第三十話 ジョーカー
リーフ邸の大食堂を見渡すと既に客人をもてなす為の大掛かりな料理の準備が整っていた。
用意されていた食事は質、量ともに最高級。
皿に盛りつけられた料理からは薫り高い湯気と共にアイビー家の威光がチラつき、流石のジュンも苦笑するしか無かった。
別荘とは思えない豪華な内装が施された食堂でジュンとソル達、そしてユウタは次から次へと出される豪勢な料理に舌鼓を打つ。
が、食事を勧めていくにつれ、濃厚な味わいはしつこさへと、豪華な料理は悪趣味なものへと変って行った。
そのこってりとした味付けと量に内心徐々に飽きと辟易とした感情を抱かずにはいられない。
素朴な料理を愛するユウタは早々とフォークとナイフを手放し、ソル達は黙々と料理を食べ、ジュンは時折水を飲み料理のくどさを打ち消していた。
料理人の名誉の為に言っておくと、ここの料理は確かに絶品だった。それは疑いの無い事実だ。
だがそれが何皿も何皿も平らげた傍からあたかもわんこ蕎麦が如く追加されるのだから、堪ったものではない。
残すのも勿体ないし料理人や素材にも悪いと思って頑張って詰め込むのだが、使用人達が常に皿の減り具合を監視し次なる料理を追加するスタンバイをしているため、なかなか「もうお腹いっぱい、ごちそうさま」と切り出せない。
これがリーフ流のもてなしと誠意なのが分かっているからこそ、である。
『・・豪華なお食事は好きだねど、こうも大量だとちょっとねぇ』
『悪趣味だな。何故人間はこうも過剰な贅沢を好むのか、俺には理解できん』
苦笑いを浮かべるレイシアに顔を顰めるソル。
生憎翻訳デバイスは部屋に置いてきているため、彼らが何を言っているのか今のジュンには分からない。
が大体どのようなコメントをしているのかは容易に想像がつく。
一方でこの怒涛の料理の波を悠々と乗り切っている者もいた。
ファオだ。次から次へと運ばれてくる豪勢な料理を平気で平らげていく。
つい数時間前にケーキを何皿分も腹に収めたばかりだというのに、その無限にも思える食欲は見ているこちらが気持ち悪くなってくる程のものだった。
見る見る内に皿が積み重なっていく様は圧巻だ。
“痩せの大食い”と形容するにはファオはかなり筋肉質であるが(軍属ポケモンなのだから当然だ)、それでも通常のフルコースを遥かに超える量の料理が一体あの細めの体の何処に収まっていくのかと、その場の全員が不思議に思ったことだろう。
「どれだけ食うんだ、お前」
「え、まだまだイケますよ」
その一言を皮切りにファオの食欲は衰えるどころかますますヒートアップしていった・・訳では無く、流石に限界が見えてきたようで最後にデザートを一品平らげると満足そうに食事を終えた。
その後食事を終えたジュン達は各自割り当てられた部屋に戻ることにした。
来客用の宿泊部屋の印象は一言でいえばホテルのスイートルーム。
別荘とは思えない豪華さだが、リーフが過剰な贅沢を好む性格である事を知っているため別段驚いたりはしない。
そもそもジュンはリーフ邸に何度か訪れており、最初はその豪華さに驚いたものだったが、慣れとは恐ろしいもので今ではすっかりこの贅沢にも順応してしまった。最も、自分でやろうとは思えないが。
一方、この贅沢に居心地の悪さを感じている男もいた。
ユウタだ。
質実剛健をモットーとする彼にとってこの高級ホテルのような部屋は不快とまではいかないものの、手放しで心地よさを感じる様な代物ではないらしい。
「俺が泊まっていたホテルよりも立派だな」
ベッドに腰を下ろすと私用の携帯電話を取り出す。パスワードを打ち込んで確認すると、一件メールを受信していた。
件名は「兄さんへ」
久しぶりに会えるのが楽しみだという内容で、差出人は彼の妹からであった。
予めメールで里帰りを知らせておいて正解だったと、ユウタは一人で頷く。家族への気遣いもきちんと熟してこそ一流のエージェント足りうるのだ。
「・・風呂にでも入るか」
部屋に備え付けてあるバスタブに湯を張ると、ユウタはそっと服を脱ぎベッドの上に畳んだ。
壁の鏡に映るからだ華奢ではないが、比較的ほっそりとしていた。筋肉質ではあるが、どちらかと言えばユウタはいかつい体つきでは無かった。
湯気で曇る鏡に背を向け首だけを回し鏡を横目で見ると自分の背中が映し出されていた。
