第一章 『胎動』編
第十二話 目覚めし雷神 失われし聖物
『ドラコ・ルーベル』に飲み込まれ、“魂炎”の炎に焼かれるライトをヒートは厳しい表情で見やっている。

今まで対峙してきた挑戦者の中でも、ライトは善戦したと言える。流石はトレノの“息子”だ。

だが、俺相手に善戦しかできねぇようじゃこの先生き残れなねぇ。エデンの使者に対峙する時半端な実力は逆に命取りだ。

ゆらゆらと揺れる炎の中で、音も無くライトが崩れ落ちる。


誰が見ても勝敗は明らかだった。イグニスもライトが沈んだのを見て、すっと右手を上げる。

「勝負あり!勝者、ジムリーダー・・・」

突然、イグニスが宣言を止めた。驚いたようにフィールドを見つめている。

それもそのはず。『フレイムジム』の指導者、ヒートの名をバトルの勝者として宣言しようとしたまさにその時、一度倒れたはずのチャレンジャー、ライトが起き上がったのだから。

無言のまま立ち上がったライトにイグニスや観客は勿論、ヒートも驚きを隠せない。

ざわめく観客の中にあって特に驚愕の表情を浮かべているポケモンが一匹いた。波紋ポケモンのリオル――このジムに居候しているソウルだ。

普段あまり感情を表に出さないソウルが驚いているのは、勿論ヒートの大技の直撃を受け立ち上がったという事もあるがそれよりも・・

「どうなされました、ソウルさん」

「どうもこうも無いよ。今のライトからは“意識”の波導を感じられない。『ドラコ・ルーベル』の攻撃で意識を失っている。無意識状態で立ち上がったのさ、アイツ・・」

「それは興味深い」

妙にトゥエンティが喰いついてきたが、そんな彼を相手にしている余裕は今のソウルには無かった。

完全に困惑状態にあったからだ。

“波導”は非常に高度な探知能力だ。

生体の“意識”や“生命エネルギー”が発する微かな波をキャッチする力で、視覚情報を使わずとも一定範囲内の状況を把握することも、対峙する相手の抱く感情を大まかに知ることもできる。

が、その力が今のライトには意識が無い事実をソウルに突き付けている。それどころか本来は立ち上がる事すら出来ない程のダメージを身心に受けていると。

その証拠に体から発される波導も、心の波導も、その両方が弱り切っているのだ。

「本当は立ち上がる事はおろか、動けすら出来ないはずなんだけどねぇ・・・」

勿論、今現在ライトと対峙しているヒートはソウルの分析など知る由もない。だが、ヒートは自分の大技に自信を持っているし、ジムリーダーや四天王クラスならともかく、幾らトレノの“息子”とは言え、一介のチャレンジャーにすぎないライトが“魂炎”の業火に耐え立ち上がった事には些か動揺を隠せないらしい。細めていた目が少し見開いている。

「――驚いたな。俺の『ドラコ・ルーベル』を直に喰らって立ち上がれた奴は今までで片手で数える程しかいねぇんだが」

「・・・」

ライトは喋らない。ゆっくりと面を上げ、そしてその精気の無い視線がヒートへと向けられた。

その瞳と表情を見た時、ヒートの心に違和感が巻き起こる。

そこに先ほどまでの熱い血潮を滾らせるピカチュウの姿は感じられなかった。

だが、その顔をヒートは昔見たことがある。
とある
過去に出会った感情無き殺戮者の姿に今対峙しているピカチュウが重なって見え、そんな自分の直感と湧き出る戦慄を何とか理性ねじ伏せると、ヒートはライトを睨みつけた。そして低い声で問うた。

「続けるのか、バトルを」

「・・・サブジェクトの破壊を実行する」

ボソッとライトが呟いたその言葉の意味を、ヒートは直ぐには理解できなかった。

ライトはヒートに人差し指を向ける。腕や電気袋から、いやそれだけではなく体全体から放電現象が発生し始めた。バチバチッと鈍い音を発する青白い光がライトの表皮を駆け巡っている。

今までのライトが見せていた力とは比べ物にならない、膨大なエネルギーの流れを本能的に感じ取り、ヒートは身構えた。

体中から発生している放電現象がどんどん右腕に集中していきついには右手、特にヒートへと向けられている指先が目が眩む程の放電の奔流を纏いだす。





「『雷神(インドラ)』、発射」


ライトの指先と掌から放たれた雷は一瞬、三つ又の武具の形状を取り――金剛杵、雷神(インドラ)が持ちし神器である――そして、膨大な量の電気エネルギーがヒートに向かって解き放たれた。

