第九話 展開
『――小細工も全て潰しましたし、正々堂々バトルと洒落込もうではありませんか』
ディードジャマ―の拘束は潰えた。つまり――両者の純粋な戦闘力の差が勝敗を決すると言う事だ。
・・・大丈夫よ、こっちは二匹。マンダは馬鹿だけとバトルはとっても強いもの・・抑え込める、いや抑え込んでみせる!
マンダがちらっと此方を一瞥した。レイシアの先ほどの一言。「お前を信用していいのか?」と問いかけている目だ。
私は深く頷いた。
大丈夫よ、私を信じて。心でそう語りかけるとマンダは口角を少しだけ上げて笑った。
『おっし!それじゃ・・行くか!!』
大空に舞い上がるマンダの巨体。ミュウが身構える中、その竜はただ気を高めていく。
・・攻撃してこない?
溜め撃ちで攻撃力を増加させようとしているのでしょうかね?量より質、一撃の重みを増加させて実力差をひっくり返す作戦なのでしょうが・・私には通用しませんよ。
ミュウは両手を合わせエネルギーを溜めていく。
『波導弾!』
格闘タイプの高威力技“波導弾”をミュウが放った。渦巻くエネルギー弾の目標はマンダ、では無い。
地上でミュウ達を見上げていたレイシアだ。
『やっぱりそう来たわね・・!』
攻撃力、体力共に高いマンダを狙うよりもサポートに回るであろう相方を潰した方が得策――そう相手は予想してくるに違いない。弱い者から狙ってくると。
だが、それは違う。ミュウは常に他者の裏を掻く。勿論、この戦いも例外ではない。
ミュウは決めていた。まず初めにレイシア――では無く、マンダを倒すと。
・・・少なくともミュウの見立てではあのボーマンダは横のグレイシアに惚れている。
ならば恋心を抱く相手が攻撃を受けそうになった時、咄嗟に庇ってしまう可能性は高い。
大技を溜め撃ちしようとしている最中のマンダがレイシアを庇えば、当然の帰結として溜めている“技”は暴発する。
至近距離での二度目の暴発だ。しかも自らが盾となる事で“波導弾”の直撃をもろに受ける。――今度は耐えられないだろう。
『さぁ、庇って自爆しなさい』
“波導弾”がレイシアに迫る。氷タイプの彼女に格闘タイプの“波導弾”は効果抜群だ。
普通ならばマンダは迷わずレイシアを庇うだろう。そう、“普通”ならば。
『レイシアッ――』
マンダが振り返りかけるが、彼女の鋭い一瞥に眼を開き、グッと堪え思いとどまった。
これには流石のミュウも驚きを隠せない。
彼の性格上、間違いなくレイシアを庇うと踏んでいたからだ。
『・・成程、私の予想よりも冷静ですね・・。しかし、一体は倒れてもらいますよ!』
予想は外れたが問題は無い。
先にあのグレイシアが倒れてくれれば結構な事だ――どうせ、どちらも倒すのだから。
『甘いわ・・。アンタが私を狙ってマンダの自滅を誘おうとしてくる事ぐらいお見通しよ!・・反射せよ、ミラーコート!』
ミュウは自信家だ。自分の能力に絶対の自信を持っている。
だから、勝利する時もただ勝つのではなく相手を圧倒してこようとする筈だ。
・・あのナルシストならマンダを処理するために最も効率的で、最も「自分の知性を誇示出来る」勝ち方を狙ってくるはず・・。
レイシアの読みは正解だった。彼女の予想通りミュウは自分に攻撃し、マンダの自滅へ誘導しようとしてきた。
正々堂々と戦うよりも、より“優越感”を感じれるやり方で来た――予想通りだ。
だからこそ、彼女は対特殊攻撃用の防御策で迎撃する構えを取れたのだ。
“ミラーコート”は相手の特殊攻撃を2倍の威力に倍増させ、跳ね返す。
レイシアを打ち砕くはずだった波導弾は反射され、その主へと牙を剥く。
『私の攻撃を・・跳ね返してきた・・!?』
予想外の反撃に動揺を隠せないミュウ。慌てて急上昇するも、一時の時間稼ぎにしかならない事は彼自身が一番よく知っている。
何せ波導弾は“必中”の技なのだから。
『このっ・・私の技を逆に利用するとは・・!』
ミュウは二発目の波導弾を作り出し、自分を追尾する波導弾にぶつけ相殺を狙う。
