第一章 『胎動』編
第七話 接触
バトルリーグ公認ジムの一番手、イグニスを下したライトは戦に勝利した凱旋将軍が如く、胸を張ってフィールドの外で待っているアクアの元に向かう。

それにしても幸先の良いスタートだと、歩きながらライトは浮かれていた。

イグニスは確かに強敵だった。だが、決して勝てない相手じゃない。

現に少々危うい所があったとはいえ、こうして自分は勝利を収めることが出来たのだ。

イグニスの『穴を掘る』を逆手に取った奇襲で、ライトは見事に勝利を勝ち取った。

チャレンジャーの勝利にフレイムジム会場内が歓喜に沸く。

コッパー、シルバー、そしてゴールド。ジムのポケモン達が3つの階級に振り分けられ、お互いに凌ぎを削る熱き闘志の集うこの場所において、勝利は最も湛えられる功績である。

しかし、同時に敗北は学びへの一歩と『フレイムジム』のポケモン達は考えており、敗者を決して貶めたりせず、ただ肩に手を置き共に未来を見据える事こと彼らにとっての美徳なのだ。

フィールドに伏すイグニスに観戦していた同僚達がすぐさま駆け寄る。

大丈夫か、立てるか、と口ぐちに言葉をかけ、何とか立ち上がるものふらつくイグニスの手を取り肩を貸した。
重い足取りを引きずり仲間の手を借りフィールドから外に出るイグニス。

だが、疲れ切った体に反して心は澄み切っていた。ジムへのチャレンジャーの初戦を務めるシルバーランクメンバーとして日々鍛錬を積み自身もあったのだが、まだまだ世界は広い。そう思い知らされた。

仲間に支えられフィールドの外枠にいるライトの所まで歩み、イグニスは勝利を得た挑戦者と対峙する。

「『穴を掘る』からの奇襲が裏目に出るとはな、恐れ入ったぜ・・」

至近距離からの雷撃弾(サンダーストローク・バレット)の影響がまだ体に残存しているのか、動き辛そうだ。

「上手くいくか不安だったけどな。穴までの距離が結構あったし、あの時の体力じゃ掠っただけでアウトだったしよ」

「成程な。自分の技を利用されて負けるたぁ情けねぇが。・・いい勉強になったぜ、ありがとうよ」

軽く握手を交わした後イグニスは観戦席へと戻っていった。


「ライト、初勝利おめでとう!」

「おう」

アクアは満面の笑みで俺の勝利を祝福してくれている。やっぱ、持つべきものは友達だな。

いや、アクアだけじゃない。このバトルの勝敗を固唾を飲んで見守ってくれている会場の全員が俺に大きな拍手を送ってくれている。嬉しい限りだ。

手を振って声援に応えていると、ふと、歓声を上げる観衆の中に先ほどジム内で見かけたリオルがいる事にライトは気が付いた。

沸き立つ観衆の中にあって、一匹だけ腕を組み真顔でこちらを見つめている。

(あいつ、さっきも俺達の事・・)

その時、イレギュラーなポケモンがもう一匹視界に飛び込んできた。

リオルの横でちょこんと座っているピカチュウ――単なる真顔ではない、完全な無表情を顔に張り付かせている。全く表情が読めない、異質な存在。

例のリオルを見かけたときには感じなかった違和感が、確かにライトの心を捉える。

(なんだ・・この感覚・・)

この時ライトはこれまでに感じたことがない強烈な既視感に襲われていた。

単なる生理上の現象ではない、何と表現すればいいか・・こう、何か体の奥から湧き上がるような感情の激流とでも言うべき波が彼の思考を飲み込み始める。

あいつに、あのピカチュウに何処かであった気がする・・クソッ思い出せねえ!

俺には過去の記憶がない。長期間に及ぶ記憶が欠落している。それを取り戻す旅でもあるんだ。

旅して各地を回っていろんな奴とバトルして、記憶に刺激を加えて、過去を取り戻す。昔を知る、それが俺の大きな願望。

あの無表情のピカチュウを見ると、感情の波が頭全体に広がるんだ・・この感覚は、過去の事を思い出そうとした時に心が痛む――何も思い出せていねぇのに、体が過去の記憶を排除しようとしているような―あの感じによく似ている・・。

まさか・・アイツと俺は過去に面識があるのか?それでこんな気分になってんのか・・?
分からなねぇ。思い出せない、全く何も!

