Chapter 2 -まだ見ぬ蒼天の雲の行方-
Episode 39 -Haze-
 この日のダイバー連盟本部は、まだ朝の8時前だというのに騒がしさを見せていた。そんなただならぬ状況の中、えっこは本部ビルの玄関を通る。


「何だってんだよ……まだ火曜日だし、朝の8時に来いって、工場とか工事現場じゃあるまいし……。」
「それに、何故僕まで呼ばれているのでしょうか? 昨日カザネさんやいるかさんも、部活を切り上げてまで何か準備にあたっていたようですし……。」

「ローレルやカザネやいるかが、学校を休んでまで参加させられる会議……。しかもまだ正式にダイバーとして登用された訳じゃないのに……。一体どういうことなんだ……。」

えっことローレルは、2人して難しい顔をしながら、エレベータで4階の大会議室へと向かった。時刻は7時53分、既にいくらかの会議出席者が室内にいた。


「あー、えっこだー!! 元気にしてた? 参っちゃうよねー、こんな朝っぱらから会議なんて。眠らないようにしないと。」
「ローゼンさん、あなたたちも呼ばれたんですか? 複数のチームが一度に呼び付けられるなんて……。ますます意味が分からないな。」

えっこは再び顎に手を当てて考える素振りを見せた。そんなえっこに対し、ローゼンは別の話題を突然切り出す。


「ねーねー、それより君、童貞を捨てたんだってね。」
「は、はいっ!? 何言ってんですか、俺が?」

「そうだよ、殺りかけたんでしょ? どうだった? 命を力任せに捻り潰すのって面白いんだよね、特に相手が命乞いしてきたときなんて最高だ、それを足蹴にしてとどめを刺すのは限りなく気分がいい。絶頂しちゃうよねー!!」

えっこは思わず顔を下に向ける。やはり、先の事件は拭えぬ事実、えっこにずっと付きまとい続ける罪なのだ。ハリマロンえっこやカザネやマーキュリーが片を付けたと言ってくれても、行いそのものが消える訳ではない。

無邪気かつ無神経に笑うローゼンに怒りを覚えながらも、その事実故に何も言い返せないえっこ。すると、いきなりローゼンの腹に強烈な肘打ちが突き刺さり、ローゼンは10mほど吹っ飛んでいった。ローゼンは痛みは感じないながらも、血を吐いて呼吸ができずによろめいていた。


「てめぇ……同じこともう一度言ってみやがれよ。次は首の骨を叩き折るぞ。」
「あは……がっ……やってくれるね……。えっこにやられた被害者の……兄貴の癖にさ……庇う訳? 君の……弟を殺しかけた……のに?」

「ああ、文句あるかよこのゲス野郎。確かにこいつがしたことを許すつもりはねぇ。だが、今この瞬間は、自分の行いを心から反省して後悔してるえっこの心にズカズカ土足で乗り込んで、嘲笑ってるてめぇが一番ムカつくんだよ。」

えっこの前に立ち塞がったマーキュリーは、完全に怒りで赤黒く焼けたマグマのような目つきでローゼンを睨む。ローゼンは無表情のまま立ち上がると、武器を取り出して構えた。


「じゃあ僕もいきなり殴られてムカついたから、君を壊していいよね? 丁度殺りたかったとこだしさ。」
「まだ殴られ足らねぇみてぇだな。その減らず口を二度と聞けねぇようにしてやる!!」

そのとき、何者かが一瞬の内に2匹の顔付近を掠めていった。電光のように通り抜けたそれはトレだった。


「朝からつまらねぇ喧嘩してるんじゃねぇよ、このアホどもが。」
「トレさん!? いつの間に……?」

「何か騒がしかったんでな、会議室に早めに来てみたらこのザマだ。ったくどいつもこいつも、ちょっとはローレルちゃんを見習ったらどうだ? 山奥の高原に揺れる一輪のエーデルワイスの花のように、穏やかで知的でおしとやかな彼女のことをな!!」