だが、威力2倍の技を完全に打ち消せるはずも無く撃ち返された波導弾はミュウを直撃した。
『ぐっ・・!』
地面に墜落するミュウ。さらに上空からマンダが追い打ちをかける。
『喰らえ!溜め撃ち火炎放射!』
“火炎放射”がミュウの落下地点一帯を焼き払う。
溜めていた分凄まじい威力だ。
燃え盛る炎を背にマンダは地上に降り立つ。
中々映える光景を背に彼もつかつかと歩み寄ってきたレイシアがてっきり自分に好意的な言葉をかけてくれるとばかり期待し、笑みを浮かべていた・・のだが。
『ちょっと何してんのよ!』
『ふぉ!?』
突然の怒号に奇声を上げてしまうマンダ。
『何で氷タイプの私が居る前で炎技放ってるワケ!?本当にデリカシーが無いんだから!』
加熱していた脳が冷え始め、周囲がどの様な状態になっているかが明らかになっていく。
火炎放射が周囲を火の海にしているのだ。当然氷タイプのレイシアにとっては熱地獄状態と言えよう。
『まぁいいじゃねぇの。あのナルシスト野郎は倒せたし――俺達だけの力でな』
『・・そうね』
“ミラーコート”による倍化ダメージと溜め撃ちの“火炎放射”。耐えられるはずがない。
予想よりも随分あっさり倒せたのが気がかりだけど・・。
一抹の不安感がレイシアの胸を突く。「油断するな。気を付けろ」と本能が囁く。
彼女は懸命だった。“頭”で下した軽率な判断よりも魂の働きかけを優先したのだから。
『まだよ・・まだアイツは私達を狙っている』
『え?』
殆ど無意識から出た言葉。その呟きは小さすぎで横に居たマンダにも聞き取れなかった程だ。
だが、その言葉が聞こえていようといまいと無意味だった。結果的には。
『っ!?・・マジかよ』
燃え盛る炎の中からゆらりと姿を現す小さな影。マンダの眼が驚きで見開かれる。
先程大技を二発受けて地面に落下した筈のミュウが炎から姿を現したのだ。
所々焦げてはいるが大したダメージは受けていないのは一目瞭然である。
驚きで言葉を失うマンダとは対照的にレイシアにとってはある意味予想通りであった為、あまり動揺はしていないようだ。
勿論、自分達の攻撃が通じていない――全力を出し切っていたにも関わらず――事実は、彼女にとって快いものでは無かったが。
『全く、やってくれますね』
不愉快を前面に押し出した表情でミュウは炎から抜け出すと、うんっと背伸びをした。
『私の美しい体が焦げてしまったではありませんか。・・・久しぶりですよ、この体に傷をつけられたのは』
ミュウの瞳がマンダを捉える。一瞬、眼光の鋭さにマンダの全身が震えた。
彼の全身から“プレッシャー”としか形容できないような何かが迸り始めたのだ。
自身が攻撃を受けた事への怒りか、それとも本気を出そうと思い立ったのか・・それは定かでない。
ただ一つ明らかなのは自分達の全身全霊の攻撃をもってしても倒せなかったと言う事だけ。
凍りつくマンダと見据えるレイシア。両極の二人組にミュウはふぅとため息をつく。
『いいでしょう。君達の実力は成程、確かに高いようです。その力に敬意を表して“力”の断片を少しお見せ致しましょう』
マンダ達は知らないが、彼らが今直に感じている威圧感はミュウの全身から溢れ出ている“魔力”に他ならない。
最もそんな事実をマンダ達は知る由も無いのだが。
『君達は今から、ポケモンの持つ“可能性”を見る事になります。技でも特性でもない、一つの力を・・“魔法”をね』
余裕綽々と言った表情のミュウ。そんな彼を前にしてマンダは何かを思いついたようだ。
そっとレイシアに近づき、肩ごしに囁く。
『・・レイシア、俺に考えがある』
『何よ・・?』
翼がそっとレイシアを後押しした。もっと近づけ、という合図だろう。ミュウに聞かれたら困る内容らしい。
『お前さ、ワーズ達の所に行ってこの事伝えてくれ』
レイシアは目を丸くしてマンダを見返した。彼の表情は何時になく真剣そのものだ。
『ば・・馬鹿じゃないの!?あんた、あのミュウの実力分かってる!?私が抜けたりしたら――』
