第二十話 無力への苛立ち
「あ、あれ」
照射された電子ビームは自分の頭蓋を貫通し、脳みそを溶かす――はずだった。
だが、何も起こらない。
(なんだ、何が起こった…!?)
ギュッとつぶった瞼を恐る恐る開ける。目の前に広がる光景は朱に染まっていた。
一瞬頭に風穴が開いて、出血してそう見えているのかと思ったが(そうならばライトは今生きてはいまい)、どうも違うようだ。
透き通ったワインレッドのフィルター越しに、忌々しげに歯ぎしりするトニトルスの顔が見える。
(こいつは…LEフィールド……という事は…)
「大丈夫ですか、ライト君」
いつもと変わらぬ調子の声。相変わらず単調で無機質な喋り方だが、今は逆にその相変わらずさがとても心強く感じる。
と同時に、至近距離から放たれたあのビームを防ぎきるこのフィールドの堅固さにライトは内心驚きを隠せない。
「よくも俺のゲームの邪魔をしてくれたな…」
対するトニトルスは忌々しげにトゥエンティを見やる。が、直ぐにあることに気が付いたようで、少し口角を上げた。
「待てよ、お前がその能力を使ってるって事は……そうか、お前が…ククッ、驚いた。まさかお前から姿を現してくれるとはなァ!」
パチン、とトニトルスが指を鳴らすと収束点が2つに分裂、それぞれから強烈な電子線が照射された。
狙いはトゥエンティの両足。まずは動きを封じる作戦のようだ。
「無駄ですよ」
だがトゥエンティは(いつもの事ながら)動じない。
ビームは紅き防壁に阻まれてしまう。2発とも防がれ、トニトルスは舌打ちした。自らも使用するこの「LEフィールド」、その防御力の高さは使用者であるトニトルスが一番知っている。
敵に回すとこれほど厄介な防御能力は無いという事も。
(全く厄介な……俺のLEフィールドよりも防御力は高そうなところを見るに、恐らく、こいつの使用有機ボディは防御重視のタイプって所か……出力を上げりゃ突破は出来そうだが、ぶっ潰したらいけねぇんだよな。あくまで捕獲しなきゃならねぇ。面倒だな…)
面倒な事が何よりも嫌いな性分であるトニトルスにとって手加減しながら戦わなければいけないというのは、彼にとってストレスフルな要求であった。
(……手足をもいどくか。ちょろちょろ動かれても面倒だ)
物騒な考えも、トニトルスにかかれば直ちに名案へと昇華する。両足をもいでの回収。出来れば両腕も。
それでいこう、と決めれば後は行動あるのみ。電子線の出力を上げるために、収束点付近の電圧を一気に上昇させていく。
(つーかやっぱ俺一人でこいつら全員相手にするのは疲れるな。マルクトの奴、何が「僕も同行するから」だ。全部俺任せにしやがって、あの性悪モヤシが)
未だに姿を見せない仲間に心の中で毒づきつつも、電圧を尚も上げてゆく。既に電子ビームが照射されている点からは凄まじい熱気が上がっているのあ目で分かるほどになっていた。
「ふむ、そろそろフィールドの耐久力が限界でしょうかね」
電子の運動エネルギーが熱エネルギーへと変わり、LEフィールドの結合を破壊していく。
ライトからまるで防壁が融解していくが如く見える。まずい、とライトは直感した。
――もうすぐ突破されてしまう。そうなれば、トゥエンティは……
「おい、何やってんだ…逃げろ、トゥエンティ……!」
しかしトゥエンティはその場から動かない。両手を後ろで組んでじっとトニトルスを観察している。
「馬鹿、逃げろって!!」
何故トゥエンティが動かないのか、それは分からない。だがもはや一刻の猶予も無い。既にフィールドの防壁は殆ど融解しかかっているのだ。
身を捩って動こうとするライト。それでどうにかなるものでもないが、ジッとしてなどいられなかった。
その時、ふいにトゥエンティがこちらを振り向く。相変わらずの無表情だが、明確にライトに対してある言葉を告げた。「大丈夫です」と。
その言葉の意味を理解できぬまま、ついに防御フィールドが突破される。
「やめろーー!!」
腹の底からの叫び。