筋肉に覆われた贅肉の無い背中には“入れ墨”が彫り込まれている――タトゥーを入れる行為自体はそれほど珍しくはないものの、ユウタの性格を知る者ならば意外に思うだろう。
背中全体に彫り込まれた象形文字と中央に描かれた円と内接する三角形という所謂“魔法陣”にも似た図柄が印象的である。
「・・・」
自らの背中一面のタトゥーに冷ややかな視線を投げかけるユウタ。
この入れ墨は彼の意志によって彫られたものでは無い。彼の一族は代々男子の背にこの刺青を掘り込む習わしがあり、ユウタもそれに従ったに過ぎない。
不本意ではあったが一族の掟は絶対だ。
祖父から父、そして父から息子へと代々受け継がれてきたこの入れ墨は一体何を語っているのかユウタを含めた一族の誰にも分からない。
古代の文字らしいが生憎ユウタは考古学的知識に明るい訳では無いし、第一誰にも読み解けない文章など背中に刻んで何の意味があるのかと疑問に思ったことも何度かあった事も事実。
しかし先祖達が一族の掟として頑なに守ってきたこの入れ墨には何か意味があるのだろう、先人達の言いつけも尊重出来ないで何が天下国家か、そう最近は思うようにしている。
のだが、やはり何というか邪魔くさい。自ら望んで彫った訳では無いタトゥーなど気分の良いものではない。
「消したら親父が煩いだろうな」
背中を見るたびによく一族代々同じ入れ墨を継承してきたと逆に感心してしまう。
最も、入れ墨の継承を妄りに人に触れ回る事は掟で禁じられているし、何よりも一族があまり外部と接触をしない事、タトゥーを継承した者は温泉や露天風呂に行くことを原則禁じられている事、そして何よりもあまり人に見せたくないモノであるという認識がある事から、この事実を外部の人間は殆ど知らない。
「明日はどうするか・・」
ゆっくりと湯に浸かると体中の疲れも解れてくる。思考の回転が少しスムーズになりだした所で、ユウタは明日以降の行動について思いを巡らせていた。
また新たな指令が下れば直ぐにでも動く必要がある以上休養は取れるときに取っておくべきだし、ヴィクターも実家に同行させて休ませてやるのが気遣いというものだろう。
・・シンオウの遺跡も時間があれば案内してやるか。
何やらシンオウの歴史に興味があるらしいが、あいつにそんな知的好奇心があるとは正直驚いたな。
家族に紹介する時は・・コードネームの「ファオ」でいいだろう。イッシュ圏の名前だと言えば不思議にも思わんだろうしな。
ユウタはバスタブの淵に肘を乗せぼんやりと天井を眺める。
シーリングファンの優雅な回転を見やりながらも、彼の脳内では次にとるべき行動について思案が巡っていた。
・・そう、問題はジュンだ。
PHC内で信用があるあいつを駒に出来たのは良いが、それでもジュンは何処か信用ならん。
腕がいいのは認めるが腹に一物抱えている奴だ。
暫くは駒の立場に収まっているだろうが、果たして最後まで駒であり続けるかどうか・・。
バスタブの中で体を一通り洗った後シャワーで泡を流し栓を抜く。
ゴボゴボと湯が吸い込まれていく音を背にタオルでごしごしと体を拭いているとコンコン、と軽いノックが2、3回した。
「誰だ?」
「俺ですよ〜」
頭の軽そうな声が扉の向こうから聞こえた。ファオである。
「入っていいですか?」
やはりそう来たか。
予想通りの言葉にユウタは迷うことなく即答する。
「今は駄目だ。数分待て」
その返答に外のヴィクター、もといファオは何かを感じ取ったのだろう。「へぇ」と呟く声が聞こえる。
にやけた笑いを扉の外で浮かべているのが目に見えるようだ。
ちょっと覗くだけ、などと下心を抱いているのが扉越しにも伝わってくる。
覗き見根性を向こう側のバシャーモが起こす前にユウタは前もって警告しておくことにした。
「覗いたら殺すからな」
「・・・Yes.sir」
警告のかいもあってかファオは外で大人しくしているようだった。
さっさと着替えを終えて扉を開けてやると、右手にトランプ、左手にワインと酒の肴を握ったファオが若干恨めし気な表情で突っ立っていた。
濡れた頭をごしごしとタオルで拭くユウタの全身にサッと視線を投げかけた後、短く「はぁ」とため息をつくその様子が妙に腹立たしく感じたが何も言わずにユウタはファオを部屋へと招き入れた。
「何か用か?」
「いえ、暇なのでトランプでもと思いまして」
トランプか。暇つぶしにはちょうどいいな。
戸棚からワイングラスを取り出し、ファオが持ってきたワインを注いでいく。