ピカッと会場中が明るくなった次の瞬間、フィールドを見やっていた全員がライトの右手から何百、何千閃もの稲妻がヒートを襲ったのを目撃しただろう。

大きな爆発が巻き起こり、フィールドの地面から巻き上がった砂煙に観客の視界が遮られる。

ざわめきと動揺が場内で生まれ波及し、伝染していく。

「ヒ、ヒートさん!!」

イグニスの悲痛な叫びは会場中の恐怖を代弁しているかのようだ。


砂煙が段々と晴れていく中、会場中が恐怖の色に染まっていく。

この場に居る者達の殆どは実力の差こそあれ、皆バトルを行った経験の持ち主だ。

ポケモンの出す技の威力やその上限は経験的に知っている。例え、四天王やチャンピオン、『操者』と言えども同じ生命体である以上出せる技の威力には上限があるのだ。

だが、ライトが放った『雷神(インドラ)』の威力はポケモンの技のそれを明らかに上回っていたのが誰の目にも明らかであった。

ヒートの立っていた場所から真後ろのフィールドの壁は『雷神(インドラ)』の持つ膨大な電気が流れた事で、内部の残留水分が一気に過熱され結果破裂した。

それだけではない、音速を超え水分が蒸発した事による衝撃波で壁の残骸は高速で飛散し二次的な被害を生んでいく。

離れた場所で審判をしていたイグニスも吹き飛ばされてしまう程の衝撃波を『雷神(インドラ)』は生み出したのだ。

壁には大きな穴が開き、周囲が焼け焦げ、地面には膨大な量のエネルギーによって引き裂かれ砕かれた残骸が無残に散乱している。

幸運にも客席から遠い場所だった為に他のポケモンに被害は無かったようだ。

木製の柱や柵はバラバラに砕け、発火し炎上しているものもある。

砂煙が完全に晴れ上がった頃、背筋が凍るような光景がそこには広がっていた。

会場の一部が吹き飛んでいる――かなりのダメージを受けている挑戦者が放ったたった一発で。

観客席の誰もが予想したジムリーダーの痛ましい死を予感した。

だが――ヒートは生きていた。

『守る』を展開し、辛うじて命を落とさずに済んだのだ。とっさの彼の機転と生存に会場中の緊張感が少し解れ安堵の溜息がちらほらと聞こえてくる。

「全く、なんつぅ野郎だ・・・危うく死ぬ所だったぜ・・」



『守る』を『雷神』が放たれる直前に使用し難を逃れたヒートだったが、全てのダメージをシャットアウト出来たわけではなかった。

『雷神』の引き起こした衝撃波にまでは防御が回らず、破裂し飛散した小片刻まれに全身が傷だらけだ。

「久々だ、心底ビビったのはよ。エデンの奴らと戦った時以来だ・・」

ヒートは顔を歪め、攻撃後一切動く気配を見せないライトと向き合った。威圧的な表情は恐怖の裏返しだ。

「ふん、流石はトレノの隠し玉だな。成程普通のポケモンじゃないってわけか。今のお前とのバトルは正々堂々なんて言ってられねぇな。全力で潰して――」

ドサッ

ヒートが最後まで言い終わる直前に、電池の切れた人形のようにライトがその場に崩れ落ちる。

『雷神』の使用で全てのエネルギーを使い切った事による自滅だった。あまりにも呆気ない幕引きにヒートも観客席も困惑の色を隠せない。

「しょ、勝者ジムリーダー、ヒート!」

突然ライトが倒れた事に動揺しつつもイグニスがヒートの勝利を宣言する。

何時もなら勝利を祝し、熱狂の歓声に揺れるはずの会場内は、極度の緊張状態から解放されたある種の虚無感ととも言うべき妙な空気に包まれる。

一応ジムリーダーを称える拍手を送った者は居たものの、その虚脱感を埋めるには至らなかった。


               ****

黒い祭服に身を包んだサーナイト、カタリナもまた『雷神(インドラ)』の放った強烈な閃光と轟音に驚きを隠せず、ジム外の広場で立ちすくんでいた。

「なんだったのでしょう。今の轟音は。バトルの音でしょうか・・恐ろしい、なんと恐ろしい」

カタリナは右手の三本の指を合わせ額、胸、右肩、左肩と十字を素早く切ると小さく「アーメン」と呟いた。


エデンの教会で生まれ育った彼女は何か心配事、考え事がある時に、神に祈りを捧げると共に十字を切るのが習慣になっている。

生来争いごとを好まないカタリナにとって、ポケモン達のバトルは観戦し熱狂するものでも、自らが参加するものでもなく寧ろ、禁忌すべき対象であった。

『フレイムジム』はバトルリーグ協会に正式加盟している8つのジムの内の一つだ。当然そこにはポケモン同士の戦いが渦巻いている。

それがお互い同意の上でのバトルであることもカタリナは知っているが、それでもポケモン同士で争い、バトルなどという“野蛮な”行為が当然のように彼方此方で横行している事自体が、カタリナにとって耐えがたい事実だった。

