01 二匹の出会い
昨夜の嵐が嘘のように青く晴れた空の下。汀に、波によって運ばれたポケモンが倒れていた。
(ここは……)
うっすらと開かれた透明な亜麻色の瞳は、またすぐに閉じられた。
(ダメ……意識が……)
そのポケモンは意識を失い、また眠った。
人気(ひとけ)がない浜辺に倒れるそのポケモンに、気づく者は誰もいない。
◇◇◇
陽が傾き、西空がかすかに茜色に染まりはじめた頃。丘に立つ建物の前で、一匹のアチャモが決心を固めていた。
首を振ることでまだ心に残っていた躊躇いを吹き飛ばし、決意を象徴するように「よし!」と力強く叫ぶ。
そして、目の前にある深い穴とその上にかかった格子を見つめ、えいっとその格子の上に乗った。
瞬間――、
「ポケモン発見! ポケモン発見!」
―――地下から、大きな声が響いた。
「わっ!」
アチャモはびっくりして思わず格子から降りそうになったが、何とか踏み止まった。
「誰の足型? 誰の足型?」
「足型はアチャモ! 足型はアチャモ!」
だが、種族を当てられた瞬間に、アチャモは無言で、脱兎の勢いで、格子から離れ交差点へと続く階段を猛スピードで駆け降りた。
格子の底からは、また青い空が映った。
「ドゴームさん。また見失いました」
「またか。連日の足型ダッシュも、いい加減にしてほしいな」
誰もいなくなった格子を見つめながら、穴の底でディグダはため息をついた。
一方、足型ダッシュをしたアチャモは水飲み場の前で息を整えていた。そしてある程度息が整うと、今度は落ち込んだ。
「はぁ。アタシって、本当に意気地無しだなぁ」
確かにアチャモは先程、決意を固めた。だが、それは泥団子のように脆い決意だった。
「もう九十九回目なのに、また逃げ出しちゃったよ」
しかも、とんでもない常連なのだ。迷惑なことこの上ない。
「今日こそ、弟子入りしようと思ったのに」
そう。アチャモは悪戯心でピンポンダッシュならぬ足型ダッシュをしていたのではない。
先程の建物は、探検家プクリンを親方とする探検隊育成のギルドであり、アチャモはそこに弟子入りしたいとかねてより願っている。ただ、いつも怖気づき失敗しているのだ。
「今日はこれがあるから大丈夫だと思ったのに」
そう言ってアチャモが取り出したのは、平らな面に不思議な模様が描かれた石だった。
しばらくその石の模様を見つめてから、アチャモはその石を懐へしまった。
そしてとぼとぼと、東の坂道を下り森へと入った。
――その様子を物陰から見ていた者達がいたとは知らずに。
少し長い坂道を下ると浜辺についた。遠くまで広がる大きな海と、そこへ沈もうとする眩しい太陽がアチャモの瞳に映る。
「綺麗だなー。こんな暖かな景色、めったに見れないもんね」
アチャモは感嘆の息を吐いた。
クラブ達の吹く泡が、ふわふわと宙を漂い、あるものは直接太陽の光を反射し、あるものは海から跳ね返った太陽の光をまた反射する。光を散乱したシャボン玉が、まるで絵に描いたような幻想的な世界を作り出すのだ。
「アタシ、落ち込むといつもここに来るけど、この景色を見ると勇気が湧くのよね」
因みに、アチャモは足型ダッシュをした度にここに来て、また次の日に足型ダッシュをし、それを九十九回も繰り返している。
この綺麗な景色でも彼女が手に入れれる勇気は、泡よりも弱い。
それはともかく。
アチャモはふと南側を見た。浜辺の南には〈海岸の洞窟〉があるのだが、そこはダンジョンであるため、アチャモは入ったことがない。いつか入りたいとは思っているけど。
その未来はいつ来ることやら。叶いそうにない野望とともに南を見たアチャモの目に映ったのは、しかし洞窟ではなく、何か赤茶色の物体だった。満ち潮のときには波に浸かる位置だから、流されてきたのだろうか。
