Chapter 1 -大地に舞う幾多の翼-
Episode 21 -Pain-
 翌日、えっことローゼンはヘラルジックの施術を受けるべくヴェルデの元を訪れた。ヴェルデからの指示で、昨日の夜から何も食べていない上に不安で寝不足のえっこは、いつにも増してフラフラと頼りない足取りで手術室へ向かう。


「はぁ……耐えなきゃいけない試練とは知りつつ気が重い……。」
「暴れなきゃさっさと終わるわよー!! まあ、問題はモノノケの血を注入した後なんだけど。」

「確か血が身体に馴染むまで大変だとか……。」
「そう浮かない顔しないのっ、痛いのは数時間だけよ、この長い一生からしたらたった一瞬よ!!」

じっとりと重い空気を漂わせるえっこと反し、ヴェルデはえっこの言葉に返答しながらもテキパキと道具などの準備を進めていた。


「はい、二匹ともこれ着けてねー。」
「えっ? これって、おむつなんじゃ……。」

「そうよー、ほぼ間違いなく失禁するから、それちゃんと穿いときなさい。後これも口に着けるのよ。」

ヴェルデはえっことローゼンの口に人工皮革製の強固なベルトを巻き付け、舌を固定した。
さらに、細かな穴のたくさん開いた布切れを口角部分に押し付け、こちらも喉を塞ぐように強く巻き付けた。


「んごっ!? んーーっ!!!!」
「暴れて舌を噛み切ったら大変でしょ? それに叫び過ぎて声帯潰れることがあるから、そうならないように声帯が震えるスペースを少なくするわよ。」

えっこは完全に取り乱して慌てふためいている。これ程までに万全の体制で施術するとなると、とんでもない苦痛で悶え苦しむことになるのは必定といえる。

だがもう既にえっこは、指し詰めまな板の上のコイキングといったところ。施術用ベッドに人工皮革の拘束具でぐるぐる巻きにされ、口や喉も自由に動かせないように固定されている。

やがて身をよじらせるのをやめたえっこは、訴えかけるように半泣きの目でヴェルデを見つめる。


「そんな目しないの、男の子でしょ? それにちゃーんとこの念書通りにやらせてもらうからね? やめろと言われてやめられないの、腹括りなさいな!!」
やがてヴェルデは気休め程度の麻酔をえっこに注入し、施術を開始した。









 まずは型紙を用いて下描きをペンで入れるだけであり、単なるくすぐったさこそあれど、苦痛と呼べるものは何一つ感じなかった。


「じゃあ、インクを入れていくわよ。二匹とも、準備いいわね?」
「んーい!!(はーい!!)」

「んごっ!!!! んむっ!! むっえっ!!!!(やめて、ダメっ、待って!!!!)」

余裕綽々のローゼンに対し、えっこは泣きそうになりながら頭だけを微かによじらせていた。他は全て固定されているため、全く動かすことができない。

やがて注射でモノノケの血が入れられていくと、えっこの表情がみるみる内に変わっていった。


「んぁがぐーっ!!!! んぉーっ!!!! むーっ!!!! むぁっぁっあぁぁぁぁっ、うぬーっ!!!!!!!!!!!」
「ハイハイー、もうインクは入ったわ。後はアタシが経過観察するだけよーん。」

えっこは凄まじい形相で苦しみ始めた。全身から脂汗を大量に垂れ流し、頭をグラグラと懸命に揺らそうとしている。声にならない叫びと共に目からは涙が流れ出し、顔面はぐちゃぐちゃの状態になっている。

呼吸はまるで何百mも全力疾走しているときのように早くなり、全身が火だるまになったかのように熱く、内側から無数の鋭い針で突き破られているかのように、皮膚に激痛が走る。

やがて失禁してしまったのを感じたが、そんなことは最早情けないとも恥ずかしいとも思えない状態だった。いっそ頭を打ち付けて死んでしまえと考えたが、枕部分はかなり柔らかく分厚いクッションのため、それも叶わない。

失禁に続いて一瞬の快感も感じた。どうやら感覚が規格外のショックに狂ってしまい、あらゆる液体を身体から垂れ流そうとしたらしい。えっこはドクドクと熱いものが放出されるのを感じた後、痛みのあまり失神してしまった。


「始まったわねぇ、ここからが本当の地獄だけど……。どうか頑張って乗り越えなさいね。」

ヴェルデは心配そうにえっこを見つめながらそう呟く。やがてえっこは痛みのショックで身体を激しく小刻みに痙攣させた後、激痛により再び意識を取り戻して悶え始めた。

激痛による失神と、激痛によるその失神からの復帰。そんな拷問のような生き地獄を何度繰り返しただろうか?