だが、もしこの感覚がホンモノなら――あいつは俺の過去を知ってるかもしれねぇ。

「・・おい、イグニス。あのピカチュウも居候か?」

バトルフィールドを跨いで観客席に戻ろうとしていたイグニスに、俺は思い切って尋ねみる。

「あのピカチュウって、うちには居候のソウル以外炎タイプしかいねーぞ?」

「でもいるじゃねぇのあそこに。ほら」

ライトの指差す先を目を細め見つめるイグニス。

最初怪訝そうだった顔が次第に、驚きに満ちたものに変わっていくのが肩越しにも分かる。

それもそのはずだ。あいつの言葉が本当なら、ここにいるはずのないポケモンなのだから。

「マジかよ、どこから入り込んだんだあのピカチュウ」

どうやらイグニスにも見覚えが無い顔のようだ。ジムの挑戦者でも、関係者でもない。全くのよそ者らしい。

なら・・俺の思い過ごしかもしれねぇが、万が一ってこともあるしな。挨拶ぐらいしに行くか。

会えばあちらさんと俺が面識があるのか分かる。過去に会った事があるのかどうかが。――俺の過去を知っているのかどうか、確かめなきゃ気が済まねぇ。

「ん?どうした?連れのバトル観ねぇのか?」

いそいそとフィールドの外に歩みを進めだすライトに、イグニスが一声かけた。

「いや、少し用事が出来たんでな」

そう告げるとライトはバトルフィールドの外回りを歩き、丁度フィールドの中央にあるゲートを潜る。ここの階段を上がれば、観客席に行けるわけだ。

アクアのバトルは観客席で拝見させてもらうとして、まぁアイツには悪いが・・わずかな可能性にかけさせてもらうぜ。

バトルフィールドの待機場所から見て反対側にあのリオル―ソウルって呼ばれてた奴だな、と例のピカチュウが座っていた。つまり、階段の上にあいつ等がいるって事だ。

長い階段を抜けると、目の前には大勢のポケモンが熱狂している姿が飛び込んで来た。

炎専門のジムだけあって観客席の全席に座っているのは炎タイプばかりだ。

「すげぇ熱気だな・・暑苦しい」

ついつい本音が出てしまう程、スタンドは白熱していた。炎タイプが寄り集まって炎を噴きながら観戦しているのだから、仕方のない事だろう。

・・いた、一番奥の席だ。

リオルの横でコップを両手で持ち微動だにしないピカチュウ。その姿を間近で見た瞬間、ライトの心臓の鼓動が強まる。

やっぱり、この感覚は思い違いじゃねぇ。体全体が反応してやがる。何かあるんだな。

緊張しながらもライトはピカチュウ達に近寄る。

一歩、また一歩。どう喋りかけて接触を図るか、色々思案し、彼の脳裏にあるアイデアが浮かぶ。

ごく自然に話しかけ会話に持っていく話題だ。ズバリ、自分の試合についてのネタならばいきなり話しかけても不自然には思われないだろう。

何よりも彼らはこのジムでは明らかに異質の存在。そして自分もチャレンジャーという名のよそ者。

そこの共通点を突けば会話も弾ませる事ができるし、何より怪しまれずに親しく話せる可能性も高い。

脳内で展開される完璧な流れにライトは思わず笑みを零す。

その第一ステップ「君達もチャレンジャー?」といった、相手に自発的な答えを促す質問をかけようと、ライトが口を開いたその瞬間。

「ボクらに何か用?」

既に接近に感づいていたらしいリオルが先手を取り、質問を投げかけてきたではないか。

その怪訝そうな表情に、ライトは内心焦りながらも慌てて答える。

「いや、俺はその・・あ、怪しいもんじゃなくて」

しまった・・俺から話しかけて会話の主導権を握るつもりだったのに・・。

しどろもどろな態度に益々眉間の皺を増やすリオル。やばい、身構え始めてる。何とかしねぇと、折角のチャンスが・・。

「お、お前らもこのジムのチャレンジャーなんだろ?折角だから余所者同士親睦を深められれば、なんて思ってさ」

ライトは何とかして台詞をひねり出した。

勿論、このリオル達がジム挑戦者でない事ぐらいライトも知っている。

だがここは敢えて事実を誤認しているふりをして質問をかけ、相手側からのレスポンスを引き出し会話を繋ぐ――これがライトの狙いだ。

しかし、どうやらこのリオルは一筋縄ではいかないらしく

