第三話 渦中の者たち 上
俺の目の前に広がっているソレを、俺は数秒間、受け入れられなかった。
長らくポケモンの世界に入り浸っていたから慣れなかっただけかも知れない。
この小さい体には大きすぎるスケールだったからかもしれない。
けど、ソレは受け入れがたい光景で。
夢か誠か、何度も考えた。
そんなの、これから起こる悪夢に比べれば、何て事なかったのに。
灰色のすべすべした石材の塊。
もっと分かりやすく言うなら、「ダム」。
数秒前に視界に飛び込んできたパンフレットや看板からするに、固有名称「黒部ダム」。
黒部ダムと申せば、俺の元の世界にもあったどでかいダムだったはず。
元の世界にかなり近い世界。の、ダムの上。
材質、鉄とコンクリート。
「…ポケモンの世界じゃあ無さそうだよな」
というか、だ。
遠目かつ怪訝そうに俺たちを見ている、「人間」の存在と。
俺の視界に嫌でも入ってくる、俺自身の黄色い毛皮。
何より、ポケモンの姿は俺と隣のイーブイ以外全く以ていないわけで。
「…すまない、セーブデータからやり直させてくれ」
ポケモンの姿のまま人間の世界に転送とか、そういうのはギャグコメディでやってほしいと思うの。
シリアス醸し出してる今は、こんなのするべきじゃあないと思うの。
魔法陣を踏んだあたりから回想し直そう。
踏んでからたっぷり五分。
何も起こらなかった。「…あれ?」
「……は?」
しーん、という擬音がこれまでになく似合う。いや、これまでと言っても彼の人生(ポケ生?)は未だ二十年に満たず、せいぜい見積もっても十五年と少しだ。その上失われた記憶を差し引くと、生まれてからの経験値は二年分も無い。
ただ、その二年もない記憶を振り返っても、ここまで静寂な場面は無かった気がする。
しかも、ギャグ場面で。
シリアスな場面ひとつとっても、波とか木葉の擦れる音とか、何かしら鳴ってた。
のに、この静寂である。
むしろ気味が悪い。
というか気持ち悪い。
さらに言えばやることも不明で意地が悪い。
悪いとこしかない。
「…いやいや、何それどうすんのさ」
何か呟いても何か起こるわけでもなく。
「…ダメ、どこにもスイッチみたいなものは無いよ」
既にミオが探索したようだが、元からポケモンな彼女の本能でも何も見つからず。
残された手段、というか。
選択肢として。
魔方陣に乗って格好付けて遊ぶことにした。「我、深淵の名を冠する者なり!此の名も知れぬ力に命ず、我らを我が故郷へと導きたまえ!」 そうしたら、魔方陣が唐突に輝きを増し。
何か言う暇も隙もないままに、俺たちは意識を失った。
「で、ここに至る訳でございますが」
回想終了。
言うことは、たった一つ。
俺の唯一無二のパートナーと顔を見合わせ、互いに頷く。
シンクロした動きで大きく息を吸うと、人目も憚らず叫んだ。
「ざっけんなコマンドふざけてんじゃねぇのか!鶴田とかいう大馬鹿野郎は!」「なんでそんな言葉を発動ワードにしたんですかこのろくでなし!」 色々と台無しだ。
何がどう台無しなのかはさておき、とにかく台無しだ。
言いたい文句は山ほどあるし、不平不満なら地球の海を完全に埋め立てるほどにある。
言いたいこと全般を言おうとしたら、宇宙がもう一つ創れるだろう。
とにかく物申したい、と、さらに口を広げた、瞬間。
「それ」は、現れた。
闇色だった。
ひたすらに、真っ黒。
紫がかった黒みたいな、生易しく生ぬるいもんじゃない。
ただただ、絶望の色。
もしかしたらそれは、失望の色でもあったかもしれない。
あるいは悲しみ、憎しみ、怒り、嫉妬、妬み、恨み…
言い出せば尽きない、負の感情が凝り固まったような、色。
それが、
ダムごと、山を二つほど、壊した。
「何を言ってるかわからないと思うが、俺も何が起こったかわからなかった…頭がおかしくなりそうだった…」
「アビスの発想がおかしいのは今更でしょ、それより今は脱出方法のためにそのおかしい発想を活かして!」
瓦礫が落ち行く中々にスリリングな光景の中、俺たちは軽口をたたき合う。
もちろんそんな余裕など、はなからない。ならば何故軽口など叩けるか。
実力者の余裕?こんなの簡単に抜け出せるという自負?