炎タイプの体温の高さのせいで若干ぬるくなっているのを我慢しながら、ユウタはワインを片手にクラッカーをつまむ。
「で、何をするんだ?」
「神経衰弱をやりましょう!」
集中力の途切れがちな夜に神経衰弱とは物好きな。
・・まぁいい。付き合ってやるか。
それにコイツは案外気の付く奴だ。こんな夜に俺を訪ねてきたのにはそれなりに理由があるんだろう。
テーブルにカードを裏向きに配置していくファオの姿を見ながら、ユウタはぼそっと呟いた。
「ファオ、腹を割って話したらどうだ?まさか、トランプ遊びする為だけに来たわけでは無いんだろ?」
「・・・例の彼についてなんですけど」
配置し終えたファオは椅子に腰を下ろし、足を組んだ。ぎしっと椅子が軋む。
「ジュンの事か。そうだろうと思ったが」
裏向きのカードを捲ると、スペードの2とハートの9だった。
同じ番号でなければ獲得できないのが「神経衰弱」というゲームだ。記憶力には自信があるが、それでもこの大量のトランプの位置と番号を全て把握するのは中々大変である。
元の位置に戻すと、続いてファオにターンが移る。
「本当に彼を我々の側に引き込むつもりですか?」
ファオが捲ったカードはダイヤの10とハートの2・・先程ユウタが捲った中に含まれていた数だ。
「ああ、そのつもりだ」
迷わずファオが捲ったハートの2と先程自分が捲ったスペードの2を回収すると、続けて捲っていく。今度はクラブのKとスペードの7。中々合わないものだ。
「俺はいまいち彼の事は信頼できませんけどね。好みの容姿ではありますけれど・・」
彼の透き通った碧眼は卓上に並べられたカードに鋭い視線を投げかけ、猛禽を思わせるその手をそっとかざす。
「食わせ物ですよ、あの少年は」
ファオが開示した2枚はハートのJとスペードのJ。
運よく札を揃えたファオはそのまま手番を続ける。
「確かに、お前の懸念も尤もだ。あいつの扱い方には細心の注意が必要となってくるだろうな」
捲られた1枚目は、スペードのK。勿論ファオはそのまま先程ユウタが捲ったクラブのKを回収する。
「だったら何故――」
「俺はあいつを腕を買っているからだ」
ファオの手によりクローバーの3とダイヤの7がその姿を現した。
ユウタは手を伸ばすと、迷わずダイヤの7と卓上の右端に隠れているスペードの7を回収した。
「情報部の仕事はこのゲームとよく似ている。覆い隠された情報の断片を拾い集め、整理し、記憶し、事を有利に運んでいく・・それこそが、我々の使命だ」
そっと手前のカードを表にすると、クローバーの9が表れる。そのまま自らが最初に捲ったハートの9へと手を伸ばす。
「見てみろ。予め知っていれば、全ての物事は容易く進む。実に容易く、な」
ハートのQとスペードの4の開示に、ファオは沈黙を保ったままカードへと手を伸ばす。
捲られたカードはハートとダイヤの5。
またもや一発で1組当てるファオにユウタは黙ってワインを啜るのみ。
イカサマを疑うわけでは無いが、随分と運のいい事だと思わずにはいられない。
「確かに彼の立ち位置なら新プラズマ団に怪しまれずに潜入できますが・・承服しかねますね、ポケモンハンターを起用するなんて」
不服そうな表情ではあるが一方でジュンを利用することのメリットも理解している様であった。
理解しているからこそ、より“ポケモンハンター”と組する事に抵抗感を覚えているのだろう。
ジュンの前での笑顔はどうやら上っ面だけであったらしい。
人の良さそうな、というか頭が軽くて無害そうな演技はファオの特技だ。
迫真の演技すぎて時折本当に頭が空っぽなんじゃないかと思う時がユウタにはあるのだが。
「利用するメリットがあれば誰であれ利用する。当然の事だ。そこに私情を挟む余地などありはしない」
「I understand. 分かっていますよ。分かっているんですがね――それでも彼らハンターはポケモン族の、俺の敵です」
元々ポケモン関連の問題、例えば人間社会内でのポケモン達の地位や扱い、或いは差別問題について特に敏感であり、時折急進的な姿勢を見せる事もあるファオだが、ここまで敵意や憎悪の炎を滾らす姿をユウタは見た事が無かった。
そんなファオの心の揺れに、何も言わずユウタは静かにグラスを傾ける。
ぼそぼそと呟きながらもゲームは続行する気らしく、ファオは次なるカードを捲る。
