Chapter 1 -大地に舞う幾多の翼-
Episode 8 -Departure-
 翌朝を迎えたえっこ。やはりどうしても緊張からか寝付きがよくなく、明け方に目を覚ましてから眠れていないようだ。

そんなえっこのことはどこ吹く風、ローレルは朝から何やら台所で物音を立てていた。

「おはようローレル……。一体何をしてるんだ?」
「おはようございます、えっこさん。今日からあなたが試験で数日家を空けるので、僕一人で家事全般を何とかせねばと思いまして。」

「いやいや、頼むからやめてくれ!! 頼むよ、それだけは!!」
「何故です? 僕だってやればできるはずです。あなたにいつまでもお世話をかけ続ける訳には行きません。」

そのとき、どこからともなく焦げ臭い香りが漂い、二人の鼻を掠めた。


「おいっ、ローレルっ!! フライパン!!!!」
「あわわっ!? そんな、パンケーキが!!!! ひゃっ、熱っ!!!!」

黒い煙を上げる漆黒の塊は、既に砂糖が焦げ付いた臭いをキッチンいっぱいに広げていた。
焦げた塊を思わず素手で拾い上げようとしたローレルは、咄嗟にフライパンを持つ手を離してしまい、金属音と木の板が焼ける音が同時にこだました。


「だから言ったじゃないか……。君は家事全般は昔からからきしダメなのに……。」
「ごめんなさい……僕…僕、えっこさんのお役に立ちたかったのに……。」

「ありがとう、ローレル。でも苦手なことを無理にやる必要なんてないさ。数日分の食事くらい作り置きしておくし、ローレルは心配しなくても大丈夫だよ。手、見せてみな?」

ローレルの手は、熱々のフライパンのせいで火傷している様子だ。えっこはすぐに手当をして、患部に包帯を巻いた。
そのとき、部屋の電話が突然音を上げた。えっこは駆け寄って受話器を取り上げる。


「おはよう、昨日はよく眠れたかしら?」
「その声はメイさんですね? うーん、実は少し寝不足が……。」
どうやら電話をかけてきたのはメイのようだ。そのままえっこはしばらく通話を続け、突然驚きの反応を見せた。

「えっ、ローレルを……ですか? でも、ご迷惑にならないです? …うーん、それはそうなんですけど……。はい、ええ。……そうですね、それならお言葉に甘えて。」

えっこはメイにお礼を言うと受話器を置き、ローレルの元へと戻ってきた。


「ローレル、俺が試験の間、メイさんがご厚意でお家に泊めてくれるそうだ。カザネ君に話を通しておくらしいから、学校が終わったら彼と帰ればいい。それでも構わないかい?」
「はい、是非ともお願いしたいです。同級生やえっこさんの知人とも、交流を深めるチャンスだと思われますので。」

ローレルはメイの申し出に同意した。えっこは既に冷えて触れるようになったフライパンを抱え上げ、ローレルの背中を叩いた。

「じゃあ、決まりだな。これを片付けたら朝飯にして、早いところ身支度をしておこう。ローレルも泊まるための用意忘れずにな。」
「はい、分かりました。」

ローレルは軽く頷くと、着替えなどを準備すべく寝室へ戻っていった。えっこは焦げ付いた黒い塊を再び目の当たりにし、やれやれと顔をしかめる。








「さーてと……。この応接室に実技担当者がいるのか。」
「実技担当者……。一体どんな人、じゃなくてポケモンなんだろう……。」
ローゼンが指差す扉を見つめたまま、えっこの顔は緊張に引き攣っていた。ニアが言うにはダイバー試験の中で最も重要といえる実技。えっこたちは、これからその実技試験に臨もうとしているのだ。