不正解。
答えはいたって単純だ。
現実逃避!「悪い、詰んだわ。これにて俺の第二の人生は終了となります、アビス・ナレッジの次回作にこうご期待!」
「いや待って流石に無理かなあとは思ってたけどそこは解決策を出すとこだよねそうじゃないと私たち生き埋めもしくは圧死するよね主人公だから補正でどうにかしてよアビスさまぁぁぁぁ!」
唐突に現実に戻った俺たちを待ち構えるのは、降り注ぎ落ち行く瓦礫の雨と巻き起こる砂煙。一種の映画かと思うが、残念無念俺たちにとってはこれが現実だ。
「そうだアビス、剣持ってなかった?」
「あー、近距離戦用に二本持ってますよー、んで?」
「瓦礫を全部切って砂にしちゃえば?」
「先に刃がダメになるわ!」
落下しながら必死にコンクリの塊をかわす。爆風で上に吹っ飛んだ元ダムの一部は、思ったより多そうだ。体をひねり、重心を移動し、どうにかこうにか回避運動にする。
「じゃ、じゃあ〈あなぬけのたま〉!あれなら緊急脱出できる!」
「お前に謝る直前に試した!ちなみに答えは、もう一度言おう!詰んだ!」
「先読みが冴えてるね、でも先回りして希望潰さないで!」
右、左、宙返り。小さい欠片は、適当に蹴とばしたり、尻尾でどこかへ飛ばす。
小さな瓦礫を複数個、回し蹴りの要領で蹴散らし、その直後に迫ってきた真っ黒い炎の弾丸を咄嗟に居合い斬りで切り飛ばす。
もちろん、技の〈居合い斬り〉は覚えてない。単純に、納めていた刀を抜くときの速度を活かした、抜刀術…の、真似事。
持っている剣は思いっきり西洋風の両刃なので、さほど速度は出ないが。
速度が出ない分、以前の世界では色々と頑張ってみたのだけれど、こっちの世界じゃ勝手が違う。
それでも剣戟そのものの力は落ちてなかったらしく、両刃でモドキだが、それでも炎弾を消し去ることはできた。
「いや技とかあんのかよズルくね!?しかも炎とか、〈アイアンテール〉使えねえじゃん!剣溶けたんですけど!」
「アビスさんアビスさん、マグナゲートは?」
「空中用のを持ってない!」
「そんなのあるの!?」
消し去ることはできても、若干溶けた、というか気化した剣を二度振ろうとは思えない。次なる炎は回転回避。羽織っているコートのはじっこが炙られた気がしたが、構ってなどいられない。
元からボロボロなんだ、構うもんか。新しく用意すればいい。
俺の剣は、一本がダイヤモンド製。つまり、熱にとことん弱い。
もう片方はいわゆるサファイヤやルビーと同じ材質。どちらかといえばそっちの方が熱には強い。ただしダイヤの方が硬い。
なんでそんな剣持ってるかって、ポケモンの世界では結構簡単に手に入ったから舞い上がったんです。はい。オトコノコのロマンって奴ですよ、笑いたければ笑え切り伏せてやる。
今回使った結果、刀身の半分が液化をすっ飛ばして気化してしまったこちらの剣は、勿論ダイヤモンド製。なんでそっちを使ったかと聞かれても、「慣れた右手で剣抜いたら頑丈で燃えやすい方だった」としか言えない。
幸いというか、変な風に溶けていた訳じゃなかったので、鞘に納めることはできそうだ。惨い姿になった愛剣を腰の鞘に納める。
勿論、ミオと共に落下しながら。
「言ってなかったっけ、マグナゲートは複数の〈脈〉に応用できるって!」
「それは先々月聞いた気がするかな!」
「空中用の〈風脈〉はイオタに預けてきた!」
「不幸だなぁ!」
ああ、全くもって。
不幸だ。
小さく軽く、風に煽られたらめっちゃくちゃ飛ぶこの体が仇となって、落ちるまでの時間が異様に長い。上昇気流さん、あなた勤勉ですね。こんな非常事態くらいサボろうぜ、どこかの怠惰が愛に悶えてるだろうから。
会話を長くできるメリットが、死ぬまでの無用な恐怖の時間の延長というデメリットに打ち負けてしまう。
「一つだけ、賭けがあるけど、どうする!」
「方法は!?」
「今から新しい〈脈〉を見つけて捕まえる!」
「かかるお時間はいかほどに?」
「普通なら三日三晩!」
「ちなみに私たちが地面に激突するまでは?」
「多分だけど、小さくて軽いのを見越しても30分ないし25分!」
残念ながらゲームオーバーのお知らせだ。
早口の会話ももうここまで。
俺ら死ぬしかないじゃない!
