第七話 探査
ポケモンを使った生体実験には多大な規制が掛けられている。
合成した新開発物質の毒性実験等は原則として培養細胞を使用せねばならず、ポケモンと被験体とする時は、実験目的やリスクを明確に述べ同意を得た上で行わなければならない。
ま、考えてみれば当然だけどな。ちょっと前の時代じゃ人間もポケモンも関係なく非人道的実験の犠牲になっていた訳だし。
実験の被験体ポケモンだって、ポケモンリーグ協会公認の施設『ポケモンセンター』に許可要請書類を提出して、正式に譲渡されたポケモンのみしか実験には使用できないようになっているからな。
しかも実験用ポケモンはポケモンセンターで一体一体が識別されてデータバンクに個体情報が保存されている・・そのポケモンに何かあったら徹底的な内部調査を受けるシステムになっているし、とてもじゃないが危険な実験にポケモンは使えないんだ。
最終的に非人道的行為が発覚して打撃を受けるのはそいつ等だしな。
でもなぁ・・・そんな極めて真面なルールを嫌がる奴はどの時代にも居てよ・・。
詰まる所俺達が極秘に調査しているPHCはデカい闇を抱えている可能性が高いって事なんだ。
正規の手順を踏んで被験体の健康に細心の注意を払って作った薬より、不正規に得たポケモンを使って“非道な”実験を行って開発した薬の方が価格単価は安く設定できる。
・・世の中には“ポケモンハンター”って職業の奴がいるけどな、そいつらは今の所違法じゃねぇんだ。
ポケモントレーナーとポケモンハンター・・・どちらもポケモンを“捕獲”しているという点では大差はねぇ。
勿論ポケモンハンターは声を潜められる職業である事は確かだがな・・コイツらは問題じゃない。
俺達が洗い出すべき点は『PHCが“非正規”の方法でポケモンを得ている』と言う疑惑、そして何より『PHCがポケモンを使って非人道的な違法生体実験を行っている』と言う推測・・・この真偽を確かめる事が今回の俺の任務だ。
と言っても、俺が調べるのは前者、PHCの闇のポケモン入手ルートの調査だけだけどな。
今乗っているのは黒いワゴン車。尤も俺の車じゃない。
ナンバープレートも偽造物だしな、これで追跡を発見されても此方側の情報が漏れる心配は無い・・ドジを踏まないのに越した事はねぇけど。
補助座席のシートに置いてあるコンビニ袋から梅おにぎりを取り出す。
ファオは、右手で双眼鏡を覗いたままおにぎりを口に突っ込んだ。
現在PHCのポケモン輸送ルートの監視と言う任務についている彼はワゴン車に潜み、PHCの動きを見張っているのである。
「しっかし・・奴ら全然行動を起こさねえなぁ」
・・・暇だ。監視の仕事程キツいもんはねぇ・・俺は外に出て動いている方がずっと好きなのに・・。
何時までもこんな所に座ってたら体が訛っちまう・・。
“猛火”ポケモン、バシャーモの種族故か、こういう忍耐力がカギになる仕事はファオには向いていないのだ。
だが仕事は仕事。与えられた任務は全うする。それが彼ら情報部員の使命だ。
彼が監視しているPHCの運送車は一向に動きを見せない。
・・俺が監視してるのバレちまってるのかな・・。いや、結構遠くから見張ってるし第一あっちから見たら俺のワゴン車は木々に阻まれて気づき難いはずだ。
大丈夫・・気づかれちゃいねぇよな。それならさっさと引き上げてるはずだし。
つーかさっさと動けよ・・ちょっと小便したくなってきちまったじゃねぇか・・・。
苛立たしげにファオはトントンとハンドルを指で叩く。
人間の指とは違い、バシャーモのそれは特に指先は固く硬質な爪であるため小気味いい音がコツンコツンと社内に響く。
しかしファオの呪詛が現実世界に影響を及ぼせるはずも無く、相変わらず監視対象に動きは無い。
そのままさらに30分が経過してしまった。
そろそろ膀胱の圧迫感が増してきた。ファオはもぞもぞと体をくねらせる。
「・・ちょっとトイレ行っていいよな・・?」
このままいけば確実に漏らす。それは流石に駄目だよな。
いやぁでも監視中だしな・・・。
再び双眼鏡を覗くが、動きは無い。
・・駄目だ!。このままじゃ尿意が気になっていざという時対処できねぇ!
