第二十五話 協力者
リーフ邸の居間に案内された僕達はクッションの効いた白いソファに腰を下ろし出されたケーキと温かい紅茶をご馳走になっている所だ。
とろけるような甘さでいて上品さを失わないこのケーキ、流石リーフが出すお菓子なだけある。
あまりの美味しさについついケーキに夢中になっていると、もう既に食べ終わったユウタが話を切り出した。あ、それとリーフはこの家の主であるにもかかわらずこの部屋から追い出されてしまった。執事さんやメイドさんと一緒に。ここまで警戒する必要ってあるんだろうか?
「で、ジュン。お前、俺に話したい事があるんじゃないか?ヤバいネタらしいが」
「えっとまぁ、PHCの裏についてなんだけどね」
上目使いにユウタを見やると、不思議な事にユウタは態度を変化させる事無く「ふむ」とだけしか言わなかった。ファオさんはおかわりしたケーキを夢中で貪ってて興味なさそうだし、まるで僕がこの話を切り出すのを予期していた様な反応だな。
少し訝しく思うも気にせず、ジュンは話を続ける、
「今回、僕はミュウの捕獲ミッションを依頼されただろ?信じられないかもしれないけど、そのターゲットであるミュウからPHCに関する興味深い話を聞かされたんだ」
ミュウに関する発言で、一番最初に反応を示したのはファオさんだった。嘴の周りに付着したケーキの残りかすをティッシュで拭きながら興味深そうな視線を此方に向けている。
そしてユウタはというと、ファオさんと同じく興味は持ってくれたみたいだ。
「続けろ」
と一言。これだけで相変わらずの硬い表情でもきちんとこちらの話を聞いていることが分かるね。若干指令されてるみたいだけど。
「要約すれば世界各地で発生している“時空の歪み”と呼ばれる怪現象とPHCが関わっていて、同時期にパルキアが消失した事から考えると、もしかしたらPHCがパルキアを秘密裏に捕獲したかもしれないってことだよ。パルキア捕獲の副作用として“時空の歪み”が各地で発生している可能性がある、そうミュウは話していた」
そこまで話し終えてユウタ達の表情を見ると、若干、本当に若干だけどユウタの眼が見開かれていた。驚いているようだ。
紅茶を啜ってまろやかな味を楽しんだ後、ジュンはソーサーにカップを戻しファオの方を見る。勿論、ミュウから仕入れた鮮度のいいネタに対する反応を見るためだ。
ファオは、ジュンの予想を裏切り驚くでもなく平然と3皿めのケーキを頬張っている。凄い食欲だ。
ケーキに黙々とがっつくその姿を見た後、ジュンはユウタに向き直った。ファオの青い瞳がジュンを見据えている事には気づけなかったのだろう。
一方のユウタは表情こそ変わらないが、内心ジュンがPHCに関する詳しい情報を手に入れていたことも予想外だったが、それ以上にここで“空間の神”パルキアの名を聞くとは思わなかった。
(・・・PHCが“時空の歪み”現象に関わっているというジュンの情報。そしてそれはPHCとの共同研究を現在行っているポケニック――つまり、“時空の歪み”は新プラズマ団がPHCとポケニックという二重の隠れ蓑の背後に隠れ、引き起こしてきた現象であるという推測を補完しているな)
だが推測がついていた“時空の歪み”現象とPHC、及び新プラズマ団の関係性よりも、気になったのは“空間の神”パルキアについての情報だ。
シンオウの伝承や伝説に登場し、実際に目撃例も存在しているが、未だにその存在自体が謎に包まれている“神”と呼ばれしポケモン。そのうちの一体、パルキアを新プラズマ団は手中に収めたというのか?