「……いや、一つだけ、心残りがある…諦め、られるかよ…」
そうだ、俺にはしっかり思い残すものがあった。
仲間のことでも、俺の過去でもない、ただ一つの、それは。
「死因がマミってぺちゃんことか絶対嫌だ!ティロ・フィナーレには早いっつってんだろ!死ぬときは世界が滅びゆくのをエベレストから見下ろしながら爽快に死ぬって決めてんだおらぁぁぁぁ!」
そう、絶対にこんな死に方は嫌だ!
こんな終わり方を回避するためなら、こんなバッドエンドを回避できるのなら…
俺は、物理限界だって超えてやる!
「物理限界がなんだ、誰がそれを限界なんて決めた!それが限界だと誰かが言うなら、俺はその幻想をぶち殺してやる!」
「色々と台無しにぶち殺さないで!?そげぶらないで、今アビスが壊そうとしてる幻想は物理限界とかじゃなくて、シリアス度だから!」
ミオの叫びも、もう遠くにしか感じない。
研究者たちには悪いが、緊急事態だ。
どんな状況でも諦めないし揺るがない、犠牲ゼロを誓った「アビス・ナレッジ」っていう伝説を舐めるな!
これでも、俺は…
世界を、仲間を。
自分を斬り飛ばしてでも助けてきた、英雄だ!
「この世界に飛ばされたあの力、あれを〈脈〉と仮定、世界を移動するほどの力でありながら出発座標が地下、到着座標が人工物の上だったことから発動条件に制限は無しと仮定、到着座標であるダムの上から〈脈〉を引っ張って空中に〈マグナゲート〉を展開、発動式構築、向こうの世界の〈陣形〉より推察、形状は〈時脈〉と〈龍脈〉の融合派生型、一定電流を与えることで実現可能と判断、…行けるッ!」
わざわざ超絶早口に声に出して情報を整理。頭を動かすのに無言は不要、ひとつでも口に出せ。思いつけ。閃け、考えろ。もし違ったらなんて考えるな。賭けろ、命は捨てろ。度胸と根性と博打魂でどうにかしろ。
ここに来るまでの謎の力を解析して使えば、離脱はできる!
