第一章 『胎動』編
第九話 秘密の断片
巨大なフィールドを取り囲む観客席。その中でも特に巨大な観戦席からはフィールドで巻き起こる熱き闘志達の武闘を一望できるように設計されていた。

その場所会議室としても機能し、は『フレイムジム』内で最も重要な役割を果たす言わば“心臓”。
ジムの構成員でもシルバーランク以上の階級で無ければ許可なく入室することは禁じられており(最も、この付近は『フレイムジム』内でも深奥部に位置する場所。見習いであるコッパーランクのポケモン達はそもそもあまり近づかないようだ)、上級のシルバーランク及び“幹部”の役割を担うゴールドランクに属するメンバーのみが出入りできる。

その一種の機密性を象徴するのがその部屋と外界を分かつ一つの扉。漆黒のコーディングに中央にはフレイムジムの紋章が彫りこまれている。

その威圧的な雰囲気故に、コッパーランクや下級シルバーランクのポケモン達からは『閉ざされた扉』と呼ばれ畏怖と崇敬の対象となっている。あるいは、その場所に近づくことすら稀なジムのメンバー達はその部屋や扉自体にゴールドランクやそれに準ずる立場に君臨するポケモン達の強靭さを見て取るのかもしれない。

部屋の名かは広々としており、中央には巨大な円卓が設置されていた。

円卓を囲むように数匹のポケモン達が着席している。皆が首や腕から彼らがゴールドランクであることを証明する金細工の紋章をぶら下げている。何故か誰もしゃべらない。緊張した面持ちで背筋を正している――たった一匹を除けば。

その中にあって、一際異質なポケモンが一匹いた。

他のメンバーのものには見られない『フレイムジム』の紋章が彫りこまれた背もたれに寄りかかり、足を組み肘掛に肘を乗せ頬杖をついている。

荒れた毛並と筋肉質な体つき、全身を無数に走る傷跡もさることながら特に目を引くのは顔面を左上から右頬にかけて横断している大きな古傷だろう。

威圧的、攻撃的と“彼”を形容する表現はいろいろあるだろうがどことなく威厳溢れるオーラを放っているのは流石ジムリーダーといった所か。

古傷だらけの歴戦のポケモン、バクフーン。彼こそが『フレイムジム』のジムリーダーであり、クレストマスター、或いは畏敬の念を込めて『炎操者』とも呼ばれる男、ヒートである。

静まり返る沈黙の空気を破り、バクフーンのヒートが口を開く。

どうやら誰も喋らなかったのはジムリーダーの発言を待っての事だったらしい。この事実は如何にこのジムで彼の影響力が強いかを暗に物語っている。

「・・うちの馬鹿息子は何とか辛勝か」

「そのようですね」

ヒートの発言に頷き同意するのは、通常の毛色とは違う美しい銀の毛並みが美しいキュウコン、名をフェゴと言う。中性的な声音からは雄か雌か判断が付きにくいが、自分の外見にそれほど拘りが無いヒートとは異なり、ゴールドランクの階級であることを示す紋章は彼の毛色と同じ繊細な銀細工のネックレスチェーンにつながれた金のペンダントトップとしてキュウコンの美しさを際立たせている。
それだけとっても、彼が自分の外見に気を配っているのが透けて見える。

そして時折前足で豊かな体毛をかき分け、少々芝居がかった仕草で金の紋章を手に取りうっとりと眺める――無論、自分の美しさと実力の高さに改めて惚れ直しているのだ。

その極めてナルシシズムに満ち満ちた行動を横目で見ながらもヒートはため息ひとつつかずそのまま続ける。

「ま、デフェールの機転と根性勝ちって所は俺譲りかもしれねぇが・・問題は第一戦目でイグニスを破った例のピカチュウ・・イカズチ・ライト。間違いねぇトレノの息子だ」

「最近『フレイムジム』周辺、及び人間の街に怪しげな集団が出没していると報告が入っています・・もし現在付近で活動中の存在が“彼ら”だとすれば、トレノ様のご子息がこのジムに到着された事が“彼ら”に知られることはどのような手段を用いても避けなければなりません」