えっこを襲う苦痛は少しずつ軽減していき、やがてある程度まで落ち着いて思考を巡らせることができるようになってきた。

鮮やかな赤だったインクは既に黒に近い赤となっており、えっこの様子を見たヴェルデは口の拘束具を外した。


「よく頑張ったわねぇ、もう苦しいことはないわよ!!」
「はぁ……はぁ……。よかった……。でも……汗と涙と……それから失禁まで……。情けないし汚いなぁ……あはは……。」

「大体みんなそうだし大丈夫よん、インクを入れた後は個別に経過観察してるから、他の子にはこのことは内緒にしてあげるわ。アタシはこれでも口が固いから大丈夫!! 約束するわよ。」

えっこはヴェルデにタオルで汚物を拭き取ってもらうと、容態が安定するまでベッドに縛り付けられたまま休んだ。
隣の部屋ではローゼンがスェーミに見守られているらしいが、やはり痛みはなかったらしく、スェーミと雑談しているのだとか。

えっこは心底ローゼンのことを羨みながら、やっと訪れた安寧に思わず目を閉じ、激痛と戦った疲れからか眠りに落ちた。








 えっこはそのまま夢を見た。恐らくは激痛に苛まされていたことから、未だに神経が興奮していて眠りが浅く、脳が活発に動いていたのだろう。


「そういや、何で君は自分のこと僕だなんて呼ぶんだい? 男の子みたいじゃないか。」
「だって……本当は男の子に生まれたかったから……。お父様がね、僕は女だから役に立たないんだって。女はビジネスができないからって。お前が男だったらよかったのにって……うぐっ……。」

「そっか……嫌なこと思い出させてごめんな。ほら、涙拭いてよ。ローレルはローレル、女でも男でも関係ないよ。俺は君だから好きなんだ、君だから友達なんだ。君とこうして会えるから、辛くても生きていける。」
「うん……ありがと……。えっこの辛さとか苦しさに比べたら、僕の悩みなんてちっぽけなのにね……。情けないな、へへっ……。」

ローレルはえっこからハンカチを受け取ると、目元と頬の涙を軽く拭い去り、いつものような明るい笑顔を見せた。えっこはその様子に安堵しながらも、ローレルの言葉にこう返した。


「俺はそうは思わないな。悩みや苦しみなんて人それぞれだ。ローレルにとっては、家族とのことは本当に辛いことなんだと思う……。俺にはもう家族なんていないから分からないけど、家族がいたからといって、必ずしも幸せとは限らない。」
「そうなのかなぁ……。僕、お金も地位も何もかも要らない……。例え貧しくても幸せで仲のいい親子に生まれて、えっこみたいな友達がたくさんいる、そんなところに生まれたかったなぁ……。」

「きっといつか見つかるさ。ローレルが作ればいいんだ、いつか君の思うように生きて、君の思い通りの家庭を築けばいい。」
「んーと…じゃあ、僕は将来えっこと結婚しよーっと!!」

ローレルがあっけらかんとした声でそう宣言すると、えっこは途端に顔を赤くしてローレルの混じりけない笑顔を見つめた。


「あっ、あのなぁ……!! 俺たちは単なる友達で、そ、そういう関係じゃあ……。」
「だって、えっこみたいな人と一緒にいられたら、きっと幸せな家庭が築けるもん。自由に生きるんでしょ? それなら僕はえっこを選ぶ。えっこと僕はずっと一緒だよ。決まりね!!」

そう言ってワクワクした表情で駆け出すローレルの姿を見届けつつ、えっこは夢から覚める。










 「(ローレル……。君は親の元から解放されて自由になって、大好きだと言ってくれた俺とも同棲できて、願ったり叶ったりだな……。でも……。)」


えっこはベッドに縛り付けられたまま、小さくため息を漏らす。既に時計は午後3時前だ。痛みも完全に引いたため、ヴェルデに呼びかけて空腹を訴えた。

ヴェルデは容態の安定を判断し、えっこの拘束具を解く。下半身に穿いたおむつはびしょびしょに濡れており、えっこは思わず顔をしかめた。

えっこはヴェルデの勧めでシャワールームの鍵を借りると、まるで刑務所から脱獄する囚人の如く、誰にも見つからぬように忍び足でシャワールームへ向かう。
生まれて日の浅い赤ん坊のような、汚物まみれのおむつ姿なのだから当然の反応といえるだろう。ヴェルデが誰も来ないように見張ってるとはいえ、えっこはこそこそと動かずにはいられなかった。


「ううっ……。体中がめちゃくちゃ臭い……。入念に洗っとこ……。」
えっこは体中をこれでもかというくらいにボディソープで洗いまくる。とにかく乱雑にポンプ容器の蓋を押しまくり、液をべっとりと身体につけると、手で一心不乱に擦って泡立てた。

そんなことを4回も5回も繰り返した後、えっこはふと右の二の腕辺りを見つめた。そこには黒いインクで入れられた精緻な入れ墨がくっきり見える。

流線型の刃のような模様が3本横に並んでいるために爪痕のように見えるエスカッシャンと、六方向に向けられた針のような模様のコートオブアームズの紋章だ。

単純ながらもどこか洗練された雰囲気のデザインを見て、えっこは得意気になった。
例えば思い切って欲しかったものを新品で買ったとき、人は誰もがこんな反応をするだろう。何度も何度も得意げに、そして誇らしげに買ったものをにやにやと眺めてしまう。それはまさにあの感覚に似ていた。


