第三十五話 ユウタVSレイカ 力と技の激突 前篇
突如発生した兄妹喧嘩に巻き込まれたジュン達は、そろって憑神邸の中庭へと移動した。
庭とは言うものの、かなりの規模だ。ここをバトルフィールドに使うつもりらしい。
「あの、本当にバトルするつもりですか?」
後ろに控えるファオがユウタに耳打ちする。ユウタは少し口角を上げ軽く頷いた。
「ああ。兄の威厳を教えてやらねばならん」
ベルトに付属したボールホルダーからボールを取り出すユウタ。そのボールを見てジュンは軽く目を見開く。
一口にモンスターボールと言ってもその種類は様々だ。性能、デザイン、希少度――まさにピンからキリまである。
一般的なモンスターボールを初めとして民間人が気軽に購入できるものから、金を積めば入手できるプレシャスボールのような貴重品のような変わり種も存在する。
ジュン達ハンターが好んで使用するダークボールは、一般にはあまり出回っていない品だが民間人でも入手することは出来る。
だが、今目の前でユウタが取り出したボールはジュンが今まで見たことが無いデザインをしていた。
迷彩柄のモンスターボール。
中央上部には三角形と円を重ねた紋章が彫りこまれている――この家の家紋と酷似したシンボルだ。何か特殊な意味があるのだろうか。
「大尉、いいんですか?それ、確か士官用に支給された軍用ポケモン達ですよね?」
士官、即ち少尉以上の階級の軍人に支給される特殊訓練を施されたポケモン達――その実力はジムリーダーのポケモンをも凌ぐと噂されている。
戦場での活躍を想定して育成・訓練されている為、士官の護身用としては勿論、実戦でもその力を存分に振るうことが出来る。
だが、ポケモンバトルではなく実戦を想定されて訓練を受けているポケモン達であるため、公式のリーグ戦での出場は制限されている。リーグでのバトルはあくまでエンターテイメント、人々を熱狂させ、人とポケモンの絆を確かめ合う場だ。殺し合いを行う場ではない。
そんな危険なポケモン達を兄弟喧嘩の場で使用するというのだから、ファオが眉をひそめるのも仕方のない事だ。
だが、当のユウタは
「構わん!俺の本気を見せてやる!」
頭に血が上ってそれどころではないらしい。
(……ほんと、妙な所で負けず嫌いなんだからなァ……)
ファオの内心の溜息などつゆ知らず、ユウタはピッとフィールドの反対側で待機しているレイカを指さした。
「ルールは2対2のシングルバトル。手持ちが全滅した時点で勝敗が確定するものとする。異存はないな!?」
「――ええ、勿論ですわ」
互いに確認すると、両社はボールを投げた。
レイカのボールから出てきたのは――ふわふわもこもことした茶の毛並をもつ子ぎつねにもにたポケモン、イーブイだ。
対するユウタの繰り出す軍用ポケモンは
「ゆけ、ヘルガー」
炎・悪複合タイプの地獄犬、ヘルガーであった。二対の角と胸元には髑髏のマーク。まさに軍用犬、という訳か。
『ふむ、久々の任務かと思いきや随分とぬるい戦場に駆り出されたものですな』
じろっとイーブイをねめつけるヘルガー。哀れイーブイはびくっと震え、後ずさりしている。ポケモンとして、相手と自分の実力差を本能的に察したのだろうか。
なお、ヘルガーのぼやきは当然ユウタには理解されていない。だが、ファオは別だ。
『軍用ポケモンか。確か名前は…』
『私は識別番号H-035、コードネーム:ヘルハウンド。ハウンドと呼んでくれればいい』
コードネーム:ヘルハウンド。通称ハウンドの呼び名を持つこのヘルガーは、士官配給された軍用ポケモンの内の一体だ。主に炎タイプを得意とする士官用に訓練されている。
軍の内情を知るものならば、このハウンドを繰り出した時点でユウタが炎タイプのポケモンを重点的に使用してくるのが予測できることだろう。
「では行きますわ!ぶい君、『電光石火』!」
先制技の「電光石火」を放つイーブイ。目にも止まらぬ早業で、ハウンドに突進する。