「確かにな。トレノの息子がこのジムに来ている、そんなことを奴らが知れば確実に捕まえに来るだろうな。イカズチ・ライト本人もさることながら、トレノの居場所こそ奴らが血眼になって追い続けている情報だ。間違いないだろうよ」

苦々しげなヒートの語りに円卓は静まり返っている。
“彼ら”“奴ら”と称する対象に余程敵意を抱いているのか、ヒートは犬歯を剥き出しにしていた。

そんな激情を内に秘めるヒートとは対照的にフェゴは淡々とした様子で続ける。

「そのことでトレノ様から先ほど専用回線で秘密文が届きました。『フレイムジム』を含む全てのジムとバトルリーグ協会に対して同じメッセージが送信されているようです」

「・・内容は?」

フェゴが両前足で器用に一枚の紙を取り上げ、赤い瞳を動かしさっと目を通す。

銀の毛色に包まれた九つの尻尾がゆらりと揺れる。ノズルが動き紅い瞳がゼリーのように震えた。様子からして動揺しているのは明らかだ。自然とヒートを含めた周りのポケモン達にも緊張が走る。

「――『バトルリーグ協会本部、リーグ加盟ジム幹部及びクレストマスターへ。皆気が付いていると思うが、ついに『ガーデン・オブ・エデン』が本格的に動き始めた。俺の縄張りにもエデンの手が及びだしている。まだ俺とライトの存在には気がついていないようだが、彼らが秘密を探り当てるのも時間の問題だろう。俺達はこれまで以上に秘密裏に計画を進めねばらなない。まだ彼らに俺達の動きを察知されるわけにはいかないからだ。ライトがいずれかのジムに到着した時、あるいは既に到着している場合、それとなくあいつを警護してやって欲しい。ライトには俺達の“切り札”を持たせている。・・・俺の行動は軽率だったのかもしれない。批判や非難も謹んで受けよう。しかし、あいつは未熟な所があるものの大きな可能性がある。あいつは君達の知っている通り――“特別”な存在だ。そして何よりも、いざ何かが起こった時に俺独力で“切り札”を護りきるのは難しいと判断した。『ガーデン・オブ・エデン』の戦闘力と残虐性は誰よりも俺が一番よく知っている。万が一の事があった時に、“あれ”を奪われる事だけは避けなければならない。我ながら弱気な事など思うが、リスクは分散しておくことに越したことはない。ライトはこれからジム巡りをしていくだろう。――これはあってはならない事だが、俺の存在が彼らに知れ、“切り札”の所有をも彼らが知ってしまった場合、彼らは必ず『ライトニングジム』を襲撃し流出した秘密を取り返そうとするだろう。その時俺がそれを所有していれば、彼らは必ず俺と俺と関係した全てのポケモンを殺し、山と森を焼き払い、全てを灰に帰したうえで“切り札”を回収するはずだ。それが例えバトルリーグ協会本部でも同じことだ。勘違いしないで欲しいのだが、俺は四天王やチャンピオンの実力を過小評価しているわけではない。ただ、『ガーデン・オブ・エデン』の戦力は俺達のそれを遥かに上回っているという事を今一度頭に叩き込んでほしい。俺達の今の力では彼らには勝てないのだという辛い現実を心に刻んでくれ。だが、つねに成長し続け移動を重ねるターゲットから目的のものを奪うのは一つの地に秘匿されている秘密を強奪するよりも難しいだろう。少なくとも俺が所有しているよりははるかに安全だ。勝手に重要な判断を下してしまった事を許して欲しい。だが、彼らの魔の手はもうすぐそこまで来ているのだ。俺達に残された時間は少ない。彼らは未来での惨劇を繰り返すつもりだ。遅かれ早かれ大きな悲劇が起こる事だろう。

バトルリーグ協会本部並びに加盟ジム幹部及びジムリーダー、君達の協力が必要だ。今こそ俺達は一丸となって脅威に立ち向かわなければいけない時なのだ。
希望の“光”を絶やしてはならない。ライトをよろしく頼む。

