第二十一話 垣間見える事実
シンオウ保安条約機構本部、3階。情報部員たるユウタ達は彼らが上司、カール・ハミルトン局長の前でイッシュ潜入における成果を報告していた。
背筋を正しPHC潜入中に仕入れた全ての情報を報告していく。目の前に座る眼鏡をかけた初老の局長は興味深げに、何も言わずユウタの話を聞いている。
「――以上がこの度のPHC潜入で入手した情報です」
と乗車中に作成しておいた報告レポートの入ったデータチップを机に置くと、ハミルトン局長は深く頷くとそれを脇にどけ、少し体を乗り出す。
「長期の潜入ご苦労、イプシロン並びにファオ君。君達が独自に入手したPHCに関する機密情報は非常に大きな意味がある」
眼鏡を外し布で拭きながらハミルトン局長はしょぼしょぼと目を瞬かせる。
彼が大事な話をする時の前座、癖のようなものでレンズの汚れを取り去った眼鏡を再びかけると重い口を開いた。
「本部が以前から調査していた、イッシュの影に潜む勢力――プラズマ団。今回の事件にその組織が絡んでいる可能性が高い」
・・プラズマ団?あの急進的なポケモン解放論を掲げた組織が、今回の事件に一枚噛んでいると・・?
直ぐにユウタの脳内に次の事実が駆け巡った。『馬鹿な、あの組織は2年前に空中分解し消滅したはずだ』と。
その考えを見透かすかの様にハミルトン局長は深いため息をついた。
「そう、プラズマ団は2年前のイッシュでの抗争によって急速に力を失い実質的に消滅した。我々もそう考えてはいたし、イッシュの問題にシンオウ政府が首を突っ込むのも憚られれるという事で、プラズマ団に関して大した調査は行われなかった」
だが、とハミルトン局長は続ける。沈痛な表情、何時にない顔つきだ。
「君達の情報でいくつかの事実が明らかになった。その1つ、PHCとポケニック社による違法な生体実験の可能性・・これが問題だ。何故なら、PHCと共謀している『ポケニック・インターナショナル』は過去にプラズマ団の活動を裏で支える“隠れ蓑”だった可能性が高い企業だからだ」
ポケニック社がプラズマ団のダミー会社だって?馬鹿な、イッシュでも有数の製薬会社がテロ組織の隠れ蓑だというのか・・!?
「局長、何故その情報を我々に今の今まで教えて下さらなかったのですか!」
思わずユウタは問いただすように声を荒げてしまう。だが、苦虫を噛み潰した様な表情のハミルトン局長を本当に責める気にはなれなかった。
「落ち着きたまえ、イプシロン君。本部がこの事実を掴んだのは君達への帰還命令を出す直前だった。情報の漏洩が無き様、本件に関しては厳重な措置を取る必要があったのだ」
局長室内に張りつめた沈黙が降りる。
PHCとポケニック社が共謀しているとは思っていたが、ポケニックがプラズマ団の“隠れ蓑”でPHCと手を組み違法な生体実験の下、何かを企てているとしたら・・・裏を返せば2年前に消滅したと思われていたプラズマ団は――今も存続し活動を続けているという事になる。
しかも、2年前のイッシュでの騒動の時よりも、より力をつけ、より危険な方向に向かっているのだとすれば・・そして、世界各地で起きている“時空の歪み”が本当にPHCとポケニック、ひいてはプラズマ団の計画によるものだとすれば――
危険だ。ユウタの本能がそう告げる。だが、今一つ解せない事がある。
かつてのプラズマ団の実態をユウタは良く知らない。だが、過激で急進的なポケモン解放論を唱え、自らの思想の為ならテロ活動さえ厭わない組織だったことは記憶にある。
しかし・・現在、ポケニックの皮を被りPHCと共謀している『プラズマ団』は2年前のかつての姿と比べると微妙にイメージ像が異なるのだ。
思想を前面に出していた姿勢が薄れたというべきか・・
「今のプラズマ団と2年前のプラズマ団は別物ですよ、局長」
突如、ずっと押し黙っていたファオが口を開いた。驚いたようにハミルトン局長が顔を上げる。
この件に関して、本部以上に情報を知ってそうなファオの口ぶりに驚きを隠せないようだ。
「それはどう言う意味かね?」
「ご存じの通り、2年前に“七賢者”のリーダー格、ゲーチスの裏切りと“王”、Nの離脱によって一度プラズマ団は崩壊しました。が、その後逃げ延びたゲーチスは新たに組織を立ち上げたんです。“建前”を取り払い、より己の目的に沿った集団・・『新プラズマ団』ですよ」
現在活動しているのは、ファオによれば『新プラズマ団』でかつてポケモン解放を謳っていたのは『プラズマ団』・・両者は名前こそ同じだが、組織の目的や中身は全くの別物だという事か?