「本心じゃないでしょ、それ」

「・・ぇ」

一発で嘘を見抜くその慧眼に、思わずライトはたじろいでしまう。

「な、何言ってんだよ。俺は本当に――」

「ボクの“波動”の力は他者の感情を読み取れる。嘘をついていれば一発で分かるさ」

そうか、確か波紋ポケモンのリオルは“波動”を読む力があるって父ちゃんが言ってたな・・。

まさか一発で見抜かれるとは思わなかったけど、こうなっちまった以上仕方ねぇ――腹を割って話すか。

「――俺はライト、イカズチ・ライトってんだ。実は、そっちのピカチュウに用があるんだが・・」

「彼に?」

リオルの視線が、先ほどからのやり取りに全く動じず、人形のように動かないピカチュウへと注がれる。

コップを持ったままスタジアムを無言のままに凝視し続けていたピカチュウは、話の流れが自分に向いたからか、首だけ動かしライトに顔を向けた。

なんだ、こいつ。

眼に全く生気がない。まるでガラス玉みてぇだ。

「私に何か御用ですか?」

見る限り歳は自分の同年代に見える。

だが、彼から発せられた声は男性とも女性ともつかない、かと言って中性的ともいえない、無機質なものだった。

・・・本当に俺とコイツは過去に接点あるのか?この反応の素っ気なさもアレだが、何よりこんな何考えてるか分かんねぇ奴と知り合いだったとか、我ながら信じられねえぜ・・。

だが、ライトは頭を振り思考を振り払う。体が、心が、直感があの時確かに俺を突き動かしたんだ。ここまで来たら引き下がるわけにはいかないよな。

「いや、どこかで会ったことあるんじゃないかなって気になってよ」

『記憶喪失』の事はここで告げるには少し急ぎ足だと感じ、黙っておくことにした。例のリオルは怪訝そうな表情を崩さないが、このピカチュウはどうだろう。心を開いてくれるだろうか。

しばらく瞬きすらせずこちらをじっと見つめていたが、緩慢な動きでピカチュウは視線を下げ口を開く。

「判断が付きかねます」

「は?」

思わぬ答えに素っ頓狂な声を上げてしまうライト。YESかNoではなく、「判断できない」と言われるとは思ってもみなかったからだ。

まさか、このピカチュウも――

「・・悪いけど、彼、記憶喪失みたいなんだ」

リオルに横から出された助け船はライトに衝撃を与えた。

こんな偶然ってあるか?俺の目についたピカチュウが、俺と同じ記憶喪失だなんて話が。
と、同時にその事実は彼の疑念を確信へと変えるには十分な力を持っていた。


「奇遇だな。俺も記憶喪失なんだよ。・・ただ、一目見て、君とは何処かで会った気がしてさ――話せば何か俺の過去が分かるんじゃないかって、そう思ったんだ」

取り繕いも嘘もない、正直な心情の吐露にリオルは驚いた表情でライトとそのピカチュウを交互に見る。

「君・・名前、覚えてるか?」

“ピカチュウ”という種族名で呼ぶのは気が引けるし(人間達の中には種族名で呼ぶ者も多いそうだが、これから親しくなろうとする者に対してその扱いはあまりに寂しいだろう)、何より親しみを持つ意味でも名前ぐらい聞いておきたい。

特に難しい質問を投げかけたわけではないのだが、再びピカチュウは凍りついてしまった。
長考すること30秒後、ようやくピカチュウが口を開く。

「私自身を指し示す名称はありません。少なくとも私の記憶領域内には」

そうか、名前も憶えてないか。

自分の名前すら忘却してしまっているとは、他人事ながらライトは同情の念を隠せない。
黙り込んでしまったピカチュウを励まそうとライトが言葉を探していると、ふとあるものが目に留まる。

彼の右肩に何か文字が彫られているのに気が付いたのだ。

「おい、それ」

黄色い毛の下に確かに、小さな刺青が彫られている。

人間語に明るくないライトでも知っている、ある数字が。

No.20

そう、ピカチュウの方に刻まれている刺青には人間界で使われている記号が彫りこまれていた。

「この記号、たしか“にじゅう”って読むんだよ、な・・?」

自分のあやふやな知識に自信がないのかその言葉尻は明らかに揺らいでいる。

この刺青、まさかコイツの名前って事はないよな?

