第二十九話 アルセイア文明の謎
シンオウのリーフ邸の書斎のソファでジュンはぼうっと暖炉の火を眺めていた。
ふわふわのソファに身を委ねパチパチと燃える薪が出す小気味いい音と、優しく温かい炎の熱を全身で感じていると何だか眠くなってくる。
豪華絢爛な外装と来客室とは打って変わってこの場所はリーフの個人的な部屋だ。リーフが心の安らぎを求めるときと、ごく限られた友人や知り合いを招くとき以外この部屋の扉が開くことは無い。
「お前の連れてきたアイツ等、何モンだ?」
ウトウトとしてきた所にコツンと軽い音が響いき目が覚める。顔を上げるとどうやらリーフが紅茶とケーキをお盆に乗せて持ってきてくれていた。香ばしい匂いが暖かな湯気と共に立ち上っている。
ロッキングチェアに深々と腰を下ろしゆっくりと揺れながら、リーフは静かに問いかけてきた。どうやらユウタ達について疑念を抱いてるようだ。
特にユウタとの情報交換の際に部屋の外に退出させられたのもリーフが不機嫌な理由だろう。友人兼ビジネスパートナーを別荘に招いたらいきなり見知らぬ1人と1匹がついてきて、自分がここの主だというのに、いきなり蚊帳の外の扱いを受け、ジュン達は何やらこそこそと内緒話をしていたのだから、気分が良いはずがない。
「・・・」
一方のジュンはどう話せばいいのか迷っていた。
ユウタ達が何処かの機関からPHCの内部を探るために派遣されたスパイで、そのPHCはプラズマ団という組織と結託して秘密裏に何かを企んでいるらしい、ということしか今の僕には分からない。
はたしてリーフにこのことを告げるべきだろうか。だけどユウタ達が僕にどこまで本当の情報を提供しているのかも怪しい所だし、今はまだ・・
「怪しむ必要はないさ、彼らは一応信頼できる・・今のところはね」
ジュンの言葉に少し安心したのかリーフは紅茶を啜る。まだジュンがユウタ達について安易に話せないのが伝わったのだろう、それ以上は追及してこなかった。
「しかしお前が知り合いをここにつれてくるとはな。折角招いてやったんだから一人で来ればいいものをさぁ」
どうやらリーフは僕が一人で訪ねてこなかったことに不満を感じているらしい。つまり拗ねてるんだね。
リーフはふんと鼻を鳴らすとトレイの小皿からクッキーを2枚つまむとまとめて口に放り込んだ。
「で、お前これからどうすんだ?」
バリバリとクッキーを噛み砕きながらリーフが訪ねてくる。
「ん、まぁ新しい仕事を頼まれてね。またイッシュに戻らなきゃいけない」
ジュンの返答を聞いたリーフは詰まらなそうに紅茶を啜っていたが何かを思い出したらしく、顔を急にあげた。
「そういやミュウの捕獲に失敗したんだろ。そのミュウから聞いた話ってのを聞かせてくれよ」
ああ、そうだったとジュンはクッキーを頬張る。
ユウタ達の正体はまだ伏せておくとしてPHCが何か怪しげな事を企んでいるであろう疑惑は話しておく必要があるだろう。
というかわざわざシンオウにまで来たのはリーフにこの事を話す為だった。
ユウタ達の驚きの告白ですっかり忘れていた。そうだったね、確か今日はその為に来たんだったっけ。
「まぁ簡潔に言えばPHCが良からぬ事を企んでいるかもしれないってことだよ」
「PHC?あのイッシュの大企業がか?」
PHCの名を出すといきなりリーフが飛びついてきた。珍しいポケモンの話を持ちかけた時とはまた違う表情、実業家の顔になっている。
イッシュを代表する企業の陰謀となれば興味が掻き立てられない方がおかしいが、リーフの場合単純な好奇心に企業家としての計算高さがプラスされている・・そんな表情だった。
「そう。それでね、2年前イッシュで崩壊したプラズマ団って組織があるんだけど・・知っている?」
「プラズマ団か。聞いたことがあるな。ポケモン解放とか訳の分からん事を唱えてた過激な団体だったか」
リーフは立ち上がると書斎の机に近寄り、パソコンの電源をつける。
ブウンと鈍い音がして起動中のランプが緑の点滅を2、3回繰り返した。
少しの時間をおいて立ち上がったパソコンの前でしばらくリーフが画面と向き合っていたが、プラズマ団関連の記事にさっとをめ通した後と短く「ほぉ」とだけ呟く。
