Chapter 2 -まだ見ぬ蒼天の雲の行方-
Episode 48 -Moonlight-
 夜10時。既に辺りはひっそりと静まり返り、明かりのない砂浜を、ただほのかに青い月の光だけが照らしている。

足元からは砂浜をぎゅっと踏みしめる音、左右からは波が穏やかに打ち寄せる音と風がヤシの木を揺らす音。その3つの音が立体的に混じり合う様子は、天然のサラウンドシアターといったところだろうか。


「おーい、そんなに急ぐことないだろー!! 星も月も逃げたりしないってー!!」
「えっこお兄ちゃんも早く来るのです、この浜辺からなら星がよく見えます。観測するにはもってこいなのです。」

この夜、セレーネはえっこに連れられてラグナス岩礁から程近い浜辺に来ていた。
沖合の岩礁から4km程離れたこの場所は、岩ばかりの空間とは似ても似つかぬ細やかな砂浜が広がる海であり、ほとんどポケモンたちの文明の手が入っていない、自然が色濃く残るビーチだった。

セレーネは学校の課題で天体観測をしなくてはならないため、えっこに頼んでこの場所を訪れたのだ。


「はぁ……はぁ……。こんな砂浜なのによく元気に走り回れるな……。俺は疲れちゃったよ……。」
「ボクは普段から、村にあるビーチでみんなと遊んでたから平気なのです。それより、星を見るのです。課題を済ませないとですから。」

セレーネはそうえっこに答えると、地面にランタンを置き、背中に背負ったケースから望遠鏡を組み立て始めた。
えっこがふと空を見上げると、そこには無数の星が瞬いているのが目に飛び込んできた。

星の輝きを遮る人工の明かりがないからこそ、塵のように小さく見える星までもがくっきりと浮かぶ空。
まるで空の果てに黒いフィルムを貼り付けたかのような今宵の夜空は、満月を少し過ぎた十六夜の月によってかすかに明るく照らされている。

そんな黒の背景に浮かぶ細かな星々をよく見ると、白、赤、黄、青、紫、水色と、それぞれ多種多様な輝きの色を放っているのが分かる。


「す、すげぇ……。こんなにたくさんの星が……。星が空に浮かんでるのは話には聞いてたけど、実際こんなに見える光景は初めてだ……。」
「ぴぇっ? えっこお兄ちゃん、星を見たことないのです? ボクの村でも、これくらいの星空は時々見えたのです。珍しくも何ともないのです。」

「星ねぇ……。俺の生まれ故郷では、そんなものは見上げてもなかった……。常に蒸気と煙で空が閉ざされてて、月すらも半分モヤがかかってたくらいだ。こんなに月が大きく眩しくて、星が群れをなして空に浮かんでるなんて知らなかった。いや、話には聞いてたけど、半信半疑だったよ。」

えっこは物珍しげに空を見上げながら、顎に手を当ててそう呟いた。セレーネはそんなえっこの様子を見て首を傾げている。


「そういえばローレルお姉ちゃんから聞いたのです、ローレルお姉ちゃんとえっこお兄ちゃんは、カルスター王国で生まれ育ったって。ローレルお姉ちゃんも、星空を見たことがないのです?」
「どうだろうな……。俺のいた『スチームベース』と違って、ローレルがいた『イーストサイド』は綺麗だったから、空も汚れていなかったかも知れない。けれど、ローレルは別の理由で星空なんて見たことがなかったかも……。」

えっこは少し寂しげな表情のまま、俯いてセレーネにそう答えた。









 時を同じくしてアークの旧市街。アーク旧市街は比較的治安がいいことに定評があり、このひっそり静まり返った夜中の時間帯でも、あちこちにレストランや商店の明かりがぼんやりと灯っている。平日から休日まで、この時間帯でも道行くポケモンたちもそれなりにいる。

そんな少し肌寒さの残る初夏の空の街で、濃い赤のケープをまとって歩く影が一つ。


「全く、アンタに励まされることになるとは思ってなかったわ……。でも頑張ってみる。そうだよね、どうせダメなら当たって砕けろだもの。」
「その意気だよ。でもただ一つ修正するとすれば、ダメとは決まった訳じゃあないってとこかな。いや、僕個人的には可能性は大いにあると思うよー。」

