第十七話 過ぎたはずの過去
……そういやカタリナの姿が見えねぇな。
トゥエンティが奪った生命エネルギーの返却にジム中を回っている間、ライトは一人カタリナを探していた。
あの騒動のごたごたで彼女の姿を見失ってしまったのだ。カタリナには聞きたいことが山ほどあった。
ソウルとの関係、あるいは彼女の目的。なぜあれほどの敵意をソウルに向けられていたのか、ライトには見当もつかない事だった。
誰からか憎まれるような性格ではないはずだ。
彼女が発した『ガーデン・オブ・エデン』というワード。これも気になる。
その言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが確かに走ったのだ。
ソウルが殺意さえ向けるその名を、ライトの本能も確かに“知っている”と告げていた。
フラッシュバックした記憶と何か関係があるかもしれない。意識を向けただけで頭に激痛が走るような過去なのだろうが、それでもライトは取り戻したかった。
過去は単なる過ぎた事実ではない、それは自分の一部なのだ。失われた自分を探し求め、ライトはこの旅に出たのだ。
「くそ、どこにもいねぇじゃねえかよ」
思わず舌打ちをするライト。彼女をたどれば何か分かるかもしれないと思ったのだが…
「ライト!」
突然背後から声がする。親友の声だ。振り返ると、アクアが息を切らしてこちらに走ってくるのが見えた。
「アクア、無事だったのか!?」
「うん。僕はジムの中に避難していたから…」
どうやら遮蔽物が“
全方位吸収”の効果を軽減したらしい。
外にいた大勢のポケモン達が瀕死の状態にまでエネルギーを吸い取られたのと異なり、アクアは比較的大丈夫そうだった。
ほっとライトは胸をなでおろす。ソウルがトゥエンティの暴走を阻止したおかげで何とか事態が深刻なものにならずに済んだのだと。
だが、一歩間違えば笑い事では済まなかったのもまた事実。
トゥエンティが繰り出したあの未知なる力、通常のポケモンの技では絶対にありえない、タイプ分類さえ不可能な例の力とこれからどう向き合っていけばいいのか、その問いが重くライトの心にのしかかる。
これだけの事をしてしまったのだ。少なくとも『フレイムジム』にトゥエンティは居られないだろう。
ヒートさん当たりは気にしないかもしれないけどなぁ…流石に他のポケモン達が黙っちゃいないだろうし……
かといってこのまま放置も出来ない。それは危険すぎる。トゥエンティは語彙が豊富で知識もありそうではあるが、とんでもなく非常識だ。
基本的に自分の理屈でしか動かないし、利己主義とはまた違うものの、自己保存の為ならどんな強硬手段でも躊躇なく使う――今まさにそうしていたように。
放っておくなんでできねぇ。お互いの為にも、だ。
「どうしたもんかな…」
ジムでのバトルはライト達チャレンジャーサイドの敗北で、当然、ジム突破の紋章『フレイムクレスト』を獲得する事は叶わなかった。
トゥエンティは恐らくはイグニスに勝利したのだろうし(ジム中のポケモン達を巻き込んで)、形式上はジムリーダーでありクレストマスターであるヒートとの対戦が許可されるはずだが…
第一戦でダメージを負い、その後イグニスを庇い恐らくは体力を奪われた彼にジムリーダーとして戦える体力があるかどうか――
「おい、テメェ、何しやがる!?」
突如野太い声が響いた。振り返ると、全身に古傷を負い筋肉の鎧を纏っているバクフーン、ヒートが尻餅をつきながら後ずさっているではないか。
いつになく焦りを声に含ませ、じりじりと後退している。
(なんだ、これ)
ライトに圧倒し、凶悪な威力の『
雷神』さえ防ぎ、『
全方位吸収』の無差別攻撃から弟子を護り切った男を追い詰めるのは――トゥエンティだ。
やはりというべきか既に体力は限界に近いのだろう、反撃さえできずにいる。
最もヒートが追い詰められているのには理由がある。
