第二十話 シンオウ保安条約機構
イッシュ中央空港まで、ボーマンダの飛行能力をもってすれば10分とかからない。
出来るならシンオウまで飛んで行けると楽なんだ
けど、飛行機で1時間以上かかる場所までマンダが飛び続けられるとは思わない。途中でへばるのがオチだし、そうなればジュンは海の底へポケモン達とともに真っ逆様だ。これはあまりいいプランとは言えない。
「お疲れ様。シンオウについたらリーフの別邸でゆっくり休めるから、それまではボールの中に居ててね。君の体格じゃ機内には連れ込めないから」
そう告げ、マンダをボールに戻すとジュンは早速切符を購入し、手近なソファに腰を下ろした。
後1時間後の便がイッシュ‐シンオウ間の直行定期便。搭乗は離陸40分前でいいとして、今は少しだけ時間が空いている。
「暇だな」
空港備え付けの大してスプリングの効いていない座り心地に今一つ欠ける、このソファの上で20分も時間を潰すのは中々に難しい。
仕方なく携帯デバイスのメールアドレスを何気なく眺めていると、ある名前が目に留まった。
「神川雄太」
PHC所属のポケモンハンター。僕の同僚。そして、今回の事件の発端。
彼が紹介してくれたミュウの情報から全ては始まったんだ。
一応彼にも連絡しておこう。情報を提供してくれたし、結果ぐらい伝えるのがマナーだろう。
ジュンは電話帳をスクロールさせ、彼の番号にワンプッシュコールした。
「ジュンか?」と素っ気ない声が電話越しに聞こえてくる。着信番号を見たのだろうが、相変わらず愛想のかけらもない態度だ。
「・・君から情報提供してもらったから、その結果を知らせようと思ってね」
「で、どうだったんだ?」
「失敗したよ。招かれざる客のお陰でね。取り逃がした」
「そうか――だ」
車にでも乗っているのだろう。エンジン音と思わしきノイズが所々入っていて、聞き取り辛い。
なんだってと聞き返すも「いや、なんでもない」とはぐらかされてしまう。一体何と言ったのか気にならないではないが、それよりもジュンには別に気になる事があった。
「そういえば君今どこにいるの?移動中のようだけど」
そう尋ねるとしばしの間沈黙が降りた。
「俺は今シンオウにいるが・・」
「シンオウに?奇遇だね。僕もシンオウに用事があるんだ」
ユウタがシンオウにいるとは驚きだ。依頼も仕事も彼は入れていなかったはずだが、一体何の用でかの地にいるのだろう。
だが、これは良い機会かもしれない。ユウタになら気兼ねなくPHCの『裏事情』について話し合える。彼は信用のおける友人だ。他の同僚とは出来ないような話題でも彼になら話せる。
「丁度いい機会だ。僕もこれからシンオウに向かうから、会って話さない?大事な話があるんだ」
「別に構わないが・・」
リーフ邸に行くまでに寄り道することになるだろうけど、いや、どうせならリーフの別荘に招いてもいいかもしれないな。
『危ない』話であってもリーフ邸ならば外に漏れる心配はない。僕の頼みならリーフも快く受け入れてくれるだろうし、第一あそこは別荘とは名ばかりの豪邸だ。別の友人一人招いて腹を割って話す為の場所なんて無数にある。
少しの間電話の向うで同席している誰かと一言二言何かを相談した後、「いいだろう」と返事が返ってきた。
「こちらから時間と場所を指定するメールを送る。そこで落ち合おう」
「OK。二人で話をするには絶好の場所があるから、会ったらそこに案内するよ。きっと気に入ると思う」
「了解した」という一言と共に電話が切れる。何やら世話しない雰囲気が電話越しにも伝わってきた。
忙しそうだったな。というか今日、彼にハンターの仕事の予定なんて入っていたっけ。
『1:30発、シンオウ‐イッシュ間直行便に搭乗のお客様。D-18ゲート前にお越しください』
空港内に機乗アナウンスが流れる。ジュンは携帯電話をパタンと閉じ、鞄のファスナーつきの内ポケットにしまうと立ち上がった。
ポケモンは原則、モンスターボールに入れなければ機内には持ち込めない。
ただ、例外として人間の膝乗りサイズのポケモンや、人型で尚且つ人間社会で人と共に仕事をし、生活をしている“市民ポケモン”はその限りではない。
ポケモントレーナーとポケモンが緩やかな主従関係で結ばれる―確かにそのモデルは未だに人とポケモンの関係では主流だが、今やポケモン達は自らの領域から人間界にも進出する兆しを見せているのだ。
人間が自分たちの文明を全世界に広げる“だけ”の時代は既に終わっていると言える。
人型、あるいは人間に近い姿をしているポケモン達は人の社会に馴染み易い。
彼らは人間社会での名を得て、市民権を獲得し、この社会に順応している。軍属ポケモン、警官、ボディガード、警備員のような“力”と“体力”、“強さ”を求められる職業に集中しているのが特徴的だ。