数年前にシンオウ政府主導の大規模なポケモンの能力に対する調査が行われたが、そのプロジェクトで“神”と呼ばれしポケモン達については、シンオウに伝わる伝説や伝承、あるいは希少な目撃例を下にディアルガ、パルキアそしてアルセウスの三体の能力値や特性を推定されたが、能力値を少なく見積もっても人の手に負える存在でないと断定されたことがあった。
“時空の歪み”が生じているのは何らかの副作用なのか、あるいはパルキアの力を利用してそれを引き起こしているのかのどちらなのかは分からないが、もし新プラズマ団がパルキアを捕え何処かに拘束し続けられているのだとすれば、空間を支配する“神”をコントロールするだけの力を持っていることになる。
しかし妙だ。新プラズマ団は2年前に崩壊したプラズマ団が分裂しより先鋭化した組織。なのに、この技術力の高さは何なんだ。この2年の間に一体何があったんだ?
あるいは、新プラズマ団は分裂前のプラズマ団から研究を引き継いでいる可能性もあるが・・。
「思いがけない収穫ですね」
「まさかこの場でパルキアの名を聞くとは思わなかったな。ミュウが情報源とは驚いたが・・調べてみる価値はありそうだ」
いつの間にかにじり寄ってきたファオがジュン達に怪しまれないように気を配りながら耳元で囁いた。「ああ」とだけ短く返す。情報源がミュウという事自体驚きだが、情報部が現在掴んでいる事実とも話の内容が合致している以上、パルキアに関する部分の情報も信憑性が高い。
何よりも新プラズマ団による人為的現象“時空の歪み”に、“空間の神”が何らかの形で――それが彼らの計画遂行に対する偶発的な事象なのか、あるいはそれ自体が何かの実験の結果発生したのかは分からないが――関わっていると考えれば筋は通るのだ。
だが、PHCに疑惑の目を向けた大元の理由はポケモンを使用した違法な生体実験に対する容疑だったはずだ。
パルキアの捕獲、それによる“時空の歪み”の2つの情報と秘密裏の生体実験がどうも結びつかない。
ユウタはちらりとジュンの方を見る。今ジュンは自分をPHCの、ポケモンハンターの同僚「神川雄太」だと思い込んでいる。まさか自分がシンオウ政府直属の情報機関からPHCの内部調査の為派遣された情報部員とは夢にも思っていないだろう。
今、ジュンはPHCに秘匿された情報に興味が向かっている。この場でジュンの心を掴むことが出来れば今後の諜報活動に役立つ。
何よりもジュンはポケモンハンター、しかもPHCからの信頼も厚い。実績があるからな。
――コイツを上手く使えば、PHCの生体実験とパルキア捕獲の疑惑とそれに付随する“時空の歪み”との関連性が見えてくるかもしれん。
(流石に正体をすべて明かすことは出来ないが・・少し俺からも動くか)
「・・ジュン、お前に一つ黙っていたことがある」
「何?」
ファオが「いいんですか?」と言った表情でこちらを見つめているが、軽くユウタは頷くと足を組み直し、しばし伝えるべき情報を整理した後口を開いた。
「俺とファオは、実はPHCの内部調査の為に派遣されたある組織の一員でな。詳しくは話せんが、お前の情報と俺達の調査対象は共通点が多いようだな」
「ちょ、ちょっと待ってよ。ユウタ、君はPHCのポケモンハンターのはずじゃ・・」
突然の告白に戸惑いを隠せないジュン。信頼してたからこそリーフ邸でこうやって会合しているというのに、その相手からいきなり「自分達はPHCの内部調査の為派遣されたスパイ」であると言われれば動揺もするだろう。
「ポケモンハンターとして潜伏し、PHC内を探っていただけだ」
PHC内部を探っていたという事は、国際警察関係者ってこと・・?そもそもPHCの暗部としてミュウから聞かされた内容と同じ事をユウタは――いや、ユウタ達はずっと探っていたってことになる。そして正体をわざわざ明かしてきたってことは、僕がPHCの信用を勝ち取っている利用しやすい駒で同時に自分を裏切らない存在だと、ユウタが思っているからだ。