「今この時にも神の教えを受けることなく、暴力と一時の享楽に身をゆだねているポケモン達が大勢いる・・迷いし子羊達を神の道へ導かなければ」

決意を固め『フレイムジム』内にカタリナが入ろうとしたその時、彼女のポケットに軽い振動が走った。

カタリナがポケットから取り出したものは、薄い小型装置。何らかの通信機器のようだ。全画面式で、彼女が指で画面をタッチすると立体映像が浮かび上がった。

「マルクト様」

立体ホログラムとして浮か上がったのは、イーブイだった。白い布で左目全体を覆っている。

マルクトと呼ばれた眼帯をしたイーブイは、カタリナに薄く笑いかけた。

『やぁ、カタリナ。元気そうだね』

「マルクト様こそ・・私に何か御用ですか?」

マルクト。『ガーデン・オブ・エデン』の幹部の一人で、指導者層に属するイーブイだ。布教の為に各地を回っている宣教師達を統括する直属の上司でもあり、それ故カタリナの声音が少し緊張の色を帯びている。

『いや、大したことじゃない。ただ今、君は『フレイムジム』周辺にいるみたいだからね。ジムのポケモン達に神の道を伝道するついでに、ジム内の状況も少し見てきてほしいのさ』

「状況、ですか?このジムに何かあるのですか、マルクト様」

カタリナの問いにマルクトは少しだけ口元を歪ませた。ホログラム映像では黙視できない程の小さな表情の変化に当然カタリナは気づかない。

『そうだねぇ。絶対にそこにある確証はないんだけどね・・強いて言えば奪われし“聖遺物”とでも呼べるものがジム内の奥に隠されてるかもしれないって事さ』

“聖遺物”――その言葉を聞いた瞬間、カタリナの表情が固まる。

何故なら、『ガーデン・オブ・エデン』教会には聖なる遺物の伝説があるからだ。

神がこの地に残した“証”であり、今は奪われて行方が知れぬものの、もし教会が失われし聖なる遺物を取り戻せば、神の道は開け救世主が地上に再来する――

カタリナの夢である地上の生きとし生ける全ての者が神の道に進み救済される世界が訪れるのだ。彼女の望む世界への鍵がこの場にあるかもしれない。カタリナの顔に笑みが零れた。

と同時に疑問も湧き上がってくる。

「しかし何故このジムに・・」

『昔エデンとバトルリーグ協会は対立関係にあったからね。その時に“聖遺物”は奪われてしまったのさ・・今現在、各地にあるジムにあるのか、それともバトルリーグ本部に秘匿されているのかは正確には分かっていないけどね・・・今も僕らは“聖遺物”の追跡調査を行っているから、カタリナ、君にも少し調査手伝って欲しい。詳細な画像情報はこっちから君のデバイスに送信しておくよ』

使命感の炎がカタリナの心に宿り始めた。ポケモン達を誤った道――非道徳的で暴力的なバトルはまさにその象徴だ――から救いだし、享楽に耽るポケモンを導き、その無知に光を照らし、悪魔的思想から救済する。その為の第一歩なのだ。

『ただしそのジムのジムリーダーは、僕らの事を良く思ってない男だ。悪魔的な思想の持ち主だから無茶はするんじゃないよ。まぁ君はエスパータイプ。気づかれずに内部を探るのはお手の物だろう?』

「マルクト様、もし“聖遺物”を見つけた場合はどうすればいいのでしょう?」

その問いにマルクトは軽く笑ってみせた。

『愚問だね。回収するんだ。ジム側の同意なんていらないよ。元々は僕らの物なんだから』

その後「頼んだよ」と短く告げると、マルクトのホログラム映像が消え、代わりに別の立体映像データがデバイスに送信された。

浮かび上がった“聖遺物”の映像、それは中央に瞳がある十字架が彫られた薄い長方体のロケットペンダントであった。

彫られた十字架は金細工、中央の瞳は赤い宝石―ルビーか何かだろう。長方体の角には装飾が施され、全体は銀製と補足データが横に表示されている。

“中央に瞳がある十字架”は『ガーデン・オブ・エデン』のシンボルであり、カタリナのペンダントや伝道書の表紙にもあしらわれているが、それはその装飾品が紛れもなく教会に属するアイテムであることを示していた。

「なんて美しい装飾なのかしら。神の栄光を表しているのね。・・“聖遺物”が本当にこの場所にあるのなら必ず回収しなければ」

カタリナは自らに『サイコキネシス』を使用し自らの姿を消す。自分の周りの光の屈折率を『サイコキネシス』で操作し、他者の目を欺く応用技術。

所謂“光学迷彩”だ。

そのままカタリナは『フレイムジム』へと足を踏み入れていく。

勿論、彼女の侵入には誰一人として気がつく事など無かった。






アブソル ( 2014/03/12(水) 22:43 )