narrative.2 変わらぬものなどない
「ポケモンがっ…喋ってるッ…!?」
少女は震える声で確かにそう言った。
「…え?」
ミジュマルは首をかしげた。いや、正確に言うとその言葉の意味が全く分からなかった。
「それは…どういう…」
ミジュマルがピカチュウに言葉の意味を質問しようとした時…
「なんで…なんで…ポケモンが喋って………あれ…なんか体がおかしいような…」
ミジュマルの話が聞こえていないのか、ピカチュウはうわごとのようにぶつぶつと何かを言っている。ミジュマルから見ればその行動は挙動不審という他無かった。
(ど、どうしたんだろう…さっきからポケモンが喋ったなんて言ってるし…そんなにおかしいことでもないような気がするけど…)
ミジュマルにとってポケモンが喋るなんて別におかしいことでもないし、むしろそれが当たり前なのだ。
…が、それはピカチュウにとっておかしいということでしか無かった。
そして次の瞬間、自分の手を見たピカチュウが、ぴたっ、と固まった。
「わ…私の手が…黄色い……しっぽ…が…ある…な、ななな…!!」
ピカチュウは再び顔面蒼白になり、ガタガタと震えだした。それと同時に、キョロキョロと辺りを見回したかと思うと、森の影がチラチラと見える窓をハッと見て駆け出し、窓に飛びついた。窓には鏡のようにピカチュウの顔が映った。
ミジュマルからは窓を見ているためピカチュウの後ろ姿しか見えないが、窓でピカチュウの顔が映っているため、表情はすぐに分かった。さっきより一段と汗が噴き出しブルブルと震えるピカチュウを見て、ミジュマルはどう見てもおかしいと思い、強気に話しかけた。
「ちょ、ちょっと君!さっきからどうしたのさ!なんか僕を見て驚いたり自分の顔見て驚いたり…何も君はおかしいところなんてないのに、どうしてそんなに驚いてるの!?」
「…私」
ミジュマルが言ったすぐ後に今まで窓を見ていたピカチュウが振り返り、
「…私…ピカチュウになっちゃってる……」
「…え…?」
ピカチュウはさっきの表情から一転、ぽかんとした顔でそう言った。
「え、それって…それって、君が…ピカチュウじゃなかったってこと…?」
「…私は、人間だった…はず…」
何故かピカチュウは自身の事について自信が無いように「人間だ」と述べた。
「「…ええええええええええええええっ!?」」
…多分この日、僕は人生で一番大きな声を出したのではないかと言うくらい、二人で声を揃えて出してしまった。
「…落ち着いた?…かな…」
先に沈黙を破ったのはミジュマルの方だった。
「…うん…」
ピカチュウも口を開き、頷いた。
二人がピカチュウが人間からポケモンになってしまったと理解してから、どれぐらいが経っただろうか。時間で言うと長い方だが、二人にとってみればとても短い時間だった。さっきミジュマルが喋りかけるまで二人は状況を整理するため、黙っていた。
「…君は人間だったから、僕が喋ってるのも、自分がピカチュウの姿になってるのも、おかしいことでしかなかったから、あんなに驚いていた…ってことだよ…ね?」
「…う、うん…ご、ごめんね、君から見ればただの変なピカチュウだよね…」
そう言った後、あはは、とピカチュウは苦笑いした。さっきの挙動不審な行動と比べると、随分と落ち着いたようだった。
「…疑わないの?」
「え?」
ピカチュウは突然、そう切り出した。
「この世界には人間がいないみたいだし、こんなピカチュウの私が突然「人間です」なんて言っても、普通…疑わないの?しかも、私は森のど真ん中で倒れてたんだよね、さっき君が話してたけど…」
「…僕も、君が倒れてた時はびっくりしたし、君が起きてすぐに「人間だ」って言った時ももちろん驚いたよ。でも…疑わないよ!」
「どうして…私だって今の状況がよく分からないし、私だってこんなの疑いたいぐらいなのに…」
「…本で読んで、憧れだったんだ」
「…え?」
ミジュマルは急にそう言って、さっき読んでいた本を持ってきた。
「この本…正確に言うと探検記ってところなんだけど、元人間のポケモンと一緒に探検隊を組んで、色んな所を探検する話が書かれてるんだ。僕もこれ読んでるうちに探検隊になりたいって思ったんだけどね。僕も、この探検記の人みたいに、元人間のポケモンと出会えたら…なんて、思ってたんだ。」
ミジュマルは目を輝かせ、こう続けた。
「僕だって、人間はおとぎ話の中でしか聞いたことないし、この探検記だって、嘘かもしれないって、初めは思ったけどね…でも、それでも、本当にそんな人間からポケモンになった人がいるなんて、すごく面白いじゃない!」
「だから、君と僕が出会ったのは、運命じゃないかって…変だけど、思ったんだ。あと、君が嘘をついてるように思えないもの。勝手なんだけどね…」
ミジュマルはそう告げた。
「…そっか…私と、同じ人間が、ポケモンになった話…そんなことが、あるんだね……あと、私の事、信じてくれてありがとう…」
ピカチュウもそれを聞いて、少し笑って感謝の言葉を述べた。
「…でもね」
さっきまで目を輝かせていたミジュマルは、急にシュンとした。
「でも、僕いくじなしでさ…探検隊になるために、近くの探検隊ギルドに入門しようと思ったんだ。でも…一人じゃ怖くって…」
ミジュマルは弱弱しくそう呟いた。
「私と、一緒に行こうよ」
「え?」
ピカチュウは強く、はっきりとそう言った。
「探検隊になるのが夢で、元人間のポケモンと会いたいって思ってたんでしょ?探検記の中の、元人間とポケモンの探検に憧れて…」
「なら、私達も…元人間の私と、ポケモンの君が…
探検隊に、なってみようよ」
「は?」
ピカチュウは何かを決意した顔で言った。
「…私、人間の時の記憶はあるけど、どういう経緯で、ポケモンになったのか、いつ、どうやってなったかが、全然分からない。だから……君と探検隊になることで、私が、どうやって、ポケモンになったかが…少しでも分かるかもしれないと思うの。」
「な、何言って…」
ミジュマルは驚くしかなかった。今まで一人で何も出来なかった自分に、元人間のポケモンが、「一緒に探検隊になろう」と言ってくれているのだから。
「…君は、倒れていた私を助けてくれたんでしょう?私も、恩返ししないと。君が困ってるんだったら、今度は私が助けてあげたい…」
「…私も、人間の時より、もっと…」
ピカチュウは最後に何かを言おうとしたが、押し黙った。
ミジュマルは、ピカチュウの言葉を聞いて、強い表情になった。
「…運命って、あるみたい」
「僕も、強くなりたい!だから…改めて、僕から、一緒に探検隊になろう!」
「…うん!…そうだ、私の名前を言ってなかったね。
…私の名前は…
イリア。イリアって言うの。…不安もあるけど…宜しくね」
ミジュマルの森での変わらぬ生活は、ある一人…いや、一匹の人間だったポケモンに出会ったことで、終わりを告げた。
「変わらぬ」ものなどはない。「変わる」からこそ、その人生は、輝いてゆく。
止まっていた時間が大きく、鈍く動き出していた。