Chapter 1 -大地に舞う幾多の翼-
Episode 4 -Awaken-
 「よしっ、決めた。ここにしよう!!」
「ご契約、ありがとうございますー!! では、入居時の説明をさせていただきますのでお待ちくださいねー。」

大きな四角い岩を背負ったポケモン・イワパレスがのそのそと書類置き場へ歩いていく。えっこはアークでの住居を求め、イワパレス不動産店を訪れていた。

入居に関する説明は順調に進み、えっこは相変わらず目を覚まさないローレルを連れて新居へやってきた。が、大きな問題が一つ。


「うーむ……。説明には聞いてたけど、ここまでとはな……。」
ローレルを背負ったまま眉をひそめるえっこ。その目の前には新居のアパートの一室があったのだが、その内装はボロボロだった。

「この物件、少々訳ありでして……。築120年の石レンガ作りで、南東向きなので日当たりはそこそこ。しかし、冬はかなり冷えますので暖房が必須です。」
「それなら大丈夫、俺はケロマツですし、寒いのなら耐えられますから。」

「そして何より……10年ほど入居者がおらずに放置されていたため、中はかなり荒れ果てております。掃除や壁の塗り直しなどはお客様自身での手配になりますが、よろしいですか?」
「ええ、それなら……。敷金礼金不要でこの安さですし、立地も旧市街でとてもいいし、それくらい気にしないですよ。」


あのときのイワパレスの申し訳なさそうな表情が再び脳裏に浮かぶ。えっこの足元の床はあちこちがささくれており、穴が開いている部分もあった。
7畳ほどのリビングと6畳ほどの寝室があり、ベッドやクローゼットだけはイワパレス不動産側が新しいのを用意してくれたらしく、遺跡のように朽ち果てた室内からは明らかに浮いていた。

キッチンやユニットバスはホコリと水垢が溜まり、直視したくない気持ち悪さだ。えっこは憂鬱な気分になりながらも室内へ足を踏み入れた。

「うぐぁっ!?」
そのとき、床がベキッと音を立てて割れてしまい、えっこの片脚が床に挟まってしまった。

「あぁぁぁっ!!!! もう、面倒臭いっ!!!!」
えっこはさすがに堪忍袋の緒が切れたらしく、わざとらしい様子で叫んだ。ローレルを目新しいベッドにゆっくり下ろしたえっこは、明らかに不機嫌な様子で外へと飛び出した。

「あのー……何か脚が天井から出てきたんすけど、大丈夫です?」
階段を降りようとするえっこに、下から誰かが呼びかける声が聞こえた。えっこは階段の下の方へ目を向ける。








 そこには黒い猫のようなポケモン・マニューラが心配そうに顔を覗かせていた。言動から察するに、彼はどうやらえっこの階下の住人らしい。

「ああ、もしかして下の部屋の……。お騒がせして申し訳ない、床が腐ってたみたいで。」
「随分前から空き部屋っすからね、あそこ……。少なくとも、2年前に自分が入ってきたときから既にボロボロでしたよ。」

「そうだ、俺の名前はえっこ。これからここに住むことになったから、色々迷惑かけることもあるかも知れないけれど、よろしくね。君は?」
「俺はアルバートっていいます。地上の田舎町からアークに出てきて、アーク高校に通ってるんです。将来はアーク魔法アカデミーの騎士課程に進みたくて。」

「高校? じゃあローレルと同じくらいの歳なのか……。ローレルっていうピカチュウと住んでてね。今は訳あって意識を失ってるんだけど、学校に通い出したらお世話になると思う。仲良くしてやってくれると嬉しいよ。」
「もちろんっすよ!! 今すぐお目にかかれないのは残念だけど……。また体調が戻ったら是非お願いしますよ!!」

アルバートは、えっこに対してにこやかな表情を向ける。どうやらえっこの近隣住民事情は、とても円満にいきそうだ。


「はぁ……しかし困った。これからあのボロ部屋を何とかしないとだ。これから掃除やら何やらで騒がしいかも知れないけれど、申し訳ないね。」
「そうだ、お手伝いしましょうか? 丁度今日は部活休みだし、暇してたんで。」

