第二章 『使徒』編
第十九話 楽園からの使徒 

真実を語ると、ヒートは宣言した。その断固とした態度に誰も反論しない。

同時に今まで肩越しに会話をしていたヒートが、今初めて自分と向き合っているとライトは感じていた。

話すのが気が進まない内容なのだろうが、それでもこうして一人の自立したポケモンに対する態度を取っていくれている事はとてもありがたい。

「さて、どこから話すか…そうだな、まずは『ガーデン・オブ・エデン』についてだな」
「……」

ソウルからも聞いたその名。ここまで忌むべきものとして周囲に認知されているとは、いったいどのようなな組織かと、ライトは訝しむ。

「まぁ、端的に言ァーー未来から来た連中って事だ」

(………は?)

今このバクフーンは何と言った?

未来から来た?何を言っているんだ…?

いきなり飛躍した話についていけず、ライトの思考が停止する。しかし周囲を見渡しても誰もその発言を聞いても、さも当然の事のような顔をしているのを見てますます混乱するライト。

そんな姿を見かねたのか、ヒートは助け船を出した。

「――いきなりそんな事言われても信じられなくて当然だよな。俺も最初は信じられなかったしよ。だが、真実は真実だ」

「……」

冗談を言っているようには見えない。それにこの場の空気の張り詰めようから察するにそんな余裕もないのだろう。

いや待て、とライトの自問自答が頭の中で次々と増幅していく。

俺はそのガーデンなんちゃらの事なんて何にも知らない。ただヤバそうな連中なのだと話で聞いているだけなのだ。

実際、あのカタリナと名乗るサーナイト以外にその組織に属するものに会ったことが無いのだから、危機感など生じる余地は微塵も無い。

そこにきて“未来から来た”発言である。

困惑しない方がどうかしている。

そんなライトに構わず、ヒートは静かに話を続ける。

「一体どれだけ先の未来から来たのか、それは分からねぇが、一つ確かな事は奴らは生命体が保有する“生命エネルギー”を回収、及び他のエネルギー形態に効率的に転化する技術を持っている。――どこぞのピカチュウが使った技、お前も見ただろ?」

確かにトゥエンティは通常のポケモンが持ちえない特殊な能力を発揮し、いとも簡単にジム全体を制圧しかけた。

実力者が集うこのジムを、だ。

と、そこでライトはある可能性に思い至る。

(ちょっと待て!?……つまり、トゥエンティも…?)


「では、トゥエンティが使っていた技は――未来技術の産物という事ですか?――じゃあ、アイツも……!?」

「ああ、間違いなくエデンの関係者だろうな…最も、ここに攻撃を仕掛ける為に送り込まれた先兵の類じゃなさそうだが」


(アイツ、妙に浮世離れしてると思ってはいたが…)

始終無表情を貫いていた件のピカチュウの顔が脳裏に浮かぶ。彼もまた未来から来たのだろうか…その未来から、という話がいまいち現実味がないものの、トゥエンティの使用した能力の数々。

あれは間違いなく異質なものだった。周囲のポケモン達から無差別に生命エネルギーを奪い取るというもはや“技”と呼べる範囲を逸脱していたあの力……なるほど、未来からもたらされたのなら納得できなくはない。

「でも、仮に未来からそのエデンとか言う連中が来ていたとしてですよ…一体何が目的で…?」

「――俺達にも連中の目的は掴めていない。はっきりとはな。だが、どうもこの時代で何かをしようとしているらしい。各地でポケモンを襲撃し、生命エネルギーを回収してな」
各地でポケモンを襲撃?