1枚目はハートの11、そして2枚目は――
「Joker、か」
本来神経衰弱にはジョーカーは抜くのだが、どうやら取り除くのを忘れてそのまま混ぜてしまったようだ。
ふざけた顔で踊る道化師のカードをファオはしばし見つめる。
物思いに耽っているのか、何かジョーカーを見て思う所があるようだが、直ぐに卓上にカードを戻した。
「まぁこのトランプは2枚ジョーカーがありますし、続行できますよ」
再び姿を隠した赤服の道化師の上にしばしの間掌を乗せていたファオであったが、そのまま動きを止めた。
深く息を2、3回して呼吸を整えた後カードに手を乗せたままファオは喋り始めた。
「・・俺は彼が“ジョーカー”だと睨んでいます。彼は俺達にとっての切り札となりえます。しかし、もしジョーカーが寝返りでもすれば――彼は俺達の障害となるかもしれません」
「確かに、ジュンが裏切る可能性もある。だが、奴はPHC内での信用のあるハンターだ。新プラズマ団内でも必ず頭角を現す・・そうすれば、我々はジュンを通して新プラズマ団内に情報を流す事も出来るようになる。つまり、ジュンを“パイプ”として、組織内を探る事も我々に有利な方へ誘導することも出来るようになるという事だ」
新プラズマ団への潜入。PHC専属ハンターという立場なら容易く可能だろう。
だが、ユウタの狙いはただ単にジュンを通して新プラズマ団内の情報を入手する事だけでは無い。
ジュンを通じて組織内へと情報を流し、此方側に利益となるよう新プラズマ団を誘導する、という構想をユウタは密かに考えていたのだ。
無論、工作員たるジュンが失敗、或いは活動に支障が出る様な状況が発生した場合は速やかに彼を回収し、新プラズマ団を解体する為の準備をしておく必要はあるが、その場合でも最低限の成果は挙げられるはずだ。
「成程、ファオ。お前の言う通り、ジュンが寝返る可能性も考えねばならん。だが、ジュンはPHCを裏切り我々の側についた。これがどういう事か分かるだろ?PHCを裏切り、我々をも裏切れば、ジュンの居場所は無くなる。そうなれば困るのはあいつ自身だ。そんな馬鹿な事はせんだろう」
ユウタはそっと一番手前のカードを捲る。姿を現したのは、青服の道化師。
先程の赤服と対となるカードの登場に笑みを湛えながら手を伸ばす。ファオが未だに手を乗せている隠れたる道化師へと。
「ジョーカーを使って内部を探り、誘導しさえしようとするその野心、俺は好きですけどね。――しかし、ワイルドカードに手を噛まれる可能性も捨てきれませんよ」
赤服の道化師を捲るとファオはユウタにジョーカーを渡した。
二組の道化師がユウタの手の中に揃う。互いに互いを笑いあう絵面にデザインされているのだろう。服の色以外は完全に左右対称であった。
ユウタは酒の影響で重くなり始めていた瞼を擦り、手元のジョーカーにしばし目を向ける。
少しの間をおいて、ユウタは少しゆっくりめに話を始めた。
「・・だが、ジョーカーが万能の力を発揮するのは特定のゲーム内に居る時だけだ。現にいま行われている神経衰弱では、この道化師どもも他の札と同じ価値しか持たん。持ち札の強弱はルールによって定められている。では、そのルールは誰が決める?卓上の外にいる俺達だ。――我々はゲームを動かす側であり、ジュンは動かされる側だ。我々はプレイヤーであり、あいつは手駒だ。プレイヤーに勝る駒などあると思うか?例えその駒がどれほどゲーム内で優れていようが、ゲーム外で駒を進める俺達を優越することなど、ありはしないのさ」
酒が入ったせいか何時になくよく喋るユウタであったが、元々そこまでアルコールに強くないのか一杯飲んだだけだというのに既に顔が赤い。
眠たげに何度か目をしばたかせると足を組み直し背もたれに寄りかかった。
今にも眠ってしまいそうだ。緩んだ手から2枚のジョーカーが滑り落ちた。
普段の隙が無いキリッとした表情も良いが、酔いが回って何となく気だるげな顔も味わいがあって好ましい――そう思いながらファオがユウタを見つめていても、彼は特に何も言わず薄目でぼうっと定まらぬ視線を泳がせている。
いつもなら彼を見つめようものなら烈火のごとく拒絶の礫が飛んできそうなものだが、今はすっかり鷹揚になっているようだ。
「そういえば・・明日実家に顔を出すって言ってましたけど、俺はともかく彼についてはどうするおつもりですか?」
