≒イノチ
強く、なりたかった。
だからずっと、闘ってきた。
ただただ、強くなるために。
早く強くなって、進化して、また強くなるために。
それ以外は考えてなかった。考えたこともなかった。
強くなって何がしたいとか、そう言うことはすっかり忘れてた。
ただ、ひたすら、
強く、ありたかった。
あの日、私は、小さな崖の近くで一匹のポケモンと闘っていた。
あと少し、ほんの少しだけ勝てれば、進化できる。そんな本能の呼びかけに、私は何時も以上に燃えたぎっていた。
カイリューに、進化するために。もっと強くなるために。
その日は、酷い雨だった。その強さと言ったら、開こうとした眼が水滴に叩かれて今にも閉じそうなほど…だった、と思う。視界は、酷かった。
必死に眼を開けて、相手を見る。奇妙なシルエットだった。グライオン、と言ったか。鳥ポケモンとは違う奇抜な翼を操り、狭い空間を崖を蹴って自在に飛ぶ。
悪天候のなか、グライオンとかいう敵は巧妙に細かく移動し、私の技をことごとくかわす。おまけに隙あらば急降下して、凍てついたキバを私に向けてくる。氷が弱点の私としては、迷惑極まりない相手だ。
どれだけ素早さを上げても、相手より早く放てる程度。攻撃そのものが早くなる訳じゃないので、幾ら撃とうと避けられてしまう。
野生の間にはルールも何もない、打ち終わったら反動をやり過ごしてまた打つのみ。
殺伐とした、生死を賭けた戦い。相手に対する礼儀なんて、己を殺すだけだ。
馬鹿の一つ覚えのように、私は口から高火力のエネルギー波を解き放つ。人間曰く、「竜の波動」とか言うらしいけど、野生に技の名前の概念は必要ない。
薄っぺらい妙な翼が暴風を捉え、グライオンはしれっと旋回する。元々土砂降りの中、命中は期待していなかったが、やはり虎の子の攻撃を外すと疲れが余計に出てくる。
「竜の波動」がグライオンの背後の崖にぶち当たり、瓦礫が落ちてくる。空を飛べる敵にはほぼ無縁だろうが、地上にいる私からすれば命の危機だ。
岩の雨を必死に避ける。ハクリューの細い体が功を奏したのか、崩れた岩に掠れはすれども、もろ命中の事態は避けられた。
ほっと、息をついた、途端。
冷たいキバが、私の首筋を捉えた。
しまった、隙を見せた…!
覚え立ての「神秘の守り」もまだ成功しないことが多く、加護を得ていない首のあたりが凍っていくのが嫌でもわかる。
接戦を続けていた体は悲鳴をあげ、体力はいよいよ底を尽きそうなのがはっきり感じる。
死の恐怖が、肌を撫でる。
まだ、死にたくない!
至近距離から、残りの力を振り絞って、
目の前のグライオンの胴体に、まっすぐ照準を合わせ、
この一撃だけに全てを賭けて、
小さな谷が、決壊した。
重たい体をどうにか持ち上げると、ぐらぐらと揺れる視界がだんだん定まってきた。ぱらぱらと瓦礫の欠片が体から落ちていくのを、ぼんやりした頭で確認しながら、ゆっくり空を見上げる。
雨はすっかりあがっていた。
闘っていた崖は跡形もなく吹き飛んで、背後の高い岩の壁が、やけに寂しく見えた。
グライオンは、倒せたのか。
周りを見渡しても、動くポケモンは見えない。岩の塊があちらこちらに転がっているが、もしかしてあれに潰されたのだろうか。
なおも警戒を解かず、きょろきょろと視界を移動させていると、
小さなナニカが、岩の舌で、潰されていた。
その小さな短い腕は、頭蓋骨の中にすっぽり入った小さなタマゴと、一本の骨を、必死に前に差し出していた。
血溜まりの中、それは、確かな命だった。
私が殺した命に守られたであろう、儚い命だった。
危うく殺しかけていた、小さな小さな、命だった。
何を思ったのか、何をしたのか。
全くと言っていいほど、わからない。
ただ、気付いたら、小さく稚拙な墓の前で小さく項垂れていて、また気付いたら小さなタマゴを抱えていた。
強くなりたい、はずなのに。
寄り道なんて、してられないのに。
私は、どうしてしまったんだろうか。
自分のためだけに、あらゆるポケモンを殺してしまったのに。
いまさら、何にすがっているんだろう。
すがろうにも、私に伸ばす手などないのに。
手元に残った骨を見つめてみる。
こうして、何かしらの死んだ証を見るのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。
そう考えると、奇妙な気持ちになった。穏やかなようで、心が騒ぐ。
死んでしまったナニカは、外見からすると「ガラガラ」と呼ばれるポケモンだろう。確か、進化前の「カラカラ」は親の頭蓋骨を被って成長し、親の骨を武器と為して戦うのだとか。
まだ戦ったことのない種族ゆえに、このタマゴには一抹の不安を抱く。昔の私だったら、戦えなかったことを少々悔いつつ去っていただろうに。
これが正しいのか、おかしいのか。
今の私に、正常な判断などできそうもないのだが。
しかし、どうしたものか。
このタマゴの親の「ガラガラ」は、おそらくもう片親の頭蓋骨と骨を遺してくれたようだが…これを、いずれ生まれる「カラカラ」のために遺すか、潰れひしゃげ骨すら遺せなかったあの「ガラガラ」と共に埋めるべきか。
「カラカラ」に遺すことに決めた。
それを決めるまでに、おおよそ一日かかってしまったが…きっと、そのために遺したタマゴと骨だろう。
あの土砂から逃がして、生かそうと、虐殺する者の方角へイノチを差し出したのであろうあの「ガラガラ」は、わが子のために骨も一緒に差し出したのだろうから。
いや、もしかしたら偶然通りすがって育てていた、赤の他人かもしれないが。
もしそうなら、否、そうであろうがなかろうが、きっと私はこのタマゴと骨のバトンを次へと繋げなければならない。
進化は、諦めよう。
差し伸べる手がなくても、構わない。
バトンなら、口でくわえても渡せる。
このタマゴをある程度育てたら、どうしようか。異種族ゆえに、どうすればいいのかさっぱりだ。
別の「ガラガラ」にでも預けるか、それとも近い種族に渡すか。
それでも無理なら、私がせめて育てよう。
私が死んで、誰かに遺せる骨はないけれど。