第二十二話 暗躍者、イクトルフ
シンオウから遠く離れた地、イッシュの西に位置するホドモエシティは人々から「玄関口」と呼ばれている。
イッシュ最大の貿易港を保有したこの街も2年前から進められた再開発によって、『ポケモンワールドトーナメント』と名付けられたポケモンバトル用の巨大な施設が建設され、世界中からさまざまな優秀なトレーナーが集う国際都市へと姿を変えた。
それに伴い以前は質実剛健な雰囲気の漂う街並みも一変。他地方との貿易によって栄えてきたホドモエは現在、主にポケモンバトル産業によって活気あふれる街へと変化したのだった。
そんな街の高台に建てられている小さな教会がある。この街を訪れるポケモントレーナー達は勿論、ホドモエの住人でさえあまり足を運ぶ事は無い――皆、その存在を知っていても、そのような有り触れたどこにでもある教会には興味を示さないのだ。そこが、傷ついたポケモンの保護活動をしているという事さえ殆ど知られていない。
教会に集う者達もあまり自分達の存在に注目されたくないらしく、それゆえ自らの事について喋りもしないのだから無理もない事かもしれない。
『ホドモエシティ教会』は街の喧騒の中に密かに佇んでいる。まるで自分たちの存在を知られたくはないかのように。
ホドモエの寒冷な気温は特にこの時期、厳しくなる。高台『ホドモエシティ教会』でも石油ストーブを焚き室内を暖めていた。
この時期、石造りの教会内は特に冷え込む。石の壁や床は外の凍てつく寒気を完全に遮断してはくれない。
しかし暖房が追い付かないほどの寒さに悴む手を揉みながらも、教会の世話人達はポケモンと寄り添い愛おしげにその背中を撫でていた。怪我を負っているのか、包帯に巻かれたポケモン達が特に目につく。
そんな中、教会の中央にあるロッキングチェアに腰掛け、イーブイに包帯を巻いている一人の老人がいた。
茶のローブを身に身に纏い、同じく茶色の筒状の帽子を被っている。ローブの胸元に彫りこまれた紋章を見れば――彼がプラズマ団のメンバーで、しかも高い地位に居たことが誰の目にも明らかだろう。
いや、“元”メンバーと言うべきか。どちらにせよ、教会内の他の元団員と同じく、2年前イッシュを混乱に陥れその直後に崩壊した組織の紋章を未だに胸元につけているのは、組織に対するほんの少しの愛着と自らの過ちに対する悔恨と贖罪の念からだろう。
「ロット様、包帯は私がやりますのでお休みになられては・・今日は特に寒さが堪えます」
「いや、いい。気遣いには感謝するが、これは私自身がせねばならぬことだ」
女性の元団員はロットに一礼すると、再び椅子に座りポケモンの介抱を再開した。
ここ『ホドモエシティ教会』はポケモンの保護を中心に活動している。
しかし保護活動は今でこそこの場の全員が慣れてきたものの、当初は困難の連続だった。
トレーナーがいるポケモン達はポケモンセンターにて手厚い治療が受けられる。あるいは、心優しき人間に拾われた野生のポケモンも現代医療の恩恵を受けることが出来る。しかし――この場所に持ってこられるポケモン達は、その殆どが人によって捨てられたり傷つけられたりした経緯を持ったポケモンばかりだ。
人を極度に恐れ、何度も逃げ回り、恐怖故に攻撃を加えてくるポケモン――そんな厄介で、しかも人に恐怖心や悪意を持つポケモンに手厚い治療を受けさせる余裕などポケモンセンターには無い。
そしてポケモンセンターで適切な治療を受けさせる為、まずは人に慣れさせる施設が必要になる・・それが『ホドモエシティ教会』の役目だ。
「これでよしと」
包帯を巻くのにも最初は不慣れだったロットだが、最近は手際よく処置を施せるようになってきた。
悴む両手を合わせ煌々と赤い光を発するストーブの前にかざす。暖かな熱気に誘われて先ほどのイーブイが足元に擦り寄ってきた。
