第四話 到着『フレイムジム』
二つの山を抜けた俺達の目の前には、今まで見た事も無い景色が広がっていた。
炎を模した紋章を門に堂々と掲げ、コンクリートで構築された建築物には一定間隔で深紅の垂れ幕が飾られている。
「間違いない・・ここが、『フレイムジム』だ」
炎タイプが集い、その熱き闘志を燃え滾らせチャレンジャーを出迎える。8つのジムの内の一つだ。
「・・こんな立派な建物だとは思わなかったよ」
アクアは感心したように呟くと、ジムの門に近寄りそっと触れる。
「人間から技術を学んだポケモンが作ったようだね。ここでもポケモンと人の交流の跡が見られる。喜ばしい事だよ」
「まぁ、仲良くする事に越したことはねぇよな。人間達とも」
『フレイムジム』は2つの山を抜けた先の小さな丘の頂上に建てられている。
ポケモン達の宿泊施設も隣接されていて、俺達が今いるのはジム施設の正門。
目の前にはバトルフィールド。その奥には『フレイムジム』本部が垂れ幕に彩られている。
人間達が子供時代に通う“学校”みたいなもんだな。
写真でしか見た事ねぇけど・・そっくりだ。
その丘から少し離れた場所には人間達の街が広がっている。
俺はめったに山から下りた事が無いから、正直ジムよりも人間の住処に度肝を抜かれたな。
ずっげぇ広いんだもんよ。なんかゴミゴミしてる気がしないでもねぇけど。
後、コンクリで出来た棒から張り巡らせてる線・・ありゃなんだ?
あんなに一杯街中張り巡らせて、気にならねえのかな・・。
夜空を見上げる時に視界の邪魔になるんじゃねぇの、あれ。
「ライト、何してるのさ?」
俺の背後からアクアが声をかけてくる。
「いや、何でもない。さ、行こうぜ」
ライト達は『フレイムジム』正門を潜り、ジム施設の中に入っていった。
広いバトルフィールドを一直線に突っ切り、正面玄関へと赴く。
入り口はライト達が思ったより巨大だった。ぽかんと上を見上げるライト。
「随分デカいな・・この入口」
「それはな、巨大がポケモンも挑戦しに来た時つっかえないよう、入り口は大きめに作ってあるんだよ」
突然声がした。驚いて振り返ると、そこには一匹のポケモンが居た。
オレンジ色の体に青い瞳。尻尾には小さな炎。
“ヒトカゲ”と呼ばれる種族のポケモンである。
「君は・・このジムの関係者なの?」
アクアの問いにそのヒトカゲはへへっと笑う。
「まぁな。オレは『フレイムジム』のジムメンバー、イグニスだ。よろしくな、チャレンジャー」
成程確かに、よく見れば彼の右手首には『フレイムジム』の紋章入りのブレスレットが巻かれている。
燃えたぎる炎を模した紋章をはめ込んだ銀のブレスレット。
恐らくこのジム構成員の証なのだろうが、その男心をくすぐるデザインに思わずライトは見惚れてしまう。
いいなぁ・・このジムは構成員になったらあれが配られるのか。
うちの『ライトニングジム』はジムメンバーになってもこんな洒落たものは配られない。
どちらかというと“質実剛健”。“絆があれば装飾はいらない”がモットーだからなぁ・・。
自分が『ライトニングジム』を継いだ暁には・・・――実際に継ぐかどうかは別として――雷のシンボルのブレスレットを是非採用しようとライトは密かに心に決めた。
“イグニス”と名乗ったヒトカゲが握手を求めてきたので、ライトとアクアは交互に応じる。
「俺はライト。見ての通りのピカチュウだ。よろしくな」
「僕はアクア。ゼニガメのアクア。此方こそよろしくね」
握手を交わした後、イグニスに導かれるまま『フレイムジム』内へと進んだライト達。
ジム内は熱気と闘気に溢れた場所だった。
炎タイプのポケモン達が集い、皆各々修行に励んでいる。
ジムの個性――どのタイプのどんなポケモン達が集っているかで変わってくるのだが――を何となく予想できていたライトにとっては驚くべき光景では無かった。
しかし横でぽかんと口を開けている親友にとってはそうではないらしい。
「随分と・・暑苦し、いや活気に溢れた場所だね」
よく見ると全員が紋章入りブレスレットをしているのが分かる。
ジム構成員の証なんだろうけど、何かブレスレットの色が違うような・・。
「イグニス、もしかしてジム構成員のつけてるブレスレットってランクを現してるのか?」
気になったライトはイグニスに尋ねてみる。
「お、よく分かったな。そうだ。この『炎の紋章』はジムメンバーの証明であると同時に、ブレスレットの金属で強さのランクが割り振られているんだ」
イグニスは右手からブレスレットを外すと振って見せる。
「銅製、銀製、金製の順番で強さのランクが上がっていく。オレがつけてるのは銀製の紋章。つまり、オレはこのジムでシルバーランク・メンバーに割り振られているって事だ」
しかも、とイグニスは声を潜めた。
「ここだけの話。シルバーランクじゃオレが最年少なんだぜ・・・」
会って間もないライト達に自慢してくる所を見ると、どうにも自慢するタイミングを見計らっていたらしい。
「いやぁ、この紋章を得るまでの道のりは大変でよぉ。そもそもオレがこのジムに来たのは――」
適当に相槌を打ちつつ自慢話を聞き流していると、視界の端に青いものが映った。
修行に打ち込むポケモン達の間からこちらを覗くように見ているポケモン。
青と黒のコントラストに赤い瞳。波導を読むポケモン、リオルだ。
あいつもこのジムのメンバーなのかな・・・?