既にゲームが続行できる様子では無さそうだと判断したファオは落ちた2枚のジョーカーを拾った後、机の上のカードを回収し始める。
「・・お前もジュンも連れて行く予定だ」
「彼も?」
聞き返すその口調には明らかに棘が含まれていたがユウタは別段気にすることは無く、グラスの底に残っていたワインを一気に飲み干した。
そして短く「ああ」とだけ答え、下を向きながら黙々とトランプをケースに直していくファオに少し笑いかけてみせる。
「ジュンとは・・俺がPHCに潜入していた頃、何度か行動を共にしている。・・・あいつは疑念の臭いに敏感な奴だ・・俺達があいつを信頼しているという証拠を見せねばならん」
徐々に舌足らずになってきているが、思考は未だ明瞭であるようだ。
部下に慰労する目的も兼ねてファオと共に実家に帰るのは当然としても、此方に引き入れたばかりのジュンを実家に招くという事は――つまり、ユウタの素性の一部を明かす事に他ならない。
情報部員のユウタにとってそれは大きな賭けであった。
が、自らの情報の一部を与えるリスクを冒してでもジュンの信頼を勝ち取らねばならなかった。
このジュンを使った、新プラズマ団への潜伏が今後の諜報活動の起点となる作戦となり得る以上、ジュンには此方の指令通り動いてもらう必要がある。
ここでジュンの信用を得ておかなければいざという時に引き入れた駒に裏切られる可能性もある。
逆にここでジュンを完全に此方側に引き入れ、その信頼を得れていれば、彼は対新プラズマ団用の優秀な戦力としてその能力を存分に発揮してくれるだろう。
ファオもその事は十分に理解しているのだろう。が、頭で理解しているからと言って心から納得している訳では無いようであった。
しかし、同時にファオも情報部員。
任務に私情は禁物だ。
例えポケモンハンターだろうが、ポケモン売買に関わっていようが・・どれ程、ファオが嫌う存在であろうが、それでも任務の為ならば協力を惜しんではいけない。
それが情報部員の、軍人の務めなのだから。
「兎も角、ジュンの信頼の獲得が新プラズマ団に関する情報の入手につながる訳だ・・肝に銘じておけ。・・・明日は早い。・・・俺はそろそろ寝る」
そう告げるとユウタは酔いの回った体に鞭を打ち、何とか立ち上がると部屋の隅にある洗面台に向かい、備え付けの歯ブラシで歯磨きをし始めた。
トランプをケースに戻し手持無沙汰な様子のファオは暫くベッドの上に座り足をぶらつかせていたが、歯磨きを終えたユウタを見るなり、突然立ち上がって顔を輝かせた。
「じゃあ俺が一緒に添い寝を――」
「男性機能を失う覚悟があるのなら挑戦してみるといい」
対してユウタはコートハンガーにかけてある服の中のショルダーホルスターからワルサーPPKを取り出すと、ファオの股間に突き付けた。
「ちょ、大尉」
「おっとこれを付けておかねばならんな」
銃口をファオに向けたままサプレッサーを取り付けると、今度はグイッとのめり込ませる。
思わず生唾を飲み込むファオ。
酒が回っている為か、冗談とは思えない。瞳孔が完全に開き切っている。
このバシャーモの部下への日々の不満もあるのだろう、今にも引き金を引きかねない。
ファオは思わず腰を引くが構わず銃口を急所へ食い込ませる。しかも全くの無表情で、だ。恐ろしいことこの上ない。
このまま部屋に居ては酔った勢いで去勢されかねない――そう判断したファオは懸命にも部屋から退出することにした。
「じゃ、じゃあ俺もそろそろお暇させてもらいますからねっ!G..Good night.My dear Captain」
慌てふためいて部屋から飛び出し、一目散に逃げるファオの背中を見やると、ユウタは鼻を鳴らしそのまま扉を閉めた。
「この程度の演技も見抜けないとは情報部員失格だぞ。銃にかけられた
安全装置を見落とすとは軍属ポケモンとしても失格だな、ヴィクター・ローレンス少尉。精進することだ」
『酒に酔った勢いで銃を突きつけた』のではなく正確には『酒に酔った勢いで銃を突きつける“演技”をした』ようであり、少なくともユウタ本人は自覚的な行動と思っているようだが、そういう行動に出る以上やはり普段よりもかなりハイになっている様であった。
素面の時には決して見せないであろう満面の笑みを浮かべている。酒を飲むと陽気になるタイプである。
気分がいいのかしばらく鼻歌が部屋から聞こえていたがそれも直ぐに寝息へと変わったのだった。