ライトは耳を疑った。そんな話聞いたことがない。いや、単に自分が最新のニュースに疎いだけかもしれないが…

「まぁ知らなくても当然だ。奴らが襲うのはポケモン達の集落の中でも人の立ち入らない隔絶された場所。しかも襲撃した後は証拠抹殺の為にその場所に居合わせたポケモンを毎回、ご丁寧に殲滅してるんだからな――ちょうど、ソウルの村みてぇに」

憎悪を込めたヒートの発言に、ライトは思わずソウルのほうを向く。

ずっと沈黙を保っていたソウルは、怒り出すこともなく、ただ静かに…泣いていた。涙が頬を伝って固く握られた拳に零れ落ちてゆく。

その姿を見たライトは直感した。

未だ直接対峙はしたことのないエデンの脅威は本物だと。

石像のように固まったまま涙を流すソウルに黙ってハンカチを差し出す。安い同情の言葉などかけれるはずもない。

そんなライトの無言の気遣いにソウルもまた無言のまま応え、ハンカチを受け取った。

「……それで、その未来から来たっていう連中と、俺の鞄の中から取り出したそのペンダントとは何か関係が……あるんですよね?」

カタリナの胸元と同じ紋章が刻まれたペンダント。

このペンダントについて、ライトが見覚えが無いという事は、誰かが旅立ち前に自分の鞄に入れたのだ。

母シンティラか、それとも父トレノか、それは分からない。

だが仮にそうだとすれば、なぜそんな物騒な連中のシンボルが刻まれたペンダントなどを持っていたのだろう。

不安がライトの胸をよぎる。言いようのない、恐ろしい感情が。

問いかけられたヒートはしばし黙考していたが、やがて意を決したように口を開いた。

「――ああ、このペンダントは間違いなく連中と関連した品だ。そして、エデンが血眼になって追っているものである可能性もある…だが、なぜだ……」

「何か、問題があるんですか?」

不安感に駆られてライトは机に身を乗り出す。先ほどからヒートの様子が妙だ。煮え切らないというか、手にしているペンダントを眺めては目を細めずっと観察を続けている。

そんなヒートの様子がますますライトの不安感を煽る結果となってしまっているが、ヒート本人は今そこまで気が回る状態では無かった。

見る限り、確かにトレノが機密電報で告げていた通り、これこそがライトに持たせたという“切り札”なのだろう。

だが、手中で美しく輝く“切り札”にヒートは額に青筋を立てていた。何とかギリギリで怒りを抑えているようだが、付き合いが長い他のジム構成員達はそんなヒートの感情を当然察し、何事かと身構えている。

(…トレノの野郎、何を考えてやがる!?これじゃ全く切り札として使えねぇじゃねえか…!!)

この場でこの異常事態を理解できるのは、おそらくヒートただ一人。

(一体どうなってやがる?まさか、エデンの奴らの仕業…?いや、それはありえねぇ……なら、まさかトレノが…だが、なんでこんなことを――)


しかし、ヒートの思考は外から轟いた爆音のせいで掻き消されてしまった。

ズゥウウウン

「な、なんだ!?」

まるで地の底から響いてくるような振動。会議室自体が大きく揺れる。

同時に聞こえてくるのは、爆音に混じった――悲鳴。

「これは――」

会議室中に動揺が走る中、事態の深刻さを最も感じ取っていたのは他でもないソウルだった。

波導に乗って伝わってくる恐怖と混乱が怒涛の波となってソウルの心を揺さぶる。

(まさか、でも、こんなに早くに――)

鼓動が早まる。生唾を呑み込み、意を決し外へと飛び出すソウル。

ライト達も後に続いた。

慌ててジムのバトルフィールドに飛び出したライト達の眼前に広がっていた光景は、信じがたいものだった。

ジムに巨大な穴が開いている。ライトが『雷神』を発動させて空けた穴とは比べ物にならない規模の大きさだ。

いや、穴というよりもジムの四分の一が吹き飛ばされたと言った方が適切か。

「うう…」

「ッ…」

ジムのあちこちから地面に伏したポケモン達の呻き声が聞こえてくる。恐怖に満ちた嗚咽が嫌でもライトの耳に入る。

「何なんだよ、これ…」

あまりの惨状に言葉も出ない。ただただ呆然と地獄と化したジムを見やるのみ。

「いやぁ、久々にヤりあえるってんで、ちょっと威力を上げ過ぎたかなァ」

聞きなれない声が聞こえた。この惨状に似合わぬ軽い調子で、まるで楽しいゲームの作戦を考えている子供のような独り言――耳につく、不愉快な声音が。

顔を上げると、そこには一人のピカチュウがいた。

自分と同じ背格好。おそらくは同い年。顔には半透明のバイザーをつけ、白い首輪をしている。黒い礼装をまとい、不敵な笑みを浮かべて周囲を見渡している。

(なんだ、この既視感は――)