「お前の言う通り2年前に崩壊しているな。指導者は逃亡後行方不明か。成程、話が見えたぞ。何故お前がPHCからいきなりプラズマ団の話につなげたのか」
再びロッキングチェアに腰を下ろしたリーフはゆらゆらと体を揺らし、目元を細めて薄笑いを浮かべた。リーフがよくする所謂ドヤ顔と形容される部類の表情だ。
「2年前に逃亡して現在も地下に潜ってる指導者が組織を復活させて、PHCとつるんでるんだな。雇われハンターのお前に白羽の矢が立っていそうな所を見ると、PHCとプラズマ団の亡霊が企んでやがるのはポケモン関係の犯罪・・こんな所だろう」
プラズマ団の亡霊ねぇ。2年前の崩壊に懲りずに復活したんだから成程、リーフの表現は適格かもしれないな。
友人の相変わらずの頭の回転の速さと勘に驚かされつつも素直に感心してしまう。
「その通りだよ、リーフ。そしてその“亡霊”は“時空の歪み”っていう現象を人為的に引き起こしているみたいなんだ。僕らハンターが捕獲したポケモンをPHCを通して大量に入手している事とどう関係しているのかは、まだ分からないけどね」
「“時空の歪み”?なんだそりゃ」
ジュンもその現象について詳しい訳では無いが、ミュウやユウタ達から仕入れた情報を掻い摘んでリーフに話していく。
パルキアと何らかの形で関係した現象であるという事、そしてパルキアの能力を応用した人為的現象である可能性が高い事などを噛み砕いて話すうちにリーフの表情に好奇心の色が強く表れ出した。
「パルキア、シンオウ時空伝説に登場する神話上の存在とされるポケモンだな・・」
今度はポケモンコレクターとしての本能が疼くのだろう、再度立ち上がると今度は戸棚に向かい一冊の本を取り出した。ボロボロの革張りの表紙が印象的な、いかにも貴重そうな古本といった感じが第一印象だった。
「随分と古そうな本だね。見た事無い言葉みたいだけど・・何語?」
表紙に彫られた金色の題名はジュンがこれまで見た事も無いような言語で書かれていた。
言語学には明るくないが、これは恐らく“象形文字”に分類される文字体系である事が何となく見て取れる。
「これはな、アルセイア語だ。アルセイア文明で指導者や神官達が使っていた文字なんだぜ」
アルセイア文明。聞いたことがある。
確かここシンオウで興った人類最古の文明だったはずだけど・・。
僕はパルキアと“時空の歪み”現象の関連性について話していたはずなのに、どうしてそんな古代文明の話に持っていくんだろうね。
「へぇ。で、パルキアと何の関係が?」
「ここを見てみな」
リーフは本を開くと、あるページを指差した。ジュンには全く何が書かれているのか分からない、解読不能な文字がびっしりと書き込まれているが、その中にある挿絵が描かれていた。
四足の純白のポケモン、創造神アルセウス。
同じく四足の深い藍色をしたポケモン、時の神ディアルガ。
2枚の翼を持つ竜の様な外見のポケモン、空間の神パルキア。
金箔がふんだんに使われた3体の神の挿絵、この絵が意味する事は恐らく一つ。この本はシンオウ時空伝説に登場する神々について語っているのだろう。
生憎アルセイア語などと言うとうの昔に廃れた言葉を解読できる知識はジュンには無かったが、一方のリーフはどうなのだろう。読めるのだろうか。
「ここにはアルセイア文明で信仰されていた3体の神が描かれてる。“時空の歪み”とやらと関係してるっつうパルキアもな」
「確か、人類最古の文明じゃなかったっけ?」
ジュンは歴史にそれほど興味があるわけではない。しかし自分達人間が初めて興した古代文明の存在ぐらい知っているのが常識というものだろう。
僕らの遠い先祖だからね、少しぐらいは知っているさ。
「そう。2万年前にここシンオウで突如興った古代文明でな、高い技術力と高度な社会基盤が一体どこから生まれたのか、文明のルーツはどこから来たのか、その全てが今なお謎に包まれてるんだぜ」
「へぇ・・・それで、ここにはなんて書かれてるの?」
悠久の歴史、そのロマンにすっかり心奪われた様子のリーフにそう尋ねると途端に友人の顔が曇った。