『ぐはッ!?』
軍用ポケモンの体が吹き飛びそうになる威力。
意地だろうか、何とか耐えてみせた。
『うむッ…なかなかの一撃ですな…!』
チビだからと内心油断していたハウンドは、技の予想外の重さに驚きを隠せない。
「そのイーブイ、特性は適応力か…」
「その通りですわ。ぶい君の特性は適応力。タイプが一致する技を威力を大幅に上昇させて放てる強力な特性なのです!」
だがこれもユウタの予想の範囲内。適応力によって技の威力が上昇しているとはいっても、所詮は民間人が育成したポケモン。
軍用ポケモンの敵ではない。
「今度はこちらの番だ。ハウンド、『煉獄』だ!」
『Yes.sir』
ハウンドの口内を炎が満たす。『火炎放射』ではない。
より強力で、使用難易度が高い技――それが
「まずいですね…ぶい君、回避を!」
イーブイのぶいもその威力を察したのだろうか、ハウンドと距離を取ろうと後方へ走り出すが時すでに遅し。
『ターゲット補足。攻撃開始、“煉獄”!』
蒼と真紅が混ざり合った炎が今、爆ぜる。
ゴォオオオ
『うわァァァ!?』
「ぶい君ッ!?」
煉獄は容易くイーブイを呑み込んだ。その攻撃範囲の広さにレイカは生唾を呑み込む。村から殆ど出たことが無い彼女であっても、テレビを通してポケモンリーグの存在やその試合内容も常識程度には知っている。
幾多の戦いを勝ち抜いてきた挑戦者のポケモンや、立ちはだかる四天王、或いはチャンピオンのポケモン達がどの程度の実力を持っているのかも。
だが、ハウンドの放った『煉獄』の威力は画面で見たリーグ戦のポケモンが放ったそれをも凌ぐように彼女には感じられた。
炎が引いた時にはすでに、ダメージを受け倒れ伏すイーブイの姿があった。まだ戦闘不能ではないようだが、一発で体力の半分以上を持っていかれたらしい。
何とか立ち上がるイーブイ。その根性にはレイカだけではなくジュン達も感心する。
だが、既に『煉獄』の追加効果は発動しているのだ。相手に火傷を負わせ物理攻撃の威力を減殺する厄介な状態異常が、イーブイの体を蝕み始めている。
「く、ぶい君…『こらえる』!」
「ふむ、やはりそう来たか――なら、ハウンド、『ほえる』だ」
ハウンドは頷くと、一息吸って大声で吼えた――すさまじい爆音だ。堪らずジュン達は耳を塞ぐ。
(…全く、こんな静かな村で騒音立てて――近所迷惑もいいところだ)
『む、無理ッ!』
耳を伏せていたイーブイも耐えかね、レイカのボールへと戻ってしまう。
『ほえる』の効果。相手のポケモンと手持ちのポケモンを強制交代させる――攻める絶好のチャンスでわざわざこの技を使用する理由がレイカには分からない。
そんな彼女の表情を見て、ユウタは不敵に笑ってみせた。
「イーブイのような低耐久な未進化ポケモンをわざわざ当ててくるんだ。当然搦め手でくる。この場合、警戒すべきは体力が減少すればするほど威力が上昇する『きしかいせい』あるいは『じたばた』。この技の最大威力は即ち、極限状態の体力を意味している――これならこのターンお前が『こらえる』を使った理由も説明できる」
「……」
黙ったままのレイカ。沈黙は即ち肯定だ。
「どうせ、あの豊潤な毛皮の下に『カムラの実』でも仕込んでいたんだろう?体力減少に伴い移動速度を上昇させるアイテムをな。なら、一度手持ちに引っ込めてその素早さ上昇効果をリセットしてしまえば、お前の戦略は瓦解する」
ユウタの読みは、まさにその通りだった。レイカの戦略。
それはイーブイの弱さをそのまま強みに転化する作戦。初手で先制技で相手の体力を削り、その後は『こらえる』とアイテム『カムラの実』で自らの体力を削りつつ、素早さを上げる。
相手が油断した頃合いを見計らい、『じたばた』で一気に逆転する――これがレイカの作戦だった。
だが、兄は全てを見透かしていたらしい。流石兄妹といったところだ。考えることはお見通しなのだろう。
(でも、まだ負けた訳ではありませんわ…!)