相変わらずの褒め言葉にローレルは困惑している。キザとはえっこから聞いていたが、初めて顔を合わせた途端に口説き文句のような褒めちぎり方をされては無理はない。

そのとき、ローゼンが身体をゆらゆらと揺らして座り込んだ。


「何……これ……身体が言うこと……聞かないや……。」
「トレてめぇ……何か仕込みやがったな……!!!!」

「カイネさんが試験のお茶トラップ用に持ってる麻痺薬と忘却薬を、モノノケの体液ぶち込む注射使ってお前らに打ち込んだのさ。ちょっとばかしおねんねしてろ、ボケ野郎が。」

マーキュリーとローゼンはその場に倒れ込み、いびきをかき始めた。それを見たトレは深くため息をつくと、近くの席にゆっくりと腰掛けた。










 「んぁ……キャベツ……要らねぇよ、野菜嫌いだっての…………あがっ!?」

マーキュリーが椅子に腰掛けたまま目を覚ます。ローゼンも同じくらいのタイミングで目を覚ましたらしく、ともに何が何だか分からない様子だ。


「おい、バカマークにローゼン。てめぇら揃って後で会長の部屋に来い。反省文書いてもらうからな。」
「えーーっ!? な、何でだよー!!!!」

「大事な会議中に居眠りしたからだ。(ということにしておこう……。)」

トレがマーキュリーたちにそう語りかける。時計は既に8時半となっており、周りにはえっことユーグとトレ、ルーチェとローゼンとメイ、カムイとミハイルとミササギとシグレ、そしてハリマロンえっこ、カイネ、ニア、マックスウェル会長、ゼノが勢揃いしていた。


「むー、何でそんなゴミを見るような目で僕を見てんのさ。」
「知らない、フンッ!!」

ローゼンは不満そうにメイの方を向くが、メイはそのように答えると、わざとらしくそっぽを向いた。ハリマロンえっこはため息を付くと、目の前の資料を手に取って一同に目を合わせた。


「忙しいところ集まってもらって申し訳ない。そこのバカ2匹のせいで30分遅れだが始めさせてもらう。今回集まってもらったのは他でもない、彼らチーム・澪標と私とカイネとニアが目撃した、ある一体のレギオンのことについての報告のためだ。」

ハリマロンえっこが目を合わせて黙って頷くと、カムイもそれに反応し、自分たちが体験したことを一同に説明し始めた。
その話を聞き、誰もが驚きのあまり固まっているのが目に見えて分かる。


「カムイちゃん……君のことを疑う訳じゃねぇけどよ。ホントなんだな、それは? ……じゃなけりゃ、こんな大事になってないわな。」
「ええ、残念ながら……。確かにファイと名乗るそのピジョットと、奴が赤いヘラルジックで召喚したレギオンは紛れもない事実よ……。」

「とんでもない代物出してくれるじゃないのさ。単一のモノノケからなるレギオンを、ポケモンが赤色のヘラルジックで呼び出す……。あらゆる『当たり前』から逸脱しちまってる……。」
「うん、残念ながら今回のケースは前代未聞のものとして進めねばならない……。僕も長らくダイバーの仕事をしてきて、こんなのを聞いたのは初めてだ。」

ルーチェが珍しく真面目な顔をして頭を捻る中、マックスウェル会長も重いトーンの声色でそう呟いた。


「今回の個体は『タイム』と名付けられた。恐らくは、ファイのようなヘラルジック使いの謎のポケモンが、タイム以外の強力な単一モノノケのレギオンを呼び出す可能性がある。それ故、この特殊なタイプの個体には識別名を付ける。ハーブの名前を取ってな。」
「それと、もう一つ気がかりなことがあるね……。カムイさんたちと対峙したときにファイが言っていたという一言……。」

「何者かを探している。しかも、それは人間であると。少なくとも、シグレさんやカムイさんではない誰か。」
「現状、元人間だった者はこの場に後4名……。俺とローレルとローゼンさんとえっこさん……。その誰かだと言うのでしょうか?」

