第一章 『胎動』編
第三話 疑念
実の所、俺達は旅と言うものを甘く見ていたんだな。

俺達が目指している『フレイムジム』は俺んちから山を二つ超えた先の山中にあるって事は分かっちゃいたんだが、問題はその山と山の間の距離を見落としていた所にあった訳だ・・。

「ライトぉ〜そろそろ休もうよ・・」

足に乳酸が溜まって怠くなっていた所に後ろからアクアが情けない声を上げる。

「そうだな。昼飯にするか」

流石に山二つ越えは辛いな・・。大型ポケモンか飛行タイプなら山越えは楽なはずだが、生憎俺達は種ポケモン。

・・俺は野宿には慣れてるけど、アクアはそうじゃない。

元々インドア万歳派だからな・・こう歩き続けるのは体に堪えるだろうな。

俺は鞄から木の実を取り出すとアクアに投げる。

受け取って間髪入れずに齧り付く親友を横目にライトもモモンの実を頬張り始めた。

「『フレイムジム』まで後少しだ、頑張ろうぜ。アクア」

足を手で揉み解しながら俺が話しかけると、しばし黙って食事に専念していたアクアが急に口を開いた。

「そういえばさ・・旅に出かける前の話、覚えてる?」

「ん?あぁ、確か妙な宗教団体が出没してるっていうアレか」

正直この話題を振られるまで忘れていたライトであったが、アクアが自分のショルダーから一枚の紙を取り出した。

「何だよ、これ」

「人間が社会の変動や事件を纏めて発行している“新聞”と呼ばれる情報源だよ」

「へぇ・・アクア、お前山にずっといたのによくこんなもん手に入れられたな」

シンブン、か。聞いたことはあるけど実際に見たのは初めてだ。

「僕達ポケモンの村にも新聞は届いてるんだよ。ペラップの配達員さんが5刊限定で毎日無料で配布してくれているんだ」

「マジか・・。全然知らなかった」

俺は少しショックを受けていた。

自分の村の事で人間界の新聞が配られていたってのになぁ・・。

「ま、今どきのポケモンは人間社会の動向ぐらい知っておかないとね。常識として」

あ、今なんかムカッと来たぞ。

面白くなさそうに顔を顰めるライトを無視してアクアは話を続ける。

「それで、この今朝の朝刊にこんな記事が載っていてさ。気になったんだ」

示された記事は何やら騒動を示すもののようだった。

と言ってもライトは人の文字を読むことは不得意なのだが・・。

「如何やら最近、新興宗教の団体がポケモンジムで抗議活動を行っているらしいんだ。“人とポケモンは交わるべからず”ってね。妙な仮面を被って、座り込みや投石の嫌がらせをしているみたいだよ」

「妙な仮面、か。俺達の森で活動してるって奴らと関係があったりしてな」

水筒からコップに水を注ぎ乾いた喉を潤す。

食事の肴としてはこの手の妖しげな話題はなかなかいいものだ。

疑惑から創造力が掻き立てられるのをひしひしと感じる。

そんなライトの意見にアクアも軽く頷いた。

「この抗議活動は人間界のポケモンジムに向けられているようだし、僕達の森で怪しげな活動を行っている存在と関わりがあるとは僕は最初は思わなかったんだけど・・やっぱり気になるワードはこの「仮面」だよ」


