第二十四話 最後のチャンス
リーフが用意してくれた車両に乗車しジュン達は今、リーフ邸へと向かっている所である。
『グローバルトレードステーション』で合流したユウタ達は広くゆったりとした車内に満足しているようで、うんと体を伸ばしている。特にファオさんはわざわざ僕の隣に座ってスケベな事をしようとでも言うのか、こちらにもたれ掛かってきたり、腕を肩にまわそうとしてくる。
もっとも僕の身の安全を守ろうと立ちはだかってくれているレイシアの働きと、ルームミラー越しに車内を確認しているのか、彼のしつこい絡みを見かねた運転手さんが時折発する「こほん」という咳払いのおかげでリーフ邸に到着する頃まで、なんとか僕は心身ともに無事でいられた。
ファオさんの雇い主のはずのユウタは我関せずを最後まで貫き通し、窓から見えるシンオウの景色に遠い目を投げかけていたけど・・気にしない事にしよう。
リーフ邸はシンオウ地方のソノオタウン、タタラ製鉄所を経て205番道路を横断した所にある大きな森、『ハクタイの森』の奥に佇む邸宅だ。
世界中にあるリーフの別荘の中でもとりわけ大きく、装飾過多とも思える外装はいわゆる『ロココ様式』と呼ばれる建築様式を取り入れ薄い赤色の煉瓦で出来た外壁と落ち着いた青の屋根は旅人やこの森に住むポケモン達の注目を集める役割を如何なく発揮してきたに違いない。
召使いと思しき男性がゆっくりと重厚な扉を開けてくれたので、ユウタ達と共に一歩中に入るとその迫力に圧倒されジュン達はぽかんと周囲を見渡す事しか出来なかった。
白塗りの内壁に金色の装飾もさることながら、部屋の各所に飾られた純白の女神像、上を見上げれば天井を覆い尽くす天井画。贅を尽くした調度品の数々。リーフの趣味をそのまま体現している。
『装飾過多だな。誰だ、こんな自己顕示欲丸出しの悪趣味な邸宅を作らせたのは』
ソル、これ作ったの僕の友人なんだけど一応。後、伝統的なロココ様式の建築物を“装飾過多”と“悪趣味”でぶった切るその姿勢、流石だよ。
『でもゴージャスで素敵だわ〜。人間の家でも住むなら私こういう所が良いわねぇ』
某少女漫画に登場しそうなロマンチックで耽美的な内装を気に入ったのか、我らが紅一点、レイシアはうっとりと別荘の中を見渡している。もはや別荘と言うよりも城のレベルなだけあって、そうした贅を尽くしたこの趣味もレイシアの琴線に触れているんだろう。
とジュン達の向かい側の扉が開き、一人の青年が姿を現した。豪邸の主とは思えぬラフな格好――少なくともこのどこぞの宮殿を彷彿とさせるこの場所にはおおよそ似つかわしくないパーカーつきのだぶだぶのジャケットとユーズドジーンズというストリートファッションに身を固め、短髪を金に染めているものの、顔にはまだどことなく幼さが残るこの青年こそ、ジュンの友人兼ビジネスパートナー、リーフだ。彼は到着した友人一行を見るなり破顔一笑して駆け寄ってきた。
「ジュン!よく来た!ようこそ、俺の別荘へ!」
「やぁリーフ。元気そうでなによりだ」
リーフ・アイビー。
よく名前の綴りを「Leaf」と間違えられるけど、実際は「Leif」で遠方の地の古い言葉で「最愛の人」や「子孫」の意味があるらしいけど、そんな親の愛情と期待を一身に背負って機転が利くけど少々我儘な人間に育ったというわけさ。一応僕のビジネスパートナー兼友人ね。
最近はPHCからの依頼で忙しかったからリーフにもなかなか会えなかったし、リーフは僕と敢えて本当に嬉しそうだ。で、僕の後ろに見慣れない面々がいることに気がついたのか怪訝そうな表情で肩越しにユウタ達をチラリと見たかと思えば、耳元で囁いた。
「こいつら誰?」
「まぁPHCの同僚ってところかな」
ふーん、とリーフは訝しげにユウタ達を眺めていたが、構わずにジュンが屋敷に入ると興味がそれたのかそれ以上問いかける事もなくジュンを広間に案内すべく付き添って歩き出した。
若干の居心地の悪さを感じつつもユウタ達もリーフ邸へと足を踏み入れたのだった。
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一方、新プラズマ団にミュウごと拉致されたルカは目隠しをされた上、『ゾロアーク』に変身できる能力を持った謎の青年アキラによって波導の力までも封じられた状態で檻の中に閉じ込められていた。
今ここが何処なのかはこの状況ではルカには分からないが、黒い船体の船に連れ込まれた事は確かだ。磯の香とスクリューを動かすモーター音がしている以上まだ海の上と見て間違いないだろう。
(一体、俺達をどこに連れて行くつもりなんだ?)