「いや、それがな。アルセイア文字は未だに解読されてねぇんだ。この本は遺跡の石碑に刻まれた碑文を写したものだが、今の所アルセイア文字を読み解ける奴は世界の何処にもいねぇ」
「じゃあ、この碑文の意味も分からないんだね?しかしシンオウの古代文明に興味があったなんて知らなかったよ」
誰にも読めない古代文字を書き写した本なんて、いかにもロマンチストなリーフが好きそうだけれど第一何故リーフがこんなものを持っているんだろう。
リーフはどちらかと言うと忘れ去られた文明の名残よりも現代的快楽に趣味の方向性を向けるタイプなんだけどねぇ。
いや、世界中の誰にも読めない本だからこそ彼のミーハー心をくすぐるのかな。
ジュンはもう一度、そのページを覗き込んでみる。
石碑に刻まれた三角形、その頂点にアルセウス、右下にパルキア、左下にディアルガが描かれ、その中央に円が刻まれているが、恐らくこのサークルが世界のシンボルなのだろう。
アルセウスを頂点とした3つの神の中央に描かれる“世界”、当時の宗教観が如実に表れている。
だが妙な点がある。円を内在した三角形の下に描かれた小さな逆三角形の紋章。
いかにも立派に彫られたアルセウスらの偶像とは対照的に真っ黒の縁取りで、不吉な忌むべきものであるかのような描かれ方だ。
「リーフ、この下のは何?」
ジュンが指差した先のシンボルを見やると、リーフはああ、と軽く頷いた。
「俺も調べてみたんだが、所謂“死者の世界”を表しているらしい。今も昔も死は人間が恐れる大きな恐怖だからな。現世を統べる三神に対し、影の世界を統べる王の存在を象徴していると学者達は考えているみたいだ。姿が描かれていないのは影の世界の王それ自体が、死や闇のシンボルだからだろうな」
アルセウスにディアルガにパルキア・・神話上のポケモン達だけど、その存在を前提にミュウは話していた。
状況を整理するとパルキアは実在し、そしてPHC、いやその背後に隠れる新プラズマ団がパルキアを手中に収めていると考えるのが自然だろう。
つまり他の神、アルセウスにディアルガも実在する可能性が高いと言う事だ。
この神話の内容を僕は読むことはできない以上深い事までは分からないけれど、アルセウス達――少なくともパルキアは実在する――の存在が単なる過去の人間達の創作でない以上、ここに書かれた“神話”それ自体も真実なのだろうか?
アルセイア語を読めない以上仕方のない事だけど、この神話が一体何を語っているのか気になる所だ。
壮大なる天地創造の創作ストーリーなのか、それとも何か別の事が書いてあるのか。
ジュンは目の前にありながら決して読み解けぬ謎に少し陶酔しながら何気なく次のページを捲る。
「へぇ今度は人間が描かれているね」
そのページの上部に描かれていたのは、天から舞い降りるアルセウスと“神”を迎えるかのように両手を広げる人間の女性の姿だった。
視線をページの中部に移動させると先ほどの女性が再び描かれていた。
腹部が大きく膨れたその姿は明らかに“妊婦”を表している。
彼女の腹部には光線を表す射線が幾つも彫り込まれている――恐らくは神が彼女の子宮に宿ったことを示しているのだろう。
そしてそのままページの下部を見ると、再び天へと上るアルセウスの姿、そして地上に横たわる女性の姿が描かれていた。
「ああ、そのシーンは中々神秘的だろ」
「“人間の女性がアルセウスを迎え入れ彼女の子宮に神が宿り、再誕したアルセウスが再び天へと昇っていく”・・子宮や出産は古代から生命や永遠の象徴だし、女性性の神格化とアルセウスへの信仰が合わさったストーリーって事かな」
“出産”は世界各地の文化において特別な意味を持っている。
生命そのものの象徴や女性性への信仰に結び付ける文化、或いは大量の出血を伴う事から穢れと見る思想と様々だ。
アルセウスという神の偶像に“出産”を再生の象徴として重ねても何ら不思議ではない。
「最もこのアルセウスの“再誕”の場面が描かれた石碑は今は行方知れず、なんだけどな」
「紛失したの?盗難にあったのかな」
確かに貴重な古代の遺産を集めてる人は幾らでもいるしましてや人類初の文明の石碑だ。
誰かが盗んだのかもしれないね。