俺はワゴン車のドアを開け、雑木林に飛び込む。
普通ポケモンは服は着ない・・“全裸”と言えば聞こえは悪いけどな、俺から言わせてもらえば普段服着てエロい時だけ脱ぐ人間の方が100倍卑猥だ。
チラリズムって良いよな・・・ポケモンには無い文化だ。
隠しているからこそのエロさって俺達ポケモンには無いし。
でも服ってやっぱ着慣れないな。特に下着な!人間以上に蒸れやすくて敵わねぇ。
ファオはぶるり、と体を震わせた。
チャックを開けて用を足し始める。
はぁ・・この解放感・・やべぇぜ、こりゃあ・・・。
勢いよく排泄された尿が地面を削る音が心地いい。
“お上品”な行為とは言えないけど・・ま、いいじゃねぇの。
俺ポケモンだし。人間のマナーとか関係ねーし。
内心一人勝ってに開き直っていると、ふとある光景が目に留まった。
数人の男が監視対象の施設から姿を現し、大量のジュラルミンケースを運び出し始めたのだ。
運送トラックに見る見るうちに積み上げられていく大量の積荷。
「え・・マジで・・・」
このタイミングで・・ターゲットが動き出すだってぇぇぇ!?
くそっ!何でだよ!?3時間以上動いてなかったくせに・・・俺のトイレタイムを見計らったかのように行動開始しやがって!!!
だが動き出してしまったものは仕方がない。
ファオは急いで車に戻りエンジンを掛ける。手を洗ってない事は秘密だ。
「ったく・・タイミング最悪だな、おい!」
PHCの運送トラックが走り出すのがこちらからでも見える。
このまま勘付かれないように後をつけるのだ。
エンジンを掛けファオのワゴン車も走り出す。
やっぱ怪しいぜ・・輸送用にジェラルミンケースを使う所とかな。
ポケモンはモンスターボールに入れてジェラルミンケースごと運べば効率的だし、何より怪しまれないからな。
勘付かれないように一定の距離を保って俺は車を走らせる。
車での尾行は普通の張り込みより気を使うな・・・。
気づかれたらこの任務は失敗だ。
PHCに俺達の調査がバレれば、奴らの秘密主義の壁はより強固になるだろう・・・そうなれば、もう探り出すのは至難の業になっちまう。
見失わないように且つ一定の距離を取って黒いワゴンはトラックを追い続けた。
そして、他の車両の影に隠れつつ追跡する事1時間。
PHC本部があるヒウンシティ、そこから伸びるイッシュ一長い大橋・・『スカイアローブリッジ』へと入る。
「ヒウンシティを抜けて、一体何処に行くつもりなんだ・・?」
確か『スカイアローブリッジ』を抜けた先はシッポウシティ・・。
大都市ヒウンシティとは対照的にシッポウシティは『都会』とは言い難い街だが、何でそんな所に向かってるんだ?
ファオの頭にある疑問が浮かび上がる。
第一、PHCの本社があるヒウンから何でわざわざ離れた場所に運んでるんだ・・?
実験施設なら本部にあるってのに・・。移動させる手間をかけてまで運ぶ“メリット”が何かあるって事か。
巨大な“矢の橋”を抜けた先に待ち受けるものをファオはまだ知らない――
****
『あぁ〜!お師匠様からの呼び出しだぁ〜!どうしよう・・どうしよう!?』
ミュウから『曇り鏡』を通じて一方的に指令を下された哀れな弟子、ルカは一人でテンパっていた。
つい数分前まで草むらの上でウトウトとリラックスしていたと言うのにいきなりの呼び出しである。
『落ち着け・・俺、まずはお師匠様の場所を探らないと』
ルカは地面に座り込み座禅を組んだ。
そっと目を閉じてミュウの“波導”を辿っていく。
白黒の景色が薄らと見えだす。
“波導”は誰もが持っている心の波だが、それを受け取り視覚化する事は『ルカリオ』と言う種族のポケモンのみが成し得る技なのだ。
言わば“千里眼”とも言うべき能力をルカはフル活用して、ミュウの位置を探り出そうと意識を集中させる。
これは・・孤島?