新プラズマ団の青年、アキラの操る幻影の拘束力は凄まじくどんなにもがいてもルカの体が自由になることは無かった。
目も見えず波導感知もできないこの状況下であっても、ルカにはひとつ分かることがあった。ここが船であるという事以外にも、近くに若い人間の男のにおいを感じていた。ルカリオは飛びぬけて嗅覚に優れたポケモンではないが、それでも近くに先ほどの青年、アキラがいるという事は目と波導を封じられている今でも知ることが出来たのだ。
「アキラ、アナタ達は一体俺達をどこに連れて行くつもりだ?」
「ん〜どことは教えられへんけど、まぁ心配すんなや。もう到着するわ」
檻の外で胡坐をかきながらアキラはルカの質問に答える。今現在、アキラを含む調査チームは新プラズマ団本部への帰還の帰路におり、『ポータル』の発生実験の成功、及びルカ達の捕獲という朗報を携えているためアキラも気分がよかった。
これまで秘密裏に行ってきた『ポータル』の実験は難航しており実験に失敗するたびに、その報告をエリカの下へ提出するのは気が滅入る作業だったが(アキラ自身は実験に参加しておらず、どちらかと言えば戦闘要員であるわけだが・・)、最近になってようやく実用化の目途が立ってきた訳だ。そこへきて孤島での『ポータル』発生実験の成功。エリカの喜ぶ顔が目に浮かび、自然とアキラの顔も綻ぶ。
しばらく調査船が海を走っていると、イッシュの海沿いの街『セイガイハシティ』の港近くへと到着した。
アキラ達の目の前に見えるのは調査船とは比べ物にならない程巨大な帆船だ。調査船と同じく基本色は黒だが、船体の中央を横切るクリアブルーのラインが印象的で目を引く。
「着いたで」
アキラは立ち上がると檻の扉を開けた。檻の中からのそのそとミュウを腕に抱いたルカが出てくる。
このまま帆船へと連れ込んでも良いが、この新プラズマ団が誇る巨船ぐらいは見せてやろうと思い立ち、アキラはルカの後ろに回り目隠しを解いた。
「なんだ・・この巨大な船は・・?」
驚きに目を見開くルカ。調査船が小さく見えるほどの巨大な船体に圧倒されている。その様子をアキラは満足げに眺め、少し笑って言った。
「えらくごっつい船やろ。『プラズマフリゲート』ちゅうんやで」
「・・ただの帆船というわけじゃなさそうだな」
何故アキラがわざわざ目隠しを解いたのかは分からない、単なる油断かそれとも気まぐれか・・どちらにせよこのチャンスを逃せば次に逃亡の機会が訪れるとは考えにくい。『プラズマフリゲート』、この船が彼ら新プラズマ団の活動主要拠点と考えれば、一度この中に閉じ込められれば外に出るのは至難の技だろう。仮に脱出できたとしてもそこが大海原ならどうやって陸地まで逃げ切るというのだろうか?