アクアの指の先には白黒の荒い印刷で仮面を被った人間達の集団が映し出されていた。

鼻の右側に3列、左側に4列の合計7つの目を持つ羊の「仮面」。

人間の文化についての俺の知識なんてもんはそりゃ貧相極まりないが、そんな俺でも一目で分かるほどこいつらの雰囲気は異様なんだ。

「・・こんな不気味な仮面被って抗議とか頭おかしいんじゃねぇか、こいつ等」

「僕もほぼその意見に同意なんだけどね・・。この「仮面」には恐らく意味が込められているんだ」

「意味?」

ピクリ、とライトの耳が動く。

その何とも言えない微妙な反応に我が意を得たり、とアクアは得々と語りだし始めた。

「そうさ。この7つの目を持つ仔羊の仮面。恐らくこれは「ヨハネの黙示録」に記されている羊を象徴しているんだと思うんだ」

あ、なんつった今。

ヨネハ・・いや、ヨハネか。

何なんだその妙な言葉は・・いや、それよりもこいつなんかムカつく顔してやがるぜ・・。

ずっと人間界から離れた山にこもっていて会う友人と言えばライトだけだった彼にとって、ずっとため込んできたであろう雑学を語るのは快感なのだろう。顔がにやけている。

知識を披露するのが嬉しくて堪らない様子のアクアに若干の苛立ちを覚えつつ、ライトは率直に思ったことを口にした。

「そのヨハネって食えるのか?」

そんなライトの愚かな質問に、アクアは笑うでも呆れるでもなく、ただ口の端を微かに歪めるだけだった。

「・・違うよ、ライト。ヨハネって言うのはキリストの弟子の一人。「使徒」じゃないか」

その言葉より、しばし沈黙が下りる。

10秒の間を開けてようやく理解したのかライトはポンと手を叩く。

「ん、ああ。キリストってあのデカい規模の宗教か」

「えっとね。まぁ理解の仕方は間違ってないけどさ」

アクアは友人の脳筋ぶりを心の底で密かに軽蔑しつつ、軽い笑みを浮かべた。

例えるならば出来の悪い生徒に先生が笑いかけるときの様な表情と言えば分かりやすいだろう。

「つまり大雑把に言うと「キリスト教」の始祖がイエス・キリスト。その弟子の一人がヨハネ、使徒ヨハネだよ。で、その人が記したとされるのが「ヨハネの黙示録」。ここまでは理解してくれたかな?」

「ああ。・・一応な」

流石のライトもここまでは理解できている。

勿論、既に脳のキャパシティの5割近くを消費している事実はそっと胸の奥に閉まっておく必要はありそうだが。


「それで、そのヨハネって人が書いた“黙示録”の中の登場する神秘的な霊能を神から与えられた者の象徴・・それが“7つ目の仔羊”なんだ。同書の第5章6節「子羊には7つの角と、7つの目があった。この7つの目には、全地に遣わされている神の7つの霊である」とあるし、続く12節では「天使たちは大声でこう言った。屠られた子羊は、神の力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、賛美を受けるのにふさわしい方である」って書かれているし・・つまり“7つ目の仔羊”っていうのは『神様から力を授かった、特別な存在』って纏められるかな」

「・・つーことはだな」

俺は新聞の写真に再び目を向ける。

正直今のアクアの話はよく分からない部分が多かった。特にその黙示録とやらからの引用部分なんかチンプンカンプンだ。

でもよ。一つだけ俺にも分かった事がある。

「その黙示録に出てくる羊の仮面を被って奴ら・・自分達がカミサマに選ばれた特別な人間だと主張しているって訳か・・・」

「どうやらそうみたいだね」

――この連中が相当ヤバいってことだ。

黙り込むライトにアクアはハァ、とため息を付き話を続ける、

「実際彼らの団体名はLamb of the Apocalypse、『黙示録の仔羊』だし」

「黙示録の仔羊ねぇ」


神に選ばれた霊能者、特別な存在・・。ポケモン界にも人間界にも自分を特別視したがる奴らはいるけど、あまりと言えばあまりに露骨だよなぁ。

俺はモモンの実を齧りながら鞄から地図を取り出して地面に広げる。頭のおかしい奴らの事なんて、今の俺にはどうでもいいんだ。

俺の目標は強くなること。そして記憶を取り戻す事。その為の旅だし、ジム巡りなんだからな。

ここは丁度中間地点って所だな。後もうちょいで『フレイムジム』に着けるな・・アクアがこの距離を持つかどうか不安だが・・大丈夫だろ。

「そろそろいくぞアクア」

俺は尻についた土を手で払うと地図をバッグに突っ込む。

「え〜・・」

不服そうに頬を膨らます親友の腕を掴み、ライトは黙って立たせる。

「心配すんな。ジム施設にはチャレンジャー用の宿もある。中にはジムを突破できるまでずっとそこで暮らしてる奴もいるんだぜ?特に『フレイムジム』は最初にジムに挑戦する新米が挑む難問だ。ジムリーダー達に勝てるまでそこで修行してるやつも一杯いるってことは、宿泊施設は充実してるって事の裏返しだ」