「……そうね、何事も決めつけるべきではないわ。それに仮にもダイバーたる者が、挑む前から諦めるなんてらしくないかも。それじゃ、行ってくる。」
「幸運を祈るよ、チームメイトの幸福や成功はみんなの利益につながるからねー。」

メイはローゼンとのComplusの通信を切ると、ケープの胸元の紐をきゅっと結び直し、足早に目的地へと向かっていく。


「あれ? メイメイじゃないか、どうしたんだい、こんな夜中に。」
「ごめんなさい、ルーチェさん……こんな夜分遅くにアポなしで……。でも、2匹だけで話したいことがあって。」

「この間のことかい? あれなら気にするこたぁないさ。」

ルーチェはメイが切り出すよりも先に、穏やかな語り口でそのように告げた。メイは思わず驚きで目を丸くする。


「えっ……!? まだ何も言ってないのに……。」
「顔に書いてあるからね。つか、あんだけしょぼくれてちゃ一目瞭然だよ。軍服君をあんな風に拒絶してたのが少し許せなくてさ……ごめんね、アタイもちょっと言い過ぎちゃった。でもあの後アンタはきちんと反省してたし、彼とも何か打ち解けてたみたいだし、よかったよ。」

「ルーチェさん……。本当にすみませんでした、他のポケモンの心が分からなくてガサツで、無教養な奴だから消えてなくなれって思ってた……。でもそれって本当は私自身のことですよね、私が最低な奴だった……。自分のこと棚に上げて……ははっ……。」

少し俯いて自嘲気味にそう語るメイの肩に、ルーチェは優しく手を乗せた。メイの顔が、暗闇の中で人知れずほのかに赤くなる。


「みんな誰しも間違いはあるもんさ。メイメイが最低だとしたら、アタイは一体何になるのさ……。ギャングにいる間、この手で一体どれだけのポケモンを始末してきたかも分かんない。一体どれだけのポケモンから恨まれてるかも分かんない。ポケモン殺しの社会のゴミクズさ。」
「そんなことないっ……!!!! ルーチェさんがいるから私たちのチームは成り立ってる……。それにルーチェさんが離反して力を貸してくれなければ、麻薬を捌いてたあなたの組織だってのうのうと活動を続けてたに違いない……!!!! あなたの良心と勇気があったから、あのギャングを壊滅に追い込めた!!」

今度はルーチェの手をメイが強く握り返す。そしてそのまま彼女を抱き寄せて胸元に顔を埋めた。ルーチェの身体のかすかなアロマの香りがメイの鼻に優しく触れ、メイはますます顔を赤くした。


「あのっ……!! わっ、私……あなたのことが好きです……!!!! 上司としてじゃない。パートナーになって欲しい、一緒にいたい。本気で……本気で大好きなんですっ……!!!!」

ルーチェは必死に思いを告げるメイを見つめて、ぽかんとした表情で固まっている。メイはそのことに気が付くと、ついうっかりとやってしまったという感じで、目に見えてあたふたし始めた。












 「そうなのですか……。ローレルお姉ちゃん、可哀想なのです。お父さんやお母さんにあれもダメ、これもダメ、こうしなさい、ああしなさいって何もかも……。」
「そうなんだ。ローレルはそんな辛い生活の中、俺という違う世界に住む友人に会えることだけを楽しみにして、心の支えにして生きていてくれた。でもあのとき俺は、守ってやれなかった……。だからローレルは……!!」

「えっこお兄ちゃんのせいなんかじゃないのです……。誰にも辛いことはやってくるのです、あの日ボクだって……。」
「そうだな……君にも辛いことを思い出させてごめんな。俺なんかよりよっぽど大変な思いしてるのに、その歳で目の前で……。」

満点の夜空の元、砂浜に腰掛けて語り合う2匹。えっこがそのように言いかけたその瞬間、セレーネがすくりと立ち上がった。


「でも、ホントはお父さんとお母さんは、ボクの本当のお父さんとお母さんじゃないのです……。」
「どういうことだ……?」

「絶対、バカにしないって約束してくれるのです? 笑われるのは嫌なのです。」
「誰が笑うかよ、君が真面目にしようとしてる話を笑いものにするなんて、そんなこと絶対にしないさ。」