ユーグとカザネが言う通り、ファイはある人間の魂を探していると発言していた。それが事実ならば、えっこの挙げた4人の中に、恐らくは対象が含まれているのだろう。


「でも、人間の魂なんて探してどうするんでしょうか? そもそも人間が存在することすら、
僕たちにとっては驚きだったのに……。」
「それを向こうは知ってやがった。人間が存在すること、俺たちが人間であること、そして俺とカムイが奴の求める魂の持ち主ではないこと……。当然、目的も何も俺たちには想像さえできねぇ。」

「でもどうやら話を聞く限りは、ファイは人間の魂の位置や内容を、大まかにしか探知できないのでは? でなければ、わざわざシグレさんたちに接触して目視での確認などはしないでしょう。」
「それと、何で人間さんが集まっとるアークを直接叩かんのかが気になるねぇ。6人も固まっとるんや、きっとその中にターゲットはおるはずよ。うちなら地上をうろちょろせんと、最初からアークに目を付けて活動しとるわ。」

いるかとシグレが行き詰まる中、ローレルはそのような仮説を切り出した。確かに、魂の場所が完全に分かるのであれば、わざわざ自らが赴く必要などどこにもない。

それに、ミササギの言うことも正しい。各地からポケモンが集まる上、シグレたちの所属するダイバー連盟があるアークに、目的の人間の魂が高確率であることは、容易に推測の付くことだ。
よもや、人間の魂がある場所を大まかに探知できるファイなら、アークに人間が集結していることを読み取れない訳がない。


「これは仮説だがよ、奴は地上に現れたとある人間の魂を求めてんじゃねぇかな? 最初からターゲットを地上だけに絞ってる。アークは対象外って訳さ。それで、目的のブツと間違えてアンタらを襲ったと。」
「なるほど、アークにいる可能性のある人間じゃなくて、確実に地上にいるはずの誰かを探してるのなら、その線は正しいかもねー。」

「けどそれって、ここにいる6人以外にもポケモン化した人間が地上にいるってことか? あーーもう訳分かんねぇ!!!!」

ゼノは一行に持論を説明した。彼の指摘する通り、最初からアークを無視して人探しをしているのであれば、そもそもアークを攻撃する意味もないし、えっこたち6人の中に探し求めている魂がいない可能性も出てくる。

しかし、結局のところどの意見も単なる推測に過ぎない。結論を出すにはあまりに謎が多過ぎるこの現状で、誰もが必死に思考を巡らせるが、どうしても見えてくるものはなかった。










 「とにかく、今は判断材料が少なすぎる。憶測で物を言うことはたやすいが、それを検証する手立てが存在しない以上、あれこれ悩んでも仕方はないだろうな。」
「だから、今後の方針について伝えたいの。そのために今日はみんなに集まってもらった。」

ハリマロンえっことカイネが湧き出る意見を一度打ち止めにした。その後、マックスウェル会長がゆっくりと口を開く。


「これは僕の勘だけれど、恐らく彼らや単一モノノケのレギオンたちとは、これから幾度となく戦うことになると思う。これもエビデンスには乏しい憶測ではあるけど、きっとそんな気がしてね。」
「俺も同意です。俺たちみたいな元人間のポケモンがダイバーとして地上で活動する以上、また奴らと接触する機会が発生する。それも、一度でなく何度も。」

「だから、この件についての特殊対策ユニットを組むこととする。そのメンバーはここにいる者。つまり、メインメンバーとしてチーム・テンペスト、チーム・フィーアシュテルン、チーム・澪標、それからえっことカイネとニアのマイスターランクの3匹。そしてサポートに僕とゼノが付く。」

突然の知らせにえっこやシグレやローゼンたちがどよめく。まさか、このために呼び出されたメンバーだとは、誰も予想だにしていなかったのだ。


「会長さん、ちょい待ち、鳥目君とカムイちゃんは分かるよ、狙われるリスクはそんなにないから。けど、何で他3人の人間がメンバーに? その中に仮に奴らのターゲットがいたら……。」
「可能性はあるね。だけど、それを逆手に取ろうと思う。奴らは必ず人間だった者を探知してやって来る。その他のチームには目をくれることもなくね。」