しかも、この『ゾロアーク』に変身し幻影の使用さえ可能にする技術――キメラ技術と言っていたか――が他のポケモンの姿と能力も人間がコピーできる事を許すものである可能性が高い以上、新プラズマ団の掌中に一度足を踏み込めばそこから無事に帰還できる確率は非常に低いと考えざるを得ない。
つまり逃げるなら“今”しかないわけだ。
ルカはチラリと視線をアキラの腕に抱えられた愛刀に向ける。今、幻影に囚われている上剣も没収されている。まずこの幻影を打ち破ることが困難な上にどうやって剣を取り返しこの場を逃げることが出来るというのか。
(今あの巨船に連れ込まれたら逃げ出すのは絶望的だな・・)
「アキラ・・いや新プラズマ団、アナタ達は一体何をしようとしているんだ?ポケモンに変身できる技術にお師匠様が言っていた“時空の歪み”、アナタ達が言う所の『ポータル』の発生・・このイッシュで一体何を企んでいる?」
「言ったはずやで、“自分に話さないといかん義務なんてない”ってな」
その答えにルカの眼光がより鋭くなる。妙な所で口の堅い男だ。
他の調査員達はぞろぞろと下船し始めている。『プラズマフリゲート』へ乗り込むために。急がないとまずい、ルカの直感がそう囁く。
「・・PHCと“時空の歪み”の発生の関係性をお師匠様は調べていた。この“時空の歪み”の発生と時を同じくしてパルキアが姿を消した事を探ってPHCの存在に行きつき、この大企業が“時空の歪み”とパルキアの消失と関係しているんじゃないかと推論を立てていたんだ。でも、この“時空の歪み”の現象がアナタ達新プラズマ団による人為的なものだとすれば――話は変わってくる」
アキラの注意を逸らし幻影の拘束力を下げるために打ち明けたルカの知る限りの事実を聞いた瞬間、アキラの目が丸く見開かれる。
色々ルカ達が嗅ぎまわっているとは思っていたがまさかそこまで真相に近づいていたとは夢にも思っていなかったに違いない。
彼の抱える剣にチラリと確認し、視線を彼に戻すとアキラの表情には先ほどの余裕綽々と言った顔つきから一転、大きな動揺が見られる。もしかしたらこの“幻影”による拘束が外れる隙が作れるかもしれない、そう思いルカは続けた。
「お師匠様と俺はずっとPHCがパルキアの消失と時期を同じくして同時多発的に発生しだした“時空の歪み”に関わっていたと思っていた。だが、PHCが新プラズマ団の隠れ蓑か、あるいは協力関係にあるとすれば・・・アナタ達こそがイッシュの水面下で暗躍している“影”という事になる・・」
アキラは何も答えない。今までにない真顔でこちらを見つめている。しかし幻影の力は揺らがない。おどけた態度とは裏腹にかなり隙が無い男だ、そうルカは内心舌打ちをした。
「“時空の歪み”がアナタ達が行っていた『ポータル』の発生実験の結果引き起こされた現象なのは確かだ。まさかとは思うが、アナタ達はパルキアに・・“神”にまで手を出したんじゃ――」
「おっと、お喋りはそこまでや」
腰のホルダーから拳銃を抜いたアキラがルカの額に銃口を突きつける。先ほどのような笑い顔はもうそこにはない。ルカの前身に緊張感が走った。視線はアキラの表情と引き金にかけられた彼の指へと交互に移る。
「全く・・自分らが俺ら事嗅ぎ回っとったのは感づいとったけど、まさかそこまで鼻が利くとはビックリやで」
この幻影さえ無ければ今すぐにでも倒せるのにと、悔しさと自分の不甲斐無さからルカはギリギリと歯ぎしりをする。『ゾロアーク』の力さえなければ拳銃などルカにとって本来脅威でもなんでもない。波導が読める彼には銃弾が発射される前に対処することは十分可能だからだ。
しかし波導さえ欺くこの幻影がある限り、ルカは本来の力を発揮することが出来ない。
実体無き拘束に翻弄されている今の状況があまりにも屈辱的で、その上この状況を打開する手立てが幻影によって封殺されているというこの絶望的な状況でルカの心に焦りが生じ始めていた。
「まぁ自分らの頑張りの免じて少しだけ俺らの秘密教えたるわ」
アキラはしゃがみルカと視線を合わせると口元に人差し指を当て「ここだけの話な」と囁き、話を切り出し始めた。親しげな表情と脳天に突き付けられた拳銃とのギャップが逆にルカの背筋を寒くする。
「自分らの言う通りや。俺らはPHCと協力してイッシュの水面下である計画を進めとる所でな。自分らが“時空の歪み”言うとる現象は『ポータル』の発生実験の副産物や。ちゅーてもパルキアについては半分正解、半分間違いやな」
半分正解、半分間違い?何を言っているんだこの人は・・?
