第一話 終焉の兆し
ポケモンと聞くと、あなたは何を思い浮かべるだろう。
ターン制、不自由だらけの廃人ゲーム?
胸アツストーリーの数々?
規模のでかい陰謀と、それを止める主人公?
成る程。的確なお言葉だ。模範解答だ。
だがしかしである。
もし、ポケモンという生命体が別の世界、あなたのいる世界とは離れた異世界に存在していたとしたら、あなたの認識はどうなるだろう。
夢と希望にあふれたフロンティア?
危険だらけの魔窟?
旅と冒険の日々?
素晴らしい。なかなか想像力のたくましいお方だ。惜しみない賞賛の拍手をお送りしよう。
だが、残念なことに、ポケモンがいようといなかろうと、向こうもこっちも同じ世界だ。違うのは、刺激があるかどうかと、その刺激が一般人に降りかかる確率が異様に高いか低いかだ。
と、まあ、偉そうに語ったけど、落胆せずに話を聞いてくれ。いや、聞いても得にはならないから、聞かないならそれはそれで良いと思うが。
これから語るのは、ひとつの世界で起きた事件だ。
いや、ちょっと違うか。複数の世界をまたいだ、ひとつの異変だ。
このお話は、誰にも知られず、誰にも聞かれずに終わるはずの物語。
だけど、あなたには知っていてほしい。
知っておいて、聞き終えて、後に僕と出会った時に教えてほしい。
あなたは誰か、何を感じて生きているか。
よし、じゃあ、一通りの口上を述べたところで。
絵空事を実現しようとした、尊敬すべき莫迦たちのお話を始めよう。
これは、僕と、僕の心が体験した、不思議な不思議な物語…
ポケモンだけが生きる世界。
過去に神々が名付けし世界は、その名もとっくに忘れ去られ、ただ唯一の「世界」としてそこに在った。
その世界の、片隅。
周囲壱キロを深い森林に覆われた、ひとつの岩屋があった。
岩屋は、現地のポケモンの祖先がここにたどり着くずっと前からあったとされている。
曰く、時折近くを通ったポケモンが消える。
曰く、消えたポケモンは年単位で戻ってくることもあるが、意味をなさない音を喉から漏らしていた。
曰く、…岩屋の先は異世界に繋がっている。
「んで、噂の岩屋がこちらです、と…なんだろうな、アルセウスが出迎えた祠と似てはいるんだが…」
「ねぇ、〈脈〉…感じ取れる?」
「ああ、そうだな…感覚的に、〈
運命脈〉だと思う。…地元の皆さんも、そりゃあ畏怖するわな。運命なんて突きつけられたら、本来、人は丁寧にお断りする。危険回避の本能はなかなか有能だよ」
「…アビスは危険回避能力皆無なんじゃないの?」
「ミオ、お前には言われたくなかったよ…毎度毎度、律儀に着いてきてるじゃん」
なんとも気の抜けそうな軽い会話を交わしながら、少年とおぼしき声と少女らしき声はうろうろと岩屋の廻りを彷徨う。
よくよくみれば、その声の主は雄のピカチュウと雌のイーブイ。
ピカチュウの方は両腰に西洋の剣を携え、その小さな身をマントとも取れるようなゆったりしたぼろっぼろの黒いコートに包んでいる。別に腕を通してる訳でもなく、ただ肩に掛けるだけの着方だが、何故なのかそこそこ似合っている。風来坊めいた雰囲気は、いかにも捕らえ所の無さそうな感触を与えていた。
イーブイの方は、薄桃色のスカーフを首に巻き、その留め具に虹に光るオーブを使っている。やたら軽装だが、皆さんこの世界ではこのイーブイの方が正しい。お間違えのないよう。
アビスと呼ばれたピカチュウが、ミオと呼ばれたイーブイと顔を見合わせる。やけに通じ合った様子で頷くと、2匹揃ってゆっくりと後ろに下がった。
アビスが、腰の剣に手を添える。
しゅんっ。
そんな、風切り音ともつかない小さな音が静寂を撫でた。
遅れて、空気中をスパークが奔る。
勿論、アビスの構えはぴくりとも変わっていない。気力のない二足歩行で、雑に両手を双剣の柄に乗せたままだ。
ごとりと、重々しくも自然な静けさで、岩の中心近くを正方形の穴が穿った。
東洋の抜刀術、それの応用だろうか。それにしては早すぎた、というかいつ振ったのかもわからなかった。
ともあれ、巨大な岩屋に大穴が開いた。
その内側は、がらんどうの空間。中央に下へ向かう階段がある、不思議な場所。
地下のダンジョンの入り口だった。
不思議のダンジョン。
いつからか地上に生まれたこの謎の自然生成建造物は、瞬く間に全土に広がり、世界を浸食した。
中にはまるで神が気まぐれでばらまいたように、食事や特別な効果を持つアイテム、お金やトラップが配置されていた。
そして何より、ダンジョンの中に住む生き物は、決まって凶暴化する特徴があった。
ダンジョンを根城にする悪党、ダンジョンに逃げ込んだ泥棒や誘拐犯、それらが全員、揃って強くなってしまう。我を忘れ、本能のままにかかってくる敵は、言葉も何も通じないのだから、本当に厄介だ。
