第二十八話 王の帰還と賢者の避難
イッシュ地方、ホドモエシティ。
街を見下ろす丘の上に佇む教会では今日も元プラズマ団員達が保護されたポケモン達の治療と世話に励んでいた。人に傷つけられ、深い心の傷を負ったポケモン達も大勢いる。
彼らを救うためには誠心誠意を尽くし寄り添う事が必要とされている――ポケモンを救うのは高尚な“大義”などではなく、ただただ目の前の命に寄り添う“愛”などだと、ホドモエで保護活動をしていく内に元プラズマ団員や七賢人の一人、ロットは実感し始めていた。
かつて自らの不満や不平、世に対する敵意を正当化する為に、ポケモン解放のイデオロギーを掲げ、多くのポケモンや人を結果傷つけた事実・・その罪は決して消えはしない。
だが、償うことは出来るはずだ。
今この時この瞬間にもどこかで傷を負い続けている命達にほんの少しの愛を注げることが出来れば・・
「ロット、予備の包帯はあるかい?」
少し前にロット達の前に戻ってきたプラズマ団の王、Nもまたポケモン達の治療を行っていた。
プラズマ団復興宣言を出した「イクトルフ」の真意と謎を確かめるべく、一週間後NはNの城“王の間”へと赴く事にしていた。
勿論、そのまま姿を現すことなどしない。密かに潜りこむのだ。
「イクトルフ」の計画をその目で確かめる為に。
「お待ちくださいN様・・確か、この辺りに」
ロットは立ち上がると背伸びをして戸棚の中をごそごそと探り出した。しかし身長が足りず奥にしまいこまれた包帯にまで手が届かない。
Nは苦笑いを浮かべると、立ち上がり横から手を伸ばし包帯を取り出した。
ロットはすまなさそうにしているが気にせず短く「ありがとう」とだけ告げると、再び椅子に腰かけ傷ついたヒトカゲの腕を包帯で巻き始めた。
黙々とポケモン達の治療を続けるNに元プラズマ団員達もかつての王に尋ねたい事が山ほどあったものの、今は治療に専念すべきだと自制心を働かせ、各自保護されたポケモンの療治と世話に心血を注いでる。
そうこうするうちに最後のポケモン、ヨーテリーに対する処置が終わるとそのタイミングを見計らいおずおずとロットが切り出した。
「N様・・」
「なんだいロット」
治療で心を落ち着けた様子のヨーテリーの頭を撫でながらNは顔を上げる。2年の旅が彼を成長させたのか“王”であった頃よりも、何となく雰囲気が落ち着いている。
「2年間各地を旅しておられた貴方が何故今、イッシュの地に戻ってこられたのですか?」
Nは暫く黙ったままヨーテリーを撫で続けていたが、やがて真顔になるとロットと真っ直ぐに向き合い口を開いた。
「旅の途中にトモダチ達から噂を聞いてね。イッシュで怪しい連中が最近何かを企んでいるらしいって。ホドモエシティで君達がポケモン保護の活動をしているのは知っていたから、心配になって様子を見に来たんだ」
そっとヨーテリーを下ろしてやるN。
元気を取り戻したヨーテリーが教会の奥にあるポケモンルーム、つまりポケモン達の憩いの場へと姿を消したのを見守った後、Nは複雑な表情で少し俯いた。
「・・ボクには分かる。父さんはまだ“夢”を諦めていない。イッシュの地下で何かを企んでいる。ボクは父さんの計画を調べて阻止する為に帰ってきた。かつて犯した多くの過ちを償うためにも、父さんはボクが止める」
沈黙が教会内に降りた。かつて自らの野心の為にNに歪んだ教育を受けさせ、傀儡の“王”として祭り上げたゲーチスをNは父と呼んだ。
“王”であった頃にはただゲーチスとだけしか呼んでいなかったにも拘らず。
窓の傍にそっと立つと哀しげな緑の瞳でNは外の景色をじっと見つめる。
「けれど、プラズマ団の再興を父さん以外に考える者がいたとは予想外だった。しかもその文面を見る限り、父さんの派閥に属している訳ではなさそうだ」
自動削除される前にコピーしプリンターで打ちだした文面に目を落とし、特に気になる点を復唱した。
「『正当なるプラズマ団は2年前の内部分裂によって消滅してしまった。現在、イッシュの地下で這いずり回っているのは闇に潜りしゲーチス率いる『新プラズマ団』――言わば、紛い物だ』、『我らが王、Nが率いる正当なるプラズマ団こそポケモンの希望の灯台となるべきなのだ』・・この文章で特に強調されているのは“正当なるプラズマ団”だ。・・父さんと新プラズマ団に対して“紛い物”の評価を下す一方で、2年前に崩壊したプラズマ団こそが正当だと表現している。かなり事情に精通していそうだけれど・・」
“父”が憑りつかれた悪夢を阻止せんとイッシュに戻ってきてみれば、新たな暗躍者の鼓動を図らずも目の当たりにすることとなった。