すると、セレーネはゆっくりと浜辺に腰を下ろして空を見上げた。その目線の先には、青白く大きな月が星を飲み込まんとするように、夜空に広がっているのが見えた。


「あの夜も、こんな月夜の浜辺だったらしいのです。恋人同士だったお父さんとお母さんが散歩をしていると、広い砂浜にぽつんと一つ、月の明かりに照らされた小さな影があったそうです。」
「もしかしてそれが……?」

「そうです、まだ赤ちゃんだったボクだったのです。誰かが捨てたのかも知れません。まだ目も開いていないくらい小さな赤ちゃんだったボクは、泣き声一つ上げずに、月の方を向いてじっと座っていたそうです。」

セレーネは少し物悲しげにそうえっこに語った。自らの本当の親に捨てられ、その顔すら知らない悲しみや辛さというものは、そういった経験のある者にしか想像できないのだろっ。


「お父さんは魔法使いのアマルルガ、お母さんは村の食堂を開いているトロピウス。だからボクみたいなピチューが生まれる訳はないのです。ボクは捨て子。本当のお父さんとお母さんに見放された子。しかもこうして生まれつき魔法を使える。だから周りの大人たちに変な噂を流されたりしました……ボクが災いの予兆だって。ボクが災いを呼ぶんだって。」
「酷い……!! セレーネがそんな存在な訳ないのに……!!!!」

「ボクたち家族はそういったポケモンたちに虐められることになりました。けど、そんな中でもボクのことを仲間外れにしたりしないポケモンもいたのです。ボクと一緒に生き残ったのも、そんな大切なお友達の内の2匹……。」
「そうだったのか……。ありがとう、セレーネ。そんな大切な話を俺なんかに打ち明けてくれてさ。君が段々俺のこと信用してくれてるみたいでとても嬉しいよ。」

えっこはセレーネを片腕で抱き寄せた。セレーネもえっこにくっつくようにして、自分の身体をえっこに寄りかからせた。


「さてと……課題、やらなきゃだろ? そろそろ取り掛かって、帰ってちゃんと早く寝ないとな。」
「はいっ、星座を探して記録しないとなのです。」

えっことセレーネは揃って立ち上がり、再び黒の背景に点々と浮かび上がる光の粒に目を凝らした。えっこもセレーネも、今では何だかその透き通った煌めきが、少し潤んでぼやけて見えているような気がした。









 完全に時が止まったかのようにピクリとも動かないメイとルーチェ。わずか数秒程度のことのはずだ。だが、メイにとっては何十分にも感じられるようだった。やがて、ルーチェが一歩前に歩み寄ってメイを抱き止める。


「バカ……。メイメイは本当に鈍感なんだから……。待ってたの、分からなかった? アタイ、普段はあんなだけどさ……好きな相手に思いを打ち明ける勇気だけはなくて……。ずっと待ってることしかできなかった。」
「それって……!?」

「アタイもだよ、アンタと一緒に過ごしたいし、こうやって抱き合うと物凄くドキドキするんだから。女同士だからとか関係ない。アタイもメイメイのことが好き。」

ルーチェは普段とは違うか弱い声色でメイに囁いた。間近で見ると、ルーチェの顔もほんのり赤みがかっている。


「アイツに感謝しなきゃ……。アイツが、私のルーチェさんへの思いを見抜いてたから、今こうして両思いになれた……。やっぱりアイツの言ってた通り、ルーチェさんは性別とか身分とか、そういうのに縛られないポケモンだったんだ。」
「軍服君だね? そこまで見抜いてたんだ、彼……。無邪気で混じりけない感じに見えて、何考えてるか分かんないねー。でも、だからこそ頼りになるかもだけど!!」

「今日はこのまま一緒にいてもいいですか? あなたを独り占めしてたいです……。」
「うん、もちろんだよ。アタイもメイメイと2匹だけで過ごしたい。誰にも邪魔されずにね。」

2匹はまだ少し恥ずかしげにしながらも、手を繋いで店の椅子に腰掛けた。深まる月夜の中、キッチンの明かりだけがゆらゆらと辺りを照らすルーチェの店で、メイは目を閉じてルーチェの身体に身を寄せるのだった。


(To be continued...)

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Aiccaud(えっこ) ( 2019/04/23(火) 03:23 )