第一話 海岸での出会い
夕暮れ時、イーブイの少女が立っていた。…つまりは私ですが。
目の前には、大きなテント。
テントは、入り口に鉄格子が降り、プクリンの顔のようなペイントがされている。
意味不明。一周回って悪趣味。
薄暗がりのなかに潜むような、どピンクの派手派手テント。
かなり怖い。
これが昼間でも怖いのに、夕暮れ時なのでさらに怖く感じる。
完全にホラー映画のタイトル状態。
「なんでこんな時間にくることになっちゃったんだろ…」
ひとり愚痴をこぼすも、その原因は私にある。
今日の午前中は酷い雨だった。いや、それだけだったら平気です。炎タイプじゃないし。
ただ、今回の雨は雷雨だったんです。
…その、ずっとうずくまって震えてました。
わかってます臆病ですよねわかってますから…
「…私の性格を誰かにあげられればなあ」
そんな夢見事を呟いても、まあ叶うはずもなければ状況も変わらず。
仕方なしに勇気を振り絞って、そのテントの前にある、格子をかけられた穴に乗る。
「ポケモン発見!!ポケモン発見!!」
唐突に、足元から声が。いや、唐突じゃない。知っている。いつも通りだ。
穴の底から妙に反響して響く声は、やはり怖い。
落ち着け、いつも通りだ。いつも通りなんだ。
「誰の足形?誰の足形?」
早く、早く終わって。
終わって、ください…!
「足形は………………」
うっかり、下を見た。
格子の下に広がる、深い、穴。
その下に見える、三対の輝く目。
以前聞こえた、怒鳴り声。
だめかもしれない。
私なんかが来ていい場所じゃない。
ここにいてはいけない。
きっと、きっと、…
「も、もうだめっ!」
ダメ、だった。
今日も、結局ダメだった。
飛びのいた足は、がくがく震えて動かない。
私のものじゃないみたい。
「…」
何かが聞こえた気がする。
穴の奥からだろうか。
わからない。耳鳴りが酷い。
落ち着いて、落ち着いて。
大丈夫、大丈夫だ。
ゆっくり深呼吸する。…一回、二回、三回。
段々と息が整う。真っ白だった頭が、ようやくまともに動く。
ゆっくり回転を始めた思考は、そこでやっと、「失敗した」ことを理解した。
今日もまた、ダメだったんだ。
「……やっぱり、だめか…」
小さくため息をつき、そっとバッグに前足を突っ込む。
灰色の、掌より大きい程度のナニカ。
外見、どう見ても石ころ。
私がずっと前に拾った、…のか、貰ったのかは覚えてないけど、大切に持っていた宝物。
《遺跡の欠片》。命名、私。
渦巻みたいな模様はあるんだけど、…何の模様かはさっぱり。
私の家にある本を読み漁っても、何かがわかる感じはなかった。
ただ、後生大事に持っているものだから、もしかしたら勇気をくれるかも、と期待はしていたんだ。
していたんだ、けど…
見ての通りの失敗です。
どうすればいいのやら。
…はぁ、もうやだ。さっさと帰ろう。ここにいても、日が暮れるだけだ。
その前に、いつもの景色でも見ようかな。
傷心が少しは癒えるかもしれない。…傷なんて大げさなものじゃ、ないけれど。
ただの、臆病だけど。
でも、その上っ面程度は、臆病風程度は、拭き流してくれるといいな。
海風が、全部全部、吹き飛ばしてくれるといいな。
そこは、いつも通りの
潮騒だった。
そうそう、これです。私が見たかった癒しです。
唯一の癒し要素です。
この光景が見たかったんです。
夕焼けに染まる空と海。
砂浜の顔も、昼と違ってどこか紅い。
それに加えて、もう一つ。
綺麗な、いくつもの
泡が、夕焼け空を彩っていた。
「すごい、……すごいや」
午前中の雷雨でこれが見られるかどうか不安だったけど、杞憂だったみたいだ。
いくつもの泡がふわふわぷかぷかと宙を踊っている。
そのそれぞれが、赤い空と赤い海を映していて、夢の中みたいな不思議な感じに包まれる。
…昔、この泡がどこから来るのか不思議で辿ったときに、クラブの群れが泡を朝夕欠かさず吹いている、と知ったけれど、…どうやら彼らは、雨が降ろうが槍が降ろうが、この景色を作ってくれるようです。
「…ふぁ、いいもの見れた……ぁ?」
さて、家に帰ろう。自分語りも過ぎると痛いですし。と振り返ろうとした私の目に、何かが飛び込んできた。
黄色い。
そして少しだけ、もふもふ。
つまり、毛。
「…ぁ、ぇ、……ぇぇ?」
なんだろう、岩に光が当たっている、という様子でもなさそうな。
雷雨の次の日には流れ物がなんたらかんたら、…とかいう、アレだろうか。
にしては奇妙だ。
…原寸大の、ぬいぐるみ、とか?