「あれ、何だろう?」
興味本位でとことことアチャモは近付く。そして赤茶色の漂着物まで残り十数メートルとなり、それがロコンであり、気を失っているのだと気づいた。
「だ、大丈夫?!」
思わず駆け寄り、倒れているロコンの体を揺すった。因みに、こういうときあまり体を揺さ振らない方がよいと彼女は知らない。
「ねぇ君、大丈夫!?」
しばらくそう揺さぶっていると、程なくしてロコンは目を開いた。氷のように透き通った亜麻色の瞳がアチャモを見つめる。
「あなたは……?」
「よかったー、気がついたんだ。大丈夫? 君、ここに倒れてたんだよ?」
一歩離れて、起きあがるロコンを見つめながらアチャモはそう話しかけた。
「貴女が、私を助けてくださったのですか?」
「そうなるのかな?」
アチャモは流れ着いていたロコンを起こしただけだが。
「そうですか。見ず知らずの私を助けてくださりありがとうございます、アチャモさん」
深く頭を下げるロコンに、アチャモは慌てて首を振った。
「そこまで頭を下げなくていいよ! アタシは起こしただけなんだし!」
だが、ロコンが頭を上げる気配はない。
「ねぇ君? そんなに長く頭を下げる必要ないから、頭を上げ――てうわっ!」
不信に思ってロコンの顔を覗こうとしたタイミングでロコンがパッと顔を上げたため、アチャモは悲鳴を上げた。
「アチャモさん! 私の種族、何に見えますか!」
そんなことはお構いなしに、ロコンは切羽詰まった声でアチャモに問い掛けた。
「しゅ、種族?」
「はい。私、何に見えますか!」
(か、顔が近い……)
鼻が触れそうなほど近いロコンと彼女の危機迫ったような真剣な顔に、アチャモは僅かに後ずさりした。
「ロ、ロコンだよ。ここら辺じゃ見かけない種族だけど」
アチャモがそう答えると、ロコンは「そ、そんな……」と呟き、うなだれた。
そのうなだれようが、先程入門に失敗し落ち込んでいる自分に重なり、アチャモは思わず声をかけた。
「一体どうしたの? アタシでよければ相談に乗るよ?」
アチャモがそう言うと、ロコンは逡巡した後ややあと口を開いた。
「実は私――」
「うん」
その声があまりにも小さかったので、アチャモは耳を澄ませる。
「――人間だったのです」
「……ぇぇぇえええっ?!」
アチャモは思わず叫んでしまった。
「だって君、どこからどう見てもロコンだよ?!」
「そうなのです! 私も先程お辞儀を致しました時に気付きました。一瞬、どうなっているのか分からなくて……」
本気でうなだれた様子のロコンに、アチャモは質問をした。
「気を失う前、何処にいたの? その時いた場所とかしていた事が関係しているんじゃないのかな?」
「それは、……。…………」
長い沈黙にアチャモは首を傾げる。
「どうしたの?」
「その、それが。……名前以外、何も覚えていないのです」
「…………」
ロコンの告白に、アチャモは一度瞬きをして三歩後ろへ下がった。
「あやしい。もしかして君、アタシを騙そうとしている?」
元人間なんて嘘みたいな話や、記憶喪失なんていうご都合主義な話がそこら辺にあるはずがない。
「ち、違います。私に貴女を騙すメリットはありませんし、そもそも貴女とはこれが初対面のはずです!」
「じゃあ、名前は?……名前はなんていうの?」
先程このロコンは、名前以外を覚えていないと言った。なら、名前は覚えているはずだ。
「えっと、……申し上げないと、いけませんか?」
「じゃないと、信用できない」
アチャモがそう言うと、ロコンは少し躊躇った後、小さな声で「シオリ」と言った。
「シオリ?」
「はい。詩を織ると書いて、詩織です」
ロコン、もといシオリがそう言うと、アチャモは肩の力を抜いてシオリに近寄った。
