り、吐く息は白い霧となって消えていく。気温は摂氏零度────。その寒気は空間全体に染み渡り、あらゆる“
存在”も引き付けない。
そして悟った────
────この空間は神そのものだと。
少年の歩みは彼の意思によるもの。覚悟がなければ、足は進まない。
少年の眉が少し歪んだ。
まるで何かを感じとったかのように。
そして少年の歩みは止まった。
「……X。始めてくれ 」
風の音が、激しい
雑音のように聞こえてくる。
「────分かった 」
白い背広が動く。取り出された笛。青年の唇が、その笛にすっと息の音を吹き込む。
“……………………? ”
その時、笛の音に反応した虹が見えた。
少年が抱いたのは、小さな警戒と、脈絡のない恐れだ。
“……………………この音色 ”
空の向こうの主は気づいた。自分は今、身の毛のよだつ奇跡を前にしているのだと。
静かな空間に、蒼穹のような笛の
音色が響く。空間に張り巡っていた冷気が、その音色に吹き消されていく。
“……待っていた。黒金の騎士よ ”
にじいろポケモン・ホウオウ。奴はその七色の光を露わにした。
「────俺もだ。ホウオウ 」
緊張が身体を駆ける。滲み出る汗と空気が同化し、時さえ止まって感じた。
「イノムー…… 」
モンスターボールから飛び出したのは、
いのししポケモン・イノムーだ。その姿はまさに氷雪の巨獣。奴はホウオウを警戒しつつ、ヒビキの傍に構えた。
“早速か。いいだろう。貴様の力────見せてみよ ”
黄金の戦闘唄が幕を開ける。
“ ──────────────っ!! ”
風を斬り裂き、氷雪の巨獣に踊りかかる七色の神。
「イノムー 」
『イノゥウン! 』
飛び出した巨獣は手鞠のように。
重たい筈の巨体を踊らせながら空間を駆ける。
「《こおりのキバ》ッ!! 」
“──────────── ”
その鋭い一牙を前にしても、ホウオウに迷いはない。
ふたつの距離が5メートル程に迫る。
“────《だいもんじ》!! ”
「っしまった────イノムー!! 」
時はすでに遅い。
ふたつの距離は零。
神の放った炎の化身がイノムーに襲いかかる。
『イノァッ!? 』
殴るような攻撃。
イノムーは突き飛ばされた。
「持ち直して───《こおりのつぶて》! 」
宙で舞う氷雪の巨獣。
放たれた弾丸の一発が七色の神を殴った。
“────なかなかの攻撃だ ”
「神に褒められるとは光栄だな 」
“では、我の問いに答えよ────金色 響 ”
「────なんだ? 」
“貴様は闘いの果てに何を求める? ”
「俺は……大切なモノの笑顔を護りたい。そのためなら命だって──── 」
“ふっ、…………似ている ”
「──── 」
“英雄ハジメ。知っているだろう? ”
「ハジメ…… 」
“その者と君の眼はやはり似ている。いや────同じだ ”
「…………… 」
“君には宿っているのだろう。金色の英雄が ”
「ああ 」
自分の魂の鼓動に答える。
少年の人生はすべて定められた運命だった。
ノイズと出会い、コトネと出会い、ユメカと出会い、カトレアと出会い、謎の魔女に選ばれて────
すべては俺の覚悟に基づくもの。
そう、俺の原点はそこにある。
“君が選んだのだ。この世界の矛となることを ”
「俺が………… 」
確かにそうだ。
俺は望んでいた。
誰もが笑顔でいられる世界、嘘のない世界を。
けれども世界は、こんなにも思い通りにならない。
そのための力が必要だった。
俺はこの運命を望んでいた。
「今、俺の前にはその望んでいた力がある。だから──── 」
“この闘いの果てに問おう。貴様が我のマスターにふさわしいかをっ!! ”
「イノムー《こおりのつぶて》!! 」
その四、五発の弾丸は音速で放たれた。
あまりの速さに音が消える。
ホウオウに届くまでに、0.1秒もなかったかもしれない。
“緩いな ”
「くっ──── 」
さすが【七色の神】と呼ばれるポケモン。無駄な動きが1ミリもない。
“《だいもんじ》!! ”
そして、ほんの少しの動揺にホウオウは付け入る。
「かわせ!! 」
しかし避けきれない。
炎の化身がイノムーの左脚を穿つ。
『イノァッ! 』
「イノムー!! 」
“ほう、まだ立っていられるか? ”
いや、立っていられるだけだ。
イノムーの体力は零に等しい。
次で確実に終わる────終わってしまう。
「イノムー、最後の攻撃だ。《ロッククライム》 」
再び地を蹴り、宙に舞い出る。踊り駆ける氷雪。
大きな身体が光を放つ。
“────っ!! ”
ホウオウは《だいもんじ》を弾丸状に連射し、駆ける巨獣の行く手を阻む。が、氷雪の巨獣はそれらを弾きながら徐々にホウオウとの距離を縮める。
「(イノムー……大した体力と精神力だ。きっとお前のその力も、ロケット団への憎しみなんだろうな )」
巨獣と弾丸の衝突。衝撃波は後ろにいる怪盗Xやラムダをも襲う。
“面白い戦い方だ。だが──── ”
『イヌゥ!? 』
突如イノムーがバランスを崩した。
「────まさか!? 」