「ええ!? そんな、悪いって。想像を絶する汚さだったし、会ったばかりの君に苦労をかけるのも何だか気が引けるしね。」
「いやいや、これからお世話になるんだし、水臭いこと言わないでくださいよー!! 赤点常習犯だけど、運動神経は自信ありますからね、ははは!!」

アルバートは遠慮の色を見せるえっこに構うことなく、朗らかに声を上げて笑ってみせた。

「分かった。それじゃあお言葉に甘えさせてもらうかな。本当に助かる、ありがとうな。」
「いいってことですよ!! さ、必要物資を買いに行きますかー。」

えっことアルバートは、並んでアパートを後にした。新市街のカクレオンマートとホームセンターで掃除用具や塗料や工具などを買い集め、部屋に戻るえっこたち。時刻は既に午後2時を回っており、ここから果てしない汚れとの戦いが始まった。










 「ふぅ……。これでOKかな。狭いけどまあいいや。人間のときより身体が小さくなったから、十分な大きさに感じるしー。」
ローゼンは満足げに部屋を眺めて微笑んだ。彼も新居を見つけたらしく、丁度引っ越しを終えたところのようだ。

4畳ほどの独居房のような殺風景な小部屋は、何故か大量のぬいぐるみとおもちゃで溢れ返っていた。その異様な光景は、とても35歳の男が一人で住む部屋とは思えない。

「さーてと。疲れたし寝よ。」
ローゼンは昼の3時半にも関わらず、ぬいぐるみの山にダイブして顔を埋めるようにして眠りについた。


「ふへぇ……。聞きしにも優る酷さっすね……。でもやっと片付いてきたか……。」
「だな。さてと、今度は腐った床も補強しとかないと……。」

一方夕方を回った頃、えっことアルバートはようやく部屋のホコリと汚れをひとしきり落とし終えていた。
ピカピカとお世辞にはいえないものの、大部分の汚れが落ち、住むのに十分な衛生状態が部屋に戻っていた。

えっこは木材を次々にネジと電動ドリルで床に固定していく。アルバートはその手際のよさに終始見入っている様子だった。

「すげぇ、えっこさん……。こういう系のお仕事してたんです?」
「いや、日曜大工の作業はあまりやったことはないかな。ただ、工場労働者として組み立てや部品加工の作業は嫌というほどやっていたから、この程度の勝手なら分かるさ。」

えっこは手を止めることなくネジを打ち込み、締め付けトルクを確認すると、アルバートに塗料を渡した。


「君はそいつを壁とか棚に塗ってくれると助かるよ。塗装ムラを削るため、一直線に下から上までハケを動かして、今度は反対側から同じ要領でやってくれ。こんな風にね。」

えっこは壁の下から上にハケを動かして色を塗った。当然、塗料が垂れて塗りムラができてしまうのだが、今度は上から下に塗り抜くと、垂れた塗料が平らにならされた上、上端に溜まっていた塗料が平坦になった。

「うぉぉ……やっぱ俺、何も分かってなかったな……。確かにこうすれば、ムラなく綺麗に塗れますもんね!!」
「ああ、この通りにやれば初めてでも上手にできるさ。さてと、もう少し作業したら飯にしよう。」

その言葉を聞き、アルバートは嬉々として塗装作業を始めた。えっこはくすりと笑い、床の補修を再開させた。







 「んっ……。ここは……?」
突然、寝室の方から細い声が耳に飛び込む。二匹が手を止めて振り返ると、そこにはローレルがいた。寝ぼけ眼を擦り、ローレルはあくびをしてみせた。

「ローレルっ!!!! 目を覚ましたのか!? 俺だよ、えっこだ!! こんな姿になってしまったけど……。またこうして君と話せて嬉しいよ……。本当に、本当によかった……。そして長かった……。」