「そっか。ごめんね、疑っちゃって。最近、ここら辺に物騒なポケモンが多いからつい」
アチャモがそう言った時、シオリはアチャモ越しに、森から姿を現したズバットとドガースを見た。
「急に襲われたりというのもよくあるみたいで。それで疑っちゃったんだ」
ズバットとドガースは、二人――恐らくアチャモ――を見て嬉しそうな表情をしてこちらへ猛スピードで近寄ってきた。知り合いかしらとシオリは考えた。
「だとしても、嫌だったよね? 色々起こって困惑しているのに、悪者だって疑われて。本当にごめんね」
そう言ってアチャモが頭を下げ、シオリが「危ないですよ」と言った瞬間に――
「ふきゃぁぁぁっ!?」
――シオリの注意は間に合わず、ズバットとドガースがアチャモへ体当たりをした。ポケモン二匹分の助走のついた体当たりに、頭を下げていたアチャモが耐えられるはずもなく、いともたやすく吹っ飛ばされる。
「いったーい! いきなり何するのよ!」
幸い下が砂であったため、顔から突っ込んでしまったアチャモに怪我はなかったようだ。よかったとシオリは胸を撫で下ろした。
そして次に、先程までアチャモが立っていたところのすぐ近くに、石みたいな何かが落ちていることに気づいた。
「わかんねーのか?」
「オレ達、お前に構いたくてちょっかいをかけたんだよ」
ズバットとドガースがにやにや笑いながら言った。
「なんで?」
アチャモが首を傾げる。
「それ、お前のだろ?」
二匹が示したのは先程シオリが気にかけた石みたいなものだ。
「あっ!」
急いで拾おうとアチャモは立ち上がったが、彼女が動き出すよりも先にドガースがそれを拾った。
「へっ。これはオレ達がもらうぜ!」
「えぇっ!?」
自分勝手なドガースの科白とにやにやとそれを見守るズバットに、シオリは眉をひそめた。
そして取り返そうとしないアチャモに、驚き呆れた。
「なんだ。てっきりすぐに取り返しにくると思ったのに」
「けっ。意気地無しな奴だぜ」
笑いながら南へと立ち去って行く二匹を、アチャモはただ見つめるだけだった。二匹はゆっくりと歩いているから、追い掛ければすぐに追いつくというのに。
「どうしよ……。あれ、アタシの宝物なのに……」
シオリの苛立ちに気づかず、アチャモはただ、泣いているだけだった。
「……何故、黙って見送ったのです?」
アチャモへ投げかけられたシオリの声は、冷ややかだった。
「大切な物なら、取り返したらよいでしょうに」
「……だってアタシ、弱いし」
「なら、そこら辺の砂をかけて目潰しをしたり、アチャモであるのならば〈ほのお〉や〈なきごえ〉を使えばよかったのではないですか? 失礼ながら、私には、あなたは弱いというよりも、意気地無しに見えます」
責め立てるようなシオリの声に、アチャモは俯いた。
(そうだ。アタシは意気地無しだ。だから未だにギルドに弟子入りできないんだ。このままじゃダメだ)
本日二度目の決意をし、アチャモは涙を拭き顔を上げてシオリを見つめた。
「分かった。アタシ、取り返しに行ってくる」
一瞬にして意志を固めたアチャモに、シオリは瞬きをし、微笑んだ。
「なら、及ばずながらお供をさせていただきます」
シオリの申し出に、アチャモは首を傾げた。
「いいの? 君には関係のないことなのに」
「はい。先程アチャモさんに助けていただきましたし。それに、うれしいので」
「うれしい?」
一体何がなのだろう。
「私、アチャモさんに発破をかけるつもりでした。けどそこまでせずとも、アチャモさんはお一人で、取り返すことを決意されました。それがうれしいのです」
(初めて笑ったな、シオリ)
冷ややかだった先程の表情とは打って変わった優しい微笑みに、アチャモも笑い返した。
「ありがとう、シオリ! 行こう! 〈海岸の洞窟〉へ」