それはホウオウの意図的なものであった。ホウオウはあえて弾丸をリズムよく放っていた。イノムーがそのリズムに自然と馴染んできたところでそのリズムを崩す。イノムーはその弾丸に確実に対応できないだろう。たとえ耐えられたとしても、完全にペースはホウオウのものだ。ホウオウはイノムーの素質を見極めていた。奴の方が一枚、いや何枚も上手だったということだ。
“《だいもんじ》 ”
イノムーの────完敗だ。
────ズドーーーーーーン!!────『イノ………ムゥ……──── 』
イノムーはその重たい膝を地についた。瀕死だ。
「……ありがとうイノムー。よく頑張った 」
少年はイノムーをモンスターボールに戻した。そしてそれとは別に、新たなモンスターボールへと持ち替える。
「ホウオウ──── 」
“…………………… ”
鼓動が高鳴る。緊張で内臓が飛び出そうだ。はっきり言って突破口は見つからない。それでも、強さは────過去と共に受け入れてきた。。
*
「……捨てたんだよ。過去は、弱さは 」
「……──過去って、弱さなのかな 」ヒビキはノイズに言った。
「? 」
「過去から学ぶ事もある。弱い過去は進化の証だ。でも、進化しても、変わらないものはある 」ヒビキは続ける。
「ポケモンがその一つだと思う。進化して、弱い過去を捨てて強くなって、でもトレーナーとの愛の形は変わらないよ 」
「進化の証……か 」
「そう。過去は弱くない、過去があるから今強いんだ。ゆえに過去は強いんだ 」
*
ふとその会話を思い出す。
ノイズ。お前も闘ってるんだよな。
感じるよ……お前の鼓動を────俺と同調している。
俺たちは、真逆の道を隣に並んで歩いてたのかもな。
「────絶対に勝ってやる! 」
“来い。若き勇者よ ”
「いけっノコッチ! 」
『ノコッ! 』
継いでヒビキが繰り出したのは
つちへびポケモン・ノコッチ。カトレアからユメカを経由してヒビキの手に渡ったポケモンだ。
“そんな小柄で闘うのか? ”
「それは愚問だよホウオウ。体格がすべてでないことくらいお前もわかっているだろう? 」
“ふっ、貴様のそれも愚問だな ”
「そうだな。なら始めよう。愚問を繰り返している暇はないからな 」
“……………────ッ!! ”
「ノコッチ《チャージビーム》! 」
グッと足を踏ん張り、頭上に雷の集合を創り出す。
電撃は音を立てながらその形を変えていく。
そうして出来た槍はホウオウの方へと駆けた。
その過程は刹那。時を止めたような速さだった。
“くっ────!? ”
ホウオウは間一髪で攻撃をかわした。
ヒビキは攻撃を続ける。
「────《めざめるパワー》! 」
“《だいもんじ》 ”
無数の弾丸の撃ち合い。互いに一弾たりとも譲らない。
“《せいなるほのお》!! ”
ホウオウは物理の接近技に切り替えた。弾丸は弾かれて効かない。
「《まもる》!! 」
創り出された巨大な盾が矛から蛇を守る。だが────
“効かぬ ”
ホウオウは盾を破った。
「っ!? ノコッチ────左にかわして! 」
ヒビキの指示に従い、ノコッチは左に転がりながら《せいなるほのお》をかわす。
“くっ──── ”
ホウオウは体勢を立て直し、ノコッチの後を追う。
そして《だいもんじ》の弾丸を宙に数発構えた。
「後ろから来るぞ《まもる》! 」
ノコッチは盾で身を守る。炎の弾丸はすべて弾かれた。
“ならば《せいなるほのお》! ”
再び炎の翼竜となり舞い襲うホウオウ。
ノコッチは攻撃を受けてしまった。
「しまった!! 」
蛇は宙を堕ちる。
“決める────《じんつうりき》!! ”
ホウオウは念を集中させた。
「ノコッチ!! 」
念は蛇の精神を切り裂いた。
『ノァッチィ…………──── 』
ノコッチは倒れた。
“小柄であれば、ダメージも大きくなるだろう。その上でのあのバトル────良き素質を持っている ”
「ふっ、さあどんどんいくぜ! 俺の────三体目! 」
『レザァァアア!!! 』
迅雷の蜥蜴。
はつでんポケモン・エレザード。
その羽音が、奴の強さを物語る。
「闘いはこれからだ! 《10まんボルト》 」
“《だいもんじ》 ”
雷と炎がぶつかる。
衝撃波で空間の大気が歪む。
「エレザード《ドラゴンテール》!! 」
蜥蜴は地を這う。
蒼穹の閃光を纏って華麗に舞う。
まるで銃のリア・サイトを通すように、鋭く、鋭く睨みつける。
そしてホウオウに狙いを定めた。
「────っ!! 」
心の中でトリガーを引く。
蒼穹の蜥蜴は撃ち出された弾丸のように、“刹那と呼ばれる時”を駆ける。
宙に刻まれ、いまだ残って見える
穹の閃光。
しかしそこに蜥蜴はいない。
“……────っ!? ”
神を貫く諸刃の弾丸。その身を裂いて、敵を裂いた。
『エリャ 』
“貴様のポケモン。個々が尋常でない精神力だ ”
「ああ。特にこのエレザードは、一番長く俺と歩んできた仲間だからな 」
“仲間────それが貴様の力の正体か ”
「? 」
“次代の操り人よ。貴様には……主には
ハートゴールドの悟りを開く権利がある ”
〜HALF OF THE STORY〜