しかしここは炎タイプ専門のジム。格闘タイプのリオルはお門違いだろう。
それとも挑戦者か?いや、それにしては何か違和感が・・・。
リオルはじっとこちらを見つめていたが、ふっと扉の向こうに消えてしまった。
「――って事でオレはシルバーランクに見事!最年少で入れたって訳だ!」
どやっと胸を張るイグニス。
彼の脳内予想では次の瞬間、ライト達からの賛美の声が上がる事が決まっているのだろう。
しかし賛美が上がる事は無く、代わりにイグニスに与えられたのは「やっと下らない自慢話が終わったか」感を前面に出した表情のアクアと、そもそも他の事に注意を向けていて彼の話など一語たりとも聞いていなかったライトの両名だった。
イグニスの全身から放たれる“賛美要求オーラ”を無視してライトは彼に尋ねる。
「そういえばさっきこっちを見てたリオルは誰だ?チャレンジャーでも無さそうなんだけどよ・・」
自分の話とそれに見合った言外の要求を完全に無視されたイグニスはムッとしたようではあるが、ジムメンバーとして出来る限りの質問に答える事は義務である為、渋々と言った風に答えた。
「ん?・・あぁそのリオルならオレの友達さ。訳あって『フレイムジム』の宿で暮らしてる。ま、居候みたいなもんだな」
ふーん。成程な。居候ね・・・。
先程のリオルのあの眼光。単なる“居候”じゃなさそうだけどな・・俺の思い過ごしか?
「ま、世間話はこれぐらいにして、そろそろ本題と行こうじゃねぇの」
一体誰がここまで世間話をして来たのかと言えば、間違いなくイグニスなのだが、彼はそういう細かいことに拘らない主義のようだ。
ストレス溜まらないだろうなぁ・・こういう奴は。
ライトの心の中で下される不名誉な評価を知る由も無く、イグニスは続ける。
「『フレイムジム』へようこそ。ここは炎と闘志が息づくジム。見ての通り炎タイプが己の実力を高め、チャレンジャーと戦い、高みを目指す場所だ。シルバーランク、イグニスはお前らの挑戦を歓迎する」
気が付けば先ほどまで訓練をしていたポケモン達が一斉に此方を見ている。
イグニスの発言力の高さが伺える。
長ったらしい自慢話にはどうやらそれに見合う“裏付け”があるらしい。
「さてとチャレンジャーライト、アクア。お前らがここで勝ち抜く事が出来たら、その証として『炎の紋章(フレイムクレスト)』が授与される・・・勝ち抜きが出来たらの話だけどな」
「それで、その紋章を受け取るにはどうすればいいわけ?」
「何、簡単な事さ。シルバーランクのジムメンバーに勝って、そしてゴールドランク――うちのジムリーダー、ヒートさんを倒せればOKだ」
あ、言い忘れてたけどとイグニスは続ける。
「銅製のブレスレットを付けてる奴、コッパーランクは見習いだからチャレンジャーの相手に入れないからそのつもりでな」
・・成程ここにいる大半は見習いメンバーって事か。
「じゃ、バトルフィールドに行こうぜ」
****
あのピカチュウ達はただのチャレンジャーか・・・。
イグニスがここに“妙な連中”が現れたって言うから来てみたけど期待外れだな。
先程ライトが目にしたリオルは『フレイムジム』の裏口から外へと抜け出していた。
そのリオル――ソウルは悔しげに舌打ちをする。
彼の友イグニスの情報が真実であれ、風の噂であれそれを確認するには遅すぎる。
いや、“ガセ”ではないだろう。人間達の街でも『黙示録の仔羊』と名乗る不審な団体が活動していると聞く。
来ていたのだ・・本当に。
「クソッ!!」
悔しさのあまりソウルは拳を地面にぶつける。
・・・後少しで、もう少しで奴らの足取りを掴めるかもしれなかったのに・・!