いや、まさかポケモンなはずはない。
だって流されてきたとか、…生きているとは、思えないですし。
「……近寄っても、いいよね…?」
いそいそと近づく。
原寸大の、ポケモンのようだった。
1/1サイズ。
黄色いとがった耳や、赤い丸模様の入った頬、ギザギザで先端が大きい尻尾。
ところどころにある黒や茶のアクセント。
どう見ても、これはピカチュウ。
尻尾の先っぽが平らだから、オス…でしょうか。
あまりこの辺りではみない種族。ピカチュウって、もっと別の地方の存在だったような。
だとすれば、流されてきたんでしょうか。
そっと、頬に触れてみる。
冷たい。
喉元の脈も見てみる。
ぴくりとも、動かない。全く、動かない。
死んでいる。それは、それだけは、明らか。
「……うそ、…うそうそうそ、……」
「んぅ、…なにが、うそだって…?」
目の前のピカチュウが、うっすらと目を開いた。
私に脈を測られながら。
一度も脈打たないまま、眠たげに。
「みゃぅっ!?」
「…ぉー、元気がいいイーブイだn………」
慌てて飛びのくと、彼…口調的にも性別的にも絶対にオスです…は、口の端っこだけ釣り上げて面白そうに笑い、…
笑い…
そのまま、硬直している。
「…………イーブイ?」
ぱちくり。
透き通った、水色がかった黒の目を何度もまばたかせている。
その口が、やっと、それらしい言葉を紡いだ。
「…あの、ここはどこです…?」
そうか、私にとってはピカチュウが珍しいように、この人にとってはイーブイが珍しいんだ。
ならば、確かにこの質問は妥当。
脈とか、その辺りはまだ不思議が残るけど、まずは質問に応えなきゃ。
「えっと、中央大陸、っていえば…通じる?」
言いながら、そもそも地形の呼び名が違うかもしれないことに思い至り、慌てて質問の形で返す。
案の定、彼はきょとんとしたまま、首をかしげ…
「……えっと。…君、…失礼かもだけど、体長は…?」
失礼かもだけど、以上に意味が分からなかった。
わからないけど、聞くってことは必要があるってことだろう。
なら、私は答えるまでです。
「おおよそ三〇センチ、くらいです…あの、それが何か?」
恐る恐る答えはしたものの、ピカチュウはまたもきょとんとした顔をして…
自分の掌を見、足を見、背中を見、水面に映る彼自身を見て。
「…俺、…ピカチュウに、なってる…」
意味不明な言葉を、呟いた。
「その、…どういうことですか…?…ピチューからピカチュウに進化した、とか…」
「いや、あの、……」
説明に迷っている。
挙動不審、というより知らない国の迷子みたいだ。
私みたいなのとは違って、どこかぴんとはった筋みたいなものを感じるけど。
と、なんとなく考えていたら。
どすっ、と砂浜に突き飛ばされた。
なに。え、なに?
視界いっぱいの砂。転がるバッグ、中身は…よかった、全部…
《遺跡の欠片》が、ない!?
どこ、どこへ…
「ぎゃはははは、油断なんちゃらァ!ザマァねェな嬢ちゃん!」
「わりーがこいつは俺たちが貰うぜー!大人しく泣いて帰んな!」
聞き覚えがあるような、ないような声。
誰だろう。少なくとも、いい人じゃない。
待って。待って、それを取らないで。
私の、宝物…
「ほら、掴まれ!起き上がれるよな!?」
誰かが、いや、さっきまで倒れてたピカチュウが、手を伸ばしている。
前足を伸ばして、掴んだ。結構な強さで引っ張り起こされる。
どうにか四足がしっかり地面をとらえた。見回すと、もう何も見当たらない。
「ドガ―スとズバットの二人組、向こうの洞窟に入ったぞ」
静かな声で、ピカチュウが指をさす。
だめだ、あの場所は私ひとりじゃ通り抜けられない。
大切なものだけど、でも、どうしよう。
振り返ると、ピカチュウは座ったまま、どうするんだ、と目で問いかけていた。
「…その、」
微かに、彼の口が吊り上がる。
この人は、きっと、私が立ち向かうのを待っているんだ。
だから、立たせ、場所を教え、見守っている。
「…一緒に、きて!」
私は、彼の手に噛みつき、洞窟に走りだそうとした。彼と一緒なら何か変われる、そんな気がちょっとだけして。
「え、ちょ、…待って、俺人間…!」
何だか致命的な言葉を聞いた気がしたけど、勢いに乗った私は待てなかった。
別に、ここから物語が始まったわけじゃない。
物語は、彼らが出会う前にとっくに始まっている。
だから、これは、途中からの物語。
物語は既に始まっていた。ずっと、前から始まっていた。