新プラズマ団の、しかも恐らくこの組織に深くかかわっているアキラが認めているとなればイッシュの大企業PHCには新プラズマ団が深くかかわり、何らかの大規模な計画を企てているのはまず間違いない。
しかしパルキアを捕獲した、という事については曖昧な返答を返しただけだ。
「アナタ達は・・パルキアを捕獲してその力を我が物にしているんじゃないのか・・?」
「確かに俺らはパルキアの力を使うとるけど、“捕獲”してっていうのは少し違うんやな、これが。まぁ殆どの団員やお偉いさんは自力で捕まえた思うとるやろうけど、少なくとも“俺ら”にとっては『捕獲した』ちゅー指摘は事実とズレとるなぁ」
・・・一体どういう意味での発言か、詳しい事はルカには分からない。
(“殆どの団員やお偉いさん”と“俺ら”との認識は違うという事か?つまり新プラズマ団内にも派閥がある、と)
だがアキラの今の発言で分かったことがある。新プラズマ団は決して1枚岩の組織ではなく、派閥が存在し組織内の意思疎通が途切れている可能性が高いという事だ。
「おっと、無駄話が過ぎたようやな。続きは『プラズマフリゲート』の隔離施設でゆっくり話したるわ」
「それには及びませんよ」
突然中性的な美声が聞こえた。ルカの腕の中から。驚いたのはアキラだけではない、ルカもまた目を丸くして反射的に抱きかかえた師匠――ミュウに視線を移す。
「お、お師匠様。気を失っていたんじゃ・・」
「私が倒れていた方が彼らも油断してくれると思いましてね。事実、その通りでしたが」
ふわりとミュウは浮かび上がるとポカンと呆けているアキラを一瞥し、口元を少しだけ動かし微笑した。
「お初にお目にかかります、私はヘルメス・トリスメギストス。種族は見ての通りのミュウ。ヘルメスともミュウとも呼んでくれて構いません」
「・・自分随分人間の言葉上手いやん。そこのルカリオもなかなかのやり手やったけど自分はもっとヤバそうやな」
本能的に危険なものを感じたのか、アキラは瞬時に『ゾロアーク』形態へと変化し背を屈め、まるで獲物を狙う肉食獣が如き眼光でミュウを睨む。銃が役に立たない相手だと直感的に感じたのか、先ほどの拳銃はホルダーをホルダに収納した。
周囲のプラズマ団員達も異常事態に気がついたらしく各々ボールホルダーからモンスターボールを取り出し始めた。
幻影で全ての能力を封じられている今、この状況は非常にマズい。ルカの額に冷や汗が滲んだ。自分は幻影に囚われ戦えず、一方の師もポケモンハンターとの戦いのダメージが残っている。まともに戦える状態ではないはずだ。
(そもそも彼の幻影に一度でも囚われれば、いかにお師匠様といえども厳しい・・。しかもこの人数相手だ。一体どうするおつもりなんだ、お師匠様は・・・)
「ふむ、今現在ルカを封じ込めているのはゾロアークの幻影と言った所でしょうかね」
「俺の変身みて驚かんかった奴は初めてやで」
ミュウはアキラの変化を見ても――人からポケモンへの変身という異常な光景だというのに――驚かなかった。口元に薄い笑みを浮かべ興味深げにアキラを観察しているようにも思える態度だ。
「私は似たような能力を持つ方を多数知っていますからね。――君のそれは少し異質みたいですが。少なくとも自前の能力ではなさそうですねぇ」
依然幻影に支配されているルカにはミュウの波導を感知することは出来ない。しかし、波導で使わずとも目の前の師の雰囲気がガラッと変わった事にルカは気がついていた。ぞわっと背筋に悪寒が走る。その凄まじいプレッシャーにアキラの顔にも緊張が色が浮かんだ。
「アクロマはん、下がっとき」
ミュウとアキラの戦闘データを観測したいのか、いそいそとアキラの背後でカメラをセットしていたアクロマに対して警告を放つアキラ。ミュウとアキラの間に漂うピリピリとした空気を全く感じていないのか、ただ純粋に研究の事しか頭にないのかは分からないが、兎に角、小型のタブレット端末片手に目を輝かせていたアクロマはアキラの一言に首を傾ける。
「何故ですか、アキラさん」
「危険やからや。自分みたいな戦闘の素人がこの場に居ると巻き込まれかねんし、そうなったら俺責任持てへん。そいで、自分に何かあったら研究に支障が出るやろ?そしたらエリカに怒られんの俺やで?」
現状に対する冷静な分析と私情を交えた指摘にアクロマはしばし顎に手を当て考えていたがやがて、心から納得したような表情で顔を上げた。
「なるほど!私がこの場に居てはあなたの戦闘の邪魔になるというわけですね!」
「そういうこっちゃ。さ、下がった下がった」
アクロマと他の団員や調査員達が下がったのを見届けた後、気兼ねする必要が無くなったのかアキラの視線はミュウにのみ注がれた。ルカと対峙した時よりも遥かに集中している。ミュウから底知れぬオーラを感じているからだろう。
「自分ら手土産にするってエリカには報告済みなんや。しかもや、自分らあまりに知りすぎとる。逃がすわけにはいかへんな」
「私もあなた方新プラズマ団にはまだ色々と尋ねたい事がありますのでね・・こちらこそ“逃がすわけにはいきません”よ?」
謎の変身能力と幻影を操るアキラとミュウの戦いが今、始まろうとしていた――