数字が名前?ありえるのか、そんなこと。

「“にじゅう”よりも“トゥエンティ”の方がカッコがつくんじゃない?」

「とぅえんてぃ、ってのは・・なんだ?」

理解が遅いライトに横で座っているリオルが明らかに難色を示す。少々、小馬鹿にしているような表情だ。

「人間の言葉で“にじゅう”の別表記さ。ていうか、それぐらい分からないの?」

その失礼な態度に少々むかっ腹が立ったものの、この年少のリオル――大体歳は自分と同じか、少し下ぐらいか――の素の性格なのだと思い、ぐっと堪えることにする。疑り深く生意気だが、嘘はつかなさそうだ。

だが、流石に言われっぱなしは癪に障るので一つ言い返してやることに決めた。

「初対面の俺に名前も名乗らねぇような奴に言われたくねぇな」

「・・ボクはソウル。ミコト・ソウルさ。・・よろしく」

ぶすっとした表情のまま素っ気なく自己紹介を終えるリオルのソウル。全く可愛げがない。第一印象は最悪だ。
先ほどから暑苦しくも感じが良いポケモン達とばかり接してきたからかどうか知らないが、それらとの対比も合わさり先程からのソウルの無愛想ぶりにはライトの忍耐力もどんどん目減りしていく。

軽くため息をついたその時、突然ひんやりとした感触が頬の電気袋の辺りに触れた。

「ふぁ・・!?」

ピカチュウという種族の都合上、最も敏感な部分を不意を突かれて触られ思わず奇声が漏れ飛び上がってしまう。

「な、ななな何すんだ!?いきなり!」

予想外の行動にバクバクと暴走する心臓を宥めながら、ライトは奇怪な行動の主に噛みつくような語気で怒鳴った。

だが、当の本人は全く気にしていないようで、じっとこちらを見つめ視線を外さない。

「成程、両頬の左右に備わっている細胞器官から電圧を生じさせ電撃を放っているわけですか」

口を開き訳の分からない事を言い放ったかと思えば、脳が思考停止状態に陥るライトに構わず体中をその冷たい掌でぺたぺたと触りだす。

その行動に同席していたソウルも目を丸くしている。

耳や頬、腹部と掌が下降してきた辺りで我に返ったライトが慌てて手を振り払う。

頬を若干赤く染め、狼狽した様子のライトにソウルは吹き出しそうになってしまい、口元に手を当て俯いた。肩を震わせ笑いを堪えている。

「ちょ、お前初対面でこの距離感とかありえねーし!つーかどこ触ってんだ!」

「――君はとても興味深い能力を持っていますね。頬の発生器官のみならず、両掌からもやや発電量が劣るものの強力な電撃を放つことが出来るわけですか」

ライトの迷惑この上ないといった表情を気にも留めず、見た目からは想像もつかないほどの馬鹿力で腕を掴み体を引き寄せ肉薄してきた。

この非常識なピカチュウの吐息が頬にかかりくすぐったく感じる、と同時に息も体全体もひんやりとしていて、ライトは驚きを隠せない

同種族で同年代の、しかも同性に密着されているにも関わらずまるで人形か何かに触れているような感覚だ。

そして同時に、このピカチュウといるとどこか懐かしさを覚える。単に性別や種族や年齢が一致しているというだけでは説明しきれない。何かもっと別の気持ちをライトは心の底で感じていた。

ぐいっと纏わりつくピカチュウを押しのけ、両肩に手を置き観客席に戻す。案外素直にすとんと座ってくれた。
ライトも反対側の席に腰掛けピカチュウと向き合う。

「えっとだな、まぁ俺の事はライトって呼んでくれて構わないからさ。・・・俺は君を何て呼べばいい?」

「――現在私自身に関する情報は非常に限られています。君達が私の肩のナンバリングで私を呼称することを望むのであればどうぞお好きになさってください」

そう言われてもなぁ。・・数字が名前ってのはちょっとアレな気がしないでもないが・・こいつの名前、というか記憶が不明な以上それしか情報が無いわけで・・。

「分かった。じゃあやっぱトゥエンティ、でどうだ」

「了解しました」

相変わらずの無表情のまま承諾してくれた。

「じゃこれからよろしくな、トゥエンティ」

握手を求めて右手を差し出すと、謎のピカチュウ――トゥエンティも沈黙を保ったまま握手に応じた。

無愛想なリオル、ソウルと非常識なピカチュウのトゥエンティ。個性的な2匹と何とかライトが親交を少しだけ深めることに成功したのとちょうど同じころ、親友アクアのバトルが始まろうとしていた――


















アブソル ( 2013/10/15(火) 21:53 )