「なるほど、僕らは大きな釣り針って訳かぁ。ま、魚の顎どころか全身を貫いてやるだけなんだけどさ。」
「ごめんね……相手の正体が分からない以上、こうすることでしか燻り出すことはできなさそうなのー。でも、その分奴らに対しての特化対策をして、奴らの情報をいくつものチームで共有できれば、それだけ戦いが有利になる。今はそれに賭けるしかないと思うんだ。」

ニアがローゼンに申し訳なさげに答える。どうやらこちらから相手に接触する手立てがそれしかない以上、人間メンバーを持つ彼らのチームこそが頼みの綱となるようだ。


「後、もう一つ理解できないことがあります。カザネ君たちはまだダイバーじゃないですよね? 確か試験を受けているとは聞いてましたけど……。」
「ああ、ダイバーになれた暁にはということだ。」

「ひぇぇっ、ダイバーになっていきなりそんな強大な敵と戦うことになるの……!? ちょっと自信ないかも……。」
「さすがにそれはない。ここに集まったチームの中で、最も戦闘能力に乏しいのは君たちのところだからな。しばらくは通常通りの依頼をこなすだろうが、奴らが現れることもあり得る。だから、私たちマイスターランクの者が最優先で加勢できるよう、ゼノや会長の指示の元、サポートに当たる。心配する必要はない。」

ハリマロンえっこがそう答えると、いるかはほっと胸を撫で下ろした。しかしそのメンバーに人間であるローレルがいる以上、ファイたちと交戦する機会はいずれ訪れるだろう。

周りに遅れを取らないように実力を磨くことが、彼ら3匹にとっての急務となりそうだ。


「えっこさん……僕……。」
「分かってる。止めはしない。俺だって正直怖いさ、そんな化け物みたいな得体の知れないレギオンが現れることになるなんて、想像もしたくない。だが君は俺が守ってみせる。」

「分かりました。そして、僕も負けたりなどしません。カザネさんやいるかさんといった、勇ましく強い仲間たちと出会えたのです。きっと、どんな敵にも立ち向かえます。」
「ああ、俺も信じてる。お互い頑張ろう。」

えっことローレルは互いの顔を見つめてそのような言葉を交わした。そのまま、会議は最後の議題へと移っていく。









 「最後にだけど、この子たちの行き先を決めなければならない。彼らは全員家族や親を失った……。僕らで支えて行かねばならない存在だ。」

マックスウェル会長が合図すると、ニアがセレーネとコルナとヴァーティの3匹を連れてきた。3匹は見慣れぬ環境と家族を失ったストレスとで、完全に疲弊した表情を見せている。


「勝手で申し訳ないけど、私たちで独自に決めさせてもらったよ。まずセレーネちゃんは、えっこ君とローレルちゃんのところ。」
「えっ!? 俺ですか?」

「そう、セレーネちゃんはピチューだし真面目で賢い性格してそうだから、ローレルちゃんがお姉ちゃん代わりになるかなって思って。」
「まあ、大丈夫ですけど……。」

特に滞りなく、セレーネの行き先が確定した。セレーネは少し怯えながらも、ローレルたちの後ろへと隠れる。そんなセレーネに、えっこは優しく語りかける。


「セレーネか、俺の名前はえっこ。そこのピカチュウのお姉ちゃんはローレルだ。辛い思いしてる最中だし、新しい環境で慣れないかもだけど……俺たちが君の親代わりになれたら嬉しいよ。よろしくな。」
「はい……よろしくなのです……。」

セレーネは緊張した面持ちでぼそりと呟くと、再びローレルの陰に隠れてしまった。やはり自身の進化形であるピカチュウのローレルに親近感を覚えるのだろうか?