トゥエンティがずんずんと無言のままヒートに肉薄しようと接近し続けているのだ。バトルには滅法強いが、こういう予想外の行為には全く耐性がないヒート。
一体なぜトゥエンティがこんな行為に走っているのか理解できぬまま、壁際まで追い詰められてしまった。
「テメェ、いったい何なんだよ!?俺とバトルしてぇのか…!?」
「違います」
即答。
バトルじゃないのか、じゃなかったらこんなに引っ付かれてる理由はいったい、もしかして俺に好意を…、いやでも、そんなの無理だ。俺には妻子が……と次第に頭の中が煮詰まってきているのが傍から見ても明らかだ。漫画なら湯気が出ている場面だろう。
「あなたから吸収した生命エネルギーの返却を行います。当作業は経口で行いますので、口を大きく開けてください」
ライトにしたのと同じ行為を迫るトゥエンティ。即ち、接吻。愛を確かめ合う二人が行う私的行為であるが、まぁキスぐらいヒートにだって経験はある。デフェールという息子をもうけているのだ。あって当然だろう。
だが、こんな無表情で迫られた事など彼でもないはずだ。押しのけようとしてはいるが力が入らない。当然だ、生命エネルギー吸収の大技を直に受けていたのだから。
「やめろ、俺はそんな趣味はッ!第一、口以外でも出来んだろうが!」
「経口以外の選択肢はあり得ません。何故なら、補給時のエネルギーの損失率が5%に軽減できる最も効率の良い方法であるからです」
止めろ、止めろと繰り返される悲痛な叫びが掻き消された時点で、ライト達は目をそむけた。
もごっもごごっと言葉にならない音が漏れている間、見れたものじゃない光景が広がっているわけで、そんな妙な空気の中、一人妙に冷静さを保っているポケモンが居た。
「……」
ソウルだ。
彼はずっとあることを考えていた。カタリナと名乗る、あのサーナイトの事について。
思い出したくもない忌まわしい記憶。血塗られた過去。全ての元凶である、あの組織……『ガーデン・オブ・エデン』。
確かに彼女はそう言った。何よりも、彼女の胸のペンダントがそれを証明している。
先程まで感じていた憎悪は鎮火し、冷静さを取り戻しつつあった頭に過るのはより恐ろしい事実。
(『ガーデン・オブ・エデン』の魔手が、ここにまで伸びている……!?)
ここはずっと安全だと思っていた。あの惨劇の後、ヒートに匿われてから、ソウルは全てを捨てたのだ。
故郷を、過去を、全てのしがらみを。
捨てることなど簡単だった。過去を共にした大切な者達は皆、殺されてしまったから。そんな忌むべき過去など捨てて、ここで新しい生活を営んでいく。家族や友人の思い出だけを胸に――そう決めたのだから。
だからソウルはこのジムと周囲の山々にしか、ここに来て以来、外出はしていない。消し損ねたミコト一族の生き残りが居ると知れれば、彼らはまた同じことを繰り返す。
今度は山ごと消す気だろうか?それとも―――
(やっと、やっと……穏やかに暮らせると思っていたのに………)
復讐しに行こうと思ったことは少なからずあった。だが、ヒートがその度に制止した。馬鹿な真似はよせと。
一番初めに止められたとき、ずいぶん酷いことを言ってしまったのを今でも覚えている。
確か5年前………そうあの事件の直後、ちょうど引き取られて三日目あたりの事だっただろう。連日の悪夢に耐え切れなくなり、ついにジムを飛び出そうと決心した。
どうでもよかった。
どうせ失うものなど何もないのだ。
適当に歩けばエデンが見つけてくれる。勝てなどしないだろうが、どうせ全てを失った絶望と共に生きていくぐらいなら、戦って散った方がまだマシーー制止したヒートに、そう告げると、彼は怒るでもなく、ただひたすら、いつもの屈強な戦士としての一面からは考えもつかない程…悲しそうにこちらを見つめた。
「そんなこと言うな」と彼は言ったと思う。ここからは正直記憶が曖昧だ。