これを深刻な事態と考えた良識ありしポケモンたちは、互いに協力し合い、ダンジョン関連の事件を解決する〈隊〉を作り上げた。
複数出来上がった〈隊〉を育成し、まとめ上げ、管理するために〈ギルド〉と呼ばれる施設が生まれた。
すべては、なかなかしっかりしていた。そう、《ダンジョンが在る意味》が気づかれるまでは。
ダンジョンは自然が作り出した緊急的なシェルターであって、食べ物や金は現代における必要な、かつ供給が不足しがちなものであること。
凶暴化するのは、追いつめられたと感じた本能が目覚め、己の生活を守ろうとするためであること。
お尋ね者は、何かしらの原因で犯罪に走ったのであって、フォローをしっかり出来ていれば何の問題も無かったこと。
問題なんて、欠片も無く、全ては自然に起こってしまっただけのこと。
それを語ったのは、ほかでもない、アビス・ナレッジと名乗る黒コートに双剣のピカチュウだった。
正直なところ、このピカチュウに関する情報は、ほぼ誰として持っていない。
本人ですら記憶を失い、唯一思い出せてる情報も、元人間だったことと此処とは異なる世界出身ということと断片的。どこから持ってきたのやらわからない、膨大な知識だけは健全だったが。
わかっている点を挙げるとするならば、電撃が異様に得意だったり、妙に心理戦に長けていたり、得意でもない白兵戦に手を出したり、とバトルに関するデータばかりが集まっている。本人から提供されたデータ(という名分の、しつこいインタビューで勝ち取った情報)は信憑性が高いのだが、一部怪しいデータもあったりなかったり。所詮噂を元に編集したので仕方ない。
というかこれ全部事実だとしたら、結構やばい。
過去に彼が誰かを殺したとか言われてもおかしくない。
最近では、奇妙な姿…純白の翼を背中に宿したとか、アルセウスを思わせる後光のようなオブジェクトを
背に纏ったとかそういった噂も聞くが、本人に聞いたところではぐらかされるだけだろう。というかそれが本当だったら、こいつはピカチュウではない。怪物の類だ。
ダンジョン以上に謎と不思議を抱え、いくつもの事件を成り行きながら解決してきた者。それが、アビス・ナレッジと呼ばれるピカチュウだった。
そのピカチュウの傍らにいるイーブイは、このピカチュウと最初に出会った相棒だ。
探検隊を結成する時も、独立して救助隊と兼業した時も、楽園を作り上げて「チーム」として再結成した時も、ずっと一緒だった相棒。
その戦闘力は、事実そんなにない。留め具代わりのオーブの影響で、進化・退化を任意のタイミングに任意の姿で行えることくらいしか、特殊なことはない。
だが、彼女の存在が、アビスを支えてきたことは確かだ。
彼女が彼の支えとなり、彼が原動力となって物事の中心に突っ込む。勿論、無自覚のうちに。
運命のままに。
故に、この2匹は、常に渦中へ潜り込んでいる。
今回も、また。
「しかしまあ、暗いな…ミオ、足下見えてるか?」
「勿論見えてるよー…というか、アビスが電気で照らしてくれてるじゃない」
薄暗い直線的な洞窟の中、青白く細い奔雷が床や地面を断続的に這う。
時々何かに当たって火花を散らしているが、仕掛けられていたトラップを無効化しただけでとくに別状はない。
互いに笑いを含んだ余裕の様子で、彼らはまっすぐ進む。
這いずり回る電気のおかげで、何もせずともダンジョンの形はわかる。通常よりも真っ暗で、一寸先も闇で見通せない状態なのだが、アビスは迷わずすたすた歩く。
何とも奇妙なもので、トラップだけは大量にあるもののポケモンは一匹すらも出会わない。
この電気ネズミはトラップを回避でき、イーブイ…今は、黒色が特徴のブラッキーになっている…は、暗い場所の方が得意な姿であるために夜目が利き、ピカチュウの背後を間違うことなく追っているために、正直このダンジョンはヌルゲーだった。
「しっかし妙だな」
唐突に、アビスが口を開いた。きょとんとして、ミオが訪ね返す。
「妙って…ポケモンがいなくて、トラップばかりが多いってこと?」
「そ。…何かを守ってるみたいだ。ポケモンが入らないよう、厳重に」
我が意を得たり、とアビスは頷く。頷きながら、迷わず右に。
慌てて追随するブラッキー。
岩の中にあったダンジョンは、未だその真意を見せようとしない。
《世惑いの迷宮》、現在B5F。
世界は、ひとつじゃない。
常に、幾つもの世界が平行して動いている。
ただし、常に平行してるとは限らない。
そう、時には。
ぶつかり、接し、不思議な縁を築き上げることだってある。
これは、たったひとつの心と骸の、終わりと始まりの物語である。