「・・よく知ってるね、ライト」

感心したような眼差しを向けるアクア。

「まぁ、俺ん家公認ジムだろ?だから他のジムの情報も自然と入ってくるんだ」

「成程、流石『ライトニングジム』の息子だ」

ま、実家がジムだと内々の情報も入手できるから便利っちゃ便利だな。

二匹は荷物を畳むと、歩き始めたのだった。




                          ****

ライト達が丁度『フレイムジム』を目指し再度歩みを進めつつあった同時刻。

ポケモンが“人間界”と呼ぶ街からほど近い海港に一隻のタンカーが停泊していた。

石油運搬用の巨船・・見えるだろう――何も知らない部外者が見れば確実に。

その甲板上にはその場に似つかない少女が一人佇んでいる。薄茶色の短く切ったショートヘアに、不揃いな瞳。所謂“オッドアイ”と呼ばれる特徴を有しているようだ。

赤い瞳と青い瞳の両眼が街の様子を見据えている。

「・・・綺麗な街・・」

彼女の瞳に映る街並みは極々平凡なものであったが、少なくともソフィアにとっては理想郷にも思えてならない。


目を閉じれは脳裏に浮かぶ嘗ての生活。

全てが人工物で囲まれ、清潔で効率的ではあるが何処か一抹の息苦しさがあった。

それよりは、自然を残しているこの街の方がどれだけ彼女の心を引き付けて来たか・・。
しかし彼女は知っている。自分達はこの調和を、ポケモンと人との引き裂こうとしているのだ。

「・・・・」

ソフィアは景色に背を向け、甲板上を歩き出した。

コツン、コツンと言う音を立て彼女は階段を下りる。

タンカーの内部は外の寂れた様子とはまるで違っていた。

船外の錆びついた雰囲気からは想像もできない程、船内は清潔感が溢れている。

視界に入るもの全てが人工物で、全てが計算されているその空間は過剰な清潔さを感じさせるのには十分だ。

嘗て彼女が暮らした世界もそうだった。

決して住み心地が悪かったわけではない。

寧ろ、望むものはほとんど全て手に入れる事が出来たし、何よりそこには“苦しみ”が極力排除されていた・・・“彼”がそのように“設計”したからだ。人の生活を。自分達の人生を。


・・だが、ソフィアは“彼”を責める気はないし、自分達にはその資格が無い事も知っている。

自分達が望んだことなのだ・・。



ゆっくりと船内を歩く。

生命の居る気配が感じられないのは、この巨船の中に“生き物”と呼べる存在が数得る程しかいないからだ。

タンカーの深層部へとソフィアは歩みを進める。

巨大船の心臓部とも言える機関室に入った。彼女の何倍の大きさを誇るディーゼルエンジンの横を通り過ぎると、機関室の奥に小型のハッチがあった。

そっとソフィアはしゃがみ込み、ハッチに手をかけ力いっぱいハンドルを回す。

ギィィと音を立てハッチが開く。そこから下に伸びる梯子を伝って、ソフィアは下へと下りて行った。

先程の清潔感とは一変し、下りた先の世界は例えるならばSF映画の一場面のようだった。
船底の細い廊下の両端には大量の処理装置が設置され、青い光をチカチカと点滅されている。