ドアをノックして入室を促されたえっこは、意を決して室内へと進んだ。すると、その目前にはスパゲッティを口いっぱいにすする一匹のキツネポケモン・フォッコがいた。

「あー、どーぞふわっへ!!」
「す、座れと言ってるみたいですね……。」
半ば呆れ顔のえっこは、ローゼンと共にフォッコの向かいの席に腰掛けた。それと同時にフォッコは麺を一気にすすり、ほとんど咀嚼することもなく飲み込んだ。


「ごめんごめんー、朝ごはんまだでさー!! やっとさっき食べ始めたとこなの、あはは……。」
「俺はえっこ、彼はローゼンです。あなたが実技試験の担当の方ですか?」

「うん、そうだよー!! 私の名前は『カイネ』、マイスターランクのダイバーとして、今も現役で活動してるの。よろしくねっ!!」
可愛らしい笑顔を覗かせる彼女は、歳にしておよそ20歳前後だろうか?
とても若々しい見た目で爽やかな青緑のマントを羽織り、漂わせる明るくアグレッシブな雰囲気は、えっこにかつてのローレルの性格を思い起こさせた。


「はは、カイネちゃんもニアちゃんも可愛いね。やっぱり若いっていいなー。」
「あらまぁ、ありがと!! でも私、もう結構な歳だからねぇ、これでも……。」

「ええ、まだ20代くらいなのでは…!?」
「えーと……。その倍くらいかな、ははは……。もう22になる娘もいるし。」

カイネはえっこたちに対し、苦笑いしつつ小声でそう答えた。えっこは信じられない事実にきょとんとしているようだ。カイネはそんなえっこにお構いなく、ティーカップを差し出してきた。


「ささ、これでも飲んで、冷めない内にどうぞー。」
「ええ、いただきます……」
えっこがカップに口を付けようとした瞬間、突然ローゼンが立ち上がって大きくのけぞった。

「ふっ、ふぇああぁくしょんっ!!!!!!」
「うわぁっ!? あ、熱っ!! か、顔がぁっ!!!!」
ローゼンの特大くしゃみに体勢を崩したえっこは、頭からひっくり返った紅茶を被って転がっていた。やがてローゼンはマイペースにティッシュで鼻をかむと、満足げな表情を見せた。


「あー、スッキリしたー!! 何か花粉症みたいー。今朝から鼻がムズムズするんだよねー、あはははー!!!!」
「何するんですかローゼンさん!!!! 頭から火傷したじゃないですかー!!!!」
「ごめんごめん、謝るから許してよー、あははは!!」

悪いと思っているのか思っていないのかいまいち見えない態度にえっこも呆れ果て、これ以上の責任を追及することをやめにした。


「それじゃあ、落ち着いたみたいだし試験について説明しよっか。既に聞いてると思うけど、実技試験は150点満点で、これから二匹に実際の初心者用ダンジョンに赴いてもらうの。いや、150じゃないか……。えっこ君、残念だけど、君は10点減点でスタートね。」
「えっ!? なっ、どういうことですか!?」

「ははっ、君ってかなり鈍いんだね。僕があんな間抜けたくしゃみすると思う? それにしても、趣味の悪いことしてくれるけどね、カイネちゃんもさ。」

ローゼンはそう言うと、えっこに自分のティーカップを差し出してみせた。えっこがよく目を凝らすと、カップの底に小さな透明の錠剤が沈んでいるのが見える。


「これってまさか……。」
「ごめんね、あまりこういうの好きじゃないんだけど、試験の一環で試させてもらってるの……。それは麻痺薬だよ、飲んだらしばらく身体が動かなくなるかな。それを飲んじゃったら一発不合格で、いつも7割くらいのポケモンが脱落するの。ローゼン君がいなかったら、えっこ君もそうなるとこだったね。」