ライトニングジム、ジムリーダー。イカズチ・トレノ』――以上です」

誰も言葉を発しない。完全なる静寂が周囲を包んでいた。窓の外から聞こえてくるバトルフィールド全体を包む熱狂の渦さえこの場の冷え切った空気を暖めはしない。
そしてやはり最初に口を開いたのは、ヒート。

「ふん、随分情けねぇ泣き言並べやがって。ガキに勝手に持たせた挙句に俺達にあいつを警護しろたァ随分虫のいい話じゃねぇか」

「しかしヒート、トレノ様の仰る通りライト君は保護の対象とすべきではありませんか?彼が事情を知らずにあれを持ち歩いているのだとすれば・・このままライト君を野に放つ事は私は到底容認しかねます」

フェゴが柄に無く動揺した様子でヒートに進言する。他のフレイムジム幹部達も緊張した面持ちでリーダーの一挙手一投足に注意を傾けているようだ。

「フェゴ、俺はガキをこのまま放っておくとは一言も言ってねぇぜ。面倒だが、あのピカチュウがあれを持ち歩いている以上守らないわけにはいかねぇ。・・何よりも、『ガーデン・オブ・エデン』の奴らに好き勝手にされるのは胸糞悪りィしな」

用意してあった紅い液体が注がれたグラスを口に近づけぐいっと飲み干す。アルコールの臭いにフェゴが顔を顰めるがヒートは気にも止めない。

当てつけがましく9房の尻尾の一尾で口元を隠すフェゴ。そんなキュウコンの反応を逆に楽しんでいるのか、わざとヒートは酒臭い息を吹きかけた。完全に嫌がらせだ。目元に涙を浮かべ咳き込むフェゴを一瞥した後、にやっと不敵な笑みを浮かべる。

「だが、護衛が必要かどうかの最終判断は、まずはあのガキの実力を俺が直接確かめてからだ。俺が伝授した技、『サラマンドラ』――まだまだ未熟とはいえこいつを一通り使いこなせるイグニスを倒したんだ。久しぶりのバトル、本気が出せそうだぜ」

指の関節を鳴らしゆっくりと立ち上がる。バトルフィールドには既にチャレンジャー、ライトが立ちジムリーダーの登場を待っている様子が見える。彼だけではない。観客席のポケモン達も自分達のリーダーにして、『フレイムジム』最強の男の登場を待ち焦がれているのだ。

「じゃ、ちょっくら行って来る」

ゴールドランクの幹部達に見守られながらヒートは猛き闘志を胸に部屋を出た。自分を待つ大勢のポケモン達の下に赴くために。

                ****

デフェール戦で惜しくも敗退した後観客席に戻ったアクアに、ソウルは薄い笑みを浮かべる。

試合後ライトからソウルとトゥエンティを紹介されたアクアは、この短時間でもう知り合いを作ったのかとライトの社交能力の高さに驚くしかなった。

特にこのリオルとは気が合いそうだと、アクアの気分は少しだけ高揚していた。無表情、無口、無感情のないない尽くしのピカチュウとだけ一緒に観戦が出来るほどアクアは大人ではなかったし、何よりもライトにソウルは興味を持っているらしく自分の友人の事で2匹は大いに盛り上がっていたのだ。

「シルバーランクを破ってジムリーダーのヒートさんを引きずり出すとはね・・久々にヒートさんのバトルが見れる。君のお友達には感謝だよ」

彼が敬愛するヒートの戦いを観戦できることが嬉しいらしい。確かに挑戦者の殆どはゴールドランクに辿り着く前に前座であるシルバーランクの前に敗退するものが殆どであり、よってヒートの出番も少なくなりがちだ。