ポケモン達の強靭な肉体と戦闘向きの技や特性――それらがある種の物質的な危険を伴い、いざとなれば戦わなければならない職業への“余所者”の参入を有利にしたのだろう。
ただ、ジュンはこうも思う。ポケモンハンターという仕事を専門にしている自分が言うのも何だが、確かにポケモンは人間社会において一定の地位を築いたものの、その実、人に“使われる”立場に立ちづづけている――トレーナーの指示を聞き、戦い、その人間に利益をもたらす存在であるという――構造は全く変わっていない。
社会的に立場が複雑になっただけで、今も昔もポケモンは人に支配されている。
自分も含めて、多くの人間はポケモンを大事にし、家族、相棒、あるいは愛する相手とさえ思っているかもしれないが、その異種族を人の手から解き放ち、真の意味で自由にしようとは考えもしないわけだ。
「でも、仕方ないね」
何故って――答えは簡単だ。
この文明社会は人間が自分たちの為に作り上げた世界だ。人以外のものは全て利用対象でしかなく、それ以下でもそれ以上でもない。
ケモンが緩やかな支配関係におかれ、多くの場合、『信頼』の鎖の元で飼いならされる運命なのはある意味必然だ。
ま、中には傭兵の役割を自ら請け負うポケモンもいるけれどね。ソルとか。
ジュンの手持ちの中でも異色の存在、アブソルのソル。
彼は決して自分の過去を明かそうとはしないけど、翻訳機を通した彼の話によると、どうも過去に大勢の人間達の手持ちとして“雇われ”、 人間で言う傭兵のような仕事を続けていたらしい。
彼の純白の毛の下に数多くの古傷がある事実は僕も出会ってしばらくして気が付いた。聞いてほしくなさそうだったから聞かなかったけど。
ソルと出会った日は忘れもしない・・あれはそう、今から3年前――
ジュンが過去に思いを巡らせようとした時、飛行機への搭乗ゲートが開いた。搭乗時間が来たのだ。
他の客がぞろぞろとゲートへ向かう中、ジュンも搭乗券を手に持ち歩き出したのだった。
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一方、部下エールが運転する車の後部席にファオと共に座るユウタは仕事用の携帯を閉じると、深い一息をついた。
本部へ向かう途中いきなりジュンからかかってきた時は驚いたが、突然「会おう」などと言われるとは思わなかった。
だが、ジュンは重要な情報源だ。あいつの情報網は馬鹿にならない。本部での報告を済ませた後はどうせ暇なのだ。ジュンと接触し、『大事な話』とやらを聞くのも悪くはないだろう。
万が一、シンオウ政府直属の情報機関員であるユウタでさえ知らない秘密について打ち明けるつもりなのなら――
「大尉、今の電話、誰からです?」
横に座っているファオが突如問うてくる。相変わらず詮索好きな奴だ。
「ああ、“ポケモンハンター”の同僚からだ。PHC専属のな」
「ポケモンハンター・・ですか」
ファオの表情が急に険しくなる。
彼がポケモンだからか、まあ同族を捕獲する仕事についている人間の存在を、ポケモンであるファオが快く思うはずがないのだが――それにしても怒りとも悲しみともつかない、沈んだ目をしたコイツを見るのは初めてだと、ユウタは少し驚く。
「・・随分親しげに話してましたけど、いったいどんな人間なんですか?」
棘を含んだ語気にユウタは組んでいた足を組み替えると事もなく答えた。
「お前好みの奴だ。ルックスもな」
「俺好み・・?」
今度は怒りの雰囲気が鳴りを潜め、代わりに興味津々といった様子でずいっと顔を近づけてきた。
むんむんとした熱気が伝わってくる。身長190センチの体でこれをやられると暑苦しくてたまらない。
体全体が火照っているのは炎タイプのせいという事にしておこう、そう思い、鬱陶しそうにユウタは迫りくるファオを両手で押しのけた。
「ああ、そうだ。華奢で色白な少年ハンター、性格は腹黒いが手持ちポケモンは大切にしている所がある。だが、少々サディスティックな面も持ち合わせてもいる奴だ。マゾのお前にはちょうどいいだろうよ」
「なるほどぉ、少年のポケモンハンターですか。トレーナーじゃなくてハンターとは、珍しいですねぇ」
ふんふんと顎に手を当て目を細め、ファオは薄笑いを浮かべる。
その表情はジュンに対する興味というよりは、もっと深い何か―それが何なのかは分からないが―を感じさせた。
てっきり「俺にその子紹介して下さい!」と軽くノッてくると思っていたユウタは、部下のバシャーモの予想外の反応に少し怪訝な表情をする。
が、直ぐにユウタの方に振り向くとにまっと何時もの緩んだ表情を向けた。
「是非、その子に会いたいですねぇ。お供しますよ、大尉!」
・・だが、今のファオの顔をユウタは忘れることが出来ない。不気味にさえ思える鋭利な眼つきに怪しげな笑み。一瞬だが、目の前に座るファオが自分が知らない、別のポケモンに思えてしまった。