『大丈夫だ!心配すんな!』
困惑の言葉をマンダは強く断ち切る。
彼の言葉は不思議と彼女の心を少しだけ和らげた。
何時もはよく言えば『男らしい』悪く言えば『鈍感』なマンダではあるが、この時ばかりはそんな彼の言葉にレイシアは感謝の心を禁じ得ない。
彼女にも分かっているのだ。ここで仲間を呼びに行かなければ全滅すると。
そしてバトルの最中、ミュウの気が散る隙を狙ってこの場を離脱し伝令の役目を負えるのは、小柄な自分にしか出来ないと言う事を。
しかしそれは同時にマンダを見捨てると言う事に他ならない。この場で確実に倒される事が明白な仲間を、置き去りにしなければならないのだ。
・・そんな迷いを彼は吹き飛ばしてくれた。力強く、言葉の裏に優しさを内包して。
ぐっと湧き上がる感情を押し込める。
ここで彼の申し出を断るのは、共に戦おうとするのは、彼女のエゴだ。それはこのバトルにおける正答ではない。――マンダの想いを無駄にしない為に、彼女が用意すべき答えなど端から決まっている。
『・・分かったわ。隙を見て私がワーズ達を読んでくる。・・問題は、どうやってあのナルシストの目を欺くかって事よね・・』
ちらっとミュウに目をやる。
“魔法”とやらを披露すると言っていたが、それが技と技を掛け合わせた単なる複合技の事を指しているのか、それとも本当に魔法が使えるのか・・自分達には分からない。
しかしこの状況で先に攻撃を仕掛けてこないと所を見るに、余程自分に自信があるらしい。
『どうせ私達に全力を出させてから潰そうとしてるんでしょうね・・』
『ああ。だからこそ、だ』
マンダはニヤッと笑う。この状況で、しかも自分が“囮”になろうとしていると言うのに。
普段、粗雑で単細胞なマンダではあるがいざ非常時となれば体を張り男気を見せる。
そのギャップにレイシアは薄らとした好意感を、そう仄かに甘い感情・・愛を抱き始めるのだった―――となる事はこれまで無かったし、そしてこれからも無いであろう事実は彼にとっては辛い現実である。
勿論、マンダが“それ”を知らないのは不幸中の幸いであろう。
だが、この場において今の彼が何時にも増して頼りがいのある存在である事に変わりは無い。
『余裕かましてるあの野郎に一発ぶちかませるかもしれねぇぜ?』
『・・何か思いついたのね?』
こういう時の彼は勇気に満ちているし、喜ばしい事に普段使っていない頭が活性化する―――つまり、悪知恵が働くのだ。
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ポケニック・インターナショナル。
主にポケモン用の医療薬品の開発を行っている企業がここで出てくるとはな。
PHCと向かいあう通りにあるホテルの一室。一人用のベッドに横たわり、ユウタは一人情報部の資料を捲っていた。
ファオが確認したPHCの運搬トラックが行き着いた先。シッポウシティの倉庫群、ポケニック社の為の倉庫が目的地だとは流石に予想外だった。
しかも警備員を多数配置している情報から鑑みても、PHCとポケニックの間には何かつながりが有ると見てまず間違いはない。
一応俺の方でも調べておくか。
ユウタは立ち上がるとノートパソコンへと向かう。情報部員専用のこのノートパソコンは通常のそれとは違う、特殊な機能を有している。
通常外部からはアクセスできない情報部のデータバンクにこのコンピュータからならば、情報取得が可能になっているのだ。
パスワードを入力しアクセスを済ませると、早速ポケニックについての情報を調べ始める。
「ポケニックの有用な情報があるとは思えんが・・」
元から対して期待はしていない。調査対象であるPHCとは違いポケニックは大してマークしていなかったからだ。
「業績は順調、社評も上々。一点の曇りも無い企業だな」
現在イッシュのポケモン用医療・医薬品のトップシェアを誇るPHCとポケニックはライバル企業のはずだが――ファオの情報が正しいとすれば、何が彼らを結び付けているんだ・・?