そんなレアなバトル、しかも自分達のリーダー兼目標のヒートが戦うと言うのだ会場が盛り上がらない方がおかしいだろう。

「――君も見ておくといい、トゥエンティ。ヒートさんのバトルを・・って、あれ?」

横に座っているはずのトェウンティに声をかけるが、そこには彼の姿は影も形も無かった。驚いてソウルが周囲を見渡すがトェウンティはどこにもいない。

「ああ、さっきのピカチュウなら“食事に行く”って出て行ったよ」

「へぇ食事ね・・折角ヒートさんのバトルが始まろうって時に・・タイミング悪いな」

しかしソウルの愚痴は会場の熱狂に飲まれ露と消えた。
白熱の理由は明らかだ。『フレイムジム』最強の存在、ジムリーダー、あるいはクレストマスターと称されるバクフーン・・ヒートがその姿を現したのだ――

                ****

一方食事に出かけたトェウンティは『フレイムジム』内を亡霊のようにうろついていた。ジムのポケモン達は今、バトルフィールドに出払っている。残っているポケモンなど殆ど皆無だ。

しかし、廊下の向かい側から一匹のポケモンが歩いてくるのがトェウンティのガラスの様な瞳に映る。

先程ヒートと共に会議に参加していたキュウコン、フェゴだ。ゴールドランクの階級を示す金細工のネックレスをゆらゆらと揺らしながらこちらに向かってくる。

「おや、君は・・見慣れない顔だな」

見慣れない顔ぶれにフェゴは歩みを止めた。居候でもチャレンジャーでもない全くの余所者に内心如何わしく思いながらも、いきなり攻撃的な対応などフェゴはしない。どこかのジムリーダーとは違うのだ。

「一体どこから入ってきたんですか?ここは『フレイムジム』のゴールドランクと上級シルバーランク以外の立ち入りは原則禁止されているんですよ。それとも君、『フレイムジム』挑戦のチャレンジャーですか?」

「――私はエネルギー補給を行いたいのです」

妙な言い回しにフェゴは困惑するものの、成程食べ物が欲しいのかと理解したのか、この妙なピカチュウの顔を覗き込んだ。

「・・君、空腹でここに迷い込んできたのですね?まぁ、入ってしまったものは仕方ありません。ジムの食堂に案内しましょう」

だが、何故かピカチュウはこちらを凝視してくるのみで口を閉ざしたままだ。その時、フェゴはあることに気がつき息を飲む。このピカチュウ、先ほどから一度たりとも瞬きをしていないのだ。

表情は1ミリたりとも変わらず、その異常なほどの精気の無さはまるで人形と対面しているかのような錯覚をフェゴに覚えさせる。

「その必要はありません」

「は?しかし――君は食事をしたいんですよね?なら・・」

突如、そのピカチュウはフェゴを指差した。その何の脈絡もない行動に動揺を隠せない。これまで多くのポケモンと接し、あるいはゴールドランクとして戦ってきたフェゴであったが、ここまで行動の読めない変わり者と会ったのは初めてだった。

「エネルギー補給は“あなたで”行いますので」

「一体何を――」

次の瞬間廊下を紅い光が包む。フェゴの苦悶の声が響き壁に反響するが、その叫びは誰の耳にも入らぬままだんだんとか細いものになっていった。

どさりと床に伏すフェゴ。まだ息はあるものの苦痛に満ちた表情のまま完全に気を失っている。

「・・生命エネルギーの補給完了。それと、あなたの特性は“貰い火”ですか。素晴らしい。それも頂いておきましょう。『特性吸収(アビリティ・ドレイン)』」

トェウンティは倒れ伏したフェゴに右手を当てる。再び真紅の光が掌から発せられた。光はフェゴを覆い、その自慢の毛並みから精力を吸い取っていく。

毛皮から艶が消える。それは同時に、フェゴの体から彼の特性“貰い火”――炎タイプの攻撃を無力化し、自身の炎技の威力を上げる強力な特性だ――が“奪われた”事を暗示していた。

フェゴに背を向け、何事も無かったかのようにトェウンティはその場を立ち去る。

バトルフィールドでこれから行われようとしている期待の一戦に外のポケモン達は熱狂の渦に巻き込まれ、ジム内で密かに起こった一連の事件など知る由も無かった――
















アブソル ( 2013/10/25(金) 23:42 )