シャワーを浴びたえっこは久々にさっぱりとした気分のまま、ヴェルデが買っておいてくれた弁当にありついた。












 「ところで、このコートオブアームズは一体何なんです? 確か、この部分にはサブウェポンが格納されるんでしたよね?」
「えっこちゃんの入れ墨には、遠距離用の投げ蒼剣が入ってるわよ。スェーミがメインウェポンに合わせて選んでおいたのよ。」

「投げ蒼剣…? 投げナイフみたく投げつけるんですか?」
「そうよ、蒼剣は手足を振ると刃が飛び出して相手を斬りつけるけど、投げ蒼剣は振った部分から一直線に刃が射出されるの。後で試してみるといいわ、スェーミが使い方教えてくれるから。」

えっこは弁当のサフランライス付きオムレツを口に運びながら、ヴェルデの説明を聞いていた。えっこのコートオブアームズに関する説明の後、ローゼンも思い出したようにコートをめくり、自分の鎖骨の辺りを見つめた。


「僕のこれは何かな? 四角の中に、大きな点みたいのがはいってるけど……。」
「それは『カウンターボックス』ねぇ、左腕に装着される盾の一種よ。とはいえ、15cm四方、厚さ8cmくらいの鉄の箱だから、防御力は皆無ね。身を守るのには使えないわよ。」

「んー? じゃあ何のために?」
「名前の通り、敵の攻撃を受けると自動反応して、大きなトゲが飛び出すのよ。それでカウンター攻撃できるって訳。でもカウンターするには敵の攻撃を見切り、タイミングよくボックスをぶつけて衝撃を与えなきゃならないわ。簡単に使いこなせる代物じゃないわね。」

ローゼンのコートオブアームズには、二重丸の一ヶ所に、サイコロの一の目のような模様がくっついたデザインをしていた。
インファイト型武器を扱うローゼンだからこそ、敵の攻撃に対するカウンター攻撃の手段が非常に有用なのだろう。


「二匹とも、ちょっと試して行きなさいよ、道場でスェーミが待ってるわよ。」
ヴェルデに促され、食事を終えた二人は地下の道場へと赴く。道場の真ん中に陣取ったスェーミは、スマホを片手に大音量でお笑い番組と思しき動画を見ていた。


「あのー、スェーミさん……?」
「…………………。あ、来たのね。ヘラルジック……試すのね? 試すんでしょ? そうでしょ?」

「うん、使い方はマスターしとかなきゃだし、上手く仕上がってるかも確認したいからね。」
「ヴェルデ姉の腕に狂いはないよ、安心して……。ヘラルジックは簡単に使える。『武器よ出てこいーーっ!!!!』って念じるだけ。」

突然叫びながら説明するスェーミにぎょっとするえっこ。やはり彼女の独特のキャラは、えっこにはどこか取っ付きにくいところがあるようだ。

気を取り直し、武器が出るようにと念じると、いつの間にやら二人の手元や足に、それぞれの武器が装着された。


「えーと、カエルの武器は蒼剣だったよね。腕輪の方に魔力を集中すれば蒼剣、指輪の方に集中すれば投げ蒼剣になるから。単純だからホント。」
えっこの右人差し指には、瑠璃色の鮮やかな石指輪が装着されていた。恐らくはこれがコートオブアームズに格納されていた投げ蒼剣の本体なのだろう。

「魔力の集中し分け……。やってみます!!」
えっこは腕輪に神経を集中させて右腕を振る。すると、腕の先から長さ50cm程のオーラの刀身が飛び出して空を切り裂いた。

続いては指輪に力が集中するイメージを抱いて同じ右腕を振る。すると、長さ10cm程の青い刃が射出され、道場の壁に突き刺さった後、風化するように消えていった。


「やるじゃないかえっこ、じゃあ僕も試してみるかな。」

ローゼンは鎖で天井に吊り下げられた大きな木製の玉をエッジで攻撃する。玉が振り子のように大きく揺れてローゼンに戻ってきた瞬間、カウンターボックスを弾くようにぶつけた。


「凄い……本当にトゲが……。それにしても、こんな大きなトゲが一体どこから!?」
「その小さな箱に魔力格納されてるの。衝撃受けるとドカンと飛び出す。攻撃をタイミングよく受け止める以外に出す手段はない。」

ローゼンの腕から槍の穂先のような大きなトゲが飛び出し、完全に玉を刺し貫いていた。対象のぶつかる勢いとトゲの飛び出す勢いを、ローゼン自身が上手くタイミングを図ってぶつけることで最大限に利用する、そんな武器なのだろう。


「とにかく、これでヘラルジックはばっちりですね。後は実際の戦闘でしっかり感覚を掴んでいかなきゃだな……。」
「えっこは戦闘慣れしてないみたいだからね。まあ、相手をぐちゃぐちゃにぶっ壊すのにもすぐに慣れると思うよ。」

ローゼンの満面の笑みに、えっこは思わず苦笑いで返す。どうにも誇らしげに思えてならない新品の入れ墨をちらちらと見つめつつ、えっこはヴェルデの店を後にするのだった。


(To be continued...)


Aiccaud(えっこ) ( 2019/03/17(日) 13:59 )