「さぁ真相は分からねえ。不思議な事にさ、この本もざっと1500年前の古書の初版なんだか・・」
「1500年前!?5世紀の本じゃないか!」
成程読めもしない古書をなんでリーフが持っているのか得心がいった。つまり貴重だからだ。
僕の友人は希少価値の高いものに目が無い。宝石、装飾品、高価な陶器や皿、それに色違いやレアリティの高いポケモン――こういう見栄っ張りな金持ちに僕らポケモンハンターは支えられているワケだ。
話の腰を折られたリーフはコホン、と咳払いをすると再び喋り出した。
「で、この5世紀の古書の初版には見ての通り“再誕”の場面が石碑から書き写されている。だが奇妙な事に、続く第二版ではこの“再誕”の場面を始めとしたいくつかの石碑の写しが削除されているんだ。しかも、書き写されたアルセイア神話の中で重版後に削除された場面の元となったと思わしき石碑は全て紛失しているんだな」
初版にあったアルセイア神話に関する石碑の転写が、重版ではいくつか削られていたって事か。その中にはさっきの“再誕”の場面もあったと。
しかも書き写される元となった石碑も失われている。
“重版後に削られた場面とそれに対応した石碑”も何故か姿を消したわけか。
「しかもだ。アルセイア遺跡の石碑全てを写したこの本の“初版”は直ぐに禁書になってな。焚書処置でほぼ全部燃やされちまったのさ」
「重版後に削られた神話の場面の元となった石碑は全て行方不明、しかもその場面を含む初版は焚書か。穏やかじゃないね。そこまでして隠したかったって事?古代の神話の一部を?」
現代の秘密文書や軍事機密ならともかく、ただの神話、しかも過去の遺物相手に何でそこまでするのかな。
宗教改革?
それとも神話の一部が時の為政者にとって都合が悪かったのかな?
でも2万年前の文明の宗教でしょ。
アルセウスの実在は兎も角として、5世紀の人にとってもアルセイア文明は太古の昔の遺産だったはずだ。わざわざそこまで手間暇かけて隠匿することに何の意味があるんだろう。
「そうみたいだな。で、焚書を逃れた恐らく唯一の初版を俺が持っているわけだ。どうだ、スゲェだろ!!」
焚書から逃れた唯一の初版、しかも1500年も前の本でさらに紛失した石碑の転写が成されているとなれば・・これはとんでもなく貴重なものだぞ。
リーフがわざわざこの本を持ち出した理由が分かった。
つまり自慢したかったんだね。確かにかなり貴重な、しかもいわくつきの本だ。レアリティの高い高価なアイテムが大好きなリーフの興味を引かないはずがない。
「まぁ確かにすごい。認めるよ」
友人の自慢に若干引き気味のジュンであったが、アルセイア文明とパルキアの関連には純粋に興味が湧いてくるのを感じていた。石碑の紛失と初版の焚書による神話の一部の隠滅も気になる所だ。
と、その時コトッと扉の外から小さな音がした。
ジュンは不審な表情を浮かべ立ち上がり、そろりと扉に近づく。誰かが扉の外で聞き耳を立てていたような気がしたからだ。
「どうした、ジュン?」
特に何も感じないのかリーフは突然のジュンの行動を不思議に思っている。
ジュンは何も答えずノブを回し、そっと扉を開けた。
廊下を見回すも誰もいない。
・・確かに気配を感じたんだけどな。気のせいか・・。
思い過ごしかとジュンは思い直しそのまま扉を閉じる。
背後ではリーフが怪訝な表情を浮かべ、紅茶を啜っていた。
ポケモンハンターとして常にある種の緊張感の中に身を置いているジュンとそう言った場から離れて生活しているリーフとの、第六感の感度の差であろうか。
今回は外に誰も居らず特に異常も無かった為、ジュンは気にしない事にした。
第一ここはリーフ邸、友人の別荘なのだ。気を張る必要などない。
「いや、なんでもないよ」
ジュンは薄く笑うと何気なく書斎の壁にかけてある時計に目を向ける。もう7時だ。
「こんな時間か。夕食の準備が済んでる頃だな」
食事にするか、というリーフの提案に異論はない。丁度空腹感を感じ始めていた所だ。
まずジュンが外に出て、その後先ほどの本を本棚に戻すとリーフも後に続いた。
カチャリとジュンの背後でリーフが書斎の鍵を閉める音が聞こえる。
彼らは廊下に出ると食堂へと向かったのだった。