「おいでませ、キリサメ!」
次に出てきたのはキルリアだ。フェアリー・エスパータイプを持つ小人のようなポケモンで、性別の違いで進化先が変化しうる珍しい性質を持っている。
『これはまたずいぶん厳ついのが相手ですね、レイカ』
声のトーンから、このキリサメというキルリアが雄であることが分かる。人間でいえば14、5歳の少年といったところだろうか。歳の割に随分と落ち着いているようだ。
「キルリア、か。進化前ばかりだな。……それで特殊訓練を施された軍用ポケモンの相手が務まるとは到底思えんが」
ユウタは鼻白みつつ、キルリアに目をやる。見下している、訳ではないのだろうがそれでも軽く見ている事は確かだ。
そして、他者の感情を読み取る能力に長けているキルリアにはそんなユウタの心の動きが手に取るように伝わってくる。
相手にならないと軽視されている、という事実にキルリアの眼光が鋭くなった。
『いいでしょう。お兄さん、私達の実力を見せてごらんにいれましょう……!』
バトル再開。先に動いたのは、ハウンドだった。
「ハウンド、『悪巧み』だ」
特殊攻撃の能力値を上昇させる積み技、『悪巧み』。どうやら、キルリアの攻撃では大したダメージが入らないと踏んで、一気に火力を上げし早期決着を目指す算段らしい。
(見くびられたものですね…しかし、お兄さん、その作戦は甘いですよっ!)
「ムラサメ、『電磁波』!」
ムラサメが放つ電磁波がハウンドの体全体を覆う。
『ぐっ、麻痺か…小癪な…!』
積み技の隙をついた攻撃に、若干怯みつつもユウタは続けて指示を出す。
「構うな、火力は既に十分だ。前方十二時の方角のターゲットを補足し、最大火力の『煉獄』を叩き込め!」
『…ッ了解!』
ハウンドが再び『煉獄』を放つ。先ほど使用したものとは比べ物にならない程の巨大な炎の渦がムラサメに迫る。
『煉獄』は高威力かつ相手を確実に火傷状態にする追加効果を併せ持つすさまじい技だが、その分コントロールが難しく、命中率に難があるが故に使用率はあまり高くない。
だが、軍用ポケモンとして訓練を受けたヘルガー、ハウンドは違う。
徹底的に技の制御技術を施され、精密攻撃を可能としている。たとえそれが、どんなにコントロールが難しい高位の技であってもだ。
『ぐッ…』
ゴォオオオォォ…
『煉獄』の炎がムラサメを包み込む。肌を熱気が撫で、耳元ではまるで雄叫びのような燃焼音が聞こえる。
このまま蒸し焼きにしようという魂胆だろうが、あいにくムラサメもレイカもやられっぱなしは趣味では無かった。
「キリサメ、『影分身』ですわ」
『承知』
キリサメの姿が少しずつぶれていく。まるで何十枚のレイヤーを少しずつずらしているような光景だ。
分身体を作り出したキリサメは、それらと共に炎から勢いよく飛び出した。『煉獄』の炎から逃げ出せた理由は、『影分身』の分身体を周囲に展開して炎の熱をある程度軽減した彼の機転によるものだろう。
「なんだ…これは…」
勝利を確信していたユウタの目の前に、突如何十体ものキリサメが炎の中から飛び出してきたのだ、驚きもするだろう。
空中に浮かぶ何十体ものキリサメ。流石のユウタも動揺を隠せない。
だが、そこは情報部員としての経験が生きてきた。直ぐに冷静さを取り戻すと、現状の分析に入る。
「…『影分身』か。しかも一度にこれほど大量の分身体を作るとは驚きだな。――だが、所詮分身は分身。攻撃力を持たないコピーをどれだけ量産しても戦局を覆すことなどできん!ハウンド、『火炎放射』で殲滅しろ」
指示を聞きハウンドはより長距離を攻撃できる『火炎放射』発射態勢をとるが…
『く、体が動かん…』
「今ですわ、キリサメ。『輪唱』!」
ここでまさかの『輪唱』にユウタは目を丸くした。単純に影分身に紛れてからの攻撃だと読んでいたのが外れたから、というのもあるがそれ以上に――
(まずいぞ、ここでの『輪唱』は…!)