「次にコルナちゃんだけど……シグレ君、君が引き取ってくれるかな?」
「あぁ!? 冗談じゃねぇぞ、何で俺がガキの面倒なんぞ見なきゃならねぇんだ!! 小狐のとことか、犬っころのとことか、カマキリ女のとこもあるだろうが。」

「僕もできればそうしてあげたいところですが……。既に門下生兼里子として、何匹か孤児を養っているところでして……。」
「アタイもだ。あのピッツェリアの従業員、それなりに大きくなって自立した孤児とか生き残りの移住者とかだよ。彼らが食うのに困らないよう、優先して雇ってるのさ。」

どうやらツォンの道場とルーチェのピッツェリアは定員オーバーのようだ。シグレは今度はハリマロンえっことカムイに目を向ける。


「お前んとこのデカい家とか楽器屋ならいけんだろ。俺に押し付けてんじゃねぇ。」
「3匹の子供を育てた私たちにさらに負担を強いるつもりか? それに、私も妻も子供たちもみんな忙しい……。親兄弟と生き別れて孤独な彼らを放置する訳にはいかないだろう。」

「私たちも無理なの……。そこのもう一匹の子、ヴァーティちゃんを引き取ることになってるから。」
「ぐっ……てめぇら……。」

シグレは他に押し付けられそうな相手を探す。しかし、残るはゼノや会長、ローゼンやミササギにトレやユーグだ。


「(あのキザ野郎やローゼン、嫌味ババアに任せるとロクな教育されねぇな……それに残りは貧乏学生にちゃんちゃら野郎に会長……クソっ、面子が最悪過ぎるぜ……。)」
「えーと、シグレ君……やっぱどうしてもダメ?」

「チッ、仕方ねぇな。俺みたいなぶっきらぼうがこいつの父親代わりになれるかは、全くもって保証できねぇぞ。」

シグレはどこか悪態をつきながらも、フシデのコルナを迎え入れる。何だかんだでローゼンやミササギやゼノのような問題児に放り投げない辺り、不器用な真面目さと責任感が見え隠れするのがシグレらしいところだ。

そして先にもあった通り、チュリネのヴァーティはカムイたちの元へと引き取られ、今日の会議は終了となった。








 その夜、えっことローレルの面持ちはどこか曇った様子を見せていた。これから戦うことになるであろう謎のレギオン使いのポケモン、セレーネのこと、ダイバーとしてのその他職務……悩みの種になるようなことは山ほどある。


「あー……悩んでも仕方はないのは分かるけどな……。どうしても一抹の不安はあるな、こうもガラリと状況が変わると……。」
「そればかりは仕方ありませんよ。しかし、せっかくこうしてセレーネと出会えて迎え入れた日に、沈んだ表情をしているのも考えものでしょう。彼が一日でも早く馴染めるよう、僕らの側から歩み寄らねばなりません。」

えっこはローレルの言葉を聞いて、部屋にいるセレーネに目をやる。物置代わりにしていた空き部屋だが、日中にセレーネと共に片付け、彼の部屋にした場所だ。
セレーネはそこでたった一匹、ゲームに興じていた。


「セレーネ、それは何ですか? 確か同じようなものをニアさんのところで見たような……。」
「……。」
「セレーネ、ローレルお姉ちゃんに説明してあげてくれないかな? 何だか面白そうでさ、気になるんだそれ。」

えっこが近付いた途端、セレーネはポーズボタンを押してゲームを中断すると、ローレルの陰に隠れてしまった。


「大丈夫、怖がらなくてもいいんですよ。えっこさんは君に危害は加えません、いい方ですから。」
「…………。」

「ああ……何か、俺は離れた方がよさそうだよなこれ……。ちょっと外出てくるよ。」

えっこは何ともバツの悪そうな顔をすると、一目散に玄関から外に飛び出していった。ローレルはセレーネの頭を優しく撫でてしゃがみ、目線を合わせる。


「もうえっこさんは外に出ましたよ。僕だけだから心配しないで。」
「……あのトランシーバー。あれ、電源切って欲しいのです。さっきのえっこさんが盗み聞きしてるのでしょう?」

えっこの作戦は一瞬で看破されてしまったようだ。セレーネはえっこの座っていた椅子に掛けられたマントに遮られ、見えないはずのトランシーバーを指さして呟いた。
恐らく、電気タイプで電流に繊細なピチューだからこそ、すぐに気付いてしまったのだろう。