似ている。自分と。顔立ちも声も。だが、ライトに兄妹などいない…はずだ。

動揺を隠せないライト達に、ピカチュウは気が付いたらしい。口元を歪ませ、ニタッと笑った。

「ん?おお、ちょっとぶっ放したらボスキャラ格のご登場か?やっぱゲームはボスが登場しなきゃつまんねーよな!」

「テメェ…“エデン”か…」

ヒートの凄味にも、そのピカチュウはただ肩をすくめるのみ。その挑発的な態度に、しかし、ヒートが冷静さを保っているのは流石というべきか。

呆然が殺意に変わる瞬間を確かにライトは肌で感じた。特にヒートとソウルからは発せられる身の毛のよだつような敵意に、ブルッと身を震わす。

だが、敵意を向けられている当の本人はどこ吹く風。ニヤニヤ笑いを崩さぬまま、こちらに冷たい視線を投げかけている。顔は笑っているが、目は笑っていない。その瞳に冷え切った悪意を湛えたまま、構えるヒート達を前にしてもそのピカチュウはその場から動かない。

構えるでも、逃げるでもない。ただ意地の悪い笑みを浮かべるのみ。

「……一つ警告しておくぜ。ここで俺達に素直に捕まるのなら、手荒な事はしねぇ。だが、もし抵抗するのなら――覚悟するこった」

どうもヒートは、ここでこのピカチュウを生け捕りにするつもりらしい。エデンの情報を引き出す絶好の情報源をみすみす逃がす訳にはいかないのだろう。

だが、対するピカチュウは真顔になると――いきなり、腹を抱えて笑い出した。

「ク、ハハハハハ!!」

「何がおかしい!?」

凄むソウルに、しかしピカチュウはひーひーと過呼吸気味に笑ったままだ。

しばしの爆笑の後に、目元に涙を浮かべながらピカチュウは顔を上げる。

「いやいや、冗談キツイぜ!お前らが、俺に、『覚悟』しろだって!?――『覚悟』しなきゃいけないのは――テメェらだろ?」

バチバチ…バチッ

「くるぞ!」

ヒートの警告と、青白い電撃が周囲を薙ぎ払ったのはほぼ同時だった。

ライト達は一斉に飛びのき、『ほうでん』攻撃を回避する。

「ほぉ、俺の電撃を避けるとはなァ。ま、今のは様子見ってとこだ。そこいらのモブキャラと違って、お前らはボス格って所だろうし……久々に遊べそうだぜ。このトニトルス様が全員まとめてぶっ潰してやるよォ!」

狂気の様相を浮かべるトニトルスの体から放電現象が迸り始める。青白い電流は、トニトルスの周囲を蛇行しうねりながら、頭上で収束し始めた。

ポケモンの技とは違う、より凶悪で殺意に満ちた禍々しいもの――本能的にヤバいと感じる程の。

刹那。

キュィン

収束した電流から光の“線”が放たれた。

(なっ……)