発想、着想、実現、安全化。その全てを完全無視。
本来なら成立するまで三日三晩はかかる新たな法則を強引に一秒で解析し、必要な電撃、〈エンターカード〉の種類、方角を計算する。勿論、力技で。
危険なぶっつけ本番が、起動する。
「〈マグナゲート〉…発動!」
空中に四枚のカードをばら撒き、精密に電流を流す。
本来青紫か群青の色を放つはずの〈それ〉は、鮮やかな虹色に変化し、俺たちを呑み込む。
視界が極彩色に包まれ、そのまま真っ白に…
「ぐふっ…ってて、やっぱ痛いな……落下しながら跳んだ訳だし、しゃーなし、っていえばしゃーないんだろうが……」
うつぶせになっているのは、小さな森の中。
雑に生える草花がちくちくと痛い。そして空気が美味しい。
軽く視線を彷徨わせると、どうやら結構元気な森のようだ。生気に満ちている。今後に期待、というやつだ。
どうやら完全にランダムに脱出できたらしく、先程の映画のワンシーンのような有り様とは打って変わって安心する風景。
落下しながらワープしても落下エネルギーが消えるわけでもなく、こうして草むらに叩きつけられてしまったが…生きているので問題ないです。
まずは最低限の無事確認。自分は生きている。どれ、ミオはどこだろう…
「…私を瓦礫からかばいたかったのは分かるんだけど、その…」
真下だった。
つまりミオに乗っかった姿勢だった。
かばいたかったわけではなく、偶然。
「悪い、重かったか?」
「アビス、体重が無さすぎるんじゃない…?…かる、すぎるよ…」
なんだそれは。
意外で斜め上な感想に唖然とするも、まあそれはそれとスルーして安全確認再開。
損傷、両者なし。会話できるから死んではいない。
互いに泥まみれの砂まみれで擦り傷が目立つが、ダムから落ちてこの程度なのだからマシなのだろう。
やれやれと起き上がり、周囲をくるくる見渡す。
「…アビス、…いなくなったり、しないよね…?」
「…ふぁ?」
間抜けな声だった、と自分でも思う。
それくらいに、唐突だった。
「…急に、何を…軽すぎたから不安になったか?」
軽口を叩きつつ振り返ると、それに頷く相棒がいた。
図星。
もしくは、無意識に相手の心を「見ていた」のか。
いずれにせよ、彼女は今、不安そうな顔をしていた。それは、揺らぎもない事実だった。
「…そう、だな…」
答えに困る。
何を言っても、死亡フラグに直結しそうだ。
「…死なないって言ったら何か死亡フラグ建てるみたいだし、死ぬかもな、でもデスノボリ不可避…ミオ、ひょっとして俺を作者経由で殺したいの?」
「むしろ生かしたい派の私にそれ言う?」
作者、と言ったが、残念ながらここは小説の世界でも映画の世界でもゲームでもアニメでもない。俺にとっての現実だ。
作者なんていない。いてたまるか。
いたらチートスペック駆使してぶっ飛ばす。
メタ発言に似せた軽口でどうにかしれっと流すと、ミオの表情はやっと和らいだ。
しかし、どうしよう。
今回も、また「死んで生き返る」方法を使おうとしていたのだが…!
ポケモンがダンジョンで暴れまくるお話のお約束、みたいなものだろう。
奇跡の力で甦る。
ポケモンの世界の神、つまりアルセウスやディアルガとも直接交渉してあるし、今回もきっと何かあったら復活できる。
いやむしろ何かを起こして一度死のう。それで解決する。
そう、高をくくっていたのだが…
「…死ぬ、か」
何故か、妙にその言葉が引っかかる。
脳裏に奔るのは、先ほど襲撃してきた真っ暗闇。
あいつらは、死ぬのだろうか。
それに、俺自身。
今までは、実際は一度も『死んで』はいない。
一度目、ディアルガと向き合った時。あの時は、タイムパラドックスで『消滅』した。
これは、ディアルガが「未来は止まらないが、そうなる危機を防ぐため俺たちが動いた」と調整してくれたため、復活できた。らしい。
いや、なんか言葉を濁しまくってたけど。俺に秘密があります系の。
二度目、セカンドインパクトも真っ青な隕石を止めたとき。
エネルギーが切れてこの世界から離脱しかけたが、皆に力を借りてどうにか復帰した。らしい。…その辺は俺もよくわからない。いや、目が覚めたら皆が泣きついてきたもんだから。
事後報告しか、知らない。
三度目、絶望の権化たる「氷触体」を破壊したとき。
この世界から正式退場できるかと思ったが、何故か「無」との境界に陥り、消えかけた。幸い、ミオたちが願ってくれたおかげで、元の世界にも戻れ、この世界にも正式に過ごせるようになった。
ただ、妙だったのが、俺が人間に戻らなかったこと。その辺も含め、なんかひっかかる。
四度目、闇色の感情に呑まれたポケモンたちと決戦したとき。
真っ黒い負の感情に突き落とされたダークライ、そいつを助けた際に、他の呑まれたポケモンが暴走した。それを止めるため全エネルギーを使い、危うく消滅の危機。
…この時も、俺を引きとどめてくれたのはミオたちの願いだった。らしい。
そのいずれも、願われて舞い戻り。
そのいずれも、『消滅』が身近にあった。
決してそれは、『死ぬ』ことじゃない。
ならば、俺は『死んだ』ら、どうなる?