Nは重くのしかかるその現実に内心動揺を隠せなかった。
これも自らが2年前に犯した過ち――傀儡の王となり父の邪な野心の片棒を図らずも担いでいた、拭えぬ事実の報いなのだろうか。
ポケモンの為、トモダチの為とずっと自らの正義を疑ったことは無かった。
自分の、プラズマ団の思想こそが正しく今の世界が歪んでいるのだと、そう思っていた。
しかしそれは間違っていた。
Nの思想はプラズマ団という閉ざされた世界でゲーチスが望む駒を育てる為の歪な教育の賜物だったのだ。
その事実と向き合うのはNにとって辛い行為だったが、2年前のあの日城を後にしてから彼は本当の意味での世界をこの目で見てきた。
この世界の美しさも歪みも、ポケモン達と共に。そして誓ったのだポケモン達と。
プラズマ団そのものの歪みを正し、“父”と向き合い、人とポケモンが共存し共に尊重し合える世界を作っていくと。
その為にまずは故郷イッシュで自らが作ってしまった“歪み”を正していこうと決意した。だからこそNは帰ってきたのだ、この地に。この故郷に。
ふとNが窓の外を見やると小さな影が2つ此方に近づいてきているのが見えた。よろよろと教会を目指し歩く2つの影。
一方は傷だらけのルカリオ、もう一方は同じく酷く傷を負っているポケモン――Nはそのポケモンに見覚えがあった。
だが思考が追い付く前に体が勝手に動いていた。Nは教会から飛び出し、よろよろと教会に向かっていた2匹へと駆け寄る。
「大丈夫かい、君達!?」
Nの姿を見て安心したのかルカリオが力なく地面に倒れる。
体中の傷もそうだが精神的にかなり疲弊している、これは早急に応急処置が必要だとそう直感したNはルカリオを帯刀していた剣ごと抱きかかえ、頭を上げた。
その時、浮遊しながらこちらをじっと見つめるミュウと目があった。
ルカリオと同じく相当深手を負っている上に精神的な疲弊もあるのだろう顔色も悪い、だが・・このミュウを見間違える事などありえない。
「おや、君がここにいるとは・・」
「ヘルメス、何故あなたが」
お互いにここでの再会は意外なようで驚いた表情を浮かべていたが、Nははっと我に返り慌ててルカを抱いたまま教会の中に駆け込む。
「N様、そのルカリオは・・それに後ろにいるのは幻のポケモン、ミュウではないですか!?」
抱かれたルカとNの後ろから現れたミュウにロットを始めとした元プラズマ団員達がざわめきだす。
しかしそのざわめきもNの腕の中で力なく横たわるルカの前身の傷と衰弱ぶりを皆が見た瞬間に自然と立ち消えていった。
「これは酷い。今すぐ手当をしなければ。そちらのミュウもかなり手酷い傷を負っていますね。早急な治療が必要です」
傷だらけの二匹に一刻も早い応急処置をせんとNを始め元プラズマ団員達が慌ただしく教会内を往復する。治療薬や清潔なガーゼに毛布、消毒用の熱湯――その他諸々の医薬品を団員達がどんどん運んでくる。
(やはりここに駆け込んで正解でした。それにしてもN、何故彼がここに・・?まあ今は、兎に角・・此処の人間達に頼るしか・・ありません・・)
弟子と共に安全圏に無事到着できた事で気が緩んだのだろう。これまでの緊張が一気に解けミュウの意識がふっと飛んだ。
ジュンとその手持ち達との戦闘に加え、新プラズマ団アキラとの激戦。体に鞭を打ち精神を奮い立たせ何とか意識を保ってきたがそれも限界に達していた。
ホドモエの教会を目指し『テレポート』を行った時点で既に体力は限界を超えていたが、それでもここで倒れては新プラズマ団の魔の手に再び落ちるという危機感で持ってここまでたどり着くことが出来た。
ここが元プラズマ団が立ち上げ運営している施設だからこそイッシュ中の何処よりも安全なのはミュウが一番よく知っている。
「ヘルメス!?」
意識を失ったことで浮遊能力が切れ、地面に落下しそうになるミュウをNは慌てて抱いた。ミュウの本名を叫ぶが、今の彼には届かない。
「N様、彼らの治療をここでやるのは尋ね人や急患があった場合何かと不都合です。地下で緊急治療を行うべきかと」
ロットの助言にNは「ああ」と頷くとミュウを抱いて急いで教会の地下へと降って行った。後からルカを抱いたロットと医療品や水、毛布を元団員達が運んでいく。
ホドモエシティ教会の地下にはミュウの安心の“理由”そのものである空間が存在している。
新プラズマ団でも探れはしない――教会の表の受付や事務的な作業を行う場は“人”の空間だが、その地下にはポケモンの為に秘密裏に作られた、“ポケモン”の隠れ家とも言うべき空間が広がっているのだから。