ロットは少し背を屈めて、甘えるイーブイの頭を撫でる。
かつてゲーチスに誘われプラズマ団、『七賢人』に加わった。“王”であるNとゲーチスとの関係にも薄々感づいてはいたし、何よりも彼らの後ろに控える“偉大なる存在”の影にも気づいていた。
しかし、ロットはゲーチスが描いた理想の世界を本気で信じていた。プラズマ団が世界を変えると・・現行のシステムを、“支配”を打ち砕く事は可能だった・・ただ、ゲーチスがそれを本心では望んでいなかったというだけの話で。
「やれやれ・・真に手を差し伸べるべき存在が目の前に居たにもかかわらず、私は気づかなんだか」
その時、急に冷気が部屋に吹き込んでくる。顔を上げるとやつれたマントを羽織り、フードを深々と被った人物が入ってきた。背丈からみて男だろう。
「何か御用ですか?」
近くにいた元プラズマ団員が話しかけるが、フードの男は何も答えず手近な椅子に腰かけた。
質問をかけた元団員は怪訝な表情でロットに耳打ちした。
「・・・ロット様、彼怪しくないですか?」
「好きにさせておけばよい。外はこの寒さだ。追い出すわけにもいくまい」
目を伏せながらもじっとこちらの気配を伺っているその人物にロットはどこか懐かしさを感じていた。彼を追い出さなかったのは単にこの寒さの中に追い返すのが気が引けると言うだけではなく、彼から敵意を感じなかったからだ。
沈黙を保ったままの彼にロットは話しかけようと思い席を立つ。が、その瞬間元団員が慌てた様子でロットを呼び止めた。
「ロット様!大変です!」
「・・どうした?」
動揺が直に伝わってくる。これは只ならぬ事態だと直感したロットは元団員の手招きに従い教会奥の事務室に入った。
教会の業務用パソコンには一通の電子メールが送られていた――件名:『正当なるプラズマ団員及び七賢人へ』を見た瞬間、ロットや他の元団員達の間に緊張が走る。
そして文面に目を通した瞬間周囲の空気が凍りついた。
『親愛なる同志達へ。私の名前はイクトルフ。プラズマ団再興を目指す者だ。
あなた方もご存じの通り、正当なるプラズマ団は2年前の内部分裂によって消滅してしまった。現在、イッシュの地下で這いずり回っているのは闇に潜りしゲーチス率いる『新プラズマ団』――言わば、紛い物だ。
彼ら『新プラズマ団』は現在、イッシュの影で暗躍しある計画を立てている。
私の見立てでは今度こそゲーチスはイッシュを我が物とするつもりのようだ。2年前と同じく、伝説のポケモンの力を借りて。その企てが成功すれば、イッシュに破滅的な被害が降りかかる事だろう。――だが、安心して欲しい。今裏で蠢いている下らぬ模倣品は近いうちに滅ぶ。彼らの頭上には神の鉄槌が下るだろう。
私はあなた方を脅すつもりはないし、敵意など微塵も持っていないという事を最初に告げておかねばならない。寧ろ、私はあなた方を同志だと思っている。だからこそ、単刀直入にここに記す。
プラズマ団崩壊より早2年。我らが王、Nが行方をくらまし、時を同じくしてゲーチスが一部の団員たちを――愚かな裏切り者と言うほかない。いずれ彼らには裏切りの咎をその血で贖ってもらう――引き連れ、地下へと潜った。
あなた方が途方に暮れたのも無理のない事だ。私も最初はそうだった。
しかし、あなた方はこの2年間何も行動を起こさなかった。正当なるプラズマ団の掲げた“理想”を追い求める事を止めてしまった。私はその点について、大きな失望を隠しえない。
何故あなた方は“理想”を失ったのか?
何故、“理想”に喰らいつく為の牙を失ってしまったのか?
何故、群衆に迎合しこの社会の片隅でひっそりと息をひそめながら生きているのだ?
何故、行動を起こさない?
この息の詰まる人間中心主義の社会から、ポケモンを解放する――それがあなた方の理想であり正義ではなかったのか?