それに、あの真っ暗闇。
かつて戦った、いわば『闇ポケモン』ともいえる存在。あれよりももっと純粋に、あの闇は負の感情を抱えてるように見えた。
闇ポケモンは、しっかり『生きて』いた。多少スペックがぶっ飛んでいたが。俺から見てもそう思えるくらいに。
なら、あの闇はどうだ。
『死ぬ』ことが、できるのか?
俺はあいつらを、『殺せる』のか?
「…ねぇ、アビス…」
「なんだ」
「…逃げなきゃ」
「……はい?」
思考の海からふと復帰すると、ミオが散らばった荷物を回収し終え、スタートダッシュの準備をしていた。
そしてその向こう、草むらの奥には…
ゆらりと揺らぐ、闇色の影。
「距離五、数不明、多分気づかれてるな…準備は?」
「もとよりばっちり」
頼もしい返答に一笑。
「よし、じゃあ…行くぞ!逆五十、そこで転移!」
「了解!」
なれた指令を飛ばし、素早く方向転換。脱兎のように「逆方向」に逃げ出すと、きっちり「50歩」の位置に《エンターカード》を放り投げる。
カギとなる《エンターカード》を投げただけじゃ、《マグナゲート》は起動しない。
だが、そこがエネルギーに満ちた土地ならば。
たとえば、生気に満ちた森の、最も養分が集う場所だったら。
さながら、誘爆する爆弾のように、《マグナゲート》は勝手に開く。
「逆方向50歩」の位置に。
「さぁてと、逃げまくるか!巻き込んじまったら運命様を恨めよ!」
場所は変わって、ポケモンたちが暮らすちょっとした街。
城壁に囲まれ、その内側で平和に日々の営みが刻まれる柔らかな「日常」の景色が、そこにあった。
いや、少し違う。
その都市の中央、「大聖堂」と呼ばれる教会のような塔のような建物の前で、八匹のポケモンが呆然と立っていた。
順番に、フライゴン、ルカリオ、ピカチュウ、ナエトル、フタチマル、キュウコン、デンリュウ、ラティオス。
全員が揃って、呆然と…
「あれ〜…どこだー、ここ?」
訂正。
一匹、能天気そうなやつを除いて全員が呆然と。
「…さぁな、どこだろうな」
黙殺よりも恐ろしい、「はいはい分かったから黙ってようね」攻撃を仕掛けるルカリオ。その表情は、険しくもなく穏やかでもない。
もっと言ってしまえば、
ショックから抜け切れていない。
「…いや、僕に言うなよ」
唐突につぶやかれたフライゴンの不平には、誰も何も言わない。
というか何故お前が呟く、って感じだが。
内側に何か悪いものでも飼っているのか。
しかし、本当に全員が困惑の真っただ中な模様。
何もおかしなところはないだろうに。
さながら、知らない町のど真ん中に唐突に放り込まれたように。
「おう、どうした御一行さん?」
不思議そうな表情で、市民Aさん(種族:ルンパッパ)が訊ねてくる。
その声すら、全員の耳を素通りしている模様。
RPGの文章を流すのはよくない。重要なセリフを見逃す可能性がある。
それを差し引いても、そこまで驚くのは不味かった。
「…本当にどこだ、ここは…」
どうにかナエトルが声を出す。
だが、それに返ってきた声は、彼らをさらに錯乱させるものだった。
「た、助けてくれぇぇぇぇぇぇ!」
勿論、全員が揃って首をかしげた。
「「「…えっと…?」」」
だが、そんな余裕もなく。
おまけに脈絡も前振りも何もなく。
「闇」としか形容できないおぞましい「何か」が、雪崩れのように街に襲い掛かっていた。
それは、いたって非常識で。
でも、それ以上に彼らの「日常」の一部で。
だからこそ、わずかな時間で、彼らは立ち上がれた。
立ち上がって、正体不明の何かに立ち向かえた。
いたって、「日常的」に。
その「日常」の名は…
「人助け」。
それから僅か、数分後。