「ハウンド、回避行動だ!回避を――」
慌てて指令を出すものの、後の祭りだった。
麻痺で動けないハウンドに音響攻撃が襲いかかる。
『輪唱』
相手を歌で攻撃するという、音エネルギーを用いた攻撃技であり、その最大の特徴は他のポケモン達が後に続き『輪唱』することで、その威力が何倍にも膨れ上がるという点だ。
通常シングルバトルでは見ない技なのは、続けて歌うポケモンがいなければ低威力で終わるという欠点があるからだ。
だが、今バトルフィールドにいるラルトスはざっと見て数十体。それぞれが続けて歌い上げていく様は圧巻だ。
美しい歌声は重なり合い、一つの巨大な音エネルギーの砲弾へとその姿を変えていく。
ミシミシッ
『ぐ、ぐぅぅ!』
音エネルギーに押され、少しずつ地面へと押し込まれるハウンド。音は今や彼を潰さんとする一つの大きな圧力攻撃に転化していた。
(まずい、これはいかんぞ…)
今歌っているのはムラサメ達の半分程度。これが全員歌い上げれば、まずハウンドは耐えられない。
(妹とはいえ民間人相手にこれは使いたくなかったが…)
ここまで来てしまっては負けるわけにはいかない。兄として、妹に威厳を見せねばならないのだ。
「…仕方ない、ハウンド。『破壊光線』で掃討しろ!』
『――sir.Yes sir!』
ハウンドにも意地がある。軍用ポケモンとしての誇りが。屈強な戦士として、ここで封殺されるなど彼のプライドが許さない。
ぐっと足を踏みしめ、空中から音響攻撃を仕掛けているキルリア達を睨め付ける。
「攻撃準備!」
歌い手が増えていく。全身の骨が軋むほどの音の圧力。まるで音の壁に押し付けられているかのようだ。
(こんな所で負けるわけにはいかんのだよ……!!)
「『破壊光線』、発射!」
ユウタの指令が下った瞬間、ハウンドの口内から閃光が迸り、放たれた『破壊光線』が影分身たちを薙ぎ払っていく。
一筋のエネルギーの放流に触れ次々と分身たちを葬っていく中、彼らの本体たるムラサメに対処する暇を与えることなく、彼ごと分身たちは一掃された。
「ムラサメッ!」
地上に落下すたムラサメをレイカが慌てて抱きかかえる。それを見届けたハウンドもまた、少し笑みを浮かべその場に崩れ落ちた。
ユウタは一言「よくやった」とだけ告げて、ハウンドをボールに戻した。
これで一対一。レイカの手持ちは先程のイーブイ。ムラサメに軽く口づけした後、再びイーブイを繰り出す。
ボールで休んでいたせいか、体力が少々回復したようだ。顔色が少し元に戻っている。
(ぶい君の戦術は既にお兄様に読まれている。――なら、予備の戦術に切り替えていく必要がありますわね)
もう一つの作戦、即ち『こらえる』と『きしかいせい』のコンボ戦術が破られたとき用に用意していたサブプラン。用意周到な所も兄とよく似ている。
「…予想外だな。まさか、軍用ポケモンが民間育成下のポケモンと相打ちを取られるとはな…」
ユウタのぼやきにレイカは少しだけ微笑んで言い返した。
「テレビでチャンピオンの方が仰っていました。ポケモンバトルは力が全てじゃない、そこに多様な戦術が組み合わさる事で単純な力の優劣を超えたバトルが生まれる、と」
「――なるほど、一理あな。だが、小細工程度なら火力で叩き潰せる事も忘れるな。高火力と機動力こそ最も大切な要素なのだという事をお前にも教えてやる……いくぞ、レイカ。俺の最後のポケモンは……」
スッとユウタはある方向を指さした。
朝、リーフ邸からテイクアウトした朝食の残りを食べながらすっかり寛いでいたバシャーモ、ファオにユウタの指が向く。
これにはファオも驚いたのか、目を瞬かせた。
「ふぇ、お、俺ですか…?」
「お前以外に誰がいるんだ馬鹿者。さっさとバトルフィールドに来い」
異論は認めないオーラが全身から溢れ出している。こうなってはどう言ってもユウタが耳を貸さない事をファオは知っている。故に、食べ残しを口に詰め込みやれやれといった風に肩を竦めると、トンッと軽く跳躍した。
そのままバトルフィールドまで飛び移る。
「俺、ポケモンバトルはあんまり好きじゃないんですけどぉ…」
「好きじゃない?結構。なら、さっさと終わらせるんだな」
最後に「これは命令だ」などと付け加える始末でまさにやりたい放題。
ファオは軽くため息をつく。
出来ることならこのようなポケモンバトルなどやりたくはない。が、これも大尉の為だと思えば耐えれる。
(全く、俺にポケモンバトルやらせるとかほんと勘弁して欲しいよなァ……)
ファオの心の中の愚痴もどこ吹く風。ユウタは既にやる気十分である。
兄妹喧嘩から始まったバトルも、いよいよ終盤を迎えようとしていた――