「あ、あれ……? 何だ、音声が突然切れたぞ……?」
「全く、えっこさんはこういうところは昔から小賢しいですね……。これではますます信用を失うだけです。」

「ローレルお姉ちゃんは、えっこお兄ちゃんとずっとお友達なのです……?」
「ええ、彼とは人間だった頃から。もう10年以上の親友ですね。」

「ニンゲン……? 神話とかに出てくる……。」
「この世界では、そんな存在のようですね。でも信じられないかも知れませんが、僕もえっこさんも人間からポケモンになったんです。何故かは分かりませんが、本当のお話です。」

ローレルはセレーネに微笑む。やはり性格的にも似ていて、同じ進化系統の種族である二匹は気が合うようだ。外にいるえっこは、自分の小癪な作戦がバレたことが理解できたらしく、肩をすぼめると、諦めて夜の散歩へ繰り出した。










 「ローレルお姉ちゃんの住んでたとこ……こことは違う感じ……なのです?」
「ええ。僕の住んでいたカルスター王国は一年中霧に包まれた大都市で、アークとは違う濃い茶色のレンガの建物が並んでいます。蒸気で動く機械もたくさんあるんですよ。」

「蒸気……?」
「はい、水が蒸気になって吹き出す力で、小さな車輪から大きな列車まで、色々な物が動かせるんです。アークでは魔法や電気の力がメインのようではありますが。」

ローレルはセレーネに故郷のことを説明してあげた。セレーネは少しだけ興味ありげな眼差しをローレルへ向けている。


「僕の生まれた『ナルコス村』は、青い屋根に白い壁のお家と、風車と、暖かい真っ青な海があって、風が気持ちよくて……。」
「カルスター王国とは大違いなのですね、きっと太陽が心地よい村なのでしょう。頭の中に鮮明に光景が浮かぶようですよ。」

「でもモノノケに壊されちゃいました……。僕たちだけが生き残って、学校のみんなも、お父さんやお母さんも、みんなみんな天国に……。」
「辛いことは思い出すべきではありません。大丈夫、逃げる訳ではありません。いつか、この悲しみに正面から向き合えるときが来るまで、まずは心を落ち着かせることを一番にしましょう。」

トラウマが脳裏に蘇り怯えるセレーネを、ローレルは優しく抱き寄せた。セレーネはそんなローレルの服を手で掴み、自らの身を彼女に押し付ける。


「そうだ、君はどうやらそのゲームという機械が好きなようですね。カルスター王国では見たことのないおもちゃです。」
「これ……本体にゲームカードを差し込むと、そのソフトが遊べるのです……。今は格闘ゲーム……ポケモンが1対1で戦って、先に相手の体力を0にした方が勝ちなのです……。」

「不思議なものですね……同じ機械でいくつものゲームとやらができるなんて……。でも、ずっと一人で遊んでいるのですか?」
「今はトレーニングモード中……操作を練習するのです……。いつもはオンラインで見知らぬ誰かと対戦するのです。」

ローレルは自らの世界では普及していないらしい、ゲーム機を物珍しそうに眺めていた。セレーネは少し困惑しながらも、ローレルの前でポーズを解いてキャラを動かし始めた。


「まるで本物のポケモンのようです……。それがセレーネの操作通りに精密に動くなんて……。」
「最近の流行りなのです。僕は村の子供たちの中では、一番強かったからよく対戦を申し込まれて……。」

「確かに、滑らかに相手に技を当てていきますものね……。僕がやると、何もできずにあたふたしそうです。」
「慣れなのです。何度も練習したら、身体が覚えるようになるのです。」

テレビの画面を覗き込むローレルと、コントローラをカチャカチャと慣れた手付きで動かすセレーネ。そんな様子は外からもシルエットだけは伺え、散歩から戻ったえっこはため息をついた。


「ありゃ、俺の入る余地はないな……。しばらくセレーネと親睦を深めるのは難しいか……。ローレルに任せよう。」

えっこはそう呟くと、暇潰しにでもとアルバートの部屋のドアをノックした。
雲が月に覆い被さり、その光をところどころ遮る今宵、えっこたちの新たな戦いとアークでの日々が幕を開けようとしていた。

(To be continued...)



Aiccaud(えっこ) ( 2019/04/02(火) 21:32 )