電子ビームは無残にも、トゥエンティの両足を吹き飛ばす――事はなかった。
光の軌跡はトゥエンティの両足付近で軌道を変え、地面を抉り中規模の爆発を起こした。
舞いあがった破片にトゥエンティの体が傷つくも、彼は平然とその場に立っている。
これに驚いたのはトニトルスである。しばしぽかん、と呆けていたが、直ぐに何が起こったのか察したようで軽く舌打ちをした。
「…両足に電流を流して磁場を作りやがったな。俺の電子ビームを逸らすとは大した制御能力だ」
だが、とトニトルスは続けた。
「そんなその場凌ぎの防御で俺様の力を封じたつもりじゃねえよな?LEフィールドによる減衰が無きゃ、そんな弱い磁場で電子ビームを逸らしきれる訳がねぇ」
「その通りです。今の防御はLEフィールドでの電子線の威力減衰という前提が絶対条件です。最も、君の攻撃能力の解析に必要な時間は十分稼げましたし、大いに収穫はあったと言えましょう―――もはや、君から得られる戦闘データはないようなので、生命エネルギー回収をさせてもらいましょうか」
モノトーンな口調から一転、トゥエンティは右手とトニトルスに向ける。
「『
生命吸収』」
掌から発せられる紅き光がトニトルスに降り注ぐ。同時に耳障りな機械音が響き始める。
ブゥゥゥン
忘れるわけがない。鼓膜を震わし、体全体を揺さぶる。聞いていると気が狂いそうだ。
止めてくれ、と言いたいところだがライトはグッと堪え耐え忍ぶ。今はトニトルスを倒すことが優先だ。
対するトニトルスもこの技は流石に効くのか、辛そうに表情を歪ませている。
体から赤いオーラが漏れ出し、トゥエンティの右手に吸収されていくのが傍からもはっきりと見えた。
「チッ…俺を舐めるなよ、ダアト…。“エデンの剣”の二つ名の意味…テメェに教えてやる!」
トニトルスが吼える。彼の頭上に展開している収束点が、一つ、また一つと増殖していった。
全身から溢れ出るのは凄まじい電流の奔流が作り出したのは、数十にも及ぶ収束点。同時にトニトルスを包む電流の流れがエネルギー吸収を阻害しているのか、紅きエネルギーオーラが途絶えてしまった。
「――ふむ、これは戦略的撤退を採択しなければなりませんかね」
ぼそりと呟くトゥエンティ。しかし、彼の行動は迅速だった。動けないライトを軽々と担ぎ上げ、一気に逃げ出す。
「逃がすかァ!」
もはや当初の任務を忘れているのだろうか、数十の収束点から電子ビームが照射され始めた。明らかに殺意が篭っている。
キィィィン
頭上から降り注ぐ電子線の雨。
照射された地点が吹き飛び、爆発し、周囲に砂煙が立ち込める。焦げ付く臭いがライトの鼻孔を擽った。
「大丈夫ですか、ライト君?」
「いや、俺は大丈夫だけどッ…トゥエンティ、お前…!」
目だけを動かしてトゥエンティの体を見やる。肩、右腹、膝、足、首元に焼け焦げた跡がついている。
肉が焦げる嫌な臭いにライトは顔をしかめた。
降り注ぐビームの雨を避け切るなど不可能であり、当然何発も被弾することになる。
それがどのような結果を招く事になるのか、今のライトにもはっきりと分かる。今はまだ致命傷となる部位には当たっていないのかもしれないが、もし心臓や頭に当たれば――考えたくもない。
「俺を置いて逃げろ!お前このままじゃ死んじまうぞ!」
ライトはありったけの声を上げる。
死にたくない。死ぬのはとても怖い。誰かに尊厳を踏みにじられ、命を落とすなど真っ平御免だ。殺されそうになったあの時、ライトは何もできなかった。ただ怯え、ガチガチと歯を震わせる事しか出来なかった。
死ぬ。嫌だ。死にたくない。助かりたい。これが、本音だ。
だが、それと同じぐらい嫌な事がもう一つある。
自分のせいで誰かが傷つく事。自分が傷ついて、恐怖に怯えていれば済んだものを、誰かが助けようとして、結果死んでしまったら――それは時に“死”よりも恐ろしい。
(死にたくない…きっと殺されそうになったら、すっげぇビビる。さっきと同じように…でも、俺のせいで誰かが傷つくのは……もっと嫌だ…!!)