同志よ。私はあなた方に対して確かに失望した。しかし、まだあなた方の中にも理想を失っていない者がいると私は信じている。
この腐敗した人間社会からポケモンを解放するにはプラズマ団の存在が不可欠だ。
我らが王、Nが率いる正当なるプラズマ団こそポケモンの希望の灯台となるべきなのだ。
2年前の崩壊より未だに姿をお見せにならない我らが王も必ず戻ってこられる。
王は聡明なお方だ。我らが元に帰還すれば、自分が何を成すべきかを理解なされるだろう。
廃墟と化した『Nの城』。プラズマ団崩壊の象徴であり、イッシュから忘れ去られつつある過去の遺物。
ここをプラズマ団再興の拠点とし、我らが理想を世界に広める。崩壊の象徴を再興の象徴とするのだ。
私の呼びかけに共感した者、理想を再び掲げようと決心した者は1週間後の明朝、『Nの城』の“王の間”まで来て欲しい。
そこで私は、プラズマ団再興の計画を明かそう。
プラズマ団に栄光があらんことを。
追記:なおこのメールは開封後1時間で自動削除される』
沈黙が教会内に降りる。ロットの抱きかかえているイーブイが心配げに彼の顔を見上げた。
自身の動揺を宥めるように不安そうなイーブイの頭を撫でながら、ロットは震える声を漏らす。
イーブイはロットの腕から床へ飛び降りると、周囲を見渡し何かを閃いたように部屋を去って行った。だが、そのイーブイの行動に人間達は気がつかない。
それ程この場の空気は張りつめていた。
「イクトルフ・・こやつは一体何者なのだ・・?」
ロットもかつてはプラズマ団の七賢人。プラズマ団の内部には精通している。しかしそんな彼でも『イクトルフ』と言う名は、本名であれコードネームであれ聞いた事が無い。
しかし悪戯とも思えない。ゲーチスやNの事、“Nの城”や“王の間”の情報。外部の者が知り得る情報の範囲を大きく逸脱している。
つまり、プラズマ団関係者が――しかも思想的にプラズマ団の理想と共感しており、プラズマ団崩壊後も組織の再興と理想の成就の為に活動を続けている程の熱烈な支持者が、このメールを送ったという事になる。
そして恐らく、この“プラズマ団再興への呼びかけ”は今現在息を潜めている他の元団員達の下へも送られているだろう。
このイクトルフという発信源がどのような存在なのかロットには知る由が無い。が、文面から察するにプラズマ団を支持する理想主義者であり、恐らくは男性。そして、計画達成の為ならどんな手段にでも出る意志の強さと危険性をロットは感じ取った。
「1週間後、Nの城・・王の間で待つ、か。わざわざあの場所を指定してきたとなれば、2年前の“英雄”同士の戦いをも知っている可能性があるということだ・・」
イッシュ全土を巻き込んだ2年前の戦いの後、七賢人のリーダー格であり、真の黒幕であったゲーチスと傀儡の王、Nは姿を消した。
その後の彼の消息は不明で、ロットもイッシュ各地に散り散りになった元団員達の情報網を駆使してNやゲーチスの行方を探っていたがついに見つけることが出来なかった。
この文章から察するに、Nの行方はこのイクトルフという者も掴めていないらしい。
だが気になるのは文面に書かれている『新プラズマ団』の存在。
ロットの耳にも風の噂でそのような組織が活動している事は聞いたことがある。
だが、Nとゲーチスという対極ながらも求心力のある存在を失った、ただの残党だと思っていた。今の今まで。
まさかゲーチスが『新プラズマ団』を率いていたとは・・!何という執念だろう。しかも、その活動はイッシュに壊滅的な被害をもたらすものだと言う。
危機感がロットの心に重くのしかかる。元団員達も狼狽えるばかりだ。2年前の行為の贖罪を続けてきたとはいえ、プラズマ団が消滅したことで全て終わったと思っていた所にこの事実を突きつけられれば無理もないだろう。
「・・・ロット様、どうなされます?」
「・・・・」
勿論『ホドモエシティ教会』に居る元団員達はNの城へは行かないだろう。だが、他の元プラズマ団員達がこの呼びかけに応じる可能性は非常に大きい。
1度消えた火が再燃すれば以前よりも活発に燃え盛る炎となる。それがどれほど危険な事か。ロットは長い人生の中で同じような事例を嫌と言う程見てきた。
「何とか、止める手立てはないものか」
その時だった。事務室の扉が音を立てて開く音が聞こえ、何かと思い目を上げると先ほどのローブ姿の男が無言で此方に近寄ってくる姿が映る。足元のイーブイは彼に寄り添っていた。
人間不信が強いこのイーブイが初対面のはずの人間にリラックスして接している。驚くべきことだ。
「――何か困り事のようだね、ロット。ボクが力を貸そうか」
目元までフードで隠したその人物が発した声音はその場にいた全員に聞き覚えがあった。
透き通るような青年の声。忘れるわけもない。
ロットはなぜ自分がこの青年が訪れた時、心の何処かで懐かしさを感じたのかようやく分かった。
「貴方は・・!」
「トモダチがボクを呼びに来てくれた。人間さん達が困っているみたい、ってね。君達を信頼している様子だった。だから気を利かしてくれたんだろう。ボクも嬉しいよ、君達とポケモンが強い信頼関係で結ばれていて」
青年は両手でフードを外し、足に擦り寄っていたイーブイを抱きかかえる。緑色の括った長髪がバサッと音を立てた。
「N様!?」
周囲が騒然とする中、フードを外し正体を現したのは、2年間姿を消していた――プラズマ団の王、ポケモンと心を通わせ癒しもする不思議な青年、N、その人だった――