えっこの心の内側から、溢れ出すように感情と言葉が溶け出した。えっこはローレルに対して笑顔を見せながら涙を零し、その手を握りしめる。しかし、ローレルはどこかぽかんとした表情を見せていた。


「うん……。僕も久しぶりにあなたに会えて嬉しいです、えっこさん……。」
「ロっ、ローレル……!?」

その言葉を聞いて、えっこは思わず手を離してわずかに後ずさった。その目には先程とは違い、明確な戸惑いの色が浮き出ている。

「どうしたんですか? 何で僕やあなたがポケモンになっているかは分からないけど……。僕の顔に何か付いてます?」
「ローレル!? どうしたんだよその口調は!! 君らしくないよ、俺のこと忘れちまったのかよ!!!! 何でそんな……。」

「言ってることがよく分かりません。あなたのことはよく知ってますよ? えっこさん、ですよね? 僕の幼馴染で、いつも優しくしてくれたスチームベースのお友達……。」
「記憶喪失じゃない……!? でもローレルじゃない、こんなのって……!!!!」

えっこはローレルの肩を掴みながら、ケロマツの体色よりもずっと青ざめた顔色を覗かせた。アルバートは突然の事態に何が何やら分からない様子だ。


「ど、どうしたんすか? そのローレル君……? あっーと、もしかして女の子? まあどっちにしても、あなたの幼馴染じゃないんですか?」
「彼女の言う通り、俺とローレルは幼馴染だ。そして俺たちが歩んできた記憶を失った訳でもないらしい。けど、ローレルはこんなのじゃなかった……。もっとはつらつとしていて、夏に咲き誇るヒマワリのように明るくて、いつも俺に活力と勇気をくれた、そんな女の子だった……。」

えっこはがっくりと肩を落としながらアルバートに説明した。ローレルはなおも不思議そうに首を傾げる。


「あなたと過ごした記憶の僕はそうだったかも知れません。でも、今の僕はこんな性格なんです。あなたが何と言おうと、これが今の僕のありのままです……。」
「そう…だよな……。否定してごめんな。どうしてこうなったのかは分からない……。君が感情を失ってしまった。そうとしか説明がつかない……。でも、きっと君が失ってしまったものは、俺が全てに代えて取り戻す。それに、またこうして巡り会えたんだ。また一緒に、みんなで思い出を作ろう?」

「はい、よろしくお願いします。」
「何かよく分かんないけど……。俺も混ぜてくれないかな? 俺はアルバート。えっこさんが言うには君も高校行く年齢みたいだし、色々世話になると思うわ。よろしくな!!」

かすかにローレルが笑みを見せた気がした。しかし、感情が抜け落ちてしまったローレルの顔は、まるで真冬に吹雪く嵐のように、えっこの心をずしりと湿らせていた。

えっこは喪失感を飲み込みながら、寂しさを隠すように電動ドリルを握り締めた。


「早いとこ仕上げないとな。作業が深夜にもつれ込んだら、周りの迷惑になっちまう……。」
ネジをネジ穴に入れようとするえっこの肩を、ローレルが優しく叩く。

「僕も、何かお手伝いできることはありませんか? 女性の僕じゃ力不足かも知れないですが……。何かあったら遠慮なく言ってください。」
「ありがとう、ローレル。じゃあ、悪いけど夕飯の支度をしといとくれないか? 出来合いの木の実パイを買ってきてあるから、オーブンで15分加熱してくれたらいい。それと、お湯を沸かして紅茶を淹れてくれると嬉しいよ。」
「分かりました、任せてください。」

そうだ、新たに生まれ変わったこの世界でまたやり直せばいいじゃないか。
えっこの心に、そんな考えがえっこの胸に満ち溢れる。シグレやローゼンやルーチェやアルバート。新しい仲間たちと出会えたこの機会を大切にしながらも、いつかローレルに溢れんばかりの笑顔を取り戻してみせる。

えっこはそう強く決意し、新たな生活の一歩を踏み出した。


(To be continued...)

Aiccaud(えっこ) ( 2019/03/16(土) 13:58 )