イッシュ地方の大都市ヒウンシティの沿岸から少し離れた場所だろうか・・ルカの脳裏に寂しげな島が映し出される。
っ駄目だ・・“波導”が弱まってきてよく見えない・・。
如何やらルカの千里眼の有効範囲内ギリギリの位置にミュウがいるらしい。
お師匠様・・!
どうにかしてミュウの姿を探り出すルカ。
『お師匠様・・今日も麗しいお姿で・・・ん、他にもポケモンがいるぞ・・?』
あれはボーマンダにグレイシア・・後シャワーズにアブソルか・・。
それに島の中心には人間が座っている。
『もしかしてっ!お師匠様あの人間に狙われているんじゃ・・!?』
これならお師匠様の切羽詰まった声にも納得がいく。
『ここからそう遠くは離れてないみたいだなぁ・・海を挟んだ・・孤島、かな?』
お師匠様の“波導”は特に強力だから見つけるのは難しくないけど、島まで行くにはちょっと工夫が必要だな・・。
生憎鋼タイプを持つルカは泳ぎが得意ではない。大体距離的に泳いで渡るのは不可能だろう。
他のポケモンに手伝ってもらう必要がありそうだ。
横に置いていたポーチ付きベルトを腰に巻き、一本の剣を天に掲げる。
細い刀身は日の光を受け鈍く輝く。
そっと鞘に愛刀を収めるとルカは腕を組みその場をぐるぐると回りだし始めた。
・・お師匠様が俺を頼ってくるなんて非常事態だ。
あの人は何でも自分でやりたいタイプなのに・・敵がそれだけ強いって事なのか?
考えていても仕方ない。行動あるのみ、だ。
誇り高いお師匠様・・・あの人が俺を頼ってくれているんだ。他でも無い、俺を。
照れくささと感激がルカの胸から込み上げてくる。
よし、お師匠様のご期待に添えるように頑張るぞ!絶対俺がこの手で救い出してみせる!
気高い決心を己の心に刻みルカはピタリ、とその場に立ち止まると空気を目一杯吸い込み――
『お〜い、誰かぁ俺の頼みを聞いてくれませんか〜』
大声で森に呼びかけた。
しばしの沈黙の後、向こうから微かな音が聞こえてくる。
どんどん近づく気配。
敵対の波導は放っていないようだ。
誰でもいい。俺をご主人様の下に連れて行ってくれれば・・。
****
ジュンが孤島でポケモン狩りに勤しみ、ミュウの弟子ルカが動き始めていた丁度同時刻。
PHC本社から程なく離れたホテルの最上階の部屋でユウタは一人ノートパソコンと向き合っていた。
手を組み顎を乗せ、ジッと画面に見入っている。
モニターに映し出されているのは簡易的なチャットルームで只今現在彼は誰かと会話をしているらしい。
キーボードを指が軽やかに駆け文字を入力する。
『Y:ミュウについての情報を提示して欲しい』
しばしの沈黙の後、画面に文字が浮かび上がり始めた。
『S:ミュウについて言及していた最古の文献は今から3000年前の壁画だ。今の個体と壁画のそれが同一な存在かどうかは不明だが』
「3000年前の壁画、か」
正直今回の任務と関係があるとは思えんが・・。
少し考えた後、再びチャットを再開する。
『Y:他に有力な情報はあるか?』
『S:勿論だ。壁画や古代の文献には、ミュウが“全知”の存在であるという共通の記載が見受けられた』
・・・共通の記載?
『Y:全知とはどういう事だ?』
そう打ち込むと直ぐさま応えが返ってきた。
『言葉通りの意味だ。古来よりミュウは他のポケモンとは一線を画した存在、神に近いポケモンとして描かれてきた。今の言葉で表現すれば、ミュウは“万能性遺伝子”を持っていると言える』
万能性遺伝子。聞いたことがある。
ごく限られたポケモンだけが保有している特殊な遺伝子だったな。
シンオウ地方に伝えられている“神”と呼ばれ、信仰の対象にさえなっているポケモン。
確かそのポケモン達も万能性遺伝子を保有している可能性が高いとニュースで盛り上がった事があるが・・。
「・・万能性遺伝子か」
コツンコツンと指で机を叩く。彼が深く思考に入っていく時の癖だ。
PHCがミュウを追跡している理由は世界各地で発生している“時空の歪み”・・その付近に必ず現れるミュウと歪みの現象との相互関係を調べる為とエリカは言っていたが・・。
“時空の歪み”なる現象が実際に発生しているものと仮定したとして、それを理由にミュウを追跡し捕獲する為の理由にはならんはずだ。
・・・ミュウがその現象を発生させているのなら、話は別だが。
『Y:興味深い情報だ。他に掴めた事があれば今ここで話してくれ。霞の様なものでも構わん』
『S:民間伝承の類になるが、ミュウは神と通じているポケモンと言われている。ミュウは神として描かれる事は無く、常に神と人との橋渡しとして描写されてきたようだ。――ミュウを追って神の座に行きついた人間の話も世界各地に残されている』
“神の座”・・?