頬に激痛が走る。身を焼かれたような痛みに思わず頬に手を当てた。

焦げたような臭いは、間違いない。自分の頬が焼切られた証拠だ。

「ぐッ…」

「ライト!」

ライトの肩を持ち、『まもる』を展開する。

半透明の障壁越しに先程と同じ光線が2本直撃したのをライトは見た。ソウルの機転が無ければ今頃は真っ二つになっていただろう。

「全く、もはや技ですらないね」

目を細めてソウルはトニトルスの方を見やる。全身から迸る電流が頭上のある一点で収束し、こちらに光線を放っている。

「破壊光線、の類じゃねぇな…」

頬を走る激痛に目元を歪めながら、ライトは舌打ちした。この凶悪な光線は、ヒートが言っていた「未来」技術の産物なのだろうか。

「まずいね……」

光線が当たっている部分がどんどん破壊されていく。『まもる』の障壁が破壊されようとしているのだ。

「いったん外に出るよ――いけるかい?」

「ああ」

ライト達は互いに頷きあい、一斉に『まもる』の外に飛び出す。

「俺の電子ビームから逃げられると思うなよ?」

トニトルスはニヤッと笑うと、腕を振るう。礼服の裾から出た腕には首輪と同じ、白い腕輪がはめられていた。


その動作に連動するように頭上の収束点が右方向に移動、ビームがライト達の足元を引き裂いた。

もう少し遅ければ片足を切断されていただろう。ライトの額を冷や汗が流れる。

地面からは焦げ臭い煙が上がっている。あの「電子ビーム」がどれほどの高温なのかが嫌でも分かるというものだ。

「ふん、動きは素早いみたいだが…なら、爆風で吹き飛ばしてやるか」

パチンとトニトルスが指を鳴らすと、収束点が4つに分裂しそれぞれからビームが照射された。

ズゥウン

「くそッ」

四本の電子線が一か所で収束し、大爆発を起こす。電子ビームの運動エネルギーを一か所に集めれば、爆発さえ起こせるという事をライト達は思い知らされた。

遊んでいるのだ。自分たちで。

「くそ、ふざけやがって…『火炎放射』!」

ヒートが口内から業火を吐き出す。激しいバトルの連戦後とは思えない威力だ。

しかし、トニトルスはその場を動く事無く、ただ口角をつりあげ

「だ〜か〜ら〜、俺様にそういうのは効かねぇの」

侮蔑に満ちた言葉と共に、紅いフィールドがトニトルスを覆う。

「ッテメェ、それは…!」

ライト達にも見覚えがある紅き防壁…LE-フィールドは炎を完全に遮断した。

「お、見覚えがあるのか?――ダアトがこいつを使いやがったか。やっぱ、ここにいるんだな」

(ダアト?何を言っているんだこいつは…)

だが、疑問を抱いている暇など無い。なんとかこのピカチュウを止めねば、さらなる惨事を招くことは必至だ。

(防御中は攻撃できないみてぇだな…なら、フィールドが消えた瞬間を狙う…!!)

トニトルスがLE-フィールドを解除すると、再び頭上に数か所の収束点を形成していく。

防御と攻撃の切り替えにできた一瞬の隙、この機を逃がす訳にはいかない。

「喰らえ!『雷撃弾』!」

防壁展開中に掌にチャージしていた電力を全て一発の弾丸に込め、撃ち放った。

狙いはトニトルス。イグニス戦で使用したものの何倍の威力を込めた雷の弾丸がエデンの刺客に迫る。

(雷速の弾丸だ!回避不能の攻撃、受けてみろ!)


だが…


トニトルスの心臓を狙い放たれた雷撃弾は、しかし、彼の体を貫く前に“霧散”してしまった――


「なッ!?」

目を見開くライト。にやにやと笑うトニトルス。


「残念だったな。俺に電気タイプの技はきかねぇよ」

(電気タイプの技が、効かない…)


特性によって無効化された訳ではない。技によって打ち消された訳でも、先程の防壁で防がれた訳でもない。

原因不明の現象。だが、一つだけ確かな事がある。

それは

(俺の技が、戦術が効かないのか……!?)

「さ、まずは一匹」

収束点が光を放ち、ビームがライトを貫く。右側の腹部に激痛が走った。肉が神経ごと焼切られるあの地獄の痛みが。

「がぁッ…」


「ありゃ、ちょっと外したかな。まあ、そのまま輪切りにしてやるけど」

「くそッ…!」

このまま電子ビームを左側にずらされれば、間違いなく輪切りにされる。

ライトは渾身の力を振り絞り、右側へと跳躍した――真っ二つにされる前に、右側の腹部を犠牲することで、危機を脱したのだ。

「おお、すげぇ。自ら肉を切らせて脱出しやがった。やるなぁ!」

心底楽しそうなトニトルスの声。だが、既に体は限界を迎えている。もはや立ち上がることなど不可能だ。

土の上に転がり、ライトは仰向けになった。指一本も動かせない。



「貴様ァ!」


あまりの暴虐に激怒したのはヒート達だ。各々が持ち前の技を繰り出す。

ゴールドランクのポケモン達は皆、一斉に『火炎放射』を放つ。四方八方からトニトルスに向けられた業火。流石最高ランクのポケモン達の技だ。すさまじい熱気がライトの頬を撫でた。

しかし

キュィィン!