「――LEフィールドの展開を試行し続けていますがいずれも失敗。恐らく、先程の攻撃でいくつかの“致命的な”ダメージを負った為、生命エネルギーを傷の治癒に回している事が原因の、エネルギー不足である可能性が高いです」
「だったら………!」
先程の防御フィールドを展開出来ないのであれば、なおさら、トゥエンティに負担をかけるわけにはいかない。
ライトは身を捩り、腕から逃げようとする。傷つき恐怖するのは…自分ひとりで十分なのだ。……あんな、屈辱と恐怖を味わうのは…
「君は自分が犠牲になればいいと考えているようですが、それは誤りです。彼の狙いは恐らくは私です。その理由を現時点で断定はできませんが。ならば、私がこの場から離脱すれば彼は私を追跡せざるを得なくなります」
「なら、なおさら俺を捨てろってんだ!!こんなお荷物抱えてちゃ逃げ切れねぇ…!」
不意にトゥエンティの肩をビームが貫通したのが視界に映った。焼切れた傷痕に、しかしトゥエンティは何事も無かったかのように平然としている。
そのまま、視界を前方に向けたまま話を続けた。
「君は今の自分の状態を理解していないようですね。今君をこの場で捨てれば、ほぼ確実に君は死にます。それだけの深刻なダメージを負っているのだという事を理解してください――さらに言えば、今の我々の状態で彼に勝てる可能性はゼロです。ここはお互いに撤退と生命維持を最優先すべきかと」
「……」
頼みのトゥエンティも敗走するしかないこの状況。
自分も、ヒート達も戦闘不能に追い込まれ命に関わるダメージを負わされてしまったこの現実にライトは愕然とする他無かった。
と、その時。
生命エネルギーが少しずつだが自分の体に流れ込んできた。全身の傷が、特に電子ビームに貫かれた部位が癒え始める。
「トゥエンティ…お前…」
「……」
トゥエンティの真意にライトは気づき始めていた。
つまり、ライトを抱えていようがいまいが、今の自分の体ではどちらにせよ逃げ切れない、と踏んでいるのだ。
ならば、まだ生きているライトの治療をわずかに残存した生命エネルギーで行い、最低限生命維持できる段階まで回復させてから、一人トニトルスの追跡を一身に受けるつもりなのだ――
「なんで、そこまで俺を…」
振り絞るような問い。会って間もないトゥエンティがなぜここまで自分を護ろうとするのか、理解できなかった。
「――分かりません。強いて言えば、“命とは不可逆的な定常状態であるから”、でしょうか。失われれば取り返しのつかないもの、故に、救う価値があるのです」
そう告げるトゥエンティの顔は無表情ながらも、どこか悲しそうに見えた――のはライトの気のせいだったのだろうか。
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自分は何をしているのだろう。
仲間が戦い、傷つき、倒れていくのをただ影で隠れて見ているなんて。
(なんで、オレはこんなに無力なんだ……)
足が竦んで動けない。恐怖が全身を硬直させる。こうしている間にも理不尽な暴力に大切な仲間が、恩師が、愛するこの土地がこうして蹂躙されているというのに。
自分にはただ怯えて隠れることしか出来ない。
(何のために、オレは今まで……ずっと修行してきたんだ……)
グッと拳を握りしめるイグニス。尻尾の炎がちらちらと揺れた。
コッパーランクから始め、メキメキと頭角を現し始めたイグニスは周囲の同期のポケモン達からの憧れの的であった。
イグニス自身も自信家であると同時に努力家でもあった為、程なくして最年少のシルバーランクへと上り詰めることが出来た。
仲間と共に競い、戦い、互いに認め合った。決して優しいばかりの場所では無かったが、それでもイグニスはこのジムを愛していた。
ずっとこの平和が続くと、そう思っていた。
なのに。
今、この土地で自分がすごした全てが踏みにじられているのに、イグニスには何もできない。
頭では分かっているのだ。
自分が出て行っても足手まといにしかならないという事ぐらい。
ゴールドランク達を退け、あまつさえジムリーダー、ヒートと――連戦で疲れ果てているとはいえ――破ったあのピカチュウに自分が勝てるわけがない。
あの見たことも無い奇妙な能力。今出ていった所で、あの光線に引き裂かれて終わりだろう。
「オレには何もできないってのかよ……!」
悔しい。心が千切れそうな程の歯がゆさにイグニスはただ肩を震わせる。
と、その時。
倒れ伏していたヒートと目が合う。あの攻撃を喰らって、生きていた――その事実にイグニスの心が少し和らぐ。
弱弱しげに、ヒートは指をクイクイと動かした。こっちに来いと言っている…その理由をイグニスが知る由はない。
だが、一つ確かな事がある。
――彼が自分を必要としている、という事だ。そう直感したイグニスは、大きく息を吸い、心を救う恐怖と共に息を吐き出した。
イグニスは地面を蹴り、地獄と化したバトルフィールドへと駆け出したのだった。