神が住まう聖域と呼ばれる伝説の類か。俺の仕事に関係している情報では無いな。
奴らが学術的な意味でミュウを突け狙うとは考えにくい。
・・『万能性遺伝子』とやらを手に入れようと画策していると考えていいだろう。
それをどう利用しようとしているのかまでは現段階では分からんか。
『S:取りあえずこんな所だ。ミュウについての情報は考古学的なものが大半だった。唯一“万能性遺伝子”の存在だけが特異的だったがな。すまないな、力不足で』
『Y:構わない。有益な情報提供に感謝する。詳しい資料は情報部に送ってくれ。後、このチャットファイルはこの会話が終了後自動削除されるように設定されている。では、失礼する』
相違ってチャットを閉じる。
その直後に自動削除開始を告げるウィンドウが立ち上がるが、構わず×ボタンをクリックして画面から消すと一息をつく。
「PHCがミュウを狙っている理由は大体見えてきたな。『万能性遺伝子』を保有している特殊なポケモン、ミュウなら捕獲対象になって寧ろ当然だろうな」
ミュウにはまだ俺の知らない秘密が隠されていそうだが、PHCの追跡を受けている原因は大よそ判明してきたと見ていいだろう。
問題はPHCがミュウを捕獲して、“何”に利用しようとしているかだ。
PHCが裏で暗躍しているのは間違いない。
ポケモンを秘密裏に入手し正式な手続きを無視して違法な生体実験を行っている可能性は十分にある。
そっとホテルの窓から外を眺める。
窓から見えるPHC本社。就職先として大人気の大企業だが、今の彼には後ろ暗い行為を内包する組織にしか見えない。
「PHCが秘密裏にポケモンを不法入手しているなら公式の記録には残らない“隠し倉庫”が存在しているはずだ。それが当局の調査を逃れていると言う事はよほど巧妙に偽装されていると見て間違いないな」
部下から情報が送られてこない事には推測の域を出ないが・・。
その時、机の上に置いていた携帯電話が震えだす。
「ファオからか・・俺だ。報告か?」
『はい』
「何か分かったのか?」
『実は・・監視中のPHC本部の施設から出た運送トラックを現在追跡中なのですが、どうも怪しいんですよ』
「・・どう怪しいんだ」
ファオは少しだけ声を潜める。
『常に周囲に警戒している様子で、何度もバックミラー越しに背後を確認しています。勿論気づかれないように追跡してはいますが・・』
・・普通の運搬トラックがそこまで周囲に気を配るとは考えにくい。
つまり、何か後ろ暗い秘密がそのトラックには隠されていると見てまず間違いないだろう。
「現在地は?」
『現在スカイアローブリッジを抜け、シッポウシティへと向かっている途中です』
スカイアローブリッジ、か。イッシュ地方最大の大橋・・。
大都市ヒウンから離れている所を見るに人目の少ない所に“積荷”を置きたがっているようにも思えるな。
「そのまま追跡を続けろ。もしかしたらPHCの隠し倉庫に向かっているのかもしれん」
『了解です』
携帯電話を切るとユウタはソファにドサッと腰を下ろした。
PHCの隠し倉庫がファオの追跡で明らかになれば、事態は急転するだろう。
ユウタは黙って立ち上がると冷蔵庫からお茶を取り出してコップに注ぐ。
「・・この事案、PHCの単なる違法行為か・・それとも・・・」
徹底した秘密主義でこれまで姿を隠し続けていたPHC。
その一端が今暴かれようとしているのだ――