「ぐぁッ」

「ガァッ…」


炎の中から放たれた電子線に貫かれ、炎ポケモン達は一斉に地面に倒れてしまった。

(嘘だろ……ゴールドランクのポケモン達が、一瞬で……)

「熱いんだよ、クソ野郎どもが」

トニトルスは全くダメージを負っていない。所々黒の礼服が焦げてはいるが、あの炎技を受けても平然としている。

「貴様、よくも…よくも俺の仲間を…食らいつくせ、『ドラコ・ルーベル』!!」

使用者の魂を糧に燃焼する秘儀、“魂炎”。

相手の魂に直接作用する炎。燃え盛る炎は巨体を誇る竜となり、空へと舞いあがった。

「ほぉ、あれが『炎操者』と名高いアンタの必殺技ってワケね。…ありゃあ、ちょっと直撃喰らうのはやばいかもな」

相変わらずニヤニヤ笑いを浮かべながらも、トニトルスの笑顔は引きつっていた。だが、同時にこの戦いを心の底から楽しんでいる余裕があるのも確かだ。


ヒートの激怒と敵意が共鳴し、炎はどす黒く変色している。禍々しい黒炎の塊は、ゆらりと翼をはためかせ、憎むべき敵”に向かって急降下し始めた。

黒炎の竜の双眼に移るのは、殲滅すべき相手――トニトルスだ。

対するトニトルスは、収束点を頭上に展開し、電子ビームで迎撃を試みる。が、相手は非実体の魂炎。電子線はただすり抜けるだけだ。


物理的攻撃では防げないと悟ったのか、使用者を倒そうとトニトルスがヒートの方に向き直ったその時――


「『フレアドライブ』!」


一瞬の隙をついて、炎をまとったヒートがトニトルスに『フレアドライブ』を叩き込む。
「ぐぅッ…」

後方へ吹き飛ばされるトニトルス。炎魂は気を逸らす為の誘導だったようだ。

「今だ、ソウル!」

「…分かっていますよ、ヒートさん!」

ヒートの背後で待機していたソウルが跳躍し、地面に仰向けになっているトニトルスに突撃した。

「『飛び膝蹴り』!」

「ガハァッ…!」

重力を味方に付けた『飛び膝蹴り』をもろに腹に受け、胃液を吐きながら悶絶するトニトルス。

収束点が狂ったように移動しながらビームを連射し、ソウルの頬を掠めた。これ以上に追撃は不可能とソウルが判断したその時




「ソウル、後方に退避しろ!」

「了解!」

軽やかなステップでソウルが攻撃範囲内から出たのを確認すると、ヒートは未だに動けないトニトルスを一瞥すると、吐き捨てるように言った。


「塵も残さず焼き尽くしてやる…喰らえ、『ゲヘナの焔』!」


黒炎の塊が、トニトルスを呑み込む。

敵意と殺意に染まった真っ黒な炎が周囲を燃やし尽くしていく――魂炎”にヒートの憎悪が混じったことで物理的な攻撃力が付与されたらしい。

禍々しい漆黒の炎にソウルは身を竦ませた。あの炎は相手を確実にしとめる為に、ヒートが編み出した技だろう。ただのバトル用の“魂炎”ではない。より殺意に満ちた、相手を殺すための技――

『ゲヘナの焔』

“魂炎”に殺意を混ぜ込んだ、ヒートの文字通り“必殺技”。『ドラコ・ルーベル』から移行させ、空中より敵を強襲する。

その炎は、使用者の“殺意”が続く限り燃え続ける。

文字通り敵を焼き尽くすまで止まぬ地獄の業火だ。

ヒートはこの技を誰にも見せたことが無い。相手をただ殺すためだけに彼が生み出した技など、大切な仲間に見せたくは無かったからだ。

(――こんなモン、本当はガキどもの目の前で使いたくは無かったんだがな……)