ボクはありったけの罵倒と憎悪をヒートさんにぶつけた。彼はボクを匿ってくれている恩人だというのに。怒りで暴発してしまった技も避ける事も無く全て受け止めた。
泣きじゃくり、怒り、暴れ――そんなボクをずっとずっと黙ったままヒートさんは受け続けてくれた。安い同情の言葉なんて吐きもしなかった。そんな言葉よりも、体全体で受け止めてやる事が大事なのを、知っていたんだろう……
全てをぶつけ終えた後、我に返ると、そこには自分の怒りを全身に受けてもなお、仁王立ちの姿勢を崩さないヒートの姿があった。
今でも覚えている。全て受け止めた後、たった一言だけつぶやいたのだ。
「俺も同じだ」、と。
ボクは知らなかった。彼もまたエデンの毒牙にかかった被害者で、だからこそボクを引き取ってくれた――言い訳にもならないかもしれないが、もしあの時この事を知っていたら、あんな理不尽で無責任で、残酷な罵り言葉をボクが吐くことなんてなかったと思う。
この件をヒートさんは水に流してくれているが、ボクはそんな身勝手な自分を心から恥じた。そして、自分が生きる事が、ヒートさんの恩に報いる事だと、そう思って……ボクはこの5年間、山から下りたことは一度もない。
エデンに見つかればボクがここで築いた大切な絆も、ヒートさんの思いも、何よりも、ボクを護ってくれた両親や故郷の皆の祈りも、全てが水泡に帰してしまうから。
ここでの生活はとても快適で、炎ポケモン達も武骨で口の悪い奴が多いけど、根は優しくて、いつの間にか、過去の惨劇からも立ち直り始めて、いつしか……エデンの事も忘れ始めていたのだ。
もちろん、時々夢には出てくる。考えたくもない忌まわしい過去だ。だが、いつからか彼らの存在が、どこか遠くでの出来事のように思うようになってきていたのも事実。
毎日が幸せで――この幸福を壊さない為に、エデンの事を考えないようにしていたと言うほうが正確だろう。
「なんで今になって…」
油断していた。
本来ならば、カタリナを絶対に自由にさせてはいけなかった。あそこで始末するか、捕縛するかしないといけなかったのに――
事情を知らなかったライトの行動は仕方ないとしても、彼女を逃がしてしまったという事実にソウルは明らかな恐怖を覚えた。体の震えが止まらない。
あのカタリナと名乗ったサーナイト。彼女自身は単なる信仰者だろうが、末端であってもエデンの一員であることは明白な事実。
知られてしまった。『ガーデン・オブ・エデン』に自分の存在を。
絶対に知られてはいけなかったのに。この5年という時間が、慢心と油断を生んだのだ。
「……ヒートさん」
「なんだ?ソウル、改まって」
密着するトゥエンティを引きはがしながら、ヒートは怪訝そうな顔でソウルを見つめる。
エネルギーの返却が済んだのか、毛皮に艶が戻っている。
「『ガーデン・オブ・エデン』の末端にボクの存在を…知られました。たぶん、エデンの連中は既にここに調査をいれてる可能性が………高いです」
一瞬でヒートの顔から血の気が引く。
他のポケモン達、シルバーランクやコッパーランクの者達は何が何だか分からない様子であったが、フィールドに出ていた他のゴールドランク達もヒートと同様の反応を示した。
ライトもアクアもお互いに顔を見合わせ何のことかと訝しげだ。トゥエンティの表情は相変わらずだが、少しだけその名に興味を示したらしく、口元が1ミリ程動いた。
「………全ゴールドランクに告ぐ。リーグ規定、第153項に基づき緊急招集を発令する。この命令は他の全てに対し優先権を持つ。―――全ゴールドランクは、会議室に至急集まれ…後、ソウル、それから、ライト……テメェもだ」
突如発令された非常事態宣言。まったく事情が見えないライト達にも伝わってくる極度の緊張感が恐ろしい。
この空気の意味をライトは直ぐに知ることになる。
だが、彼らは知らない。既に神の園で怪しげな笑みを浮かべている者がいる事を。