第二十六話 秘められた力
新プラズマ団の移動要塞『プラズマフリゲート』。古い帆船を装って入るが、その実新プラズマ団の持つ最先端科学技術の結晶のようなもので、船内にはラボや隔離施設、室内実験用の小型『ポータル』発生装置などが詰め込まれている。
3層からなる船内の一角に、『ポケモン工学・キメラ技術研究開発室』と札がぶら下げられた場所がある。
そこに座っているのは、PHCの年少科学者。
エリカ・ヴァイスヴァルト。少し巻き毛がかっている薄茶の長髪に透けるような白い肌、すっと抜けるような目鼻立ち。美少女と呼ぶにふさわしい外見だ。だがその端麗な容姿とは裏腹に彼女の青い瞳が冷徹な知性と非情さを兼ね備えている事には、しばらく彼女と接すれば誰でも気がつくだろう。
「『ポータル』発生実験の調査団達の帰還が遅いわね」
彼女の前のノートパソコンには『ポータル』の実験の為出向していた調査団達の帰還が予定より遅れている事を示していた。いつもは時間通りに動く調査団達が遅れている・・何らかのトラブルがあったのかもしれないとエリカは考え、指をテーブルにこつこつと叩く。
現在新プラズマ団内で進行しているある計画は、イッシュ、いや世界の秩序を大きく突き崩す為の巨大プロジェクトだ。『ポータル』の発生実験も計画の初期段階よりも格段に、精度も発生可能距離も上昇している。
計画の2本柱の内の一本である彼女のキメラ技術の研究開発も完成に近づきつつある今、このプロジェクトは最終段階に差し掛かっている。
だからこそこの状況で発生する不測の事態は極力排除しなければいけない。この計画は時期が重要だ。
その時だった。ノートパソコンに一通の電子メールが届く。調査団の船内パソコンからだ。
「捕獲したミュウと交戦中、やはりトラブルが発生していたようね」
さらにエリカがキーボードを操作すると、ブラウザが立ち上がり動画が表示される。調査団のカメラがリアルタイムで船外での対峙の様子を映していた。
一方はミュウとルカリオ、そして相手はプラズマ団員の戦闘服を着用したゾロアーク・・アキラだ。
「あら」
火野輝。
キメラ研究の実用化段階における実験の被験者第一号にして彼女の『自信作』だ。
ゾロアークへの変身能力と極限にまで強化された幻影能力『夢幻』をアキラには持たせている。しかもあのミュウはポケモンハンターに捕獲依頼した個体、ハンターとの戦闘ダメージがまだ残存しているはず。アキラには勝てないだろう。
だが、これは実用化に至ったキメラポケモンの実戦での戦闘力を計測するまたと無い機会だ。
エリカは敢えて指令を下さず成り行きを見守ることにしたのだった。
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新プラズマ団の移動要塞内に収容される直前で、反旗を翻したミュウ。未だに幻影の拘束に囚われているルカはただ今の状態の師にこの場を切り抜けるだけの余力がある事を祈る事しか出来ない。
「いくで」
最初に先陣を切ったのはアキラだった。元人間とは思えない脚力で飛び上がり、空中で両手に黒いエネルギー体を溜め、ミュウ目がけて放った。
「『悪の波動』!」
悪タイプの特殊技、『悪の波動』。技を放つはゾロアーク、受けるはミュウ。悪とエスパーのタイプ補正も合わさり、もし直撃すれば尋常ではないダメージを受けることになる。
「『守る』」
この攻撃をミュウは『守る』のバリアで防いだ。だが、アキラはにやりと口角を少し上げ、今度は体全体に黒いオーラを纏った。
「ほんならこれはどうや、『ナイトバースト』!」
ゾロアーク系列のポケモンのみが習得できる特殊技『ナイトバースト』。暗黒の衝撃派を飛ばす攻撃技であり、命中すると命中率が一定の確率で下がる追加効果がある。
『守る』のバリアが切れたところに『ナイトバースト』が弾け、追撃を仕掛けてきた。反射的にミュウは上昇し攻撃を回避する。だが、それもアキラの計算通りだ。