その光景は暗い廊下と組み合わさって、幻想的である。しかし、ソフィアはそこに“彼”の息遣いを感じるのだ。

いや、今まさにここに息づいているのだ。この場所、この船これ自体が彼自身とも言えるのだから。

淡いブルーライトが点滅する中、彼女は一本道の廊下を歩く。

「・・・・」

目的の場所に着いたようだ。甲板から下に下に降り、巨船の最深部。この船の“本当の心臓部”、“彼”が鎮座する場所だ。

扉には「Brain Room」の表記がある。どうやら、この船の頭脳部分に当たる場所のようだ。

その手前の扉に手を置き、グッと力を入れる。

ソフィアが入った部屋は、船の中とは思えない場所だ。

巨大な円形の部屋には壁を取り囲むように隙間なく埋められたコンピュータが青い光を点滅させている。


明滅する青の光は薄暗さと相まって夜空に光り輝く星々のようであったが、少なくともソフィアはそこに何の感動も見いだせない。

青い光の背後には感情の入る余地のない“思考”が駆け巡っている事を知っているからだ。

『Garden of Edenコンピュータシステム制御管理センター「Brain Room」へようこそ。ソフィア』


“声”の主にソフィアは沈黙を保って近づく。

円形の部屋の中央に鎮座する“声”の主は人でも、ポケモンでもない。

部屋の天井から床までを貫く補助コンピュータに支えられた、一つの“頭脳”。

モノアイを有した白いボディからは大量のコードが伸び、補助コンピュータに接続されている。

サイズは人の顔より少し大きい位であるが、このマシンが巨船の全システムを管理しているとは関係者でなければ、俄かに信じられないだろう。

勿論、この頭脳が行う高度な論理演算、思考を支える補助として廊下と管理室「Brain Room」にあるあの演算装置の数々が必要となってくる訳だが。

「ダアト、久しぶりね」


『Artificial Intelligence System-Daath Modelnumber-Twentyはあなたが10日と16時間35分20秒前にここに訪れた事を記憶しています。ソフィア、あなたが制御管理センターに訪れた理由を述べてください』

「・・何、別に大した用じゃないわよ」

含み笑いを湛え、ソフィアは静かに部屋の中を歩く。カメラ・アイが彼女を後を追うように軸ごと回転し、視点を自分に合わせている。嫌でも監視されている気分だ。

『それは説明になっていません。A.I.S-Daathの論理的会話の要綱から外れています。より簡単に言い換えれば、私はその答えに納得できないと言う事です』


「今は話せないわ。ごめんなさいね、ダアト」

ソフィアは少し申し訳なさそうな表情でダアトと呼ぶ巨大な―本体のサイズは小型だが、周囲の補助演算装置も含めれば“巨大”と形容できる―人工知能に謝る。


『私はあなたへ回答を請求する事は可能ですが、それを強制する事はA.I.S-Daathの可能権限リストには記載されていません。私の質問に答えたくないのであれば、回答を提示する必要はありません』

ダアト、この船の管理AIは無駄な事はしない。こちらが拒否の姿勢を見せればそれ以上の詮索は行ってこないのだ。

ここでソフィアが何かを思案している事を普通の人間なりポケモンなら察するだろうが、生憎人工頭脳は心の機微をくみ取る事は出来ない。AIの宿命と言える。

入り口から丁度反対側にあるソフィアが回る。

出入り口となるゲートからは見えないが、ダアトのメインコンピュータの裏側には入力基盤が設置されている。


『ガーデン・オブ・エデン』関係者がダアトにアクセスする為の操作装置だ。

勿論、このAIのシステムの根幹に関わる事であればアクセス拒否される――ともあれ、こちらからの干渉は非常に制限されてはいるが、全く手が出せない訳ではないのだ。

ソフィアは操作盤の前に立つと、キーボードを叩き始めた。

『A.I.S-Daathへのアクセスには指紋認証が必要です』

「分かっているわ」

操作盤の横にある指紋認証スキャナーに右の人差し指を押し当てる。光の線が指をなぞるように彼女の諮問をスキャンした。

『指紋を照合中・・・。登録済みの指紋と一致。アクセスを許可します』

アクセスを成功させたソフィアはそのまま操作を続ける。

「ダアト、あなた外の世界を知っている?」

キーボード上で指を滑らせながら、ソフィアは何気なく尋ねた。

『外部の状況は私も完全には把握出来ていません。Brain Roomから外部情報を全て入手することは不可能です』

「そうね。私も同じよ・・あなたと」

彼女の目はディスプレイから目を逸らさずにぽつり、ぽつりと呟く。

「籠の中で生きて来たわ。管理され、設計され、計算され尽した世界の中で・・。でも、それも今日で終わり」

ソフィアはそっとキーボードから手を離す。此方をずっと見続けているカメラ・アイに目を向け、静かに語りかけた。

「ダアト、“籠”から出て羽ばたく時が来たわよ・・」

青い光が点滅を繰り返す中、彼女は「Enter」キーを押すのだった――





アブソル ( 2012/10/28(日) 21:24 )