ちらっとヒートがソウルを見やる。波導感知に秀でたソウルには、この技の持つ醜い感情が直に伝わってきているはずだ。

自らの殺意を糧に燃え盛る漆黒の業火。この技を使うという事は、自分の心の醜い部分をこの世に曝け出すという事に他ならない。



轟音をたて燃え上がる黒き焔をソウルはただじっと見つめて視線を外さない。波導に乗って去来するのは身震いするほどの“殺意”。

だが、同時にソウルは敵意の裏側を――ヒートの胸を引き裂かんばかりの悲しみもまた、感じ取っていた。

(ヒートさん、あなたは昔一体何を“見た”んですか……)


全身に古傷が走る恩人を見やるソウル。そんなソウルの視線に気が付いたのか、ヒートが前を見たままボソッと呟いた。


「…ソウル。これが奴ら『エデン』との戦いなんだ。お前は初めてだろうが…俺は何度か、あのクソッタレ共と戦ってきた。分かっただろう、エデンは甘くないんだ。全くな。殺やなきゃ殺られる」

決意と悲壮が篭った声に、しかし、応えたのはソウルではなかった。









「ああ、その通りだぜ。『エデンは甘くない』、全くだ」




炎の中から確かに聞こえた声。


次の瞬間、黒炎を突き破り、二本の電子ビームがヒートとソウルを貫いた。声も無く倒れる二人。地に伏したソウル達はピクリとも動かない。

完全に倒したと思っていた所にいきなりの奇襲。反応さえ出来なかったのだろう。




その様子を見ていたライトの中にある沸きあがった。“絶望”の二文字。それ以外に言いようがない。


(そんな……)



「ヒートさん、ソウル……ッ」


もはや叫ぶことさえ叶わない。身を捩り、掠れた声を出すので精いっぱいだ。

その時、ライトの視界に影が差した。

視線だけ動かすと、そこには笑みを浮かべたトニトルスの顔があった。

服は既に焼け焦げ、彼自身も手負いの様子だが、それでも……身動きできないピカチュウ一人に止めを刺すには十分すぎる程余力があるのは明らかだった。

「あ…あ…」

まさに詰み。絶望的な状況にライトは悲鳴も出せずただ眼球を震わせ、恐怖することしか出来ない。


「――しっかし、見れば見る程俺に似てるな」

トニトルスは不敵な笑みを浮かべたまま、バイザーを外すとライトの顔を覗き込んだ。


(…俺と…同じ顔……)


彼の言うとおり、自分の顔を瓜二つだ。

このトニトルスというピカチュウを見ていると、まるで鏡の覗き込んでいるかのような気分になる。

しかしこの状況ではそのような事は何の慰めにもならない。そっくりだからという理由で見逃す程、トニトルスは“お人よし”では無いのだから。

しばし恐怖に怯えるライトを観察した後、トニトルスは顔を上げた。

「よし、俺とそっくりな顔をしてるよしみだ。苦しまずに楽に逝かせてやるぜ。感謝しろよな」

にやにや笑いは消え、急に真顔になったトニトルスはそっとライトから距離を取る。

(電流が、集まっていく……)

トニトルスの全身から溢れ出す電流は右指先の一点に収束し終え、その指先ははっきりとライトの額へと向けられていた。

何故自分の電撃が効かなかったのか、なぜ顔が瓜二つなのか、そんな疑問はもはや何の意味も持たない。

殺されるのだ。自分は、今ここで。

何の抵抗も出来ずに、惨めに踏みつぶされて。

放たれる電子ビームは容易く自分の頭を貫通するだろう。

「じゃ、死ねよ。そっくりさん」


刹那。ライトは目の前で光が爆ぜるのを確かに見た――


■筆者メッセージ
今回より第二章に突入します。

アブソル ( 2015/05/16(土) 16:09 )