ポケモン化により彼の脚力は飛躍的に上昇している。ひとっ飛びで空中に居るミュウに肉薄できるほどに。
“ゾロアーク”の幻影に相手を嵌めるには、一度幻影の効果が適用される有効距離から幻術を掛けねばならない・・そして一度アキラの能力『夢幻』に捕えられたが最後、技を制御するアキラ以外の誰も『夢幻』を解除できないのだ。
「今の2段階の攻撃は囮でしたか」
「せや。俺の幻影技『夢幻』に取り込むにはちょっと近づかなあかんねや。・・俺の『夢幻』は野生のゾロアークのそれとは一味違うで」
アキラは開いた手をぐっと握る。同時に、ミュウの瞳から光が消えた。ルカ同様彼も『夢幻』に囚われてしまったのだ。
「お師匠様っ!?」
ミュウは瞳孔が開き力なく虚空を見つめている。目の前のアキラも、背後のルカも見えていない。彼の眼は今、アキラの幻影に覆い隠されているのだから。
(やっぱり、お師匠様でも・・・彼の幻影には勝てないのか・・)
ルカの内に絶望が広がる。
それはまるで白い紙にインクを垂らすが如く急速に彼の心を支配していった。
その心境に連動するかのように、アキラの幻影の拘束力がますます増大し出す。幻影にかろうじて抵抗していた波導の力がルカの絶望感と共に弱まってきているのだ。
「う〜ん、やっぱこの力は凄いわ。自分らみたいな手練れも、赤子同然やで」
ルカとミュウを「赤子」と言い切るアキラの口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
純粋な技と技、力と力のぶつかり合いになれば底知れぬ知識と力を持つミュウや鍛錬を重ね目では捉える事すら難しい斬撃を放つルカに勝利するのは至難の業だ。そこはアキラも十分理解している。
しかし生物工学の力を借り極限にまで高められた幻影能力『夢幻』の下ではどれ程実力があろうと関係ない。
相手が実力を出す前にそのすべてを封殺する。それこそがアキラのバトルスタイルだ。
「ちゅーてもあっけなさ過ぎてつまらへんけど、仕方ないわなぁ。俺の能力が強すぎるんや」
「おや、まだバトルは終わっていませんよ?」
その声に驚いたようにミュウに背を向けていたアキラは慌てて振り返る。そこには、手に『波導弾』のエネルギーを溜めているミュウの姿があった。
「な、自分――」
油断からの動揺でその急な反撃にアキラは成すすべなく吹き飛ばされてしまう。
「ぐっ・・クソ、やってくれるやないか・・!」
地面に這いつくばり、顔を上げミュウを睨みつける。体へのダメージもさることながら、何の前触れもなく突如幻影の力を突破されたことが余程ショックなのだろう。青い瞳の奥のスリット状の瞳孔が丸く開いているのが見て取れる。
タイプ不一致とはいえ格闘タイプの特殊技では最強クラスの威力を持つ『波導弾』をもろに喰らい、心の揺れも大きなダメージを受けたアキラは、それでもよろよろと立ち上がった。
彼が立ち上がれたのは恐らく、新プラズマ団戦闘員全員が着用を義務付けられている防護ジャケットのおかげだろう。
「俺の幻影、自分どうやって抜けたんや・・」
「これですよ」
ミュウはニヤつきながら手を広げる。彼の掌には何粒かの錠剤があった。
表面にカドゥケウス――『ヘルメス』神が持つ、柄には2匹のヘビが巻きついている杖――の紋章が彫られている白い薬剤だ。
「なんやねんそれ・・第一、自分さっきまで何も持っとらんかったやろ。一体どこからそんなもん取り出したんや」
先程までミュウはルカの腕に抱かれていた。その後、アキラと対峙した後も怪しい行動は一切していない。何か袋のようなものを持っていた訳でもない。一体どこから取り出したのか、そうアキラが訝しんでいるとミュウは少し笑って答えた。
「“取り出した”のではありません今“創った”のですよ、たった今ね」
「は、ハァ!?」
意味が分からないといった表情のアキラ。だがそれはルカも同じことだ。
創った。確かに師はそう言った。しかも「今」と。