「PHCとポケニックが共同研究している情報も無いか・・」
今までPHCに焦点を絞って調査を行ってきたが、これからはポケニックも含めて諜報を行わなければならんな。
カチリ、とデータバンクからログアウトし一息をついた。
「明日にでもポケニックに諜報員を潜り込ませる必要があるな」
その時。
ホテルの備え付け電話が部屋に鳴り響いた。通常、ホテルの電話は此方からロビーにかけるものであり、部屋にかかってくる事は無い。
しかし彼は驚かずそっと受話器を取る。
ピーッ ピーッ ピーッ
3回高音が流れ直後に電話が切れる。その時間、僅か3秒。
「・・・」
勿論、これはいたずら電話などでは無い。情報部員が用いる“暗号”だ。
短い3コールの電子音。意味は「重要な新情報入手につき進展あり」――
ユウタは沈黙を保ったまま受話器をそっと戻す。
「さっさと引き上げるか」
スリー・コールの調べは余程の重要情報でなければ諜報員達に知らされる事は無い。
机に置いてあるノートパソコンを閉じ、鞄に入れる。
携帯を取り出すと先ほどと同じ番号をプッシュした。
しばしの間を置いて、電話が繋がる。
「俺だ。ファオ、お前今何処にいる?」
『現在地はスカイアローブリッジに差し掛かった所です』
ユウタは腕時計に目をやった。
スリー・コールがかかって来たと言う事は、本部で情報伝達が行われる事を意味している。
タクシーを拾ってもいいが、ファオが近くまで来ているんだ。丁度いい。
「俺は今から本部に戻らなきゃならん。ヒウンシティ・ホテル本店前で拾ってくれ」
『了解しました!ヒウンシティ・ホテルですねっ!』
ファオの声音が妙に嬉しそうに舞い上がる。勿論慣れている為それを指摘したりはしない。
鬱陶しいのは確かだが。
「・・ま、頼んだぞ。俺は後10分程でチェックアウトするからな」
『分かりました。それまでにお車回しておきますからね!』
携帯電話を鞄に滑り込ませる。
ポケニックへの疑惑に本部からのスリー・コール。今日は随分と進展がある日だ。
「・・まだ時間があるな」
後7分以上時間が余っている。このままホテル前でファオが来るまで待つのはあまり得策ではないだろう。
「少しシャワーでも浴びるか」
まだ時間は十分にある。身嗜みを整えておこう。
・・また任務が忙しくなれば眠る暇さえ無くなるんだからな。
ユウタは服を脱ぎ、ベッドの上に畳んで置いた。
裸のまま狭い風呂場に直行し、水滴が床を濡らす事が無いようカーテンを閉める。
ホテルのシャワールームは洗面台、トイレが同室内に設置されている上に狭いのだ。身をゆったりと伸ばしてリラックス・・とはいかないが、それでも熱い湯を浴びればこれまでの疲れも吹き飛ぶと言うもの。
シャワーから出てくる温水は彼の体の強張りを解してくれる。
「ファオがこの場に居たらまず率先して覗きにくるんだろうな・・全く、俺の何がそんなにアイツの琴線に触れるのか全く持って理解できん・・」
目を瞑り髪をごしごしと揉む。暖かな湯が彼の全身を流れていく。今この空間全てが彼の回復の為にあるのだ。
5分にも満たない僅かな休息だが、それでもこの時間は彼の体が再び精力を取り戻すには十分すぎる程だった。
「これから忙しくなるぞ・・今まで以上に・・」
浮上する数々の情報。その奥に隠された更なる真実。彼は今、その一ページにメスを入れようとしているのだ――