「えっこ、油断しちゃダメだよ。もう状況は始まってるんだ。戦場じゃ、ちょっと心を緩ませただけで即命取りだよ。あんな下らないミスされても、次はもう助けないからね。」

ローゼンは珍しく真顔でえっこにそう告げた。普段と異なる真剣な形相に、思わずえっこは体の底から這い上がるような悪寒を感じた。










 その頃ローレルは、昼休みにセレスのいるクラスへとやって来ていた。やはり同じ性別な点、カザネといるよりも居心地がいいのだろうか。


「うーん……。次の時間は確率論だけど……。どうしよう、この問題当てられてるのに分からない……。」
「少し見せてくれませんか?」

ローレルはセレスから教科書を受け取ると、しばらく考えた後、閃いたような仕草をしてノートに何かを書き始めた。


「特定の文字の順序を含む並び替えパターンを考える際は、指定された文字を全て同じものと考えればよいのです。」
「えぇと……。それって……。」

「今回は『POKEMON』の文字の内、PとKとMの3文字の順番を崩してはならないという指定があります。それならば、この3文字を全てPにして考えましょう。」
「『POPEPON』にするの……?」

「ええ、これなら最初から3文字の並び変わるパターンを除外して、残り4文字と固定した3文字の組み合わせ順列で考えることができますので。」

ぽかんとするセレスをよそに、ローレルはノートにすらすらと分かりやすく回答を書いていき、セレスに渡した。
それをしばらく眺めたセレスは、ようやく問題の解き方を理解できたようだ。


「ありがとうローレルさん……!! 凄いよ、前の学校でも、何か特別なクラスにいたの……?」
「いえ、僕の通っていた学校では、これくらいのことは普通でした。毎日高いレベルの学問に励むことを求められていましたから。」

「凄い学校なんだね……。有名な私学の高校か何か?」
「『イースト校』と呼ばれるパブリックスクールです。そこでは僕のような学生が寮生活を送りながら学校に通い、紳士淑女となるべく高いレベルの教育を受けるのです。」

「全寮制!? そ、そんなの寂しくない……? 私ならホームシックになっちゃいそう……。」
「……。僕は両親と離れていた方が寧ろ楽でしたから…………。」

少し俯きながらそう答えたローレル。感情がはっきりせずとも、何か思い出したくない事情があることは明らかだった。セレスはしまったという顔をしてローレルの右手を取った。


「ごっ、ごめんなさい……、変なこと聞いた?」
「いえ、大丈夫ですよ。気になさらないでください。」

「う、うん……。そうだ、今日もまた部活見に来る? きっと今日は音が鳴るようになってくると思うよ。」
「是非そうさせてください。僕もトランペットに非常に興味が湧いてきていることですし。」

ローレルが元の調子に戻り、セレスはほっと胸をなで下ろした。そのとき、予令のチャイムが学校に鳴り響き、二匹はそれぞれ別々の教室へと移動を開始した。
部活で会えることを心待ちにしながら、二匹は午後の授業に臨む。









 「それじゃ、試験内容の確認ね。君たちにこれから行ってもらうダンジョンはここ、『旧気象観測台』だよ。」
「文字通り今は使われていない気象観測台ってことだね?」

「そう、この『リーア山』の山頂付近には昔、気象観測台が置かれていたんだけど、今じゃ他の場所に移ってしまって使われていないの。標高は2000mだけど、とても天気が不安定な場所にあって、突風や雷雨に見舞われることも多いの。」
「なるほど、それで実験観測に適しているということか……。」

えっこたちが地上の地図を眺めながら話している。現在アークの停泊している地点から西に40kmほど行った山中に、旧気象観測台があるようだ。
その周りは険しい山々が連なっており、等高線が狭い感覚でひしめき合っている様子から、かなりきつい坂と岸壁が続いている地形が想像できる。


「課題はこの観測台の百葉箱の写真を撮ってくること。そのためには山々を越えて、リーア山の上まで登ることになるね。」
「その道中に、敵とか出るのかな? いたら壊してもいい? ねぇねぇ!!」