「いいだろう、ファオ。ただ俺はあくまで表の顔は“ポケモンハンター”だ。お前も怪しまれないような立場を演じる事だな」
「じゃあ恋仲ってことで――」
下心丸出しの発言に、しかしユウタは慣れた様子で無視し、続ける。
「お前は“ポケモンハンター”である俺が雇った“用心棒”という事にしておく。しっかり情報収集に励みたまえよ、ヴィクター君」
本名である『ヴィクター』の名を出し、言葉尻こそ丁寧だが中身が棘だらけのきつい言葉に詰まるファオ―もとい、ヴィクター。
ポケモンは人間社会に適合したその時から野生の自由は失われる。
代わりに彼らは人間社会での“市民ポケモン”の地位と自身の素質に会った職業、そして人が得られる諸々の権利を手にするわけだ。
元々自然の中で生き、『名』という概念を持たない存在だったポケモンが人の世に分け入るには、当然ながら『名』を得なければいけなかった。
この雄のバシャーモ、コードネーム『V(ファオ)』こと“ヴィクター・ローレンス=ブレイズィケン(Victor Lawrence=Blaziken)”も『名』を得て人の世に溶け込んだ一族の末裔である。
そもそも彼は自分の家の事を話したがらない――ユウタを相手にしてさえ、ローレンス家の話題に少しでも近づくと直ぐに話を変え、避けてしまう。
『名』を先祖が授かりそれを代々受け継いでいる家の歴史自体をあまり快くは思っていないようだ。
人であるユウタには、名前を持つ事はあまりに自然すぎて違和感を覚えることなど無いが、ヴィクターにとっては人の束縛を受けているようで、苦々しい感情があるのかもしれない。
「大尉、俺の事は本名で呼ばないで欲しいって何度もお願いしたはずですよ」
何時になく険しい表情でヴィクターが唸るように口を開いた。
「そうだったな。だが、コードネームでの呼び名は気にしないお前が随分な拘りようなことだ」
「それは良いんです。『V(ファオ)』は仕事上のコードネームですから。それに、この名を与えてくれたのはあなたですよ、大尉」
確かに『V』のコードネームを部下であるコイツに名づけたのは俺だが、本名は拒絶して仕事の上での記号名は受け入れるとは妙な奴だな。
ヴィクター、もといファオは訝しむユウタの顔を覗き込むと再び表情が笑顔に戻る。
先ほどの張りつめた顔つきから、この満面の笑み。破顔一笑とはよく言ったものだ。
「大尉から頂いたこのコードネームは俺の一番の宝物なんですからねっ」
・・何が“ねっ”だ、気色悪い。運転席越しのエールの舌打ちまで聞こえきて、隣のファオ、前方のエールに囲まれ色んな意味で居心地の悪さを感じてしまう。
このメンバーの中で地位が最も高いのはユウタのはずなのだが。
勿論“耳聡く”舌打ちを聞いたファオが運転中のエールに絡み、突如勃発した一人と一匹の醜い言い争いを横で黙って耐えていたものの、我慢ならず、ずきずきと偏頭痛がしだしたユウタが眉根を揉み始めた時、天の采配か、彼らを乗せた車が目的地に到着したのだった。
薄黄色の煉瓦造りの建物は完全な左右対称であり、最下層のむき出しの黒煉瓦がこの建築物全体の荘厳さを際立たせている。
正面玄関の分厚い本を携えた女神の像以外に目立った装飾はなく、建物全体の巨大さと色合いも相まって美しくも、どこか威圧的で冷たい雰囲気を醸し出していた。
「・・いつ見ても見飽きることはない、圧倒的な迫力。イッシュの味気ない近代建築や美的観点が欠如しているビルなど及びもつかない程の美しさ。見慣れた場所とはいえ、ここに来るたびに気が引き締まる気分になるな」
彼らが『本部』と呼ぶこの場所、その正面玄関の大理石のプレートには仰々しい文字が彫られてた。
『シンオウ保安条約機構(Shinnoh Publicsecurity Treaty Organization)』――通称、SPTO。
シンオウ政府直属の情報機関で、他大陸における諜報業務、シンオウ大陸内における様々な反乱、敵対的分子の活動の調査及び対策を一手に引き受け、また他大陸との情報戦における防諜任務も担う組織――それがシンオウ保安条約機構、SPTOであり、大都市コトブキシティとソノオタウンの中間地点にあたる204番道路から東へ少し進んだ場所に本部は建てられている。
「俺はあまり好きじゃないですけどね、ここ。何となく冷たい感じがしますし」
巨大なシンオウ保安条約機構本部の様相に美を感じるユウタに対して、ファオはこの場所をあまり好んではいないようだ。
「まあ、コトブキからもソノオからも少し離れた場所にあるからな。大都会の真っただ中に比べると若干人の気配が少なくなる。そのせいだろう」
「・・それだけじゃ無いような気もしますけどねぇ」
含みを持たせたその台詞を疑問に思う間もなく、エールの運転する車が職員専用の駐車場に停車した。
ユウタ、ファオ、そしてエールは車を降りると駐車場を突っ切り、台座から下界を見下ろす女神像を横目に正面玄関を潜ると本部へ入っていったのだった。