「ユウタ、君は公安関係か何かなの?」
「まぁそんなところだな」
どうやらこれ以上自分の身の上を明かす気は無いらしい。ファオさんにしても同じようだ。
これまでのユウタのどことなく高圧的な態度、親しい仲だからこそだろうけど、身も蓋もない言い方や簡潔な説明を求める態度は司令官にでも命令されているような気分になることも多かった。
その理由が何となくわかった気がする。ファオさんの言葉使いを見るにユウタの方が立場が上なんだろう。つまり、ユウタはある程度の地位があって、主に現場で活動する立場なんだろう。
一体どこの組織からPHCに送り込まれたのかは皆目見当がつかないけどね。ただ、僕が利用できるポジションに居る内は僕の身は彼らによって保障されると考えていいのかな。僕がユウタ達に逆らわなかったら、だろうけれどね。
「で、ユウタ。君は僕に何を望むわけ?」
「俺達の諜報活動に少し協力してくれるだけでいい。お前も興味があるだろ、PHCの暗部に。だから、俺と合流してこの場で話を切り出した。違うか?」
違わないけど、ここまで事態が入り組んでいるとは正直思っていなかったって言うのが正直な所かな。
しかしこれはチャンスかもしれない、そうジュンの心にあるアイデアが浮かんだ。ユウタ達はPHCの暗躍とパルキア消失の謎についての情報を手に入れたがっている。そしてその情報収集役はPHCから信頼され、裏稼業に携わっているジュンこそ適任だと思われている訳だ。
彼らがいったい何処の組織からPHCに送り込まれたのかは分からないが、“ポケモンハンター”としての基本的技能を習得させた潜入調査員を潜りこませている所や公安関係かと聞かれて「そんなところだな」との反応が返ってきた所を見るに、おそらくイッシュ以外の公的組織か国際警察の関係者とみてまず間違いないだろう。
――つまり、彼らの“スパイ”になることを選べば大きなバックアップと情報源を一度に手に入れられる事になる。
そうなればジュン自身の『計画』の達成に近づける可能性が出てくる。元より、ユウタがその素性を少しでも明かしてきたという事は自分には選択の余地がないという事だ。
それに、ユウタが僕を“仲間”に引き入れる事を望んでいる訳で、今のところは僕の協力者でいてくれそうだし・・ここは友人の期待に応えるとしようか。
「分かった。君達に協力しよう」
「いい返事だ」
ユウタは望んだ返事が得られて少しだけ笑って見せた。恐らく本心なのだろう。ユウタとて打算だけでジュンにその正体の一部を見せたわけではない。きちんとした信頼もあっての事だ。
「それでは、お前にコードネームを提供しよう。PHC内部をお前が探って居る内は、俺達は同志だ。今後は仕事中、俺達はコードネームで呼び合う事になる」
「コードネーム・・?という事は、もしかして」
ジュンはファオの方に目を向けた。既に4皿目のケーキを平らげ終えていたファオはジュンと目が合うとパチリとウインクしてきた。随分とお茶目なバシャーモだ。
「そ、“
V”は俺のコードネーム。よろしくな」
ユウタに視線を戻すと紅茶を飲みほした後、静かに口を開く。
「お前の携帯に登録されている『神川雄太』も察している通り偽名だ。名前の方は本名だがな。・・俺のコードネームは“
Y”だ。覚えておけ。そして今日から俺達と接触及び情報の受け渡しの際にお前が使用すべき名は――『
J』だ」
「ヨット、ね。分かったよ、ユウ―いや、イプシロン。で具体的に僕は何をすればいいの?」
「・・PHCと関係を持ち、この事件の真の黒幕と俺達が疑っている組織があってな。――その組織、『新プラズマ団』は“時空の歪み”現象を引き起こし、パルキアさえその手中に収めている可能性があるわけだ」
新プラズマ団・・?確か前にイッシュで騒ぎを起こしたのはプラズマ団っていう大きなグループだったけど、それの次世代版ってことかな?