「うん、残念ながら野盗とか山賊なんかがうろついてるらしいから、くれぐれも気をつけてね。本当にヤバくなったら私たちが駆けつける。けど、極力手を貸すことは控えたいの。私たちが介入した瞬間不合格になってしまうから……。」
「大丈夫、僕とえっこなら何とかなるよ!! 楽しみだなー、久々に生き物を潰せるんだもの。」

敵の予感に心を躍らせるローゼンの姿を見て、えっことカイネは顔を引き攣らせながら見つめ合っていた。仕切り直しと言わんばかりに、えっこが質問を投げかけた。


「奴らは、モノノケやレギオンはいるのですか?」
「それはないと思うよ、安心して。いきなりあんなのと戦わせたりはしないよ、さすがにね。モノノケの出没しない地域を選んでるつもりだし。さて、旅立ちに当たってこれを貸しておくね。」

カイネはそう言うと、奥の棚から腕時計のようなものを取り出して、二匹に渡した。腕や足に取り付けるためのバンドに、水晶玉のような機械が付けられている。


「何ですか、この機械は……?」
「それは『Complus』だよ。私たちダイバーの必需品なんだ。起動させるには、オレンジのスタートボタンを押してみて。」

カイネの言う通りにボタンを押すと、水晶玉からホログラム式のインターフェイスが飛び出した。どうやらここから各種メニューに移動するようだ。


「通信モジュールを使えば仲間同士で通信できるし、ライト機能で暗闇を照らしたり、サバイバルマニュアルで野外活動の指南を見たり、メディックヘルパーで応急処置法を確認したり、役立つ機能がいっぱいなの。」
「この青いボタンは何? 妙に大きくなってて押しやすくしてあるみたいだけど。」

「ああ、それは一番大事な機能なの。そのボタンはスキャンキャッチャーっていって、道具なんかを収納しておけるの。例えばこの石に、スキャナーの光を当ててみて。」

カイネがテーブルに置いた石に対し、ローゼンが青いボタンを押して光を当てた。すると、石が瞬く間に消滅していき、ローゼンのComplusのホログラムに石の画像が浮かび上がった。


「それでスキャン完了だよー。今の石は、ローゼン君のキャッチャーストレージに保管されてるの。取り出して使いたいときは、ストレージ上に表示されてるアイテムを選択して、青いボタンを押せばオッケーだよ。」

言われた通りに操作すると、ローゼンのComplusから石が出現した。


「凄い……。こんな技術がこの世界には……?」
「んー、私もよく分かんないけど、どうも魔力を利用してるんだって。道具を魔力で圧縮してデータ化し、それを持ち運んでるみたいなの。」

「いずれにしても役立ちそうだね、ありがたく使わせてもらうよ。」
「それじゃ、試験内容の再確認ね。任務は旧気象観測台の百葉箱の写真を、Complusのカメラ機能で撮影してくること。必要な食料やテントなんかはその中に入ってるから、支給された分は自由に使っていいよ。もちろん、道具に関しては現地調達も大丈夫。」

カイネの説明を聞き終えたえっことローゼンは、早速地上に向かうべく、下降用エレベータへ乗り込んだ。


「これって、確かアークに上がってくるときに使った……。」
「これは地上とアークを繋ぐエレベータなの。Complusの白いランプが点灯している場所でリフト機能を使うと、このエレベータがやって来てくれるよ。帰るときはそれを使ってね。それじゃ、頑張っておいで!! 幸運を祈ってるからね!!」

可愛らしいウィンクでえっこたちを見送るカイネの姿が、徐々に上に小さく消えていく。雲を突き抜けてエレベータは下降し、眼下に広がる緑の大地が二匹を待ち受けるかのように近づいてくる。

これから旧気象観測台までの道のりで二人を何が待ち受けているのだろうか? やがてエレベータは地上に到達し、えっこは力強くその一歩を大地に踏み出した。


(To be continued...)

Aiccaud(えっこ) ( 2019/03/16(土) 14:00 )