笑みを湛えたまま、困惑するルカを一瞥すると、ミュウはため息をついた。呆れているようだが、ルカにはなぜ自分が呆れられているのか分からない。
「ルカ。貴方何故そんな顔をしているのですか?私の能力、ずっと見てきたでしょう」
「私の能力って――」
ミュウは呑み込みの悪い弟子に再度ため息をつくと、指をパチンと鳴らした。それがルカの頭に衝撃を走らせる引き金となった。
記憶がフラッシュバックしていく。
“パチン”と軽やかに指を鳴らし、どこからともなく様々なアイテムを取り出す姿がルカの脳裏に過っていった。
「でもあれは手品では・・」
「私はこの力を“手品”だ等と言った覚えはありませんが」
見栄っ張りで目立ちたがり屋のナルシストが指を鳴らして虚空からアイテムを出現させていても、十中八九全員がそれを“手品”だと思うだろう。事実、ルカもそうだった。
手の込んだ遊び、種も仕掛けもある手品だと。
「では、お師匠様。今まで指を鳴らして物体を出現させていたあれはいったい・・」
「私は少々特殊な力を持っていましてね。通常のポケモンが持ちえない能力です。簡潔に言えば、私は過去に、自分が一度作り上げた物質や物体をいつでも再びこの場で創造することが出来る力――『
再創造』を使う事が出来るのです」
再創造。レ・クレアーレとミュウが呼称するその力はつまり、かつて自分が生み出した物質や物体を瞬時に出現させる能力であると、ルカとアキラは理解した。
(お師匠様、アナタは一体何者なんです・・)
今の今まで己の心の中に秘めてきた疑問が、この状況になってふつふつとわき出してくる。
ルカは他のリオルやルカリオと違い、生命体である以上誰もが逃れられぬ宿命――“死”の波導を感じることが出来る。
そもそもルカがミュウに弟子入りしその下で生きようと決意したのは、彼が何故か“死”の波導を発していなかったからだ。
普段から波導と言う形で“死”と向き合い続けなければならない重圧と周囲からの奇異の眼差しに耐えかねていたルカにとって“死”の影を発しないミュウと共に生きる事は、それ自体が救いだった。
そして、ミュウに弟子入りしてから丸10年経過しているというのに、師は全く年を取っていない。彼から“死”の波導を感じない事と関係あるのだと、ルカはとっくに気がついていた。何かある、と。
だがミュウの性格を熟知しているルカは敢えてそこに踏み込むことは無かった。いつか自分に話してくれるだろうと思っていたからだ。信頼が深まればミュウは自発的に彼の秘密を明かしてくれると信じていた。
そうこうして10年が経過する間に、ルカは歳を取らないミュウの姿にも“死”の波導を感じない事の不自然さにもすっかり慣れてしまい、この事実をいつの間にか頭の隅に追いやっていたのだ。考えないようにしていた、と言う方が正確だろう。
不老に加えて再創造の力まで見せられると嫌でも、ミュウの正体について疑問が湧き上がってしまう。
ヘルメスの名を持つ、自分が師と仰ぐこのポケモンはいったい何者なのか、と。
「レ・クレアーレやと・・随分とチートな能力もっとるやないか。俺の幻影防いだんは、その再創造した妙な薬のおかげやな?」
「その通りです。昔私が調合した魔法薬、『抗幻剤』と言いましてね。使用者に幻術や幻覚といった精神攻撃に大きな耐性を一定時間付与します」
昔調合した魔法薬を『
再創造』し、使用した。
その効果でミュウはアキラの『夢幻』の支配を受けなかったのだ。これには流石のアキラも動揺を隠せない。まさか、幻影能力が打ち破られるとは思いもしなかったのだろう。
ゾロアークの強みは、その強力な幻影を操れる事に集約される。アキラはキメラ技術による強化と自身の鍛錬で幻影能力『夢幻』を磨き上げ、その支配力は新プラズマ団のキメラの中でも比類なきものだ。
だが、その力に対する対策はアキラにとって想定外の事態だった。元々幻影は対策“できない”状態に相手を落とし込む技。