今こそこそ動き回ってる連中は問題じゃない。
問題は、そう・・その“背後”に潜む者達。
ソウルにとって・・・いや、いずれポケモン種族全員にその忌むべき名を刻む事になるであろう存在。
「絶対に見つけてやる・・『ガーデン・オブ・エデン』・・!」
「Garden of Eden―a beautiful garden where Adam and Eve were placed at the Creation.つまり、アダムとイヴがいたとされる美しい庭園の事ですが、発見する対象としては些か不適格ではないでしょうか?」
突然発せられた言葉に驚いて、ソウルは顔を上げる。
そこには先程のピカチュウが――いや、違う。
似てはいるが別の個体だ。・・驚くほどそっくりだが。
年齢は、17歳前後と言った所か。尻尾の形状から見て雄だ。
「勿論、所謂天国と比喩される場所を指してGarden of Edenと発言していたのであればその限りではありませんが」
大人になる手前の血気盛んな年頃からかけ離れた声――中性的な、まだ性が確立されていない子供の声と言えば一番近いか――に普通は驚くだろうが、ソウルは別に驚いていた。
・・なんでこのピカチュウが近づいたのに気づけなかったんだ・・・?
通常全ての生命体は“波導”と呼ばれる波を発している。
波導を感知する事はソウル達リオル、そしてその進化系のルカリオや他の特殊な訓練を積んだ者達の特権であるが、この生きるレーダーとも言うべき機能は実に優秀で、3キロ先の波導でさえもはっきりと探知できるのだ。
意識を集中すればその波導の主が見ている光景を頭の中に描き出す事も出来るし、その気になば波導を一点に集中させ技としても転用する事が可能だ。
その機能が、無意識の内に働く波導の感知能力がこのピカチュウの存在を捉えられなかったのだ・・・!
このピカチュウ・・波導を隠せるのか、いやそれとも・・・
困惑するソウルに対し、ピカチュウは屈み込み彼と視線を合わせた。
「目標を持つのは良いことです。その目標が社会規範に沿うものであれば、私はあなたがそれを達成する為に努力することを推奨します」
全く波導を放っていないこのピカチュウは、その存在だけで一般常識からかけ離れているがさらにその話し方が乖離に拍車をかけている。
「いや、今のは何でもないよ」
ソウルは立ち上がると改めて妙なピカチュウをまじまじと見つめた。
・・やっぱり波導が感じられない。
「ボクはソウル。ここ『フレイムジム』の、言うなれば居候さ。それで、君はこのジムにチャレンジしに来たんだよね・・・?それならここは裏口だから、回って正面の正門から入らないと。案内しようか?」
チャレンジャーという事にしておきたかった。少し変わっていると言うだけで、ただの挑戦者だと。
しばしのそのピカチュウは微動だにせず沈黙を守っていた。
“微動だにせず”、と言う表現は誇張でもなんでもない。
まるで電源が切れた人形のように表情一つ変えないのだ。
「――分かりません」
まるまる1分かかってそのピカチュウが発した答えにソウルは目を丸くする。
・・分かりません?どういう事?
何が分からないのか。もしかしたらここが『フレイムジム』だって知らずに立ち寄っただけって事かな・・?
「私には自身の名称、経歴、現在までの行動に関する記憶がありません。今私が居る場所の情報も皆無です」
「・・・記憶喪失か」
もしかして彼もまた奴らに襲われたのかも・・そしてショックで記憶を失ったとも考えられるね。
「もしかして、気が付いたらここに居た、とか?」
こくり、と頷く。
ハァとため息を付くとソウルは棒立ちしているピカチュウの手を握る。
随分と冷たい手だな。
17歳前後の――生命活動活発な年齢の手とは思えない程ひんやりとしている。まるで死体を触っているようだ。
「ここのジムリーダー、ヒートさんは君の様なポケモン達を快く迎えてくれる人だから、取り合えずジムに入った方が良い。どうせ行く当てなんて覚えてないだろ?」
まぁボクも同じようなものなんだけれどね。
「この場所は安全なのでしょうか?」
「まあね。少なくとも外よりは安全さ」
まだ“妙な連中”とやらがここらでうろついてるかもしれない。
記憶を失って右も左も分からないこのピカチュウをこのまま放置しておくのは流石にまずいし、ここはこのジムで彼を保護してもらうべきだ。
ソウルはピカチュウを引っ張り『フレイムジム』へと導いたのだった――