町はほぼ、壊滅状態にあった。
彼ら八人が弱いわけではない。敵が、強すぎる上に無限増殖するのだ。
インフレ乙。ソシャゲ界なら即刻コンテンツ終了待ったなしである。
街を取り囲む城壁は、とっくに石の塊に帰している。
彩が溢れる町並みは、破壊活動の末見事無残に大破壊滅。蹂躙の名残である僅かな建材が、今は痛々しい。
住民たちは、一応死者ゼロ。中央の大聖堂から地下通路を使い町の外へ逃げのびたようだ。が、その先は不明。今もなお残された人々が、道を譲りつつ脱出しようとしていた。
そして今も戦っている彼らは、ジリ貧に突入していた。
町の兵士も易々と倒され、早々に戦線離脱。残された彼らが唯一の砦となって戦っていたわけだが、中央に逃げる人々を庇うというのはすなわち、全方角からの敵を食い止めるということ。
PPも体力もだんだん削れ、体中傷だらけのボロボロ。限界を無視して無理やり技を放った結果、身体は血を吐き散らし、立つことすらままならない有様。
これ以上続けたら、全員死ぬ。
それは、自明すぎる事態だった。
そんな終焉目前を、呆気なくひっくり返したのは。
一匹の小さな、ネズミだった。
「お前ら、ダイジョブかよ?」
それは、あまりにも軽い声で。
どこかで聞いたような、不思議な声で。
けれど、記憶にあったはずの「哀しさ」がない、どこまでも気楽な声で。
アビス・ナレッジは、闇を鮮やかに取っ払う。
剣を抜かない、素手の一撃で。
素手の、電撃で。
「んな、…嘘だろう…!?」
『わ…流石ですねー…いや、私も看過できないんですが』
電撃を放つ瞬間、フライゴン…サンの瞳は、ありえないものを捉えていた。
彼女、いや彼というべきか、まあともかくその目は「ステータスを見る」ことができるのだが、その電気ネズミが乱入する瞬間、サンは確かにそのステータスを見た。
至って普通な、二桁や三桁が並ぶピカチュウのステータス。少々優秀な固体であること以上に、何も言うことがないステータス。
の、はずだった。
技を放つ瞬間、彼のステータスが「エラー」を起こさなければ。
「…五桁、しかもぐちゃぐちゃ…数字が、落ち着かない…」
「「「五桁ァ!?」」」
彼女が見たステータスは、体力、防御、特防はいたって普通のままだった。
だが、攻撃、特攻、素早さのステータスだけが、
五つの数字をめぐるましく変えていた。
もはやポケモンですらない。というかエラーやバグの類ですらない。大体の生き物はデコピンで死ぬ。
まさしく怪物、そんな彼が。
闇を一撃で遠ざけ、八匹を覗き込んでいた。
「生きてるよな、お前ら?」
「…あ、あなたは…」
ナエトルが喘ぐ。
それを見た黒衣のピカチュウは、ふと驚いたような表情になった。
「アビス!早く、ゲートが閉じちゃう!」
急速な展開に、さらに拍車がかかる。
八匹は戸惑う。どうなっているのか。
いや。
どう、なるのか。
「おっと、やばいな…お前ら、ちょっとついてこい。離脱する」
手早く彼らを引っ掴み、引っ張るピカチュウ。黒衣が揺れ、その向こうの瞳がはっきり見えた。
氷色。
「…よしミオ、投げるぞ」
「むちゃくちゃだねー、怒られても知らないよ?」
「え、ちょっと、投げるって」
「待ておい、何が」
「そいっ」
目を白黒させる彼らを、常識外はあっさり投げた。
無礼千万。
だが、そんなことなどパニックの彼等には届かず。
巻き添えが増えた、まさにそれだけの状況。
会話は何処までも軽く。
事態は何処までも深刻だった。
坂を転がり始めた雪玉は、もう止まらない。
ひたすら膨れ上がり、割れるまで落ち続ける。
即席で描かれた、虹の《マグナゲート》。
それは、新たに乗客を加え、渦中へと誘う。