「それにPHCはポケモンハンターを通じて大量の野生のポケモンを捕獲してる。不正規の秘密倉庫まで用意してな。俺の見立てでは恐らく秘密裏に捕まえられたポケモン達はPHC、そしてそこと協力関係にある新プラズマ団の違法な生体実験に使われている可能性が高いのさ。」
「違法な生体実験?でも、PHC内でそんな怪しげな施設があれば噂にならない?“人の口に戸は立てられない”んじゃないの?」
ファオの発言にジュンは違和感を覚える。下っ端とはいえジュンはPHCの裏稼業の為に雇われているポケモンハンター。そんな大々的な違法施設があれば風の噂ぐらいにはなりそうなものだ。倉庫程度ならともかく、PHCは一応体面上は合法的な企業。イッシュ各地に研究施設を持っているとはいえ、そこはイッシュ政府の調査を定期的に受けている訳で、そんな公共の眼が届いている場所でポケモンを使った違法な生体実験などすれば直ぐに露見してしまってもおかしくないはず、そうジュンは思えずにはいられなかった。
「そこでファオの調査が生きてくるわけだ――ファオ、確かお前が監視していたPHCの運搬車はポケニック社の倉庫に入ったんだったな?」
こくりとファオが頷いたのを確認し、ユウタは続ける。
「現在PHCと連携している企業『ポケニック・インターナショナル』は関連情報から新プラズマ団の隠れ蓑だという事が判明している。ファオの情報によれば、PHCはポケモンハンターからポケモンを収集した後、ポケニック、つまり新プラズマ団の管理する倉庫へと移されている。これは俺の予想だが――『PHCはハンターを用いてポケモンを捕獲した後、新プラズマ団へと大量のポケモンを流しており、違法な生体実験やパルキアの捕獲及び“時空の歪み”の発生はPHCではなく新プラズマ団が行っている』と俺は思う。まぁ確かにお前の言う通り、PHCは公の企業、大それた行動は少なくとも自分達の領域内では出来んだろう。露見した時のリスクがデカすぎる。だが、イッシュの陰に潜む『新プラズマ団』ならば可能だろうな」
ちょっと待ってよ。ユウタの話を纏めるとだね、PHCは僕達“ポケモンハンター”を通じて大量のポケモンを入手して新プラズマ団に流しているだけで、実際に中心的に活動しているのは寧ろ、新プラズマ団ってことになる。
「ポケモンの供給の他に技術提供ぐらいはPHCもしているだろうが、一連の秘密行動の中核を担っているのはポケニックの影に隠れた新プラズマ団の方だ。恐らく、間違いない。そこでジュン――」
「ヨットじゃないの?」
話の腰を折られたユウタはムスッとした表情で「今はいいんだ」と言い張ると、仕切り直しに残っていたケーキの最後の一かけらを口に放り込んだ。食べ終わった後、足を組み直し、不敵な笑みを浮かべ口を開く。
「お前にはPHCを通じて新プラズマ団への接触を依頼したい。勿論新プラズマ団内部まで潜りこむ必要はないが、お前はPHCで信用あるポケモンハンターだ。幹部や指導者の情報ぐらいは掴めるだろう」
やっぱりそう来たか。ここでユウタが望むとすれば、僕のPHCからの信頼を利用しての新プラズマ団との接触しかない。
予想通りの依頼にジュンはため息をつく。ミュウの話に単純に興味を持っただけだったが、まさかこんな展開になるとは予想外だったからだ。
「分かった。努力してみるよ」
「頼んだぞ。後で俺達との連絡用の携帯端末を渡す。今後の連絡はそれで行ってくれ」
だが、心の何処かで少しこの状況を楽しんでいる自分がいるのも事実。
・・しょうがない。少し頑張ってみようか。
ミュウが教えた真実の断片が今この場で新たな動きを紡ぎつつあった。そのことにジュンはまだ気づかないでいた――