それにしても、とユウタは横のバシャーモへと視線を移す。
なぜ、こいつはそんな事を知っている・・?元々イッシュで発生した事件。本件に関して本部が重要視をしておらず、些か情報不足なのは否めないにしても、本部以上に『プラズマ団』関連の綿密な情報を持っているとは・・。
機内の時と言い、イッシュ関連の情報に妙に詳しいことにユウタは疑念を抱くが、深く追求する気にはなれなかった。情報部員にも扱う情報の分野に得手不得手がある。
理由は分からないが、ファオはイッシュの、特にプラズマ団についての情報に詳しいのだろう。
寧ろ、これから探るべき事案についてチーム内に得意なメンバーがいることに感謝しなければ、そう思い直し口には出さなかった。
「別物、か」
「2年前とその後で『プラズマ団』は変質したんです。“ポケモン解放”の理念を捨て去り、完全にゲーチスの私物と化し、そしてこの2年間誰にも悟られず密かに活動を続けていたんでしょう。以前のように民衆に訴え、共感を求める必要が無くなった。・・つまり、“理想”に縛られる事無くいつでも暴走しうる組織に変わってしまったという事です」
そう語るファオは無表情で淡々としているように見えるが、ユウタは彼と長い付き合いだ。このバシャーモが顔にこそ出さないが、心の底で激しい感情を押し殺して何とか冷静でいるのが薄らとだが見て取れる。
いつもは明るく快活で、時に暑苦しい程愛情を体いっぱいで表現するような男だが、時折彼が見せる――恐らくはポケモンと人との関係に関する問題について――ファオの根深い感情には底知れないものがある、そうユウタは常日頃から感じていたし、今そのことを再認識させられた気分だ。
「成程な。そうなると、PHCとポケニックが共同研究を始めたのが2年前。丁度、プラズマ団の“消滅”時期と重なる・・つまり、PHCとの共謀は新プラズマ団が2年前から開始したという事になるな。過去の資料を探っても手掛かりを掴めんわけだ」
ハミルトン局長に言葉にユウタも頷く。
確かに本部にある資料を当たってもPHCに怪しい点は見当たらなかった。今から考えると当たり前だったのだ。2年前から、という比較的新しい時期から秘密裏に始めていた陰謀だとすれば、PHC及びポケニック関連の情報入手に手薄だった本部が今の今まで気づかなかったのも無理はない。
元々例の組織の活動はイッシュに限定されていた。
『ポケモン解放論』というセンセーショナルな思想で、シンオウでもその存在が報道されはしたし、恐らくはファオもプラズマ団に何らかの感情を抱いているのだろうが、兎も角今の社会に対して強烈な存在感を表すことには成功していたようだ。
だが、“七賢人”のゲーチスとやらが裏切り、『新プラズマ団』を樹立したという事は、最初から組織は一枚岩ではなかったことを示している。
ポケモン解放、ポケモンと人の平等化といった“理想”を掲げていたメンバーも大勢いただろうが、その一方で解放を謳い建前としつつも裏で支配の根を広げていた者もいたという事だ。
ファオの言うとおり、“プラズマ団”が『ポケモン解放』の、理想を望む構成員を―恐らくは“王”ともども―排除し、建前の下活動をする必要が無くなったとなれば、一部のリーダー格の支配欲とエゴが剥き出しとなった非常に危険な団体と化していると見て間違いないだろう。そう、ユウタは見立てていた。
ポケニック社の殻に潜み、PHCと共に世界規模の陰謀を企てている――早急に対策が必要だ。
「そしてもう一つ、“時空の歪み”の件についてだが・・確かに怪現象の目撃証言にはそれと思わしきものも何件かある。最も、殆どが見間違いで処理されているが」
「その目撃証言というのは・・?」
ハミルトン局長は資料を捲り、顔をしかめる。信じられないといった表情だ。
「曰く、山菜狩りに森に入ったら、別世界の景色が見えた。山登りの最中に見たこともない街の光景が空に浮かんでいた――目撃場所はばらばらだが証言内容はほぼ一致しているな。しかも2年前から証言が微増している」
内容の一致した目撃証言があり、尚且つ『新プラズマ団』が活動し始めてからの時期と重なるという事は、やはり何か相互関係があると見るのが妥当だろうな。
しかし、そもそも俺に“時空の歪み”とミュウの件を伝えたのは・・PHC研究開発室のエリカ・ヴァイスヴァルトだ。“時空の歪み”がPHCと新プラズマ団による何らかの行為の結果、発生した現象であるならば何故俺に話したんだ?