対策される事自体考慮していなかったのだ。対策される事などあり得ない、という驕りがあったとも言える。
そのツケが今如実に眼前に突き付けられ、アキラは顔を歪める。
が、まだ第一関門を突破されたに過ぎない。そうアキラは思い直すことにした。打つ手などいくらでも残っている。第一、ミュウの『抗幻剤』は幻術に対する耐性を与えるだけで、完全に幻影の支配から彼を逃してはいないのだ。
その証拠にミュウは時折目を瞬かせ皺を眉間に刻んでいる。今は持ち前の精神力と『抗幻剤』の効力で幻影の影響を最小限に抑えているだけで、その実彼の精神に少しでもゆるみが出て場直ぐにでも『夢幻』に囚われてしまう状態だ。
「大きな“耐性”ちゅーことは、幻影の支配から完璧に逃れられる訳やないちゅうこっちゃなァ」
ニヤッと笑うアキラ。
プラズマ団員に支給されている拳銃で攻める事も出来るが、それでは単調すぎる。
求められるのは絶対的な勝利。キメラの力の証明もまた自らに課された任務なのだから。
ここは“幻影”で対策の上から叩いてこそ勝利し甲斐があるというものだろう。
「・・・」
ミュウは何も答えない。それだけ彼の余力が残り少ない事を彼の態度は暗示していたし、何より沈黙は肯定だ。
「じゃあこれはどうや?夢幻火葬!」
アキラが腕を天高く上げパチン、と指を鳴らした。と空中に煌々とした赤い揺らめきが表れたかと思うと次の瞬間には身を焦がすような熱波と共に燃え盛る炎が波となってミュウ達を襲う。
『抗幻剤』の効力下であってもそれは幻影の炎の威力は全く衰えていない。耐性を大きく上回る幻影の威力に、ルカは何もすることが出来ない。『抗幻剤』を服用している師に全てを託すしか無かった。
「全く」
この攻撃に対してミュウは――不思議な事に動揺するそぶりを欠片も見せない。寧ろ、どこか哀しそうな表情で俯いている。
「玩具を手に入れ、浮かれ気分の子供相手に“これ”を使う事になるとは・・」
スッと片手を掲げ指先を天へと向ける。
突如周囲が雲に覆われていく。厚い雲がまるで空に蓋をしたかのような重苦しさだ。
「なんや、天候操作の技かいな・・?」
空気がピリピリと張りつめている。この重圧感と威圧感は今までアキラが感じた事の無い感覚だった。
天候操作の技などではない。もっと危険な、それでいてある種の畏敬の念さえ覚えてしまうような純粋な“力”の脈動をアキラも、ルカも・・いやこの場に居る全員が体で感じている。
「自分っ、一体何を――」
「『裁きの礫』」
次の瞬間、雲に覆われた空が開け、強烈な光が多数飛来し始めた。
ミュウが作り出した“礫”が何百、何千の運動エネルギー弾となって地上に降り注ぎだしたのだ。
『裁きの礫』が地面に、海に、林に、そして『プラズマフリゲート』に直撃する。
強烈な爆風が彼方此方で吹き荒れ、爆発音と熱風に木々はなぎ倒され発火し周囲のあちこちに火の手が上がっていく。爆音と悲鳴の二重演奏にルカはただ呆然とするしかなかった。
ミュウの使用した『裁きの礫』により瞬く間に一帯は地獄絵図と化したのだ。
「その技は・・アルセウスの・・・」
直撃こそしなかったものの爆風に吹き飛ばされたアキラはしかし、辛うじて意識を残していた。
彼以外のプラズマ団員達は皆吹き飛ばされ動けもしない中でアキラだけが耐えられたのは、彼が強化生体―キメラだったからであろう。
だが、ミュウは何も答えず背を向けると『サイコキネシス』でルカを自分に寄せた。
「お師匠様・・」
「別の場所に『テレポート』します。今の私の体力では大した距離を移動できませんが・・私の手を握っていなさい」
『テレポート』を使えないルカがミュウと共に瞬間移動行い離脱するには、技の使用者であるミュウと手をつなぐ必要がある。
ルカは黙ってうなずくとミュウの手を握る。今はこの場を離れることが先決だ――山のような疑念と疑問をルカは胸の内にいったん閉まっておくことにした。
次の瞬間ミュウはルカ共々忽然と姿を消したのだった。