最重要機密であるはずの情報を大して信用も置けない“ポケモンハンター”に告げる理由など無いはずだ。
エリカはPHCと新プラズマ団の共謀に関係していないのか?
何も知らずに自分の会社の機密を漏らしてしまったと。PHCの秘密を知らずに“時空の歪み”とミュウの出現ポイントの相互関係を見抜き、好奇心から調査していたのか・・?
分からない。“時空の歪み”が単なる自然現象ではないことは確かだし、PHCや新プラズマ団が関わっている可能性も高いが、それならばエリカは会社の裏側を知らず、だからこそ俺に情報を漏らした事になるが・・ならば、何故PHCはエリカの存在を隠しているんだ。
てっきりあいつが違法な生体実験に関わっているヤバい科学者だから、PHCは表に出したくないのだとばかり思っていたが・・。
「この現象とPHCとの関連性は証拠がないから何とも言えんが、PHCと新プラズマ団のつながりが分かっただけでも大きな一歩だ。――今回の君たちの働きは賞賛に値するな。今日はゆっくり休んでくれたまえ」
ハミルトン局長に一礼した後、局長室を後にしたユウタ達。
エールは仕事が残っていると告げ情報部へと戻っていったが、PHC潜入とイッシュ遠征でユウタは既にくたびれ果てていた。
本部に残した仕事は明日やることにしよう、今はとにかく体を落ち着けたい。
そう思い帰宅するか、と足を踏み出した瞬間ジュンとの約束を思い出した。
「そうだった、あいつと会う約束をしているんだったな・・ハァ」
一風呂浴び、疲れを全身で感じながらベッドで微睡み心地よい眠りに入る――至福の瞬間を味わうのはもう少し先になりそうだ。
ふと気が付くと、ファオが窓から外を眺めている姿が目に入る。その方面からだと森しか見えないだろうに、何を見るでもなくただぼうっとしていた。
「どうした、疲れたか?」
気になって呼びかけると、ファオは振り向き薄い笑みを浮かべ首を横に振った。
「いえ、少し考え事をしていただけですよ」
「そういえばお前、やけにプラズマ団関連の情報に詳しかったが・・」
「詳しいって程でもないですよ。単にプラズマ団の活動にはちょっと前から注目していただけですし」
プラズマ団の掲げる思想。『ポケモン解放論』にこいつが思うところがあるのは明白だ。
或いはその考えに賛同していたからこそプラズマ団の情報を持っていたのか、もしそうであればプラズマ団の失墜と変質に対する怒りの感情も理解できる。
まあ、ファオがどんな思想を持っていようが俺に干渉する権利はない。思想の自由は憲法でも保障されているし、根掘り葉掘り探るのは越権行為だろう。
「ジュンの搭乗した飛行機はそろそろシンオウに到着するはずだ。空港から、本部への到着と局長への報告まで少し時間を喰ったからな」
私用の携帯電話からメールで集合場所を指定する。場所は、シンオウ最大の都市コトブキシティのグローバルトレードステーション。
コトブキ最大の施設の一つで、入り口前の広場は絶好の待ち合わせポイントだ。あそこならジュンが迷う事もないだろう。
メールを送信すると携帯電話を閉じる。
ふと、ファオと目があった。透き通った青い瞳が全てを見透かすような視線を投げかけている。
思わずユウタは目を逸らしてしまった。理由は分からないが、妙な畏れを感じたからとしか言いようがない。
「グローバルトレードステーションですか〜、その子が来るまでの間ちょっと中見学したいですねぇ」
目を上げるとそこにはいつものファオがニコニコしながら立っていた。
先ほど感覚は単なる思い過ごしか、それともただ任務の疲れて神経過敏になっていただけか・・そう思い直したユウタはため息をつく。
「じゃあ今から行くか、グローバルトレードステーション。ジュンが到着するまで時間が少しある。お前が見学したいのなら付き合ってやるよ」
「お、いいですね〜」
シンオウ一の規模の国際施設なら時間を潰すにはもってこいだ。中には飲食店や土産物コーナーも設置されている、ジュンの到着まで暇を持て余すことなく過ごせるだろう。
久々の故郷だ。また任務が入ればここを離れなければいけない。それまでの間、少し羽を伸ばすことにしよう。
本部の正面入り口から外に出たユウタ達をシンオウの澄んだ風が出迎えてくれる。
清涼な空気に触れ、今故郷に戻ってきているのだと実感したユウタの口元は自然と緩むのだった。